女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
スタッフ日記
2011年12月第5週
2011/12/30 (Fri)

2011・冬コミケの一日

一番最初の冬コミケは(あれはあしかけ三年まえ~♪)31日だった。

その次は30日。
そして今年は29日。
新橋から乗ったゆりかもめも今までで一番すいていた。

車内は「あ~、今日で仕事納め。疲れた一年だったなぁ~」とちょっと不機嫌顔の真面目モードの方々と、 若いコミケ出店グループのペチャクチャ・モードの乗客と真っ二つ。

あっ、今、<WANGAN>という文字が…『踊る大捜査線』の湾岸署だ!本当にあるとは!
など、車窓から映画ロケ地を見ながら、『国際展示場正門』に到着。

ザクザク歩く音、ゴーゴーとキャリーバックの音。
この音に、もう慣れた私も興奮する雰囲気。

目指す東地区R56のA。

すでにシネマジャーナル・ビッグサイト支店店長の(咲)さんが店を設営完了…副店長遅刻…トホホ。
さぁ10時!
開門と同時に係員に誘導された入場者の足音を拍手で迎え、私たちのビッグサイト支店もお客様を待つ。

29日は微妙な日。
売上は出店費用を上回ればいい!と店長副店長会議で決定!?

なんだかその売上も心配だったが…何とか達成。
お話だけというお客様にも「来年もいますから訪ねて来てくださいね。ホームページもよろしく」とシネマジャーナルを宣伝できた。
途中、若い助っ人(ホ)さんが駆け付けてくださり、とっても嬉しかった。
(ホ)さん!ありがとう!

案外疲れてないなぁなどと思っていたが、やっぱり若い熱気に当てられていたらしく帰りのゆりかもめで数分居眠り。

乗り換えて、新宿で下車したが満員バス並の人、人、人…
約束の時間に間に合わず、気分も悪くなり、喫茶店でひと休みした。

でも一年がやっと終わった実感がして気分は少しずつよくなった。

その後、新宿で9時からレイトショー『ミツコ感覚』を観たが、一言評「ぬめりのある独特な雰囲気+だが理解できない+でも面白い!」だったが、記憶は半分まで(だから評は途中評)……

係員さんの「これで終映です」の会場アナウンスで飛び起きた私。
太身の体には深夜の新宿は寒かったぁ~。

(美)

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29日 5時半起床。妹が6時前に炊き上がるように作ってくれた炊き込みご飯を一口食べて、お昼用にも2包み握って、まだ薄暗い中、いざ出発。2009年の冬に初めてコミケに参加して以来、夏冬あわせて5回目のコミケ。愚図な私ですが、さすがに準備も手馴れてきました。新宿から乗ったりんかい線も、(美)さんのゆりかもめと同じく、以前経験した超満員というほどでもなくビッグサイトに到着。お隣は顔見知りのインド映画サークルの方・・・と思ったら、風邪を引いて欠席の友人に代わって貼紙を置きにきたとのこと。こっちの椅子もどうぞゆっくり使ってくださいと言われ、ふくよかな私たち、ちょっと嬉しい。ちなみに隣の貼紙には、東京国際映画祭で上映された『ラジニカーントのロボット』公開決定!とあって、これまた嬉しい。

いよいよ開店! 早々にレスリー・チャンを語り続ける哥哥的一天でお馴染みの写真家・島津美穂さんが、差し入れのお菓子を持って陣中見舞いにいらしてくださいました。お客様はボツボツながら、立ち止まってくださった方とは長々映画のお話。香港映画全盛時代を知る方も数人。チョウ・ユンファやアニタ・ムイ、そしてなぜかイーキンの話で盛り上がったりしました。いろんな方と映画の話ができるこういう時間がコミケの何よりの楽しみ。お昼頃、今日は来られないと言っていたシネジャ新人の(ホ)さんが今川焼きを持って応援に。30分の入場待ちだったそう。レスリーファンでもある(ホ)さんと、レスリーの思い出話も。1時過ぎには、思いもかけずイスラーム好きのお友達がドーナツを持って現れました。初めてのコミケに面食らいながらたどり着いたとのこと。若い人たちのコスプレを楽しみながらも、なんのコスプレかわからないのがほとんどねぇと。2時過ぎ頃から店じまいするサークルも多い中、閉会の4時間際まで店を広げたまま(美)さんやお友達とおしゃべり。なんだかよくしゃべり、よく食べたコミケでした。毎回新刊をお買い求めくださる方、そして、初めてお買い求めくださった方、覗いてお話してくださった方、皆さまありがとうございました。

いよいよ今年もあと2日。シネジャのサイトをいつもお読みくださっている皆さまにも、この一年のご愛顧をお礼申しあげます。どうぞ良いお年をお迎えください。

(咲)

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2011年12月第4週
2011/12/25(Sun)

12月23日 『運命の子』初日に行ってきました

Bunkamura ル・シネマのリニューアルオープニング作品、陳凱歌(チェン・カイコー)監督の『運命の子』の初日、舞台挨拶に行ってきました。登場したのは、運命の子「程勃(チャン ボー)」の子供時代を演じたウイリアム・ワン君。香港からの来日で、映画上映前に舞台挨拶がありました。

映画のプログラムによると、ウイリアム君は陳凱歌監督の友人の息子さんとのことで、初めての映画出演と書かれていました。主役の葛優(グォ・ヨウ)、王学圻(ワン・シュエチー)、張豊穀(チャン・ホンイー)、范冰冰(ファン・ビンビン)など名だたる俳優さんたちの中、初めてとは思えない演技で役を見事に演じきったウイリアム君は2000年12月23日東京生まれ。公開初日の12月23日が11歳の誕生日で、まさに、「運命の子」でした。舞台挨拶の後には、バースデイケーキも登場し、誕生祝いも行われました。
「初めての演技だったけれど、緊張することなくのびのびと演じることができました。僕の演技を楽しんで」と語り、お父さん役の葛優さんがとても優しく接してくれたと言っていました。


誕生日祝いのクス球とケーキ
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ウイリアム君は東京生まれですが、インターナショナルスクールに通っていたとのことで英語が堪能。日本語は挨拶程度しか話せませんでしたが、それでも、自己紹介と映画を楽しんでくださいという言葉は、一生懸命覚えた日本語で話していました。
中国人家庭に育ったとはいえ、北京語は話せないとのこと(香港から来日したということは香港人なのかな?)。でも、映画の中の北京語のセリフは、お母さんが発音の特訓をしてくれて、吹き替えではないそうです。発音は難しかったと語っていましたが、映画の中では自然に話しているように思えました。
将来の夢を聞かれたウイリアム君ですが、意外にも俳優ではなく、「将来はお父さんのように世界中を飛び回るビジネスマンになりたい」と語っていました。
舞台挨拶の後、用意されたケーキとくす玉で誕生日を祝い、観客がハッピーバースディ トゥーユーを歌うと、「素敵な歌をありがとう。今まで生きてきたなかで最高の誕生日」と素敵な笑顔で去っていきました。

この作品は司馬遷の「史記」の中で描かれ、中国で2600年以上に渡って語り継がれてきた物語。京劇としても高い人気を博してきた「趙氏孤児」を初めて映画化したもの。本作で、趙氏唯一の生き残りであり、運命に翻弄される人生を歩むことになる程勃の幼少期を演じたのがウィリアム・ワン君(王瀚)。

新少林寺 SHAOLIN』でも、日中ハーフの嶋田瑠奈ちゃんが出演していたけど、日本だけではなく中国でも子役が活躍中しているようです。大人だけでなく子役の世界でもインターナショナルになってきているなと感じた『運命の子』初日舞台挨拶でした。


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映画紹介はシネマジャーナル作品紹介を参照ください。
http://www.cinemajournal.net/review/index.html#unmeinoko


(C)Shanghai Film Group Co., Ltd. Shanghai Film Studio/TIK FILMS/Stellar Mega Films Co., Ltd. /21 Century Shengkai Film

(暁)

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19日(月) 新宿バルト9で『マイウェイ 12,000キロの真実』の試写を観たあと、夕方、ザ・ペニンシュラ東京で同作品の記者会見。『シュリ』『ブラザーフッド』のカン・ジェギュ監督が、1944年のノルマンディー上陸作戦後に撮られたドイツ軍捕虜の写真の中に東洋人が映っている1枚があることを知ったことから出来上がった壮大な物語。監督と共に登壇したオダギリジョー、チャン・ドンゴン、ファン・ビンビンの3人が口を揃えて「想像を絶する戦闘シーンの撮影現場」と発言。作り物の現場でもそんな壮絶な状態なら、本物の戦闘の前線にいた人たちは、どんな思いだったのだろうと涙の出る思いでした。記者会見の模様は、後日Web版特別記事でお届けします。


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20日(火) イラクの元大統領サダム・フセインの長男ウダイ・フセインの影武者だった人物を描いた『デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-』の記者会見。原作者で実際ウダイの影武者だったラティフ・ヤヒア氏が来日。影武者時代もつらい思いをしたけれど、西欧に自由があると期待して亡命したものの、CIAに拷問を受けたり、本が発禁になったりして、さらにつらい思いをしているとのこと。かつて一人のサダム、一人のウダイがいたイラクが、アメリカの介入によって、今や100人のサダム、100人のウダイがいる国になってしまったと嘆くヤヒア氏のうつむき加減の姿が印象的でした。(この記者会見の模様も、後日Web版特別記事で!)


ウェルカムホストとして、デヴィ夫人が登壇しました。
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21日(水)早稲田大学で、貫井万里さんによる研究報告「アメリカにおけるアラブ系コミュニティの歴史」を聴講。現在アメリカには約160万から170万人のアラブ系アメリカ人が在住するとされているそうです。アメリカ同時多発テロ事件以後、アラブ系の人たちが被った思いは、前日のヤヒア氏の発言にも通じるものがありました。

さて、2011年もあと1週間。今年は、悲しい別れがほんとに多い年でした。22日、23日と以前勤めていた会社の人たちと連日忘年会だったのですが、次に会うのは暑気払いといわず、春のお花見の頃にしようと、どちらの忘年会でも約束して別れました。会える時に会っておかなければ!

(咲)

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2011年12月第3週
2011/12/18(Sun)

17日 大学の同級生たちと浅草で1年ぶりの同窓会。折りしも羽子板市が開かれていて、もうお正月が来たかのような賑わいでした。浅草公会堂前で映画や演芸のスターの手形を眺めたりした後、仲見世をなんとか通り抜け、浅草寺境内に。羽子板を売るお店は、以前は(って、羽子板市に来たのは20年ぶりぐらい)浅草寺前の広場左右両方にあったのに、片側だけでちょっと寂しく感じました。それでも、次々に売れて手打ちが行われ、風情はたっぷり。お隣の浅草神社では、人力車がずらりと並び、人が取り巻いていて、何かと思ったら結婚式のご一行でした。まるで映画の撮影のよう! Vサインをする花嫁さんが初々しかったです。


こまどり姉妹の手形。さすが双子! 手相も似ています。


浅草寺 仲見世                   羽子板市   
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浅草寺の裏手に抜け、今戸神社へ。最近、縁結びの神様として人気の神社だとか。浅草の表側と違って、ひっそり静かな一角に今戸神社はありました。まず目に付いたのが、ペアの招き猫。実は招き猫発祥の地なのだそう。結婚祈願や成就お礼が書かれたたくさんの絵馬の図柄もペアの招き猫。これは、可愛い!


     今戸神社は招き猫の発祥地         今戸神社の仲良し招き猫  


今戸神社の絵馬
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次に、待乳山聖天へ。イチョウがまだ黄色く色づいていて見事でした。境内で目に付くのが大根と巾着。大根は良縁、巾着は商売繁盛のご利益があるそうです。

さらに桜橋を渡って牛島神社を抜け、スカイツリーまで行って散策を終え、夜の宴。なんだか縁結びの神様に縁のあった一日でしたが、この日、福岡から駆けつけてくれた同級生の男性は、縁あって再婚したばかり。二人とも大好きな映画が『慕情』だったそうで、二人で香港に行ってきたと写真を見せてくれました。カラオケでは、『ノッティングヒルの恋人』の主題歌「She」を熱唱してくれて、ほんとに、年を取っても縁はある!と励まされたひと時でした。


牛島神社から眺めたスカイツリー
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さて、今年もあとわずかとなりました。東京ビッグサイトで開かれる年末の風物詩、コミックマーケットに今回も出展します。コミケにすっかりはまってしまった(美)さんと私の二人が、会場で皆様にお目にかかって映画談義できるのを楽しみにお待ちしています。(咲)


コミックマーケット81(冬コミケ)参加のお知らせ

日時:12月29日(木曜日)10時~16時
場所:東京国際展示場(東京ビッグサイト)
交通案内:  http://www.comiket.co.jp/info-a/C81/C81info.html
シネマジャーナルの配置場所: 東地区“R”ブロック-56a

★シネジャ予約受付けます!
購入希望の号をお気に入りの監督や俳優の名前を添えて予約いただけましたら、できる限り関係のある特別付録をご用意します!
タイトル索引や、目次一覧で欲しい号を検索してみてください。
タイトル索引 http://www.cinemajournal.net/bn/title.html
在庫一覧 http://www.cinemajournal.net/bn/zaiko.html
冬コミケ会場での購入申込み先: cinemajournalhp@yahoo.co.jp

(咲)

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2011年12月第2週
2011/12/11 (Sun)

4日(日) 私が事務局を預かる日本イラン文化交流協会主催で、「イラン人の生活を支える慈善活動」というテーマで東邦大学看護学部助教の細谷幸子さんにご講演いただきました。イランで貧しい人や病気の人たちを地域社会が自然に支えている様子をたくさんの写真を見せながら語ってくださいました。困っている人を訪ねて、泣いて、そっとお金を手渡して帰るのがイラン女性のたしなみの一つなのだとか。寄付にもいろいろな形がありますが、大きなお鍋でお料理を作って皆に振舞うこともよく行われます。第6回アジアフォーカス福岡映画祭(1996年)で上映された『神さまへの贈り物』(モハマッド=アリ・タレビ監督)は、遠くまで配給米を取りにいったおばあさんが重いお米を運ぶのに苦労し、色々な人に助けてもらいながら家に帰る話。このお米を全部使っておばあさんが大きなお鍋で料理を作って隣近所に配り歩いたラストをふっと思い出しました。
イランというと、きな臭いニュースばかりが届きますが、ほんとに心優しい人たちなのです。つい先日も、世界放浪中の友人の息子さんがイランに2週間ほど滞在し、「どこに行っても歓迎され、家に泊めてもらったり、一緒に小旅行に連れていってくれたりして、世の中に出回っているイラン+イスラームのイメージとは真逆の素晴らしい国と人々でした」とメールをくださいました。

10日(土)2週続けて、日本イラン文化交流協会主催の講演会。この日は、和光大学の村山和之さんに、イラン南東部~パキスタン南西部にかけて暮らすバルーチ(バローチ)民族の音楽についてお話いただきました。任侠道に通じる「バルーチ魂」ともいえる部族慣習法を尊重して生きている人たちですが、その中には旅人を歓待するというものもあります。日本の大学生を誘拐したのもバルーチ族でしたが、誘拐された本人は、歓待されていたそうです。そういえば、マジッド・マジディ監督のデビュー作『バダック 砂漠の少年』の舞台がバルーチスターンでした。あの映画にも盗賊が出てきて、バルーチというと、そのイメージがつきまといます。バルーチの音楽は、イラン音楽とも違うし、インド音楽とも違う独特のものなのだということを知りました。一度バルーチの世界を自分で見てみたいと思いつつ、ちょっと勇気がいりそうです。

今週は、亡くなった母のお友達にお会いしたり、以前勤めていた会社の方が設立した会社の15周年記念パーティに招かれたりと忙しく、映画は『家族の庭』と『ピアノマニア』の2本しか観られませんでしたが、充実の日々でした。 ちなみに、マイク・リー監督の『家族の庭』では、中年独身女性の悲哀をずっしり感じさせられたのですが、私は寂しさを感じる暇もないほど忙しくてよかった!


今週は横浜にも行きました。
山下公園前のイチョウが見ごろでした。
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(咲)

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2011・12月5日から8日

中国インディペンデント映画祭・観尽くし日記

中国では上映できない映画を、一年の最後の締めくくりの映画祭として楽しみにして来た。土日が仕事デーにしているので、監督さんトークは全滅だったが、私なりに感じたことなどをまとめてみた。まだ、16日金曜まで、東中野ポレポレで上映されているので是非ごらんください。

★『歓楽のポエム』チャオ・ダーヨン監督/2010年/面白度2位

インチキな職場斡旋所を道端に机一つ置いてやっている男は、都会に出てくる田舎者を騙しては金を稼いでいた。客から因縁をつけられると「そんなにすぐには仕事は見つからない!この場所で、ずっとやっているんだから信用してくれ」と言いくるめてしまう。
愛人から二人で街を出ようと持ちかけられたが、彼は斡旋所に来た可愛い若い女の子(この子には床屋で働くように斡旋した。床屋は表向きで、裏では売春をしている。女の子も喜んで働いている!)に夢中で聞く耳を持たなかった。 男はやがて警察に捕まる。
その担当警官が変わった人で、自作の詩を容疑者として警察署に連行された者全員に、読ませるのだった。 男には下品できわどい詩を、女にはわけのわからない哲学的なものを与えて読ませては得々としていた。

○やはり中国映画は面白い。一つひとつが日本では想像もつかない荒っぽい展開。この荒っぽさが私には堪らない魅力なのだ。
遠くに彼らとは別世界のビル群が見えて、彼らの住む猥雑な下町が、それ自体全部、歓楽の地のように感じた。
この中に出て来る斡旋する口車・男と、自称詩人で警察官の自意識過剰・男の二人が交代するように主役が入れ代わるが、この二人、どんな境遇になろうと、詐欺人生は終わらず、自称詩人の歪んだ自己顕示も止むことはないだろう。

★『ピアシング1』リュウ・ジェン監督/2009年/文句なし1位

2008年末の金融危機により労働者のチャンは失業してしまう。あげくにスーパーで万引き犯に間違えられ、暴力も受けた。もう職を探す気力も無くなり、故郷に帰り百姓をする決心をした。だが、帰ろうと駅に向かう途中、交通事故で意識不明の老婆に遭遇して、病院まで送っていくが、なんとここで加害者と間違えられ、警察署に連行されてしまう。

○アニメだからと多寡をくくっていた。構成が良くぐいぐい引き込まれてしまった。
開き直った男が友人とリベンジする企てが、いままでの運を取り戻したように流れが変わる様をスリルたっぷりにみせてくれた。時折、画面いっぱいに月が真ん丸に出てくるが、「お前のことは、ちゃんと見ているぞ」と言っているように感じた。

※助けられた老婆の娘(中年女)は警察官で、彼の「助けたのに・・・」と言うと「今時、他人にそんな親切する奴がおらん!」と一喝していた。

★『天から落ちてきた!』チャン・ザンボー監督/2009年/ここに住んでいなくて良かった度1位

人工衛星の打ち上げが盛んな中国。西昌衛星発射センターから上がるロケットは、毎回残骸を地上に落とす必要があった。落下地点は湖南省綏寧県。その住民は打ち上げの度に落下物の恐怖にさらされ、犠牲者も出ている現状。

○なんと、まぁ・・・と驚いてしまった。落ちてくるものは大の大人が7、8人でやっと動かせる重さ。そこらには10万人以上が住んでいるのだ。
ロケット打ち上げの予告が入ると、学校は休校、畑仕事は出来ず、みんな息をこらしてじっとしている。打ち上げた後5~10分以内にどこか遠くでド~ン!という音が聞こえたらホッとするのだ。家が壊れたり、畑に深く埋まってしまったりしても、国の方針によってお金は微々たる額、もらえない時もある。
落ちてきたものを買い取る業者もいて「さびない上等な包丁を何百と作る」と言っていた。死亡者も出ている現状でも、まだこんな調子で続いているのだろうか。

★『書記』チョウ・ハオ監督/2009年/いま元書記はどうしている度1位

この映画祭の一回目に一番興味深いドキュメンタリーの『高三』の監督さん。
中国には全国に1500以上ある県。その県長より地位の高いのが共産党県委員の書記。 この作品は河南省にある固始県区長から書記まで11年勤め、任期終了直前の3ヶ月を追った密着ドキュメンタリー。

○この書記まで登りつめた男はいうことはそつなく、人の気をそらさない話し方で、政治家の持つ貫禄も十分ある男だ。少し自慢話が好きな点はあるが、それは彼がやった手柄であるから仕方ない。
だが、陳情にくる個人や団体には(多分中国でも・・・)当然ながら賄賂が伴う。
隠しマイクかテープを仕掛けたのか、画面は暗く、書記と秘書の会話「あの金はちゃんと渡したよな」とか「あの金の誰々に半分返してくれたな」「えーっと、これは誰からの金だったかな」と言う会話もバッチリ。
これで無事退職?と思われたが、 字幕最後に「逮捕されて取り調べ」と書いてあった…。

★『花嫁』チャン・ミン監督/2009年/怖い度1位

チー、ワン、ジャン、ツォンの中年男たちは十年来の親友。去年妻を亡くしたチーは、街で喫茶店を経営しているが、みんなで後添えを探してやろうと、嫁探しに農村へでかけるが・・・。

○たった3行ばかりの内容書きでは、後妻の嫁さがしの苦労話で、計算高い女ばかりでてこずるのかと思っていたが、とんでもない男連中だ!
言えるのはここまでにしょう・・・。これは面白かったからオススメ!薦めるのに内容を言っちゃってはつまらないから、ここまで。シネマジャーナル84号にはばっちり書きたいと思っている。

★『恋曲』チャン・ザンボー監督/2010年/イライラ度1位

天から落ちてきた!』と同じ監督さん。『天から~』でも少し感じたが編集がうまくない。特にこの『恋曲』では男女の恋愛(腐れ縁)が延々と2時間近く、堂々巡りしていた。
女は(美人だった!)男の嘘と不誠実さをなじり、男はその場その場の甘い言葉でおさめ、一方、一旦離婚した妻とメールでしっかり繋がっている。
元妻にも彼女にも借金があり不甲斐ない、顔もたいしたことない男のどこに未練があるのか、いらいらしてくるドキュメンタリー。

○こんなんだったら「見込みのない男だから、次の人探そう!」の、計算高い女の方がすっきり。愚痴を言って喧嘩して、画面が変わって次の日はニコニコ元どおりなんて、何回もやられてはあほらしくて「金返せ!時間かえせ!」だった。
カラオケの画面でアンディ・ラウが出ていた。

★『占い師』シュー・トン監督/2010年/愛と魂胆を天秤にかけ度1位

占い師のリーは40歳まで独身だったが、身体、知能、言葉も不自由な同年齢の女性シー・ジェンジュと知り合い結婚した。彼女はそれまで兄夫婦から家畜同様の扱いを受けていたが、リーによって救われた。
その二人の生活と、占いで訪れた水商売の女たちの生活などを折り込んだドキュメンタリー。

○占い師リーも手製の粗末な松葉杖を両手に歩行する障害者だが、何とか子供並の知能の妻をあれこれと世話をしている。結婚七年目で妻の(実家)兄夫婦の家に2、3日里帰りするが、その時、実兄がシー・ジェンジュの髪をこざっぱりさせようと切ろうとすると「こざっぱりすると貰いが少なくなり、金運が離れる」と言っていた。
案外、その姿形も計算に入れて嫁取りしたかな?とうたぐってしまった。しかし、夫婦仲はよくお互いにいたわり合っていた。
シー・ジェンジュの邪気のない天真爛漫さと、実家で以前十何年家畜小屋に住まわされていた小屋を見る表情は「いま羊が飼われている、ここに私が住んでいたのか…」と感慨深い表情だった。

★『冬に生まれて』ヤン・ジン監督/2008年/どこの国の農村部にいそうな若者自業自得度1位

牛乳先生』の監督さん。アルトンは捨て子だったが、拾われて大切に育てられた。養父は死に、今は養母が愛情を注いで育てたが、青年になったアントンはわがままな男に成長した。バイクを乗り回し、喧嘩などで思い余った養母は教会の経営する学校に入れるが、そこの同級生チャンオーと駆け落ちをする。

○『牛乳先生』の監督さんだから、ほのぼのとした作品、楽しみにしていたが、「生き止まり」感が強く前作とは反対の印象を受けた。自業自得である点を引いても、アントンのすることなすことが不幸になっていく様が痛々しく気持ちがくらくなった。

★『ゴーストタウン』チャオ・ダーヨン監督/2008年/行政の不思議度1位

雲南省の山岳地帯に、政府に放棄され廃墟となった街に、リス族とヌー族の農民たちが無断で住み着いている。ここに住む人達は元々あった家や道路をそのまま使っている。
そこに住む人々を三篇に分けて映し出している。

  • 「神の言葉」二世代の宣教師の味わいのない生活と宣教の仕事。村の祭ごとをするのに聖書の解釈をだらだら言い合っている宣教師二人。ようはギターは駄目だがバイオリンは良いと導きだして、バイオリン伴奏で賛美歌?を歌っていた。味わいがある音色だった。
    教会で農民たちの地声で歌う合唱?は、とても異様な響きで気分が悪くなった。搾り出すような、うなり声だった。
  • 「記憶」誘拐されて売られてきた女性の心の苦悶。 この「記憶」は寝てしまって記憶にありません・・・
  • 「少年」12歳の無邪気な少年の毎日。 学校には行っていない。粉を水でといてあげパンを作っていたが、なかなか要領がよくて感心した。電気は電線があるので通っているが、どこまで村として機能しているかはわからなかった。 相当立派な建物があり、どんな理由で廃村になってしまったのか、こんなところで暮らして将来どんな希望があるのだろうかと不思議なことだらけの作品。

★『独身男』ハオ・ジエ監督/2010年

この作品は去年のフィルメックスで観たのでその時の感想を掲載する。
 中国河北省の山村で、数人の年寄りの独身男たちの奇妙な日常をドキュメンタリー・タッチで描いている。

○独身男だから中年くらいかな?と思ったが、もうおじいさんに近い年齢。
貧しい山の中では嫁取りも難しいだろう。だから四川から女を買って縁談を持ち込んで来る業者がいる。日本でも農村ではアジアからお嫁さんを斡旋する業者もいるが、この山の中では他に気を紛らわすものもなく、当然の結果として、金がないものは歳老いるまで独身。ドキュメンタリー風に作られているが、クスッと笑う場面や、オォ!と驚く箇所もあって興味深い作品だった。

(美)

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2011年12月第1週
2011/12/4(Sun)

27日(日)東京フィルメックス最終日。どの作品が賞を取るかよりも、今年は審査員長のアミール・ナデリ監督がどんな発言をするのかが楽しみで記者会見に出かけました。10作品どの作品にも賞をあげたいと、10個のクッキーを食べながら思いを巡らしたというナデリ監督。ほんとにクッキーが大好きなのですね。


記者会見で熱弁をふるうアミール・ナデリ監督
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審査員の方たちが議論に議論を重ねて決まったのが、最優秀作品賞『オールド・ドッグ』(中国ペマツェテン監督)、審査員特別賞『ムサン日記〜白い犬〜』(韓国・パク・ジョンボム監督) どちらも印象深い作品でしたが、実は、肝心な場面を寝ていて見過ごしていたことがQ&Aの時に発覚! Q&Aで、あの発言がなければ、どちらの作品もなんだかわからないけどいい作品だった・・・で終わるところでした。最近、そういうことが多くて、ほんとに情けないです。


(左)最優秀作品賞受賞の喜びを語る『オールド・ドッグ』(中国)ペマツェテン監督  
(右)記者会見で質問に答える『ムサン日記〜白い犬〜』(韓国)のパク・ジョンボム監督
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さて、夕方の授賞式でも、観客を沸かせたナデリ審査員長。林加奈子さんが閉会宣言をすると、「さぁ~最後の作品を観よう!」と大急ぎで審査員を引き連れて客席に向かう姿とすれ違いました。ほんとに映画が好きなのですねぇ。私は残念ながら最後の『奪命金』を観ないで帰りましたが、来年のフィルメックスも今から楽しみです。


授賞式で受賞監督と審査員一同
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(咲)

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2011年11月第4週
2011/11/27(Sun)

11月19日(土)

11月19日公開『新少林寺/SHAOLIN』の初回に華仔迷(アンディファン)仲間と行ってきました。試写で2回も観ていたのですが、やはり一般公開される日の観客の様子が気になって行ってしまいました。

最初はTOHOシネマズ六本木ヒルズに行く予定でしたが、有楽町スバル座で初回上映の後、舞台挨拶があるというので、急遽スバル座に変更しました。

映画館に入ると、アンディが歌う主題歌「悟」が流れていて、ちょっと嬉しい。でも、初日サービスで渡されたポストカードは、なんとジャッキー・チェンが写っている写真。思わず「なんで、ジャッキーだけ?」と言ってしまった。アンディ主演なのにねえ。せめてアンディ、ニコラス、ジャッキー3人で写っている写真にするべきでないの?

宣伝部長という名目でやってきた「次長課長」というお笑いコンビ。私はお笑い界のことには全然うといので二人のお笑いは見たことがないのですが、夜中の番組などで河本準一の方は見た事があります。でも、良い印象はなく、どうなることやらと思っていました。

舞台挨拶が始まったのですが、初日の初回の後ということも知らず、映画の話も全然すべっていて、全然映画宣伝にならないような話ばかりしていたので、これで宣伝部長?と思ってしまった。二人はジャッキーのファンということで、ジャッキーの話ばかり。それはそれでいいのですが、お笑いならお笑いでいいから、もっとツボを押さえた映画の宣伝になるような面白い話をして!宣伝部長なら、映画を見てもっと勉強してきて!と思ってしまった。


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唯一良かったのは、アンディとジャッキーが映画の中で着ていた服を着て出てきたこと。当初、六本木で観ようと思ったのは、六本木のTUTAYAにこの映画で着ていた衣装を展示しているということで、それも見ようという計画だったので有楽町に変更して正解。六本木に行ったら、せっかくの衣装を見ることができなかった(笑)。 右の写真の服です。

そして、この映画でアンディとファン・ビンビンの娘「勝男/ションナン」役を演じた嶋田瑠那ちゃんが登場。日中のハーフで、中国で天才子役として活躍しているそう。自分の名前だけは日本語で言えたけど、あとは中国語。日本語を勉強中と言っていました。現在9歳で、すでに16本の映画とTVに出演しているとのこと。日本も子役ブームだけど、中国でもそうなのかな?

撮影中のエピソードを語っていたけど、なんと追っ手に追われ、崖をアンディと二人で転げ落ちるシーンは、アンディの希望もあり、スタントなしで撮ったと語っていた。ちょっと痛かったと言っていたけど、すごい勢いで崖を落ちていくシーンだけど、かなり痛かったんじゃないかな(それとも実際は角度もきつくなく、スピードもゆっくりだったのか…)。口から血を流して死ぬシーンの時は、口の中に赤い液を口に入れていたので、飲み込まないように苦労したという。もっとも、飲んでも大丈夫な甘い液だったそうだけど。

撮影中、アンディもファン・ビンビンも優しくしてくれて、寂しそうにしているときは声を掛けてくれたらしい。それに、アンディがトーストを焼いてくれたという話も披露してくれた。

撮影の後、アンディとファン・ビンビンとはメル友になっているそう。「お休みのときは、何をしていますか?」みたいなやりとりをしていますと答えていた。

そういえば通訳は、アンディと縁のあるチェン・シンさんだった。1993年のファンタスティック映画祭でアンディ・ラウ特集をした時は4回の舞台挨拶で登場。その後1995年の東京国際映画祭特別招待作品で上映された『烈火戦車』の上映のときのアンディやイー・トンシン監督の舞台挨拶も彼が通訳だった。なにかとアンディと縁のある方です。

それにしても、宣伝では主演のアンディやニコラスではなく、ジャッキーのことが前面に出ていたけど、パンフではしっかり水田菜穂さんがフォローしてくれていた。内容のみっちり詰まった、この映画への愛に満ち溢れた文章の数々。今、持ち歩いています。笑


11月27日(日)

今朝は朝8時半に家を出て東京フィルメックス会場へ。今回、期間中3本くらいしか作品を観ることができなくて、今日はやっと1日使えるので3本観ようと朝早く家を出ました。

その会場で水田さんにばったり会ったので、『新少林寺』のパンフしっかり書いてありますねと言ったら、やはりあれだけの量を書くのは大変だったとのこと。その会話の中で、昨日、台湾の金馬奬授賞式があって、アンディが『桃姐』で主演男優賞を受賞したと教えてくれた。私はてっきり金馬奬は12月1週目だと思っていたのでびっくり。他にも『桃姐』ではアン・ホイ監督が監督賞、デニー・イップが主演女優賞を受賞したと言っていた。デニーはベネチアでも主演女優賞を受賞している!

水田さんが自分のブログにとてもいい写真をアップしているというので、慌てて、華仔迷の友人たちに連絡を入れました。私はこれから帰ってからその映像を見てみます。

水田さんのブログ http://hkaddict.blog26.fc2.com/

(暁)

(追伸)
そうこうしていたら、本日(28日)、また嬉しいニュースが入ってきた。アンディがファンクラブのサイトで、とうとう赤ちゃんができたことを発表した。噂にはなっていたけど、やっぱりそうだったんだ。というわけで、この日は華仔迷の間では、金馬奬と赤ちゃんのニュースで持ちきり。ファンにとっては二重の嬉しさ。それにしても50歳でパパになるんだ! パパ業はニコラスの方がずっと先輩だよね(笑)。

(余談)
去年(2010年)のアンディの香港のコンサートでは、少林寺の小僧さんが4人出てきて「悟」のバックコーラスに合わせて少林寺拳法の演舞が披露されていたけど、この『新少林寺/SHAOLIN』に出演していた小僧さんたちだったそう。とても可愛かった。その写真を下記に。


大きな掛け軸の前で演舞する少林小僧 バックの字はアンディ自筆。主演ドラマ「神雕侠侶」の中で使われた詩。
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ついでに(笑)アンディのコンサート写真も。



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東京フィルメックスに通い詰めた1週間でした。今年はどんなディープな作品を観ることができるのかとワクワクしながら出かけるのですが、フィルメックスで必ず会う人たちとの再会も楽しみの一つ。23日のお昼、『ミスター・ツリー』(中国・ハン・ジェ監督)の時には、次々にレスリー・チャンの追っかけをしていた頃の顔見知りの方と出会い、隣の席も偶然レスリー迷! 「あなたで5人目よ」「えぇ~ 皆なぜこの映画を?」と見始める前に語り合ったのですが、それも主人公のワン・バオチャンが人気俳優とはいえ、レスリーとは似ても似付かぬイケてない兄ちゃんだから!(スミマセン・・・)

夜、『CUT』の舞台挨拶には、アミール・ナデリ監督、西島秀俊さんと共に常磐貴子さんも登壇。ナデリ監督は二人の手を取ってスキップしたりして、満員の客席もどっと沸きました。常磐貴子さんというと、どうしてもレスリーと共演した『もういちど逢いたくて ~星月童話~』を思い出してしまいます。レスリーが来日して特別試写会で舞台挨拶したのも、フィルメックスと同じ有楽町朝日ホールでした。入場できなかった私は、どこで会えるか頭を働かせ、ある場所でバッチリ会えたという思い出も。あの日を思い出して、ちょっと切ない夜でした。

CUT』の舞台挨拶をすご~く楽しみにしていたのに、ぎりぎりに到着して取材許可を取り忘れ、写真を撮れませんでした。という次第で、写真はQ&Aの時に少し撮っただけの中からお届けします。


左から、常磐貴子さん、西島秀俊さん、アミール・ナデリ監督。
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(咲)

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11月26日(土曜)朝6時起床

名古屋は晴天。今日は『キツツキと雨』のロケ地でもある明智鉄道「岩村駅」近辺に行く。同行してくれたのは25年来の友人Iさん。この友も映画好き。

さて名古屋から恵那まで約1時間20分くらい。私たちはずっとその間、体の不調、人生のちょっとした悩みで盛り上っていて、恵那駅なのに乗り過ごしてしまうそうになる。慌てて降りて、明智鉄道へ乗り換える。乗り降り自由のパス1340円を買うとレトロな切符と記念バッチをくれた。


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1時間に1本、それに1両だけの電車で観光客や地元の方でほぼ満員。 スピードは意外にあって、ガッタンゴットンでもゴトゴトでもなくスイスイと進んで「岩村駅」に着いた。


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そこで駅員さんに「ここで『キツツキと雨』の撮影をしたのですね」と話かけると、「そうだよ。ここで撮影したんだけど、僕は見ていないんだ。焼き芋を焼いているからいかがですか。1本150円です」と撮影話より焼き芋売るのに大忙し・・・!
そこの近辺は旧街道沿いの鄙びた店が多く私好みの風景。何軒かに撮影話を聞いたが、誰も、しかとは覚えていなくて「なんかそんな話聞いたことあるけどなぁ~」ぐらいのこと。がっかり・・・。

気を取り直して「花白温泉駅へ」ここは駅から歩いて20歩に花白温泉がある。ここでゆっくり200年前からあるラジウム温泉に入る。お風呂も満員でゆったりとは浸かれなかったが、歩数計を見るともう8000歩以上あるいていた。


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2人とも帰りの電車でうつらうつらと気持ちよく寝てしまった・・・。

撮影の話はほとんど聞けなかったけど、日ごろゆっくりおしゃべりできない仲良しIさんとたくさ~ん話せたから、よかった!よかった!


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(美)

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2011年11月第3週
2011/11/20(Sun)

17日(木) 日本で撮った『CUT!』がいよいよ公開されるのを前に、アミール・ナデリ監督取材の案内をいただきました。ナデリ監督にインタビューできるのは嬉しいけれど、私はあまりにも映画に対して無知。観る映画が偏っていて、日本映画も外国映画もいわゆるクラッシックと言われているものもほとんど観てないので、とてもナデリ監督とお話できる立場じゃない・・・ でも、やっぱりちゃんと向き合ってお話してみたい。という次第で、恥を承知でお会いしてきました。部屋に入るなり、「おぉ~フレンド!」と、立ち上がって握手してくださいました。机がなければハグするところ! テレビの今日の運勢で「難しく考えなければうまくいく」と言われたのに後押しされ、肩の力を抜いて質問開始。調子に乗って、「監督の映画には、よく忍耐を強いられます。今回は、西島秀俊さんの素敵な顔を観ていればいいと思っていたら、その期待を裏切られました。観客にちょっと意地悪しようという魂胆があるのですか?」と聞いてしまいました。その答えは、後日、特別記事のインタビュー報告で!


同行してもらった映画ライターK氏の映画パンフレットコレクションを嬉しそうに見るナデリ監督
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18日(金)来年2月に公開される『ニーチェの馬』が、東京フィルメックスで上映されるのにあわせ、タル・ベーラ監督が来日し、ハンガリー大使館で記者会見が開かれるというので、会見前に映画を観ておこうと試写へ。(ちょっと大使館に行ってみたいという下心!)タル・ベーラ監督の前作『倫敦から来た男』で映像美にぞくっとし、「鬼才」という言葉を実感したものでした。『ニーチェの馬』は、荒野の一軒家に住む父と娘と馬の過酷な日常をモノクロで描いた154分! 寡黙な親娘の間にほとんど会話なく、ひたすら風の音が吹き荒れます。思わずナデリ監督の『水、風、砂』を思い出してしまいました。いつ、この映画から解放されるのだろう・・・と思いながらも、映像の美しさに引き込まれました。

さて、19日から東京フィルメックスが始まりました。でも、日本パキスタン協会で大好きな町ムルターンをテーマにシンポジウムが開かれたので、今回はオープニングを諦めました。(チケットの争奪戦に参戦する元気もなく・・・) 20日からは連日有楽町に通う予定です。今年も作家の個性溢れる作品揃い。どんな映画に出逢えるのか楽しみです。


パキスタンの聖都ムルターンの暮らし
(ムルターン出身のパキスタン人の方の発表より。遠くから撮ったのでボケてますが・・・)
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(咲)

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2011年11月第2週
2011/11/13(Sun)

12日(土) 先月、高校のクラス会で再会した男の子(この年になっても、同級生はやっぱり男の子!)から、私の親友に会わせて~と言われていたのですが、善は急げでさっそく実行。高校を卒業してすぐの夏に、彼女の住む茅ヶ崎まで一緒に行って以来の3人同窓会。

「青梅赤塚不二夫会館」が面白いよと、車で連れていってくれました。赤塚不二夫といえば、「天才バカボン」がいまだに根強い人気ですが、私たちの世代にとっては、なんといっても小学生の頃に大ヒットした六つ子の兄弟の物語「おそ松くん」が代表格。自称フランス帰りで出っ歯の30男イヤミ(井矢見)が手と足をあげて「シェー」と叫ぶ姿を皆が真似したものでした。フランスのことを、つい「おフランス」と言ってしまうのも、イヤミの口癖が脳裏に刻まれているからなのですね。


   青梅赤塚不二夫会館           イヤミのシェー!スタイル
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で、赤塚不二夫は青梅とどんな繋がりがあるのかと思ったら、街中に昭和の懐かしい映画看板を掲げて町興しをしている青梅市住江町の様子をテレビで観た赤塚不二夫が、実際に町を訪れたことからの縁だそうです。赤塚不二夫は若い頃、新潟の看板屋さんで働いていた時に映画看板を描いていたのだとか。その後、トキワ荘にいた頃に、手塚治虫さんから、「漫画家になりたいなら、映画をたくさん観なさい」と言われたそうです。


青梅市住江町の町興し映画看板

   駐車場にも映画看板                キネマ通り     
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赤塚不二夫会館では、高校時代どころか、一気に小学生の頃まで気持ちがさかのぼってしまいましたが、その後、ドライブやお茶しながら、高校生の頃の思い出話に花が咲きました。なんだか、この間の東京国際映画祭で観た台湾映画『あの頃、君を追いかけた』を思い出し、甘酸っぱい思いに浸った一日でした。 あの頃、追いかけた君に私も会いたいなぁ~。

(咲)

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2011年11月第1週
2011/11/9(Wed)

いつも日曜日の朝にはスタッフ日記を書くのですが、本誌83号の原稿が書き終わらず、それどころではありませんでした。今回の取りまとめ役(美)さんから、東京国際映画祭以外の記事は、9月末までにと言われていたのに、インタビューのメモ起こしをしただけで、何一つ形にできないままに、東京国際映画祭に突入しました。なにごともぎりぎりまで出来ない性格・・・ 一生変わらないだろうなぁ。ちなみに父は、すべて早め早め。これは一緒に暮らしていると、プレッシャーを感じて疲れます。見習えばいいのはわかっているのですが・・・

さて、私とその他約2名の原稿が本来の編集最終日5日に間に合わず、7日に(白)さん宅で最終編集。なんとか夕方には出来上がりましたが、印刷会社への入稿は翌日に持ち越しました。 東京フィルメックスの始まった頃には、定期購読者の皆さまのお手許にお届けできそうです。83号は、秋の映画祭特集。東京国際映画祭はもちろん、名古屋・福岡・山形など地方で開催されたものや、東京で開催された小さな映画祭も満載です。どうぞお楽しみに。


8日のお昼過ぎに無事印刷会社に入稿して、3時半から『CUT』の試写へ。疲れている時にアミール・ナデリ監督の映画はしんどいだろうなぁとほかの選択肢もあったのですが、やっぱり早く観たい! 『駆ける少年』や『水、風、砂』以来、ひたすら何かを追い求めるナデリ監督の作風は健在。監督が敬愛する映画作家たちへの思いに満ちた作品でした。素敵な西島秀俊さんの顔は、聞いていた通りボコボコに変わっていきます。いや~凄いです。昨年の東京フィルメックスでアミール・ナデリ監督にお会いした時に、「凄いの作ったよ! 来年のフィルメックスで披露するよ!」とおっしゃっていた通り、特別招待作品として上映されます。前売券は数分で完売し、買えなかったという友人多数。公開は、12月17日(土)より。シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショーです。

『CUT』公式サイト: http://bitters.co.jp/cut/

(C) CUT LLC 2011

(咲)

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2011年10月第5週
2011/10/29(Sun)

連日、東京国際映画祭に通った1週間でした。ふぅ~ 今年も魅力ある作品がいっぱい! でも、記者会見やQ&A、そしてインタビューも・・・となると、観る映画を絞り込まざるをえなくて、観られなかった作品は一般公開されるのを祈るばかり。(残念ながら、映画祭でしか観られない作品が多いのですよねぇ・・・) 私は月曜日に東京国際女性映画祭でセルバンテス文化センターに行った以外、ほとんど毎日、六本木ヒルズへ。美さんや白さんも同じく毎日映画祭に通っているのに、今年は観る映画のチョイスが見事に分かれ、ほとんど会うことがありませんでした。という次第で次号83号に掲載する東京国際映画祭の記事は、かなり幅広くなるはずです。どうぞご期待を! 大急ぎで原稿を書き上げて今週末には編集を終える予定です。(原稿、書けるのか・・・汗)

インタビューした映画人の方々をご紹介します!

25日(火)『われらの大いなる諦め』中年男性二人が暮らす家に親友の妹が居候。若い女の子の思わせぶりな素振りに独身男二人が、あ~勘違い。なんとも愉快な作品でした。セイフィ・テオマン監督は、主人公たちよりも若い世代。数年後の自分がどんな風に若い女性にアプローチするだろうと想像しながら撮ったそうです。(ちなみに監督は既婚)


『われらの大いなる諦め』セイフィ・テオマン監督
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ホーム』トルコ全土で水力発電のために自然破壊が進み、故郷の黒海地方山あいの町も変貌してしまったことを嘆いた作品。本作が長編初監督作品となるムザッフェル・オズデミルさんは、カンヌで男優賞を受賞したこともある方。私の稚拙な質問に対して哲学的なお答えが・・・奥深いものがありました。


(左)『ホーム』記者会見 左からサードゥック・インジェスさん(エグゼクティブ・プロデューサー)、
   ムザッフェル・オズデミルさん(監督/脚本)セルピル・オズデミルさん(美術・監督夫人)   
(右)『ホーム』ムザッフェル・オズデミル監督にインタビュー ご夫人たちも同席          
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28日(金)『嘆き』両親が交通事故死したことを、残された幼い男の子にどう伝えようと聴覚障害者の夫婦がテヘランに向かう車の中で語り合う物語。イランではペルシア語の字幕が付いていたけれど、東京では日本語と英語。観にきていたイラン人の友人たちが、上映が終わって話がわからなかったと監督たちに語っていました。
車が走っていく道に、キアロスタミ監督の『桜桃の味』や『そして人生は続く』を思い起こしました。車の中で続く会話にも、キアロスタミの映画スタイルを感じたのですが、25歳のモルテザ・ファルシャバフ監督は、キアロスタミ監督の私的ワークショップで数年指導を受けた方。今後の作品も楽しみです。一緒に来日したシャドメ・ラスティンさん(プロデューサー/脚本/美術)ともキアロスタミ監督が繋いでくれた縁だそうです。


『嘆き』左からシャドメ・ラスティンさん、モルテザ・ファルシャバフ監督
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29日(土)『ガザを飛ぶブタ』タイトルだけで惹かれ、観てさらに気に入った作品。資料にシルヴァン・エスティバル監督はウルグアイ在住とあり、記者会見は英語でしたが、合同取材の時にはフランス語・・・ 思わず、「え? この方、何者?」と質問してしまいました。AFP通信の記者で現在中南米担当という次第でした。主演女優のミリアム・テカイアさんはチュニジア出身。監督とはプライベートでもパートナー。とてもラブリーなカップルでした。


(左)『ガザを飛ぶブタ』記者会見にて シルヴァン・エスティバル監督と女優ミリアム・テカイアさん
(右)『ガザを飛ぶブタ』インタビューでも二人は息がぴったり                  

10月29日 六本木ヒルズからの夕暮れの風景
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(咲)

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2011年10月第4週
2011/10/23(Sun)

17日(月)東京国際映画祭の内覧試写の初日。『ガザを飛ぶブタ』は、タイトルだけで、これは面白そうと惹かれた作品。パレスチナ人の猟師がイスラム教徒にとって不浄なブタを釣り上げてしまい困惑していたら、入植地にいるユダヤ人がブタを有効利用していると聞きつけて売り込みにいくという物語。ユダヤでもブタは不浄なもの。どう利用しているの?と、その発想だけで可笑しい。『迷子の警察音楽隊』で実直な音楽隊長が印象的だったサッソン・ガーベイが、ブタに羊の毛皮をかぶせて歩く姿がなんとも可愛いです。パレスチナ人の家の屋上は、イスラエル兵の見張り台に貸していて、居間でテレビドラマを観ているパレスチナ人の奥さんの脇にイスラエル兵が立って一緒に楽しむ場面もあって微笑ましい。
別世界からの民族たち』は、イタリア北東部の美しい街を舞台に、一瞬にしてイタリアから西欧人以外の民族が消えてしまったという物語。ゴミの収集は滞り、子守がいなくなって奥様たちは困惑、ケバブ屋も無人に・・・ もちろん、テレビ局で美術担当がいないなど、3Kだけでない場でも支障が起きてきます。ヨーロッパで移民が増えて、各国で摩擦が生じていますが、だからといって廃絶したら生活が成り立たなくなっている現実を、ユーモアを交えて描いた作品。この日観た2本は、他民族との共生の問題を楽しく考えさせてくれました。


18日(火)NHKアジア・フィルム・フェスティバルで、11時から「アッバス・キアロスタミ監督を迎えて」の無料イベントが予定されていたのですが、キアロスタミ監督が体調不良で来日できなくなったとのこと。東京藝術大学大学院教授の黒沢清監督がピンチヒッターで登壇すると聞き、やっぱり行ってみよう!と参加してきました。東京藝術大学の学生さんたちが、キアロスタミ監督のワークショップで制作した短編8編が上映されました。課題は「孤独」。おぉ~っと唸る作品もあり、さすが藝大生! キアロスタミ監督からどんなアドバイスを受けたかのコメントに、キアロスタミのスタイルをしっかり感じました。


21日(金)内覧試写の最終日。1本目の『失われた大地』は、チェルノブイリに程近い街を舞台にした物語。1986年4月26日、レーニン像の前で結婚を祝う写真を撮ったアーニャとピョートル。披露宴の最中、自衛消防団のピョートルは火災発生で出動し、人間原子炉と化して面会もできないままに逝ってしまいます。数年後、チェルノブイリ見学ツアーのガイドとして働くアーニャですが、髪の毛が抜け始めカツラを被って健気に見学者を案内します。身体への悪影響を承知で故郷を離れられない人々の気持ちがずっしり伝わってきて、福島の現実が重なりました。「百万本のバラ」の歌が切なく響き、余韻の残る作品でした。観終わって外に出たら、1階のカフェのテラス席にペルシア語通訳でお馴染みのショーレさんの姿が。そして、お隣にはキアロスタミ監督・・・! 昨夜いらしたとのこと。火曜日のトークに登壇されなかったのを皆が残念がっていたとお伝えし、監督が日本で撮る映画の完成を待ち望んでいると申しあげたら、上品な微笑みで返してくださいました。 (★キアロスタミ監督応援サイト http://motion-gallery.net/projects/1


22日(土)いよいよ第24回東京国際映画祭開催! あいにくの雨模様。ここ数年、けやき坂の途中でグリーンカーペットの取材をしていたのですが、今回は雨が降っても大丈夫なアリーナイベント取材の列に並びました。11時過ぎに外が真っ暗になり土砂降りの雨。もうダメかと思っていたら、薄日がさしてきました。事務局の方たちがぎりぎりまで判断を待って、12時45分頃、予定通りの位置での実施を決定! 開始予定の1時半頃に取材陣もようやく取材位置に着きました。トップバッターは、『1911』の舞台挨拶を終えたばかりのジャッキー・チェン。スタート地点を歩き始めたのがスクリーンで映し出されますが、沿道のファンに握手したり、サインをしたりでなかなか到達しません。ようやくアリーナのステージに登壇したジャッキー。「僕が雨を止ませると約束した通り、雨が止みました」と満面の笑み。「僕が立ち去って、また雨が降ったらどうしよう」とジョークも出ましたが、無事最後の『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』の一行までお天気が続きました。


アリーナのステージに登壇したジャッキー・チェン

(左)野田佳彦総理大臣と枝野幸男経済産業大臣              
(右)『三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』一行        
   (時間が押してフォトセッションなく・・・ ちょっと素の姿をどうぞ!)
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野田首相も途中で登壇。「三銃士の一行と歩くのを楽しみにしていたのですが、枝野さんと歩かせていただきました」と笑いを誘いました。予定だと三銃士の一行と一緒に最後にグリーンカーペットを歩くはずだったのですが、時間が押してしまって公務の都合で予定の時間に歩かれたようです。(多分、最初にジャッキーがファンに愛想を振りまきすぎたから!)
アリーナイベントでの模様は、後日、特別記事でお届けします。


さぁ、体力勝負の東京国際映画祭が始まりました。皆さんもいい作品に出会ってくださいね。

(咲)

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2011年10月第3週
2011/10/17(Mon)

13日(木) 8日から開催されていた「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2011」ですが、今年はこの日1日だけしか行けませんでした。ほかにも魅力ある作品がいっぱいあったのに残念!
11時からトルコ映画『クロッシング』を観て、上映後セリム・デミルデレン監督にインタビュー。監督は、1969年、ドイツ、シュトゥットガルト生まれ。お父様が1960年代にドイツに仕事を求めて移民したのですが、ドイツ育ちの友人の子どもたちが、ドイツでもないトルコでもない中途半端なアイデンティティに戸惑っている姿を見て、子どもたちの為にとトルコへの帰国を決意したそうです。監督が10歳の時。それ以来、イスタンブルにお住まいとのこと。私が「イスタンブルに住みたいくらい大好き」とお伝えすると、「僕も大好きな街です」と、にっこり。
クロッシング』は、大都会イスタンブルの片すみで、会計係として実直に暮らす男性を軸に、会社の同僚たちのそれぞれの人生を描いた作品。家族思いで社長からの会食の誘いも断る主人公ですが、本当は孤独な一人暮らし。それを見抜く新入りのキャリアウーマン風の同僚の女性も夫との問題を抱えていたり、風貌あやしげで給料の前借りをする若い男が、実は病気の妹の為にお金が必要だったりと、人は見た目では判断できない事情をそれぞれ抱えていることを思い知らせてくれます。
最後に、主人公の男性と、同僚の女性が過去に人生の重大な転機に交差点ですれ違っていたことが明かされます。9日の上映で既に観ていた友人たちからは、最後が唐突だったと言われていたのですが、過去に接点があったことを当事者どうしは知らないという現象は多々あると思うので納得でした。監督に伺ったら、人と人はいろんな接点があって人生を送っていることの象徴として交差点での事故をラストに持ってきたそうです。タイトルのクロッシングありきではなく、孤独な男性が妻の亡くなったことを受け入れるまでに、周りの人々との係わりが色々あったことを描こうとして登場人物が膨らんでいったという次第。インタビューの詳細は、シネジャ次号83号で!


『クロッシング』セリム・デミルデレン監督
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14日~16日、秋田へ。角館の奥にあったユースホステルのペアレントのおばさんを囲んでの1年1回の常連の会も7回目となりました。今は老人ホームで暮らす89歳になるおばさんも、私たちも、会えばあっという間に35年以上前のあの頃に戻って、コップ酒もすすみます。(禁酒のはずのユースホステルなのに、当時も朝からコップ酒でした・・・)
翌日はマタギで有名な阿仁へ。風が強くて、いつもは15分で行くゴンドラが、ゆっくり40分かけて上っていき、紅葉をたっぷり楽しむことができました。ユースホステルという場所を接点に知り合った人たちとの、何年もの時を経ての楽しいひと時でした。


マタギの里、阿仁の林を眺めながらいくゴンドラ        阿仁の紅葉は始まったばかり    
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(左)クマ牧場で可愛い仕草のクマに出逢いました。阿仁の森にはクマが現存するそうです。            
(右)秋田内陸縦貫鉄道「笑内(おかしない)」駅。三三七拍子ならぬ三三七笑いを全国に広めようとしているブッチ氏
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(咲)

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2011/10/16 (Sun)

10月15日(土曜)朝から曇り空

映画祭を追っかけて東京、山形と駈けずりまわった為か、疲れが出てしまった。 今日は外出を取りやめ、家にあるもうすぐ公開のDVDを見る。配給さんから送っていただいた作品だ。右にコーヒー、左に蒸かし芋とりんごを置いて、映画館や試写室とは違う気分で鑑賞した。

★『50/50 フィフティ・フィフティ』ジョナサン・レヴィン監督/アメリカ/12月1日公開

(映画デーに公開なんて太っ腹!)
シアトルのラジオ局で番組制作するアダムは27歳の生真面目な男。ちょっと背中が痛むので病院にいくと悪性神経鞘種(癌)の宣告を受けた。助かるか助からないかは、五分五分と言われ、酒もタバコもやらないアダムは信じられないながらも、医師の指示に従い抗癌剤治療を始める。
・半同棲の恋人・前衛画家のレイチェルは「私が一緒にいて助けるわ」と暖かい言葉をかけてくれた。
・女に目がないお気楽な親友カイルは、始めこそ神妙にしていたが、五分五分と知って「癌と言えば、女は優しくしてくれるからラッキー・チャンス!」などと言って励まして?くれる。
・職場の上司は「君の企画を思うようにやってみなさい」と急に物わかりが良くなる。
・感傷的な母親はすぐにでも一緒に住もうと心配するが、彼は今まで通り生活することに決めた・・・。

(感想)
50/50の確率といっても、こと癌の話になると誰だってめげてしまう。
この作品が他の難病ものと違うところは、面白い言葉のやり取りが多く、全編に流れる音楽も、彼の気持ちに寄り添ったもので、ほとんどが静かで柔らかな旋律だった。「ここで泣かなきゃ、あんたは鬼だぁ~♪」と何回もリフレインするどこかの国の難病ものとはちょっと違う。
確かにアダムも病気のことが頭から離れない時期もあったが、一番の親友でナンパ男カイルの底抜けの明るさに助けられていた。こんなときはやっぱり同性の友人が一番だ。反対に、恋人レイチェルは始めこそ甲斐甲斐しく気を遣っていたが、介護生活が重たくなってくる。この変わりようは責められない。

人生って健康な人でも明日の命は、極端に考えれば50/50。私たちは99/1ぐらいに<生きている>と信じて毎日をおくっている。そう思えることが、どんなに<幸せ>なことかを教えてくれた作品だった。

※ジョセフ・ゴードン=レヴィットの神経質な所作(爪をかんでいた)がよかった。 よく東京まで在来線で上京するが、若い男性が指をしゃぶっていたり、爪を噛んでいるのを、度々見る。そんな方たちも、いろんな悩みを背負いきれないでいるんだなぁとしんみりしてしまった。

※彼の傍にいて、何かを感じ取っているアルツハイマーの父親、心配そうな目をして彼を見つめていた黒い痩せた犬・・・、物言わぬ二つの登場がこの作品の隠し味になっている。


★『指輪をはめたい』岩田ユキ監督・脚本/11月19日公開

製薬会社(置き薬)の営業マン片山輝彦(山田孝之)は、ある日スケートリンクで転んで頭を打った拍子に記憶が一部飛んでしまった。カバンの中にあった指輪が誰に贈ろうと思っていたかサッパリと記憶がない・・・。 今付き合っているのは、どうやら3名ということが、だんだん分かってきた。
・会社の先輩でクールな智恵(小西真奈美)、
・風俗のセクシーなめぐみ(真木よう子)、
・公園で人形劇をしている控えめな和歌子(池脇千鶴)。そして、もう一人・・・。

(感想)
主役の山田孝之は気になる若手俳優ナンバー1。コメディからシリアスまで、なんでもOKだし、それぞれが同じ俳優かと思われるほど違ってみえる。声も違って聞こえるから、じっくり役作りをする方だと思う。
さて、この<3股男>が同僚に「ねえ、3択で毎日カレー、ラーメン、寿司だったらどれを選ぶ?」と聞いていた。私なら即座に「寿司!」って言うが、こと結婚となると3択は迷うだろうな。 今は男の人が「誰と結婚したら幸せにしてくれるだろうか」など考える時代。 「おれが幸せにするよ」の時代は終わったの・・・?
この作品は『婚前特急』にも『モテキ』にも通じるものがあって楽しめた。デート向き作品のNO・1。

※衣装、部屋の設えで、3人の性格、生活状態がよくわかった。
※水森亜土さんの出番が少な~い!

(美)

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2011年10月第2週
2011/10/9(Sun)

5日(水)雨が降っていてめげそうになったけれど、この日が最終試写のシェアハウス(喜多一郎監督)に榎木孝明さんが出演しているので思い切って出かけました。夫を亡くし大きな家に一人住まいになった女性(吉行和子)が、行きつけの海辺のカフェで知り合った世代の違う3人の女性たち(浅田美代子、佐伯めぐみ、木野花)と同じ家で一緒に余生を暮らす物語。各自のプライベートは尊重しながら、一人暮らしの寂しさを解消しようという試み。「家族同然の気持ちにならなくてもいいんじゃない」という言葉が、家をシェアして暮らす秘訣かなと思いつつ、他人と摩擦を起こすことなく暮らすのは、なかなか難しいなぁと。家族とだって難しいのに! (逆に、他人だからこそ遠慮があるから上手くいく?) ちなみに、榎木さんは海辺のカフェのオーナーで、日替わりのアロハシャツ姿で登場しました。(2011年11月12日より全国順次公開)


6日(木) 玉川高島屋で開催中の「~絵筆で綴る、旅の風景~ 榎木孝明 水彩紀行」へ。 この日は、榎木さんのサイン会が行われ、サイン会の前には10分強のトークも。お話を聴いて、力を抜いて生きていけばいいんだ~と。レスリー・チャンの追っかけ仲間で水彩画を描いているお友達を誘っていったのですが、「榎木さんの話を聴いて、なんだか元気になったね」と、話がはずみました。榎木さんから、12月10日には、『源氏物語 -千年の謎-』が公開されるので、是非観てくださいと言われました。桐壺帝(光源氏の父)の役とのことですが、光源氏もまだまだ演じられる若々しさ! というか、この父にして、この子と説得力がありそうです。

8日(土)横浜で高校のクラス会。2時からは1年の男子クラスのクラス会にゲストとして招かれ、5時からは3年の時のクラス会と、クラス会のハシゴ。8時過ぎには二つのクラス会が合流して20人程で賑やかな会となりました。出席者リストの中で一番会いたかった人が変貌していてわからなくて、「今日は★★くんが来るのよね。楽しみ~」と叫んだら、目の前の男性から「ぼく…」と言われてしまいました。あ~恥かしかった!
話し始めたら、あっという間に高校時代の気分♪
歳を取って、見た目はそれなりに老いても、気持ちというのはいつまでも変わらないと実感した一日でした。

(咲)

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2011年10月第1週
2011/10/5(Wed)

2日(日)私の学年が幹事で開催する神戸の小中学校の東京同窓会本番。ぎりぎりまで出欠の連絡が入り乱れ、あげく、やっと最後に座席表を印刷しようとしたらプリンターが故障しトホホでしたが、最高齢の昭和13年に小学校卒業した方を筆頭に105名の方に参加いただいて無事終わりました。助っ人で神戸から上京した同級生も交え、同窓会の後も夜遅くまでおしゃべり。そんなこんなで日曜日の更新に日記が間に合わなかったのですが、先週はちょっとしたアラブウィークでしたので、さかのぼってご報告!

27日(火)上智大学で開催されたシンポジウム“中東の激動と日本の将来 ―オイルショックから「アラブの春」へ―”に参加。チュニジアやエジプトを初めとして、独裁政権は倒したものの今後どんな政権になるのか先が見えませんが、歴史の大きなうねりとして今後が楽しみです。日本政府には、油がらみだけではないアラブとの関係を築いてほしいと切に願います。シンポジウムを終えてすぐ、カナダ大使館での『灼熱の魂』(2010年カナダ・フランス合作映画)の試写へ。レバノン出身のカナダ人劇作家ワジディ・ムアワッドの戯曲を映画化した作品。双子の男女が、亡き母の故郷である中東の地を訪ね、母が異教徒の青年の子供を身ごもった故に故郷を追われたこと、さらには自分たちの誕生の秘密を知るという物語。1970年代の中東の動きを背景にしていますが、テロと報復の連鎖を断ち切りたいという思いをずっしり感じさせてくれて、現代にも通じるものがありました。上映後、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が登壇。中東でのシーンはヨルダンで撮影。「ヨルダンの方だけでなく、レバノン、パレスチナ、シリア、イラクの人々にも出演していいただいて、真のアラブ文化が反映できたと思います」と語られました。「カナダで育って戦争経験がないので、戦争シーンについても彼らに協力をいただいて再現したけれど、アメリカ映画ではないので低予算映画です」とも言われました。お金をかけなくてもスケールの大きな映画を作れることを実感! 見ごたえのある作品です。 ★12月17日(土)TOHOシネマズシャンテほか全国順次公開


『灼熱の魂』ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督

30日(金) 夜、門仲天井ホールでエジプト人のウード奏者ムスタファ・サイッドさんの福島応援コンサート。ムスタファさんは、両親が1973年の第4次中東戦争当時、シナイ半島に住んでいて、イスラエル軍の劣化ウラン弾を浴びたため兄弟共に盲目で生まれたのだそうです。この日、11~12世紀のペルシアの詩人オマル・ハイヤームの詩をアラビア語に翻訳した歌を熱唱してくださったのですが、ムスタファさんはハイヤームの詩には強い人間的経験が込められているから好きと語っていました。けれども、その詩の内容が反政府的だとしてエジプトでは音楽活動ができなくなり、レバノンの大学で教鞭を取りながら活動。この春のエジプト民衆蜂起のときには、カイロのタハリール広場に駆けつけて、後に革命歌となる曲を演奏。それがBBCアラビア語放送でも流されました。とても純粋なムスタファさんの思いを感じた素敵なコンサートでした。


エジプトのウード奏者ムスタファ・サイッドさん
(撮影:村山和之氏)

(咲)

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2010/10/2 (Sun)

9月29日(木曜)

一通のメールが届きました。ある映画監督作品を、自分の経営するシネマカフェで上映したいのですが、コンタクトが取れないので、その監督さんの作品をインタビューしているシネマジャーナルの方に教えていただけないかという伝言でした。

私はすぐ明記してある電話番号に電話をすると、
「月一回、上映会やライブをしていています。ライブをする方は僕の友人で、まあまあ有名なミュージシャンなんですが、その彼が映画好きで、是非その監督さんの作品をと希望しているんです」
とのこと。

用件が終わったあと、そのお店「シネカフェ・ソト」のHPを検索してみると!  なんとそのミュージシャンとは前野健太氏!(えっ、驚かない?)私はのけぞって驚きました。 松江哲明監督『ライブテープ』で歌っている方。 私の2010年度ベストテン・歌唱部門1位の方です。

この『ライブテープ』は公開がすでに終わっているにもかかわらず、今年の山形ドキュメンタリーに上映され、同じ監督と前野氏コンビの新作『トーキョードリフター』は、東京国際映画祭の日本映画・ある視点部門で上映されます。

私は興奮のあまり、再度お電話でおしゃべりしてしまいました。 お店は東京北区十条です。お店の名前を検索して見てください。 10月の映画は『マイキー&ニッキー』 私は、早くお店にコーヒーだけでも、飲みに行きたくて、行きたくてウズウズしています。 東京にお住まいの方、おついでの時に、是非おでかけください。

(美)

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2011年9月第4週
2011/9/25(Sun)

21日 4時半起床。台風接近で果たして福岡に行けるのか・・・と、ドキドキしながら羽田空港へ。朝一番の飛行機は途中激しく揺れながらも無事福岡に着陸! 今年のアジアフォーカスのメイン会場は新装なった博多駅直結のJR博多シティ9階 T・ジョイ博多。迷いながらたどり着き、東京から来ている友達や名古屋の(美)さんとロビーで会うことができました。すでに観ている作品の感想を聞いて、観るかどうか迷っている映画鑑賞の参考に。


アジアフォーカスの会場・博多シティ      映画館のある階から眺めた博多駅     
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11時に『僕はジダン』(インド)のスーニー・ターラープルワーラー監督にインタビュー。ムンバイのゾロアスター教徒の人たちのコミュニティを舞台にした物語。7世紀にイランから移住してきたことを小さい頃から聞かされて育ったという監督と話がはずみました。


『僕はジダン』スーニー・ターラープルワーラー監督
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午後、トルコ映画『マジョリティ』を観た後、3時に『カシミールの秋』(インド)のアーミル・バシール監督にインタビュー。紛争の続くカシミールで不安におののきながら暮らす庶民の日々を描いた作品。監督は、温和な面持ちの美男子。インドというより、イランかトルコかはたまたラテン系の雰囲気。カシミールは印パ分離独立前、マハラジャはヒンドゥー、住民のほとんどがムスリムだけど、平穏に暮らしていた藩王国。監督いわく、軍隊に志願する人もなく、本来闘わない人たちなのだそうです。インド軍の駐留する状態が早くなくなって欲しいと静かに語ってくださいました。


『カシミールの秋』アーミル・バシール監督
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5時、観客賞授賞式。イラン映画『ナデルとシミン』が受賞! 授賞式の後、本作に出演しているババク・キャリミさんの囲み取材があったのですが、まだ映画を観てなくて、彼がどんな役で出たのかもわからず、突っ込んだ質問ができなくて残念! 翌日観たら、彼は離婚調停をする判事でした。


『ナデルとシミン』離婚調停の判事役ババク・キャリミさん
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今回、アジアフォーカスは朝の10時から一日5回上映。シネコンの椅子は楽なので一日5本観る人も多いとか。でも、5本目が終わると、もう10時半から11時! 映画祭で知り合った福岡の映画サークルの人たちと飲みながら映画談義をするのが楽しみなのに、1時間程で地元の人たちは終電に飛び乗って帰るという状況でした。それでも付き合ってくださった方に感謝!


22日 映画の合間に、櫛田神社やキャナルシティ、そして去年までの会場だった天神界隈を散歩しました。


   キャナル・シティ           映画の合間に櫛田神社へ
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十二支@櫛田神社         櫛田神社にて  
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23日朝の櫛田神社 旗日ですね。
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23日 朝1本『カシミールの秋』を観て、新幹線で神戸へ。東京から来る父と合流して、従兄たちと13年ぶりに会いました。翌日は、母の従弟たちと10年ぶりに会いました。いつでも会えると思っていては、会い損ねることもと、歳を取った証拠でしょうか・・・ 神戸・旧居留地にあるホテルに泊まって、朝、父と散歩。中学生になる時に、気に入る鞄を探して父と一緒に何時間も歩き回ったことや、元町では母に連れられてヤマハの音楽教室に通ったことなどを思い出しました。午後と夕方には、小中学校の同級生たちにも会うことができて、懐かしい人たちにたっぷり会うことのできたアジアフォーカスの旅でした。


神戸・花時計
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(咲)

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9月19日(月曜)~22日(木曜)
いざ!台風に向かって福岡へ~(16作品)

★人生もモノクロ78点車の影に』アドルフォ・ボリナガ・アリックスjr./フィリピン


「車の影に」フィリピン・2009

ノーラは港16番埠頭のトラック車体の下で娘のサラと住んでいる。夫はトラックの運転手。 こんな家族は他にもいて、肩を寄せ合って暮らしている。海で魚をつり、小さな囲いの中で地べたに座り込んで料理する。車体につるしたハンモックで寝る。警備員につかまらないように、様子を伺いながらトラックから別のトラックへと移動する慌しい毎日だ。
そんな生活の中でもノーラは賢い娘・サラに、ランプの灯りの下で勉強をみてやる。どうにかして娘にはいい人生を送ってほしいと願っていたが・・・。

○モノクロの明暗が素晴らしい。そんな中に浮かび上がるローラの表情は、もう幸せなんてとうに諦めきっている。心から笑っている顔を想像することすらできない暗さだ。その彼女も娘の利発な様子には目を細めるのが唯一の表情の動きであった。だが、その娘が輪禍に巻き込まれ死んでしまう・・・。展開がこちらの心配するとおりになるからやりきれない。最後、娘を轢いてしまった男に仕返しをするが・・・その方法があまりにも直接的で後味が悪かった。フィリピンでは、このシーンで公開されないと監督さんが言っていたが同感だ。

★うみゃ~でいかんわ!95点ナデルとシミン』アスガー・ファルハディ監督/イラン


「ナデルとシミン」イラン・2011

シミンは夫と娘の三人でイランを出国したいと考えているが、夫ナデルは同居しているアルツハイマー病の父親を残して行けない。出国に必要な手続きをしたシミンは離婚を決意するが、家庭裁判所は離婚は認めなかった。シミンは夫と娘を残し実家へ帰ってしまう。
ナデルはやむなく、父の世話のためにラジエーという若い子連れ家政婦を雇う。翌日、ラジエーは重要な用事があって外出するが、その時アルツハイマー病の年寄りを危ないと思い、ベッドに括り付け、部屋に閉じ込めて出かける。偶然、帰宅したナデルは意識不明でベッドから落ちている父を見つける。
 彼はラジエーが戻ってくるなり、怒鳴りつけてアパートから追い出してしまう。その時の勢いで、ラジエーは階段から落ち、妊娠していた赤ん坊を流産してしまう・・・。

○ 『彼女が消えた浜辺』の監督さん。見事な人間模様の描き方だ。この作品が「観客賞」に選ばれた。夫ナデルの気持ちも、妻シミンの気持ちも分かるが、娘の教育を思って海外に行くより、夫婦仲よく一緒にイランで暮らしたほうがよっぽど娘の為になるのに・・・と、つい説教くせが出てしまった。娘は口には出さないが暗く寂しい気持ちで日々を送っていた。
家政婦のラジェーは、横暴な夫に内緒で働きに来ていたり、隠し事の多い不幸な女だが、イスラムの教えには神経質なくらい厳格だ。イスラムの教えの中に夫に嘘をついてはいけないなんてのはなかったのかな。同じイラン女性で自分の意志を通すシミンとラジェーを対比させる描き方に不自然さはなかった。この作品はきっと公開されると思う。イランの内情が中流家庭を通して見えてくる佳品だ。

★歳の差なんて!89点恋するリトル・コメディアン』ウイッタヤー・トーンユートン、メート・タラトーン監督/タイ


「恋するリトル・コメディアン」タイ・2010

由緒正しいタイ王国宮廷道化師の家系に生まれながら、どうも笑いのつぼがわからない長男のトック。跡継ぎとしての義務感や期待のプレッシャーの中でも、少年らしく明るく生活していた。そんなある日、友達のニキビ治療についていった彼は、そこの女医さんに恋をしてしまった・・・。

○自分より15歳くらい年上の女医先生に一目ぼれ! それからニキビを作るためにいろいろ工夫して診察をうけたり、先生の自宅を探し当てたり、アタックする姿がほほえましい。彼にとってちょっと切ない幕切れだけど、トック少年の純情に胸がキュンとなった。

★監督さんもイケメン!82点カシミールの秋』アーミル・バシール監督/インド


「カシミールの秋」インド・2010

インドとパキスタンの間で不安定な情勢の中、カシミール地方の現実が描かれている。

○ カシミールと聞けば最高級のニットと美しい自然をを思い浮かべるが、現実は寒々としたものだった。街角にある監視の銃、張り巡らされている鉄条網。静かな作品だが、その深刻さを深秋の季節に絡めて描かれていた。

★妻のいるのを忘れちゃいかん!73点タンロンの歌姫』ダオ・バー・ソン監督/ベトナム


「タンロンの歌姫」ベトナム・2010

舞台は18世紀末、黎(レー)朝統治下のベトナム。首都タンロンの技芸音楽学校に入学した少女は、カムという名を与えられ、宮廷の楽師となるために日々修行にする。 努力と才能を認められた彼女はみんなが憧れる宮廷楽団の入団がゆるされた。だが、その夜、勃発した兵乱で、学校も襲撃されてカムは命からがら逃げ延びる。その時、同じように逃げてきた家庭持ち若手官僚トー・ニューと出会い一夜を共にする。次の朝、互いに心を引かれながら別れるのだった・・・。

○ベトナムの宮廷や衣装を見事に再現してあった。情緒豊かな宮廷音楽付きの絵巻ものを見ているようだ。落ちぶれてしまっても美しいカムだが、楽器を奏でる音やリズムと指の運びにまったく気を使っていないのが残念!真似事でもいいから合わせてほしかった。

★鍋の食材に一生困らないね!90点趙夫人の地獄鍋』ジェームス・リー監督/マレーシア


「趙夫人の地獄鍋」マレーシア・2011

酒を飲んでは暴言、暴力をふるう父親が、妻の留守を狙って娘に手を出している現場を見てしまった母親は、積りに積った恨みから包丁で何回も刺し殺してしまう。 そこから始まる<マレーシアの家族経営の有名・土鍋カレー専門店主の母親と三人娘>の物語。

○会場前で「恐かったら、私、途中で出るからね」と誰かが言っているのが耳に入った。恐いの上等!血みどろ上等!なんでもござれの名古屋ばぁさんはもう抑えられないくらいワクワクしている。これは手際よい恐さ、癖になる(味も?いや、それはない!)恐さ、最後は辛い恐さ・・・これは公開する!と睨んだがどうかな。やっぱり<お食事はお家で>と、ちらっと思った。

★こんなことでと大人は言うが・・78点Bleak Night』ユン・ソンヒョン監督/韓国


「Bleak Night」韓国・2010

父親が息子・ギテの死の原因が何だったのか、親しくしていた高校生を訪ねてくるが2人とも当たり障りのない返答をしたりで、煮え切らない。真実はどこにあったのか、観ていくうちにおぼろげわかってくるが・・・。

○事件で死んだか、自殺かははっきりしないが、死んだギテとドンユン、ヒジュンの三人はいつも一緒だった。だが、男子独特の力の張り合いがあり、気が許せない雰囲気だ。 簡単にいうと、ギテは、自分が大将で、後の2人は従順な子分(親友)と思っているのだ。だが、ドンユン、ヒジュンは、それをうっとうしくて徐々に離れようとしていたのだ。親友と勝手に思い込んでいたギテの死の原因はここにあるのだが、こんなことで・・・と思わなくもない。
青春時代の死と孤独というデリケートな側面を描いていた。

★騙される奴が悪い?84点遠い帰郷』トン・ヨンシン監督/中国/2011年


「遠い帰郷」中国・2011

曹莉(ツァオ・リー)はシンセンでの商売がうまく行かなくなり、同郷の謝琴(シエ・チン)の狭い家の一室に間借りする。謝琴は上海で家政婦をしながら、娘の幸せを祈り生活している。 曹莉はカラオケ店で清掃の仕事を始めるがもっとお金を稼ぐにはどうしたらよいか考えていた。ちょうどその頃、春節の帰省ラッシュが始まる前で、廃車場に置いてあったボロボロのバスを無断で修理して、そのバスで忙しい旧正月の前にひと儲けしようと計画するグループに曹莉は入れてもらう。そして、出稼ぎ労働者たちを相手にチケットを売りつけるのだった・・・。

○上の写真を見るときれいな優しいおねえさんって感じだが、なかなかの女である。人を騙す、嘘をつく、なんて朝飯前。だが彼女にも、親切にしてくれた同郷の謝琴にも、人に言われぬ苦労がまつわり付いているのだ。そんな哀しみと人間模様がきめ細やかに描かれていた。

★大人は険悪、でも子らは85点僕はジダン』スーニー・ターラープルワーラー監督/インド


「僕はジダン」インド・2007

ムンバイの一画にあるゾロアスター教徒の人々が住む地区。サッカー選手のジダンが大好きで、「僕は小さなジダン」だというザークシーズは、空想好きの漫画が上手い兄と、「真実の庇護者」と称する宗教家の父クダーイージーとの3人家族。父クダーイージーはヒーリング・パワーで信者から献金をたくさん貰っていた。そんな彼を苦々しく思っているのが、ご近所の新聞社主のプレスワーラー。彼とその妻は、母親のいないザークシーズ兄弟を家族同様に可愛がってくれる。そんなある日、クダーイージーが組織した行動隊を、プレスワーラーの新聞が批判したのをきっかけに、クダーイージーの信者はプレスワーラーを激しく非難、新聞社は閉鎖寸前になってしまう。

○自称・小さなジダンのザークシーズ一家は変わり者一家で、対するプレスワーラー一家は常識&あふれる愛情一家だ。ほったらかしにされているザークシーズを本当に可愛がっていた。日本では考えられないが、嫌味もなく、こんな家庭なら来たくなるなぁと思った。
ザークシーズはお母さんがいないが、友達からは「いなくっていいねぇ」「うるさくなくっていいね」と羨ましがられていたのが面白い。

※ここに出てくる可愛い子役2人(ジダン君とプレスワーラーの娘)は監督さんの子どもたち!

★灼熱89点陽に灼けた道』ソンタルジャ監督/中国/2010年


「陽に灼けた道」中国・2010

結婚式を控えた青年ニマと彼の兄は、母を迎えに四つ辻でバスを待っていた。母親は街にいる娘を訪ねた帰りだった。兄はバイクの後部座席に母親を乗せて、その後からニマがトラクターで走っていた。だが、母の帯がバイクの車輪に絡まって母親は落ちてしまう。後ろから来たニマは、バイクから落ちた母親をトラクターで轢いて死なせてしまう。このことで、ニマは悲しみと自責の念にとらわれ、母親の血の混じった一握りの土とともに故郷と恋人を残し、ラサに巡礼の旅に出るのだった。

○ラサまでの巡礼は場所にもよるが、2年ほどかかるらしい。彼は巡礼の後も気持ちの整理がつかず、故郷の道の途中でバスを降りてしまう。そんな様子を見ていた老人が、このうつろな表情の青年が気がかりになり、この男を見届けようと2人の旅が始まるのだった。
広大なゴビ砂漠をバックに老人と話を交わす中で、青年は逃げていてはいけないと故郷に向かう。最後のシーン、彼の不在を物語る温かい終わり方だった。

★青年よ、しっかりせ~い!78点マジョリティ』セレン・ユジュ監督/トルコ


「マジョリティ」トルコ・2010

主人公はイスタンブールに住む21歳の男性。学校を中退して、父親の経営する会社を手伝っているが、いかにも仕事やっているふりしてパソコンでゲームをしている。だが、反抗するわけではない。ただ、何となく暮らしている。ハンバーガー屋のウェートレスと親しくなるが、グルド出身はダメと父親に反対されるとあっさりあきらめてしまう。

○どこかの国でも、ちょっと裕福な家庭にこんな若者多いんじゃないかな。見ていてイライラした。この母親がいつも寂しそうな顔つきで、いつも愚痴を言ってた。経済力のある旦那に威張られ、息子からはうるさがられ、立つ瀬のない母親がなんとも憐れだった。

★迷宮へ?92点浄土アニャン』パク・チャンギョン監督/韓国


「浄土アニャン」韓国・2010

ソウル近郊の都市、安養(アニャン)の文化ドキュメンタリーを製作する監督とスタッフを主人公とするドキュメンタリー。

  • 高麗時代、約1000年前にあった寺院・安養寺の発掘・保存について。
  • 「安養」の名称の意味。
  • その昔、安養の人々の心の支えであったといわれる<お婆さんの木>は存在したのか。
などを調べていくが・・・。

○まるで行き先のわからないミステリー・ツァーバスに乗っているようだった。不思議な映画だ。この映画祭で一番印象に残る作品。ソウルオリンピックが開催された1988年、安養の紡績工場で起こった不幸な火災事件が複雑にからみあってくるところから、わけがわからなくなる。自分がどんな映画を観ているの?と問いかけたくなった。もう一度是非観たい作品。

★お疲れ様でした88点ピノイ・サンデー』ウィ・ディン・ホー監督/台、日、比、仏


「ピノイ・サンデー」台、日、比、仏・2009

台北には毎年たくさんの外国人労働者が来る。二人の男(マヌエルとダド)はフィリピンから出稼ぎにきた男たちだ。彼らは寮に詰め込まれて生活し、工場の単純労働に携わっている。 マヌエルは甘いマスクの若者で女の子に目がない。かわいい!と思うとすぐアタックする。 一方、ダドはフィリピンに妻子があり、いつも心はフィリピンにいる家族のことを思っているが、家政婦をしているアナとつきあっている。
マヌエルにはほしい物があった。大きくゆったりとしたソファだ。それを寮の屋上に置いて、夜空を見ながらビールを飲むという考えだ。そんなマヌエルの前に思っていたとおりのソファーが現れて・・・。

○「ピノイ」とは、フィリピンの人たちが自分たちのことを愛情込めて呼ぶ言葉。そんな彼らのちょっと重い荷物付きで四苦八苦するロードムービー。 絶好の掘り出し物とウキウキするマヌエル、工場の寮の門限が気になるダド。お金を使えばすぐだったけど、お金がもったいないがために、目的地からどんどん遠ざかって行く。なんだか彼らの幸せまでが・・・。嫌、二人の本当に落ち着ける場所がどこかがわかったはずだ。

★シンガポールのディズニーラン度85点すばらしき大世界』ケルビン・トン監督/シンガポール


「すばらしき大世界」シンガポール・2010

シンガポールの「明珠写真館」の孫娘の阿敏(ミン/写真家希望で日本に留学予定)は、亡くなった写真館経営者であった祖母の遺品を整理していたが、数枚の残された写真に魅かれ、写真の人物に会いに行こうと思い立った。まず最初に、昔、写真館の職員だった偏屈な老人阿民(ベン)を訪ねると・・・。

○1940年代。映画の舞台「大世界」は、シンガポール初の三大アミューズメント・パークの一つ。その近くにある「明珠写真館」の写真を元にストーリーが展開する。 「大世界」の大きさは想像以上(なんとエリザベス・テーラーが来たんだから!)。 そんな中でいろんな恋の花が咲いて・・・、数枚の写真から紡ぎ出される思い出に、心を揺さぶられ作品。

★異国純愛度90点妻は、はるか日本に』アパルナ・セン監督/インド/2010年


「妻は、はるか日本に」インド・2010

ベンガル地方の田舎町に住むスネホモイは、日本人の女性ミヤゲと、たどたどしい英語を使ってペンフレンドになった。お互い相手を深く理解するまでになった。 ある日ミヤゲは、「いまは老いた母の面倒があるから、そちらに行けないが、いつかあなたと結婚したい」と告白した。スネホモイはよく考えて返事を送った。

○インドと日本の間で交わされる恋文の交換だけプラトニックな恋愛物語。心が洗われる作品ってこの映画のことだ!と新鮮な驚きと共に感動をあじわった。 ところどころ、これが日本?と思われるシーンや物があったが、インドの監督さんの目から見たらこうなんだと不思議には感じなかった。

★退屈さが伝染します83点冬休みの情景』リー・ホンチー監督/中国


「冬休みの情景」中国・2010

舞台は中国の北部、内モンゴルのある町。冬休み最後の日の男子中学生とその家族、ガールフレンドなどの一日がゆっくり静かに描かれている。

○会話が少ない、部屋の中は新築でかなり立派だが家具がほとんどない、表情がない・・・<ない>が三つもあるが、要点をついた面白い会話があった。

  • 男子中学生の彼女「勉強に支障が出るため、別れたい」
    男子中学生「同じ学校でずっと成績は後ろから一位じゃないか。お前みたいな普通の顔立ちで、頭の悪い女には僕しかいないのだ」
  • ソファーに座る小さい男の子はお爺ちゃんが外へ遊びに行かせてくれないので
    「僕はもうお爺ちゃんの孫をやめたい」
    お爺ちゃん「じゃ、私がお前の孫になる」と返事する。
いままで観た中国映画の貧乏、人情の押し付けのない珍しい作品だった。

(美)

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2011年9月第3週
2010/9/18 (Sun)

15日 「第12回東京フィルメックス」の記者会見へ。会場の映画美学校のある渋谷に早めに着いたので、トルコ料理「ヒラル」でランチ。数年前に両親を連れてきたことがあって、母が美味しい美味しいと言っていたのを思い出し、しみじみ。昼時で、サラリーマンらしき人たちも食べにきていて、トルコ料理も普通に受け入れられているなぁと、時の流れを感じました。

今年のフィルメックスでは、アミール・ナデリ監督の『CUT』がお披露目されるはずと楽しみに資料を開けたら、なんと、今回の審査員長はアミール・ナデリ監督! 東京フィルメックス ディレクターの林加奈子さんより、「毎年のように、まるで審査員のように映画をご覧になっている監督に審査員長をお願いしました」とのコメントがありました。いつも、スクリーンに穴が開きそうなくらい食い入るように映画を見つめている監督の姿を思い出して、思わず笑ってしまいました。

今年も盛りだくさんのプログラムが組まれている東京フィルメックス。11月が楽しみです。 詳細は、公式HPでどうぞ! http://www.filmex.net/
会期:2011年11月19日(土)-28日(日)
有楽町朝日ホール 他 にて


左から、林 加奈子(東京フィルメックス ディレクター)、
藤原敏史(『無人地帯』監督)、篠崎 誠(審査員/映画監督)、
市山尚三(東京フィルメックス プログラムディレクター)
※ クリックで拡大します

(咲)

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上京・映画三昧デー(9月12、13日)

名古屋から刺激を求めて、残暑の中、上京・・・。

刺激85度GOMORRA ゴモラ』マッテオ・ガッローネ監督/イタリア/10月公開

2年前、東京国際映画祭natural部門で『ビューティフル・カントリー』という皮肉な題の作品をみた。ゴミの不正投棄問題でゆれるイタリア、カンパニア州。政治介入すら許さないカモッラと呼ばれるマフィアのゴミ処理事業の現実を写し撮ったドキュメンタリーだ。ダイオキシン中毒で死んでゆく羊、野菜の育たない畑を耕す農夫、道ばたにはアスベストの不法投棄・・・。

ゴモラ』と聞いて怪獣ものかと勘違いした私だが、「カモッラ」ならよく知っていた。ナポリ南部に本拠があるカモッラだが、そこには一般人がすんでいるのか?と疑問に感じるくらい、皆なんかかんかカモッラにつながりがあるみたいだ。
  • カモッラ組織にどうしても入りたい少年トト
  • 組織末端企業に毎月給料を配達するドン・チーロ
  • 大学を出てやっと就職したところが、産業廃棄物処理会社のロベルト
  • 腕のいい仕立て職人で、内密に中国人の経営する縫製工場に指導にいくパスクワーレ
  • 組織の隠し場所から銃を盗み出した無謀な若者マルコとチーロ・・・。
この5つのストーリーが交差する中、すさまじい犯罪組織の内情を描いている。 難点としては同時進行のつなぎ方がちょっと分かりにくかった。 ナポリは世界に誇る名勝地、一度は行きたい国だが・・・。絵葉書だけにしておこうかな。


刺激58度(寝ちゃったし・・・)サヴァイヴィング ライフ ―夢は第二の人生―』ヤン・シュバンクマイエル監督/チェコ

平凡な中年サラリーマン・エフジェンの楽しみは寝ることくらい。ある日、夢の中でエフジェニエという若く美しい女性と出会う。その女性が気になった彼は、精神分析医のカウンセリングを受け、なんと自分の意思で夢の世界に入っていく方法を見つけるのだが・・・。

○『ルナシー』の監督さん。実写とアニメ、それに紙芝居のような造りで、現実と夢の世界の「二つの生活」を独特な気味悪さ?と皮肉で描いていた。 家には口うるさい古女房のミラダが、夫の行動を浮気だと思い後をつけるが、真実を知って夫の夢の中に入っていく・・・ク、ク、ク、ク、ここから眠ってしまった。目が覚めたら会場は明るかった。「あ~、どういう映画みてたっけ・・・」とボーっとした頭で夢から這いずり出てきた。


刺激92度(きったない便所臭込み)トレインスポッティング』ダニー・ボイル監督/イギリス/1996年

今回の上京は『GOMORRA』と『トレインスポッティング』の若いユアン・マクレガー見たさだった。だけど、(きったない便器に顔を突っ込んで薬を探す)シーンだったから引いてしまった。
ストーリーは麻薬常習者の若者たち(憎めないやつばかり)の日常と、薬をやめられない言い逃れや屁理屈などを、麻薬常習者の側にたって描かれている。約15年前のユアン・マクレガーも『ゴーストライター』のユアン・マクレガーも素敵だった。


刺激77度(織姫だから)ドーバーばばぁ~織姫たちの挑戦~』中島久枝監督

親の介護や家族の世話という日常を抱えながら、ドーバー海峡横断リレーに挑戦する54歳から67歳までの女性6人を、2年に渡り追ったドキュメンタリー。彼女たちのチャレンジまでの道のりを描いている。

○中年の方々のエネルギーがビシバシと伝わり、この映画を思い出すたびにエネルギーが蘇って来る作品。こんな元気になる作品をあいち国際で上映されたら・・・と悔しくなる。

※私なら無理してでもイギリス宿舎は、寝る時だけでもリラックスするため、個室にするがな。風邪をひいた方が完泳されたのでホッとした。他の方にうつらなくてよかった!それに、船酔いの克服も大事だなあ…。

※去年公開の『君を想って海をゆく』を思い出した。

恋人の待つロンドンを目指し、英仏海峡を泳いで密航しようとするクルド難民の少年と、彼に泳ぎを教える元水泳選手物語だ。これは一人で横断し、多分失敗に終わったと思う。
ドーバーばばぁー』の指導するコーチは単独成功経験者だ!すごい!


刺激82度(失敗しないか心配ばかりで・・)アクシデント』ソイ・チェン監督/ジョニー・トー製作/香港/10月8日公開

香港の繁華街。一台の車が故障して大渋滞になる。そんな中、ひとりの中年男性が、頭上のガラスが割れ、体全体に破片が刺さり・・・死ぬ。その男は黒社会の大物だった。 警察は事故死と発表するが、闇の仕事人、ブレイン、ふとっちょ、女、おやじの4人が仕組んだ「偶然装い殺人」だった。彼らは、注文のあった人物を完璧なトリックで事故死に見せかけて殺すグループ。次の仕事は、質屋の息子からの依頼で、質屋の経営権を握る父親。雨の夜に実行すると決めるが・・・。

計算されつくした計画の鮮やかなこと! 毎回こんなに運よく・・・という心配が現実になる。固い結束もちょっとした失敗を隠したことから疑心暗鬼になる。人が信用できなくなって心が乱れるルイス・クーの表情が痛々しい。太めの脇役ラム・シューが◎

(美)

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2011年9月第2週
2011/9/14 (Wed)

9月12日 レスリー・チャン生誕55年のこの日、母を荼毘にふしました。7月末に入院、意識朦朧ながら、ずいぶん頑張ってくれたのですが、9日の夕方、静かに旅立ちました。煙突を眺めながら(煙は見えなかった・・・)、2003年の4月に香港でレスリーが天に昇っていくのをずっと見守っていた友がいたことを思い出しました。9月12日は妹の誕生日でもあるのですが、2011年のこの日は決して忘れられない日になりました。

思えば私の映画好きは、父と母、両方の遺伝子を受け継いだもの。母と一緒に観た中で真っ先に思い出すのは、1974年秋、満員のフィルムセンターで通路に座って観たフランス映画『望郷』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1937年)。母はジャン・ギャバンが大好きとはしゃぎ、ずいぶん私と男の趣味が違うと思ったものですが、海に向かって急ぎ足で降りていくジャン・ギャバン演じるペペ・ル・モコの背景に映るアルジェのカスバに強く心惹かれたのを思い出します。

たくさんの花と大好きだったシャンソンや映画音楽で母をおくったのですが、生きている間に、もっともっと素敵なものを見せてあげたかったとほんとに心残りです。天国でジャン・ギャバンに会えてるといいな・・・


昭和23~4年頃の春先、神戸フラワーロードを同僚と歩く母
(神戸新聞に掲載された写真です。脇の車に注目を!)
※ クリックで拡大します

(咲)

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2011/9/11 (Sun)

セキララ日記(2011年あいち国際女性映画祭上映作品)

★『百合子、ダスヴィダーニヤ』浜野佐知監督/今秋公開

大正から昭和にかけて活躍したロシア文学者湯浅芳子と、作家宮本百合子の愛を描いた映画。2人は1924(大正13)年、知人の紹介で出会う。当時、芳子は雑誌の編集者、百合子はデビューして7年の作家。百合子は夫との関係が悪化していた。2人は議論を重ね、手紙のやりとりをするうち、互いにひかれ合っていく。

○大正時代、まだ「同性愛」「レズビアン」という言葉もなかった時代だが、女学校などではさかんにS(エス)という言葉でもって、女性同士の仲良しさんがいた時代でもあった。全編を通して主演女優の演技のつたなさと大杉漣のオーヴァーな表情、行動に驚く。聞こえてくる感想は「まるで学芸会・・・」「宮本百合子の中途半端な行動がわからない」など散々のものだった。
※ダスヴィダーニヤはロシア語でさようならの意味


★『明日はきっとよくなる』ドロタ・ケンジェジャフスカ監督/ポーランド、日本

ご存知、『僕のいない場所』『木漏れ日の家で』の監督さん。
ロシアで路上生活をしている三人の少年が、ポーランドへの密入国を企てる。少年たちは10歳ぐらいで一番幼い子は永久歯も生えそろわないから6,7歳だろう。少年たちはその日その日をなんとか生き延びて、国境を越えたが・・・。

○ドロタ・ケンジェジャフスカ監督だからとっても期待した。しかし最年少の男の子の演技過剰でげんなり。最後に救いもない。何人かの方に「選んで間違いのない監督さんだから前売りを是非、なんていってしまった・・・。


★『2lines 私、妊娠しました』ジ・ミン/韓国

2linesとは、妊娠検査薬で妊娠していたら紙に2本の赤い線が浮き出ることからつけたのだと思う。 同棲中に妊娠した韓国のジ・ミン監督が自分の体験、周囲の人々へのインタビューを通して、結婚制度に向き合うドキュメンタリー映画。

○韓国の家族・親戚の付き合いの結びつきは日本の比ではない。このカップルは同棲(同棲は韓国社会ではどんなレベルの普及率か?も知りたい)をしていて、妊娠となるのだが、どうも「私たちは他の人とは違うのよ」というポーズがあって、確固たる姿勢を感じなかった。子は生まれたが、病気のため籍をいれないと医療代が出ないと聞き、決断早く二人は結婚した(籍を入れた)が、「それ見たことか、おばさんの予想どおり!」と一人つぶやいた。これが韓国でなんかの賞を取ったというが・・・それほどの作品ではない。


★『私の少女時代』チャオ・ホイリー、フェン・ゼンジ監督/中国

幼いときから、下肢が麻痺している少女ファンダンはベッドのそばの窓辺で本を読んでいたら、木の下でアコーディオンを弾く少年リジャンと目があう。しだいに言葉を交わすようになり、愛を語り合うまでになったが、ファンダンの父母は政治思想で刑務所に入れられてしまい、リジャンは下放される。その後刑務所から出てきた両親とファンダンも下方され田舎で生活する。苦しい生活の中でも、針灸の研究するファンダン。リジャンとは手紙で愛の確認をするのだった・・・。

○これは実話を基に作られた作品で主人公2人はとっても好感もてた。しかし、この時代の下放生活にしては、きれい事に始終していて、「え~、こんなことその当時できたの?」と思いながら観てしまった。


★『ヘアドレッサー』ドリス・デリエ監督/ドイツ

あ~、良かった! この作品でいちゃもん評もいっときお休みできる。
ヘアドレッサーのカティはセンスも技術も確かで美容院に勤めようと面接をうけるが、超が10個くらい付くおデブなために、いつもことわられてしまう。こうなったら、自分の店を持つしかないと奔走するが・・・。

体形のことは言えた義理じゃないが、とっても可愛い顔で手もきれいなのに、身体がすごい。家に帰り洋服を脱ぎ、ブラジャーを取ると、ボロン、嫌、ゴロンとスイカが2個!(大袈裟に言ってないよ)。でもそんなのにはあまり悩んでいないみたい。
思春期の娘のことや、店を出すお金のことが第一の心配ごと。そのお金のために彼女は危険な仕事を請け負うのだが・・・。これは公開されると確信してるから言えるのはココマデ。観た方が「映画では、これがきっと一番ね」と私にささやいてくれた。
※紹介写真が良くないので、何も知らない方だったら選ばないかも。


★『山川菊枝の思想と活動 姉妹よ、まずかく疑うことを習え』山上千恵子監督

女性開放の先駆者の一人である山川菊枝は、平塚らいてうや与謝野晶子との間で母性保護論争を繰り広げ、注目を集めた。その彼女の生涯を生前を知る人々の語りで、彼女の思いを浮かび上がらせたドキュメンタリー。

○映画が終わるとトークがあったが、三分の一の人が明るくなるか、ならないかで立ち上がり会場を出た。観客は正直である。インタビューの羅列、家族の当たりさわりないエピソード、編集の平板さ、作り手の情熱が感じられなかった。


★『さようならUR』早川由美子監督

耐震性不足を理由に取り壊しが決まったUR(旧住宅公団)日野市・高幡台団地73号棟。 数年前に耐震改修をすると知らせていたが、突然方針を転換。 背景にあるのは民営化なのか。偶然にこの問題を知った監督は、団地に住む反対派の人々の暮らしに密着。住宅問題にかかわる専門家、UR、国交省と取材する中で、地震国日本の公共住宅の将来を考えていくドキュメンタリー。

○的確な検証力でぐいぐいと引っ張って行くドキュメンタリー。
耐震性診断で危ない建物と言われ、私も名古屋の繁華街の公団アパートを、20年前に追い出された経験があるので興味津々だった。騙された口かもしれない!とふつふつと怒りがわいて来た。
その公団アパートは名古屋駅と栄町の真ん中にあり、地下鉄から3分の便利なところで2DKで家賃は安かったはず。(もう覚えていないが4万円くらい)名門小中学校区域で人気の地域だった。こんなこと知っていたら戦ったかな?と考えたが、多分監督さんみたいにはなれなかったろう。 山形ドキュメンタリーでも上映されるが、都内でも上映するので是非どうぞ。

さようならUR
●2011年9月28日(水) 東京・日野市
会場 日野市中央公民館高幡台分室 時間 14:00~ 入場料 500円
アクセス 東京都日野市程久保550教育センター内
上映の後には監督トークがあります。
主催:高幡台団地73号棟に住み続けたい住民の会

●2011年10月2日(日) 東京・武蔵野市
会場 武蔵野公会堂・第2会議室 時間 15:00~ 入場料 500円
アクセス 東京都武蔵野市吉祥寺南町1-6-22
上映後に監督によるトークがあります。
主催:早川由美子の映画を観る会


★『牛と一緒に7泊8日』イム・スルレ監督/韓国

農家の40歳・独身息子ソンホは、両親の反対を振り切り、重要な働き手の牛を売りに行く。すぐ売れると思っていたが、なかなかうまく行かず、牛をあっちこちと連れ歩いている途中、彼の高校時代の親友の死を知る。親友の妻は彼のかつての恋人であり、彼女からの連絡で動揺する。

○いままでのテンポの良いイム・スルレ監督の作風から180度変わり、のんびり自分の過去を振り返りながらのロードムービー。男って40歳になっても思考は高校生の時とあまり変わってないみたいだ。反対に元彼女は、いろんなことがあったんだろうなぁと感じさせる大人の女になっている。同じ40歳でもなんだか話している語彙からも、親子ほどの差を見せてくれた。それがまったく嫌味な感じではなく、田舎風景の中、牛を道連れに自分のいるべき場所に戻っていく結末は心地良かった。牛の鈴音』の牛と比べるわけにはいかないが、つやつやとした体格の良い牛だ。表情もあり、結構高い出演料の俳優牛だとか。40歳元恋人同士の俳優さんがすごい美男美女でないところもよかった。


★『ブッダ・マウンテン』リー・ユー監督/中国

一人息子を事故で失い、生きる希望も人生の意味も見失った元京劇の歌手チャン先生。そんな彼女が、若者ディン・ボーと2人の仲間と同居。若者3人はチャンの苦い人生を知る。

○結末のチャンの選択は若者たちにどう影響をあたえたか心配だった。いちばん衝撃を受けたのは、四川大地震の様子を映した場面だった。
あいち国際では愛知県に一時避難している方たちを、無料で招待されていたが、この作品のこの場面を観てどう感じたか・・・。
※シルヴィア・チャンの老け顔に味があった。でぶっちょの男の子表情がとても◎
※四川の風景、列車の使い方が見事。


★『テンバ 希望の少年』ステファニー・シチョルト監督/ドイツ、南アフリカ

南アフリカ代表選手を夢見るサッカー少年テンバは、父親が4年前家族を捨てて、母親は生活のために出稼ぎに出ることになった。テンバは妹と2人で、母親の付き合っている男性に預けられるが、ある晩、悲劇が彼を襲う・・。

○軽快な音楽の中、少年たちの鮮やかな足さばきに見取れていたが、次に、顔を白塗りした<青年から大人にになるための割礼の儀式>を見たとき、エイズを描こうとしているなと直感した。中国の売血、南アフリカの割礼はエイズ蔓延の元凶。
案の定、貧しい彼の家はその災いに巻き込まれていく。でもそれも乗り越えていくテンバ。話はでき過ぎじゃないか?と感想を述べてくれた方がいたが、私は母がテンバと妹に、よく本を読み聞かせしていたシーンを思い出した。このときに培われた力が彼を災難の中に於いても希望を捨てなかった要因があるんじゃないかな・・・と思った。


悲しみのミルク』『沈黙の春を生きて』『ツイステッド・ルーツ』は既に観ていた作品。3本とも地味だが、とっても訴える力のある作品ばかり。知り合いにはどんどんオススメしたが、平らな場所で椅子も悪いホールでの上映。このホールでと聞いただけで「あそこは椅子が悪いから腰の痛い私はダメ」と言われる方もいた。 でも観ていただいた方々は満足な様子だった。

(美)

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2011年9月第1週
2011/9/4(Sun)

yahoo japan のトップページのニュースに“西島秀俊&常盤貴子、ベネチア映画祭で10分間の拍手喝采に「感無量」”を見つけ、おぉ~『CUT』が好評だったみたいと嬉しくなりました。監督はイラン出身のアミール・ナデリ。東京フィルメックスの常連で、一昨年もその前にも、ナデリ監督の姿を見つけて思わず駆け寄って挨拶したら、いつも隣で西島秀俊さんが微笑んでいたほど、お二人は仲良し。去年の東京フィルメックスのオープニングの日にナデリ監督にお会いした時には、「いい映画が出来たよ! 来年(2011年)上映するから楽しみにしてて!」とおっしゃっていたのでした。でも、ナデリ監督の作品には、『駆ける少年』以来、いつも忍耐を強いられていて、さてはて、『CUT』はどんな作品なのやら。ま、西島秀俊さんの顔を見ていれば、それだけで幸せな気分で最後まで耐えられそう! 
ちなみに、“CUT”は、ナデリ監督がいつもスピーチの最後を締める言葉。それをタイトルにしたのですから、思い入れもひとしおと感じます。

CUT
兄からお金を借りて映画を制作する売れない映画監督(西島秀俊)が、その兄が亡くなり、ヤクザから多額の借金をしていてくれていたことを知り、自分を責めながらも「殴られ屋」として借金返済をする物語。常盤貴子は、主人公を支えるヒロインで、ヤクザの組員相手にバーテンダーとして働く夜の女を演じているそうです。(常磐貴子というと、どうしても『もういちど逢いたくて ~星月童話~』でのレスリー・チャンとの共演を思い出して、心穏やかでない私!)
12月、シネマート新宿、シネマート心斎橋ほか全国順次ロードショー

余談! 8月の夏コミケで、「気になる監督さんはいますか~?」との問いかけに、「アミール・ナデリ監督」と答えた女性の方がいて、思わず「イラン映画がお好きですか?」と聞いたら、「西島秀俊さんを主人公に映画を撮られたので・・・」と。ナデリ監督のことなら、どんなことでも知りたいとおっしゃって、東京フィルメックスでナデリ監督のことを書いた号をお買い求めくださいました。ありがたや~ (西島さんに感謝!) 


アミール・ナデリ監督@東京フィルメックス2010

(咲)

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2011年8月第4週
2011/8/28 (Sun)

21日(日)史実を守る映画祭実行委員会主催で『南京!南京!』の上映会が開かれると(暁)さんからお誘いいただいて、これは何がなんでも観たい!と、なかのZERO小ホールへ。
(暁)さんは、劉燁(リウ・イェ)が出ているので私の顔がすぐに思い浮かんで声をかけてくれた次第。でも、リウ・イェちゃんは言葉も少なく、途中で死んでしまいます。彼じゃなくてもいい役かなと思ったら、実は彼の隣にいつもいる少年兵がポイント。あんな子どもも兵士?とびっくりしますが、これも陸川監督が写真で見た少年兵がモデルだと資料で知りました。

上映後、この上映会のためにだけ1泊2日で来日された陸川監督のトークショーが行われました。(特別記事で報告します!) 1937年の南京で何が起きたのか、監督は日本人の残した数多くの写真や日記・手紙を丹念に検証して映画を製作。鬼として描かれることの多い日本兵の人間的な面を描いて、中国で公開された時には賛否両論だったそうです。日本で未公開の本作、監督は日本人にぜひ観てもらって色々な捉え方をして欲しい作品とトークを終えました。命令に従わざるをえない兵士たちは、加害者であると同時に、彼らもまた戦争の被害者であることをずっしり感じさせてくれた作品。ぜひ日本での公開実現を!


    『南京! 南京!』上映会                陸川監督    
(撮影:宮崎暁美)
※ クリックで拡大します

26日(金)イタリア映画『やがて来たる者へ』(10月22日公開)の試写。第二次世界大戦の末期、イタリアの山村でパルチザンがこの中にいるからと女子どもも含む村人がナチスドイツ軍に虐殺された実話を元にした作品。村人たちと若いドイツ兵(美形もいる!)が美味しそうにパンを一緒に食べる場面もあって、本作でも兵士も人間だという側面が描かれていました。そして、『南京!南京!』も『やがて来たる者へ』も、民間人の中に兵士が混じっていることを理由に攻撃が正当化され、民間人が犠牲になる構図。(そも、兵士なら殺していいというルールも悲しい・・)


『やがて来たる者へ』10月22日、岩波ホールほか全国順次公開

同じ26日に観た『孔子の教え』(10月公開予定)では、チョウ・ユンファ演じる孔子様が、お互い礼を持って他者に接すれば皆が平和に暮らせる社会になると一生懸命説きますが、支配欲の強い人たちは武力で征しようとします。火達磨になる兵士たちの姿をみて、一握りの権力者のために犠牲になるなんて、たまったものじゃないなぁと悲しくなりました。理想の世界が実現しないことを憂う孔子様をチョウ・ユンファが体現していました。


『孔子の教え』10月、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー

孔子の教え』の試写の後、突然の大雨の中、ホテル西洋銀座へ。(入口にタオルが置いてあって、さすが高級ホテル!と感激) 『親愛なるきみへ』(9月23日公開)のラッセ・ハルストレム監督にインタビュー。本作で私が一番気になった場面が、従軍している主人公が任期満了目前に、9.11事件が起こり、除隊できない雰囲気になってしまうところ。決して皆が内心では闘いたいわけではないのに、それが言えない状況になって戦争がこの世からなくならないことを感じました。このことについてお伺いしたのですが、監督としては、本作では戦争はあくまで背景にあるもので、描きたかったのは、恋愛や父と息子の関係とのことでした。アメリカで大ヒットした本作、もう少し反戦メッセージを押し出して欲しかったとちょっと残念。


『親愛なるきみへ』について気さくにお話くださったラッセ・ハルストレム監督
※ クリックで拡大します

さて、猛烈に暑かったり、涼しくなったりの8月もあっという間に終わりですね。そして、いよいよ秋の映画祭の季節に突入! 身体がいくつも欲しくなる時期です。(咲)

(咲)

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8月27日(土曜)
今日は京都にドキュメンタリー2作品を観に青春切符で出発。 京都駅から地下鉄で約15分の「三条京阪」でおりて徒歩5分。 京都・東山いきいき市民活動センターは名前は勇ましいが古い集会場。 スリッパにはきかえて会場につくと、広い部屋に椅子が6、7個並べてあり、入口に車椅子の方が一人受付されていた。この方が主催者の方だった。 前日に電話予約した時の名前を覚えていてくださった。 少し時間があったので入口にチラシを貼ったり、椅子を少し並べ替えたりして、お手伝いさせていただいた。観客は私を入れて椅子の数ぐらい・・。


女と孤児と虎』ジェーン・ジン・カイスン監督/韓国/今年の山形ドキュメンタリーにて上映

韓国から欧米諸国へ海外養子として海を渡った子どもたちは、1950年代から今日に至るまで約20万人と言われている。海外養子や在日コリアン、朝鮮半島にルーツを持ちながら世界各地に散らばっている人々を<コリアン・ディアスポロ>と呼ばれている。 コリアン系デンマーク人である監督は、アーティスト、研究者、運動家、などとして世界で活躍する韓国系ディアスポロ女性の語りを通して、世代や民族を越えるフェミニストの視点から海外養子の<遺産>を検証している。

○海外養子を生み出した韓国社会の背景と、それをビジネスにした現実を描き出していた。
一番辛いことは、いまでもこの話題は韓国では避けられていて、養子縁組もまだ続けられているということだ。 監督は自分の実の母に20の質問をぶつけている。
「養子に出したことを後悔したことはありますか」「私が帰ってきたら迷惑ですか」などの質問だが、返事は撮られてなかった。問題提起はよかったが、もう少し奥深く探ってほしいと思った。

※ 海外養子といえば『冬の小鳥』をすぐ思いだす。
※ 原題は『旅人』だったが、「どこへ行っても宙ぶらりんの旅人みたいだった・・・」とジェーン・ジン・カイスン監督が語っていたのを聞いて原題の深い意味を感じた。


NOGADA-土方』キム・ミレ監督/韓国/89分/2005年/2年前の山形ドキュメンタリーで上映された『外泊』の監督作品

キム・ミレ監督のお父さんは工事現場で働く型枠大工だが、外為危機が始まった1997年の冬、父は生活の危機に直面した。面子がたたない父は突然「家を出て野宿者になる」と言い出した。監督はショックを受け、このドキュメンタリーを撮り出した。

○韓国と日本の工事現場と食い詰めた者が集まる場所を交互に映し出し、非正規雇用労働の現場の現実の仕組みを教えてくれた。国が違ってもピラミッドの構図は同じだ。
外泊』と同様キム・ミレ監督の熱いまなざしを感じた作品だった。

※ 悪名高い名古屋の建設会社の名前が飛び出してきたので驚いた。
※ NOGADAは日本語の土方。日本の植民地支配の時から今に至るまで、工事現場で肉体労働する人を意味する言葉となっている。


映画を観て終わってぶらぶら歩いていたら、路地の角に小さくて古い「お風呂」を見つけた。常に手ぬぐいを持ち歩いているので立ち寄ってみた。


  京都風の銭湯                     番台    

(美)

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2011年8月第3週
2011/8/21(Sun)

ぐっと涼しくなって、あの暑さはどこへやらですが、猛烈に暑かった18日、香港映画『密告・者』の試写へ。昨年、東京フィルメックスで上映された時に、高校の同級生からの飲み会の誘いになびいて、後ろ髪を引かれる思いで観るのを諦めた作品なのですが、無事公開されることになりました。ホッ!(10月29日より新宿武蔵野館ほか全国順次公開)
密告者(情報屋)に仕立てられる若者役ニコラス・ツェー、警察の敏腕捜査官役ニック・チョン、台湾から舞い戻ってきた凶悪強盗役のルー・イーと、その恋人役のグイ・ルンメイ。皆、言葉少なながら、眼の演技が光ってました。ニコラスとグイ・ルンメイが逃げ込む通路がないくらいぎっしり店がひしめく市場や、二人が潜む空き部屋のある集落など、あ~まだこういう場所も残っていたんだと感慨深いものがありました。ロケ地はどこ?と興味津々。かつて、『アンディ・ラウのスター伝説(原題:天長地久)』を観て、思わず訪ねた国民党の部落・調景嶺も香港返還前に取り壊されてしまいました。今度香港に行ったら、またあちこち古い市場や町並みを歩いてみたいなぁ~
それにしても、この日の試写室は冷凍庫のようで、皆、震え上がってました。思えば、これもかつての香港のよう! 返還前の香港は、今よりも冷房が半端じゃなくきつくて、ビルに入る前にカーディガンを羽織ったものですが、女人街のはずれの映画館で、それでも寒くて、持っていたビニールの大袋まで被って観たのを思い出しました。半袖で平気な香港人から見たら、すごく変な日本人だったかも。
このところ香港映画の公開がまた少し続いて嬉しいなと、検索してみたら、『アクシデント(意外)』も10月8日から公開されるのですね。これも、北角の春秧街付近が舞台の作品で、トラムが市場の合間すれすれを走っていたかつての街並みが懐かしいところです。(咲)
 


2010年11月に訪れた西湾河の市場
※ クリックで拡大します

(咲)

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8月第2~3週
お盆は東京で<三大映画祭(カンヌ・ベルリン・ヴェネツィア)受賞の9作品> (特別記事と新作紹介に掲載)や、地元名古屋で、まだ上映されていないのを暑さに負けず観まくりました。

でも失敗もありました。家庭内ですが


横浜パトロン「おい、仏壇の供え物の寿司あるから、食べたいなら食べろよ」
出張家政婦「ありがとう。モグモグ、モグモグ・・・完食!」
翌朝
横浜パトロン「なんで仏壇のを食べた?」
出張家政婦「えぇっ、食べていいって言ったよ」
横浜パトロン「違う、仏壇の供え物の残りの寿司があるから食べろよと言ったんだ」
出張家政婦「長く置いておくと腐るから、仏壇のを食べるのかと思った。ごめんなさい、ごめんなさい・・・」(謝るのが得意)
横浜パトロン「線香の一本でもあげる気ないのか?」
出張家政婦「夜だったから線香は火事になるかと思ってしなかったけど、ちゃんと拝んだよ」(嘘も得意)
横浜パトロンは言うまでもなくマイ・ハズバンド(もうすぐ80歳)
出張家政婦は月2回掃除に(映画目的)はせ参じる名古屋妻(64歳)

こんな変な話してすみません。
ここからは真面目に。

下記の作品は、今、現在東京で観たドキュメンタリー3題です。 3題とも戦争にかかわりのある作品でした。

★『かすかな光へ』森康行監督

1918年生まれ93歳で、現在も現役の教育研究者として精力的に活動している大田堯のドキュメンタリー。 三部作になっている。

「挫折したストーリー」 一兵卒として体験した戦争。
36時間の漂流、ジャングル生活、知恵と生きる力を身につけた農民兵、漁民兵との出会いによって、生活するうえでの無力さを感じた。

「再生へ」敗戦直後、さまざまな職業の住民参加の中で取り組む。
“民衆の学校”づくりとその挫折。そして、自ら働く人たちのなかに飛び込んで行き、 共同学習でめぐり合った「不良青年」と初めて心と心が通った感動を体験する。

「無縁社会と呼ばれるなかで」社会も教育の姿もガラリと変わった高度経済成長時代。
自然の摂理にそった生命あるものの絆の再生をめざす。

○この老教授の一言、一言が納得できた。
 「今でも、勉強なさってますが、何を学んでいますか」の質問に「自分の無知さを学んでいる」と答えていた。忘れられない言葉だ。


★『はだしのゲンが見たヒロシマ』石田優子監督

「はだしのゲン」の作者・中沢啓治が6歳の時に広島の原爆投下、父・姉・弟を亡くし、 被爆直後に生まれた妹も4ヶ月で亡くなった。 漫画家として活動を始めてしばらくして、原爆病院に長年入院していた母が亡くなる。 火葬した骨は粉々に砕け、ほとんど残っていなかった。 それまでは被爆者差別もあり“原爆”から逃げていたが、 母の死をきっかけに原爆をテーマにした漫画「黒い雨にうたれて」を描き上げた。 その後、少年ジャンプの編集者との出会いから「はだしのゲン」が生まれる。
自らの体験を「ゲン」として描いた。被爆のシーンを描写することに自身が苦しみ悩みながらも
「体験した者にしか描けないことがある、それを読者に届けないと本当のことが分からない」
と書き続けた。
「文章だと読みづらい子でも、漫画なら素直に入っていく。 子どもたちに、素直に戦争反対の気持ちが伝えられたら作者冥利につきます」
と語っていた。

※「はだしのゲン」の作者・中沢啓治が、広島の思い出の土地を歩きながら、 原爆投下直後の証言をして歩く姿は、貴重な原画とともに決して忘れてはならないと感じた。


★『ワンヴォイス~ハワイの心を歌にのせて~』リゼット・マリー・フラナリー監督/アメリカ

ハワイアンの血を引く生徒たちが通う名門私立校・カメハメハ・スクールで毎年行われている 「ハワイアン・スクール・ソング・コンテスト」と呼ばれる合唱コンクールを舞台に、「ハワイアン」としての自覚を確立していく生徒の姿を追ったドキュメンタリー。

○シネマ・ジャーナルの作品紹介で(白)さんの評を読んですごく観たくなった。
歌を通してハワイ語、島の歴史と伝統を身につけさせようと約90年前から行われている合唱祭だ。 各学年や声別のグループの指導者・指揮者になるのはとっても名誉なことのようだ。 声は頭声ではなく、腹にずしりと来る南国独特な声に聴こえた。 それが大きな会場で、たくさんの生徒が歌う声が一つになる時、感動が押し寄せてきた。

(美)

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2011年8月第2週
2011/8/14(Sun)

8月13日(土曜)
わぁ~い!いよいよコミケの日。
横浜を朝6時前に出て、新橋までスイスイとなんのアクシデントもなしで行った。
もう四回目だからなぁと、少しいい気分でいたら、二日前から預けっぱなしのロッカーの位置が見当たらない。 確か花屋さんの横と覚えていたが、早朝なので花屋はやってなくてわからない。 改札までもどり駅員さんに聞く。 やっとみつけてお金を入れるがなかなかお金が入らない…。 慌てない、慌てないと呪文を唱えて番号を確かめる。 合ってる!なぜ? 注意書きをよく読む。 あっ、鍵をさしてからお金だ!知らなんだ…。 ロッカールームについてからここまで7分。

新橋からゆりかもめ。 人波にのまれる前に、例年どおりスタバでコーヒータイム。

ゆりかもめで奇跡的に座れ(年配者配慮でかな?)、朝の日差しを浴びながらビックサイトへ。

シネジャのスペース<西ぬ-20-b >に着く。 早速お隣り出店さんたちにご挨拶。 そうこうしているうちに係員の方が回ってこられて、販売するシネジャの確認(内容もざっと読んで調べる)や注意事項を聞く。

「昨日、熱中症で17人の方が救護されましたから、気分が悪くなる前に言って来てください」と私を見て言う…。
「はい、わかりました。ご苦労様です」と素直な私。

いよいよ開場。
始めのうちは両側の映画関係出店の売れ行きがよかったので、ちょっぴり落ち込む…。
これじゃいけない…策を練った。 私が客のふりをして見本を読んでいた。 すると、一人立ち止まってくださり、S店長とお話している。まだまだ知らん顔の私だが、お買い上げ! 心のなかで「ありがとうございました」と参拝九拝。 そこからは先回並の出足だった。

このビックサイト・コミケは正直、癖になる雰囲気。 それに入場無料で、売ってる値段も物にもよるが100、150円。 是非、皆様も今年の年末や来年お盆にお起こしくださいませ。 って、もうやる気になっている…(美)副店長。

※助っ人さま、ありがとうございました。
※私好みの常連青年に会えなかった。
※「80歳のおばあちゃん迷大人」会場アナウンスに驚く…見つかっただろうか。



(美)

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12日の夜、夏コミケの準備をしていたら、仙台のお友達から「5ヶ月経って、街の中は何もなかった様ですが、映画館が全館復帰していないので、少しモンモンしています」とメールがありました。そうっか~ 映画館、全く営業していないんだ・・・と、被災地の現実をそんな面からも知って、ちょっとショックでした。

そして、13日。8時過ぎに東京ビッグサイトに着くと、もう駅から会場までびっしりの人、人、人・・・ 例年と変わらない夏コミケの光景だけれど、きっとこの中にはいろんな思いを抱えた人たちがいるのだろうなぁ~と思いながら、出展場所へ。名古屋の(美)さんはすでに到着して、両隣のサークルの方たちと、さっそく親しくおしゃべり中。長机半分のスペースに、最新号やバックナンバーを陳列して開店準備を終え、両隣の方たちの映画本を見せてもらったり、最近観た映画の話をしたりするうちに開場! 残念ながらすぐに人が殺到してくださるようなことはないのですが、時々目を留めてくださる方と映画談義。10年前頃のバックナンバーのコーナーを見て「10年前と言っても、2000年代なんですね」と言われ、あ~時の経つのは早いなぁと。お昼頃、読者のNさんがいらしてくださったので席を譲り、去年の冬コミケで知り合ったトルコのオヌルさんのところへトルコ映画の監督さんインタビュー掲載号を持って慰問。ホールを抜けていったら、お昼を過ぎても、どんどん人が入ってくるのでびっくり。この暑いのに、皆、熱い! (暁)さんが忙しい中駆けつけてくれた3時頃には、隣の方が店じまいしたので、お隣の椅子2つを借りて4人でおしゃべり。こんな時間もコミケの楽しみ。毎回新刊を買ってくださる方に、「また出てくださいね」と励まされ、冬コミケの申込書を買ってしまいました。当選したら、また参加しますので、ぜひ皆さん、からかいにいらしてください。 夏コミケでお買い求めくださった皆さま、覗いてくださった皆さま、ほんとうにありがとうございました。


トルコにおける日本アニメ漫画史やトルコ人アニメ声優インタビューなどが掲載されています

(咲)

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2011年8月第1週
2011/8/7(Sun)

3日 有楽町で『アジョシ』を観るつもりで移動中に、暁さんから『シャンハイ』の試写に向かっていますとのメール。そうだった! チョウ・ユンファが貫禄と聞かされていたのを思い出し、急遽行き先を六本木に変更。久しぶりに会う暁さんとおしゃべりして、予備知識のないまま『シャンハイ』を拝見。主人公は米国諜報員。あ~なんだ、アメリカ人が主役の物語だったのかと思いつつ、1941年の上海の雰囲気はさもありなんと感じられる作品を楽しみました。エンドクレジットで「writer Hossein Amini」とあって、目が止まってしまいました。どうみてもイラン人っぽい名前! 明るくなって資料を見たら、「1966年、イラン生まれ。イギリスで最も人気のある脚本家の一人」とありました。『サハラに舞う羽根』『鳩の翼』などもホセイン・アミニの脚本。(あ~勉強不足!)


『シャンハイ』

さて、シネマート六本木から表通り出たところの角に、トルコ料理屋さんがまた1軒オープンしました。もともと角から2軒目に老舗「アナトリア」の支店があったのですが、1~2年前に曲がり角の手前に「カデル」が出来て、こんなに近くに?と思っていたら、この二つの店の間に「デニズ」がオープン。トルコ料理屋さんが3軒並んで、イスタンブルの街角にいる気分! ちょっと嬉しい光景です。

ところで、昨年末の冬コミケの時に偶然知り合ったトルコ人のオヌルさんから、「夏コミケに参加します」とメールをいただきました。トルコにおける日本アニメ漫画の世界を紹介する本(日本語)を出品されるとのことです。8/13(土)「西え35b」サークル名「ウラル・アルタイ組」とのお知らせに、おぉ~シネジャも同じ日、同じ西ブロック!と嬉しくなりました。気がついたら、もう夏コミケは1週間後なのですね。
今回も、名古屋の(美)さんが自称副店長(ほんとは店長!)として馳せ参じます。年間600本以上映画を観ているツワモノです。ジャンルもなんでもござれ。ぜひ、映画談義をしにシネジャのブースにお立ち寄りください! 特別付録も色々用意してお待ちしております。

◆夏コミケ
日時:8月13日(土曜日)10時~16時
場所:東京国際展示場(東京ビッグサイト)
シネマジャーナルの配置場所: 西地区“ぬ”ブロック-20b

★シネジャ予約も受付けています! 詳細は、トップページをご覧ください。

(咲)

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2011年7月第5週
2011/7/31(Sun)

25日(月)『僕たちのバイシクル・ロード ~7大陸900日~』というドキュメンタリー映画の試写へ。大学を卒業したばかりのイギリスの青年ジェイミーとベンが、社会に出る前にと、海路と自転車で7大陸を走破した記録。以前、自転車でシルクロードを走る旅を続けているグループの報告映像で、延々1時間半、自転車で走る姿を見せられ、背景の風景を楽しみにしていたのにがっかりしたことがありました。この映画は、撮影した約30時間を94分に編集。道中の出来事や心境、出会った人のこと、雄大な風景など、テンポよくまとめてありました。
ヨーロッパからアジアを駆け抜けオーストラリアのメルボルンに到着したところで資金が底をついてきた彼らは、それまでの旅を小冊子にまとめて街頭で販売。半年で1万部を売るという快挙。7大陸制覇の目的に向かって再出発。南極にはチリから行こうと思っていたけれど、オーストラリアからも行けるはずと船をヒッチハイク。途中の島のペンギンやゾウアザラシの可愛いこと!(見に行きたいけど、さすがに遠い・・・)
旅の後半、南米からアフリカ大陸モロッコに上陸してからイギリスに帰国するまでは省略しすぎで、もう少し見せて欲しかったと思うほど。全編、自分達の作曲・演奏によるアコースティック・ギターの心地よい音楽で彩り、ナレーションは『E.T.』で科学者役を務めた名優ピーター・コヨーテに依頼。世界に売れる映画に仕立てたところが凄いです。社会に出る前の旅をベースにしっかり自分の進むべき道を見つけた二人ですが、私の友達の息子さんは、30半ばまで一生懸命働いてお金を貯めてから夢だった世界放浪の旅へ。1年以上南米を放浪した後、先日南極に行き、今はヨーロッパを放浪中。母親としては、いつ帰って来てくれるのか、無事に過ごしているのかと心配が絶えないようですが、夢を諦めなかった彼に励まされます。いつまでも夢を追いかけるのを忘れないで過ごしたいものだなぁ~と思うのですが、今や夢がなんだったかも忘れそう!


『僕たちのバイシクル・ロード ~7大陸900日~』
11月3日(祝・木)より東京都写真美術館ホール、銀座シネパトスにてロードショー

(咲)

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7月29日(金曜)

今日は一枚の青春切符で大阪(日帰り)へ。

病院にお見舞がメインだが、『黄色い星の子供たち』『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』(名古屋ではまだやってない・・・)を観てきた。
いままで大阪へは、年2回の映画祭(大阪アジアンと大阪ヨーロッパ)に行き、コリアタウンの鶴橋と映画祭会場の周りだけしか、街の雰囲気しらなかったが、今回は梅田周辺をうろうろした。

デパートの展示の仕方が東京よりセンスがいいみたいだ。東京は後方にメインを置き敷居が高い感じだが、大阪は前面に出している。
私の住んでいる名古屋はその二つでもなく、「これが東京風だにぃ~」とおもっているが、やっぱり名古屋。ちょっと懐具合がいい田舎人がみた東京風。(これも捨てがたい魅力だが)

食べ物屋(イタリアンと寿司の2軒)は圧倒的にイタリアンが多い。高くて不味くて愛想なし・・・。名古屋ならピッツァにはグリーンサラダ、寿司にはもう一品小鉢などつくがなぁと期待はずれ。まぁ、私の勝手な解釈だが・・・。食道楽状態にするなら、もっとお金を出せってことかもしれない。

映画館で行ったのはシネ・リーブル梅田。2スクリーンでロビーが広々としている/椅子も良し/展示品の仕方も○/受付の方も○。
テアトル梅田も少し椅子などが古びていたが環境はシネ・リーブルと同じ。
東京、名古屋と比べると、受付の方がちょうどいい間合いのスローテンポさで、懐かしい感じがした。

映画感想 2作品ともお薦め!

★『黄色い星の子供たち』ローズ・ボッシュ監督/フランス、ドイツ、ハンガリー/東京上映中、名古屋9月3日から
1942年のパリ。ユダヤ人の印である黄色い星を胸につけた少年ジョーの家は貧しいが家族みんな幸せな日々を送っていた。そのころユダヤ人迫害政策を推し進めていたヒトラーは、ナチス・ドイツ支配下のフランスに、ユダヤ人を引き渡すよう要求する。
ラヴァル首相は外国籍のユダヤ人2万4000人の検挙を決定する。ドイツは子供は除外と提案したが、孤児の世話まで面倒を見切れないことから首相が反対する。ユダヤ人の間では、兵器工場に必要な男だけと信じられていた。
しかし7月16日、女子供もあわせて1万3000人のユダヤ人が検挙され、ヴェル・ディヴ(冬季競輪場)に移送される。

○この映画が始まる前にフランス映画『サラの鍵』の予告が流された。公開は年末だが、この上映に先がけて流すなんて心憎い。これも同じ時期の同じ場所で起きた姉・弟の悲劇。去年の東京国際は近年まれに見る佳作揃いだったが、特に『サラの鍵』は心を打った。

黄色い星の子供たち』の中でも、ユダヤ人を助けようとするフランス人はたくさんいる。劣悪な環境でヴェル・ディヴ(冬季競輪場)で5日間を過ごしていた時、ホースの点検に来た消防団長が水を振る舞った。そして親戚や友人への手紙を、その消防士たちに託した。また取り締まっている警察官や兵隊も「こんなことしていていいのだろうか・・・」と呆然とする表情や何もできない苛立ちも捉えていた。
描写には悲惨さはあるが、あえて残酷さは表していないので最後まで観続けられた。
戦後、死んだとばかり思っていた人々の再会シーンは涙なしにはいられなかった。

まだ先の公開だが『サラの鍵』のストーリーも。
1942年7月のパリ。アパートに住んでいた少女サラの家にフランスの警察官がやってきた。不安を感じたサラは弟を助けようと部屋の押入れに弟を入れて、私が呼ぶまで出て来てはダメと言って鍵をかける。だが、警察はすぐに荷物をまとめて出ろと家族を連れ出してしまう。行き先はヴェル・ディヴ屋内競技場で、水も与えられない状態のまま厳しい監視のもとに置かれてしまった・・・。まったく同じ時、同じ場所の作品だ。

★『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』バンクシー監督/東京上映中、名古屋8月20日からセンチュリーシネマにて公開
名古屋の宣伝:配給の方から「試写はしませんが、DVDがあります」とお聞きしたので早速お借りした。すぐ帰って小さなTV画面で見た。なんて面白いドキュメンタリーだ。
この映画は、世界のグラフィティ・ストリート・アーティスト(道端や建物に落書きする芸術家)を撮影し続けた男・ティエリー・グエッタが、いままで誰も接触する事ができなかったバンクシーを偶然撮影できるようになったところから始まる。
ティエリーの映画は完成するが、バンクシーの「君もやってみたら?」の一言で、バンクシー自身もご本人も想像しなかった「軒先を貸したはずが、母屋まで」っていう展開に人間臭さを感じた。
仕組まれたことなのか、偶然なのかはわからないが、道端の芸術家たちの現場は、夜道の製作ポイント探しと逃げ足の速さで、最高にユーモアと臨場感あふれたドキュメンタリー!
これなら大画面で観なきゃとテアトル梅田に来たってわけだ。
会場は30人近くが待っていて、画板を持った美大生グループもいた。最終的には45~50人の観客数。展示物の充実が嬉しい。始まる前にじっくり見ていても、終わってから見ると「この絵を貼り付けるときに転んでしまったんだなぁ」とか、「この後、警察に・・・」などと違った面白さにふれることができた。
私のお気に入りはゼウスのシャドー。ベンチにできる月影をペンキでなぞった作品。
「きっとお月さんもベンチも喜んでるよ」と囁いた。

帰りの<小腹すいた用>に蓬莱の肉まんを2個(2個320円)買った。匂いがたつので米原過ぎてから、こそこそ食べたが、これが一番おいしかった。

(美)

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2011年7月第4週
2011/7/24 (Sun)

20日 台風の影響で雨の降る中、「東外大 パレスチナ/イスラエル映画祭 ―こどもと明日と未来を考える―」へ。この夏、相次いで公開されるパレスチナ関連の映画『いのちの子どもhttp://www.inochinokodomo.com/ 『ミラルhttp://www.miral.jp/ 『ぼくたちは見たhttp://whatwesaw.jp/ のダイジェスト版試写およびゲストを招いてのトークイベント。企画したのは、東京外国語大学 アラビア語学科の学生さん。知人の写真家・村田信一さんや、『ぼくたちは見た』の監督・古居みずえさんが登壇するので、これは何がなんでも行かなくちゃ! 遠くに住む友達からの「台風が心配だけど行きます」とのメールに後押しされて、大雨対策で素足にビーチサンダルを履いて出かけました。さすがに寒くて震え上がってしまいましたが、イベントには、試験中の学生さんも大勢参加して、熱い議論が交わされました。中でも、日本女子大学教授・臼杵陽氏の発言の数々はパレスチナを考える上で非常に参考になるものでした。実は、『いのちの子ども』と『ミラル』を観た時に、ちょっぴり違和感があったのですが、それが何故だったのかもわかったような気がしました。(ここで、長々と説明するのは自信もないのでやめておきます・・・) 3作品はそれぞれ視点が違いますが、どれも人間の尊厳を考えさせられる映画。遠いパレスチナのことと見捨てず、ぜひ観てほしい作品です。

左から臼杵陽・日本女子大学教授、古居みずえ監督、村田信一(写真家)、山本薫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員)
左から臼杵陽・日本女子大学教授、古居みずえ監督、村田信一(写真家)、
山本薫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員)
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充実のトークイベントが終わって、お腹も空いたので友達と遅い夕食。久しぶりにゆっくりおしゃべりも楽しみました。こういう時間が生きていく上で大事だなと感じた夜でした。

(咲)

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7月19日~21日
夏だ!ホラーだ!血&汗まみれだ~い!

シネマート新宿で開催された「ルチオ・フルチ映画祭2011」がメインだが、ホラー作品の試写もあり上京。

夏といえば、バリバリっとすごい稲妻カミナリと、鳥肌ホラー映画がないと夏って気がしない私。カミナリは時の運だが、この映画祭とホラー作品を観た順番で書いてみた。

『デビル』ジョン・エリック・ドゥードル監督/アメリカ/公開中!お薦め!

フィラデルフィアのビジネス街で高層ビルから1人の男が墜落死した。状況は自殺でロザリオを握りしめていた。現場に駆けつけたボーデン刑事は何か異様さを感じていた。ちょうど同じぐらいの時間に、そのビルのエレベーターが突然停止し、男3人女2人が閉じ込められた。そして、内部の灯りが消える度に1人ずつ死んで行く・・・。

○これは、超お薦めサスペンス作品。エレベーターに乗ったのは、軽薄なセールスマン・ビンス、意地悪そうな老女・ジェーン、このビルに今日派遣された警備員・ビル、金持ちそうな美女・サラ、機械整備士・トニーの5人。

閉塞感、恐怖感満載の極上サスペンスだ。80分きっちり楽しませてくれた。
5人意外の登場人物で監視カメラ室にいる警備員ラミレスだけが、ミシシッピー出身で地元に伝わる秘教でデビル(悪魔)の存在を信じていて、カメラに映る悪魔の姿を一瞬だが見ることができた。ここでいう悪魔は{罪ある人間にとっての悪魔}だ。

約10年前、俳優ビル・パクストン初監督作品『フルイルティ~妄執~』(DVDあり)もこの手の作品で、その年のベストテンに入れた。
『デビル』は狭いエレベーター内部で個人主義&都会的、『フルイルティ~妄執~』はアメリカ郊外で家族的。この2つ、同じ視点で描かれている。
『デビル』意地悪そうな老女・ジェーン役のジェニー・オハラが好演。

★試写『ラスト・エクソシズム』ダニエル・スタム監督/アメリカ/10月8日公開

ルイジアナ州バトンルージュで悪魔払いの真実を暴く、告白ドキュメンタリーの出演を承諾したコットン・マーカス牧師は、通算48回目の悪魔払いの儀式をするため、撮影隊と共に郊外のある農場を訪れた。そこで彼らを待っていたのは、想像を絶する悪夢であった

○「悪魔払いは嘘だよ。こんな細工だってするしね」と牧師が種明かししながら、「 じゃあ、我が牧師人生、最後の悪魔払いを実況することにするか、どんなインチキするか、悪魔なんていないってとこお見せしないとな」と、二人の撮影隊と共にいく先は、「悪魔祓いをしてくれ」と、牧師のところに来た何通かの手紙のうち、無作為に選んだ一通の封筒。3人が向かったのは、遠くはなれたアイバンヴィット村の農家。

キリスト教原理主義者の農場主の父・ルイスの手紙には「16歳の娘ネルが夜な夜な不審な行動をして、たくさんの家畜が惨殺されている」と書かれていた。 ついてすぐ撮影隊も一緒だということで揉めるがなんとか承諾させて、牧師はいつものように手品のトリックを使い儀式を行う。 彼の体験では悪魔つきは大概は精神的なもので、儀式で暗示をかけるとほとんどが治った。案の定、ネルも儀式のあとはぐっすり寝てしまった。 だが、その後、数々の異様な出来事が起こり、牧師は「こんなはずはない…」と悪魔の存在に驚愕するのだった。と、書けるのはここまで・・・。

題名から受ける印象で身構えてたが、なかなか面白い種明かしもあり、試写室で時々笑い声が聞こえた。未公開映画祭の『ジーザス・キャンプ~』のキリスト教原理主義者のドキュメンタリーで狂信的な面を知っていたから、この一家も、その周りも・・・と疑ってかかった。最後になるに従い、笑ってなどおれなくなる展開。

これは撮影隊カメラさんの位置から撮ったもののはずだが、カメラマンの目線だけでは説明がつかない(はっきりしない)箇所があった。その点、少し工夫が必要だ。

※ネル役アシュリー・ベル、清純と悪魔の両極端を演じていた。お見事!の一言。

この上の映画ポスターは、イギリスで禁止になったそうだ。

いよいよ「ルチオ・フルチ映画祭2011」夜8時半から一作品ずつの一週間だ。
最も猟奇的で残酷なゾンビ映画『サンゲリア』の監督として知られるイタリアン・ホラー映画界の巨匠。

『ザ・リッパー』ルチオ・フルチ監督/イタリア/1982年

犬を散歩させていた男性が女性の手首を発見。美人が切り刻まれているが身体は犯されていない連続殺人がニューヨークで起こっていた。

○あ~、あ~、あ~、美人がいろんな手口で殺されるぅ~。
思わず目をつむってしまった!名古屋からきて、ここで見ないなんて…と思うが、まるで自分の乳房(垂れてる)や眼球(しょぼしょぼ)が痛くなる作品。
犯人は自己顕示欲が強く刑事によく電話をかけてくる。それもヴォイス・チェンジャーで。こいつが犯人かと思わせる場面をたくみに入れ込んであった。古典的作りだが強烈な印象。

※会場は男性8割、女性2割でほぼ満員。
※ニューヨークの貿易センターのツインビルが映っていた。

『エクソシズム』マヌエル・カルパージョ監督/スペイン/シアターNで公開中

かつて悪魔払いに失敗して少女を死なせてしまった神父クリスは、名誉挽回のために悪魔が実存することを証明しようと考えていた。そこへ親戚から娘の相談を受ける。 突然の失神やヒステリー性の発作などをおこすらしい。神父クリスの見立ては悪魔憑き。神父は両親の許可を得た上で、少女に悪魔祓い(エクソシズム)の儀式を行うことにするのだが・・・。

○なかなかの力作。この家庭に問題がある。学校に行かせず家庭で父母が英才教育をしている。そんな娘にも友人たちがいるが、親がうるさいので思う存分遊べない不満もある。 こんな環境だから突然の失神やヒステリー性の発作も精神的なのが原因だわ・・・と思っていたら・・。予期せぬ結末という激辛・家族ドラマだった。

『墓地裏の家』ルチオ・フルチ監督/イタリア/1981年

愛人を殺し、自殺した男がいた。その研究をひきつぐために、因縁のある古い洋館に半年滞在することになった家族(両親と幼い息子)。 始まりはニューヨーク自宅にある絵の中の窓から、女の子がその幼い男の子に「ここには来てはいけないよ」と語りかけている。その始まり方がとってもお伽話的で気に入った。 だが、いいのは最初だけ。理解に苦しみながら最後まで観たが、グロテスク描写とかわいそうな男の子だけが印象に残った。

※何でよりにもよって墓地裏(裏っていうより庭続き)の家を借りるか! ましてや、いろんなことが起こったら、即座にホテルかモーテルに泊まれって! そういえば数年前の『エクトプラズム 怨霊の棲む家』では元葬儀場の家だった。

『ザ・ウォード 監禁病棟』ジョン・カーペンター監督/アメリカ/9月17日銀座シネパトスにて公開

舞台は60年代の精神病院。20歳のクリステンは身に覚えのない放火の罪で精神病棟に送られる。同年代の少女ばかりを収容する奥の病棟に隔離された。 クリステンは、初日の夜から見えない人の気配を感じ、いわれのない不安を抱く。同じような境遇の少女は、ボロボロのぬいぐるみを不安そうに抱くゾーイ、美しく華やかなサラ、絵を描くのが好きなアイリス、歌が得意なエミリーの4人だ。 自分は彼女たちとは違うと思っていて、必死の思いで病棟か逃げようとするが・・・。

○なぁ~だ、そういうことか!と最後に思うが、それにしてもこんなに<その世界>は感覚的にクリアーなの?と思ってしまう。ネタばれになるからこれ以上言えないが…最後まで驚かせてくれた作品。
※4月に公開された『エンジェル・ウォーズ』(これは財産目当てに精神病院に入れられる)によく似た作品。

『マンハッタン・ベイビー』ルチオ・フルチ監督/イタリア/1982年

考古学者のハッカー教授は、エジプトのピラミッドを調査中、遺跡の内部で不思議な光線を浴びて失明する。同じ頃、エジプトについて来ていた娘スージーは母親とはぐれ、盲目の老婆から奇妙な飾り物を渡される。一家がニューヨークに帰るとハッカー教授の失明は一時的な症状と診断され、視力も回復するが、その頃からスージーの周囲で不可解な事件が次々と起こる・・・。

○しっかり寝させていただいた。ホラーで眠ったのは去年の『ハロウィン2』以来。
なんで『マンハッタン・ベイビー』って題名かもわからない。私なら『蒼い目の贈り物』とか『ピラミッドの呪い~蒼い目の贈り物~』にするが・・。『墓地裏の家』のかわいい男の子がまた出ていたので、「あ~、無事だったのね」と意味不明なことを思ってしまった。


この映画祭で3作品観たが、来てよかった!ってのは無し!
ルチオ・フルチ監督の作品の特徴は、血の出方が、飛沫ではなくプァ~っと溢れ出す。 哀愁漂う音楽。必ず監督自身も登場。どの作品も知的な役割で出ていたが、墓地の掃除人とか、不法駐車に文句言う通行人が似合っている雰囲気だった。

(美)

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2011年7月第3週
2010/7/17 (Sun)

名古屋駅西シネマスコーレでパン・ホーチョン・ワールドに酔う。

空想寸劇

パン・ホーチョン:「お前は誰だ!?」
私:「わたしゃ、名古屋の年齢・体重60代(台)のオバンだよ」
パン・ホーチョン:「『ドリーム・ホーム』観てくれたかい?」
私:「観た観た! 2回観た。刺された若者の腹から飛び出た腸で、縄跳びしたかったよ!」
パン・ホーチョン:「や、やめてくれぇ~!たっ、たっ、たっ、(逃げていくパン監督)」


※ クリックで拡大します

『ビヨンド・アワ・ケン/公主復仇記』2004年 監督第3作品目
カラオケ店で働く女性シャーリーの前に、前触れも無くひとりの女が現れる。
シャーリーの彼ケンの元恋人ジンで、ケンに彼とのいちゃいちゃ写真をネットに流され、それが原因で、教師を辞めてしまったと言う。それにケンがB型肝炎だから注意するようにとも・・・。半信半疑ながらも実際にパソコ画面を見せられたシャーリーは、ジンといつしか奇妙な友情が芽生るのだった。
○監督さんが台湾留学中に、友達の身に起こった出来事をベースに映画化。
なんでもない映像の中に秘密や「あのシーンの時が、そうだったのかぁ~」がたくさんあり、必ずもう一度復習のために観たくなる作品。
ケン役は『美少年の恋』『新宿インシデント』のダニエル・ウー。
私はケンことダニエルを最後まで信じていた。だってあれだけの美男。振られた女の子が未練たっぷり悔しさ100倍になるのもわかる。
出てくる女の子2人とも幸せにはならない。幸せになるのはケンのみ。
ジンはこわい女、シャーリーは信じ切れない女(まぁ、この場合疑ってしまうのは仕方ないけど)に成長するはずだから、ケンは縁がなくてよかった、よかった!
私なら、「こんな女が尋ねてきたけど本当なの?」と問い詰めちゃうけど、映画にはなんない・・・意外と美男は美人じゃない女と結婚するのが、なんとなくわかる気がした。
『美少年の恋』ではあの凛々しく美しい警官姿が目に焼きついているが、今回は消防士。消防士の制服で働いている姿も観たかった。

blogの力

次の日、東京の香港映画大好きなNさんからこんなメールが届きました。
「名古屋の方のblogを読んでいたら、先週名古屋の駅裏のたぶんシネマスコーレという映画館で、今上映中のパン・ホーチョンの映画を観たというのがありました。
映画の後、 その近くの「マタハリ」というお店で食事をしたそうです。
その時 映画の話をお店の方としている人がいて 自分も加わりたくてウズウズしたとありました。話しの内容は 東京から帰ってきたばかりで たくさん映画を観るという方らしいです。思わず(美)さんの事かしらと思ってしまいました(笑)。」
え、え、え? 事実、私のことでびっくりしました。
そのblogを教えて貰い、「東京の香港映画好きの知り合いから、あなたのことでは?とメールがきました。マタハリの映画話のおばさんは私です」
とメールしてパソコン上ですが、仲良しになりました。なんだか恥ずかしいやら、嬉しいやらで、ちょっと暑さを忘れました。
そのblogの方はダニエル・ウーのファンblogを開設している方でした。blogの力を見直しました。

『イザベラ/伊莎貝拉』2006年 監督5作目
1999年、中国返還前のマカオで、追われる汚職警官と彼の娘だと名乗る少女の奇妙な共同生活を描いている。『インファナル・アフェア』のチャップマン・トーが主演。
『ドリーム・ホーム』のジョシー・ホーも出演。
だが、なんといっても可愛い&清潔な色気のあるヒロインのイザベラ・リョンの魅力にまいった。あんな可愛い子が「あなたが父親よ」と来られたら、覚えが無くても、すぐに追い返す男はいないだろう。イザベラは女の子の名前とおもったが違った。でもこの名前も親子の共通の思い出に繋がる。

『夏休みの宿題/暑期作業』1999年
夏休み最終日の31日。宿題が終わらない少年が生み出す恐ろしい妄想と行動は?
これが監督の初作品。妄想の絵的表現、実際の行動の切り取り方で、非凡な才能を見せ付けられた。少年の妄想より、現実がう~んと怖い作品。
今の子はほとんど7月中にやってしまって涼しい顔してるが、私なんかは、この少年の気持ち丸わかり。40日間の天気さえもいい加減、日記は大きな字で3行、読書感想文・絵・工作は転校前の学校のを提出など、8月30、31、9月1日登校前まで汗みどろだった。

『些細なこと/破事兒』2007年
21歳で書いた短編小説を映画化した監督7作目。倦怠期を迎えた夫婦。同棲するが一切身体の関係を拒否される男。娼婦との淡いひと時が男を癒す。女子同級生のその後の人生の違い。殺し屋のポイントカード。等々“どうでもいいこと”をテーマに7話が展開。
ジリアン・チョン、チャップマン・トー、イーソン・チャン、エディソン・チャンなど豪華キャスト。ブラックな笑いが散りばめられていた。監督さんが心底楽しんで映画作りしていることがわかった。

<パン監督の熱さと名古屋最高の暑さ>の一週間だった。

(美)

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この1週間、神戸から相次いで同級生が上京。10日(日)にY君を囲んで男女7名、13日(水)にUさんを囲んで女性6名で集まりました。久しぶりに関西弁でワイワイがやがや。もっぱらの話題は、3月の同窓会での再会が縁で入籍してしまったバツイチどうしのカップルのこと。ひぇ~あの二人が・・・という意外性はあったものの、恋や結婚に年は関係ないと勇気付けられる出来事でした。

そういえば、現在全国で公開中の『ジュリエットからの手紙』も、長い時を経た二人が結ばれる物語ですね。ヴェローナの町が素敵でしたが、今週試写で観た『あしたのパスタはアルデンテ』は、イタリアの長靴のかかとの位置にある美しいバロックの街レッチェが舞台。パスタ工場の跡継ぎの息子たちが、次々に実はゲイとカミングアウトすることによって引き起こされる騒動。大いに笑いましたが、「人生、自分の好きなように生きなさい」という素敵なメッセージをいただきました。レッチェの街がほんとに素敵で俄然行ってみたくなりました。(いつ行けるのか・・・の状況なのが悲しい・・・)

(咲)

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2011年7月第2週
2011/7/10(Sun)

9日 20年程前、中東ミニ博物館の開館当初に知り合った友人・鈴木廣子さんの写真展「ヒマラヤの国から ~ネパールの子どもたちの情景~」が9日から新宿歌舞伎町にある東京都健康プラザハイジア1Fアートウォール(1階の吹き抜けの通路脇です!)で始まりました。久しぶりに中東ミニ博物館の常連仲間が集まって、地下にあるネパール料理屋さんでオープニングパーティ。素敵なネパール人のコックさんの作ったサモサ、モモ、タンドリーチキン、カレー、ラッシー等々でお腹いっぱい!

ヒマラヤ繋がりで、ドイツ映画ヒマラヤ 運命の山を皆さんに紹介しました。この映画は以前の日記にも書きましたが、ヒマラヤの西端パキスタンのナンガ・パルバートが舞台。山だけでなくパキスタンに住む人々の姿も映し出しているので、こちら方面の好きな方にはぜひ観てほしいのですが、一点だけ気になったところが・・・。それは、やっとのことで下山してよれよれになったドイツ人の登山家ラインホルトが、村の女の子二人に食べているものと交換してくれと手振りして物を差し出すのですが、彼女たちがすぐに食べ物を渡さず、もう一つ物を差し出して、やっと食べ物にありつけるという場面。パキスタンの人たちは、遠来のお客様、それも困っている人には、無条件で手を差し伸べるはず。イスラームの喜捨の精神や、お客様は神様から贈り物という教えから考えると納得がいかないのです。そのことを友人たちに話したら、もしかしたら、彼女たちは最初、ドイツ人が差し出した物をいらないと言って拒んだのを、もっと欲しいと勘違いしたのではという解釈をする人も。パキスタンに実際に行ったことのある私や友人たちですから、パキスタン贔屓の眼で見ているといえばそれまでですが、とても気になった場面。もちろん、そのほかの場面では、パキスタンの人たちは手厚く登山家を村に迎えたりしています。

写真展「ヒマラヤの国から ~ネパールの子どもたちの情景~」は、7月31日まで。廣子さんの優しい眼差しの伝わってくる写真です。廣子さんは土日の午後と、水曜日か木曜日には会場にいる予定とのことです。


(咲)

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今週の東京映画デー面白い!&イマイチ作品

まず面白かった昔の映画から(渋谷のシネマヴェーラ2本立て)

7月5日(火曜)

股旅』市川崑監督/脚本市川崑、谷川俊太郎 /1973年
貧しい百姓暮らしを嫌い、ヤクザで名を売ろうとする三人の股旅者の姿を描いている。

面白い股旅ものだった。始まりは仁義をきる場面だが、方言が入り、仁義内容の意味やリズム感たっぷりの受け答えでワクワクさせてくれた。 一宿一飯の手土産は「姉さんに普段使いにでも・・・」と紙でくるんだ手ぬぐい一本。 仁義の最後に、その出した手ぬぐいをまた懐に入れるのだ。 きっと、3人いるから最後に渡すのだ。 3人目になる前に、宿の親分?は「あの~・・・わかりましたから、以下を略して・・・」とすまなそうに言う。 この場面で笑ったよ!今でも思い出し笑いしている。

出される飯も必ずおかわりしなければならない。食べられないときは、一杯目にどんぶりの中央だけを食べて お代わりする慣わしがあるらしい。

しがない股旅ものの三人、小倉一郎、尾藤イサオ、萩原健一は、 男気があり子分を大事にする親分の元でわらじを脱ぎたいのだが、そこまで行き着かない。 現実的なこの任侠の世界と、風まかせの若者が考える短絡さが微妙な味わいを醸し出していた。 本当に面白く、誰かにしゃべりたくなった。後3回ぐらい観たい作品!

原子力戦争』黒木和雄監督/1978年
原発を抱えた東北のある港町の心中事件がきっかけに、次々と不審な出来事が起こる。 真相を追う新聞記者野上は事件の裏に原発の存在があることを嗅ぎ付けるが、いたるところで邪魔が入る。

原子力発電所の隠された事故、場所は東北…とくればだいたい内容は想像ついたが、 今、この作品をみると、その時代と変わらない人間の強欲さが滲み出ていて考えさせられた。 重大事故を知った科学者も「事故のパニックによる原子力発電所開発の中止の方が、国民にとってよほどマイナスで危険だ」と言っていた。
撮影地をネットで調べてみた。なんとあの福島第一原発でゲリラ撮影を行っている。 そして、今年4月に「日本映画専門チャンネル」で放映が予定されていたのだが 震災後に「3月11日に発生した東日本大震災による福島原子力発電所への影響を勘案し」という理由で、放送が中止になってしまったと書いてあった。
出演者は皆よかった。特に新聞記者役の故・佐藤慶の粘りのある台詞まわしに痺れた。


7月8日(金曜)

次は期待はずれの作品。

無常素描』大宮浩一監督

渋谷の上映館に入ると客は私を入れて三人…これで半分は私の想像どおりかな?と危ぶみながら観た。 東日本大地震発生後一ヶ月あまりの被災地をスクリーンで流すこと自体有意義であったか疑問に思う。 その当時からテレビ映像などで流されているのとどこが違うのかわからない。 玄侑宗久の話に、映し出された映像の本質が失われている。 枕言葉のように、「東北の人は・・・」といっぱひとからげに言われても納得できない。 かえって、彼の話の場面を全部切り落として、無音のまま坦々と被害地を映し撮るほうがよかったのではと感じた。 時期狙いの作品とまでは言えないが、客が三人というのも頷ける。

(美)

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2011年7月第1週
2011/7/3(Sun)

1日 母を連れて病院へ。待合室に濃い顔立ちの男性たちを見かけ、これは私の地域(!!)の人に違いないと、耳をそばだてていたらアラビア語だとわかりました。母がぐったりしているのに、やっぱり気になる~と、片言のアラビア語で挨拶して、どこの国の方かを伺ったら、イラクの方でした。離れた席に可愛い男の子もいて、祖父・父・子の親子3代で来ているとわかりました。男の子はそれこそ『バビロンの陽光』のアフメッド君みたいに愛らしかったのですが、大きくなるとお父さんみたいなオッサンになるんだろうなぁ~と。おじいちゃんになると、これまた味のあるいい感じになるのですけど! イランでもアラブでも、男の子やおじいさんはそこにいるだけで素敵な被写体になるけれど、中年の男性たちは物売りだとか、何か仕事していてくれないと、なかなか絵にならないと思いながらカメラを向けていたのを思い出しました。あ~旅に出たい! 今や、映画を観にいくのも、1週間に2日くらいがやっと。でも、親孝行できるのも今のうち。じっと家で母を見守りながら、韓ドラをみまくっている日々です。


可愛い少年から少しいかつい青年への過渡期?(イラン南部の市場でアラブ系の人たち)

(咲)

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7月2日(土曜)

どこかの国では暑さをしのぐために映画館に入るとか、 私も名古屋駅西のシネマスコーレさんへほぼ一日入り浸る。

安重根 伊藤博文を撃つ』オム・キルソン監督/朝鮮/1979年
伊藤博文を暗殺した青年・安重根(アン・ジュングン)の壮烈な人生を壮大なスケールで描いた歴史大作。本作は彼が何を考え、なぜ伊藤博文を射殺するにいたったのかを彼の壮絶な生き様を描く中で解き明かしていく。当時日本では彼のことを「不逞鮮人」と呼び、朝鮮民族では「民族の英雄」と呼ばれていた。

北朝鮮の映画はいままで5、6本観ているが、これは特に丁寧にたくさんの人を動員して作られている。日本もロシアも当時の人物が出てくるが99%朝鮮語だ。国策映画だから、これは仕方ない。双方の国の思惑が、全部真実とは思わないが、日本の傲慢なやり方、交渉の有利さを謀るやり方は真実だろう。
※伊藤博文暗殺の現場、ハルピン駅には、1990年くらいまでは、ホームの片隅に安重根の記念碑があったそうだが、日本との経済交流が強まるとともに、姿を消してしまった。


風吹く良き日』イ・ジャンホ監督/韓国/1980年
ソウルの下町で出会った田舎出身の3人の若者の物語。3人にはそれぞれ気になる女の人がいる。
・中華料理の出前持ちトッぺ(アン・ソンギ)は、出前の途中で令嬢に車に撥ねられ料理が滅茶苦茶になるが、彼女の誘いに乗って邸宅まで訪ねる。
・理髪店でシャンプー専門の下働きチュンシク(イ・ヨンホ)は、同僚の美容師に想いを寄せるが彼女は一家を支えるために近所の富豪の爺に身を任せる。
・ホテルの使い走りキルナム(キム・ソンチャ)は、将来を約束した女性がいたが、夢であるホテル開業の軍資金を持ち逃げされる。

失敗をしながらも、一人ひとりが正直に自分の気持ちを出し合って、時には意見も会わず喧嘩もする毎日を熱く描いていた。泥臭さいエネルギーがむんむんする作品にしびれた。


シンパシー・フォー・デリシャス』マーク・ラファロ監督/アメリカ
伝説的DJとして名を馳せていたディーンこと‘デリシャスD’は、事故により体が麻痺し、スラム街での車上生活をしていた。そんな時、彼はジョー(マーク・ラファロ)という情熱的な神父に出会う。ある日、ディーンは人々を治癒する力を秘めている事に気づく。だが、自分自身を治癒する事は出来ない。神父ジョーは彼の力を用い、不自由な人々を治していくと、たちまち彼の周りは人でいっぱいになる。ディーンは次第に欲を覚え、この力を富と名声を得る為に使う事に決め、かつての音楽に進む。カリスマ的リーダー"ステイン"(オーランド・ブルーム)率いるロックバンドに加わるが・・・。

彼の持っている病を治す能力は本物の設定だが、自分を治せないのが皮肉。彼はその能力によって幸せからどんどん遠ざかっていく。『ヒアアフター』のマット・デイモンと同じだ。 この監督さんも神父役で登場する。どこかで見た顔だと思ったら『キッズ・オールライト』の父(精子提供者)だった。車イスのディーンことクリストファー・ソーントン(すごい美男子)は現実に障害者であり、自分の脚本を親友である監督にたくしたと聞く。


※ジュリエット・ルイスのタバコのふかし方は世界一。

人の善意を骨の髄まで吸い尽くす女』加藤行宏監督
自ら主演するネットドラマの制作に、周囲を次々とトラブルに巻き込んでいく売れない舞台女優の姿をブラック・ユーモアとともに描き出している。主演は『サイタマノラッパー2』の山田真歩。山田真歩さんのはっきりした物言いが線香花火のように炸裂!食事は作るが掃除は下手。

モトネタのおんなの方が現実にいたらしく、部屋の汚さに監督一同スタッフはたまげたそうだ。加藤監督の短編も同時上映。『機械人間、11号。』『善人』2作品ともナンセンス路線で面白い。


今日の4本!居眠りなし!これは初記録だ!

(美)

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2011年6月第4週
2011/6/26(Sun)

23日(木)「ショートショート フィルムフェスティバル & アジア 2011」の「日韓観光振興イベント」へ。韓国から“国民的俳優”アン・ソンギさん登壇とのお知らせをいただいて、これは行かねば!と、いそいそと出かけたのでした。
思えば、昨年のショートショートのオープニングイベントで、「日韓観光振興プロジェクト」設立が発表され、プロジェクトの韓国側代表として「アシアナ国際短編映画祭」のディレクターであるアン・ソンギさんが来日されたのでした。(報告記事: http://www.cinemajournal.net/special/2010/ssffa2010a/index.html
あれから1年、プロジェクトの初案件として、日韓双方で製作されたショートフィルム『スーパースター』(萩原健太郎 監督)と『スマイルバス』(パク・サンジュン監督)が披露され、出演者と監督が登壇しました。『スーパースター』は、日本人女性が韓流スターを追っかけてソウルに行く物語。『スマイルバス』は、3年前に彼の元を突然去って鎌倉でバスガイドとして働く韓国女性の物語。日本人監督が韓国で、逆に韓国人監督が日本で、共に日本人と韓国人の両方のキャストを使って撮るという試み。観光振興という基本のコンセプトもしっかり盛り込みながら、物語としても楽しめる秀作でした。


「日韓観光振興イベント」に登壇したアン・ソンギさんはじめ日韓両国の関係者の方々
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24日(金)シネジャ82号が出来上がりました。入稿後に差し替えに走ったのに、あ~また重大なミスが・・・ 注意力散漫なのは、介護疲れと老眼の為とは言えず、お恥ずかしい限りです。白山駅で(白)さんから82号を受け取って、フランス映画祭の『セヴァンの地球のなおし方』舞台挨拶取材に朝日ホールへ。司会は市山尚三さん。今回、有楽町に会場が移り、運営も朝日ホールでの開催が定着した東京フィルメックスが担当しているとあって、Q&Aの雰囲気はまさにフィルメックスでした。(報告記事は近々アップします。)これまでの華やかさには欠けるけど、11階に特設のフレンチカフェがあったり、フランス映画祭名物のサイン会は健在でした。
ジャン=ポール・ジョー監督にお会いするのは、『未来の食卓』公開前に来日された2009年6月以来のことでした。自分で書いた報告記事のことも忘れていたのですが、あらためて記事を見て、そうそう素敵な監督だったと思い出しました。舞台挨拶の前に、アップリンクの担当者の方が、「変わらずダンディですけど、きっと会えば驚きますよ」と、ちょっと迷いながら変貌ぶりを明かしてくださいませんでした。登壇した監督は、なんと「原発絶対反対!」のハチマキ姿。山口県祝島を訪れ、30年にわたり毎週月曜日に原発反対デモをしているおばあちゃんたちの姿に感銘を受け、ハチマキを購入。東京での取材中もずっとハチマキをして意思表明をしていらっしゃるのです。エコにこだわり、冷房もNG。窓の開かないホテルはもちろんダメ。アテンドする人も大変だなぁ~と思いつつ、私も冷房なしで暑い夏を乗り越える工夫をしなくては!と、覚悟しました。(う~ん、できるか・・・)


原発絶対反対!のハチマキ姿でにこやかにサインをするジャン=ポール・ジョー監督
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(咲)

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6月24日(金曜) 東京映画三昧デー

朝から、東京に来たらほとんど行く喫茶店モーニング(500円/トースト、サラダ、ゆで卵/名古屋なら同じものが付いて350円・・・)。 久しぶりに行っても同年輩ママが喜んでくださる。今日は娘も一緒。 娘はパントマイムを習っていて、今日は銀座でヨネヤマママコさんの舞台を見に行くと張り切っていた。 私は有楽町のフランス映画祭。

頭は有楽町朝日ホール、体は去年までの六本木・・・あ~、どうかしている。
蒸し暑さのせいにしては梅雨の神様?に叱られる、トホホの出だし。

フランス映画祭『6階のマリアたち』フィリップ・ル・ゲー監督/20分遅れてしまった。
1960年のパリ。株式ブローカーのジャン・ルイは、妻子と堅実な日々を送っていた。 ある日、同じ建物に解放的なスペイン家政婦たちが引っ越して来たことから、彼の生活は変わっていくのだった。
o ジャン・ルイの所有するビルの6階が家政婦たちの住む個室のあるフロアで、そこのところが少し不可解だが、確かに5階はジャン・ルイ家族のフロアで、6階もジャン・ルイの所有だが、他家に勤める家政婦も個室に住んでいる。 ジャン・ルイはどんどん家政婦連中に入れ込んでいくが、 最終的には妻との生活は無事!とふんでいたら、驚くなかれ彼は歯止めが効かなくなるのだ。 中年フランス男の血迷った人生!と言ってしまったら身も蓋も無いが…。

次は渋谷へ。ふっと財布を見ると、さっきフランス映画祭『ハートブレイカー』を1500円を払って 慌てて朝日ホールに入ったが、今見てみると財布の中身が冬・・・2150円しかない。 銀行カードも娘のアパートに置いてきた。 ヴェルナー・ヘルツォーク監督の日本未公開作品は絶対観たいからシニア1000円引くと1150円・・・。

渋谷イメージフォーラムは外にあふれるばかりの順番待ちの列。私の番号は93番

MY SON,MY SON,WHAT HAVE YE DONE』ヴェルナー・ヘルツォーク監督/日本未公開作品
狂気の息子が母親を殺した実際に起きた事件をもとに作られている。
ヴェルナー・ヘルツォークが監督で、デヴィッド・リンチがプロデュースした映画。なんで一般公開しないの?
1979年にアメリカのサンディエゴで、マーク・ヤボウスキが母親を長剣で刺殺した。 当時34歳のマークは、高校時代はバスケットの花形選手、大学ではスポーツと学問の両方で期待された学生だった。 演劇でも活躍「オレステス」の主役だったが、上演の2週間前に精神的に不安定になり大学を去ったといういきさつがある。 主演はマイケル・シャノン。この方『ロシアン・ルーレット』で引き金を引く合図をする役だった。殺気せまった役どころがうまい。 その主人公の婚約者を演じるのがクロエ・セヴィニー。人質をとって立てこもるマークを一生懸命、外から声をかける。 彼女の心のうちは、きっと「もっと彼に寄り添っていてあげられたら・・・」と後悔しているだろうと感じた。 母親が殺される場面を見ていた来客は、震える声で「愛する息子の狂気を、叫び声一つあげずに、されるがままにしていた」と語っているシーンが、私の頭から消えない。

有楽町から渋谷往復で190×2でお金は770円。帰り電車賃を計算すると360円かかるから、410円の命。 お腹が空いたので有楽町駅横の牛丼屋で豚ドン270円を食べる。よく噛んで満腹感を高める。後140円。

フランス映画祭『ハートブレイカー』パスカル・ショメイユ監督
アレックスは凄腕の別れさせ屋。今度の依頼は結婚式を十日後に控えた二人をそれまでに別れさせる仕事だ。 依頼主は花嫁の父。高額の報酬につられ、式が行われるナポリへ。花嫁ジュリエットは完璧なレディだった。 アレックスは彼女を振り向かせることはできるだろうか。
o 話のオチはわかってしまうし、コメディーだけどホロッともしない。なにか気持ちに突き刺さるものがない。

この映画が終わったあと、奇跡が!いつも映画祭でお会いするNさんからお菓子をいただく。 おせんべいだ!Nさんのお顔が神様に思えた。 朝日ホールの水のみ場で水をガブガブのんで、このおせんべいを食べる。なんとか持ちそうだ。

フランス映画祭『美しい棘』レベッカ・ズロトヴスキ監督
母を亡くしたばかりの17歳の少女ブリューデンスは、海外勤務で不在の父、家に寄り付かない姉という生活だ。 そんな彼女は違法なバイクレーの若者グループに居場所を見つけるが…。
o まず主人公以外の年頃の女の子たちの顔が区別できなくなった。 姉なのか友人だったのかわからない。暗くて母親が死んだのが黙って家出なのかで混乱。 期待していた作品だけにがっくり。

フランス映画祭で一番よかったのはチョコレート工場の『匿名レンアイ相談所』に決まり。 なんだか疲れがどっと出た東京映画三昧デーだった。

※フランス映画祭の公式カタログは今年はなかった。
私はお金が無かったから買えなかったが、あれば、明日短編を観に来て、ついでに買うつもりだった。 なんだか儲け一辺倒って感じで気持ちよくなかった。

(美)

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2011年6月第3週
2011/6/18(Sun)

13日(月)ドイツ映画『ヒマラヤ 運命の山』の試写へ。1970年6月、ヒマラヤ山脈ナンガ・パルバート(8125m)に初登攀したメスナー兄弟ですが、帰還したのは兄だけ。ヒマラヤで何があったのかとスキャンダルになったのですが、兄本人が明かす真実の映画化。
2011年8月6日 ヒューマントラスト有楽町、シネリーブル池袋他全国順次公開
公式サイト:http://www.himalaya-unmei.com/


ヒマラヤというと真っ先に思い浮かぶのはネパールですが、ナンガ・パルバートは、ヒマラヤの西、パキスタンにある世界で9番目に高い山。美しい山の空撮の冒頭から、同じパキスタンの山で散った広島三朗さんを思い出して、映画を観ている間、ずっと広島さんの笑顔が脳裏を離れませんでした。広島さんは神奈川県で高校の先生をしながら登山を続けていた方。知り合ったのは日本パキスタン協会の集まりでのこと。裸足で便所サンダルのようなサンダルを履いていらして、初対面の時にはちょっと驚いたものです。広島さんは最初、ネパールにあるヒマラヤの山を目指していたのですが、ネパールは申込みする登山隊が多くてなかなか許可が下りないので、パキスタンに目を向けたのだそうです。毎夏パキスタンの山に通ううち、パキスタンの人々に魅了され、冬場はパキスタンの聖者廟を巡る旅を組んで、皆を引き連れて楽しんでいらっしゃいました。日本パキスタン協会では、以前、北野にある大学セミナーハウスで毎年1泊2日のシンポジウムを開いていて、昼間はパキスタンの政治情勢や文化を学び、夜は無礼講でお酒を飲みながら話し明かすという実に楽しい会でした。広島さんが編纂した『地球の歩き方』パキスタン編'97~'98年版が完成して、シンポジウムの会場で、「今なら僕のサイン付きだよ」という言葉にのって、「いつか価値が出ますかねぇ」などと言いながら買い求めたのでした。シンポジウムの記念の集合写真を撮る時に、ちょうど隣にいらして、「山の仲間だと、翌年いない奴が必ずいるんだよな」とおっしゃったのを軽い冗談と聞いていたのですが、その翌年、1997年8月20日、パキスタンのスキルルブルム峰(7360m)登頂後、雪崩にあって遭難されてしまいました。映画の中で、雪崩の場面には胸が締め付けられる思いでした。パキスタンの人々をこよなく愛していた広島さんを思い出して、ほんとに豪快な方だったなぁとしみじみ。


15日(水)シネジャ82号の最終編集日。(白)さん宅へ行く途中の白山神社の紫陽花も見ごろを迎え、大勢の人たちが楽しんでいました。(カメラを忘れ、残念!)今回は、原稿も早めに集まり、先週の内に若い新人さんたちが作業を進めてくれたので、残るは私のほか若干名の原稿のみ。2時過ぎには表紙と目次も完成! (白)さんに入稿にお願いし、私と(美)さんは、これで晴れて映画も観れる~!とフランス映画祭の試写へ。結末があっけなくて、すっきりする映画ではなかったのですが、とりあえず気分はすっきり。ところが、家に帰って原稿に重大な間違いがあったことに気づき真っ青に。翌朝、自己責任で印刷会社に差し替えに走りました。毎度のことながら、トホホでした。82号、今度の週末には、完成予定です。映画祭、インタビュー、そして、特集「こんなときだから観たい映画」など、82号も盛りだくさんです。どうぞお楽しみに。
 

(咲)

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2011年6月第2週
2011/6/5(Sun)

8日 1988年以来、パレスチナの女性や子どもたちの取材を続けている古居みずえさんの監督第2作『ぼくたちは見た ―ガザ・サムニ家の子どもたち―』(公式HP>>http://whatwesaw.jp/)が完成。民家、モスク、工場、学校、オリーブ畑など、あらゆるものが破壊され、1400人もの人たちが犠牲になった2008年から2009年にかけてのイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃。あまりのむごさに言葉を失いました。


『ぼくたちは見た ―ガザ・サムニ家の子どもたち―』
(C)アジアプレス・インターナショナル
今夏、ユーロスペースにてモーニングショー

今夏ユーロスペースで公開されるのを前に、古居さんにお話を伺う機会をいただきました。一族が一度に29人も殺されるという過酷な経験をしたサムニ家の子どもたち。心に深い傷をおった子どもたちが望んでいるのは、復讐したいのではなく、ただただ普通の生活を取り戻したいだけだと古居さんは強調します。ある日突然それまでの生活が奪われてしまう無念さ。今、古居さんは原発事故で計画避難を言い渡された福島県飯館村に通って、30数年酪農で生きてきた女性たちを追っているそうです。原発の恩恵をほとんど受けていない村で、風向きのために飼っている乳牛や和牛を競りに出したり屠殺したりして、これまでの人生をすべて捨てないといけなくなった人たち。原発事故は防ごうと思えば防げた人災。何の罪もない人たちの根こそぎ無くなる無念さを伝えたいと語っていました。これは是非私も本誌でお伝えしたいと、82号にインタビュー記事掲載のページを確保し、大急ぎでまとめました。82号入稿まであと一息! ふぅ~
 


古居みずえ監督

(咲)

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2011年6月第1週
2011/6/5(Sun)

6月2日(木曜)
このところ二回、一人でインタビューする機会があり、緊張してのぞんだが、思わぬ落とし穴に落ちてしまった。

  • 韓国長編アニメ『ロマンはない』の二人の女性監督さんのインタビューは、通訳もついていたので問題はなかったが、テープ起こしの時、どちらのお話が誰だったかわからなくなってしまった。 メモには始めこそ、印で違いをつけていたが、緊張感がとけてくるとどっちかわからなくなってしまった。 何回も聞き直して、声の特徴をつかんでやっと完成した。(7月発行のシネマ・ジャーナル82号に掲載)
  • 次は今日2日、東京渋谷で裕木奈江さんのインタビュー。
    アイスランド初のホラー映画として、今月の四日から東京で上映されている『レイキャヴィク・ホエール・ウォッチング・マサカー』(ジュリアス・ケンプ監督)に重要な役で出演されている。
    私とblog主催の男性の方と二人でインタビューしたが、 裕木さんはとても気さくな方で、話が盛り上がり、裏設定やネタバレの話で時間のたつのを忘れてしまった。 日本語同士だからとんとんと話は進む。通訳をまじえないっていいなぁ・・などと思っていたら大間違い。 テープ起こしで、書いてはいけないオチがらみ、裏ネタがらみで、後、残ったのはスカスカ…。 こんな落とし穴にはまるなど、まだまだ修行が足りんと反省。 とてもいい経験になった。
    (インタビュー記事は7日ごろ、シネマ・ジャーナルHPにアップいたします。お待ちくださいませ)

※裕木さんにはスタイリストさんが3人もついていて、blog主催の男性の方がカメラを向けると、つかさずハケブラシ?で化粧直しなどプロの仕事を垣間見せていただいた。

(美)

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1日(水) 『いのちの子ども』シュロミー・エルダール監督にインタビュー。封鎖されたガザ地区からイスラエルの病院に運び込まれたパレスチナ人の赤ちゃんの命を救おうと奔走するユダヤ人医師とパレスチナ人の母親の思いを追ったドキュメンタリー。エルダール監督はイスラエルのテレビ局を拠点に20年以上パレスチナを取材してきたユダヤ人。監督はアラビア語も堪能と資料にあったので、アラビア語を学んだ経緯について伺ってみました。高校の授業で学んだと聞いて、まずびっくりしたのですが、実は、監督のご両親がイラクから1951年に移民してきたユダヤ人だとわかりました。2005年のアラブ映画祭で上映された『忘却のバグダッド』(監督:サミール/2002年/イラク・スイス・ドイツ合作)で、中東情勢の悪化とともにユダヤ人は出て行けという風潮になり、政府からイラク国籍を剥奪され、半ば強制移住のような形で12万人くらいの人たちがイラクからイスラエルに移民したことを知ったのですが、まさに監督のご両親も身一つでイラクの家を後にしたそうです。イスラエルという国家には、いろんな人たちの複雑な思いが詰まっていることを目の当たりにしたひと時でした。(インタビュー記事は、本誌82号及びWeb版特別記事で!)
いのちの子どもhttp://www.inochinokodomo.com/
2011年7月16日より ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国にて順次公開


穏やかに語るシュロミー・エルダール監督
※ クリックで拡大します

4日(土) シネジャ82号の第1回編集日。今回も編集作業は(白)さん宅で。白山神社を抜けていくのが楽しみなのですが、紫陽花はまだ咲き始めたばかりでした。編集には、新人さんも含め5人が集まり、編集の合間に(白)さん手作りのナポリタンや、差し入れの美味しいドラ焼きを頬張りながら、映画や最近の出来事などおしゃべりも楽しみました。ページ割りも決まり、さぁ、最終編集日に向けてラストスパートです。


白山神社の紫陽花は、まだ咲き始め       一番咲いていたのが本殿の前でした
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(咲)

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2011年5月第5週
2011/5/29(Sun)

26日(木) 日韓合作ドキュメンタリー『海峡をつなぐ光 ~玉虫と少女と日韓歴史ロマン~』の乾弘明監督と日本側プロデューサー益田祐美子さんにインタビュー。このお二人とは、2004年2月、『風の絨毯』がテヘランでの日本週間で上映された折に一緒にイランへ行った思い出があります。その時に乾さんが取材して作ったドキュメンタリー「イランからのラブレター」は大好きな一作。(私の指と声が一瞬出演しています!)その後、『風の絨毯』に登場した高山の祭り山車を作った職人たちの姿を記録した『平成職人の挑戦』や、1400年前に作られた玉虫厨子の復元を追った『蘇る玉虫厨子』でもタッグを組んだ乾監督と益田さん。沈着冷静な乾監督と、蝶のようにふわふわと飛び回っている益田さんの天然ともいえるキャラが、実に好対照。インタビューというより四方山話のようなおしゃべりになってしまいましたが、新作『海峡をつなぐ光』について色々伺うことができました。


名(迷?)コンビ 乾弘明監督と益田祐美子さん

日本で飛鳥時代の玉虫厨子復元が進んでいた頃、韓国でも1500年前の玉虫装飾馬具が職人の手によって復刻されていたという思いがけない偶然。それを、在日4世の入矢麻衣さんがナビゲーターとなって、1400年以上前から続く日韓の文化交流の軌跡や辛い歴史を辿ります。撮影当時高校生だった入矢麻衣さんが、両国を旅するうちに自身の韓国人としてのアイデンティティを見つめ、さらには新たな日韓の架け橋になることを模索する姿も映し出しています。何より入矢麻衣さんの初々しい姿が魅力的です。そして、本作の中で私がもう一人注目したのが、江戸時代に朝鮮通信使として活躍した李藝という人物。実は李藝の人生をドラマ化することも決まったそうで、益田さんは、「ぜひヨン様を李藝に。彼が恋をしたという日本人女性は私をモデルにね!」と、相変わらず大きな夢を抱いているのでした。
インタビューの詳細は、本誌82号&Web版特別記事でお届けします。

海峡をつなぐ光 ~玉虫と少女と日韓歴史ロマン~
http://heiseimaster.com/kaikyou/
6月25日(土)より東京:ヒューマントラストシネマ有楽町他にて公開

(咲)

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2011年5月第4週
2011/5/22(Sun)

18日(水)この夏、香川県の小豆島、直島、高松を舞台に繰り広げられる「瀬戸内国際こども映画祭2011」の記者発表会へ。仕掛け人(プロデューサー)は、日本イラン合作映画『風の絨毯』以来親交のある益田祐美子さん。数年前から構想を聞かされていましたが、ついに結実。「こどもたちに観せたい映画」、「親子で楽しめる映画」12作品が上映されるほか、カヌー・カヤック体験、釣り、地引網、磯遊びなど島遊びの企画もたくさん用意され、親子で楽しめるビッグな夏祭りというコンセプト。「全長100mの手延べそうめん流し」の企画に目がとまって、100mのそうめん??とびっくりしたら、じゃなくて、ルートが100mですね。そうめん流しといえば、利き手が左の妹は、両手をうまく使えるので有利だったなぁ~と若い頃の旅を思い出しました。
話がそれましたが、益田さんのことだから、イラン映画も上映されるはずとプログラムをみたら、私の大好きな『運動靴と赤い金魚』が入っていました。記者会見でも、海外から寄せられたメッセージを代表して、マジッド・マジディ監督の言葉が読み上げられました。この度の震災を心配しての心温まるメッセージ。昨年福岡でお会いした時にも、日本が大好きとおっしゃっていましたが、「様々な国を旅して、一番思い出に残っているのは日本。日本人の考えやあり方を非常に尊敬しています」という監督の言葉が嬉しかったです。私もシャキッとしなくちゃと目が覚める思いも。
記者会見の最後に、登壇した方たちがオリーブの葉で作られた冠をかぶって写真撮影。 小豆島といえば、オリーブ。小学校(神戸)の修学旅行が小豆島と高松だったのですが、お土産に買ったオリーブの実で作ったネックレスが今も手許にあります。大人になって、オリーブの豊かな中東の地に興味を持ったのも何かの縁かな?


「瀬戸内国際こども映画祭2011」記者会見 ~オリーブの冠をかぶって~
左から二人目:プロデューサー益田裕美子さん     
   三人目:映画祭親善大使を務める大橋のぞみちゃん
※ クリックで拡大します

21日(土)山下文男写真展「イラン1970年代 美しい人々」へ。会場は乃木坂のペルシア絨毯ギャラリー・ミーリーコレクション。美しい草木染絨毯に囲まれたモノクロの写真の数々が素晴らしかったです。山下氏がテヘランに駐在したのはイスラーム革命直前の6年間。ホメイニー師のイラン帰還と入れ違いに山下氏は帰国。ホメイニー師の写真を掲げて家族連れでデモ行進する人たちの姿も。町や行楽地で小花模様などの薄手のチャドルをさりげなくまとう女性たちを見て、チャドルがイランの伝統文化であることを強く感じました。革命後は、肌を隠す服装が強制されていますが、それとは一線を画すとわかる証拠写真とも言えると思います。イランの人々の笑顔に溢れた写真の数々を観て、無性にイランに行きたくなりました。

山下文男写真展は、5月27日(金)まで。10時~19時。
ミーリーコレクションショールーム http://www.miricollection.com/
(オーナーのアリ・ソレマニエ氏は映画にも造詣の深い方です。)
東京都港区南青山1丁目15-15 乃木坂パークフロント1F

(咲)

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2011年5月第3週
2011/5/15(Sun)

「花開くコリア・アニメーション2011」 チラシ
5月14日(土曜)
愛知芸術文化センターで開催された「花開くコリア・アニメーション2011」に行く。

今日は韓国アニメ短編Aプログラム『短編Aプロ』。
「一緒にいたい家族のこと」がテーマの9作品。

9本の作品のレベルの高さに驚く。すべてよかった。音楽が短編の持つ内容や動きを しっかり支えていた。
  • Mam』の母の年齢になって始めてわかる苦労と寂しさと時代の流れを映し出していた。
  • NO. 1009』の想像力の豊かさ。
  • ダーツ』のスピード感と遠近の見事さ。
  • 不思議な空間を描いた『緑環食堂/YEONHWAN』はもう一度観たい作品。

5月15日(日曜)
今日も仕事の合間をぬって「花開くコリア・アニメーション2011」へ。

『短編Bプロ』
テーマ「アニメーションで見る、世界と現実」の12作品。
  • 孤独な男が“恋人缶詰”のCMを見て・・・『カン/Can
  • EATING』寝坊して朝ご飯なし、遅刻で上司にしかられる。毎日同じ繰り返しのサラリーマン。 ダイナミックな構図、最後のオチ、しゃれた作品。
  • 公共マナー』いつも私が感じている電車の中の腹立たしさを代弁してくれてスッキリ!エンドクレジットが電車路線図!気に入った。
  • 風が通り過ぎる音/Sound of wind passing through』は韓国少女版『ヴァンダの部屋』だ。
  • ラジオ・ドキュメンタリーを基に製作された南アフリカのエイズに罹った少女の物語『Thembi's Diary』は、少女の前向きな姿勢に感動した。

『短編Cプロ』
テーマは「泣いたり笑ったり、そして懐かしい・・・青春」9作品
  • Kopi Luwak』韓国の若者が通過しないといけない受験がネックになり、 自分の今したいことを中断することのジレンマを描いていた。 日本では考えられないくらい学歴社会の韓国。 その難関をクリアするには、あまりにも高いハードルだろう。 若い命をも削ってしまうのだから・・・。
  • 長編アニメ『ロマンはない』ホン・ウンジ、スギョン、パク・ジェオク監督/韓国
    今日、黄(ファン)さん夫婦は27回目の結婚記念日を迎えるが、4人の子どもらは忘れている。 妻の機嫌をとるためか、外に焼肉を食べに行こうと父親はしきりに誘うが誰ものって こない。 母親の提案がとおり、豚足を出前でとり、一家はちゃぶ台を囲む。 両親の記念日を忘れていた子らは、罪滅ぼしか、険悪な雰囲気を和らげるためか、 父母の子どものころ~新婚~今までの話、に話題をむけた・・・。
    若い監督さんたちのぬくもりのある長編アニメ。
    この3人の監督さんは、国立映画学校「韓国国立アカデミー」でアニメーションを専攻した仲間。 韓国の大手映画会社が配給して一般公開された作品。
    平凡な夫婦の物語だが、その平凡さの中にある <気づかない幸せ> が全編にあふれていた。 今、思いがけない災害に日本は見舞われている。 帰る家がある、愚痴を聞いてくれたり、ちょっとしたことで言い争いのできる親兄弟 がいる、 そして一緒に食卓を囲む・・・平凡だけど、その平凡さが宝ものだったことを再確認させてくれる。 父さんにも、母さんにも、大変な苦しみがあったと思うが、 「お二人の27回目の結婚記念日は、4人の子どもたちにとって、 将来伴侶を見つけて生活をする上での“理想夫婦生活像・確立記念日”でもありますね」と伝えたい気持ちになった。

    ※やわらかい色調と素朴なキャラクター、そして声優さんの声がキャラクターにぴったりで、韓国語の音(オン)の美しさを感じた。
    ※韓国国立映画アカデミー(KAFA)を調べてみた。 『殺人の追憶』のポン・ジュノ、『8月のクリスマス』のホ・ジノら人気監督が学んだ名門。 入学条件は、映画作りの経験があること。年齢、学歴、国籍は問わない。 実技重視のスパルタ教育で知られ、「映画士官学校」の異名も。 卒業にこぎつけるのは入学者の3割程度。2007年からは長編製作も始めた。 特にアニメの長編は、海外の映画学校でもほとんど例がない試み。

(美)

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12日 『テザ 慟哭の大地』(ハイレ・ゲリマ監督)の試写へ。同じ会場で別の映画の試写を観終わった(白)さんと、これから同じ作品を観る(美)さんに遭遇。次号82号の編集について、せっかく3人揃ったので打ち合わせしました。6月中〜下旬発行を目指して本格的に始動です。

テザ 慟哭の大地 チラシ
さて、『テザ 慟哭の大地』は、エチオピアの1970年代から1990年代の現代史を背景にした作品。エチオピア正教の絵画(たぶん!)を背景に、聖歌と思われる魂の叫びのような唸る声が響いてきて、冒頭から惹き込まれました。
物語は、1990年代初頭、ドイツから故郷の村の母のもとに帰ってきた主人公が過去を振り返る形で語られます。1970年代初頭、医者になることを志してドイツに留学した主人公は、留学中に皇帝ハイレ・セラシエ1世廃位のニュースを目にします。社会変革を遂行しようと故国に戻った友人を追って帰国するも、知識人と労働者階級が対立し自己批判を求められます。その後、軍事独裁政権に政治目的で利用され、東ドイツへ・・・
時代が交錯して、ちょっとわかりにくい部分はあるものの、エチオピアで皇帝廃位以降、中国の文化革命のような階級闘争があったことなど、エチオピアの現代史を垣間見ることができました。また、エチオピアの因習や風俗も興味深いものでした。
エチオピアというと、植民地時代、アフリカで唯一独立国として存在し続けたこと、東京オリンピックの時に裸足で走ったマラソンのアベベ選手、コーヒーの原産地、原始キリスト教の国といったことしか若い頃は知りませんでした。1990年代初頭のエリトリア独立戦争では、エチオピアにイスラーム教徒も案外多いことを知りました。
十数年前のこと、商社に勤めていた時に中東・アフリカ地域を担当していて、エチオピアからJICAの研修生として来日した女性と池袋の「パリの朝市」で食事を共にしたことがありました。子どもを母親に預けて働いていると語っていた聡明な褐色の肌の美人でした。彼女も、主張の異なる社会主義グループが対立する過酷な時代を乗り越えたのでしょうか・・・
そういえば、知人のドキュメンタリー映画監督からエチオピアのお土産に主食のインジェラ(クレープ状に焼いた灰色のもの)を保管する立派な籠をお土産にいただいたことがあります。19世紀のフランスの詩人ランボーが滞在したハラールの町のことなど、土産話の楽しかったことも思い出しました。一つの映画から、走馬灯のように色々なことが脳裏を巡って、日記を書きながら感無量のひと時です。

(咲)

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2011年5月第2週
2011/5/8(Sun)

2日 オサーマ・ビン・ラディン射殺のニュースが飛び込んできてびっくり。パキスタンの人たちはどんな思いをしているだろうと、日本に住む友人に聞いてみたら、「これからパキスタンはほんとうに困る」と嘆いていました。栃木に住む彼は、3月11日に真っ先に私に「大丈夫?」と電話をしてきてくれた人。あれから何度も津波の被災地にトラックで物資を運び、現地で何軒もの家を住めるようにしてあげている心優しい人物なのです。風貌から判断されて不愉快な思いをしたことも多々あると思うのですが、そんな不満を聞いたことはありません。

思い出したのが、この間、未公開映画祭で公開された『ビン・ラディンを探せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃!~』。監督は、『スーパーサイズ・ミー』でビックマックを食べ続けたモーガン・スパーロック。奥さんが妊娠し、生まれてくる子の安全を守るにはテロリストを消さなければと、「ビン・ラディンはどこにいる?」と自らイスラーム諸国を駆け巡るのです。スパーロックは人々と直接言葉を交わし、そこに住む人たちの素の姿を映し出していきます。テロリストと決め付けて、イスラームの普通の人々のことを知ろうとしない人たちに向けての本作。彼らに対する恐怖は自分達が作り上げたイメージによるものに過ぎないと語り、最後に、「ビン・ラディンを捕まえても平和は訪れない」と結んでいました。まさに今回のビン・ラディン射殺はアメリカにとっては、9.11のけじめをつけたことになっても、新たな火種になるのではと心配です。 
 


『ビン・ラディンを探せ!~スパーロックがテロ最前線に突撃!~』
(C) 2008 WHERE IN THE WORLD, LLC AND WILD BUNCH S.A., ALL RIGHTS RESERVED

左:5月4日 六義園へ行ったら、みどりの日で無料でした!
右:六義園、満開の大ツツジ。             

(咲)

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今年もGWは、恒例の有楽町朝日ホールのイタリア映画祭に行った。 地震の影響で、ゲストなしのちょっと寂しい映画祭だったが、 7本みたうちに、上京した甲斐のある作品にも出会えたので嬉しかった。 詳しくは82号に掲載予定だが、簡単に感想を書いてみた。

★『初任地にて』ジョルジャ・チェチェレ監督/2010年

やっとの思いで教師の試験に合格した若い女性ネナは、初任地がイタリア南部プッリャという田舎になる。実家から遠いし、身分違いの恋人とも別れなくてはならないが、少し勤めてから転任願いを出そうと赴任地へいく。だが、そこは想像以上の田舎だった…。

血の記憶』や『トニオの奇跡』の脚本を担当した女性監督さんの長編初作品。
新米教師の若い女性ネナと上流階級の恋人、そしてもう一人、赴任地どいなかの家主の甥っ子。三人の気持ちの変化が自然の風景の中で描かれていた。普通ならNGが出てしまうような場面があったが、この女性監督は日常生活なら起こり得ると判断してか、そのまま撮影を続けていた。そんなちょっとしたことだが、とても好感が持てた。
これはクロージングにも上映されていたが、なるほど、地味だが味わい深い作品だった。


★『ロバの美』セルジョ・カステッリット監督/イタリア/2010年

夫は建築家、妻は心理学者という裕福な中年夫婦の17歳の一人娘が、なんと70代の老人を伴って帰って来た。

歳の差婚が流行っていても、17歳と70歳では驚くのは、親として当たり前。
70歳でもいろいろだが、ここに出て来る70歳は白髪の見た目75歳ぐらい(失礼)。 お金もあり、知識もあり、含蓄のある言葉もでてくる。軽いスポーツならお手の物。 でもロマンスグレーの渋い奴ってのを通り過ぎた老人。(ちょっとしつっこい?) どこに魅力を感じたのかと親世代の私には考えられない設定。私なら「あら、そうなの!選択肢が広くていいわね」と軽く言い、ほっとくが…。
監督さんは有名な俳優さん。父親役でも出演してる。この監督さんが年の差のお相手・ロマンスグレー親爺になってれば・・・と思わないでもなかった。
映画自体は面白かったので公開するかもしれない。


★『風の子どもたち』ルーチョ・ペッレグリーニ監督/2010年

港湾労働者がクレーンから落ちて亡くなる事故が発生したが、きちんと対応しない政治に反発した仲間は、未亡人に渡すお金を作るため、大臣を誘拐しようと計画するが…。

間違って事務次官を誘拐してしまうが、誘拐中である緊迫感がない。 誘拐って大変なことじゃないのか?(これもお国柄か?) 面白い作品だが<誘拐>の犯罪悪から遠く離れ過ぎていると感じた。


★『最後のキス』ガブリエーレ・ムッチーノ監督/2001年

30歳を目前に、同居する恋人の妊娠を知ったカルロは、偶然知り合った18歳の少女に夢中になる。彼の周りの友人はといえば、夫婦関係が冷え切っている者、元恋人を諦められない者、心から女性を愛せない者とバラエティーにとんでいる。


これは2度目。男っていつまでも大人に成り切れないところがあるなぁ、浮気するなら本気で浮気する(うまく隠す)甲斐性がないとダメ。 女房、恋人にばれるような浮気しかできないなら、二度とやるなよ!(お~、怖い私)


★『ラ・パッショーネ』カルロ・マッツァクラーティ監督/2010年

5年もスランプで映画が作れない中年監督に、若い女優を主演とする映画の話が舞い込む。だがそれと同時期に、トスカーナに所有するアパートの水漏れ事故で、階下の部屋にあった国宝級の絵画「キリストの受難/ラ・パッショーネ」を水浸しにしてしまう。

これは面白かった。今回7本中1番の傑作。公開されるのを願う。 脚本がよく、字幕も(名前は忘れたが女の方だったような・・・)よかった。
俳優さんは『ボローニャの夕暮れ』のお父さん役のシルヴィオ・オルランド、元泥棒役はジョゼッペ・バッティストン。この俳優さんは今回の『風の子どもたち』にも、今年夏に公開される『人生、ここにあり』にも登場する。体形やキャラクター的には“イタリアのジャック・ブラック”と言えそう。


★『キスを叶えて』ロベルタ・トッレ監督/2010年

シチリア島のリブリートで聖母像の頭部が行方不明になった。だが近くに住む13歳の少女の夢のお告げで発見された。このことで、少女は聖人に祭り上げられてしまう。 娘の母はそれを利用して、お金を稼ぎ始めるのだが…。

これも女性監督だが、この聖少女、13歳に見えない。どうみても17歳以上…彼氏がいて求められたら体の関係も持ってしまうかなと心配になる積極的なところがある。肉感的な体のも違和感があり、どうしても作品の流れに入り込めなかった。
カメラがとてもよかったが、脚本(字幕)が悪く、登場人物の関係が途中までわからなかった。

★『ぼくたちの生活』ダニエーレ・ルケッティ監督/2010年

ローマ郊外の建設現場で働くクラウディオは、最愛の妻と男の子二人に恵まれ、幸せに暮らしていた。もうすぐ三人目の子が生まれるが、その出産で妻を亡くしてしまう。 一家の生活は一変する。

ひりひり感のあるホームドラマ。イタリア人気質や移民問題も浮き彫りにされている。 2番目によかった作品だが、最後、素早くすべての問題が解決したのがチョイ不満。

(美)

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2011年5月第1週
2011/5/1(Sun)

24日(日) レスリー・チャンを語り続けているNext Club Hong Kong 主催の「哥哥的一天」へ。レスリーが活躍していた頃から毎月欠かさず開催されていたイベントですが、さすがに3月は大震災の影響で中止。2ヶ月ぶりの会は、レスリーが旅立って8年目の4月ということもあって、集まった皆の気持ちが一つになった暖かい雰囲気に満ちたものでした。前半の水田菜穂さんのトークでは、4月29日からシネマート六本木で開催される【香港電影天堂 SPECIAL】に絡めて、日本で香港映画が熱かった1990年前後の様子が語られました。(あ~懐かしい!) 水田さんは、4月29日の香港電影天堂開幕トークショーに登壇するほか、会期中(特にGW)、会場にちょくちょく出没して語ってくださるそうです。
「哥哥的一天」後半は、レスリーの写真もたくさん撮っている写真家の島津美穂さんのお話と共にレスリーの映像をたっぷり。今年の4月1日の香港での追悼や『阿飛正傳(欲望の翼)』20周年の模様、ピーター・チャン監督が『金枝玉葉(君さえいれば 金枝玉葉)』は、レスリー主演が決まっていて、彼のために脚本を書いたと語る様子や、『覇王別姫(さらば、わが愛・覇王別姫)』撮影時のことを語るレスリーを見ながら、「18年前の映像が残っているとは・・・」と感慨深く語るチェン・カイコー監督の映像も。香港や中国の映画に夢中になっていた頃を思い出して感無量のひと時でした。と、レスリーにどっぷり浸ってばかりいたわけではなく、「哥哥的一天」に参加させていただいた主目的は、シネマジャーナル最新号を会場で販売させていただくことでした。レスリー・チャン関連記事はほんの少しだったのですが、大勢の皆さんにお買い求めいただきました。いつもほんとに感謝です。次号82号(6月発行)には、毎年欠かさず4月1日に香港に赴くEさんの報告を掲載します。レスリー迷の皆さま、次号をどうぞご期待ください!

(咲)

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2011年4月第4週
2011/4/24(Sun)

17日 『バビロンの陽光』のモハメド・アルダラジー監督にインタビュー。監督にお会いするのは、2006年3月に開催された第2回アラブ映画祭で『』が上映されて以来のこと。報告記事を掲載したシネマジャーナル67号をお渡ししたら、写真を見ながら「この頃は若かった!」とはしゃぐ監督。いえいえ、1978年生まれですから、まだまだお若い。『バビロンの陽光』には、パレスチナのラシード・マシャラーウィ監督も関わっていると資料にあったので、「もしかして、2006年のアラブ映画祭が縁?」とお伺いしたら、やはりそうでした。日本での出会いが実を結んだのは嬉しいですね。


左:モハメド・アルダラジー監督                                  
右:第2回アラブ映画祭の折のモハメド・アルダラジー監督(左端)ラシード・マシャラーウィ監督(中央)

前作『』を撮った頃のイラクは、ほんとにクレージーだったと振り返る監督。『バビロンの陽光』の中で、笛を吹く少年に、年配の運転手が「吹くならマイケル・ジャクソンの曲にしてよ」という場面があったので、監督やイラクの人たちにとってのアメリカの存在を聞いてみました。イランでもイスラーム革命直後の米国との緊張感が高かった頃に、マイケル・ジャクソンやアメリカ文化は人気だったことを思って質問してみたのでした。監督の答えは、思った通り、「アメリカに住む人たちが普通の人たちだとわかっているし、アメリカの文化も好きだけど、軍人となると別」とのことでした。『』を撮影していた時に、米軍に拘束された経験を持つ監督にとって、イラクから米軍が完全撤退する日が待ち遠しいことでしょう。

また、『バビロンの陽光』で、かつてクルド人虐殺に関わった人物が、サッダーム・フセイン政権に強いられたものだったと心の痛みを語る場面があるのですが、加害者もまた被害者だということを強く感じました。フセイン政権崩壊直後には、宗派や民族に自らのアイデンティティを求める傾向もあったけれど、今はイラク人という共通の意識で、国を良くしようという雰囲気があると監督は語っていました。2006年のシンポジウム〔イラク映画復興のために〕で、「イラクが素晴らしい国になることが私の夢です。治安が回復し、普通の国になることが」と語っていました。夢に一歩一歩近づいていることを監督の笑顔から感じたひと時でした。夢が早く現実になることを願うばかりです。


チューリップ真っ盛りのオランダ・・・      ではなく、横浜公園に行ってきました!

(咲)

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東日本大地震の後、何かをしなくてはと考えている人は多いけど、一人の広東語教師が自分のできること「広東語を教えることを活かして、義援金を寄付したい」と考え、企画したのが広東語の歌を教えながら一緒に歌い、集めたお金を日本赤十字に寄付すること。彼女は三島金霞さんといい、20年以上前に香港から来日し、日本人と結婚している方です。

そして、第1回目は張國栄(レスリー・チャン)の「共同渡過」でした。当初は10人も集まればと思っていたのですが、20人近い人が参加しました。そのうち香港の人が4人、あとは日本人でした。レスリーファンも参加してくれました(たぶん4人)。このイベントのために奔走してくれた長谷川さんが劉徳華(アンディ・ラウ)ファンだったのでアンディファンは私の知る限りでは7人でしたが(笑)、張学友(ジャッキー・チョン)ファンの方もいました。

レスリーのCDは3,4枚くらいしか持っていないのですが、実は一番好きなのがこの曲だったのでぜひ参加したいと思い、私も参加しました。

共同渡過」とは<共に乗り越えていこう>というような意味があるとか。
歌詞の意味、発音の仕方を習い、レスリーのMTVに合わせて一緒に歌いました。
北京語は勉強したことがあるのですが、広東語を勉強したことのない私は、なかなか発音を覚えられず、歌詞カードをみて歌うばかり。ずっとレスリーを見ながらは歌うことができずでしたが、なんとか皆さんについていきました。

この「共同渡過」は谷村新司の「」のカバー曲だそうです。以前から谷村新司の曲ということは知っていたのですが、レスリーが歌っているのは聞いたことがあるのに、谷村さんのは聞いたことがなくて(ごめんなさい)、この文章を書くのにインターネットで原題を探していたら、You Tubeで谷村さんが歌っているのをみつけました。2008年大阪で行われた音楽会?でのシーンが流れていて、そこではなんと中孝介もこの歌を歌っていました。中孝介が好きな私にとっては嬉しい発見でした。

この、第1回広東語研究会チャリティイベントでは非参加者からの募金も合わせ、合計55,000円を赤十字に義援金として送ることができたそうです。


そして先生は、早くも2回目のチャリティイベントを企画しました。
2回目はテレサ・テンの「漫歩人生路」(中島みゆき「ひとり上手」のカバー曲)を学び、歌います。 現在、このシネマジャーナルHPのお知らせにも載っていますが、下記日程にて行われます。1回目に参加できなかった方、ぜひ参加してみませんか。

今後も、毎月1回(日曜日)、渋谷の東京ウィメンズプラザにてイベントを行っていきたいとのことですので、興味ある方はぜひご参加ください。


日時:5月1日(日)午後15:15~17:15
会場:四谷地域センター http://www2.odn.ne.jp/~hao65350/index.html
講師:第1回目と同じ三島金霞さん
参加費:2,000円
参加費は必要経費を引いた後、日本赤十字に義援金として寄付されます。

私は中島みゆきのファンで、彼女のCDは全部持っています。香港や台湾、中国などで歌われている日本の歌のカバー曲のことを知ったのも、彼女の歌がたくさんカバーされていたからでした。なので、今回もぜひ参加したいと思っています。


実は16年も前、「中島みゆきの歌と香港ポップス」という記事をシネマジャーナルに書いています。良かったら読んでみてください。

シネマジャーナル31号(1994年12月発行)
 「中島みゆきの歌と香港ポップス」記事 http://www.cinemajournal.net/bn/31/miyuki.html

1回目と2回目の広東語研究会のチャリティイベントでは日本の歌のカバー曲が選曲されましたが、中華圏ではたくさんの日本の歌がカバーされています。
やはり16年前、シネマジャーナルでは、どんな日本の歌が中華圏でカバーされているかをたくさんの人の協力で調べ、「この曲の元歌は何?」という特集を組みました。それを載せた号は、今はもう在庫がないのですが、幸いHPに載っています。ぜひぜひ見てみてください。皆さんもきっと驚くと思います。でも、これもほんの一部です。

シネマジャーナル30号(1994年9月発行)
 「この曲の元歌は何? 第1弾http://www.cinemajournal.net/bn/30/cover.html

シネマジャーナル31号(1994年12月発行)
 「この曲の元歌は何? 第2弾http://www.cinemajournal.net/bn/31/cover.html

東日本大震災で被害にあった方たちに救済の手を差し伸べようという動きが世界各地でありますが、中でも4月1日に香港であった「愛は国境を越えるチャリティ・コンサート(愛心無國界311燭光晩會)」は、私にとってとても印象深いものでした。
最近香港のTV番組はほとんど見ていない私ですが、久しぶりに見ました。それもリアルタイムで。香港のTV番組をリアルタイムで見ることができるというのは聞いてはいたのですが、なかなか自分では見る事がなく今回初めてリアルタイムで見ました。
その日は映画の日だったので、映画を見に行く予定だったけど、友人からこのチャリティイベントの案内メールがあり、インターネットで見る事ができるとあったので、ネットカフェに行き見ました。あいにく、見始めたのが1時間遅れだったので、前半に歌われた「雨ニモマケズ(無懼風雨)」を見る事ができなかったのが残念ですが、それでもリアルタイムで見れたことは感動でした。
ここでは郭富城(アーロン・クォック)が中村雅俊と一緒に、「俺たちの旅」のカバー曲「前程錦繡」を歌っていました。そういえば、ウイナーズも「」を歌っていましたね。「北国の春」も歌われたそうですが、それは見ていないのが残念です。このイベントを通して、日本の曲が中華圏で相変わらず親しまれていることを知りました。
その逆はないのが残念です。

シネマジャーナル 愛心無國界311燭光晩會レポート記事はこちら
http://www.cinemajournal.net/special/2011/artistes311/index.html

(暁)

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2011年4月第3週
2011/4/17(Sun)

4月16日(土曜)朝、三重県四日市の109シネマズへ。
名古屋の試写でお会いする方から、午前10時の映画祭『フォロー・ミー』は必見ですよと教えてもらった。調べてみたら四日市でかかっていたので早起きして行った。近鉄名古屋駅から約30分、意外と早く着いたが、そこはもう関西弁のイントネーションだった。駅のすぐそばに映画館があり、東京や名古屋と違う庶民的な雰囲気のシネコンだった。

フォロー・ミー』キャロル・リード監督/イギリス/1972年
英国の上流階級で有名な会計士チャールズには深刻な悩みがあった。それは新妻ベリンダが、浮気しているのではないか、という疑いをいだいていたからだ。チャールズは私立探偵のクリストフォルーに妻の調査を依頼するのだった。
探偵さんといえば『スプリング・フィーバー』を思い出してしまうが、この作品は、探偵さんによって新婚夫婦がもう一度愛をはぐくむ<天使の役>をする。天使といっても、見た目はおじさん・・・。だが、この探偵さんのしぐさや個性的な振る舞いに思わず笑ってしまった。
語らずに互いにみつめあい、一定の距離をおいていつも一緒に。
これが夫婦長持ちの秘訣と教えてくれた作品だった。・・・もう手遅れだけど(笑)
ミア・ファローの中性的魅力がよかった。

夜、今日が公開初日の『婚前特急』の前田弘二監督が、名古屋シネマスコーレに来場。スコーレでは、この一週間を「前田監督『婚前特急』記念・作品祭り」として、レイトショーで今までの作品を上映。
初日の今日は
』(2005年)
同棲中の正太と和子の部屋にあらわれたひとりの女。和子の友人だと名乗り、部屋に上がり込んで来たその女は、何やら訳ありの様子で…。(そのわけは、女はこの部屋に前に彼氏と住んでいた。その思い出にひたりに・・・)

鵜野』(2005年)
グラビアアイドル志望の妹の夢を叶えるため東京へやって来た鵜野兄妹。お金もあてもない二人は、学童時代の友・岩本の部屋に居候しようと企むのだが…。(岩本のすむアパートは、同居している彼女の部屋。だが断りきれず連れてきてしまう)

古奈子は男選びが悪い』(2006年)
可愛いし性格もいいのに、なぜか男運のよくない古奈子。友人の紹介で、ある男性と付き合い始めるが・・・。(いいと思って付き合いかけた男は、紹介してくれた女性の元彼?)

3作品とも前田ワールの作品で楽しめた。観客数は40人以上。男女比率半々。ほとんど全員が『婚前特急』を観ており、お一人の方など、今日初日なのに2回観た方もおられた。終わったのが夜11時過ぎ、監督に「全作品観ますよ」とエールを送った。

(美)

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13日(水)中東&アフリカ好きの友人に受け渡したいものがあって、水曜日だし、きっと彼女も何か映画を観にいくだろうと相談してみたら、お互い新宿ピカデリーで観たいものがあって、タイミングよく会うことができました。彼女は『ファイター』、私は『ツーリスト』。彼女から「咲さんが『ツーリスト』を観ると知ってちょっとびっくりでした」の返事が・・・。確かに、この映画、「サスペンス映画なのに駄作すぎてコメディに分類された」とか、「豪華キャストで、これでいいのか?」とかケチョンケチョン。すでに観た友人からも、からくりがよくわからなかったと不評。それでも、あえて千円払って観にいったのは、ほかでもないジョニデが出ているから! (でも、ヴェネチアが舞台じゃなければ、いくらジョニデが出ていても観にいかなかったかな・・・) ジョニデがパジャマ姿で大運河を見下ろす屋根を逃げていくところなど、ジョニデもヴェネチアもたっぷり楽しめました。ダサい数学教師という役どころのジョニデなのですが、いやもうツボでした。「この顔、結構気に入っている」というオチの言葉にも爆笑。(シチュエーションも書きたいところだけど、ネタバレになるのでやめておきますね。) 辛口採点をする(美)さんの映画日記を確認してみたら、意外にも高い点数つけていたので、安心して観にいったのですが、映画って、ほんと、自分で観てみないと気に入るかどうかわからないですね。私にとっては、20年以上前のヴェネチアの旅を懐かしく思い出すひと時となりました。観る映画を選ぶ動機って、案外単純!  社会派映画が好きだけど、ただただ楽しめる映画もいいものですね。

(咲)

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2011年4月第2週
2011/4/10(Sun)

春になるのも忘れているのかと思っていたら、いつのまにか桜が満開に。今年も両親と共に桜を愛でることができたと感謝、感謝。でも、例年のような、あぁ~春が来たという感慨がなく、桜も悲しげに咲いているような気がするのは、気持ちが反映しているからですね・・・ 

8日、イラクのモハメド・アルダラジー監督作品『バビロンの陽光』の試写へ。いち早く観たかった映画ですが、やっと行けました。舞台は2003年、サッダーム・フセイン政権崩壊直後。イラク北部に住むクルド人のおばあさんが、12年前に湾岸戦争に参加して行方不明になった息子が南部ナシリアの刑務所にいるらしいと、12歳になる孫息子を連れてイラクの北から南へと旅する物語。荒廃した町をいくつも通って南部に着くと、あちこちに多数の遺体が無造作に埋められた集団墓地があって、女性たちの嘆く姿が・・・ イラクの辿ってきた辛い時代を描いていますが、美しい風景や、イラクの人々の心優しさもたっぷり味わうことのできる作品でした。(2011年夏、シネスイッチ銀座ほか全国にて順次公開)


『バビロンの陽光』

中東の映画が一般公開されるのは珍しいのですが、同じく初夏に銀座テアトルシネマでトルコのセミフ・カプランオール監督のユスフ3部作『』『ミルク』『蜂蜜』が一挙公開されます。『』は2009年にアジアフォーカス・福岡国際映画祭で一度観ていますが、『蜂蜜』が第60回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞し、3本まとめての公開となりました。
そして今年の第61回ベルリン映画祭で金熊賞を受賞したのは、昨年『彼女が消えた浜辺』が日本で公開されたイランのアスガー・ファルハディ監督の最新作『別離、ナデールとシミン(原題:Jodaeiye Nader az Simin)』。撮影途中、ある発言がもとで製作許可を一旦取り消されたのですが、その後、許可を取り戻し完成させたもの。今、イランで公開中ですが、イランの友人から日本円にして1億2千万円くらい売れているとメールがありました。日本でも公開されるといいな。


『蜂蜜』

(咲)

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2011年4月第1週
2011/4/3(Sun)

今年も巡ってきた4月1日・・・ 『阿飛正傳』(日本公開タイトル:『欲望の翼』)20周年で、香港で記念回顧展や上映会が開かれるというお知らせに、あの映画から、もう20年!!・・・と時の経つ早さをしみじみと感じました。そして、今年も香港には行けないなぁ~とレスリーに不義理を詫びました。大震災とその後の原発事故で落ち着かない中、「こんな時ですが・・・」と、かつての追っかけ仲間の方からメールが。結局、今年も4月1日は懐かしい面々のうち6人が銀座で集まってレスリーを偲びました。心置きなく、なんでも話せる友たちで、ほんとにレスリーが繋いでくれた縁に感謝です。仲間の中には、同僚の方のご主人が行方不明になられたり、実家が津波で流されたりしたという方もいました。災害の大きさを実感したひと時でした。

仙台の友人からは、チョコレートがなかなか入荷しなくて食べたいとのメールが・・・。思えば『エクレール・お菓子放浪記』も甘いものの手に入りにくかった戦中・戦後の物語。大震災前日の3月10日に行われた完成披露試写会の舞台挨拶で、「お菓子を食べて笑顔になって、人と人との繋がりが豊かになってほしい」との言葉があったのを思い出しました。報告記事をやっと書きましたので、お読みいただければ嬉しいです。


『エクレール・お菓子放浪記』チラシ       吉井一肇くん      

(咲)

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2011年3月第4週
2011/3/27(Sun)

大震災後の原発事故の影響は底知れないですね・・・
被災した皆様が、まだまだ大変な思いをされている中、節電と買いだめに走らないくらいしか、私にはできることがないと思いながら、少しずつ活動再開です。

でも、世の中はすっかり自粛ムード。いろいろな催しが中止や延期に。そんな中、4月2日全国公開予定だった映画『ヨギ&ブーブーわんぱく大作戦』公開中止のお知らせが届きました。
国立自然公園でピクニック客のお弁当をあの手この手でちゃっかり失敬するイタズラ者の熊ヨギの物語。ヨギと言われてピンとこなくても「クマゴロー」と言えば、アラ還世代には懐かしいキャラクターではないでしょうか。もう50年近く前にテレビで放映されていた米国ハンナ・バーベラ・プロダクション製作のアニメ。それが、実写とCGアニメーションとの合体でスクリーンに蘇ったのです。公園を売り飛ばして木を伐採しようとする市長に対峙するという、環境保護をも見据えた内容で、クマゴローを懐かしむ世代だけでなく、今の子どもたちにも観てほしい作品でした。残念!

試写室で大揺れを体験したせいか、地震以来トラウマになっていて、試写を観にいくのもためらっていたのですが、25日(金) 『婚前特急』の前田弘二監督にご取材できることになり、この日から映画も観始めました。

さて、前田弘二監督ですが、実は、3月11日夕方にインタビューの時間をいただいていたのですが、地震でお互いに会場に行き着くことができなかったのでした。4月1日公開なので、もうお話を伺うことはできないのではと思っていました。再度時間を設定いただいたら、名古屋のシネマスコーレで行われた前田監督の特集を観て、前田監督ファンとなった名古屋の(美)さんが、ちょうど上京していて一緒にインタビューへ。実のところ、ちょっとテンションが下がっていて、どうなることかと思っていたので大助かりでした。 『婚前特急』は、5人の彼氏と同時に付き合う24歳のチエが、“たった一人のほんとうの相手”を見つける物語。昨年12月に行われた舞台挨拶に登壇した前田監督は、若くて、彼氏の一人という風情でした(特別記事:『婚前特急』完成披露試写会 舞台挨拶レポートhttp://www.cinemajournal.net/special/2010/konzen/index.html)。 映画『婚前特急』のことや、思わぬきっかけで映画の世界に入ったことなど、楽しくお話を伺うことができて、少し元気が出てきました。気を取り直して、やるべきことをやってしまわなければ・・・!


『婚前特急』前田弘二監督

(咲)

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2011年3月第3週
2011/3/20(Sun)

想像を絶する大震災の余波で、東京も計画停電が無計画に続いたり、余震で揺れたりと落ち着きません・・・ 被災地の皆さんのことを思えば、不自由なく暮らしているので、ほんとにありがたいことだと神に感謝したい気持ちです。こんな中、神戸で中学校の閉校式と同期の同窓会があって、どうしようと思いつつ、会える時に会える人には会っておこう・・・と、17日から神戸に帰ってきました。

神戸では、1995年に震災を経験したことを思い出して、今、被災されている方たちのことを心配する言葉が、電車の中の会話などからも聞こえてきました。神戸の町もすっかり綺麗になったけれど、震災で家族を亡くしたり、家を失った人たちの心の傷は何年経っても癒えないことを感じます。フォン・シャオガン監督の『唐山大地震─想い続けた32年─』も、心の痛みをいつまでも抱えている人たちを描いた物語ですが、3月26日から予定されていた公開が延期されました。監督からお見舞いのメッセージが届いていて、公式HPに掲載されています:http://tozan-movie.jp/

さて、中学校の閉校式も、まずは今回の大震災の被災者の方への黙祷で始まりました。中高一貫校への移行に伴う発展的閉校なのですが、母校の閉校はやはり寂しいものがありました。校舎もすっかり建て替えられた中、在校時代から残っていたのは、校庭の隅にある鉄棒! 逆上がりが出来なくて、散々悩まされた鉄棒です。よりによって、これだけが残っているなんて・・・!!!  教室からよく眺めていた海も、埋め立てでずいぶん遠くなったような気がしました。

同窓会では、卒業以来初めて会う同級生もいて、ほんとに楽しいひと時でした。思い切って行ってよかった~! 懐中電灯を持ってきてくださった方もいて、嬉しい限りでした。

今回は、神戸の旧居留地のど真ん中にあるホテルに泊まって、朝早くから夜中まで、神戸の町をあちこち歩き回りました。同窓会に出られないお友達とも別の日に会って、おしゃべりしたり、20年前のトルコの旅で知り合った看護婦さんを誘って舞子にある孫文記念館(移情閣・舞子六角堂)を訪ねたりしました。昨年11月に香港で孫中山記念館を訪ねた直後に『孫文の義士団』の公開を知ったのですが、神戸にも記念館があることを知り、これは行かねばと。孫文が1913(大正2)年3月14日に来神した際、神戸の中国人や政・財界有志が開いた歓迎の昼食会の会場だったのが移情閣。孫文が革命のためにアジアの各地を訪ね歩いた足跡を地図で見て、感無量でした。


舞子にある孫文記念館・移情閣は六角形の建物が印象的。
※ クリックで拡大します

旧居留地は、地震で被害を受けた歴史的建物もずいぶん多かったのですが、修復復元された建物も多く、美しい町並みを形成しています。(かつての姿とはずいぶん変わってしまったけれど・・・) 異人館が立ち並ぶ北野町は、小さい頃にはまだ観光地というより、異人館に人が住んでいたものでした。その中で、私の心を捉えたのが神戸モスクのエキゾチックな姿。潜在意識の中にあって、いつしか中東の言語や文化に興味を持つようになったようです。


左:旧居留地十五番館。阪神淡路大震災で全壊しましたが、1998年に復元。
右:旧居留地の向い側、南京町の南にある建物               


私の心をつかんだ神戸モスクはトルコ風。        北野町にはジャイナ教寺院も   


北野町にはユダヤ教のシナゴーグも!

※ クリックで拡大します

神戸の町には小さい頃に観た映画の思い出もいっぱいあります。小学校の時、全校あげて三ノ宮の新聞会館や国際会館に観にいった『十戒』『天地創造』『長い灰色の線』。(小学生には難しかった映画も! でも、どれも印象的) 中学生の時、クラスの人たちと大勢で観にいった『南太平洋』は、ロッサノ・ブラッツィが素敵だった! 「バリ・ハイ♪」の歌が忘れられません。大丸に近い映画館「神戸朝日会館」では、父に連れられて行った『101匹わんちゃん』(公開時タイトルは『101匹わんちゃん大行進』でした)が終盤近くでフィルムが切れてチケットを貰って帰り、後日、今度は母と観にいって2度観れて得した気分だったことを思い出します。新聞会館も国際会館も神戸朝日会館も建て直してしまって、ちょっと残念。『ローマの休日』は、やはり父に連れられて最後の場面を立ち見で観てから、次の回を座って観たのですが、上映された阪急三宮駅の上にあった阪急会館も震災で壊れてしまいました。


左:1995年の震災の時に潰れた生田神社も綺麗に復帰         
右:神戸港震災メモリアルパークに当時のまま残されている地震の爪あと


左:私が小さい頃に出来た神戸港のシンボル「ポートタワー」
右:花時計とトーテムポール これも昔懐かしい風景    


南京町では、夜、男の子たちが獅子舞の練習をしていました。

※ クリックで拡大します

いろんなことを思いながら、小さい頃の思い出に浸った3日間でした。やっぱり故郷はいいものですね。それだけに、町ごと津波で流されてしまった方々のことを思うと、ほんとに涙が出ます。被災された皆様が一刻も早く、安全に普通に暮らせる日がくることを願うばかりです。  

(咲)

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2011年3月第2週
2011/3/13(Sun)

3月11日
長い一日になりました。

地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り致します。
被災地の皆様の1日も早い復興を願います。

 この日は予定があり午後休みを取り、2時45分ころ初台駅に着いたのですが、ちょうど電車が行ってしまい、調べものをしようとかばんを下に置きファイルを探しているときにぐらっときたので、一瞬、めまいを起こしたのかと思ってしまいました。
 電車はいつ復旧するかわからないというので新宿駅まで歩き、新線新宿駅で電車の開通を待っていたのですが2時間たっても動く気配がなく、予定していたところに行くのはあきらめました。しかたなく家に帰ろうと思いJR新宿駅に行ったのですがこちらも動く気配がなく、お腹がすいたので腹ごしらえをしに行って、帰りには動くかと思ったら、どうも今日は動かないというので、しょうがないからネットカフェ泊まりにしようとネットカフェに行ったら30人待ちと言われてしまったけど、帰るあてはないので申し込み。
 それで、そんなに待っているのなら1本映画を見ようと新宿ピカデリーに行ったら、今日はレイト上映なしといわれてしまい、そのままネットカフェに帰ってもだいぶ待つだろうと思ったし、ここで、電車の再開情報も流れていたので、40分くらいここで過ごしました(結構たくさんの人がいました)。もしかして、今夜ここに泊まれるのなら泊まらせてもらおうと思ったけど、22時までといわれてネットカフェに戻り、あと4人くらい待ちというので待っていて、いよいよ私の番というときに京王線復旧というニュースが飛び込み、帰ることにしました。
 京王新宿駅でもけっこう待たされ、もちろん座ることもできず満員の電車で吉祥寺までいきました。吉祥寺から家まで30分くらい歩き、家に着いたのは午前2時ころ。もうくたくたでした。
家に着いてTVを見て、地震がこんなにすごいことになっていたと知りびっくり。
しかし、こんなに長い一日になるとは思いもよりませんでした。

(暁)

追記

●今回、「大丈夫?」と、最初にメールが来たのは香港の友人からから。地震の1時間後くらいでした。その頃、私はこの地震がすごいことになっているとは思ってもいなかったので、香港人の友人からのローマ字による「jishinn ga daijyoubudesuka?」というメールを見て、もう地震の情報が香港に行っていて、こういうメールが来たということは、けっこう大きい地震なのかもと思ったしだいでした。それで、京王新宿駅で電車が動くのを待って出かけようと思ったのをやめて、帰宅しようと思ったのでした。

●家に帰ろうと新宿駅西口に行ったところ、新宿西口広場交番から電車は復旧見込みがないから歩きか、その他の方法で帰宅くださいと放送があり、えっ!新宿から三鷹まで歩いて家に帰るのはさすがに辛いなと思い、バスが動いているようだったので、なんとか家に近いところまでバスに乗って行って、そこから歩こうと思ってバス停に行ったのですが、武蔵境駅まで行くバスは200メートルくらい並んでいて、あとは19時10分の最終しかないとのことで、こりゃいくらなんでも入りきらないとあきらめ(実はこのバス、会社に行くとき遅刻寸前になると利用するバスなのですが、新宿から武蔵境という長い距離をいつか乗ってみたいと思っていました)、ネットカフェに行くしかないとあきらめたのでした。それにしても、新宿駅の周辺は人、人、人という感じで、トイレも30分待ちという状態でした。

●新宿ピカデリーに行ったのは、ネットカフェ30人待ちじゃ相当時間がかかると思ったからだったのですが、この状態の時に映画をやっていると思ったのは甘い考えでした。でも、映画はやっていないにも関わらずたくさんの人がロビーにたむろしていて、地べたに座り込んでいる人もいっぱいいました。22時で終りと言われたけど、このくらいの状態(東京が震源ではないような地震で、人が帰れないという状況)だったら、映画館のシートを開放してくれないかなと思いました。電気代と掃除代で2000円くらい取ってもいいからシートを開放してくれたら、ロビーに座るより、どんなにか座り心地がよかったかと思いました。このような状況の時、ほかの映画館も含めて、シートを開放してくれたら、助かる人がたくさんいると思うんだけど…。
ま、でも映画館の職員の人が大変だから無理かな…。

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あまりの惨状に言葉を失っています・・・
震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りしております。
また、被災された皆様の安全と、一日も早い復興を願うばかりです。

私は東銀座の試写室で『木漏れ日の家で』を観ていて、うとうとしていたのを大きな揺れで起こされました。素敵な映画なのに寝てしまって情けない・・・というのはさておき、まるで遊園地のアトラクションのようで、びっくりでした。そして、あの日、外にいた皆様と同様、帰宅難民に。途中でお茶して休みながら、なんとか歩いて8時過ぎには家にたどり着けましたのでラッキーでした。交通機関が止まっただけで、生活が成り立たなくなるのを思い知りました。そして、携帯が通じるようになると、あちこちからお見舞いメールや安全確認メールが・・・。遠くドバイにいるパキスタンの方からも電話をいただいて感激でした。人との繋がりを、ほんとに心強く感じています。

今週、いくつか心に残る取材をしたのですが、その中から一つだけ報告しておきます。
10日、『エクレール・お菓子放浪記』完成披露試写会が虎ノ門ニッショーホールで行われました。戦災孤児になったアキオが、様々な人と出会いながら生き抜く姿を、甘くて人を幸せな気持ちにするお菓子を通して描いた物語。原作者の西村滋さん、近藤明男監督、吉井一肇くんやいしだあゆみさんはじめ出演者の皆さんが舞台挨拶に立ちました。原作の舞台は東北ではないのですが、縁あって宮城県の方たちに支援されて製作することになり、宮城県を中心に撮影が行われ、宮城県で先行上映が行われることも報告されました。


『エクレール・お菓子放浪記』完成披露試写会舞台挨拶
後列左から、近藤明男監督、早織、竹内都子、尾藤イサオ
前列左から、林隆三、吉井一肇、西村滋、いしだあゆみ

※ クリックで拡大します

そして、11日、東北を襲った大津波。シネジャ創設者の一人、泉悦子さんが本作の脚本に携わり、メーキングも撮影したのですが、1ヶ月間ロケで町ぐるみでお世話になった石巻が大きな被害を受けたことを知り驚愕しています。この映画に納められた風景も、流されてしまったのでしょうか・・・ 大勢の人がこの映画を観ることによって、ささやかながら、宮城の人たちを元気づけてあげられればと願う次第です。

(咲)

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2011年3月第1週
2011/3/6(Sun)

81号の編集も終わって、今週は晴れて映画三昧!

28日(月) まずは『ザ・ファイター』の試写へ。第83回アカデミー賞の発表がちょうど行われた直後で、助演男優賞を本作のクリスチャン・ベール、助演女優賞をやはり本作のメリッサ・レオが受賞したのを知りました。続いて、『ブラック・スワン』の試写に行ったら、こちらもナタリー・ポートマンが主演女優賞を受賞!  ナタリー・ポートマンといえば、アモス・ギタイ監督の『フリー・ゾーン』冒頭で延々(5分位!)泣く姿が圧巻でしたが、『ブラック・スワン』では、バレリーナに成りきった姿が見事でした。
ちなみにこの日に観た2作品は、どちらも母親の呪縛から解放されようとする姿が描かれていました。『ザ・ファイター』で母親を演じたメリッサ・レオ、迫力でした。いや~ あんなお母さんから逃げ出すのは大変! というか、逃げ出したくもなる?!

2日(水) 月曜日がアカデミー賞二本立てなら、この日は、メイド(下女)二本立てでした。 1本目は、ペルー映画『悲しみのミルク』。亡くなった母親の遺体を故郷に運ぶ費用を稼ぐために、ピアニストの家でメイドとして働き始めるヒロイン。一昨年の東京フィルメックスでシネカノンの一番前の席で観たため全体像が見えなくて、今回は後から観てみました。なんとも不思議な印象を受ける映画なのは変わりませんでしたが、貧しい人たちの住む町の位置関係や広大な土漠などの光景がよくわかりました。2本目は、大好きなイ・ジョンジェが出ていることで楽しみにしていた『ハウスメイド(原題:下女)』。チョン・ドヨン演じるメイドがなかなか純な感じで魅力的。ジョンジェが今回も肉体美を披露してくれましたが、あぁ~なんと・・・ ボディビルをしているんかい? というポーズがあって、思わず『ラスト、コーション』でのトニー・レオンの“器械体操”を思い出してしまいました。笑っちゃいかん・・・と思いつつ、思い出し笑い。キム・ギヨン監督の『下女』のリメイクとのことで、傑作の誉れ高い『下女』を観てみたくなりました。

3日(木)シネジャ81号が無事出来上がりました。(いつものことながら、あちこちミスを発見・・・汗) 諸事情あって、定期購読の皆様への発送の一部は一日遅れとなってしまいました。どうぞご了承ください。 81号、読者とスタッフによる2010年度ベストテン、東京フィルメックス、大阪ヨーロッパ映画祭、監督インタビュー多数などなど、盛りだくさんです。お読みいただければ嬉しいです。
 

(咲)

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2011年2月第4週
2011/2/27(Sun)

21日(月) 81号の第2回=最終編集日。今回は第1回編集日からあまり間を空けずに仕上げなければならなかったので、ちょっと大変でした。それでも、土曜日の朝には原稿をほとんど書き終えていたので気分はすっきり。 20日(日)夜、秋田・角館近くのユースホステル常連仲間との新年会(旧暦にしても遅い!)も、しっかり楽しんできました。中には30年ぶりに会う方も。居心地がよくて何度も通った場所での縁。 25名も集まり、懐かしいひと時でした。日記を読んでくださっている方もいて嬉しい限り。

さて、最終編集。この日にやっと届いた原稿に振り回されましたが、最後に目次と表紙を作成。(白)さん宅での作業を6時過ぎまでに終えて、(暁)さん勤務先近くの初台の某ファミレスで最終チェックの予定でしたが、表紙が出来上がらない・・・ (美)さんが表紙以外の中身を持って先に走ってくれました。 最終チェックには、昼間参加できない勤め人スタッフが駆けつけました。(暁)さんのほか、新しくスタッフになったレスリー迷の☆さんや、ご難続きの薗さんも。薗さんは、80号で「薗子は三田! 病院に行こう2010」と題して、わが身に降りかかる災難を書いているのですが、これがもう可笑しくて・・・ 本人はかなり大変な思いをしているのですが、こうして笑い飛ばすことが、苦難を繰り抜けるコツかも。81号には「続・薗子は三田!・・・」を掲載して、<結>のはずだったのですが、翌朝、菅平に仕事で行くのに、またまたご難。「薗子はそれみたことか~!! どっひゃ~んの大寝坊」のメールが届きました。82号で、番外編を楽しむことができそうです。(人の不幸を笑っちゃいけないけど、彼女が書いたのを読むと、もう、笑うしかないんです。)


22日(火) 午前中に最終チェックに引っかかった箇所の修正を終えて昼前には出ようと思ったら、これまた時間がかかり、入稿の前にアース・ビジョン第19回地球環境映像祭の試写に先に行くことに。今年は子どもアース・ビジョン大賞をイランの『母の日のおくりもの』が受賞し監督も来日することになっているので、どうしても前もって観ておきたかったのです。遊牧民の少年が、母の日に何を贈ればいいか尋ね歩くお話。絨毯を織る女性たち、ナンを焼くおばあさん、楽器を奏でる老人、羊を追う馬に乗った男・・・黒いテントに住むカシュガーイ族の生活が、絨毯のような美しい模様で描かれたアニメーションでした。


子どもアース・ビジョン大賞『母の日のおくりもの』(イラン 監督:Peiman Dehghani)

あと、面白かったのが、映像からはじめる幼年期の環境教育「アース・ビジョン キッズ★キット」の中のベルギー作品『おとなりさんとわたし』。隣どうしに住むアリとセミ。アリはこまめに電気を消したり、水を止めて歯を磨いたりするのに、セミは冷蔵庫を開けっ放しで中を探したり、寝ている時も電気をつけていたりとエネルギーを無駄遣い。同時進行で左右同じ動作が行われるので、子どもの目にもどっちが良いか一目瞭然。セミがコーヒーメーカーを付けっぱなしにしているのに、アリがコーヒーを作ったら残りをポットに入れて保管する姿を見て、私も電気ポットはやめて必要な時にお湯を沸かすようにしようと思いました。
3月4日~6日に開催されるアース・ビジョン第19回地球環境映像祭の詳細は、http://www.earth-vision.jp で!


『おとなりさんとわたし』(ベルギー 監督:ルイーズ=マリー・コロンと6人の女性たち)

試写を終えて、やっと印刷会社に入稿! やれやれ~ ・・・・と思ったら、画像が足りなかったり、目次に間違いが見つかったり・・と、まだまだ私もご難が続きましたが、皆の助けを得てなんとか3日には81号も完成予定です。 どうぞお楽しみに!
 

(咲)

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2011年2月第3週
2011/2/20(Sun)

14日(月)『再生の朝に -ある裁判官の選択-』で撮影監督を務めた大塚竜治さんにインタビュー。昨夏SKIPシティ国際Dシネマ映画祭で『透析』のタイトルで上映され、観客賞を受賞。シネジャスタッフの(美)さん、(暁)さんもDシネマ映画祭で一押しの作品と絶賛し、監督が『北京の自転車』の撮影監督だったリウ・ジエ氏で、撮影監督が日本人ということでも注目していた作品でした。大塚さんが中国から一時帰国中と連絡をいただき、皆がお会いしたいと切望したのですが、私しか日程があわず、81号の原稿がまだ終わっていない上に、また一つ増える~!!と思いつつ、代表してお会いしてきました。


『再生の朝に -ある裁判官の選択-』撮影監督の大塚竜治さん

大塚さんは、自分の目でみた中国を題材にした映画を作りたいと2005年に北京に渡り活動されています。『再生の朝に -ある裁判官の選択-』で撮影を担当することになった経緯や撮影時のリウ・ジエ監督のこと、さらに大塚さんご自身の作品『リンリンの花園』や準備中の『馬大山』のことなど、インタビューの内容は本誌81号と、Web版 特別記事の両方で内容を変えて紹介する予定です。
再生の朝に -ある裁判官の選択-http://www.alcine-terran.com/asa/
★ 2011年3月5日シアター・イメージフォーラム、銀座シネパトスほか他全国順次公開

16日(水) 81号の第一回編集日。白山神社を抜けて(白)さん宅に向かいながら、カメラを持ってくればよかった・・・と満開の梅を楽しみました。この日の編集には、ニューフェイスの(明)さんが参加。ニューもニュー、なんと大学1年生です! ぐっと若返りました。(編集に集まったほかの3人は(明)さんのお母さんより年上!)  校正やページ割りをしながら、(白)さん手作りのランチやおやつをいただいて、この日の編集は終了。

19日(土) 次々にインタビューをして、原稿を増やしてしまった私、21日の最終編集日を前にとにかく書くしかない! 夜なべ仕事でこの日の朝7時にほぼ書き終えました! 実は誕生日♪ なのに、しょぼい顔で仙台から上京する友人に会うことに。待ち合わせ場所に着いたら、待っていたのは男性。仙台のイスラーム好きの友人夫婦の奥様の方が来るとてっきり思っていたのでした。 (なおのこと、くたびれた顔が恥ずかしかった!) ランチの後、一緒に沼袋のシルクラブへ。ペルシア絨毯ミーリーギャラリーのソレマニエさんが25年間の旅で撮ったイラン各地の遊牧民の映像を見せながらお話してくださいました。今はなくなってしまった風俗や習慣も記録されていて、映像の力はやはり大きいですね。 

さぁ~ あとひと頑張り! 編集が終わったら映画を存分に観たいです。  

(咲)

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2011年2月第2週
2011/2/13(Sun)

9日(木)イラン大使館主催 第26回イラン映画上映会へ。前回が2009年11月なので、ほんとに久しぶり! 上映作品は『From Saturday to Thursday』(監督:Hojat Ghassemzadeh)。講演会場に遅れて入る男。講演しているのは妻。詩人で大学でも教鞭を取っている才媛なのです。講演が終わって帰り道、サインを求めて寄ってくる人たちは、隣にいる自分に目もくれないので男は不愉快きわまりない。別れようと切り出します。それが土曜日のこと。そして、木曜日までの毎日の夫婦の会話が綴られ、結局二人は別れないことを決め、めでたしめでたし。大学生の約65%が女性というイランでは、妻の方が高学歴という夫婦は多いのだろうと思うと、まさにこの映画はイランの現代社会を反映したもの。観て身につまされる男性も多かったのではないでしょうか。この日は在住のイランの方たちが家族連れで大勢いらしていましたが、子どもたちには退屈な内容だったようで、しばらくしたら椅子をばたばたさせたり、外のホールを走り回ったり、運動会状態。次回は、もう少し子供にも受ける映画にしていただけるといいなぁ~と。実は大使館での上映はほとんどが英語字幕なので、子供向けなら私にもちゃんと理解できるのではという事情も!

ちなみに、イランでは土曜日(shanbe)が週の一番初めの日。木曜日は、panj(5) shanbeで 金曜日は休日。土曜から木曜まで6日あるのに、木曜が5?と疑問に思われるでしょう。日曜日が yek(1) shanbe という次第です。


イラン大使館ホールに、12月に行われたズールハーネ(古式体操)の道具が飾ってありました。
※ クリックで拡大します

さて、次号81号の編集日まで1週間を切りました。まだ全然書き終わってないです・・・ 日記を書いている場合じゃなかった~!  

(咲)

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2011年2月第1週
2011/2/6(Sun)

30日(日)アフガン研究会で、鈴木ひろしさんによる民族楽器ラバーブの演奏とお話。10数年前、中東ミニ博物館で演奏をしてくださった時には、ひたすら黙って弾いていた鈴木さんが、今回は漫談のような楽しいお話を交えての演奏。ずっと弾き続けていると疲れるからという知恵だそうですが、それが実に笑えました。「ラバーブのお陰でずいぶん飯が食えました」というので、珍しい楽器だから日本で需要が多いのかと思いきや、現地で弾いてみせると、おぉ~と感激してくれて、飯食っていけ、泊まっていけという次第。パキスタンで人が集まって騒乱罪で捕まったことも。警官の笛が鳴って、皆、「よかったよ!」と言いながら、あっという間に逃げ散ってしまい、一人取り残されて御用に。警察署で事情聴取を受けた後、「ここでもう1曲弾いていけ」と、警官たちが集まってノリノリで聴いてくれて釈放! なんだかパキスタンの警官たち、可愛いです。


民族衣装でラバーブの説明をする鈴木ひろしさん

ラバーブという楽器、アフガニスタンやパキスタンの民族楽器ですが、一本の太い木をくり抜いて作ったもの。空洞になぜか卵の殻が3つ入っているそうです。ラバーブといえば、2007年のアジアフォーカス・福岡国際映画祭で上映されたイラン映画『地の果てまでも』で、アフガニスタンから出稼ぎに来ていた主人公が奏でていたのを思い出します。そして、アジアフォーカスで2008年に観客賞を受賞したパキスタン映画『神に誓って』が2月26日東京で上映されます。詳細は作品紹介で! →http://www.cinemajournal.net/review/index.html#asiafocus_tokyo


『地の果てまでも』場面写真 モハマド・レザ・アラブ監督提供

1日(火)『世界のどこにでもある、場所』(2月26日公開)『津軽百年食堂』(4月2日公開)と立て続けに映画が公開される大森一樹監督にインタビュー。『津軽百年食堂』の舞台である弘前が何度か行った大好きな町で、監督が関西在住ということだけでインタビューを申し入れしてしまったのです。監督のご自宅のある芦屋の隣町、神戸の岡本が私の生まれ育ったところで、しかもほぼ同世代! 「家、岡本のどの辺?」「学校、どこ?」とローカルな話に。思いもかけないご縁を感じました。しかも『世界のどこにでもある、場所』の発想のきっかけになった宝塚ファミリーランドは、15歳の時に東京に移るまで毎年四季折々両親に連れられて行った大好きなところ。遊園地、動物園、植物園、宝塚歌劇、日帰り温泉とバラエティに富んだ宝塚ファミリーランドでしたが、十年程前に閉園が決まりました。監督にとっても思い出の地で、ここで何か撮れないかと思ったそうですが、撮る時間もなく跡形もなくなったそうです。そんなこんなで、とりとめのないことで話がはずみました。いったいこれ、どうまとめよう・・・の状況ですが、監督の映画に対する思いはしっかりお伺いしました。インタビュー詳細は、次号81号で!


   『津軽百年食堂』大森一樹監督   『世界のどこにでもある、場所』大森一樹監督

3日(木)春節で華やぐ横浜中華街へ。あちこちで獅子舞を楽しむことができました。香港でも旧正月に獅子舞の追っかけをしたものですが、あの銅鑼と太鼓の音や、眼をぱちくりさせる可愛いしぐさにワクワクしてしまいます。獅子舞といえば、黄飛鴻シリーズの第3弾『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ/天地争覇』のオープニングで100頭もの獅子舞が群舞する様が壮観でした。その黄飛鴻シリーズや、『男たちの挽歌』『狼たちの絆』『風の輝く朝に』等々、懐かしい香港映画を再びスクリーンで観ることのできる【香港電影天堂SPECIAL】が、シネマート5周年記念で開催されます! もう嬉しくて涙が出そうです!
詳細はこちら→ http://www.cinemart.co.jp/theater/hongkongmovie/


春節の飾り 獅子頭が可愛い! 横浜中華街にて

(咲)

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2011年1月第5週
2011/1/31(Sun)

28日(金) 『大韓民国1%』で海兵隊特殊捜査隊の副士官イ・ユミを演じたイ・アイさんにインタビュー。日本在住8年になるイ・アイさんは、通訳なしで、すべて日本語で答えてくださいました。「映画を観た人からの嬉しかった言葉は?」との問いに、「女性の軍人の方から、軍人になることを反対していたお母さんが映画を観た後、泣きながら電話をしてきて、今まで大変だったねと心を開いてくれて、映画のお陰でお母さんとの距離が近づいたと言ってくださったのが嬉しかった」と答えられました。役作りのために厳しい訓練も体験したアイさん。国を守る軍隊の人たちへの思いも深くなったといいます。インタビューの詳細は、次号81号で!


『大韓民国1%』主演イ・アイさん

夜、イラン大使館で天野恵利さんの写真展「第2回 煌めきのペルシア」のオープニングセレモニー。天野さんの写真には、市場や聖者廟など町で捉えたイランの人たちの笑顔がいっぱい。アラグチ大使も、イランの人たちのこの素の姿を是非皆さんにご覧いただきたいと挨拶されました。
地球一周「アースマラソン」に挑んでいた間寛平さんが21日に大阪にゴールインしましたが、その折の特番でイランを通過した時の映像も写り、「イラン、怖い怖い言われてたけど、優しいやんか」とおっしゃってました。ほんとに、イランの人たちは好奇心旺盛で旅人に笑顔で接してくれます。イランを走行中にカマル・タブリーズィー監督からオファーを受けて寛平さんが主演した映画『ラン アンド ラン』でも、そんなイランの人たちの笑顔が観られそうです。東京での上映はいつになるのでしょう・・・ 楽しみです。

◆第2回 煌めきのペルシア-天野恵利写真展
日程: 2011年1月29日(土)~ 2月12日(土) 
時間: 9:00-17:00 土日も開いています!
会場: イラン・イスラム共和国大使館 地下1階シーラーズサロン
(〒106-0047 東京都港区南麻布3-13-9)


天野恵利写真展「第2回 煌めきのペルシア」チラシ画像
※ クリックで拡大します

写真展の期間中にイラン大使館では下記の催しも開かれます。写真展と併せて、ぜひイランを体験しにお出かけいただければ嬉しいです。

★2月6日(日) 午前10時から16時まで、イラン大使公邸でチャリティーバザー
出品物:イラン料理、手工芸品、ペルシア絨毯、ハーブ化粧品, 織物など
★2月9日(水)19:00より 第26回イラン映画上映会
上映作品『From Saturday to Thursday』(監督:Hojat Ghassemzadeh)
言語:ペルシア語 (英語字幕付) 

(咲)

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2011年1月第4週
2011/1/23(Sun)

17日 朝から歯茎が痛いなぁ~と思いつつ、『大韓民国1%』の試写へ。男でも辛くて厳しい海兵隊訓練課程を1位で通過し海兵隊特殊捜査隊に入隊した女副士官イ・ユミの物語。「忠誠!」「必勝!」「実施!」の軍隊用語に身の引き締まる思いながらも、歯茎の痛みは絶好調に。鏡を見てみたら右頬が腫れて瘤取り爺さん状態! 観念して歯医者に駆け込みました。もう何年も歯医者に行かず虫歯を放置していたのです。思えば、奥歯にかぶせた金属冠が取れたのが、イランでクービーデ(ひき肉の串焼き)を食べていた時なので、7年位前。歯は自助努力で治らないのですねぇ・・・ (早く歯医者に行けよ! ですね。)

歯医者に診ていただいたものの夜中には熱っぽくって、翌日、『唐山大地震 -想い続けた32年-』のフォン・シャオガン監督にインタビューの時間を頂いているのに、行けないかなと思うほどでした。

18日 朝目覚めたら、なんとか痛みも治まりインタビューへ。『唐山大地震』は、『aftershock』という英語のタイトルの通り、1976年に起こった唐山大地震に人生を翻弄された地震後の家族の物語。前日1月17日は16年前に阪神大震災が起こった日でしたが、監督は神戸を訪問されたのでした。神戸は私の故郷で同級生の多くが親兄弟やお子さんなど親族を亡くされています。震災から10年経った年に、「10年目の節目」と大きく報道された時のこと、お嬢さんを亡くされた同級生が、「節目なんてあらへん」とぽつりとこぼした言葉がぐさりと胸に突き刺さったのを思い出しました。当事者でない私は時が解決すると思ってしまいますが、天災で大きな変化を受けた方にとっては、いつも心の奥に無念の気持ちがあることを思い知りました。監督に『唐山大地震』の撮影にエキストラとして参加された唐山の人たちから実際に聞いた言葉などをお伺いしました。インタビューの報告は、次号シネジャ81号で!


フォン・シャオガン監督。
皆からの笑って~のお願いに「作り笑いはできない」とおっしゃる監督。
これは少し笑った珍しいショット。

さて、81号編集日まで1ヶ月を切りました。本気で原稿に取り組まなくては! 


22日 乃木坂のペルシア絨毯ギャラリーで新年会。
歯の痛みもおさまりイラン料理を美味しくいただきました。

(咲)

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2011年1月第3週
2011/1/16(Sun)

11日 中学生監督の仲村颯悟君が撮ったことで話題になっている『やぎの冒険』を観に池袋テアトルダイヤへ。めぇ~と鳴くやぎの声や、沖縄の人たちの言葉が優しく耳に響きます。自身の住む沖縄を舞台に、沖縄の人たちの人情や食文化を爽やかに描く中で、基地問題などもさりげなく語っていて、大人顔負けの作品。というより、仲村颯悟監督、しっかり大人なのですね。14歳にして、手がけた作品はすでに30本以上。ジャンルもサスペンス、コメディ、ホラー、友情ドラマとバラエティに富んでいるそう。なにより長編が劇場公開されてしまうのですから凄い! 『やぎの冒険』の次なる作品は『島の時間』。仲村颯悟監督作品を観た宮古島唯一の映画館「シネパニック宮古島」の経営者・下地氏が宮古島で撮って欲しいと依頼し、宮古島あげて支援して撮ったもの。『島の時間』もいずれ一般公開されるのを楽しみにしたい。
シネジャの宮古島在住スタッフの下里さんが、仲村颯悟監督に電話インタビューした記事がシネマジャーナル79号に掲載されています。池袋テアトルダイヤにも置いていただいています。ぜひ映画と共にご覧ください!  

(咲)

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2011年1月第2週
2011/1/9(Sun)

5日 妹と一緒に横浜の姪っ子のところへ。まずは伊勢山皇大神宮にお参り。「関東のお伊勢さま」と親しまれ、横浜の総鎮守とされる神社で、会社などグループで初宮詣のご祈祷を受ける人たちで賑わっていました。鳥居の向こうにランドマークが見えるのも横浜らしい風景でした。姪っ子は、私たちが来たのをこれ幸いに、2歳の息子を私たちに預けて、『バーレスク』を観にいってしまいました。思えば、千円で観られる水曜日!


 ランドマークを見晴らせる丘の上にある伊勢山皇大神宮   境内にある杵築宮/子之大神(きづきのみや/ねのおおかみ)

おばば二人、モールを走り回る男の子に振り回された3時間でした。姪っ子の家に行ってからも、子守りは続き、気がついたら11時。「もう寝よう」と言っても、「遊ぶ!」と叫んで寝てくれません。言葉を少しずつ覚え始めている中で、「遊ぶ」をしっかり言えるのにびっくり。小さい子の一日は、食べる、遊ぶ、寝る・・・ 余計なことをあれこれ考えずに好きなことができていいなぁ~と思ったひと時でした。

6日 夕方板橋で用事があったので、その前に池袋で『武士の家計簿』を観てきました。借金を綺麗にする為に家財を整理して売る場面に、あ~我が家も売れるものを売ってすっきりさせたいなぁ~と思ったけれど、私には宝でも、人にはゴミでしかないものばかり。それでも、今年こそいらないものを捨てようと、初映画に教えられました。ここに書いた以上、実行したいものです。少しずつ頑張ろう!

(咲)

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2011年1月第1週
2011/1/2(Sun)

新年明けましておめでとうございます。
東京では穏やかなお正月を迎えました。
今年もシネジャから素敵な映画の情報を発信したいと思っております。
本年もどうぞよろしくお願い申しあげます。


府中・大国魂神社に初詣

さて、年末の冬コミケの模様は、自称副店長の(美)さんから12月30日付のスタッフ日記でさっそく報告していますが、私(どうやら店長らしい)からも、ご報告!

コミケ参加も3回目。だいぶん要領がわかってきて、余計な荷物を持っていかなくなりました!
駅を降りて、寒い中、大勢の人たちが待っている姿にワクワクしながら会場へ。お隣りはインド映画のサークル。さっそく話が盛り上がります。10時開場。のんびり構えていたら、10時10分にいらした方が一気に3冊お買い求めくださり、幸先の良いスタート! その後も、チラッと覗いてくださった方に、「どんなジャンルの映画がお好きですか~?」とどんどん声をかけてみました。去年一年間で646本観た(美)さんのお陰で、なんでもござれ! お客様からどんな映画が飛び出しても対応できるのです。移民を扱った映画を研究テーマにしようと思っているという学生さんには、私の本領発揮。掲載号をさっそく選んで資料としてお買い求めいただきました。
お昼ごろ、目の前で立ち話している外国人男性と日本人女性。(美)さんにどこの国の方かお声かけてみたら~と言われ、伺ってみたら、なぁんとトルコの方!(トルコ人は、外見でわからない方が多い)「アニメ・マンガ・トルコ」のお名刺をいただきました。そのまんま「マンガ」という言葉を使っているのですね。トルコの映画監督にインタビューした号をお見せしたら喜んでいただけました。(もちろんお買い求め!)
2時過ぎには、お隣のインド映画サークルが引き上げ、椅子が2つ空いたので、読者のNさんや、新しくスタッフに応募してきたHさんも交えて、4人でおしゃべりしながらお客様に対応。映画談義に花が咲きました。
哥哥的一天でお馴染みの写真家・島津美穂さんが陣中見舞いにいらしてくださったり、昨年の初参加冬コミケの時に映画検定を受けると熱く語ってくださった男性が再訪してくださったりと、だんだんコミケに私たちも馴染んできたかなぁ~と実感した冬コミケでした。お買い求めくださった皆様、覗いてくださった皆様、ほんとうにありがとうございました。調子にのって、夏コミケも申し込もうと思っています。またまた会場でお会いできるのを楽しみにしています! 


去年1年間で646本観た副店長

(咲)

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