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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

「第27回東京国際映画祭 アンコール上映会」に寄せて
『ナバット』『メルボルン』『ゼロ地帯の子どもたち』
監督インタビュー

『ナバット』エルチン・ムサオグル監督&主演女優ファテメ・モタメダリアさん

この度、2月28日(土)・3月1日(日)の2日間にわたって、昨年の東京国際映画祭で大好評だった作品を厳選して「第27回東京国際映画祭 アンコール上映会」が開かれます。

5本のうち、『ナバット』『メルボルン』『ゼロ地帯の子どもたち』の3作品が監督たちに個別インタビューした作品です。シネマジャーナル92号にインタビューを掲載しましたが、誌面の都合で内容を凝縮しています。特別上映会を前に、インタビューの全容と、記者会見や上映後のQ&Aの模様もあわせてお届けします。


『ナバット』
エルチン・ムサオグル監督&主演女優ファテメ・モタメダリアさんインタビュー
10/25 記者会見
10/24 上映後のQ&A

『メルボルン』
ニマ・ジャウィディ監督インタビュー
10/29 記者会見
10/25 上映後のQ&A
10/30 上映後のQ&A

『ゼロ地帯の子供たち』
<第27回東京国際映画祭 アジアの未来部門 作品賞受賞作品>
『ボーダレス ぼくの船の国境線』のタイトルで2015年10月17日(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開!
特別記事を『ボーダレス ぼくの船の国境線』アミールフセイン・アシュガリ監督インタビューとして独立させました。

◎「第27回東京国際映画祭 アンコール上映会」(2/28・3/1)

2/28(土)
11:00- 『破裂するドリアンの河の記憶』
14:00- 『ナバット』
16:40- 『メルボルン』+スペシャルトーク ゲスト:中井圭(映画解説者)
 
3/1(日)
12:00- 『ゼロ地帯の子供たち』
14:30- 『ザ・レッスン/授業の代償』+スペシャルトーク ゲスト:吉田大八(映画監督)
 
会場:シネマート六本木
東京都港区六本木3-8-15 TEL:03-5413-7711 六本木駅より徒歩約2分
 
料金: 1プログラム1000円(税込)
★2月21日(土)よりシネマート六本木窓口にて発売開始

詳細(公式サイト):http://2015.tiff-jp.net/news/ja/?p=30453



●『ナバット』原題:NABAT

監督:エルチン・ムサオグル
2014年/アゼルバイジャン/カラー/106分/アゼルバイジャン語
☆イランの国民的女優Fatemeh Motamed Aryaさんが主演
http://2014.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=19

1990年代初頭、アゼルバイジャンの山奥。村はずれの丘の上の一軒家に住むナバット。ソ連崩壊後の内戦で息子を失い、今は病弱な夫と二人暮らしだ。毎朝、両手に牛乳の入った壺を抱えて谷の向こうの村に売りに行って生活の糧にしている。ある日、いつものように村に行くと、村人たちが皆、逃げ出していなくなっていた。やがて夫にも先立たれ、一人取り残されたナバットは、夫と息子のお墓の前にたたずむ・・・

◆インタビュー  2014年10月24日     (聞き手:景山咲子)

アゼルバイジャンのエルチン・ムサオグル監督がイランの国民的女優ファテメ・モタメダリアさんを起用して撮った作品。お二人にお話を伺いました。
ムサオグル監督は、アゼルバイジャン語とロシア語、ファテメさんはペルシア語と英語。映画撮影は言葉の壁を乗り越えて行われたとのことですが、インタビューは、アゼルバイジャン語とペルシア語の両方の通訳を介して行われたため、用意した質問の半分近くしかお伺いすることができませんでした。


撮影にあたってアゼルバイジャン語を習われたファテメさん。
時折監督にご自身で説明されていました。

― 大事な息子を戦争で失った母親の気持ちをずっしり感じました。日本でもかつて大勢の母親たちが息子を戦争で失いました。今も世界のあちこちで同じ思いをしている母親がいることを思い、戦争がなぜなくならないのかと悲しくなります。ファテメさんも息子さんがいらっしゃるので、母親の気持ちがよくおわかりと思います。

監督&ファテメ: まさにそうです。

― アゼルバイジャンには行ったことがないのですが、イラン側からアラス川の向こうにナヒチェバンの町並みを見たことがあります。大都会でびっくりしました。今回の『ナバット』のロケをしたのは、ハフタシアーブ村とのことですが、どのあたりでしょうか?

監督:ロシアに近い北のほうのイスマイリ州にある村です。州都のイスマイリ市は、静岡県の伊東市と姉妹都市です。

― 食べかけた朝食がテーブルに残っていて、突然逃げなければならなかった状況だったことがわかります。監督はそのような状況もたくさんご覧になってきたのでしょうか?

監督:私自身はバクーに住んでいて被害にはあっていないのですが、すべて私自身が仕事で色々なところで観たものです。


― FlickfeastのStephen Mayneさんのインタビューにかなり詳しく出ていましたので、そこで語られていたことを踏まえて、さらにお伺いしたいと思います。

ファテメ:あのインタビューはほんとに素晴らしかったです。

― 監督はファテメさん主演の映画が起用の決め手になったそうですが、それは『母ギーラーネ』(イラン、2005年、監督:ラクシャン・バニエテマド、モフセン・アブドルヴァッハーブ)でしょうか?

監督:はい、そうです。ナバット役を、アゼルバイジャンだけでなく、周辺諸国あちこち探したのですが、しっくりくる女優がいなくて、撮影を担当しているイラン人スタッフから紹介されました。

― イランとアゼルバイジャンで、映画の撮影現場で大きく違うことはありましたか?

ファテメ:撮影監督はイラン人でしたので、現場はあまり変わらなかったのですが、監督のスタイルが違いました。アゼルバイジャンでは、監督補が二人つきます。二人は監督の指示で動きます。助監督とはまた違う立場です。イランでは、監督補というポジションはありません。

― 言葉の違いを乗り越えた撮影現場だったと聞いています。

監督:一番必要なかったのは言葉でした。ファテメさんは撮影現場の村の皆さんと親しくなって、友好関係も出来てスムーズな撮影ができました。イランのスタッフも多く入っていて、カメラのほか、メイク、音声、音楽のほか、ポスプロもイランで行いました。編集は両国で行いました。

― ソ連崩壊後のアゼルバイジャンの映画業界は?

監督:ソ連時代、政府の政策でどの共和国でも映画産業は政府の後押しで良い作品が作られていました。ソ連崩壊後、予算の補助もなくなり、10年かかってやっと映画産業も復帰しました。

― チェ・ゲバラの写真が出てきますが、当時のアゼルバイジャンでは、山奥の村でも皆が知っている英雄だったのでしょうか?

監督:ソ連時代、チェ・ゲバラは英雄で、自分の家にも写真がありました。

ファテメ:イランも同様です。

― 2人は駆け落ちしたという言葉がありました。どんな理由で駆け落ちしなければならなかったのか、ちょっと気になっています。

ファテメ:特に説明はなかったのですが、夫が年上で、ナバットのことをとても大事にしてます。欲しいものがあったら、反対されても手に入れます。自分が結婚した時にも反対されたけど、押し通しました。

― ベッドに寝ながら、二人でしみじみ話している場面がとてもよかったです。

ファテメ:あのシーンを撮ったとき、監督と監督補から、夫が亡くなったらどうしようという思いを身体で表現してくれと言われ、困りました。どのようにしようと朝方までかかってしまいました。次の日まで眠れませんでした。身体で表現するというのは、なんとなく違うのではと。次のシーンを撮ったときにも、二人とも寝れませんでした。撮ったシーンが、監督もどこか違うのではと感じて、いろいろと話し合って、あのようなベッドに寝ながら語るという形になりました。あのシーンは私たちにとっても好きな場面です。


― ファテメさんの実年齢よりもナバットはかなり年上の設定だと思うのですが・・・

監督:撮影当時63歳で、2年経ちましたから、今は65歳!
(ショーレさんに、63歳というと私の年齢に近いと耳打ちしたら、「見えないから言わないほうがいいわよ」と!)

ファテメ:皆、老けメイクが大変だったでしょうと言うのですが、メイクは何もしてないのよ。顔洗って出てきただけ! (ケラケラと笑うファテメさんでした。)


*映画を観た友人たちが「あの村のおばあさんを起用したのかと思った」という程、ファテメさん、年老いた母に成りきっていました。実物は、この通り、20代半ばの息子がいるとは思えない若々しさです。

◆記者会見 2014年10月25日

司会(矢田部氏): ようこそ日本へ。監督、初来日の感想を!

監督:ミナサン コンニチワ。 日本に来る前に映画や文学で知識がありました。黒澤、小津の国。ソ連時代に、桜についての映画を観て関心がありました。

司会:ファテメさんは日本はお馴染みです。

ファテメ:コンバンワ。日本に来られたというより、ショーレさんがいるので、日本は二つ目の故郷のよう。自分の国に帰ってきたようです。

― ファテメさんはイランの国民的女優でオファーも数多くある中、イランでも若手監督の作品に積極的に出演したり、今回も隣の国とはいえ言葉も違うアゼルバイジャンで、しかも、ドキュメンタリーはたくさん取っているけれど長編劇映画は経験のない監督の作品で、年齢も実年齢より高い年老いた母の役を引き受けられまれました。あえて引き受けた思いをお聞かせください。

ファテメ:一つの木に例えます。深い根っこが映画に広がっている木です。今の自分は映画の木。金銭も名誉も気にしていませんし、たくさんの役を演じることも望んでいません。今まで、53本の映画に出演して、様々な役を演じてきました。毎回違うキャラクターです。自分が木の気持ちになるならば、枝に違う花が咲くようにしたい。若手の監督と仕事をすると、一つの花が咲いたような気持ちになります。私は自分の経験を彼らに差し出します。若いエネルギーを映画に込めていただきます。違う映画を演じるなら、自分の経験を差し出して、監督たちの経験にしてもらいたいのです。そして、彼らの新鮮なアイデアを自分の演技に足していきます。Bigな監督と仕事をしないのも大きなチャレンジです。

司会:監督にもファテメさんを起用した理由を聞いてみましょう。

監督:最初、ナバット役を検討している時、ファテメさんは考えていませんでした。アゼルバイジャンだけでなく、タジキスタン、トルコなどで探していました。あるイランの友人からファテメさんを紹介していただきました。

― 夕陽に牛車を引いていく影絵のような美しいシーンや、お風呂に入るシーンでは息子さんの写真のあった場所にシルエットが映ります。さらに、そこにチェ・ゲバラの肖像画。ゲバラが、世界で苦しんでいる人に手を差し伸べよと言った言葉が重なります。牛の名前アージャはどういう意味でしょうか? 牛は沈黙に耐えるメタファーとして使われています。狼を助けるのはチェの精神でしょうか?

監督:ありがとうございます。質問と共に答えもいただいたように思います。ソビエト時代、ゲバラは自由のヒーロー的存在でした。私の家にもチェの写真があって、母は私の友人か何かだと思っていたようです。ナバットはシンプルな女性です。すべての母のイメージを投影させています。ナバットは息子がゲバラのように見えることを願っていて、息子にゲバラを投影させています。ナバットが狼を助けたのは、母はすべてを守るべきだという考えに基づいています。狼を助けただけでなく、自然や生き物すべてを守ったのです。

― いろいろな受け止め方があると思いますが、政治的な映画だと思いました。バックグランドとして、ナゴラカラバフとの戦争があるのでしょうか? あまりニュースとして流れないので、どういうことが起こったのかと。

監督:1991年にソ連が崩壊して、どこの共和国でも内戦が起こりました。唯一、ウクライナだけは当時戦争にならなかったのですが、今になって戦争になっています。15カ国が統合された時も血による統合でした。崩壊も血によるものでした。映画を作る手法として、自分の経験のみを描こうと思いました。この映画は戦争についての映画ではなく、母親たちが戦争で直面するものを描いたものです。他の国にも同じことが起こっています。もっとも大事なのは、母の願いは子どもたちが成長して幸せに生きることです。それが戦争で子どもたちだけでなく、母の願いも叶わなくなります。

― これまで自分で撮影されてきて、今回は他の方にカメラを任されて、ジレンマもあったと思います。

監督:ドキュメンタリーはどういう状態なのかを描いていきます。時に、ドキュメンタリーでは描ききれないことがあります。自分がどう考えているか、映画であればそれが表現できるので、カメラを人に任せた葛藤はありませんでした。ドキュメンタリーを作っているからと、映画が作れないわけでなく、本も書けます。自分の考えを反映させることが大事だと思います。

― 強くて美しいナバットに感動。どういう思いで演じられましたか?

ファテメ:きっと自分に質問してくれると思って、もう一人とお願いしました。ナバットの役が美しく強いから質問をいだたいたのだと思います。私は強い女性が大好きです。中身が強い女性が特に好きです。自然の厳しさや人の悲しみを受けれているから強い。自分からは世界に何も期待していません。すべて差し出すけれど、見返りはなくてもいい。このような役はチャレンジです。ロケ地も違う、言葉も違う、年も違う、シチュエーションも違う。こんなにいっぱい理由があれば、役を引き受けます。



◆上映後のQ&A  2014年10月24日

司会(矢田部氏):美しい映画をありがとうございます。

監督:見ていただいて感謝します。

司会:女優はイランの方。ペルシア語はアゼルバイジャンの言葉とも近くて理解しあえたそうです。

ファテメ: ワタシ モタメドアリア デス。コンニチハ(この後、英語で言いかけて、ペルシア語で)
感動していただいたかどうかこれから伺いたいです。

司会:90年代初頭、実際に老婆が村に一人取り残されたニュースがあったそうですが、今なぜ映画に?

監督:1991年までソ連でした。ソ連はなくなり、世界中の状況が変わり、ここも大きな影響を受けました。昔の時代から友好的な関係にあった国が突然敵対するようになりました。アルメニアがアゼルバイジャンの一部を占領して、100万人が難民になりました。人も多く殺されてきました。作った映画は戦争についてではなく、戦争の影響についての物語。戦争が終わっても影響が残っていることを描きました。世界中で戦争が終わらない。母についての物語。自分の子どもたちの命がなくなると自分の将来もなくなる。戦争は大きなモンスターです。


*会場との質疑応答

― 素晴らしい映画。構図を意識した映像が素晴らしかったです。

監督:40分以降、言葉がありません。カメラの動きでいい品質の映画をと心がけました。

― 救われない気持ちに。どうやって希望を見出せばいいでしょうか?

監督:希望・・・ 戦争にならないようにという希望を描いた映画です。「天国はお母さんの足元に」という諺があります。お母さんたちを大事にという意味です。

ファテメ:この映画から受け取る一つの大きな希望は、小さな国の一人の女性が世界を救おうとすることです。女性は命(子ども)を産むもの。最後に雪が降ってくる時に希望を見出せるのではと。世界も続く、人生も続く。平和を手に入れればと。


― 見えない生き物がお母さんを追いかけている印象でした。どういう意図? ただのカメラワーク?

監督:映画は生きているもの。見えないものは観客が感じるものだと思います。

司会:狼は旦那さんの生まれ変わりという同僚がいました。深読みでしょうか?

監督とファテメさん 二人で笑う。

ファテメ:会場にいる旦那様たち、生まれ変わって狼になるそうですのでどうぞ気をつけてください。(笑)

― 後半、台詞のない演技を強いられていますが、どんな役作りを? 最後、うちひしがれている感じ。でも希望を持ったラストでした。

ファテメ:脚本を読んだとき、心で読んだ気がしました。英語に訳されたものでしたが。心で受け入れて、自分の演技の経験の上でできるかどうか考えました。自分の演技力、沈黙の演技がテーマ。自分の表情で演技するのが基本と考えてきました。どう演ずれば一つの国の悲惨な状況をただ自分の表情で表わせるかを考えました。ロケは自分の国でないし言葉も年齢も違う。助けてくれるのは、長年自分の国で演技してきた経験。心をいれた演技をしたといえます。




●『メルボルン』 原題:Melbourne

監督:ニマ・ジャウィディ
2014年/イラン/91分/ペルシア語/カラー
http://2014.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=15

3年の予定でメルボルンに留学する若い夫婦。8時間後に出発を控え、旅立ちの準備に追われている最中に隣家の子守から赤ちゃんを預る。ところが赤ちゃんが動かなくなってしまう・・・

◆ニマ・ジャウィディ監督インタビュー

2014年10月29日  聞き手:景山咲子

―よく書き込まれた脚本で、最後までどうなるのか惹き込まれました。最後、赤ちゃんを預かった大家のおばあさんはどうなるのか、メルボルンに行った夫婦は幸せになれるのだろうかと、観終わったあとも、自分の中で物語が続いています。 監督の中に続きの話はありますか?

監督:ベネチア映画祭で上映した後に申し上げたことなのですが、スタッフたちと一緒に完成した映画を観たときに、音や色がどうかとチェックするのですが、自分自身エンディングの後、あの夫婦はどうなるのだろう、今の出来事でお互いの奥深くのことを知ってしまった二人は一緒にいられるだろうかと考えました。


― イラン映画には、結末をはっきりしないものが多いと感じているのですが、それは作り手たちの意図であると同時に、イランの観客の好みなのでしょうか?

監督:赤ちゃんを預けて出かけるので、一応解決した終わりなのですが、観客をいらいらさせる終わり方ですね。メインは夫婦の話。イランの観客はオープンエンディングを求めてない。結果が説明されないのは好きじゃない。

― どこの国でもありえる話でありながら、一方で、イランの中流階級の暮らしを垣間見ることができて興味深かったです。マイナーなニュースばかり見ている人たちに、いい意味でイランのイメージを変えてもらうこともできると思います。

監督:同じコメントをイタリアでもされました。郊外、沙漠、村で撮ったりする監督もいるけれど、中流クラスはあのような生活。アイフォンやラップトップも持っているし、スカイプも使う。メカニックを勉強するし、皆、普通の生活をしています。

― イラン好きの私にとっては、大家のおばあさんが、出発前の二人に差し入れのお料理を持ってくるところなどに、イランの人たちの優しさも映画で感じることができました。

監督: そういったところを観ていただけて嬉しいです。この映画が日本でも配給になるといいのですが。

― イスラム革命の後、いまだに国外に新天地を求めてイランを離れる人たちがいることを感じました。 妹が英語を習い始めただけで、外国に行ってしまうのではないかという母親の心配は、イランの家族の多くが抱えているのではないでしょうか。

監督: イランだけでなく、全世界で起きていることと思います。簡単に移動できる時代です。オーストラリアでは様々な言葉が聞こえてきます。イランの中でも海外に行きたい人は多い。移民は社会現象です。この映画は、技術的に短い時間で赤ちゃんをどうするかを決めるために、取りやめることのできない留学というシチュエーションにしたのです。


― 本作が初長編作品ですが、これまでどんな活動をされてきたのでしょうか?

監督:短編やドキュメンタリー、CMも撮っていました。長編を作りたいけれど出資者がなかなか見つからない。低予算で撮れると、このストーリーを思いつきました。小さい時から芝居に興味がありました。お母さんが自分の学校の先生でした。9歳の時、舞台の脚本を書いて、友達と二人で演じました。中学校に入って、演劇部に入りました。舞台は学校時代で終わり。その後は映像のほうを手がけるようになりました。舞台のことはいつかちゃんと学んでやってみたい。

―次の作品は?

監督:アイディアはありますが、今は映画祭回りで忙しい状況です。


通訳のショーレ・ゴルパリアンさんと監督

◆記者会見 2014年10月29日

司会(矢田部氏):日本の印象を!

監督:イランと日本の文化の違いを楽しんでいます。去る時には寂しい思いをすることと思います。

司会:スリリングな脚本のきっかけは?

監督:4~5年前、数人の友達と別荘に行ったとき、あるカップルから赤ちゃんが寝ているので見ていてと頼まれました。音がしても起きないので、このままだったらどうしようと不安にかられました。その時の恐怖がこの物語のヒントになりました。

― 素晴らしい映画。緊張感。次はどうなるかと。エンディングは観ている者にゆだねる形。日本の場合、ヒットする作品は結末を出します。イランではそういう傾向が好まれるのでしょうか?

監督:日本だけでなく、世界で全部を説明してしまう映画が増えていて、ばい菌だなと感じます。すべてを説明してしまうと、観る側のモラルをバカにしているような気がします。エンディングにたどり着くのに、3~4ヶ月かかりました。

― 他のエンディングも考えていたのなら教えてください。

監督:いっぱいアイディアがありましたが、説明できるような面白いエンディングはありません。

― これ以上悪いシチュエーションになるのかとハラハラ。母性の観点からすると、苦いラスト。赤ちゃんが動かなかったですが、どういう演技をつけたのでしょう?

監督:脚本を書いている時、母親の経験のない女優さんに・・・・・・
秘密にしておきたいのですが、ある場面では人形を使っていました。赤ちゃんは寝ていて、決していじめてません。

― 予備知識なしに観ました。デビュー作とのこと、相当高いレベル。世界で尊敬する監督は?

監督:アリガトー。小さい時から物語を作ることに興味を持っていました。好きな監督は、ビリー・ワイルダーにヒッチコックです。

― 俳優の演技が素晴らしい。美男美女でした。演出は? もともとの俳優の資質? 撮影は順撮り?

監督:二人とも名優でパワーを持っています。演じないでくださいと頼みました。1作目なので目立ちたかったのですが、自分の存在を隠すほうがいいと思いました。順撮りしたかったのですが、役者の一人が病気になって、70%しか順撮りできませんでした。51日間の撮影で、51シーンです。

― CMをやってらしたとのこと、部屋の中のライティングが明るすぎたかなと。イランはいかが? CMの影響でしょうか?  25日のQ&Aで日本の観客から出た質問はいかがでしたか? リアクションは?

監督:家の作りが違うので、明るすぎると感じたのでは?  私たちにはノーマルな明るさです。窓が多いのも普通のことです。キッチンやベッドルームやトイレは少しライティングを変えました。8時間のライティングを考えながら撮りました。外の光を自然に取り入れて撮っています。 リアクションですが、アジアの観客は始めてだったのですが、スイスやイタリアと同じような質問が出ました。


◆2014年10月25日上映後のQ&A

監督:日本の皆さん、こんにちは。たくさんの方にご覧になっていただきありがとうございます。感想を楽しみにしています。

司会(矢田部氏):脚本がうまい。思いつかれたきっかけは?

監督:4~5年前、数人の友達と別荘に行ったとき、あるカップルから赤ちゃんが寝ているので見ていてと頼まれました。赤ちゃんが全然動かないので心配になって音をいっぱい出したら起きてくれました。死んでしまったらどうしようという恐怖がずっと心に残っていて、それを映画にしました。

― イランの人は親切で助け合う精神を持っています。日本なら信頼のおける人にしか赤ちゃんを預けません。それほど親しくもない育児の経験のなさそうな人に簡単に預けることは日常的にあるのでしょうか?

監督:脚本を書く時、経験したことや周りの人からヒントを得ます。イランだけでなく、全世界で隣の人を信用して子どもを預けると思います。イランでは可能なこと。アミールとサラの会話で、アミールはサラになぜ預った?と怒る場面があります。アミールは少し日本人的なのかも。サラはイラン人的に預ったけど。

― この作品の中で携帯がよく使われていて物語を進めていくのに利用されていましたが、その意図は?

監督:イランでも日本や他の国と同じように、通りやどこでも携帯でやりとりをしています。リアルに撮るなら当然出てくるアイテムです。設定はずっとアパートの中。アパートから出ない時、情報はどこから取る?と考えた時、携帯だと。物語を進める上で人と人を結ぶものとして登場させました。

― 一つの部屋で進行する映画は下手をすると退屈するのをスリリングに仕立てていました。演出にあたっての工夫は?

監督:正直に話すと初めての映画で低予算でした。一つの場所で撮るのがいいかとアパートの1室を考えました。初めての映画で、あちこちロケするのは不安が伴います。一箇所でフォーカスして撮ったほうがいいものができるのではと思いました。これから作る若い方にもお奨めしたい。

司会:低予算でいい映画ができるお手本。簡単とおっしゃったけど大変。かなりテイクは撮られた?

監督:デジタルで撮るとフィルムと違ってテイクはいっぱい撮れます。いくつかのシーンはたくさんテイクを撮りました。役者の演じるところは、3~4回リピートしても、だんだん集中できなくなるので、あまりプレッシャーをかけないようにしました。

― 面白い作品でした。部屋の中から出ないのに緊張感。ファルファーディー監督の『別離』にすごく影響を受けていると思いました。あちこちで聞かれていることと思いますが、ファルハーディー監督との関係もお聞かせください。

監督:ファルハーディー監督は、今、イランで一番感動させる映画を作る監督として尊敬されている偉大な監督で影響力もあります。若い世代はもちろん影響を受けています。主役は『別離』の夫役。観る側は『別離』に近いと感じると思います。私自身、ファルハーディー監督は一番尊敬している監督です。



◆2014年10月30日 上映後のQ&A (途中から入場したため、一部抜粋)

監督:タイトルを『メルボルン』にした理由の一つは、メルボルンは10年前から世界で一番すみやすい町を言われていること。もう一つは、子どものときからメルボルンという発音が好きだったからです。

― 最初に出てきた女性の調査員が最後にも出てきました。ネットと対比させるために出したのでしょうか?

監督:調査員を使って、二人がメルボルンに行くことなど知るべき情報をさりげなく知らしめています。ネットや携帯は、低予算だったので、中にいる二人と外との関係をそのようなツールを使って状況を説明しました。

― 最後、後味が悪かった。メッセージは?

監督:すみません。メッセージを伝える目的はなかった。魅力的な話を語ろうと。狭いところで最後まで見てもらえるものをと。3ヶ月かけて、最後に隣の家に赤ちゃんを預けるというエンディングにたどりつきました。ハッピーエンドの映画はあまり記憶に残らないとも思いました。観客が想像できないようなエンディングを考えました。

― 昨年上映された『ルールを曲げろ』は海外に行こうとして阻まれる話。今回も近いものを感じました。若い世代の人たちが外に出ようとするのを阻むのは、世代間対立などを映画に込めているのかなと。

監督:イランでは外に出るのを必ず反対するわけではありません。家族の絆が強いので、留学したり移民したりというと戸惑うこともあります。イラン人はより良いところに住みたいという気持ちも強いけれど、それは他の世界でも同じではないでしょうか。


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(取材:景山 咲子)
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