女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
スタッフ日記
2008年12月第5週
2008/12/28(Sun)

今年もあと数日。シネジャ75号もなんとか年内に出来上がり、26日に(白)さん宅で発送作業。そろそろ定期購読の皆さまのお手元に届いている頃かと思います。発送には、4月から大阪で教鞭をとっているIさんが、帰郷したその足で東京駅から直行して参加。「同じ大阪でも場所によって言葉の違いにこだわるのが面白いですね」というIさんが住むのは岸和田。まさに『大阪ハムレット』の世界です。19日の光石富士朗監督インタビュー、こともあろうに記録係の私、録音に失敗! (美)さんにとって初インタビューで前夜は眠れないほど緊張していたというのに、驚異的な記憶力で書き起こしてくれました。

さて、この1週間、イラン関係の催しが嬉しいことに3つ続きました。
今年はイラン日本文化協定締結50周年。20日にイラン・イスラム共和国大使館主催の記念行事が行われました。講演、楽器演奏、写真展、書道展、夕食会と盛りだくさん。北原圭一先生の講演「文学にみるイランと日本の交流の概略」の中で、五木寛之著の「燃える秋」が紹介されました。1978年に小林正樹監督が真野響子、北大路欣也主演で映画化したのですが、ちょうど私が初めてイランに行った頃にロケをしたもので、私も泊ったエスファハーンのシャー・アッバース・ホテルが出てくるのが嬉しくて、公開された時に5回位観た懐かしい作品です。翌1979年、イスラーム革命が起こり、ホテルの名前もシャー(王)が取れ、アッバーシー・ホテルとなりました。もうあれから30年!
21日、カフェ・バグダッド主催の「イラン現代詩の深淵へ−セタールの響きとともに」がイラン料理店ペルシャンダルビッシュで開かれました。詩人としてだけでなく映画監督としても名をなした女性フォルーグ・ファッロフザードと、一時は彼女と恋人関係にあったナーデル・ナーデルプールの愛憎の軌跡を織り交ぜ、二人の詩を紹介する素敵な催しでした。
23日、イラン人留学生たちの「イラン学術協会(ASIJ)」主催で、日本人によるペルシャ語弁論大会が大使館で開かれました。大学1年生や2年生の学生さんも挑戦していて、その勇気に拍手をおくりました。
ところで、冬至の夜は、イランで「シャベ・ヤルダー」と言って、皆で集まってお喋りをしたり詩を語ったりして、楽しく過ごす習慣があります。冬至を境に、闇の世界がだんだん短くなることを祝う意味があるそうです。善と悪の二元論のゾロアスター教時代から続く古い風習。そして、シャベ・ヤルダーに付き物なのが西瓜。20日も23日も、ちゃんと西瓜がザクロやリンゴなどと共にテーブルに並びました。今は南の暖かいところから取り寄せることが出来ますが、昔は夏の西瓜を大事に保存していたそうです。なぜ西瓜?というのはさておき、日本では南瓜。なんとなく繋がりがありそうですね。

ペルシャ語弁論大会 シャベ・ヤルダーに付き物の西瓜 書道展
[撮影:(咲)]

暗い話題ばかりの年の瀬ですが、2009年が皆様にとりまして良い年になりますよう祈っております。どうぞ来年もよろしくお願い申しあげます。

(咲)

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2008年12月第4週
2008/12/21(Sun)

75号の編集に追われ、スタッフ日記もすっかりさぼってしまいました。例によって、書き残したいことだけ駆け足で!

11月28日(金)我がシネジャ創始者の一人、泉悦子さんが今年の山路ふみ子映画賞福祉賞に決まり、授賞式に出席。女優賞の小泉今日子さんの隣でちょっと緊張ぎみの泉さんでしたが、白井佳夫先生から賞状を受け取りスピーチする姿は立派でした。


[撮影:(白)]

いつもお世話になっている東京国際女性映画祭のディレクター大竹洋子さんも映画功労賞を受賞。「裏方の私が受賞するのは・・」と謙遜されていましたが、映画は上映の機会を作る方がいないと世に出ないもの。まさに功労賞にふさわしい方が受賞されました。


大竹洋子さん [撮影:(白)]

12月2日(火)&3日(水)『シリアの花嫁』エラン・リクリス監督来日記者会見と4誌合同インタビュー。イスラエルに占領されたゴラン高原のドゥルーズ派イスラーム教徒の結婚式を描いたリクリス監督は、祖父母がロシアから移民したユダヤ人。「公式にも精神的にもイスラエル人ですが、世界人と言いたい」とおっしゃっていました。75号に記事を掲載します!

12月14日(日)シネジャ75号最終編集日。秋は映画祭が続いたし、これから公開されるイスラーム圏絡みの映画も目白押しで、欲張ってページをたくさんいただいたので、この日の3時頃まで原稿と格闘。でも、最後に書いたのは、9月のアジアフォーカス。メモ起こしだけして、安心していたのですよね・・・ (さっさと書いておけよ>自分!)
5時頃、梅さん宅にたどり着き、なんとか75号も完成! 美味しい手料理をいただきながら、編集長初体験のKさんの悲惨なのに笑ってしまう話で盛り上がりました。(Kさんの悲劇も、是非75号でお読みください!)

12月16日(火)無事、印刷会社に入稿! しばらく行ってなかった試写も解禁。この日観たのは、『きつねと私の12か月』と『ミーアキャット』。偶然にもネイチャー二本立てになりました。立ち姿がなんとも可愛いミーアキャット。あれはお腹に太陽の光を受けるためなのですね。それにしてもアフリカの沙漠での厳しい生存競争! 人間と動物、どっちが楽だろう・・・

12月18日(木)RED MISSION Japan主催の『レスリー・チャンの音楽世界』へ。会場の神奈川県民ホールは、レスリーのコンサートが行われた懐かしい場所。あの日のことを思い出して、胸がキュン! 会場に入って、真っ先に飛び込んできたのが、「当年情」を歌うあどけないレスリー。まさに私が落ちた『男たちの挽歌』の主題歌。あれから18年の日々を思い起こして、しみじみ。会場では3箇所で映像が上映されていて、3時間半の滞在時間を確保してきたのに、展示も充実で、とても時間が足りませんでした。実は、事前にシネジャ販売を打診し、OKのメールをくださっていたのをなぜだか見過ごし、この日快諾いただいていたことが判明。19日朝、シネジャを持って再度横浜へ。前日、観きれなかった映像の続きを拝見。「レスリーと共に過ごせて幸せだった」とファンや関係者が語る映像で、ほんとに私も幸せだったと、涙、涙・・・ 

もっともっと会場にいたかったのですが、19日は3時から『大阪ハムレット』の光石 富士朗監督にインタビューのお時間をいただいていたので、この日もまた後ろ髪を引かれる思いで会場を後にすることに。受付にお礼に立ち寄ったら、なぁんと、1時間半の間に持ってきたシネジャ10冊が完売していました。20日に追加で暁さんが持っていった5冊もあっという間に完売。RED MISSION Japanの皆さま、お買い上げくださった皆さま、ほんとにありがとうございます!(もちろん、レスリーにも多謝~!) これからもシネジャはレスリーを語り続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

(咲)

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2008年12月第2週
2008/12/14 (Sun)

レッドクリフ PartI』の大ヒットで、アジア各国で三国志があらためて読まれているようです。わたしは映画を観る前に吉川英治版を読んで、すっかり諸葛亮孔明にはまり、陳舜臣著の「諸葛孔明」を読み、さらには今「泣き虫弱虫諸葛孔明」読んでいます。これは「墨攻」の著者である酒見賢一氏の作品なのですが、ある程度「三国志」を知っている人には爆笑ものの小説です。何しろ天才軍師の誉れ高い諸葛孔明が、ここでは奇人変人。帯には「口げんか無敗。いざとなったら火計の策」の記述。その変人ぶりを、金城武の姿に置き換えて想像しては笑っております。孔明に限らず、劉備、関羽、張飛の描写もぶっとびで、ときどき「いいのか・・・」と心配になるくらい。でも、聖人君子、世紀のヒーローのように描かれている他の本に比べて、きわめて人間くさく、歴史の裏側へ思考をいざなってくれるところが、非常に面白いです。興味のある方は、是非一読を。ただし、三国志初心者が読むのは厳禁です(^^;)。

4月には『レッドクリフ PartII』が公開されますが、その前にアンディ・ラウ(劉徳華)主演の『三国志(原題:三國之見龍御甲)』が公開されます。こちらは三国志きっての人気者、趙雲子龍が主役。作品紹介にも記事を掲載しましたのでご参考にして下さい。予想していた以上にきちんと作られていたので、それなりに楽しかったのですが、どうしても気になる点が一つ。それはアンディ・ラウの声が吹き替えで、しかも本人の声とあまりに違っていたこと。『レッドクリフ』でもトニー・レオン(梁朝偉)や金城武が吹き替えでしたが、似た声の人を使うという配慮がなされていました。そりゃ一般の観客は気づかないことかもしれないけれど、もうちょっと制作者はファンの気持ちを配慮して欲しいものだと思います。

(梅)

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2008年12月第1週
2008/12/7 (Sun)

ただいま、本誌75号の編集作業中。スタッフみんな、原稿書きにいそしんでおります。大手の雑誌でさえ休刊が相次ぐ昨今、わたしたちも小さな雑誌ではありますが、紙媒体を残していくのは大変です。皆さんに楽しんで読んでいただけるように、がんばっていますので、お手にとって読んでいただけたら幸いです。12月27日ごろ発売の予定です。よろしくお願いいたします。

(梅)

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2008年11月第5週
2008/11/30 (Sun)

第9回東京フィルメックスが終了し、受賞作品が決まりました。

  • 最優秀作品賞『バシールとワルツを』(監督:アリ・フォルマン イスラエル、フランス、ドイツ)
  • 審査員特別賞 コダックVISIONアワード 『木のない山』(監督:ソヨン・キム 韓国、アメリカ)、『サバイバル・ソング』(監督:ユー・グァンイー 中国)
  • 観客賞 アニエスベーアワード 『愛のむきだし』(監督:園子温 日本)

30日に行われた記者会見で、審査委員長の野上照代さんは、初めからこの3作品が審査員全員の一致で候補に挙げられ、どうしても『木のない山』『サバイバル・ソング』の一方を選択することができず、変則的だけれども2本とも審査員特別賞にしたと述べました。最優秀作品賞の『バシールとワルツ』はアニメーションですが、ドキュメンタリー的な内容をアニメで描いた意欲的な作品です。アニメはちょっと・・・と言う方にこそ観ていただきたい、戦争の悪夢をアニメだからこそ可能な表現で描いて胸に強く響く素晴らしい作品でした。日本公開に向けて現在ネゴシエーション中とか。是非とも公開していただきたいです。奇しくも受賞3作品はアニメーション、フィクション・ドラマ、ドキュメンタリーと異なる表現方法のものでした。審査員のイザベル・レニエさん(フランスの映画評論家)は、ますます表現の多様性を増す映画の未来を示す結果となったと述べていました。

東京フィルメックス受賞結果発表会見
第9回東京フィルメックス・コンペティション受賞結果発表記者会見

9日間、腰痛持ちのわたしは予防のためにコルセット着用で通いました。受賞作品の他にも『完美生活』(監督:エミリー・タン 香港、中国)もドキュメンタリーとフィクション・ドラマを融合させた意欲作で、なかなか面白かったです。監督のエミリー・タンさんへのインタビューができたので、75号本誌の方へ掲載する予定です。

ソヨン・キム夫妻の娘をあやすレオン・カーファイ
『木のない山』ソヨン・キム監督夫妻の娘をあやすレオン・カーファイ

ミーハー的には何よりレオン・カーファイ(梁家輝)さんを何度も間近に見られることが嬉しかったです。何しろシルバーヘアーですから、会場にいればどこからでもすぐにいるとわかりましたから(笑)。初日の会見ではわたしが思わずなぜその頭? と聞いたら、ジョークで返されたのですが、今日の記者会見でも香港のメディアにつっこまれてました。今度はちゃんと次回作の撮影準備と答えていました。

(梅)

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2008年11月第4週
2008/11/23(Sun)

「初めて作った映画『シスター・チャンドラとシャクティの踊り手たち』が第41回ヒューストン国際映画祭でRemi金賞という賞をとりました」と松居和さんからシネジャ宛にメールをいただいたのが6月終りのことでした。さっそくDVDを送っていただいて、観始めたとたん、太鼓を敲きながら力強く踊る南インドの女性たちの姿に目が釘付けになりました。なんと、その踊りを間近で見ることができました! シスター・チャンドラが、カースト制度の枠外の最下層として差別されているダリット(不可触民)の若い女性たちに民俗舞踊の指導を通じて権利意識の向上に努めてきた長年の功績を日本社会貢献支援財団から表彰されることになり、踊り手を引き連れて来日したのです。11日、12日の公演には伺えず、17日、シスターの講演会に参加。大きな会議室に円形に並べられた椅子の真ん中で、まずは踊りの披露。まさにかぶりつきで観る踊りは迫力でした。静かに語るシスターにも感銘を受けました。映画を撮った松居和さんとも初めてお目にかかり名刺交換。シネジャと共にイランの方の名刺もお出ししたら、「山田順子さんをご存知ですか?」との言葉。順子さんは、かつてイランで日本人幼稚園の先生をしていた方で、もう30年位前からのお知り合い。松居さんも順子さんと長年のお付き合いで、今回シスターたち来日の応援団として日々奔走してくださっていると聞かされました。世間は狭い! そんなご縁で、20日、シスターたちの宿泊している国際識字文化センター事務局長の黒川さんのお宅へ。順子さんの息子さんが空手を見せてくれたあと、テコンドーを習っている踊り手の女の子たちとお手合わせ。その傍らで松居和さんに色々とお話を伺いました。尺八奏者、埼玉県教育委員、絵本作家・・・と様々な顔を持つ松居さん。ジョージ・ルーカスやスピルバーグの映画音楽にも携わってこられたとはいえ、映画製作は初めて。カメラや編集ソフトの購入代金、4回のインド取材費用などを含めて総予算150万円! あっぱれです。踊り手たちの作った美味しいカレーをいただきながら、ただただ感心するばかりでした。本誌75号で詳細報告します!

シスター.チャンドラと松居和監督
シスター.チャンドラと松居和監督(シャヒーン・茉莉花さん提供)

21日、東京外国語大学の外語祭へ。まずは1年生たちが奮闘している各国料理店を覗いてみました。ウルドゥー語科のところで炭火焼のキャバーブ200円也をいただいたら、これがもう絶品でした。 ペルシア語劇「七王妃物語」を観て、再び料理店巡り。語劇を観にいらしていたイランのアラグチ大使もペルシア語科のところでナンに挟んだキャバーブをほお張っていらっしゃいました。私は、アラビア語科でホンモス(豆のペースト)とハリーラ(豆と肉のスープ)、ドイツ語科でザッハトルテ、そしてブラジル語科のコーヒーで締め。あっというまに世界一周です。お腹を満たして、室内展示の見学。ウルドゥー語科の展示会場では、シャー・ルク・カーンの若い頃の映画を流していて、思わずにんまり。パキスタンの諺、「猿にショウガ」「ラクダにサフラン」。ところ変われば・・・ですね。アラビア語科の展示「とりあえずアッサラーム」では、パレスチナの現地報告。レバノンのパレスチナ難民キャンプの若者を取材した映像も。そして、最後にトルコ語劇「フェルハドとシリン」を観てきました。題材はペルシアの物語。衣裳もなかなかだし、トルコ語も上手だったのに、音楽がなぜだか韓国ドラマ「春のワルツ」やらスコットランド民謡やら。しかも、音が大きすぎてバックじゃなくて表に出すぎ。演劇でも映画でも音楽の使い方は大事ですね。

梁家輝(レオン・カーファイ)
会見中の梁家輝(レオン・カーファイ)

さて、22日(土)から第9回東京フィルメックスが始まりました。有楽町マリオン裏手のエレベーターで朝日ホールに上ろうとしたら、サングラスに銀髪の目立ちすぎる男。実にスマートに先を譲ってくれたのですが、なぁんと、レオン・カーファイでした。今回は審査員なので楽しみにしていたのですが、こんなにも早く会えるとは幸先いいかもと嬉しくなりました。しかも、この裏手のエレベーターは、かつて『恋戦沖縄(原題)』の舞台挨拶で来日したレスリーと出会えた思い出の場所。(今になって気がついたのですが、『恋戦沖縄』にもカーファイ出ていましたねぇ!) 開会式の後には、カーファイを囲んでの記者会見も。「また歌う予定は?」と質問したら、「もうCDを出す予定はないけれど、会見後にあなたの為に歌ってあげます」とナイスな答え。(歌ってくれぃ〜!) はてさて、カーファイたち審査員はどんな結果を出すのでしょう。最終日が楽しみです。

(咲)

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2008年11月第3週
2008/11/14 (Fri)

なんだか急に冷え込んできましたね。我が家からは晴れて空気が澄むと富士山がよく見えるのですが、いつの間にやら真っ白になっていて驚きました。冬が駆け足でやって来ます。

WEBをリニューアルしました。できるだけ、シンプルに、見やすくを心がけたのですが、いかがでしょうか? 結構な作業量ですっかり家に籠もりぐせがついて、試写へ行くのも億劫になってしまってます。いかんいかん。

今日は(白)さんと一緒に『ぼくのおばあちゃん』の榊英雄監督のインタビューにうかがいました。榊監督は俳優としても活躍されている方なので、かっこいいし、話しぶりは熱くて面白いしで、とても楽しいインタビューになりました。近日、WEBにも掲載しますのでお楽しみに。

(梅)

2008/11/16(Sun)

時の過ぎ行くのは早くて、もう11月も半ば! 1〜2週のどうしても書きたかったことだけご報告。(といっても、長くなりそう!) 11月1日〜4日、NHKアジア・フィルム・フェスティバルで連日渋谷へ。2日と3日には『エグザイル/絆』公開を前に、アンソニー・ウォン&フランシス・ン(あきおちゃんとフラさまと、私は呼んでおります・・)が来日して記者会見と舞台挨拶に登壇。中年の渋〜い二人組を間近で見られる夢のようなチャンスだったのに、NHKの方のトルコやクルドの映画上映&監督インタビューとバッティング! 涙を飲みました。(梅)さんたちの報告を読んでみたら、これがもう可笑しすぎ! まだご覧になってない方、是非くつろぎのひとときを。(それにしても、可愛い系が好きなはずの私、レスリーが歳を取ってもこんなオッサンにはならなかったはずなのに、なぜこの二人に強く惹かれてしまうのか不思議!)

NHKアジア・フィルム・フェスティバル、初日の1日には、『キネマの大地』を観て、直後に向陽(シャン・ヤン)監督にインタビュー。5時からの『追憶の切符』では、司会の渡辺俊雄さんが『流星』と『墨攻』のパンフレットを手にジェイコブ・チャン監督を紹介。『流星』のレスリーのことにも触れてくれました。渡辺さん、ありがとう! 『追憶の切符』は、ジェイコブ・チャン監督らしい心温まる物語。すっかり大人になったニコラス・ウー(かつての表記はニッキー・ウー)に惹かれました。 パイプ椅子でもう1本はきついと思ったけれど、8時からイラクの『僕たちのキックオフ』を頑張って拝見。シャウキット・アミン・コルキ監督とは、去年の東京国際映画祭以来、1年ぶりの嬉しい再会でした。 イラク北部クルディスタンから車で国境を越えてテヘランに出て、そこから飛行機でいらしたそうです。監督の住むアルビルからテヘランまでは車でわずか12時間。東京国際映画祭で上映された『私のマーロンとブランド』でも、クルディスタンにいる恋人に会うためにヒロインがイランに向かったのを思い出します。

『僕たちのキックオフ』右:シャウキット・アミン・コルキ監督。左:ショーレ・ゴルパリアンさん(イラン映画の日本への紹介で活躍するショーレさんが、本作のプロデュースにあたりました。) 『パンドラの箱』イエシム・ウスタオウル監督と主演のオヌール・ウンサルさん

2日には、トルコ映画『パンドラの箱』と、そのイエシム・ウスタオウル監督の参加するトークショー。そして、3日の夕方、コルキ監督とウスタオウル監督のインタビューの為に、また渋谷の坂を上りました。ところが、コルキ監督、買い物に夢中になって帰ってこない! 結局、4日にランチをご一緒しながらのインタビューとなりました。 コルキ監督は焼き魚が好きなのですが、クルドから同行したハサンさんは和食が駄目。滞在中、なかなか魚が食べられなかったと残念そうでした。コルキ監督とお別れして、3時半からの『蘇る玉虫厨子〜時空を超えた「技」の継承』の試写に行くつもりが間に合わなくなってしまったので、大丸ミュージアムで開かれていた「榎木孝明水彩画展」へ。そこで、なぁんと『蘇る玉虫厨子』のプロデューサーの益田祐美子さんとばったり! 思わず抱き合います。益田さんは、榎木孝明さん主演の日本イラン合作映画『風の絨毯』の仕掛け人。その時からのご縁なのですが、会うべき場所で会ったという感じ。 『蘇る玉虫厨子』は、やっと10日に拝見。亡き金太さんの姿にほろっ。(詳細は作品紹介を!)

14日夜、イラン大使館の映画上映会。『Ezdevaj be sabk-e Irani (イラン式結婚式)』という作品。英語字幕が笑っちゃう位、なんだかなぁ〜だったのですが、イランにやって来たアメリカ人男性と恋に落ちたイラン女性が、反対する父親を説得して結婚にこぎつけるコメディー仕立ての物語。結婚の風俗のほか、遺跡や詩人の墓、バーザールなど観光地もあちこち出てきて、イランを知らない人に入門編で観てもらうのにいい映画でした。イランのコメディーがなかなか日本で公開されないのは残念!

(咲)

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2008年10月第4週
2008/11/3 (Mon)

東京国際映画祭も、カザフスタンのセルゲイ・ドヴォルツェヴォイ監督による『トルパン』がさくらグランプリ、トルコの『私のマーロンとブランド』が最優秀アジア映画賞を受賞するなど、私の地域(!)の映画が日の目を浴びて、10月26日に閉幕しました。開催前の14日からコンペ作品の試写に連日通い、開幕してからはグリーンカーペット取材から、26日のクロージング&受賞作品記者会見まで、まさに東京国際映画祭にどっぷり浸った怒涛の2週間でした。中東やイスラーム絡みの作品を追いかけただけでも日程がいっぱいになって、中華圏の映画を追いきれないという、嬉しいけど涙も飲んだ映画祭でした。
遅ればせながら、駆け足で東京国際映画祭の1週間を振りかえってご報告します!

18日(土) プレスパス発行に時間がかかるかもと早く出かけたら、すぐに発行していただけたので、予定外で『THE CODE/暗号』の舞台挨拶に行ってみました。稲森いずみさんのお名前があったのにそそられたのですが、林海象監督の最新作は上海が舞台。これまた惹かれます。観にかなくては! 舞台挨拶には、林監督と稲森いずみさんの他、尾上菊之助、宍戸 錠、松方弘樹、松岡俊介、佐野史郎の各氏、貫地谷しほりさんが登壇して華やかな映画祭幕開けでした。
脱力系コメディー『銀河解放戦線』(韓国)の試写でくつろいだ後、オープニングのグリーンカーペット取材の受付へ。すでに長蛇の列。でも、出遅れたお陰で、正面のカメラマンが団子になっている場所でなく、けやき坂半ばのグリーンカーペットのほんとに際に陣取ることになりました。カメラが故障してしまい、コンパクトデジカメしか持って行くことができず、しかも、歩いてくる人たちを正面から撮ろうとすると、ライトが眩しくて、間近に来た時に横から撮るしかない状態でした。という次第で、写真は少しだけでごめんなさい。(梅)さんがアリーナで撮った写真をご覧ください!(→ 特別記事
写真を諦めたので、目の前を通る監督や俳優さんをばっちり拝見することができました。司会の久保純子さんとジョン・カビラさんは腕を組んで息もぴったり。ミーアキャットの着ぐるみに続いて、高野悦子さん、羽田澄子監督、大竹洋子さんたち、東京国際女性映画祭のご一行。思わず、「高野さ〜ん! 大竹さ〜ん!」とお声を掛けたら、皆さんで振り向いて立ち止まってくださいました。(流れを止めてすみません・・・)

可愛かったのが、子豚を抱いた妻夫木くん。(あ、子豚が可愛かったというべきか・・・)『ブタがいた教室』に出演した子どもたちも皆おしゃれして妻夫木くんに続きます。

沿道からの手招きでサインや握手に応じていた人気者のおじさま、どなたかと思ったら『D-WARS ディー・ウォーズ』のシム・ヒョンレ監督でした。緑の鮮やかなスカート姿の桃井かおりさんも、プレスや沿道の人たちに「カーペットが私のスカートに合わせてくれたの」などと気さくに語りかけていました。ひときわ愛想を振りまいていたのは、『ホームレス中学生』の小池徹平くん(可愛い〜!)と、『クローンは故郷をめざす』の及川光博さん(艶っぽい〜!)の二人。

グリーンカーペットも佳境に入って列が滞留し、目の前に『行け行け!インド』のアミーン監督が立ち止まっていたので、お声をかけます。逆に、列が途切れて、誰もいないところを急ぎ足で歩いてきたのが、私のお目当てイランの『ハムーンとダーリャ』のエブラヒム・フォルーゼシュ監督。必死に声を掛けたら、気がついて振り向いてくださいました。あと、『親密』のカリーナ・ラムちゃん、審査員のフォ・ジェンチー監督にもお声掛け。先日インタビューしたばかりのフォ・ジェンチー監督は、しっかり私の顔を覚えてくださっていて、両手を振りながら私の方に近づいてくださいました。(声を掛けてばかりでミーハーな取材になってしまったなぁ〜)
さて、いよいよグリーンカーペットの最後を飾る『レッドクリフ Part I』一行の登場! 沿道に一番多かったのが、「金城武」の文字。歓声があがります。でも、先頭を切って歩いてきた総理大臣麻生太郎氏の陰に隠れて、金城武もトニー・レオンもよく見えない・・・ 長い間待っていたファンには、ちょっと残念だったのではないでしょうか。思えばこの日一番嬉しそうに愛想を振りまいていたのは麻生さんでした。

19日(日) 『行け行け!インド』のID上映。あご髭を生やしたシャー・ルク・カーン、渋くて素敵でした。すぐ後ろにインドの女性記者の方がいて、映画のラストの方で、インドの女子ホッケーチームが優勝を決めたところで大きく拍手されていました。これが、インドでの上映だったら、観客大騒ぎなのでしょうね。
バスで表参道に移動し、東京国際女性映画祭へ。羽田澄子監督の『嗚呼 満蒙開拓団』には間に合わなかったのですが、上映後のシンポジウム「満州とは」に参加。映画は満席でお断りするほどの盛況だったそうです。引き続きのシンポジウムも満席。戦後の満州で何が起こったのか、実際に満州にいた方も知らなかった事実が映画で明かされているそうで、白熱のシンポジウムでした。終わって、シネジャの販売コーナーに立っていたのですが、数名の方から「私も満州にいました・・」とご経験談を語り掛けられました。皆さん、ほんとうに大変な時代を乗り越えられてきたのだなぁと、胸がいっぱいになりました。
夕方、六本木に舞い戻って『私のマーロンとブランド』(トルコ)のID上映。アメリカがイラク攻撃を始めた頃、イスタンブルに住むトルコの舞台女優がソレイマニエに住むクルド人俳優の恋人に会いに行こうとする話。イラクに入るのは無理、イランのウルミエならソレイマニエから近いと言われ、ヴァンからバスで国境を越えていきます。途中でクルド人の結婚式に出会ったりして、かつてあの地域を旅した時のことを思い出しました。原題は「gitmek(行く)」。英語&日本語タイトルから受ける甘いイメージはなく、反戦の思いに満ち溢れた映画でした。

20日(月) 『少女ライダー』(イラン)のID上映。遊園地の「死の壁」での曲乗りオートバイに挑戦する少女の物語。ペルシア語の原題は、『Divar(壁)』。人生で出会う壁をいかに乗り越えるかを、イラン社会に存在する様々な問題を背景に描いた作品ですが、娯楽作品としても楽しめました。主演のゴルシーフテ・ファラハーニーさんとは、2004年のアジアフォーカスで来日された折、時々一緒に町を歩いたりしたのですが、聡明でお転婆という印象でした。オートバイも自分で乗って頑張ったそうです。
この日もバスで表参道に移動し、2時からの東京国際女性映画祭の記者会見に参加しました。外国からのゲストは少ないながら、日本の女性監督や映画人たちが勢揃いした記者会見は、男たちのコピーでなく、女性ならではの映画を作り上げてきたことを再確認させてくれるものでした。

夕方、また六本木に戻り、『超強台風』(中国)のカフェインタビューに参加。突っ込みどころ満載の作品で、人民解放軍がどれくらい協力したのか質問したかったのですがチャンスを逸し、ちょっと残念! フォトセッションでは、監督と女優で奥様のリウ・シャオウェイさんが仲睦まじいところを見せてくれました。

21日(火) 『夏休みの宿題』(トルコ)の一般上映。子どもの目から観た大人の世界で、ゆったりとした流れは、エドワード・ヤンが好きというセイフィ・テオマン監督らしい作品でした。

ティーチインが終わったところで、会場にイランのエブラヒム・フォルーゼシュ監督とモハマド・アリ・タレビ監督がいらしていたので、お声を掛けます。お二人には、福岡でずいぶん前にお会いしたことがあるのですが、ちゃんと覚えていてくださいました。しばし立ち話。もっとお話したいところでしたが、ラシード・マシャラーウィ監督特集の『ハイファ』の上映へ。難民となったパレスチナの人たちの悲哀がひしひしと伝わる作品でした。続けて観た『外出禁止令』では、イスラエル軍の監視下で息の詰まるような生活を強いられるパレスチナの人たちが、お互い助け合って暮らしている様が描かれていました。この後観た『クスクス粒の秘密』は、フランスに移民したチュニジア人家族を描いたものでしたが、移民の苦労も、パレスチナの人たちの状況に比べれば、お気楽に思えました。

22日(水) 10時過ぎにプレスカウンターに行き、『ライラの誕生日』のチケットを入手。上映まで時間があるので、知り合いのライターさんを誘って、六本木ヒルズのスカイデッキへ。素晴らしい360度の景色! ここでチベット僧のご一行とお会いしてしまいました。高層ビルとのミスマッチが素敵でした。「タシデレ〜」とご挨拶し、写真まで一緒に撮ってしまいました。チベット文化圏も、実はあちこち行ったことのある私。思わず話がはずみました。

ライラの誕生日』は、今回観たラシード・マシャラーウィ監督作品の中で、一番ユーモアに溢れた作品でした。娘ライラの誕生日だというのにトラブル続きの一日に、元裁判官のタクシー運転手のお父さんがついに切れて叫ぶ姿に大笑いでしたが、やりきれないパレスチナの現実はずっしり。

この日は東京国際女性映画祭の最終日。『ブラジルから来たおじいちゃん』(栗原奈名子監督)でブラジル移民の歴史を垣間見た後、『ファット・チャンス』(関口祐加監督)では、ダイエットに挑戦する監督本人の姿に大いに笑わせられました。精神科医の「肥満の人は自分の人生にコミットしていない」という発言にドキリ。あ〜なんとかしなくちゃ。
上映が終わって、東京国際女性映画祭の打上げパーティ。土井たか子さんの力強いスピーチに元気付けられます。今回も東京国際女性映画祭の皆様には、ほんとうにお世話になりました。それなのに、きちんとご挨拶もしないうちに中座し、またまた六本木に戻り、『アライブ‐生還者‐』のティーチインに参加。アンデス山脈の旅客機墜落事故の生還者のお一人エドゥアルド・ストラウチ氏から、当時の「人肉を食べて生還した」というセンセーショナルな報道をいかに乗り越えてきたかなど、貴重なお話をお伺いすることができました。

この後、ムービーカフェでのゲストとの交流パーティに参加。ラシード・マシャラーウィ監督ご夫妻の姿を見つけ近寄っていったら、変わった髪型の日本人男性が一生懸命英語で話しかけている最中でした。パンフレットを見せながら「これが僕の作った10本目の映画」と指していたのは『ブタがいた教室』。おぉ〜なんと、前田哲監督でした。「マシャラーウィ監督が、歳はいくつ?と聞いています」と、しばし通訳。「企業秘密です!」と言いながら、歳を明かした前田監督。「30くらいにしか見えない!」と、マシャラーウィ監督が目を丸くしていました。

23日(木)渋谷で『少女ライダー』のティーチインに参加した後、六本木に走り、『親密』のムービーカフェでのインタビューへ。カリーナ・ラムとイーキン・チェンが登壇するとあって大勢の記者が集まっていました。顔見知りのレスリー・チャンのファンの姿もカフェにちらほら。こういうイベントで会えるのは嬉しいものです。別れを惜しみながら、『ジャミル』のID上映に途中から入ります。デンマークに住むアラブ人の物語。30分しか観られなかったのですが、殺人を犯した息子が、父の出したソーセージに「豚は食えない」と言うと、父が息子に「殺人もハラーム(禁忌)だ」という場面を観ることができました。その後、『ハムーンとダーリャ』のティーチイン、『ダルフールのために歌え』『ポケットの花』のID上映と、この日も充実の一日でした。

24日(金)渋谷で『私のマーロンとブランド』のティーチイン。早めに着いて、ロビーで監督や通訳の野中恵子さんとお話することができました。実は、この後、インタビューの時間をいただいていたことが会場を立ち去って六本木に向ってから判明。連絡が行き違い、ドタキャンした形になってしまいました。携帯は便利ですが、映画を観ていると受けられないことも多くて、もっとマメに連絡するべきだったと反省。皆さんにご迷惑をかけてしまいました。私自身もせっかくのチャンスを逸して、ほんとに残念! 
そうはいっても、この日は六本木で2時からのムービーカフェでの『ハムーンとダーリャ』のインタビューにどうしても参加したかったのでした。身体は一つ! 仕方ありません・・・
楽しみにしていた『スリー・モンキーズ』(トルコ)も、カフェでのインタビューが終わって途中から拝見。『ダルフールのために歌え』のカフェインタビューも途中から参加。

この日の最後に観た『風の男』は、ぞくっとする面白さでした。羽根の生えた天使のような老人がカザフスタンの村に舞い降りてきたことから起こる様々な出来事。結末を知りたかったのですが、あと5分のところで時間切れ。渋谷での『外出禁止令』のティーチインに走りました。マシャラーウィ監督の奥様で女優のアリーン・ウマリさんとロビーでしばしお話。彼女は、今、脚本を書いて映画を作ろうと計画しているそうです。未来の監督の姿を写真に収めました。 

ティーチインが終わって、『外出禁止令』を観に来ていたイスラーム文化圏好きの友人たちとお茶。「今年の東京国際は、ほんとに充実して忙しかったね」と語り合いました。

25日(土)映画祭はお休みして、中東ミニ博物館の定例講演会へ。中国貴州省の少数民族の写真をたっぷりと見せていただきました。

26日(日)いよいよ最終日。元気が残っていたので、クロージングセレモニーの取材へ。カメラは相変わらず期待できないので、グリーンカーペットは脇の特等席で拝見。コンペ作品のゲストの方たちが続々と入場する中、アジアの風部門の『私のマーロンとブランド』の監督が入場。おぉ〜何か受賞できたなと、大きく手を振って声援。最後に入場したのはコンペティション国際審査委審査委員一行。ジョン・ヴォイト委員長の掛け声でスクラムを組んでカメラの方に駆け寄ります。お着物姿の檀ふみさんも楽しそうな笑顔でした。どんな結果を出したのかワクワクしながらクロージングセレモニーへ。結果は皆さんご存知の通りですが、私が何か取れるかなと期待していた『8月のランチ』と『ダルフールのために歌え』は無冠でした。長〜いセレモニーが終わって、受賞者記者会見へ。これまた長〜い会見で、たっぷりと受賞者の皆さんの喜びの声を聴くことができました。ほんとに充実の東京国際映画祭でした。そんな次第で力尽きて、日記のアップがすっかり遅くなりました・・・


受賞者一同の喜びの姿を、横から何とか撮りました

子どもたちから貰った監督賞を披露し感慨深げな『ブタがいた教室』の前田哲監督

原題『gitmek(行く)』とは違う『私のマーロンとブランド』というタイトルは、
配給会社に勝手に付けられるよりも魅力的なものをと自分で付けましたと語るカラベイ監督

(咲)

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2008年9月第4週
2008/9/28 (Sun)

楽しかったアジアフォーカス・福岡国際映画祭から帰って、あれこれ忙しくしているうちに1週間があっという間に経ってしまいました。遅ればせながらアジアフォーカスの報告です。

今年は、トルコ映画特集でトルコ映画が4本! でも、トルコからのゲストは直前に来日中止が続いて二人だけ。ちょっと寂しい。私の滞在できる9月15日〜20日の間で、映画を観てからインタビューするとなると、15日の朝一番で行くしかなく、5時起きで頑張りました。心配していた台風の影響もなく飛行機が予定通り飛んでホッ! 10時20分からの『インターナショナル』上映に滑り込みました。1982年、軍政で戒厳令の敷かれていた時代の東トルコの田舎町を舞台に、町の音楽隊が軍のお偉いさんを歓迎するのに革命歌“インターナショナル“を演奏してしまうという悲喜劇。私が初めてトルコを旅した1983年、日本人しか乗っていないツアーバスなのに、何度も軍にチェックされて緊張したことを思い出しました。上映後のQ&Aでは、「“インターナショナル“は有名な曲なのですか?」という質問が出て、世代の違いを感じました。(もう一回参加したQ&Aでも同じ質問が・・!)さて、Q&A終了後、小一時間ほどの間に大急ぎで準備をしてムハッレム・ギュルメズ監督にインタビュー。2006年夏に撮影したそうですが、ちょうどその頃、私は東トルコを旅していたのでした。知っていれば撮影現場に見学に行けたのにと残念!


1982年の軍政当事は、まだ小学生だったという
ムハッレム・ギュルメズ監督

引き続いて、イラン映画『すずめの唄』のマジド・マジディ監督にインタビュー。マジディ監督には何度かお会いしたことがあるのですが、個別インタビューは初めて。緊張して監督をお迎えしたら、温泉に入ってきたと上機嫌。子ども達の迫真の泣き顔をいかに演出したかなど、撮影秘話をいろいろとお伺いすることができました。翌日は一日オフとのことで、私が去年行った柳川にも温泉があるとお薦めしました。お天気も良く、川くだりと温泉を楽しんで来られたそうです。


温泉に入ったばかりで・・・と髪の毛を整えた
マジド・マジディ監督でした

さて、観客賞は、パキスタン映画『神に誓って』が受賞しました。8月初めにショエーブ・マンスール監督のレクチャーを東京でお聴きして、映画を観るのを楽しみにしていたのですが、見ごたえのある作品でした。(2008年8月第2週の日記に映画の内容を紹介しています。)9.11のテロ事件を境にイスラーム諸国の人たちがいかに不当な扱いを受けているかが、ひしひしと伝わってきました。パキスタン部分が黄色味を帯びた色合いで、ちょっとセピア風。記者会見で色のことをお伺いしたら、パキスタンは暑い地域も多く、自分の国でもあるので暖かい色合いで撮り、イギリス、アメリカ部分は、気候的にも涼しく冷たいイメージで青味がかった色合いで撮ったとの回答でした。プリントが悪く、退色していたとの話も後から伺いました。それでもの観客賞! 「技術的には未熟なところがある作品に観客賞を頂けたことがすごく嬉しい」と語るショエーブ・マンスール監督でした。


観客賞授賞式

アジアフォーカス・福岡国際映画祭は、ゲストと観客の距離が近くて、ほんとに大好きな映画祭です。上映前にもゲストの方たちが会場入口近辺にいらして気楽にお声をかけることができるし、上映後のQ&Aの後、会場の外でサインをいただいたり、ツーショットを撮ったりの時間を取ってくださるので、ゲストも観客もお互いに交流ができて大満足ではないでしょうか。何年か通っているうちに、福岡の映画ファンの方とも顔馴染みになり、今年も映画が終わってから映画談義に花が咲きました。名古屋から来ていたシネジャの(美)さんや、東京から来ていた友人たちとも感想を交換。同じ映画を観ていても、感じ方は人様々。面白いですね。

 

福岡滞在最終日は映画鑑賞をやめて、西鉄バスの「ふくふくレトロきっぷ」を利用して下関&門司へ。城下町長府に住む小学校時代の親友に会って、しばし昔話。午後、下関から門司へ。船でたった5分の近さです。関門海峡を眺めながら下関とイスタンブルが姉妹都市なのを実感します。

門司のレトロ地区では、大阪商船ビルが楽しみでした。祖父が戦前大阪商船に勤めていたのですが、船の写真や模型がいくつかあったので、母に電話して船の名前をいくつかあげて聞いてみたのですが、どれに乗っていたのかはっきりしませんでした。門司港は、母が戦後台湾から引き揚げてきた時に到着した港のはずなのですが、それも忘れていて・・・ もっとも、映画祭で観たばかりの映画の題名すら、ちゃんと覚えていない私。母のことは言えないですね。 来年のアジアフォーカスの時には、どこに小旅行しよう・・・と福岡を後にした私でした。

旧下関英国領事館
館内に『長州ファイブ』の写真がありました

下関 赤間神宮 海の向うは門司

関門海峡 ボスポラス海峡を思い出す

門司港駅

台湾航路の船 祖父が乗っていたのはどれ?

門司港 レトロ地区

(咲)

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2008年9月第3週
2008/9/22 (Mon)

東京国際映画祭のラインナップが発表になりました。初監督作の『コトバのない冬』がコンペ作品に選ばれた渡部篤郎監督、主演の高岡早紀さん、同じくコンペ作品の『ブタがいた教室』前田哲監督が登壇し緊張気味のコメント。
ゲストたちが歩く今までのレッドカーペットはグリーンに変わり、エコロジーを打ち出した映画祭の象徴となるようです。たくさん上映される中から、限られた時間でどれを見ようとまた悩むことになりそうです。チケット発売は10月4日。一番人気は何でしょう??

74号で訪問記事を書きました『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんの家は、夏休み以後も映画を観た方々が訪れて賑わっているようです。1月4日(日)まで公開されています。9月1日(月)〜10月31日(金)は、公開時間10:00〜16:00です。

http://www.keep.or.jp/nishimajo/

国際女性映画祭でも上映決定、11月にはDVDも発売予定。まだまだ人気は続きそうです。74号掲載写真はモノクロでしたのでこちらにカラーで紹介いたします。

映画撮影と同じ6月に行ったので、緑が美しく心洗われるようでした。今は秋の色にそまった別の美しさだそうです。屋内には入れませんが、窓やテラスから覗くことができます。まいとおばあちゃんがテラスに座って眺めた庭や畑を、同じようにハーブティーをいただきなら眺めてみてください。私もまたゆっくり訪ねて、近くの美術館めぐりもしたいです。

(白)

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2008年9月第1週
2008/9/9 (Tue)

第4回目の「アジア海洋映画祭イン幕張」が5日(金)から7日(日)まで開催されました。今年は台湾の人気アイドルF4の一人、ケン・チュウが出演したフィリピン映画『バタネス』が観客動員に大貢献。前売りチケットが早々と売り切れ、追加上映も出ました。私は金・土の2日間でコンペ作品6本を楽しむことができました。詳細は次号本誌に掲載予定です。


『バタネス』   『海角七号』

開場待ちの行列に並んでいると、あちこちで知った顔を見つけ「お久しぶり〜」の挨拶が交わされます。近況を尋ねあったり、前後にいるグループの会話がなんとなく聞こえてきたり、なかなか楽しいものです。長い乗車時間は読書タイムにすれば苦になりません。ゲストとの距離も近くてアットホームな映画祭です。来年はぜひご参加ください。

1日にショックなニュースがありました。
1972年の創刊以来、綺麗なグラビアで映画ファンに人気だった「ロードショー」が、11月末発行の1月号をもって休刊とのこと。集英社もインターネットの普及に寄り切られたのですね。読者とインターネット利用者がかぶるのはシネジャも同じです。自分もインターネットを活用し、モノ余りの中、極力増やすまいと思いながら毎号発刊しているわけですから、ジレンマでもあります。ネットと違うものをページに盛り込んで、買いたい、手元におきたいものになっているか自問自答しています。

(白)

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2008年8月第4週
2008/8/27 (Wed)

23日(土)、美さん、梅さんと3人で本誌74号の発送作業。24日に残りを片付け、なんとか終了しました。

25日夜は第601回無声映画鑑賞会へ。バスター・キートン特集に大笑いした後、先日インタビューさせていただいた澤登翠さんにご挨拶しました。できたて本誌を差し上げましたら、翌日お礼の電話を頂戴しました。誤記があったことも教えていただき、それがもう穴があったら入りたい〜〜!!ほどの多さです。特にお名前を間違えるとは、ライターにあるまじきことです。ごめんなさい。

手元に残っている本誌には、訂正のお知らせを挟み込みました。次号でお詫びと訂正も掲載しますが、こちらで先にお知らせいたします。今後こういうことのないよう、念には念を入れて確認いたします。

(白)

* 74号訂正 *

間違いとわかりにくい箇所がございました。
しっかり確認しなかった私の不注意です。ほんとに申し訳ございません。

41ページ4行目から ( )内は製作年と主演俳優です。
6行目
誤 『生まれてはみたけれど』
正 『生れてはみたけれど』
8〜9行目
誤 溝口健二監督『折鶴お千』(1935/入江たか子主演)
正 溝口健二監督『折鶴お千』(1935/山田五十鈴主演)
10行目
誤 林長次郎
正 林長二郎
42ページ
3段目写真の説明
誤 桜井幸子
正 桜井麻美
本文中ほど 
誤 『御誂次郎吉格子』
正 『御誂治郎吉格子』
88ページ3段目
4行目
誤 現代中国英が上映会 
正 現代中国映画上映会 
中ほど
国際交流基金図書館→削除
2008年8月第2週
2008/8/10 (Sun)

4日(月)国際交流基金の招聘で来日されたパキスタンのショエーブ・マンスール・ハーン氏の講演会へ。今年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映される『神に誓って』(原題:Khuda Kay Liye)の監督で、長年テレビ番組やドラマを手がけ、作詞作曲もされる多才な方。講演では、是非この映画の話をしたいとのことで、まだ見ていない参加者のために、字幕監修をされた東京外国語大学の麻田豊氏が、169分という長い作品の要点を20分程にまとめて見せてくださいました。(麻田さん、ご苦労さま!)
時代は、2001年9月11日の前後。パキスタンの比較的上流階級の家庭に育ち、音楽家を目指していた兄弟の歩む正反対の人生を描いたもの。兄マンスールは、9.11の直前にアメリカに留学。警察の拷問を受けたりしながらも、キリスト教徒の学友ジェイニーと恋に落ち、音楽の勉強を続けます。かたや、弟サルマドは宗教指導者に洗脳され、音楽を捨て原理主義者となります。兄弟の従姉マリヤムは、イギリス育ち。パキスタン人である父親は、イスラーム教徒の女性はイスラーム教徒としか結婚してはならぬと、マリヤムを無理矢理サルマドと結婚させます。
監督は、9.11事件の後のパキスタンの置かれている状況を背景に描きながら、イスラームという宗教をどう捉えたらいいのか?と、自国パキスタンを含めたイスラーム教徒自身に問いかけたかったといいます。様々な問題を提示しながらも、ドラマとしても楽しませてくれる長さを感じさせない作品と、すでに見た方から伺いました。監督は、物静か(パキスタンの人にしては珍しく!)で、魅力的な方でした。福岡にもいらっしゃる予定とのこと。またお会いできるのが楽しみです。


ショエーブ・マンスール・ハーン監督
(シャヒーン・茉莉花さん提供)


神に誓って


8日(金)イラン大使館での映画上映会。今回は、8月18日に亡くなられた俳優のホスロウ・シャキーバーイー氏を追悼して、彼を有名にした『Hamoon』が上映されました。第4回東京国際映画祭(1991年!)で『ハムーン 愛の破局』の邦題で上映された作品。私の記憶にあったのは、眺めのいいマンションの一室でバスローブ姿で妄想する姿だけだったのですが、テヘランの下町や、カシャーンの町など、外の風景も満載。確かにバスローブ姿で掃除する場面は強烈な印象なので、それだけが記憶に残ったのですねぇ...
上映後に、アジア経済研究所の鈴木均氏による、ホスロウ・シャキーバーイー氏に関するご講演も。すでに生前に伝記が出されているイランを代表する名優です。1995年のアジアフォーカス・福岡映画祭のイラン映画特集の折に来日された時に直接お話したこともあります。ゲストが勢揃いしたイラン映画シンポジウムで、名前を呼ばれて、手を挙げながら立ち上がった姿が、いかにもスター然としていたのが印象的でした。享年64歳。ちょっと早すぎます。



9日(土)首都大学東京(まだこの名前に馴染めない!)で、インド・パキスタン文化研究会第一回として、ヒンディ映画『Veer Zaara』の鑑賞と、シャー・ルク・カーンを愛してやまないシャヒーン・茉莉花さんによるレクチャー。観る前に、登場人物を演じている俳優のプロフィールや、ボリウッド映画の決まりごとなどを細かく説明してくださったので、ただぼんやり観るだけでなく3時間12分の映画をあれこれ突っ込みながら観ることができました。(それにしても、長い!)8月30日(土)よりシネマート六本木で開催される「ボリウッド・ベスト BOLLYWOOD BEST」(→作品紹介)でも、シャー・ルク・カーン主演作が3本!
 どれも長いので、体調整えて臨まねば・・・

(咲)

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2008年7月第4週
2008/7/28 (Mon)

24日(木)「アジアフォーカス・福岡国際映画祭2008」の東京記者説明会の案内をいただいていたけれど、この日にSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008のトルコ映画と中国映画を観にいかないと見損ねてしまう・・・
よりによって、アジアフォーカスの試写もトルコ映画と中国映画! 究極の選択で、アジアフォーカスの方は福岡で観よう!
 と、SKIPシティの方へ。

トルコの『コンクリート・ピロウ』は、美しいイスタンブルの町を舞台に、シカゴから帰国した青年が父母や兄などと繰り広げる葛藤を描いた物語。まさに東西の交差点イスタンブルならではの、東西の融和を願う比喩が散りばめられた作品でした。イスタンブルをこよなく愛する監督にたっぷりインタビューさせていただきました。


(ファティヒ・ハジオスマンオール監督)

中国の『囲碁王とその息子』は、囲碁に熱中し妻に愛想をつかされた父親とその息子の物語。監督と共に、父親役のスン・ソンさんと、息子役のワン・チョンヤン君が来日しました。映画では、無精髭をはやしダサい黒縁めがねをかけたスン・ソンさんでしたが、本物は素敵な方でした。チョンヤン君とほんとの親子のようでした。


(ワン・チョンヤン君とスン・ソンさん)

ちなみに、27日のSKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008の受賞式で、最優秀作品賞にはステファン・シャイファー監督とダイアン・クレスポ監督による『幸せのアレンジ』が選ばれました。ニューヨークの学校で、ユダヤ教徒とイスラーム教徒の女性が新任の教師どうしとして知り合い、友情をはぐくみます。伝統的な結婚システムの中で、葛藤しながら幸せを掴む可愛い物語でした。


(『幸せのアレンジ』のポスター)

27日(日)シネマジャーナル74号の第一回編集日。眺めのいい(梅)さんのお宅に集まり、まずはページ割りの作業。どんな流れにしようか、奇数ページの原稿は、どう組み合わせようか・・・と、あれこれ悩みます。今日参加できない(白)さんが、速達のメール便で送ったという大量の原稿が、夕方ようやく届いて、今回は一回目の編集日に4分の3の原稿が揃いました。(私の原稿は、まだ半分も出来ていない・・・汗) 揃った原稿を大急ぎで版下に貼り付け作業。(ほんとに手作りでしょ!)
編集日直前に『レッドクリフ』のジョン・ウー監督&主要キャストの記者会見が8月6日に行われるとの案内が飛び込みました。(結婚式を挙げたばかりのトニー・レオン、今度もドタキャンかもと不安!) 急遽、(梅)さんが取材に行き、この記事も入れることになりましたので、74号の発行は8月中旬以降になります。ご了承ください!

(咲)

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2008年7月第3週
2008/7/21 (Mon)

19日(土)『バックドロップクルディスタン』を観にポレポレ東中野へ。早く観にいきたかったのに、この日まで待ったのは、19時の回上映後に、池谷薫監督(『蟻の兵隊』『延安の娘』)とのトークが行われることになっていたから。実は、池谷薫監督の新著「人間を撮る―ドキュメンタリーがうまれる瞬間」の編集に当たられたのが「レスリー・チャンの香港」(松岡環さん著)の編集にも携わった平凡社の山本明子さん。4月の哥哥的一天で知り合ったご縁で、「是非読んでください」と送ってきてくださったのです。池谷監督が“人間”に惹かれて映画を撮っていく様が実に面白くて、一気に読んでしまいました。池谷監督が焦点を当てた人たちは、それぞれが壮絶な人生を歩んでいるのですが、監督がカメラを向けたことにより、さらにまた人生ドラマの筋書きが変わっていきます。思えばお節介なことで、そんな池谷監督ってどんな方だろう...と、是非お会いしてみたくなったのでした。
さて、『バックドロップクルディスタン』を撮ったのは、まだ20代前半の野本大監督。映画学校の学生だった時に、国連大学前で難民認定を求めて座り込みをしていたクルド人カザンキランさん一家と知り合って撮り始め、彼らが国外退去になった後、トルコのクルディスタン、さらには、移住先のニュージーランドまでカメラを担いで追いかけた記録。難民問題にしても、クルド問題にしても、認識不足や説明不足は否めませんが、なにしろ野本監督本人、「知らなかった」「わからない」と開き直って、その目線で撮っているところに彼の涙ぐましい努力を感じます。トルコの村で、「国を出なくちゃいけなかったのは、本人に問題があったからじゃないの」なぁんていう、率直な親戚の男性の言葉も出てきて、これを聞いた時の野本監督がクラクラした様子まで目に浮かびます。(クルド問題については、もっと書きたいのですが、それはシネジャ74号で!)
池谷監督とのトークでは、監督としての大先輩池谷監督から「ドキュメンタリーは、関係性を撮っていくこと、首を突っ込んだとたん自分のことになる」「監督というのは恥をかく商売。アホさ加減を大写しにしたお前は偉い!」「映画は批評で育つ」と、貴重な言葉が連発されました。野本監督も、「人に見てもらって、色々な感想を聞くことで学ばせていただいています」と、ほぼ連日劇場に通っているそうです。是非、ポレポレ東中野に足を運んで監督に声をかけてあげてください!

→ 作品紹介 http://www.cinemajournal.net/jouei/jouei_2008.html#backdrop


左 池谷薫監督  右 野本大(まさる)監督

20日(日) SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008へ。川口駅からの無料シャトルバスが、去年は30分毎だったのが、20分毎に変わって、少し行きやすくなりました。 この日は『キャプテン アブ・ラエド』(ヨルダン・アメリカ)、『戦禍の下で』(レバノン)と、中東の映画2本を鑑賞。いずれも直後にインタビューの時間をいただいていたので、ちょっと緊張しながら拝見。

キャプテン アブ・ラエド』は、老人と子供たちの触れ合いを軸に、家庭内暴力問題も折り込んだ普遍的な物語。アミン・マタルカ監督が、テロや戦争のイメージを払拭したいと語られたごとく、アンマンの町の魅力もたっぷりと描かれていました。


ヨルダン アミン・マタルカ監督

戦禍の下で』は、2006年のイスラエルのレバノン侵攻のニュースをパリで聞いた監督が、急遽、撮ることを決意し、爆撃の続く中で撮影を敢行したもの。来日した助監督のビシャーラ・アッタラ氏に、たっぷりお話を伺うことができました。アッタラ氏は、今年のアラブ映画祭で上映された『BOSTA(ボスタ)』に出演していた方。どちらの映画にも、彼が集めているビンテージ衣裳を提供したそうです。インタビュー内容は、74号で!


レバノン ビシャーラ・アッタラ氏

SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2008は、27日(日)まで続きます。是非お出かけください!
作品紹介 → http://www.cinemajournal.net/jouei/jouei_yotei.html#skipcity

(咲)

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2008年7月第2週
2008/7/13 (Sun)

10日(木)朝10時からGAGA新試写室で、究極のお馬鹿映画『俺たちダンクシューター』(http://oredan.gyao.jp/)の試写。GAGAの宣伝マンの方がアフロヘアの鬘を被って登場し、思わず客席から笑いが沸き起こります。GAGAの試写室は、六本木のミッドタウン・タワー34階にあって、とにかく景色が素晴らしくて、行くのが楽しみ。もう一つ嬉しいのが、ミッドタウンにある富士フイルムフォトサロンに寄れること。いつも素敵な写真展に出会えます。この日は、『佐野史郎写真展「あなたがいるから、ぼくがいる。」〜佐野家6代をめぐるフォトアルバム〜』(http://www.fujifilm.co.jp/photosalon/0807o.html#sano)の最終日でした。真っ先に目に入ってきたのが、鳥取・境港出身の写真家植田正治の写真。つい先日、友人のブログで紹介されていて気になっていた写真家でした。佐野史郎が、植田正治の作品をモチーフにして製作した映像作品『つゆのひとしずく〜植田正治の写真世界を彷徨う〜』(http://www.ganime.jp/tsuyu/index.html)も会場で観ることができました。古い写真もこのようにして素敵な映像として甦るのかと感心しました。会場には、写真好きの佐野史郎さん自ら撮影した写真もたくさん展示されていて、役者佐野史郎の別の顔を知ることができました。ちょっと変人の役が多い佐野さんですが、私の祖父母の出身が父方母方共に島根県ということもあって、松江出身の佐野さんには昔から親しみを感じていました。会場で披露されていた明治時代の佐野家初代以降6代にわたる家族写真を見ているうちに、まるで自分の先祖の写真を見ているような思いにかられました。(佐野家のような立派な家系ではないけれど!) ことあるごとに撮った写真の数々に、家族や親戚の絆が今より強かった時代に思いを馳せました。おそらく昔は皆そうであった黒い台紙に写真を貼る方式のアルバムにも郷愁を感じました。私が生まれてから2歳位までのアルバム2冊も、黒い台紙に丁寧に写真が貼られたものなのですが、十年程前に久しぶりに見てみたら、えんじ色のビロードの表紙に金色で型押しされた模様が、ペルセポリスの有名なレリーフだったのでびっくり! 私が母のお腹にいた頃に、神戸モスクの前で写真を撮ったことはよく聞かされていたのですが、ペルシアの世界に導かれたのは、このアルバムの縁だったのだと、ぞくっとしたのでした。佐野史郎写真展に行って、そんなことも思い出した次第です。

(咲)

『佐野史郎写真展「あなたがいるから、ぼくがいる。」〜佐野家6代をめぐるフォトアルバム〜』
東京での開催は終わってしまいましたが、大阪で下記の期間開催されます。

日時:2008年7月25日(金)〜7月31日(木) 10:00〜19:00(最終日は15:00まで)
場所:富士フィルムフォトサロン大阪
    〒541-0051 大阪市中央区備後町3-5-11富士フィルム大阪ビル1F
    TEL:06-6205-8000

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2008年6月第2週
2008/6/21 (Sat)

6月11日から3泊4日の安いパッケージツアーで妹と一緒にソウルに行って来ました。(燃料サーチャージが旅行代金に迫る金額で、涙...) 中2日の内、1日は3食付盛りだくさんの旅程。何より京義線に乗って北朝鮮を見に行くというのに惹かれて、このツアーを選んだ次第。昨年、NHKアジア・フィルム・フェスティバルで『京義線』上映直後に会場に到着し、パク・フンシク監督と主演女優ソン・テウンさんにお会いし、観なかったことを悔み、かつ、南北分断された京義線に興味を持ったのです。京義線は、日本統治時代、京城(ソウル)から満州との国境の街・新義州(シンウィジュ、現北朝鮮)までを結んでいた路線。今は、臨津江(イムジンガン)駅が許可なく自由に出入りできる最後の駅です。


ソウル駅 旧駅舎 『黒水仙』のラストシーンを思い出します。

新しいソウル駅舎

ソウル駅構内

さて、12日(木)朝8時過ぎにソウル駅に着き、お弁当を受け取って京義線に乗車。逆方向とはいえ、通勤電車に50人近くの団体が乗るのですから、はた迷惑。言葉はわからないながら、「今日は混んでるなぁ〜」と話しているらしいのがわかります。30分程走ると、田園風景が窓の外に広がります。かと思えば、また高層アパートが。その繰り返しで1時間半かかって終点の臨津江駅に到着。平壌まで209キロの表示に、近いのに遠い北朝鮮を感じます。駅近くに、離別した家族に思いを馳せる望拝壇。その向うには、朝鮮戦争で捕虜になった韓国の軍人たちが南に戻ってくる時に渡ってきた「自由の橋」。ほんの数年前まで、望拝壇から北に向って写真を撮ることは禁止されていたそうです。


京義線車内

京義線 ソウルから臨津江行き

平壌まで209キロ 近くて遠い!

京義線臨津江駅 自由に出入りできる最後の駅

望拝壇、自由の橋、そして北へ続く鉄橋 右は戦争で破壊された鉄橋の跡 数年前まで写真も撮れなかった風景

柵の向うは非武装中立地帯

バスで10分程走ってオドゥ山統一展望台へ。眼下にイムジン河と漢江がぶつかる地点が広がり、対岸は北朝鮮! ♪イムジン河水きよく とうとうとながる みずどり自由に むらがりとびかうよ・・・♪ 1960年代後半にフォーク・クルセダーズが日本語の詞をつけて歌ったものが流行り、映画『パッチギ!』(井筒和幸監督)でも全編に流れていた「イムジン河」。感無量です。


イムジン河と漢江がぶつかる地点 対岸は北朝鮮

韓国のガイドさんが、「同じ民族なのに、脱北して再会した家族ですら思想の違いでぎくしゃくするそうです」と語るのを聞いて、南北統一への道はまだまだ遠いと感じました。
統一展望台を後にして、バスでソウルに戻る途中、石焼きビビンバのランチ。その後、免税店(買い物はしないで韓国風カキ氷パッピンスを食べに行く! 美味しい!)→ 紫水晶店(休息時間!)→ 宗廟 → 清渓河散策 → カルビとプルコギの夕食で、この日のツアーは終了。お店に連れていかれるのは、お安いツアーなので我慢我慢。

翌日12日(金)は、丸一日フリー。まずは、ホテル近くの清涼里の市場を散策。卸の果物屋街では大きなスイカが山積み。『妻の愛人に会う』(キム・テシク監督)でスイカがたくさんゴロゴロころがってきた場面を思い出します。肉屋、魚屋、八百屋、唐辛子屋の並ぶ屋根付き市場もあってワクワク。遠慮しながら写真を撮っていたら、「自分を撮ってくれ」と、笑顔で手招きしてくださるおじさんも。どこの国に行っても、市場はほんとに楽しいです。


清涼里の市場1

清涼里の市場2

清涼里の市場3

市場を後にして、伝統家屋の密集している北村韓屋村へ。地下鉄3号線安国駅3番出口を出て10メートル程先を左折し100m程行った「北村文化センター」で写真入解説書(日本語)と地図を貰って歩き始めます。ここは景福宮と昌徳宮の間に挟まれた地区で、朝鮮時代には王族や政府高官、学者などが住む高級住宅街だったそうです。瓦屋根や風流な壁の家並みが続き、時が止まったような古の雰囲気。一般の家屋はほとんど非公開ですが、伝統家屋を利用した小さな博物館がいくつかあって、韓尚洙刺繍博物館に入ってみました。伝統的な刺繍方法をビデオで見ながら、しばしのんびり。


北村韓屋村 1

北村韓屋村 2

北村韓屋村 3

北村韓屋村 4

北村韓屋村 5

北村韓屋村 6

韓尚洙(ハン・サンス)刺繍博物館

刺繍博物館 庭の壷

ここを出て、しばらく道なりに歩いていったら、なんだか見覚えのある門構え。「冬のソナタ」のユジンの家のロケ地でした。現在家はなく階段と門だけ。ちょうど日本人女性を案内してきた韓国人のアジュマから、「あなたたちは誰のファンですか?」と声をかけられました。「チョン・ウソンとイ・ジョンジェ」と言うと、「ありますよ」というので、???と思ったら、近くに「冬のソナタ」のロケをした中央高校があって、その脇で韓流スターグッズを売るお店を開いているという次第。いい商売しています。


北村韓屋村にある中央高校は、冬ソナのロケ地。脇に韓流スターのグッズを売るお店があって、アジュマが日本語で話しかけてきます。

北村韓屋村 中央高校左手坂を少し上ったところにユジンの家ロケ地があります。今は家がなく門だけ。

香港でレスリーグッズを山ほど買いあさったことはさておき、ちょっと興ざめした思いで北村韓屋村の散策を終え、仁寺洞へ。十数年前に初めて来た時には、骨董品屋や書道の道具のお店が健在でしたが、今や土産物屋さんばかりになってしまって、これまた興ざめ。
気を取り直して、午後は新しい町を見てみようと江南の狎鴎亭へ。狎鴎亭駅直結の現代デパートはとてもモダン。お金持ち風の奥様方で賑わっていました。有名なロデオ通りへは、駅から延々10分以上歩いたでしょうか。たどり着いたら若者向きのお店ばかりで、私たちの来るところじゃなかった! 東方神起のポスターがいっぱい貼ってあるカフェで、お薦めの苺スムージーを飲みながら、もう歩きたくないねぇ・・・と話していたら、運よく日本人留学生の女の子たちがいたので、三成駅に直結しているCOEXモールへのバス番号を教えて貰いました。10分程でテヘラン路に面したCOEXに到着! 前から気になっていたテヘラン路の由来は、1977年6月イランのテヘラン市長がソウルを訪問した際、友好の証しとしてお互いの国の道路に相手の名前を付けることにしたのだと判明。そういえばテヘランにはソウル通りがありました。
広大なCOEXモールで夕食にオムレツを食べ、チョン・ウソンのポスターを見つけてにんまりしながら地下鉄に乗ったら、ペルシア展の広告が目に飛び込んできました。国立博物館で開催中でした。そして、なぜだか席を譲ってくださったのがヨルダンの人。明洞でトルコ人のアイスクリーム屋さんにも会ったし、やっぱり中東に縁のある私でした。


カンヌ映画祭で特別招待作品として上映された『良い奴、悪い奴、変な奴』(キム・ジウン監督)のチョン・ウソン@COEX

ペルシア展の案内

(咲)

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2008年6月第1週
2008/6/9 (Tue)

先週は、たっぷりトルコとイランを楽しみました!

4日(水) 新百合ヶ丘の昭和音楽大学・テアトロ ジーリオ ショウワ ホールで、トルコ舞踊団シャーマン・グループの公演。踊りはトルコや周辺国の民族舞踊にモダンダンスやバレエ、はたまた宗教的なセマ−の儀式も折り込むという何でもありの演出。女性のスカートが短かったり、男女がぴったり抱き合う場面もあったりで、トルコはどこを目指すのかという状況が踊りにも表れていた感じでした。ギュル大統領ご夫妻もご臨席。大統領夫人はスカーフでしっかり頭を覆っていました。踊りの感想をお聞きしたい思いにかられました。

5日(木)帝国ホテル「孔雀南の間」で、オスマントルコ時代の女性用民族衣装展。ギュル大統領ご夫妻によるテープカットの後、一般観客も大統領ご夫妻を取り囲むように一緒に展示を拝見。こんなに警備が甘くていいのかと心配になるほどでした。私も、大統領夫人に、「ようこそ日本へ」とお声をかけて写真を撮らせていただきました。この日も、夫人はもちろんスカーフで髪を隠されていました。トルコでは今年2月、イスラーム系の与党・公正発展党(AKP)政権の主導で国会でイスラーム教徒の女性に大学構内でのスカーフ着用を認めた憲法修正が可決されました。ところが折しもこの日(6月5日)、憲法裁判所がこの憲法修正を憲法が定める世俗主義の原則に反するため無効との判断を下したのです。一方、イランでは国家が髪を隠すことを法制化しているし、スカーフを被るも被らないも自由意志というわけにいかないのが複雑です。
政治的なことはともかく、この日展示されていた18世紀・19世紀のトルコ民族衣装約100点は、どれもが素晴らしいものでした。スルタンのハレムはさぞかし華やかだったことと思いを巡らしました。レースの小花をあしらったスカーフもとても素敵で思わず被りたくなるものでした。

6日(金)中近東文化センター附属博物館で音楽会。アミール・フィニさんと大友剛さんによる「イラン音楽へのアプローチ」のはずだったのですが、アミールさんが熱を出し、急きょ大友さんが後輩の女性にフルートのピンチヒッターを頼み、イランから始まり中国→日本→アルゼンチン→アメリカ→アイルランドと巡り、またイランに戻るという、素敵な音楽の旅に誘ってくださいました。音楽会の後は、中近東文化センター岡野智彦氏に「煌めきのペルシア陶器 11〜14世紀の復興と技術革新」展の解説をしていただきました。「星座模様の土器は必ず双子座を正面に展示します」の回答は、「私が双子座だからです」とユーモアを交えての1時間。800年前の土器の破片も触らせていただきました。
夜は、イラン大使館での映画上映会。Kaghaz-e bikhatt (“Paper with no Line”)というNaser Taqvai監督の作品。映画の脚本家を目指して学校に通い始めた主婦と、設計家の夫との夫婦の葛藤を描いた映画で、事前に大使館の方が説明してくださったものの、英語字幕ということもあって、ちょっと難しかったです。けれども、イランの中流社会の普通の生活が垣間見れて、こういう作品を一般公開してくれればイランの印象も変わるのにと思わせるものでした。大使館での上映会は、1ヶ月に1回を目標に行なうそうです。皆さんもぜひお出かけください!(次回はここで案内します!)

(咲)

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2008年5月第4週
2008/5/27(Tue)

24日(土)イラン大使館を会場にお借りして、私が事務局を預かっている日本イラン文化交流協会の総会と講演会を開催。アラグチ大使からの「昼食を提供しましょう!」との太っ腹な計らいのお陰か、申し込みが殺到。連日対応に追われ、130名近くの人数に。補助椅子も入れていただいて、ちょうど収まり、ほっ! 「イラン日本文化交流小史」と題した岡田恵美子会長の講演で、正倉院のペルシア伝来の宝物の写真などを見せていただいた後、アラグチ大使からは、この100年のイランと日本との政治的交流について興味深いお話を伺うことができました。大使のお話の締めは、ペルシアの偉大な詩人ルーミーの詩の一節。岡田会長の講演の中で、日本に現存する最古のペルシア文書が、恐らくペルシア商人が「何か書いてください」と頼まれてとっさに書いたと思われるもので、それが有名な詩人の詩の一節であるという話もあり、イラン人にとって詩は自然に身についたものと実感しました。イラン映画を観ていても、有名な詩が引用されていることが多いそうで、詩がわかればもっと深く映画を理解できるのにと勉強不足を嘆く次第。

この日の夜、パク・シニャン日本公式サイトリニューアルオープン記念の来日記者会見へ。パク・シニャンの素敵で知的な笑顔に癒されました〜! 翌25日(日)も、パク・シニャンのファンミーティングの取材へ。まだ疲れも取れてなかったのに、あの笑顔を見たいと、つい欲が出ました。レポートは近日中にアップします!

そして、25日(日)深夜、第61回カンヌ国際映画祭の授賞式。せっかくの生中継、あっという間に寝てしまったので、翌朝録画で確認。去年『ペルセポリス』で審査員賞を取ったマルジャン・サトラピが、今年は審査員で登壇。トルコ系ドイツ人ファティ・アキンは脚本賞のプレゼンター。そして、気になっていたトルコのヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の『スリー・モンキーズ(Three Monkeys)』が監督賞を受賞。「見ザル、言わザル、聞かザル」の三猿がモチーフになっている作品。この三猿、日光のものが有名なので日本的なイメージを持っていたのですが、私が時折お邪魔している埼玉の中東ミニ博物館には、世界各地の三猿が蒐集されていて、いったいどこが起源なのかなぁ〜と。
そして、最高賞のパルムドールには、21年ぶりにフランス作品 ローラン・カンテ監督の『壁の間で(クラス) "Entre Les Murs" 』が選ばれました。様々な人種の生徒のいる高校のあるクラスを舞台にした物語。私の従姉がフランス人と結婚していて、その息子の通うパリの高校でも、アフリカ、アラブ、ベトナムなどの生徒が多く、純粋にフランス人と思われるのは4人しかいないと言っていたのを思い出しました。フランスは大統領自身もハンガリー系移民2世。異文化を背景にした人たちが、問題を抱えながらも共存していくことを模索する、国際社会の縮図のような国ですね。『壁の間で(クラス)』にも、きっとそんなことが描かれているのではないでしょうか。日本でも公開されることを待ち望む私です。

(咲)

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2008年5月第3週
2008/5/18(Sun)

18日(日)中東ミニ博物館の常連仲間と朝早く起きて埼玉の農家にイチゴ摘み取りに行って来ました! イチゴを大事に携えて、農家の近くの史跡を訪ねてきました。早起きもたまにはいいものですね〜!


難波田城址

水子貝塚公園

(咲)

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2008年5月第1週
2008/5/2(Thu)

シネジャ73号を4月16日に発送したら何だかほっとしてしまって、日記を書くのをすっかりさぼってしまいました。あっというまにGW真っ只中ですね〜  前回スタッフ日記を書いて以降のトピックをご報告!

まずは、ポレポレ東中野で4月12日から公開された我らが泉悦子監督の『心理学者 原口鶴子の青春〜100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと〜』が、4/12公開新作映画ぴあ満足度ランキング第3位の快挙! ほんとに嬉しいニュースでした。私も4月29日に友人を誘って再度観にいってきました。去年秋に富岡のロケ地を訪ねたので、また違った思いで観ることができました。5月2日でポレポレ東中野での公開は終わりましたが、5月31日(土)〜6月6日(金)には横浜・シネマ・ジャック&ベティ、秋には大阪や京都で公開されます。是非、足をお運びください。

4月27日(日)レスリー・チャンを今も大事に語り継いでいる「哥哥的一天」でシネジャを販売させていただきました。「5年目の風再起時 Leslie Cheung Memorial 5」と題したこの日のメインゲストは、水田菜穂さん。1993年に『さらば、わが愛/覇王別姫』をオーチャードホールで上映した時のこと、香港電影通信主催の歓迎パーティのことなど懐かしい話題が出ました。「シネマジャーナルの皆さんも一緒に古くから香港芸能界を追いかけ続けていて・・」と何度か宣伝してくださったお陰もあって、シネジャ73号の売れ行きも上々。お買い求めくださった皆様、素敵な場を提供くださったNEXT CLUB HONGKONGの皆様、水田さん、ありがとうございました。
この日、もう一人ゲストでいらしていたのが、松岡環さんの「レスリー.チャンの香港」出版の影の立役者、平凡社の山本明子さん。レスリーへの一途な思いで、種々のデータを取りまとめ、平凡社の上司の方々を説き伏せて出版にこぎつけたそうです。山本さんはいたって控え目な方。秘めた原動力に感謝!「レスリー.チャンの香港」には、レスリーを軸にして、1950年代以降の香港の芸能文化の歴史がしっかりと書き込まれています。 思えば、もう何年も前、ぴあのオフシアターのコーナーでレスリーの『烈火青春』(だったと思う)の作品紹介を見つけて、吉祥寺のスペースアジアに行ったら、“インド映画研究家の松岡環さん”が受付にいらして、え?なぜ?とびっくりしたものでした。その時に頂いたのが、1989年に一端引退した以前のレスリーの活動記録を綴ったお手製のA4版資料。松岡環さんの半端じゃないレスリーへの思いを感じたものでした。本書は長年かけて丹念に調べ上げたレスリーとその時代の集大成。レスリーのファンだけでなく、香港に興味を持つ人にとってもバイブルとなる一冊です。

(咲)

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2008年4月第2週
2008/4/10(Thu)

次号シネマジャーナル73号も、4月6日(日)に最終編集を(梅)さん宅で行い、無事7日に入稿しました。16日に発送予定です。泉さんの『心理学者 原口鶴子の青春〜100年前のコロンビア大留学生が伝えたかったこと〜』が、いよいよ4月12日からポレポレ東中野で一般公開されるので、それになんとか間に合わせたかったのですが、ちょっと遅れての発行となりました。
いつもながら、早く原稿を書けばいいものを、締切が迫らないと書けない性格。3月24日から丸々5日間家に篭って原稿に集中していたのですが、気がついたら桜が満開になっていました。あっという間に満開になった桜も、その後ずいぶん長い間お花見が楽しめましたね。 そして、満開の桜の中で迎えた4月1日。レスリーが逝ってしまって、もう5年です。この時期は、毎年シネジャの編集で忙しいということもあるのですが、私はいまだに香港でこの日を迎える勇気がないのです。さりとて、一人でこの日を過ごすのもつらい...。そう思っていたら、今年もかつてのお仲間から一緒に偲びましょうと声がかかり、6人が集まりました。香港に飛んでいたお仲間からも追悼コンサートの様子など電話で報告が入りました。レスリーが残してくれた最大の贈り物は、この友たちだなぁとしみじみ思います。73号には、今年も香港に駆けつけた遠藤智子さんの報告や、私が昨年11月に香港を訪れた時にレスリーの面影を訪ねて歩いたことなどを掲載しています。
その他、2007年度映画ベストテン特集、上映問題で話題になっている『靖国 YASUKUNI』の李纓監督インタビューなど、盛りだくさんです。どうぞお楽しみに!


東郷寺のしだれ桜

高幡不動尊

ぼけの花も満開!

(咲)

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2008年3月第4週
2008/3/23(Sun)

17日(月)〜19日(水)楽しみにしていたアラブ映画祭。一本目に観た『デイズ・オブ・グローリー』は、フランス語原題の直訳が『原住民』。2005年のカンヌ映画祭で、主役5人が集団で最優秀男優賞を受賞したのをテレビで見て、是非観たいと思っていた作品。アルジェリアやモロッコ、西アフリカなど、フランス統治下の人々が、“祖国フランス”の為に戦った話。志願したのは経済的理由によるものが多く、軍隊では、歩兵として前線に立たされる上に、昇進や食事面で白人と差別されている様子が描かれていました。アラブ映画祭の観客よりも、フランス映画祭の観客にこそ見てほしい映画でした。
今年のアラブ映画祭は、新作6本、ゲストも3名と少なめで予算が減ったことを感じました。それでも、せっかく灯った火、細々でも続けてほしいと切に願います。

『ヘリオポリスのアパートで』『ヒンドとカミリアの夢』(エジプト)ムハンマド・ハーン監督
「恋愛と運命は一体、偶然が恋を生む」と監督。「皆さんいくつになっても恋を忘れずに」とト−クを締め括られました。偶然に出会えない運命の私?!

『満開(満月)』(ヨルダン)サンドラ・マーディー監督と、NHKアラビア語講座でお馴染みのアルモーメン・アブドーラさん
女優としても活躍するサンドラさん。パレスチナ難民のプロボクサーを追った詩的なドキュメンタリーでした。

『VHSカフルーシャ〜アラブのターザンを探して』(チュニジア)ナジーブ・ベルカーディー監督
こちらも男優としても活躍する愉快な方でした。

19日の朝、アラブ映画祭に出かける前に、訃報が飛び込んできました。以前勤めていた会社の同僚の男性が、深夜仕事帰りのタクシーの中で意識を失い、そのまま逝ってしまったというのです。まだ、57歳。このスタッフ日記をいつも読んでくださっていて、時折メールをいただいていたのですが、もう一年以上お互いにタイミングが合わなくてお会いしていませんでした。
もう二度と一緒に飲みながらおしゃべりすることもできないのだと思うと寂しさが募ります。奥様から、「笑顔で逝きました」と伺いました。彼らしいなぁとしみじみ。

20日(木)イランが新年を迎える春分の日。太陽が春分点を通過する時刻に年が変わるのですが、今年は、日本時間 午後2時48分19秒(テヘラン時間 午前9時18分19秒)。年によって、真夜中だったり明け方だったりすることもあるのですが、ちょうど午後のいい時間ということもあってか、イラン大使館から新年を祝う集いのご招待。新しい大使が日本にいるイラン人と直接会いたいとの発想で急遽決まったそうで、日本人の大半はイラン人と結婚されている方。私もイラン人の妻と間違えられたかも?
雨で庭に出られないこともあって、大使公邸はすし詰め状態でした。年の変わる5分位前からイランのテレビ放送を見ながら、その時を待ち、あっさり拍手して新年を迎えました。「遠く離れた日本で、イランの伝統を誇りに思いながら過ごしましょう」との大使の言葉に、メディアの流す悪いイメージなど、なんのそのという威厳を感じました。イラン直送のお菓子をいただきながら伝統音楽に耳を傾け、大使から1000リヤル札のお年玉をいただいて帰りました。いい年になりますように!

イランのお正月の飾り物「ハフトシーン」は、Sの付くもの7つに、鏡、コーラン、ろうそく、金魚などを並べます。今までに見た中で一番立派なハフトシーンでした。

(咲)

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2008年3月第3週
2008/3/16(Sun)

13日、フランス映画祭の記者会見&オープニング取材。今回の団長は、ソフィー・マルソー。13歳の時のデビュー作『ラ・ブーム』を観たのが、○○歳の大台に乗った誕生日の日だったので、あれから四半世紀経ったのかと感慨深いものがありました。日本での人気健在で、記者会見には大勢のカメラマンが詰めかけました。いざフォトセッションというときに、カメラの電池切れ。トホホでした。なんとか撮れた中から1枚! 左隣は、ユニフランス会長 マーガレット・メネゴーズさん。

13日〜15日の3日間で、(白)さんと手分けして、二人合計9組に取材させていただきました。私が今回のフランス映画祭で一番気になった作品は、『秘密』。フランスでもユダヤ人狩りが行われたことがベースになった作品です。フランス映画祭は大阪も18日で終わってしまいますが、4月27日まで「フランス映画祭2008特別上映イベント ジャック・リヴェット レトロスペクティヴ 秘密と法則の間で」がユーロスペースと日仏学院で行われます。こちらもどうぞチェックを!  http://www.eurospace.co.jp/detail.html?no=131


秘密』パトリック・ブリュエル氏
アルジェリア生まれのユダヤ系フランス人。
シャンソン歌手としても有名な方。色男でした!


秘密』&『暗闇の女たち』ジュリー・ドパルデューさん
女優にはなりたくなくて、大学でユダヤ哲学を学び、
ヘブライ語もできるとのこと。笑いの絶えない可愛い方でした。

さて、17日からはアラブ映画祭。シネジャ本誌次号73号の編集も佳境に入り、大忙しです。 という次第で、フランス映画祭の他の写真は、また落ち着いたらアップします! 

(咲)

2008/3/16(Sun)

7〜9日が地球環境映像祭、13〜15日がフランス映画祭と二つ続きました。事前試写に通ったおかげで、当日は見逃した作品を観たり、関係者取材したりとゆっくりできました。どちらも4月半ば発行予定の本誌73号でご報告の予定です。特集は「読者とスタッフの2007年ベストテン」です。お楽しみに。

最近は試写が多い上、ほかにも観に行くので2月の鑑賞本数は40本、3月は昨日までに20本。昨年ついに500本を越えた(美)さんには全然及びませんが、今年は私も自分の記録を塗り替えそうな勢いです。
原作のあるものはつい気になって、探し出して読み読書量も増えました。最近は図書館も便利になってインターネットで検索&予約ができます。後は指定した図書館で受け取るだけ。大衆演劇にはまってからは、お芝居の原作を追い、映像化されたものも観るもので時間が足りません。
楽しみにはお金も必要と、週1回のパートにも出るようになりまして、これが身体と頭の錆び加減を痛烈に自覚させてくれました。言わば毎回RPGで「つうこんのいちげき!」をくらっているかのごとく。レベルをあげなくちゃと思うこのごろ。

(白)

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2008年3月第1週
2008/3/2(Sun)

27日(水)『ラスト、コーション』を観に、シャンテ シネへ。前日たまたま劇場の近くまで行ったので、レディスデーで混むだろうから様子を聞いてみようとチケット売り場に寄ってみたら、なんと、翌週の金曜日の分まで指定席が買えるというのです。指定席に変わったのは知っていたのですが、これは知らなかった! お蔭様で友人の分も含めて3枚ゲット! 『ラスト、コーション』、抗日運動を背景にした壮絶な愛の物語で見ごたえありました。 濡れ場シーンがやたら話題になっていますが、そんなところばかり注目しないでほしい作品。(と言いながら、去年12月に香港で観ておけば無修正だった?などと下世話な私!) あの時代の上海や香港の光景や空気が感じられ、全体的に上品な仕上がり。さすがアン・リー監督!

29日(金) 『君のためなら千回でも』を観に、シネスイッチ銀座へ。金曜日がレディーデーで900円。多くの映画館が指定席で完全入れ替え制に変わっていく中、ここは嬉しいことに入れ替えなし。終了30分前までは途中入場も可能なのです。4時半の回に間に合わず、5時15分位に入り、引き続き最終回を観ました。ソ連侵攻前の平和な時代のアフガニスタンを描くのに、中国のカシュガルやタシュクルガンでロケをしたと聞いていて、一度行ったことのあるカシュガルの町がちょっと楽しみでもありました。確かに、見知ったモスクなども出てきましたが、そんなことは気にならない感動作。4時半の回が終わったところで、30年以上前にアフガニスタンに行ったことのあるTさんや、Sさんご夫妻にお会いしました。彼女たちからも、かつての雰囲気がよく出ているとの感想。それにしても、ソ連侵攻以降、今なお混迷が続くアフガニスタンのことを思うと悲しくなります。

1日(土)観光学で博士号を取ったイラン人留学生から大使館でのセミナーで自分も発表するので是非来てと言われ、てっきり観光関係のセミナーだと思って行ったら、留学生たちの研究発表会。午前中は技術系、午後は前半医学系、後半文系とどれも専門的。発表はペルシア語で行われたのですが、パワーポイントを駆使した資料は英語併記も多く、日本語で聞いても難しいはずのものも結構楽しめました。(もちろん理解はできていない!)男性でも資料の締め括りに薔薇の花をあしらったりして、さすがイラン人らしいセンス。15分の発表の後、5分間質疑応答。イラン人は質問好きで何人もの手が上がります。日本の医療制度の時には、「なぜ日本には女医が少ないのか?」との質問も。去年のNHKアジア・フィルム・フェスティバルで上映された『予感』でも主人公の妻が精神科医でしたが、イランでは医学部も半数以上が女性。思えばこの日の留学生も半数近くが女性でした。しかも子供連れも大勢! イランの女性はほんとに元気です。
この日、日本人はほとんどいなかったのですが、皆、歓迎してくれて、場違いなところに来てしまった思いはしなくてすみました。お昼のイラン料理も美味しかった〜!

(咲)

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2008年2月第3週
2008/2/17(Sun)

12日(火) 雨の中イラン大使館へ。イスラーム革命記念日(2月11日)を祝うレセプション。着任されたばかりのアラグチ大使への表敬訪問を兼ねて訪れた方も多く、門の外まで長い列。例年スカーフをするかどうか迷うのですが、初めてお会いする大使に敬意を表してスカーフをおもむろに取り出した次第。大使は男性方とは握手をされますが、女性に対しては、胸に手をあててご挨拶。中に入ってみると、知り合いのイラン人女性の中にスカーフをしていない方たちも。「いいのよ。日本ではいつもしてないから」と言う姿に、『オフサイド・ガールズ』で堂々と自己主張する女の子たちを思い出します。思えば、イラン大使館では、2〜3年前、毎月のようにイラン映画上映会が開かれていたのですが、上映会を始めた文化部の担当官が帰任されてからは尻すぼみになってしまいました。また復活してほしいなぁ〜

16日(土) インド映画『パーキーザ(心美しき人) 』を観に、銀座エルメスのプライベートシアター「ル・ステュディオ」へ。先日インド映画研究家の松岡環さんにお会いした時に教えていただいて行ったのですが、エルメスでの上映会は、この作品で20回目であることを知りました。完全予約制ですが、無料。こういう社会貢献事業もしているのですね。
映画は、踊り子と資産家の息子との母娘二代にわたって運命に翻弄される悲恋物語。1971年の作品なので、まずは厚化粧にびっくり! いくらインドでも、今はもう少し控えめ? 室内の場面など、いかにもセットという感じもしましたが、外での場面ではインドの伝統的な町や、大自然も楽しめました。
本作はインドで1972年2月に初めて劇場公開されたのですが、主演女優ミーナー・クマーリーはその数週間後に肝硬変にてこの世を去っています。そも、この映画の監督カマール・アムローヒーとミーナー・クマーリーは、1952年に結婚し、この題材で1956年から映画製作を開始したのですが、二人の離婚で頓挫。何年も後に製作が再開されたいわくつきの作品。踊り子の悲恋に主演女優の人生を重ね合わせてみると、さらに感慨深いものになると友人からレクチャーを受けました。長くなるので割愛しますが、お知りになりたい方は、会場で配布される松岡環さんが解説を書いた小冊子をご覧ください!
申し込み先など詳細は下記の通りです。4月12日まで今の演目です。エルメスで優雅なひとときを!

エルメス ル・ステュディオ上映会
上映作品『パーキーザ
1971年/インド/147分/カラー/・35mm/ウルドゥ語
上映日 2008年1月26日〜4月12日 毎週土曜日
     (完全予約制/入場無料)
上映時間 11:00/15:00 (上映時間:2時間37分/途中休憩10分含む)
会場 メゾンエルメス10階 ル・ステュディオ
お問い合わせ・申し込み 03-3569-3300
(受付時間 平日9:30〜18:00 土日祝11:00〜19:00)
〒104-0061 東京都中央区銀座5-4-1
メゾンエルメス10階 ル・ステュディオ
上映3週間前より受付一人一回まで 同伴1名

(咲)

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2008年2月第2週
2008/2/10(Sun)

2月6日(水) 八重洲ブックセンター特別講座「世界の「国民的女優」を選ぶ 〜その華麗な存在が映し出す文化と社会〜」を聴いてきました。国際交流基金の隔月刊『をちこち』第21号の「世界の『国民的女優』」特集を記念してのパネル公演。 パネリストは、明治学院大学教授(映画史)の四方田犬彦氏、京都大学人文科学研究所所属の中国映画史研究員の韓燕麗(ハン・ヤンリー)さん、日本で公開される殆どのイラン映画の字幕翻訳・監修に携わるショーレ・ゴルパリアンさんの3人。
国民的女優と呼べるのは、どういう人物なのか?を探りながら、3人の方からそれぞれの国の国民的女優と思われる女優を映像と共に紹介してくださいました。
四方田氏がまず挙げたのが、原節子。『上海陸戦隊』(熊谷久虎 監督、1939年)で、抗日の中国女性を演じている映像をまず見せられたのですが、言われるまで原節子とはわかりませんでした。後の『青い山脈』(今井正 監督、1949年)や『東京物語』(小津安二郎 監督、1953年)の印象とは全く違います。また、デビューしたての1937年に初の日独合作映画『新しき土』のヒロイン役としてアーノルド・ファンク監督に抜擢された縁で、ドイツに半年滞在。ナチス・ドイツに反ユダヤ主義を叩き込まれて帰国したというエピソードを聞き、ちょっと意外でした。あと四方田氏が挙げたのが田中絹代に吉永小百合。“国民的”と呼ばれるには、ただ美人なだけでなく、その国その国で、その時代に理想とされる女性を、若い世代から中年、老年と演じていって完結するのではと語られました。
次に、韓燕麗さんから中国の国民的女優として阮玲玉(ロアン・リンユィ)と白楊(パイ・ヤン)の二人が挙げられました。阮玲玉は、1930年前後、わずか8年の間に29本の無声映画に出演しただけなのに、中国映画を語る上で重要な女優。スタンリー・クワン監督の『ロアン・リンユィ 阮玲玉』(1991年)でマギー・チャンが演じた姿を懐かしく思い出しました。白楊(パイ・ヤン)も、1930年代にデビューした方。『十字路』『春の河、東へ流る』『祝福』をかつて特集上映で拝見したことがあります。文革後にも復帰し、60年にわたってトップスターとして活躍されたそうですが、後期の作品は残念ながら見ていません。コン・リーやチャン・ツィイーは国際的女優をめざしていて、国民的と言えるかどうかとコメントされました。
最後にショーレ・ゴルパリアンさんから、まずはイランの映画事情について、革命前と革命後の違いについて説明されました。1960年代頃まで、ヒットさせるには歌と踊りとカフェでの喧嘩が必要とハリウッドやインドを模倣した作品が多く作られ、女優には演技力は求められず、美人で歌が上手ならOKだったといいます。女優は、家を出るとき変装したり、イスラーム名の本名でなくクリスチャンの名前を語ったりしていたという話が興味深かったです。(ちなみに、革命後は本名しか使えないそうです。)1960年半ばから、作家性の強いニューウェーブの映画が作られるようになり、そうした監督のお陰で女優の立場も変わります。革命後は、そのニューウェーブとして活躍しはじめた人たちによって、健全な状況の中で映画が作られるようになり、舞台から映画に流れてくる女優も増えました。と、ここまでは、以前にも何度か聞いた話で、この日事前にショーレさんにお会いした時にも、「今日の話は、咲さんが知っている話ばかりよ」と言われていたのでした。さて、イランの国民的女優は?と、今日の本題を楽しみにした次第。ショーレさんが挙げたのは、ニキ・キャリミ−とファテメ・モタメド・アリア。やっぱりそうなのねと、納得。ニキ・キャリミ−さんは、1995年にアジアフォーカス福岡映画祭で上映された『サラ』(ダーリユーシュ・メヘルジューイー監督)で存在を知って以来、大好きな女優。昨年の東京国際映画祭で上映された『数日後』の監督&主演として初来日されて、インタビューさせていただくことができ、幸せなひと時でした。 (シネマジャーナル72号に記事掲載) もう一人のファテメ・モタメド・アリアさんにも、福岡や東京で何度かお会いしています。『青いベール』では、不倫の愛を貫くしとやかな女性を、『ふたりのミナ』では四駆をぶっ飛ばすキャリアウーマンを、『母ギーラーネ』では腰の曲がった老女をと、幅広い演技力に圧倒されます。2002年にアジアフォーカス福岡映画祭で来日された折、ファテメさんが帰国される同じフライトでイランに行ったのですが、翌日、テヘランのホテルですれ違った男性から「昨日、空港でファテメさんとお話されていましたね」と話しかけられました。ほんとに有名な女優さんなのだなと再確認したひと時でした。そんな大女優なのに、思えば、ターンテーブルからご自分で重い荷物を降ろされていました。そんな気取らないところも、人気の秘訣なのでしょうね。

さて、昨日は、先週に続き、東京は雪。郊外の実家あたりは、今も一面の銀世界です。綺麗なのはいいけれど、道路が凍っていて、こわくて外出できません・・・ 皆さんもどうぞすべらないように気をつけて!

(咲)

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2008年2月第1週
2008/2/2(Sat)

30日(水)父と一緒に横須賀の三笠公園へ。ここには、日露戦争の時、日本海海戦で活躍した戦艦「三笠」が保存されているのですが、艦内で開かれていた戦艦「大和」特別展が31日までだったこともあって、平日にもかかわらず大勢の人が来ていました。防衛庁をリタイア後、三笠で艦内の案内役を時折務めている従兄に解説してもらいながら、様々なことを考えさせられました。


戦艦「三笠」


日本海海戦時に東郷元帥が戦闘を指揮した最上艦橋から見た前甲板。
床は元々チーク材でしたが、太平洋戦争終戦後、建材などとして持ち去られてしまったそうです。

父は学徒出陣で海軍に所属していたのですが、この三笠の前の広場で家族との面会のひとときが持たれ、両親と妹(私にとっては祖父母と叔母)が会いに来てくれたと言います。もう60年以上前のことなのに、終戦まで数回あった家族との面会日のことを父は実によく覚えています。祖母は遠路はるばる長崎県の川棚まで面会に来たこともあるそうです。毎回毎回、これで会うのが最後になるのではないかという思いで別れたのでしょう。実際、それが最後になってしまった親子も大勢いることを思うと涙が止まりません。

ところで、太平洋戦争を背景に描いた映画は、今も数多く作られていますが、実際に当時を知る父は、事実と違う描写には敏感です。多少事実と違っても、当時を知らない人に戦争の悲劇を知らしめる役割は充分果たしていると思うのですが・・・ 今ならまだ生き証人が大勢います。作り手の方たちには、できるだけ多くのことを彼らから聞き取って映像に残していただければと願います。

横須賀の帰途、父と別れ、久しぶりに鎌倉を歩いてきました。私にとっては、青春の思い出のいっぱい詰まった町。お気に入りの裏通りを歩きながら感傷に浸った次第です。もう日が暮れた頃、鶴岡八幡宮へ。昼間、父から鎌倉でも海軍時代に面会日が設定されたことがあったことを聞かされました。指定の鶴岡八幡宮に集まったものの、境内が広すぎて、どこにいるのか探すのに苦労したそうです。携帯で簡単に連絡できる今では考えられないですね。あぁ〜平和はいいなぁ。

(咲)

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2008年1月第3週
2008/1/20(Sun)

先週は、「テロリズムとパキスタン」、「東エルサレムにおける住居をめぐるポリティクスとパレスチナ人による『住み続ける』ための活動」、「イスラエル 宗教を考える旅」と、立て 続けに講演会に出かけてきました。 世界の各地で、権力者の思惑で人生を翻弄される一般庶民が大勢いることに胸が痛みます。(が、何もできずに自分の人生を楽しむ私・・・)

19日(土)は、『ハーフェズ ペルシャの詩』の公開初日。 茨城の友人が朝一番の回を観るというので、終わる頃に写真美術館ホールで待ち合わせました。 ところが、初回終了後に麻生久美子さんの舞台挨拶があるというので、あっという間に満員に なってしまって、遠路はるばる出かけた友人は残念ながら入れず。 私が着いた頃には、取材の人たちがホール前を埋め尽くしていました。 年末にご結婚を発表された麻生久美子さん、注目度高いですね。 映画も同様に注目されるといいなぁ。

午後、さいたま市与野にある中東ミニ博物館の定例講座へ。 この日の講演は、地球を話す会副会長の高野さんによる「イスラエル 宗教を考える旅」。 黒い礼服に黒い帽子に付け髭をぶらさげて、にわか正統派ユダヤ人となってお話する高野さん。 私がイスラエルに行った1991年には、自由な雰囲気で旅が出来たのですが、今はかなり厳しい様子。 イスラーム教徒にとっての聖地、岩のドームのある一帯に入るには検問所を通る必要があって、テロを危惧して規制が厳しく、高野さんが訪れた日には、ほとんど無人だったそうです。 心のよりどころである聖地に自由に入れないなんて...。
長年エルサレムの旧市街は、ユダヤ、キリスト、イスラームと各宗教の人たちが、うまく住み分けて暮らしてきたところ。 ふたたび平穏に共存できる日は、いつになったら実現するのでしょう。

(咲)

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2008年1月第2週
2008/1/14(Mon)

年が明けたと思ったら、もうあっという間に1月も半ばですね〜
休み過ぎて気が緩んでいるのか、映画を観にいってもふっと寝てしまい、気がついたら恋人のお葬式だったりして、え〜どうして亡くなったの??とがっくり。これじゃ作品紹介も書けま せん・・トホホ

ところで、この1週間は、NHK衛星第一放送で放映された、 BS世界のドキュメンタリー「奇跡の映像 よみがえる 100年前の世界」 9回シリーズに釘付けでした。 独仏国境のアルザス地方でユダヤ人家庭に生まれたアルベート・カーン (ユダヤ名アブラハムをフランス風に改名)。 証券ディーラーとなり大富豪になった彼は、ドレフュス事件で反ユダヤ感情が強まってきたこ とに心を痛め、平和実現のために、世界には多様な人々が暮らしていることを知らしめることこそが大事だとの思いに至ります。 1908年、巨額の富を投じて、世界各地をカラー写真とモノクロ動画に撮って記録する 「地球映像資料館」のプロジェクトをスタートさせました。
5大陸の各地で取材した膨大な映像の一部が今回のシリーズで紹介されたのですが、百年前のまだまだ固有の伝統文化が色濃く残る世界を垣間見ることができ、興味深いものでした。 1908年に日本を訪れ、懇意にしていた大隈重信一族の姿なども映しています。

平和を望んだ彼の思いとは逆に、やがて世界は第一次世界大戦へと突き進んでいきます。 ドイツの侵攻によってフランス国土が荒らされることに危惧を抱いたカーンは、自国の各地もくまなく映像に残しています。 当時のフランスは、各地固有の文化があって、数十キロ離れただけで違う言葉が話されているというような状況だったといいます。 ナショナリズムをあおって、戦いに挑ませるためにフランス語の使用を義務付けたのだとか。 彼の残した戦争の写真や映像は、瓦礫となった町や、戦禍に苦しむ庶民の姿。 戦闘の合間を写した兵士の姿からも、兵士自身戦争を好んでいないことがありあり。 戦争の虚しさがずっしりと伝わってくるものでした。
バルカン半島や中東の映像からは、オスマン帝国の支配下でイスラーム、キリスト、ユダヤなど宗教も異にする様々な民族の人たちが共存していたものが、ヨーロッパ列強の影響でナショ ナリズムが高揚し、互いを排除していくようになっていく姿もうかがい知ることができました。
写真や映像の力を強く感じた1週間でした。

11日の金曜日には、 ジプシー・キャラバン』のジャスミン・デラル監督を迎えてのパーティがアップリンクで開かれました。 この映画は、ロマ(ジプシー)の人たちが言われなき差別を受けてきたことへの思いを伝えてくれるもの。 映像の存在意義を感じさせてくれます。
パーティには、映画関係者というより、ジプシーの文化や音楽を知る人たちが大勢集まっていました。 映画に感銘を受けて、来日中の監督と親しくなった若いミュージシャンの人たちの飛入り演奏も。 映画初日12日の天気予報は雨か雪。 「ソンナノ カンケイ ネー」とジャスミン監督の口から飛び出し、皆大笑い。 なごやかな歓迎パーティでした。

(咲)

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2008年1月第1週
2008/1/6(Sun)

みなさま 新年おめでとうございます。
昨年はシネマジャーナルをご愛読、またHPをご贔屓にしてくださり、ありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

昨年の映画見納めは澤登翠さん活弁の『つばさ』でした。第1回アカデミー賞作品賞です。満員のお客様と「おせんにキャラメル」を膝に楽しみました。お正月は浅草木馬館で「劇団九州男」の三番叟でめでたさ満点。そして今年の初映画はTOEIで『魍魎の箱』と『茶々 天涯の貴妃(おんな)』、昔は東映のオールスター映画がお正月の定番でしたが、現代のお正月映画はちょっと殺伐・・・。来週はもう少し明るいのを見に行こうっと。

(白)

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