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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『母さんがどんなに僕を嫌いでも』
原作者 歌川たいじさんインタビュー
2018年10月2日

プロフィール

1966年東京都出身。2009年より日常を漫画にしたブログ「♂♂ゲイです、ほぼ夫婦です」を開始、単行本「じりラブ」(2010)で漫画家デビュー。自費出版本「ツレちゃんに逢いたい」(2012)後、「やせる石鹸」(2015)で小説家デビュー。本作の原作コミックス「母さんがどんなに僕を嫌いでも」(2013)は、小説版(2015)、新版(2018/6)、児童向け文庫版(2018/10)と好評で出版を重ねる。小説最新作は熟女が活躍する「花まみれの淑女たち」(2018/8)。

ブログ http://utagawataiji.blog.jp/

作品あらすじ html://www.cinemajournal.net/special/2018/kaasan1/index.html#story



-初めて映画化のお話を伺ったとき、どんなお気持ちでしたか?

有り難かったですし、どうか実現させてほしいと切に思いました。
この本は、「あんなクソ親を私は許しました。どやねん!」という気持ちで書いたわけじゃないんです。いわゆる「毒親モノ」とはまた違ったメッセージを伝えたくて書いたんですよ。
最初にこの本を書いたのは、46歳くらいのときでした。虐待とかいじめとかは「自己イメージを叩き潰されること」で、そこから立ち直るのはすごく時間のかかる苦しいことですけれども、この本は、いろいろな葛藤を乗り越えてきて、人生の収支が若干黒(=黒字)になってきたかなってときに書いたんです。「痛みを抱えていても、収支はちゃんと黒にできます」というメッセージを伝えたかった。そういう作品って、それまであまりなかったと思うんですよね。
大赤字から黒字に転じるまでに、「あの人がこういう言葉をくれました」、「この人がこんな寄り添い方をしてくれました」ってことを、この本には全部書きました。彼らが僕に与えてくれたように、僕も、それを必要とする人に分けていきたいと思ったからです。心に傷を抱える人にも、そうでない人にも、要するに全世界に伝えたかった。
映画化のお話がきたときには「本を読んでくれない人も映画だったら見てくれるかもしれない」と思いました。だから、「是非、映画にしてください」と即答したんです。

-この映画でお母さんとタイジくんのお話はとても心に響きました。

ありがとうございます。

-けれどもメインは、タイジくんを子どものときは「ばあちゃん」、そして長じてからは「親友3人」が支えてきたことだと思いました。

そのとおりです!

-今はたまたま虐待やネグレクトがクローズアップされているので、そっちが前に出てしまうんですが。こんなにいい友だちがいて支えられてきた、私はそちらを観てほしい。

私もそうなんです~。

-それで、3人のキャスト(森崎ウィン、白石隼也、秋月三佳)が決まって、モデルの方々と比べられたと思うんですが、違いと似ているところを教えてください。

ウィンくんって、ほんとにいいヤツなんですよ。細やかに、しかもさりげなく気を使う青年で、「いい奴オーラ源泉かけ流し」みたいな(笑)。そんな彼がキミツを演じると、キャラクターが輝いて見えるんですよね。キミツって、演じる役者さんによっては、ギラギラいやらしくなっちゃう危険性もあるなって、彼のキミツを見て気づきました。ウィンくんが演じてくれたからこそ、イヤミな態度の裏に温かさがあるようなキャラクターになった。彼に演じてもらって、恵まれたなと思いました。

大将と白石くんは見た目は似てないです。でも、ふたりの共通点がすぐにわかりました。
映画の中で、大将がタイジの傷痕を見るシーンがあるんです。僕はその撮影には行けなかったので、前日に「明日のシーンは僕の人生を変えた何回かの転機の一つなので、どうかよろしくお願いします」って白石くんにお願いしたんですね。そしたら、「わかりました。バッチリやります!」って頼もしく答えてくれました。まかせとけって感じでね。そういうところが大将とかぶるなと思って、もうなんの心配もいらないなって思えました。

映画の中のカナちゃんは、ずっと友達グループの中の紅一点。それって、「私はこの中のお姫様よ」みたいなポジションを狙っていたんじゃないかって同性からは思われやすいでしょ。三佳さんの演技は、そんな計算ずくないやらしさをこれっぽっちも感じさせない。しかも、海辺でタイジくんに抱きついて押し倒すシーンでも、恋愛っぽい空気をまったく出さないんです。誰にでもできることではないので、彼女が演じてくれてほんとに良かったと思っています。

-実際にモデルの方がいらっしゃると、映画化したとき、その方たちの気持ちはどうだろう?と思うことはなかったですか?

3人とも映画化をすごく喜んでくれていたので、心配はなかったです。でも、ひとつだけ。3人ともかなりお酒を飲むんですけど、映画の中では、大将はお酒が弱いという設定になっていました。大将は「え~、俺、酒弱いって誰からも言われたことない」って、そこだけは不本意だったみたいです(笑)。そこ以外は、ばっちりだったと言っていました。映画のパンフレットには3人からのコメントが掲載されています。すばらしい文章なので、ぜひ、読んでほしいです。

-キミツさんって最後まで観ると本当にいい人なんですけれども、つかみのあたりだけだと一瞬やなヤツじゃないですか。劇団で会うシーンとか「あ、俺あんなやなヤツじゃないよ」みたいなことをおっしゃったりしないんですか?

いや、あれは盛っているように見えるかもしれないですけど、実物が吐いた毒の10分の1くらいに軽減されています(笑)。原作のほうが毒多めですが、それでもかなり軽減しています。なので、逆に感謝してほしいぐらいです。

-わかりました。そこだけ気になっていたものですから(笑)。大将、カナさんもいいんですけど、キミツくんがタイジくんを救ったんだろうなぁと感じました。

まぁ実際、そうなんですけど、認めるのがくやしい気もして(笑)。映画を観てそう感じられたのなら、それは太賀くんとウィンくんのお芝居のチカラですね、そういうことにしておいてください(笑)。

-実際のキミツくんに会ってみたくなりました。


©2018 「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会

-今回のお話のプロットはいつごろから温めていらっしゃったんですか?

原作は2013年に初版が出たんですけど、2012年の秋くらいからですね。発注受けてネームを書くのに1ヵ月半くらい。あんまり時間をかけられなかったので、絵入れとかは、ほんとに雑になっちゃったんです。なので、映画化を機に新版を出したくなったんですね。

-反響が大きくて驚かれたそうですが、特に印象的だった読者からの反響は?

読んでほろっと来ちゃったのは、もう天国に行っちゃった僕の母親に向けて書いていただいたメッセージでした。母を責める感じではなくて、「こんなにいい息子さんなのに、ほんのちょっとしか親子の時間が過ごせなかったのが、“もったいなかったですね”」と書いてくださって。世の中には、子どもにつらくあたってしまうお母さんもいる。そんなお母さんみんなに、やさしく呼びかける言葉のように感じたんです。“もったいないですよ”って。

-タイジくんには愛情をはじめ足りないところを埋める人が現われますよね。彼の素直で繊細なところが引き寄せるんだと思います。それを太賀くんがよく表現していました。
たいじさんご本人はこんなに大きくて丈夫そうだけど(笑)、ほんとはすごく繊細な人だと本を読んで感じました。「これはしてはいけないとか、これだけはしようとか」信条を持っていらっしゃいますか?

人間を嫌いになって孤立していくことだけは、避けてきたと思います。
僕にいい友だちがいてくれるっていうのは、まさか僕の美貌に引き寄せられて、ってことはないと思うんですが(笑)、ずっと彼らを手放さないように手放さないようにしてきました。
虐待とかいじめって、自己イメージをぺしゃんこにされてしまう。そうなると、どうしても孤立しがちになっていくと思うんです。自分のことが嫌いなまま人づきあいすることは、非常に難しいですから。
ばあちゃんが、自己否定しかしない自分にビッグバンを起こしてくれた。そうしたら、本来の自分が心の中で動き出した。やっぱり自分は人が大好きで、こうやって初めて知り合った人ともやっぱり仲良くしたい、面白いことを話したい、美味しいもの一緒に食べたいと。
そういうことを強く望みながらも、その時は人と打ち解ける術を知らなかった。同世代の子が友達同士でキャッキャ楽しそうにやっているのを見ると、どうやったらあんな顔ができるんだろう、どうやったらあの中に溶け込んでいけるんだろうって思っていました。どうしたらいいのか、全然わからなかった。でも、すーっごく憧れたんです。どうしても人の輪の中に入りたいって。
なので、「一緒に来ない?」「一緒に食べない?」って寄り添ってくれる人がいると、もう全力でかじりついていったんです。何度も失敗して、離れていっちゃった人もたくさんいました。でも何人かは残ってくれた。その中にキミツと大将とカナちゃんがいるんです。

僕がグッジョブだったのは、彼らのいいとこしか見ようとしなかったことだと思うんです。人の悪いところばかり見る人もいるけれど、僕は全力で彼らのいいところばかり見ていたんだと思います。だから、彼らも僕のいいところをたくさん見てくれたと思うんですよね。本気でへこんだときに、「うたちゃんには、こんなにいいところがあるじゃないか!」って言ってもらえて。
原作のネームを書いたときに、僕が師匠と呼んで尊敬している人に見せに行ったら「大将って、これじゃ天使じゃん!」って言われたんですけど、本当に天使だとしか思ってなかったんですよ。そんな感じで、僕はこの3人をずっと手放さないで来られました。
母親と関係を取り戻すことによって、自分の土台ってものを作りなおそうとしたときに、彼らが背中を押してくれたんです。
大将がまず「親に変わってほしかったらまず自分が変われ」って言ってくれました。
キミツは「理解は気づいたほうがするべき」って言ってくれました。
言葉だけ受けとったら「説教スか」とか「観念的じゃないスか」とか思っちゃったかもしれないけど、その関係性があったから、その言葉そのものよりも、「大将を信じよう、キミツを信じよう」と思えた。それをやってきた自分、ちょっとグッジョブだったんじゃない?と思っています。

-まさに!


映画化を機に、オール描き下ろし再構成により読みやすくなった新版。 漫画ページを新たに描き下ろし&増ページ、「新版にあたってのあとがき」を追加。 2018年6月/角川書店刊

-お母さんの話に戻らせていただきます。原作を拝見したとき、お母さんの表情はずっと出てこなくて最後の最後に顔が描かれていました。お母さんよりも歌川さんご自身の気持ちが伝わってきました。映画で吉田羊さんが演じるお母さんを観ていると、お母さんも苦しかったように見えたんです。
先日監督にもインタビューさせていただいたんですが、監督は「女性が子どもを産んだから自動的に母親になるわけではない、と認めてあげたい」という風におっしゃっていて、吉田さんには「母親としてではなく、少女のように演じてください」と。そういう演出されたと聞きました。
歌川さんにとってのお母さんは、監督がおっしゃっていたように「母親になりきれない少女」のような存在でしたか?振り返ってみてどうでしょうか?

そうだったと思います。やはり未成熟な部分がいっぱいあって、それを覆い隠してカリスマっぽくなっていた。でも、本当はたぶん傷つきやすい人です、打たれ弱いというか。傷がいっぱいあるもんだから、逆に凶暴になってしまうみたいなね。ある程度成長して、特に離れて生活するようになってから、母のデリケートな部分に気づいていったと思います。「不安定に生きてて、さぞ大変だろうな」って。

-守ってあげようという気持ちにもなりましたか?

すぐにはなりませんでしたよ。母親が危機に陥って、そこからですね。守ろうというか、ちゃんと息子をやりましょうと思ったのは。それによって、僕も救われるようななにかがあるんじゃないかって。僕の心にも体にも傷はいっぱいあるけど、消えるもんじゃないから、傷が全部誇りになるような、新しい記憶をこれから作りましょうということで。こんな素晴らしい親孝行をしたら素晴らしい記憶になるんじゃないか、って思ったので、そのときは頑張りました。まぁ、2年間振り回されっぱなしだったけどね・・・ってここで愚痴ってどうする(笑)。

-今そうやって語れるようになったってことは、自分の中で消化できた?

そうです。今が幸せだから言えると思うんです。明日死んだとしても僕は、人生の収支は黒字だったなと思って死ねます。なので「傷だったり、恨みだったりとかあったりしても、みんなちゃあんと黒にできますから、大丈夫ですよ~」っていうのを、世の中にも伝えたいんですよね。本を書いたときもそう思いましたし、映画を作ってくださった監督やプロデューサーもそこをちゃんと共有してくださっていました。

-絵を描くことはあまり好きじゃなかったけど、ブログに興味持ってもらえるんじゃないかとマンガをはじめたと聞きました。マンガの形式を選ばれたのはとっつきやすいというお気持ちから?

その通りです。なるべく多くの人に広く読んでほしかったので。文章と違って絵は、パッと見た瞬間にすごい情報量が伝わるわけでしょ。だから絵の持つ熱伝導率みたいなものに賭けるような気持ちで、絵心もないのにまんがを描きはじめたんです。
ちなみに、この本はコミックエッセイだけじゃなく、テキスト版でも出版されてるんですよ。児童書のブランドで「角川つばさ文庫版 母さんがどんなに僕を嫌いでも」というのを書かせていただきました。
そのときどんな気持ちでいたか、どんな風に怖かったか、痛かったか、悲しかったか…細かい気持ちの描写は、テキストのほうが伝わると思います。児童書なので、いじめだったり虐待だったり、その現場となりうる場所しか居場所がない子どもたちに向けて、こういう逃げ場があるよっていうのをいっぱい入れて書きました。


©2018 「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会

-お友だちの話をもうちょっと聞かせていただきたいです。今人間関係って広いけど薄いですが、タイジさんが結んだ人間関係はすごく熱くて濃いですね。

そうですねぇ、熱い。大将一家とキミツと僕でグループラインがあるんですけど、大将がそのグループラインの名前を「家族」ってつけたんですよ(笑)、熱いでしょ(笑)。僕も気に入ってます。

-たいていの人はあんなお友だちがいたらいいと思うはずで、でもどこから始めたらいいかわからない。自分が動けばいいのに待っている人が多いんじゃないかって、そんな気がします。

どこから始めたらいいかって言われたら、「望む」ところから。望んだらやっぱり、そういう行動が起こしていくんだと思うんですよね。希望を持つことが「この人を理解してみよう」とか、絆を作る行動に繋がっていく。
「人のこと理解してどうなるの?」って、誰かに言われたことがあるんです。でもね、たくさん人を理解していくと、今度自分がどうやったら理解してもらえるかっていうのがすごくよくわかってくると思うんですよ。
そういう試みを、数々の失敗をやらかしながらも、僕はいっぱい重ねてきました。それはなぜかと言ったら、希望を持っていたからなんです。理解しあうことに価値を感じ、ひたすら希望を持ち続けていたんだと思います。

-キーワードは「希望」ですね。

僕は絶対そうだと思う。

-最後にこれからご覧になる方々へ一言。

たくさん傷を抱えて生きている人いっぱいいるけれども、みんな幸せになれると私は思っています。私も今幸せです。ばあちゃんや友人達が僕に与えてくれた、幸せになるきっかけとなった数々の言葉が、この映画の中にはぎゅっと詰まっています。ぜひ、あなたもそれを受け取ってください!

-(一斉に)ありがとうございました!




=インタビューを終えて=

3媒体合同インタビューでした。こういうときは多い目に質問を用意してほかの方の質問を聞いて、変えていきます。吉田羊さんと太賀さんの“母と息子真剣勝負”は忘れられませんが、私は友達関係にこだわることにしました。
このころ子どもを自殺でなくした家族の話を本や映画で観ていて、死のうとする人々にどんな支えがあれば踏みとどまったのか?何をすればよかったのか?考えていました。自分が諦めないこと、友人がいること、自分をまるごと受け止める人がいること。たった一人でもいるといないではまったく違います。
歌川さんのブログによく登場する“キミツくん”ファンです。私の近くにはいないタイプの人で、セレブな毒舌がいちいち面白くて。毒が10分の1になったという、“いいヤツなウィン版キミツくん”もまた良かった。

歌川さんにカメラを向けながらキミツくんの映画への感想を聞いてみました。
「あいつ感想言わないんだよね。ああ見えて子どもや動物に弱いんですよ。子どもがやられているところ見ると、ダメだ~ってだだ泣きしちゃう。あの子役(小山春朋)のけなげさにやられたみたいです」との回答でした。
歌川さんの心からの言葉をたくさんいただきました。なるべく削りたくなくて長くなりましたが、少しずつ味わってくださいませ。「期待すること」と「希望を持つこと」ですよ!(まとめ・写真 白石映子)



=歌川さんが力を入れて語った「虐待」について=

「この映画見たいけど、勇気がなくて見れませ~ん」とかいう人が、けっこういるんですよ。
僕が虐待を受けてた頃なんて、児童虐待防止法もなくて(平成12年11月20日施行)、児童相談所もなくて、親はみんな子どもが可愛いからぶつんだと思っていた。虐待の結果子どもが死んじゃっても執行猶予がついた。そんな時代です。
児童相談所ができました、虐待を見過ごしたら違法です、となっても「勇気がなくて見れません」と言う人がいっぱいいる限りはあんまり変わらないんです。制度が変わろうと、施設ができようと。昔と今と虐待されている子どもの状況が大きく変わったかっていうと、あまり変わってなくて。
政治家だって、そこ頑張っても票にならないってわかったらチカラを入れません。
今年目黒で結愛ちゃんって女の子が「ごめんなさい、ゆるしてください」っていう手紙を書いて亡くなりました。目黒区には児童相談所ないんです。品川区、大田区、目黒区の三つを品川区が担当していて、人が足りるわけないんです。日本の児童相談所の職員の多くはスペシャリスト教育されていないんです。4月から児童相談所に行ってと言われて、その数年後にはよそへ行っちゃう人です。

日本の法律ってものすごく親の権利が強くて「子どもに会わせない、帰れ」って言われたら帰らなくちゃいけないんですよ。踏み込めないんです。そんな中、どんなに頑張ったって手が足りるわけない。欧米だったらスペシャリストの教育をちゃんとされている児童福祉司が、多くてひとり20件ほどの虐待ケースを担当しています。日本の児童福祉司さんは、多いときは200件ぐらい担当しているんです。手が足りるはずもないのに、何年も変わってない。政策表明のとき、そういうところ見ていますかって言ったら、目を背けようとしている人は見ないんですよね。

さらに生き延びた子たちだって、生き延びたから「めでたしめでたし」じゃないんです。例えば施設に保護されても、施設にはいろんな子どもがいて、人に噛みつく子もいれば、スイッチが入ったらびゃーっと噴火が止まらなくなる子もいる。そんな中で何のカウンセリングもされないで育って「どうやって人と打ち解けていけばいいか」という教育だってない。そして18歳になったら施設から出なきゃいけないって制度なんです。いきなり社会に放り出されて、どうやって生きていったらいいのか全くわからないですよね。就職する子もいれば、進学する子もいるけど、人間関係でつまずいて、長く続かない人も多い。そんな現実があって、虐待サバイバーが自分を取り戻そうっていう話が今までなかったから、「自分の過去をさらけ出してでも訴えていく意味があるな」と思いました。
届くところにちゃんと届けたい、届けるしかない。僕自身が昔からいろんな局面でやってきたことですけど、希望を捨てないで頑張るしかないんです。


★2018 年11 月16 日(金)より 新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座 、イオンシネマほか全国公開

(まとめ・写真 白石映子)


御法川修監督インタビュー (2018年10月1日)

html://www.cinemajournal.net/special/2018/kaasan1/index.html

『母さんがどんなに僕を嫌いでも』舞台挨拶

http://cineja-film-report.seesaa.net/article/462661867.html

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