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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

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『韓国ソウル旅日記』その1

April 29, 2001

4/18、実家の母と姪の3人でソウルへと旅立ちました。ツアーではないので実質私が添乗員といったところですが、実家が徳島のため、私が関空までいって落ち合うので前日夜行バスで大阪へ向かい、それだけで疲れてしまった私・・・・。3人とも自分勝手なB型です。もちろん誰も韓国語はわかりません。どうなることやら・・・。

JASを利用したけど、軽食(サンドイッチと何故かバンバンジー風のサラダ)おいしくなかった・・・全部食べたけど。以前香港へ行くトランジットで(安い大韓航空を使ったんですね)ソウルによったことはあるけど、今回は新しくできた仁川国際空港につきます。それがソウル市内から離れたとこにあって市内まで渋滞に巻き込まれでもしたら、すごく時間がかかると聞いていたので、第一の関門でした。でもまあ英語が話せる係員がいれば何とか話はわかるだろうと思っていたのです。で、バス乗り場。601番か602番のバスに乗らなくてはいけないのですが、バスが全然こなくて来ても満員なのです。乗り場はここのはずなのに、どこから乗ってくるのでしょうか。「とにかく立ってもいいから乗りたい」ということを言いたいけど、係員のおじさんは英語が通じません。ちょっとはわかるらしいけど、おじさんの言う「オルトケッサ?」が「オールトゥギャザー?」と聞いているとわかるまでどのくらいの時間がかかったでしょう。そこへ救世主登場。6年日本に住んでいた韓国人のお兄ちゃん(といっても私より年下だと思うけど)。落ち着いておじさんに状況をきいてくれて(交通法か何かでバスに立って乗ったらダメらしいです)一緒にバスに乗り、降りるべきところを教えてくれました。次がどこだという放送も韓国語のみなのでどこで降りたらいいのかわからなくて、本当に助かったのでした。カムサハムニダ。

宿がある仁寺洞というところに行くのにYMCA前でおりると、そこは屋台天国。心ひかれるものがいっぱいありましたが、まずは宿へ。ネットで調べてよさそうだった1泊1部屋2500円の旅館です。4畳半ぐらいの部屋で超せまいけど、いつも実家に帰ってもこんな感じなので私的には落ち着いたのでした。母と姪もどちらかというと高級ホテルなどは苦手なタイプなので、これはこれでよかったかな。オンドルがぬくぬくだったし。夜はふとんを敷いてもその下からあったかいのにはびっくり。私は暑がりなので、かけぶとんをかけなくても充分でした。

さあ、夜ごはんだーということで宿から近く、よくガイドブックにも載っている「迎賓ガーデン」という焼肉やにいったけど門にテープがはられ、入れなくなっていました。「えー無休って書いてあったのにーどうしよう」と思いつつ歩いていると「ソマウル」という日本語の看板を発見。そういえば、ネットでいろいろ調べていた時にみかけた名前だと思い、韓国語に疲れてもいたので、日本語でわかりそうなそこに行って見ました。日本人の奥さんがいて、メニューを丁寧に説明してくれてタレにつけこんだ肉、そのままの肉、骨付きカルビを注文。これに付け合せがたっくさんついてくるので充分でした。東京で食べると高いケジャン(渡りカニの唐辛子漬けが付け合せにあったのは驚き。食後に出してくれたシッケ(甘酒のようなもの)がメチャうまで、ゆのみいっぱいではなく、どんぶりいっぱい飲みたかった。でっかい牛の絵の看板の前で奥さんと写真を撮りました。迎賓ガーデンはなんとその2日前に火事で全焼したそうです。風情のあるお店のようだったのに惜しいですね。

その2へつづく〜

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(文:みずま)
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