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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『母さんがどんなに僕を嫌いでも』
2018年10月1日
御法川みのりかわ おさむ 監督インタビュー

プロフィール

1972年生まれ、静岡県出身。助監督を経て、2007年『世界はときどき美しい』で監督デビュー。
『人生、いろどり』(2012)、『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』(2013)、『泣き虫ピエロの結婚式』(2016)を発表。劇映画のみならずドキュメンタリー『SOUL RED 松田優作』(2009)や、WOWOW放送の連続ドラマ「宮沢賢治の食卓」(2017)、「ダブル・ファンタジー」(2018)など、幅広い作風の話題作を送り出す。


『母さんがどんなに僕を嫌いでも』ストーリー

タイジ(太賀)は子どものころから母の光子(吉田羊)が大好きだった。美しくておしゃれで人に囲まれて輝いて見えた。けれど家での母はいつも情緒不安定で、何かというとタイジにあたり、タイジの身体には傷や痣が絶えなかった。それでも古くからの従業員の婆ちゃん(木野花)が気にかけてくれたし、母の作る混ぜご飯は大好物だった。母は離婚で有利になるようにと、タイジを児童保護施設に入れてしまう。離婚が有利に成立して母に引き取られ、新しい生活を始めるも暴力は止まない。ある日、身も心も深く傷ついたタイジは一人で生きる決心をして家を出る。
懐かしい婆ちゃんに再会して、これまでの母の呪縛から逃れたタイジは、人一倍努力して一流企業に就職、社会人劇団にも参加した。劇団で出会った毒舌家のキミツ(森崎ウィン)、同僚のカナ(秋月三佳)、カナの恋人の大将(白石隼也)が、タイジを丸ごと受け止めてくれた。彼らに力づけられて、タイジはあきらめずに母と向き合おうとする。

©2018 「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会
★2018年11月16日(金)より 新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座 、イオンシネマほか全国公開


©2018 「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会


-監督の作品では『人生、いろどり』と『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』を観ています。どれも優しい映画で監督が優しいかたなのだろう、と想像していました。悪意のある人や、殺した殺されたという作品はないですね。

僕が優しいかどうかはさておき(笑)。自分が手がける映画には「日常の愛おしさ」を見出したいとは思っているんです。最近とみに多い、つらい現実をそのままトレースしたような映画はナイーブすぎる気がします。いま僕たちが生きる時代は暗い話題ばかりですよね。うわべだけの希望を語ったり、見せかけの優しさを取りつくろってみても誰も救われない。だからこそ、人の営みにユーモアや喜びを見出すことは価値があると思っています。
人間のどうしようもない滑稽さって、一面的ではなく複雑ですよね。その奥ゆきを表現できるのが映画の力だと思うので。
指摘していただいた通り、僕の映画に悪役は出てきません。でも、たとえば『すーちゃん~』に出てくる井浦新さん演じる男の優柔不断さは、悪意が目に見えることよりも、悪意の無い人間がしでかすタチの悪さを描いたつもりです。

-「ああこういう人いるいる」と思って観ていました。
監督には、タイジくんの「混ぜごはん」のように、お母さんのお料理で思い出すものはありますか?

僕の父は料理人なので、専業主婦だった母の作る料理にはダメ出しばかりでした。だから僕の役目は「おいしい!」って褒めること(笑)。特定の料理を思い出すことはないけれど……白石さんがお子さんに作る料理はどうですか?(質問されちゃいました)

-おにぎりとお漬物かな。息子の友だちが来ると、お菓子よりおにぎりとお漬物を出していました。男の子ってよくおなかすかせているので。カレーやハンバーグも作りましたけど、すごく美味しいってことはないかも。

素晴らしいお母さんなんですね。

-いや~。今度息子に何を思い出すか聞いてみます。 監督には映画界に入りたいきっかけとなった、背中を押してくれた作品があったのでしょうか?

僕が思春期に観ていた映画といえば、薬師丸ひろ子と原田知世が主演のアイドル映画2本立てだったり、決して高尚な映画体験ではなかったかもしれませんが、たとえアイドル映画であっても、その裏側に大人の作り手が注ぐ厳しい視点があることは、幼いながらに感じていたのだと思います。
僕が育った伊豆下田には映画館がなく、中高生時代は月に一度、映画館のある町に通っていました。朝一番に出て電車で片道2時間、念入りな予定を組んで一日に4本観て帰ってきました。長い休みには東京へ出ました。今はネット環境が整い、地方にいても様々な情報が手に入りますが、僕の青春期だった80年代には東京でなければ手に入らない本や音楽が山ほどありました。知的好奇心を満たしたい一心で映画を観ていただけでしたけど、ある時、映画の最後に流れるエンドロールが神々しく感じられたんです。これだけ大勢の人間が携わっているのなら、この中のひとりにはなれるんじゃないかとひらめいたのです。

-制作会社に入られたんですね。そのエンドロールに初めて自分の名前がのった作品は?

社員になったのではなくて、フリーの助監督として雇われた形です。僕は映画の仕事に就いて27年が経ちますが、一度も会社に所属したことがないので、給与をもらったこともありません(笑)。
当時はビデオレンタルの興盛期で、僕が最初に携わった作品は東映Vシネマ『狙撃3 THE SHOOTIST』。松田優作さんのレジェンドを築いたセントラルアーツという制作プロダクションの作品で、主演が仲村トオルさん。カメラマンは仙元誠三(せんげん せいぞう)さんという、それこそ優作主演作を数々手がけられた憧れの方だったり。幸運な映画人生のスタートでしたが、連日「おまえなんて田舎へ帰っちまえ!」と罵声を浴びる日々でもありました(笑)。

-エンドロールに出たお名前は光っていましたか?

光ってはいなかったですけど(笑)、やっぱり震えましたね。優れたスタッフの仕事ぶりに触れて、自分は単なるデクノボーだと打ちのめされたわけです。映画に携わることの喜びと厳しさの両方を身に沁みて感じましたね。

-この映画は母と子の物語であると同時に、友だちの物語であると思いました。傷ついたタイジを支えて、変わろうとする大きな力になります。こんな友だちがいたら、ときっと誰もが思います。自分が友だちとしてそうできるか?は、わからないですが。

僕が原作から得た大きな気づきは、「人生を循環させる」ということでした。誰だって思い返すことがつらい記憶や、かさぶたのまま放置している傷のひとつやふたつ胸に秘めていると思うのです。そういったネガティブな記憶を、断捨離のごとく切り捨ててしまうのではなく、今を明るく生きることによって得られた友情や愛情を、過去の愛されなかった自分の意識に渡していくことができる。人生を循環させていくことができる。嬉しいことも悲しいことも、丸ごと自分の人生を肯定できたなら、今日よりも明日、明日よりもあさってを少しずつ明るいものに変えていけるはずだと思いました。この気づきを、自分の手で映画にしてみたいと思ったことが始まりです。
映画のラストで、再び冒頭のシーンへとつながっていくのも、円環する人生を描きたいという想いから発想した語り口です。


©2018 「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会

-キャスティングはこちらからオファーして、向こうからOKをもらう、選ぶ選ばれの関係だと思いますが、太賀くん(タイジ)と吉田羊さん(母 光子)、婆ちゃんと呼ばれていた木野花さん(従業員)はもちろん、3人の親友、タイジの周りの人々がとても魅力的でした。

そう言っていただけることが何より嬉しいです。
僕が映画をつくるうえで一番たいせつにしていることは、観客が「また会いたいな」という気持ちになる登場人物を造形することです。映画の魅力って、スクリーンに映る俳優たちの息遣いが聞こえてくることだと思うんですね。どんな高尚なテーマを扱っていたって、映画自体が躍動していなければ、観ている人の心を震わせることはできないはずです。
森崎ウィン(キミツ)、白石隼也(大将)、秋月三佳(カナ)にカメラを向けると、限りない未来しかない表情をする。この熱量を取りこぼさず映しとり、永遠不滅の青春映画をつくりたかったんです。今回僕は、映画の登場人物たちの感情表現をベタなくらい濃く演出しました。ネット依存の日々に埋没していると、実感ある人間関係が希薄に感じます。だからこそ泣いたり笑ったり、飛び跳ねたり、感情をストレートに発露させる人たちを描いてみたかった。体温の高い人間関係を、ひとつの希望として観客に提示してみたいと思いました。

-病院の窓の下のシーンが面白いと思いました。原作にないシーンですが、監督が足されたんですか?

映画の終盤で主人公が母へ想いを伝えるシーンのことですね。あのハチャメチャな芝居場は、この作品の勝負どころでした。でも、映画独自に付け加えたシーンというよりは、原作に書かれてある「自分をさらけ出すこと」を具現化しただけです。「さらけ出した」ことは画で表現できない人間の心理なんですね。目に見えない心理を具体的な行動や事件に置き換えて物語る表現が「映画」であって、原作にあるセリフやストーリーを単に絵解きする「再現」や「動画」と違うものなんです。そのことがなかなか理解されないので、監督が意を注いだ演出について語られることも少なく、いつもさびしいですけどね(笑)。
でも泣きごとなしに、僕たちの取り組みは、ただただ「おもしろい映画」をつくり上げること、それだけですから。おもしろい映画を観て心がざわめき立ち、映画の中の躍動する肉体や愛くるしい表情に魅せられたときに初めて人は、作品の中に潜むテーマを探してでも掴みたいと思うんじゃないでしょうか。
映画は、世の中にメッセージを伝える「手段」ではありません。映画自体が「目的」なんです。一本の映画が生き物のように感情を宿し、手触りや香りだってあることを観客の方々に知ってほしいです。

-映画のラストでお母さんがやっと、口元を緩めていてホッとしました。原作に出会って作品になるまでしばらくかかりましたね。

児童虐待というデリケートな題材だったことから、確かに時間はかかりましたね。僕が原作を初めて手にした日から5年が経ちました。でも、完成した映画をまっすぐご覧いただけたら、僕が映画化を熱望した意図は伝わると信じています。告発や啓蒙のメッセージを送るための映画ではなく、たったひと言「お母さんが大好きです」と告げるために身を焦がすラブストーリーであり、熱いサクセスストーリーでもあります。


©2018 「母さんがどんなに僕を嫌いでも」製作委員会(メイキング画像)

劇中で木野花さん演じる婆ちゃんは、主人公タイジの心の声を代弁しますよね。きっと誰もが人生の中で、口にしたかった言葉を胸に秘めていると思うんです。それをタイジは、婆ちゃんのおかげで解放することができた。「映画」という表現形式の力も、観る人たちが普段は言えないでいる想いを解放できることにあるはずです。
映画館の暗闇に身を沈めた観客たちが、ふだん抑え込んでいる喜怒哀楽を大いに解放してもらえたなら、これに勝る喜びはありません。
笑って泣ける、心が沸き立つような明るいエネルギーに満ち溢れた映画に仕上がっていると思います。社会の問題について語り出すことよりも、目の前のたったひとりの人を慈しむ気持ちを実感できることこそ、大きな力になると信じているので。

-ありがとうございました。




=インタビューを終えて=

この映画のお母さんは子どものころ愛されず、愛し方を知らないまま大人になってしまった人のようです。我が子を愛せないことで自分が不完全だと思ったのかもしれません。けれども子どもは無条件で母親を愛しています。理不尽な怒りを向けられた子どもは、自分が悪いのだと思ってしまいます。そんな環境で育つタイジくんを包んでくれたのは、工場の従業員のおばあちゃんでした。自信も何もなくしていたタイジくんが大人になって、初めて心開くことのできる友だちを見つけ、それを支えに母親と向き合えるまでになります。この熱くて濃い友だち関係がいいです。
「過去に傷ついても今の愛情を循環させて癒してやれます」と御法川監督。もし自分の身近に寂しい人、不幸せな人がいたらキミツくんや大将夫妻のように、ギュッとしてあげましょう。おばあちゃんの1枚のハガキが心を結びつけたように、気になる人へ優しい便りを書きましょう。観た後にそんなことがしたくなる映画でした。

監督にお目にかかってびっくりしたこと一つ。私が5年も前に本誌に書いた『すーちゃん まいちゃん さわ子さん』のレビューを「映画の映」の名前から覚えていてくださったこと。自分の作品の記事は忘れないのだそうで、恐縮するやら嬉しいやらでした。
母の思い出料理、私の「おにぎりとお漬物」は自分と息子のことでした。自分と母なら「けんちん汁」です。祖母譲りで具沢山な上に、豆まで入っています。みなさんにとっての「混ぜご飯」はなんですか?


(まとめ・写真 白石映子)


原作者 歌川たいじさんインタビュー (2018年10月2日)

html://www.cinemajournal.net/special/2018/kaasan2/index.html

『母さんがどんなに僕を嫌いでも』舞台挨拶

http://cineja-film-report.seesaa.net/article/462661867.html

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