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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ボーダレス ぼくの船の国境線』
アミールフセイン・アシュガリ監督インタビュー

2014年の第27回東京国際映画祭 アジアの未来部門で『ゼロ地帯の子どもたち』のタイトルで上映され、作品賞に輝いたアミルホセイン・アスガリ監督の初長編映画。
この度、10月17日(土)より、新宿武蔵野館ほか全国順次公開されることになりました。

去る2月28日(土)・3月1日(日)の2日間にわたって行われた「第27回東京国際映画祭 アンコール上映会」の折に、『ナバット』『メルボルン』と共に特別記事として掲載した『ゼロ地帯の子どもたち』の監督インタビューと東京国際映画祭の折のQ&Aを独立させて、ここにあらためてお届けします。

*ストーリー*

イランとイラクの国境の河に浮かぶ廃船で暮らすイランの少年。釣った魚や、貝殻で作ったアクセサリーを売って日銭を稼いでいる。ある日、アラブの少年が闖入してくる。言葉は通じない。船の真ん中に線を引き、お互い干渉しないで住むことを意思表示する。そんなある日、米兵が現われる・・・
作品紹介ブログ:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/427580223.html



アミールフセイン・アシュガリ監督プロフィール

1978年テヘラン生まれ。演劇界でキャリアをスタートさせる。現代演劇を専攻後、映画・テレビ界に入り50本以上の映画やシリーズで助監督を務める。「Maybe Another Time」で初めて短編映画を手がけた後、本作で長編デビュー。






●アミールフセイン・アシュガリ監督インタビュー
●10/29 上映後のQ&A
●10/30 上映後のQ&A

◆アミールフセイン・アシュガリ監督インタビュー

2014年10月29日  聞き手:景山咲子

― 言葉が通じないことが誤解を生むこと、そして、言葉が通じなくてもお互いを思いやることができることを映画を通してずっしり感じました。

監督: その通りです。言葉は大きな問題を起こす力もある。これは好き、これは嫌いといったように。

― 結末は悲しいものでしたが、だからこそ、言葉や文化が違う者どうし、お互いを尊重して戦争のない世界を実現したいという思いにかられました。あえてハッピーエンドにしなかったのは、どんな意図があったのでしょうか?

監督: 世界の各地で戦争が起こっています。戦争=悲しみ。人を亡くしたら悲しい。ニュースで戦争で500人死んだと聞くと、悲しくなる。 死ぬ=悲しい。 知らない人でも死んだと聞くと悲しいものです。

― 脚本段階では、ハッピーエンドも考えたのでしょうか?

監督:エンディングはどちらでもないと思っています。リアルに考えると、ストーリーは戦争についてなので、悲しいものです。

― イランの男の子もアラブの女の子も、目力が素晴らしかったです。どのようにして二人を起用されたのでしょうか? アメリカ兵も、もしかしたら演技経験のない方を起用したのでしょうか?

監督:キャスティングは難しかった。特に、女の子のほうは、最初男の子に見えるけど、後で女の子に見えないといけません。実はあの女の子は南の出身ですが、ペルシャ語はできるけど、アラビア語はできませんでした。逆に男の子はペルシャ語があまりできませんでした。アメリカ兵役は、最初レバノンの役者を呼んだけど、太っていたので使えなかった。英語の上手い友達に「明日から撮影だけど」と電話して来てもらいました。「フルームーンワン」というラリーの町で仕事をしていて、英語が上手でした。

― アメリカの田舎の方の出身という感じの英語でした。

監督:そういう風に見えたのなら嬉しいです。

― 物語はイラクとの国境地帯を舞台にしていますが、実際の撮影はどのあたりでされたのでしょうか? 葦の生えている沼地での撮影でのご苦労は?

監督:アフワーズでカールーン川という名前だった川が、アバダンに下ってくるとアルヴァンド川(アラブではシャットゥルアラブ川)という名前になります。鉄条網は本物の国境です。プロデューサーと船を探していて船が見えたので、ここで撮影しようと思ったら、実はイラク内にある船でした。鉄条網に穴が開いていたので、入っていったら、実はイラクに入ってしまっていて、イラク兵に「何してる?」と捕まってしまい、24時間刑務所に入りました。船は撮影した場所に作り直しました。国境と国境の間で撮影したので、イラン側からガードを越えて、45分位歩いてロケ地に通ってました。撮影したのが1月~2月で、水の中は冷たくて、男の子は水に潜るとき大変でした。地元の人たちが、「こんな寒さは30年ぶり」と言ってました。船は特に、鉄の中だし寒かったです。おまけにあのあたりはイラクとの戦争の時に大勢が亡くなった場所。霊が彷徨っているとも言われました。


アミールフセイン・アシュガリ監督

― 監督は南のご出身ですか?

監督:私自身はテヘラン生まれですが、母が南の出身です。でもアラブではなく、バフティヤーリー族です。

― 廃船に住んでいるという設定から、真っ先にアミール・ナデリ監督の『駆ける少年』が思い浮かびました。ナデリ監督は、監督にとってどんな存在ですか?

監督:ナデリ、キアロスタミ、ジャリリなど偉大な監督の影響はどこかに入ります。そう思っていただけると嬉しい。 ナデリ監督の『駆ける少年』も『ハーモニカ』も、主人公は私と同じアミールフセインです。

― ジャリリ監督からは、どのようなアドバイスを実際に受けられたのでしょうか?
(「お金?」と通訳のショーレさんに尋ねたら、「ジャリリはお金はないわよ」と)

監督:知識の出資を受けました。長編映画を最初に作るとき、名のある監督をアドバイザーにつけないと許可がおりません。最初に見せた監督からは返事がなくて、私の映画はタグバイ監督.やジャリリ.監督の系統だと思って、ジャリリ監督に送りました。ジャリリ監督はすぐに脚本を読んでくれて、3日間一緒に脚本を見直してくれました。3日後、サインもしてくれました。映画が出来て、一緒に観ていただいた時には、もう緊張してしまって、モニターの後ろにいたのですが、映画が終ってもジャリリがじっとして何も言ってくれないんです。 しばらくして覗き込んだら、ジャリリが泣いてました。もう公開されなくても、百点貰った気分で、夜中に家まで遠いのですが、歩いて帰りました。


「ジャリリが泣いた!」と感慨深げな監督

◆Q&A  2014年10月29日

(『チェイス!』の記者会見を中座して途中から入場)

監督:女の子が生きるために男の子として身を守ることはよくあります。 イランではまだ上映されてなくて、ほんとに初めての上映です。

― イラン映画が好きで楽しみ。途中から涙が止まらなくなりました。心に触れる映画でした。蛇をみたり、電球をさわったり、すごく日常的な仕草で実在感がありました。アドバイスしたりしていたのでしょうか?

監督:イラン映画を観ていただいて感謝。子どもと映画を撮るのは難しい。子どもの自然な演技を撮るのに、普段の姿を見ていて、この子たちの癖を取り入れました。メトードアクティングといって、 一つの演技を何度も繰り返していいところをとるという方法です。男の子は、相手が女の子だったのか男の子だったのか撮影が終ってからも知りません。私たちの文化では、女性をすごく尊敬します。殴れといった時に女性だとわかっていると遠慮するので教えませんでした。

― 言葉が伝わらないのは、演技だったのか、実際通じてなかったのか?

監督: 3人はイラン人。お互いに理解できますが、設定上では違う。ロケ中、兵士役の男のことを男の子と女の子は本物の兵士だと思っていたので、恐れている姿を捉えることができました。ほんとは兵士ではないのですが。イランはいろんな国と国境を接していて、国境近くに住んでいる人は隣の国の言葉もしゃべれる場合が多いです。

石坂:タイトルに込めた思いを

監督:ボーダレスは、夢であり希望。国境がなくなったらどんなに幸せか。言語の問題はあっても心は繋がればと。映画を作ったとき、どんな国でも心をつかむことのできるタイトルをと思いました。あちこち旅して、人と人には壁がないと思います。貧しい人、困った人には手を伸ばす。ラインを引いたのは国民じゃない。

― 感動しました。イランでの上映が決まってないそうですが、表現の自由の問題? この映画を撮ろうと思った思い入れを!

監督:どこの国でも映画を作るのには決まりがある。検閲だけじゃなくて。フランスの友達はピアノを売ってお金を作って短編を作りました。どの国でもインディペンデント映画は苦労します。出資者が集まらなくても、映画を作りたくて、いろんな人たちが集まって作りました。男の子がわずかな食事をしていますが、私たちも同様でした。ベヘザーイー監督、ナデリ監督、キアロスタミ監督、ジャリリ監督・・・皆、最初の頃は苦労しました。
なぜ、このテーマ? 自分と違う言語を話す人と二人になったとき、コミュニケーションを取れるかなと考えました。人間は心が通じ合えば問題ないのではというのが発端です。どの国でも戦争が起こると被害者は普通の人。戦争があるから平和を考える。国境があるから戦争になる。子どもが親を失わないことを願っています。

石坂:東京発で、これから世界にはばたいていく映画です。



◆2014年10月30日  Q&A

監督:偉大な監督アミール・ナデリさんや、イランの偉大な女優ファテメ・モタメダリアさんにもご覧いただき、とても光栄です。(と、立ち上がって二人に挨拶) コンペの『メルボルン』の監督にも感謝します。

司会(石坂氏): もしかして緊張していますか?

監督:100%緊張しています。

司会:舞台はイランとイラクの国境線ですか?

監督:ロケも実際の国境ラインで撮影しています。

司会:出演者はプロ? アマ?

監督:アバダンやホッラムシャハルで探して、2200人くらいに会って、二人を選びました。兵士は海外から呼ぶのは予算的に無理。友達に夜中に電話して明日から撮影だから来てくれと。デビュー作なので、役者選びが一番苦労しました。

司会:船も大きな役割。元々あったものですか?

監督:脚本を書いて、大きなキャラクターである廃船が見つからなかったら撮影は不可能だと思いました。国境の川をずっと探して、煙草を吸っているおじいさんに「廃船はないか」と聞いて教えてくれたのがこの船でした。

司会:あれだけ古いのはいつのもの?

監督:漁船で、イ・イ戦争の最初の頃にやられて、放置されていたものです。


★会場より

― ジャリリ監督がアドバイザーですが、どのように? 台詞が少なかったのは?

監督:小さい時、お母さんが台所で料理していて、テレビがついているのに観てなかった。観てもらえるような文学作品を作りたいと思っていました。物語によっては台詞はいらないかなと。今、東京にいて、言葉がわからないから目と心でコミュニケーションをとろうとしています。ですので、この映画にはあまり台詞はいらないかなと。
ジャリリ監督ですが、イランではデビュー作を作るとき、ベテラン監督のサインがないと許可がおりません。最初、2~3の監督に脚本を送ったら、「作らないほうがいい」というアドバイスを貰いました。ジャリリ監督はすぐに連絡をくれて、数時間話して、すぐにサインしてくれました。

― 少年と少女の目力が印象的。素人とのこと。どのような演出をして表情を引き出したのですか?

監督:いい意見をありがとうございます。イラン映画には参考になるものがあります。素人をどう使うかを学べます。クランクアップするまで、撮影していることを男の子は知りませんでした。小さなカメラで映画を撮っている雰囲気は出さずに撮りました。半分ずつがそれぞれの持ち分と伝えたら、本当に二人は自分のテリトリーを守ろうとしてました。

― 最初は緊張感。恐怖を抱えているのが、信頼感に持っていく。どのような演出を?

監督:男の子はアラブの子が女の子だとは、ほんとに知りませんでした。子どもの純粋さをそのまま使いました。今でも女の子だと思ってないと思います。二人のうち一人を選ばないといけないと伝えたので、お互い張り合ってました。途中で男の子に、もう君はいらないといって後半を撮りました。私の世代では遊ぶ時代に戦争でした。観る映像は戦争のものばかり。平和を手に入れないといけないと。

― 魚を採ってましたが、あらかじめ捕まえておいたものですか? ハンモックにぶらさがっている時、死んだような目をしているのは?

監督:魚は実は用意していました。彼は自分が採ったと思っていましたが・・・ 最後のシーン、ハンモックに子どもが消えるシーンは死んだかどうか、観客にお任せします。

司会:最後に一言お願いします。

監督:この時間、家でくつろいでテレビを見ている時間にご覧いただきありがとうございました。


Q&Aが終わり、客席にいたナデリ監督に駆け寄って握手を求めたアシュガリ監督でした。

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(取材:景山 咲子)
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