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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『真夏の夜の夢』中江裕司監督インタビュー

中江裕司監督

 中江裕司監督の沖縄離島を舞台にした映画『真夏の夜の夢』は、シェイクスピア原作の同名戯曲を沖縄風恋愛ファンタジーに大胆アレンジした話題作です。現在、全国順次公開の中、シネマジャーナルは、監督自ら出身地の京都にて舞台挨拶をされると情報を得ました。沖縄県の某離島出身京都在住のスタッフは、これも何かの縁と勝手に思い込みインタビューをお願いしました。脚本を書かれた奥様の中江素子さんは、元シネジャスタッフだったこともありそのご縁にも便乗し、8月16日の京都シネマでの舞台挨拶後、新作に込めた想いなどを伺いました。

ストーリー

 ゆり子(柴本幸)は、東京での恋に疲れ生まれ故郷の世嘉冨(ゆがふ)島に帰ってきた。島には、琉球王朝時代からキジムンと呼ばれる精霊たちが「弥勒世果報(みるくゆがふ)」「豊年満作」「子孫繁栄」を願い人々を祝福し、見守っていた。ゆり子が幼い頃に出会ったキジムンのマジルー(蔵下穂波)も、島を守りゆり子を守るのが役目。ゆり子は、帰ってきた早々、島のリゾート開発絡みの政略結婚に巻き込まれるわ、ゆり子を追って不倫相手の敦(和田聡宏)とその妻(中村優子)まで追ってくるわで、小さな島は大騒動! 一方、キジムンたちは、島の未来を憂いながらも人間に忘れられると消え去る運命に…。マジルーは「恋の秘薬(花の汁)」を使って、ゆり子と共に大奮闘します。はてさて、ゆり子の恋のゆくえはいかに? マジルーは島人の心を取り戻すことが出来るのか?-

 人間と精霊の交流をファンタジックに描いた舞台の撮影地は、青い空、青い海、緑豊かな伊是名島です。映画のシンボルでもある伊是名グスクは「さんかく山」と親しまれ、小さな島とは思えないほど雄大な景色を映し出しています。ヒロインゆり子役を、NHK大河ドラマ「風林火山」の由布姫で知られる柴本幸が熱演。マジルー役には『ホテル・ハイビスカス』で沖縄のやんちゃな子ども美恵子を演じた蔵下穂波ちゃんです。『ナビィの恋』の平良とみをはじめ平良進、吉田妙子、親泊良子など中江監督の作品には欠かすことのできない沖縄スターたちも総出演。島の鮮やかな色彩に見劣りすることなく実に強烈で個性的な面々です。平良夫妻の協力を得て本格的な沖縄芝居となっている劇中劇『大琉球王国由来記』も必見。中江監督の沖縄映画といえば沖縄方言ですが、今回も方言のセリフには日本語字幕つきです。

『真夏の夜の夢』場面写真 『真夏の夜の夢』場面写真
©2009「真夏の夜の夢」パートナーズ

◆「マジルー」を描かなきゃ

― 脚本を読まれた感想をお聞かせ下さい。

精霊の「マジルー」を描かなきゃと思いました。「マジルー」は原作の中では、精霊妖精「パック」なんです。パックは狂言回しのような形で、ちょっとずつ出てきてはいたずらをするんですけどそんなに物語には深く関わってこない。もっと、マジルーを登場させたいと思いました。マジルーをもっと人間に近づけるため、人間の血が入っているという設定にしました。マジルーを魅力的にどう活躍させるか、というのが僕の課題でした。

― マジルー役に蔵下穂波さんを決めた理由は?

彼女は演技をしない。マジルーになってしまう。演技としては究極の形ですよね。だから、NGがないんです。言い間違えると演技を中断して素に戻ってしまうじゃないですか。素に戻らなければNGにならないんですよ。彼女は言い間違っていてもマジルーのまま言い間違っている。マジルーも言い間違いするだろう、と。ずっとマジルーのまんまなんです。

― ゆり子役に柴本幸さんを選んだ理由は?

初めて会った時に、野性的な感じがしたんですよね。外見はとってもお嬢さんですけど、この子どこかに野性を持ってるんじゃないかな、と。島の子の設定ですから、野性味とか動物性を持っている子じゃないと出来ないと思ったんですよね。

― 沖縄と本土の役者たちの競演はいかがでしたか?

柴本が演技をしなくなりましたね。穂波は演技をしない、平良進さん、とみさんも究極な演技なわけじゃないですか。川満(川満聡さん)や信ちゃん(津波信一さん)にしてもそのまんまなわけです。ヤマト(本土)風のテレビの演技になっては駄目なわけで、映画は自分の存在をどう表現するか、示すわけでしょう? ロケ地の伊是名島も強い風景を持っているわけだから、都会的な演技をしてもしょうがない。柴本が一番変わったと思います。最初と最後のシーンを見ていても顔の表情が変わっているでしょう?

◆自然の光が贅沢だということ

― 撮影地を伊是名島に決めた理由は?

森が深い。水が豊かなことも理由にあると思いますが、大きな木(ガジュマルなど)があって森が奥深いです。

― その森のシーンから美しい光が溢れていました。何か特殊な技術を使ったのですか?

いえ、何もしていません。自然光をものすごく大事にしました。いい光になる状態を待つ。今の映画業界では、自然光で撮影するということはとても贅沢なことなんです。デジタルで処理をすればするほどつまらなくなってしまうし、どうしてもフィルムで撮りたかったんです。

― 夜空の月がマジルーとゆり子を追いかける幻想的な描写が印象的に残りました。

離島にいると満月の夜って、どこまでも見えるじゃないですか? 夜に撮影すると照明を当てなきゃいけないので、水平線も見渡せる明るい夜が撮れないんです。だから、昼間に撮影しているんです。カメラにいろんな偏光フィルターを使いながら、昼間の太陽光線を月の光というふうに見立てて撮るんです。映画用語では「つぶし」というんですけど、「アメリカの夜」、「day for night」とも言ったりします。昔の西部劇に使った技法ですね。太陽の良い角度の状態が、カメラに収まるまでひたすら待ちました。

『真夏の夜の夢』場面写真 『真夏の夜の夢』撮影風景
©2009「真夏の夜の夢」パートナーズ

◆沖縄の魂「ちむぐくる」を思い起こしてほしい

― 島のリゾート開発計画で島を離れていく住民というのは、現代沖縄の社会風刺を捉えているようにも思います。

今まで、僕は沖縄のネガティブな面は撮りませんでした。現代の沖縄の置かれている位置のようなことは、なるべくポジティブに捉えていました。今回は、さすがに「沖縄まずいんじゃないの?」と感じていました。那覇を中心に「那覇は沖縄?」、若い子たちも「ウチナンチュ(沖縄人)じゃないよね?」、「みんな欲に目が眩みすぎじゃない?」っていう。僕、沖縄に来て30年になるんですけど、「沖縄の情け深さはどうしたの?」とも思いましたし…。でも、多分…失ってはいないんですよね、忘れているだけで。もう一度、思い起こしてよ、という想いはあります。

― マジルーが歌う八重山民謡「弥勒節(みるくぶし)」に込められたメッセージについて。

沖縄の素晴らしさって、「弥勒節」で歌われている内容と近いと思うのですが、自分だけが幸せになるっていうことはない、周りの人も一緒に豊かに幸せにならないと、自分も豊かに幸せになれないでしょ、と。これって、すごい真理じゃないですか? 自分の事を省みず「幸せ」を願うことは皆の幸せを願うことなんだろうな、と思います。

― 沖縄で上映された時の、地元の方たちの反応は?

もう一度、ウチナンチュの魂「ちむぐくる(沖縄方言で真心、思いやり)」を考えないといけない、という意見もあったので嬉しかったですね。単純に喜んでもらっている事も嬉しかったです。子どもたちが「マジルー、マジルー」と言いながら観に来ていたり、親子四代で観に来てくれていました。

― 撮影現場でのエピソードはありますか?

あぁ、この事、舞台挨拶でも話せば良かったですね…。実は、映画の本土女性スタッフと伊是名島の青年が恋に落ちて、2組結婚しました。「恋の花の汁」の効果があったのではないかと言われています(笑)。1組目はオメデタしています。すごく「子孫繁栄」な感じでしょう?(笑)

◆ウチナンチュ(沖縄人)が誇りを持てる沖縄映画作りたい

― 中江監督にとって沖縄で映画を撮るということは?

沖縄ロケの作品というのは多いですが、それは沖縄で撮影しているだけのことなので、沖縄をどうこう表現しようとしているものは少ないです。撮影地として沖縄を使っているだけ。でも、僕は沖縄に住んでいる以上、沖縄の人が「自分たちの映画だ」と誇りを持ってもらえる映画を作りたいですね。

― 沖縄に住んで良かったですか?(稚拙な質問失礼しました)

僕は、沖縄に育てられたと思っています。19歳まで京都に住んでいたんですけど、沖縄に住んで京都の価値観が沖縄では通用しなかったです。自分の人生をやり直す、リセットする意味では、何処か通用しない所に行くって良かったなぁと思いましね。日々、沖縄のおばちゃんたちに教えられました。事務所が市場(沖縄公設市場)の近くにあるんですけど、脚本を考えながら下を向いて歩いていると、「えー、監督さん、下を向いて歩かんよー。道を歩くときはニコニコして歩くんだよー」と怒られたりするんですよ(笑)。今でもそうですね。

― 京都を舞台にした映画は考えてらっしゃいますか?

京都ねぇ、京都は難しいですね…なかなかねぇ。関西圏としてなら撮りたいですね。あまり細かく地域を限定しすぎると、映画の自由がなくなってしまうと思います。

取材を終えて

 この日の舞台挨拶後、会場ロビーにてお客さんからサインや拍手を求められていた中江監督。笑顔で気さくに応じる姿はウチナンチュ(沖縄人)そのものでした。沖縄に関することなら親しみを感じ嬉しくなる私も、知名度のある中江監督に初めてお会いするとあって緊張気味。素人な質問にも丁寧に応えていただき大感激でした。中江監督のパワーに圧倒されつつも、次回作は宮古島で撮って下さいとお願いしたら、「多良間島も撮ってよとも言われます(笑)」と県内からラブコールが耐えないようです。本土に沖縄のパイカジ(南風)を運んだ中江監督。お忙しい中、「ニフェーデービル!」(ありがとうございました)

『真夏の夜の夢』撮影風景
©2009「真夏の夜の夢」パートナーズ

プロフィール

監督/脚本 中江裕司(なかえ ゆうじ)

1960年 京都府生まれ。
1980年 琉球大学農学部入学と共に沖縄へ移住。同大学映画研究会にて多くの自主映画を製作。
1992年 沖縄県産映画3話オムニバスの『パイナップル・ツアーズ』の第2話「春子とヒデヨシ」を監督。日本映画監督協会新人賞受賞。
1999年 大琉球ミュージカル映画『ナビィの恋』監督。地元沖縄では18万人を動員し、「タイタニック」を抜く県内の最多動員を記録し、全国的にも大ヒットとなる。
2002年 沖縄の風土と子供の世界を活き活きと描いた映画『ホテル・ハイビスカス』監督。ベルリン国際映画祭出品。
2003年 石垣島の楽団のドキュメンタリー『白百合クラブ・東京へ行く』自主制作。
2005年 閉館した沖縄の映画館「桜坂劇場」を復活させ経営。
2006年 BEGINの高校時代を描いた映画『恋しくて』を監督。
2008年 3人のミュージシャンを追ったドキュメンタリー映画『40歳問題』を監督。

特別記事 『真夏の夜の夢』琉球ナイトレポート もご覧下さい。

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(取材・まとめ:下里)
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