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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『私のなかの8ミリ』主演 岡田理江さんインタビュー

岡田理江

 4月4日(土)より、キネカ大森ほか全国ロードショーされる『私のなかの8ミリ』の大鶴義丹監督に続き、主演の岡田理江さんにインタビューする機会に恵まれました。岡田さんのお姿はCX「熱血!平成教育学院」やNHK「探検ロマン世界遺産」などのテレビ番組で何度も拝見していたのですが、映画の役柄とはずいぶんと違っていたので初めは結びつかず、取材前に資料を調べていて「あぁ、あの人だ」と驚いた次第。特技はゴルフにオートバイ。細身の身体のどこにそんなパワーを潜ませているのだろうと思うほど、好奇心が旺盛で、活発で積極的なお話ぶりでした。

* * * * *

ー 大鶴義丹監督が岡田さん起用したポイントは、「寂しげな美人だったから」とおっしゃっていました。監督にキャスティングで会うときに、作品の内容を知っていて、役作りで寂しげな雰囲気を出していたのでしょうか?

 ほんとですか! 初めて聞きました。脚本の内容は全然知らなくて、オートバイに乗れる女優を捜しているということで、初めてお会いしたんです。だから、役作りとかいったことは全然していなかったんですが、寂しげ・・・に見えたんですね。そのとき丁度何かがあったのかも(笑)。

ー 同じシチュエーションを、無表情で無愛想な顔と、笑顔の両方で2回に分けて撮るという経験はいかがでしたか? どちらを先に?

 2パターンを同時に、交互に撮りました。8ミリだったのでカタカタという音が響く中、初めは無表情に、次は笑顔いっぱいにという順で撮っています。あれは撮影初日の最初に撮ったんです。撮影の桐島ローランドさんとは初対面で、お互いにどんな人なんだろうと探り合うような感じでした。でも、桐島さんは本当に朗らかな方で、すぐにコミュニケーションが取れるようになりましたし、大鶴監督もよくしゃべってくれる方なのでとてもやりやすかったです。監督も役者さんなので、そのシーンでの人物の気持ちとかを説明する言葉の表現がとってもわかりやすいんですね。楽しい時はデートするようにとか、いろいろとそのシチュエーションを想像させてくれる言葉をいただけたので、ものすごくやりやすかったです。

『私のなかの8ミリ』場面写真 『私のなかの8ミリ』場面写真
©2008 「私のなかの8ミリ」製作委員会

ー 演技経験のある監督とない監督との違いをそういうところに感じられましたか?

 感じました。やはり役者側の気持ちをわかっていて、「こういう風に何回かやっていくと多分役者は疲れて表情も硬くなっていくから、大体最初のテイクがいいんだよ」っておっしゃっていました。リハーサルを何度も繰り返すと、役者はどんどん役をつくっていくんですが、一方で素が無くなっていきます。でも、その素が良かったりすることもあるので、そこを大切にしてくれる方です。

ー 監督は撮影する桐島ローランドさんにはどんな風に接していましたか?

 桐島さんには桐島さん独特の世界観があって、こだわりをすごくわたしも感じましたが、監督の表現したいものというのが、感覚でわかるんですかね。大鶴監督がああしたい、こうしたいって言うと、桐島さんはじゃあこうしよう、ああしようと撮影のアイデアを出し合うのがあうんの呼吸みたいで。画角は桐島さんにお任せしていて、監督は桐島さんの絵の表現を信じて、また求めていらっしゃったんじゃないのかなと思いました。喧嘩とかは全然なかったですよ。

ー 監督ご本人は「もめましたよ」とおっしゃっていましたが

 本当ですか? いや、全然そんな風に見えなかったですけど。じゃあ知らないところでやってたんですかね。2人とも独自の世界観をもっていらっしゃるので、そこがぶつかったんだと思います。でも、全然喧嘩しているようには見えなかったですけどね。

ー 皆さんオートバイに乗れるわけですよね。撮影にあたっては、一緒にオートバイで移動したのでしょうか?

 撮影用のビッグスクーターと男性が乗っていたホンダのCBと、わたしが乗っていたホンダのCB400SSの3台のオートバイがあったんですが、次の撮影場所が近ければみんなでオートバイに乗って移動するということをしていました。

ー キャラバン隊の移動みたいですね

 そうなんです。役者たちは車に乗って移動するんですが、義丹さんや桐島さんやアシスタントの方たちがオートバイに乗って、凄いスピードで、あ、制限速度内ですけど(笑)、駆け抜けていくんです。その後ろ姿が、ほんと楽しそうなんですよねぇ。

ー 岡田さんはとっても華奢でいらっしゃるのに、大きなオートバイを乗りこなしている姿を見て凄いなと思ったんですが、いつ頃免許は取ったんですか?

岡田理江

 最初は18,9歳の時に中型免許を取りました。免許を取ろうと思ったきっかけは、アルバイト先で知り合ったお姉さんが、モトクロスをやっていたんですね。何日かの泊まりのアルバイトで一緒に過ごしたんですが、その方がものすごく格好良かったんです。ツーリングの話をしてくれて、「いろんな場所へ行って、いろんな人と出会って、世界が広がっていくのがとっても楽しいの」って話している姿が印象的で、わたしもまず免許を取ろうって思いました。さて免許も取ったし、オートバイを買ってツーリングに行こうと思ったところが、オーディションに受かって東京に出てくることが決まったんです。それですっかり機会を失ってしまって、結局乗らないで過ごしてしまいました。でも、30歳になったときに、何かしたいなと思って、そうだ免許を取ったきりになっているオートバイを乗れるように教習所に行こうと思い立ったんです。お金を払って教習所に行くのなら、いっそのこと大型免許を取ってしまおうと。10年もの長いブランクも考えずに、教習所に通い始めました。夏の暑いときに、日々先生に怒られながら、周りは20歳くらいの若い子たちばかりの中、1人黙々と練習して免許を取ったんです。

ー 結果的にそれがこの作品につながったんですね

 そうですね。オートバイに乗る機会って無いんですけど、危険だってイメージもあります。でも、世の中たくさんの人が乗っていますし、安全に気をつけて乗れば、本当に楽しい乗り物ですよ。

 今回の撮影では、ツーリングで男の人と一緒に走るんですが、それがすごく新鮮だったんですよね。彼の背中を見ながら運転するのって、なんだか安心するなって。1人で走っているとどことなく不安だったりするんです。それが前か後ろに彼がいてくれると思うと安心して、誰かと一緒に走っていたいと思いました。高杉くんもそういう雰囲気をつくってくれて、並走するときもヘルメットの中からあの爽やかな笑顔で大丈夫って声をかけてくれたし、カメラの桐島さんも前を走っているからそれもまた安心できて、ものすごく皆さんに助けていただいたなと思います。

ー 撮影は6月で、日本海側でしたね

 桐島さんもこんなに穏やかな日本海は見たことがないってくらい綺麗で、穏やかでした。監督のこだわりとして、海のすぐそばを走る道で撮りたいというのがあって、太平洋側は意外とそういう道が少ないんですよね。あの道はオートバイを走らせながら海を見られるんです。よそ見しちゃいけないんですけど(笑)。海の風が直接あたって、それは気持ちよかったですねぇ。

ー 失った人を思いながら走る切なさも伝わってきました

 オートバイって、基本的に1人で乗っているじゃないですか。風だけを感じて、ブーンていう音だけを聞いていると、見るものすべてがこれまでの様々な経験を思い起こさせるし、人と会話しないので自然と自分との対話になるんですよね。注意深く運転しながらも、そういう状態になるので、初めはもっと恐いのかなとも思いました。撮影で役の気持ちで彼を思う以外にも、自分自身の思い出や気持ちが蘇るんです。それがやりやすいということもありましたね。

ー ご自身の経験で、例えば大事な人を亡くされたとか、恋愛や仕事が作品に反映されているのでしょうか?

 迷う事って人生の中でものすごくたくさんあると思うんです。仕事のこと、恋愛のこと、結婚しようと思ってもこの人でホントにいいの?とか。わたしも35年生きてきた中で、悩むこと迷うことはいっぱいあるのですが、そういうものの1つの区切りとしてツーリングに行くとか、違う場所で何かを見たり、何かをしたりすることで、何かが変わるんだという感覚にさせてくれる作品でもありました。

 「悩んでいるのは、迷っているのはわたしだけじゃない」っていうのは、あんまり好きではないのですが、それでもやっぱり周りの人がいるから自分は救われています。わたし1人だと思うと悲しくてどうしようもなくなってしまうけれど、わたしには家族がいて、友だちや大切な人がいると思うと、恋愛も仕事もここで終わりではないって思えるんです。そういう気持ちになるためには、いろいろな方に会って話をするとか、何かをすることがきっかけになるわけで、わたしにはオートバイもその1つになるんです。オートバイは危険だから乗らないという選択もあるとは思いますが、わたしはアルバイトで知り合ったお姉さんの一言で興味がわいて乗るようになって、それまで知らなかった新しい世界をえられてまた一歩前へ進めたと思います。

ー バラエティ番組、ドラマ、探検ロマン世界遺産のレポーターなど、様々な分野で活躍されていますが、映画は久しぶりですね。

 映画のメインキャストは1996年の『織部金次郎3〜飛べバーディー〜』以来です。30歳を超えてこの機会を得たことがものすごく嬉しかったです。20代に比べれば、今の方が多くの経験をして、もっといろんな事が伝えられるじゃないですか。それに今回は、刺激的な方が多かったです。大鶴監督も桐島さんも高杉くんも話をしていると、彼らはわたしの知らない世界をいっぱい知っている、そこにもっと近づきたいって思いました。撮影中は、ずーっと彼らと話をしていましたね。

ー 今後はどのような仕事をしていきたいと思っていますか?

岡田理江

 やっぱり人とのコミュニケーションはとても大切だと思うので、レポーターのようないろいろな人と関わるお仕事を今後もしていきたいと思います。映画のお仕事もチャンスがあればたくさんやっていきたいと思います。1つの作品をみんなでつくっていくっていうのは、大変なんですけれど、できあがったときのやり遂げたっていうあの感じは、ものすごい経験値だなって思います。

ー 知っちゃうとやめられないって感じですか

 いやぁ、やめられない、やめたくないですね。できるのであれば、ずっとやっていきたいです。本当に楽しいんですよ。人とお話をしたり、感情をぶつけたりすることで、自分の中にまた違う感情が生まれたりするんです。そうやって自分の知ったことを、お芝居の中でも、レポーターの仕事の中でも伝えていけたらいいなと思います。

★2009年4月4日(土)より、キネカ大森他全国ツーリングロードショー!

作品紹介はこちら

特別記事『私のなかの8ミリ』大鶴義丹監督インタビュー

『私のなかの8ミリ』公式HP

ゴルフ・ダイジェスト・オンラインの岡田理江さんのブログ

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(取材:景山、梅木、写真:梅木)

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