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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『よみがえりのレシピ』公開記念 記者会見

左から:渡辺智史監督、奥田政行シェフ、中沢新一さん

2012年10月2日、山形プラザ内 ヤマガタ サンダンデロにて


映画『よみがえりのレシピ』
栽培者自身が種苗を管理し守ってきた在来作物(ざいらいさくもつ)は、世代を超えて地域に受け継がれてきましたが多くは消失してしまいました。そんな時代に独自の料理法で在来作物の存在に光を当てた"山形イタリアン"「アル・ケッチャーノ」の奥田政行シェフと手間を惜しまず種(たね)を守り続ける農家の人たち。その笑顔と心意気を感じることで、何気ない日々の生活が少しだけ違って見える、そんな魅力が『よみがえりのレシピ』には溢れています。

>> 作品紹介

会場の山形プラザ
● 登壇者
中沢新一さん(明治大学 野生の科学研究所長)
奥田政行シェフ(本作・出演 アルケッチアーノシェフ)
渡辺智史監督

渡辺監督 中沢先生と今日はランチをいただいたんですが、赤エビと秘伝豆のリゾットなど、たくさんの料理をいただきましたが、奥田さんの料理を食べて、何かいろんな物語が織り込まれていると思うんですが、いかがだったでしょうか。

中沢新一 食材の出会いっていうことに、ものすごく接待費を使っていらっしゃるということがよくわかる。それから、全体に薄味で、野菜の味、香りが強い、それからいろどりも、赤とか黒とかうまく使っていて…アル・ケッチャーノで食べたいと何度も言っていたんですが、予約取れないって言われてあきらめてました…でも、改めて食べに行きたいと思いましたね。

渡辺監督 ありがとうございます。奥田シェフにお聞きしたいんですが、奥田さんは在来作物や生産者に出会う前は、フレンチとか、味の濃い料理をされていたとお聞きしたんですが、奥田シェフの中で、どういう経緯で今の調理法に辿り着いたのかという辺りを語っていただきたいんですけれども。

奥田シェフ アル・ケッチャーノの前にシェフをやっていた時は、フォアグラでひきつけておいて、赤ネギが付いていた、というような料理だったんですね。それが生産者の方に出会うようになって、関係がより深くなってくると、この人のために赤ネギを使いたい、と思うようになりました。赤ネギの言葉を聞いて、そこの家で食べ飽きないような料理をつくりたいと思うようになって、味が薄味になりました。うちの店の、ハタハタの赤ネギ添えとか、藤沢カブと豚の焼畑仕立てとかは、全部生産者のために考えた料理で、お金のこととか、原価が4百円だから千二百円で売ろうとかそういうことは全然考えていません。最初は、イタリア料理の事典の中にある料理の一部を赤ネギに変えたりとか、全部、イタリア料理とかフランス料理の事典からスタートしてるっていう…たいていのふつうの料理人はそうだと思うんですが、ある日わかったのが、あれはイタリアとかフランスの野菜の味に関して出来上がったルールなので、庄内で料理をつくるときは、庄内で採れた野菜の味から考えた料理にしていかなくてはいけない、と。そうして、自分で野菜のことを勉強したり、野菜と会話するようになって、みんなは料理の事典からスタートするところを、自分は素材からスタートするので、結局出来上がりが全く違うものになっていったんですね。ただ、そういう料理をすると、料理界からは当然バッシングを受けますので、奥田のはイタリア料理じゃない、とかですね、いろいろ言われてたんですが、イタリア料理のおおもとを考えますと、いろんな国盗り合戦が盛んな土地だったので、そこで手に入る食材を無理なく調理するということ、それと、いざ戦いになった時も貯蔵しておいて食べられるパスタとかですね、貯蔵する料理ということ、という二つの部分に別れています。郷土料理として漬物とか庄内には残っていますし、旬のもの、庄内でそのとき手に入る素材のことを考えて、無理なく調理するということがイタリア料理の精神に最も近いんじゃないかということで、自分のつくっているのはイタリア料理ですと言っています。


銀座の真ん中に山形が!!

渡辺監督 奥田さんの料理で、有名な、藤沢カブの焼畑仕立てというのがあるんですけど、そういった料理は、どういう瞬間に閃くんですか?

奥田シェフ まずは風景を…素材を食べるときに、その味と、とれた畑の香り、食べた時の音などを、全部ビデオテープみたいにして体で覚えます。藤沢カブの時は、土の香りがしたので、土から連想して、豚に合わせよう、豚はトリュフを探すときに土を食べるので、肉の中に微妙に土の味がするんですね、カブと豚をつなげるときに、土の香りがするということでつながるわけです。

渡辺監督 まったく新しい、連想によって導き出された料理…。

奥田シェフ これはけっこう初級編です。以前は、藤沢カブだったら、藤沢カブを吐くまで食べ続けると、野菜というのは体に良い成分と悪い成分が必ずあるので、毒の成分が多くなって来ると、油が欲しいとか烏龍茶が欲しいとか体がサインを出すので、それを合わせると、必ず合う味になる。それは若いときだからできたんで、最近は食材を一口食べて、その子の言いたい言葉、ぼくはみずみずしくて、パリパリしてて、苦いんだよって言うのを書いていって、それと全く違う、やわらかい、パサついた、甘い、という対立を出して組み合わせると、食材が良いところを出す。体が歳をとってきたので、そういうやり方で…。

渡辺監督 ありがとうございます。中沢先生からコメントをいただいたんですが、在来作物が、地域の主権者であるということと、この映画は目覚めの力を持っているというありがたいコメントなんですが、中沢先生にとって、在来作物は何であるかということと、この映画で何が目覚めることを期待するかということを少し伺いたいんですけれども。

中沢新一 奥田さんの話の中で、野菜と話をするって言い方が出てきたけど、昔のお百姓は、作物と会話が出来ていて、これはたとえばアメリカでやっている農業と大違いで、あれは土地っていうものが人間と切り離されていて、肥料をぶち込んだり、農薬をぶち込んだりして、効率よく作物が生育していくっていうことをやるんだけど、日本人の場合は、人間と植物の間につながりが出来て、そのつながりの中から育てるっていう、山梨の人はぼっこを育てるっていうんですけど、子どもを育てるのと同じようにやるんだよって…土から育ってくるもの、太陽の恵みで育ってくるものと、人間が一体になっている。これからトウモロコシとって、大豆とって、商品にしてやりましょうっていうんじゃなくて、一体になって育てるという考え方がベースにあって、だから、野菜を育てるんじゃなくて、野菜が育っている場所全体と人間がつながりを持ちながら、自然の恵みをもらうとか、ね、もともと農業というのはそういうものだったんで、それが残ってるっていうのが、在来作物に結晶してるって思うんですね。在来作物の遺伝子が残っていて、これは今後、ものすごく貴重なものになっていくと…。それと人間と場所のつながり、そういうものの体系が残っている。残っていくというのがすごく大事なことで、それを誰がリードしていくか、それが料理人だったっていうことが、とても未来が拓ける話だなあと思うんですよ。これからの農業の在り方というものにアイディアを与えるものだと思います。

渡辺監督 ありがとうございます。奥田さんは、映画の中で、人と人をつなげるのがレストランの役割だとおっしゃっていて、今、中沢先生がお話された、場所や作物と人間とのつながりだったり、地域経済の中での人のつながりだったり、場所にこだわるということが、奥田さんならではの料理人としてのスタイルだと思うんですが、奥田さんは生産者の方たちと信頼関係をつくるときに、物々交換をしたりとか、お金を介在させない形での取引とかいろいろとおもしろいことをされてきたと伺いましたが…。


山形の食材で作るレストラン「サンダンデロ」

奥田シェフ 山形県の庄内地方には、おすそ分けの文化というものがあって、あまりお金に固執しないということがあります。言葉が通じないときに、同じものを食べると、気持ちがひとつになるということと、あなたは遠くから来たけれども、私たちの仲間だよという意味合いと、土地のものを食べることによって、あなたはここの土地の一部になりましたよって意味があります。アル・ケッチャーノでは、地元の方に食べていただき、山大の先生が行った時には食べさせてもらう、というようなことをやっていました。仲間の輪が広がったという感じです。 物々交換は生産者の方に野菜を持ってきていただいた時に、私、ネアンデルタール人なもんで、顔を見てテレパシーで、あ、この人お酒が欲しいとか(笑)。じゃあお酒をあげればいいな、とか、そういう幸せの交換をしてたんです。そしたら、奥田さんのとこに行くとなんか楽しい、アル・ケッチャーノへ行くと楽しいって、輪が広がっていった感じなんですね。そうやってお金を媒体にしないで幸せの交換をしていったときに、ある日気づいたんですが、イランでは、政府にたてつくと殺されちゃうんですね。で、日本に逃げて来て、何で殺されちゃうんですかってきいたら、石油で成り立つ国だからっていうんですね。日本は税金で成り立つ国なので、悪いことしても、釈放金を払うと、国にお金が入るから…。そういう国なんです。で、ある日物々交換をしていてわかったんです。物々交換はいちばんいい。消費税がかからないってことがわかったんです(笑)。後でわかったんです。お金っていうのは、生活費はある程度のところまで保証するんですが、それ以上は贅沢になるっていうところでは、庄内の人は、ものをくれるんですね。このレストランは、生活が成り立つように保証して、その後は、幸せの交換をするという、お金ではなくて、幸せを交換するということが大切なところです。庄内を幸せにするために、消費を上げるんではなくて、お金のかからないようにしたいんですね。たとえば席が空いているときに生産者の人に電話して、これから食べに来なよって…それでアル・ケッチャーノはいつも満席なんです(笑)。それから、好きな日本酒があるよとか、私のパワーポイントを作ってくれたら食事を出すとか…。

中沢新一 じゃあ、僕、本書くから…(笑)。


記者会見は初めてと云う渡辺監督(司会兼)

渡辺監督 ありがとうございます。奥田さんに関わった生産者の方にお話を聞くとびっくりするんですが、たとえば芋を持ち込んで、代々伝わる芋なので料理を考えてくださいって言うと、あっという間に10品目とかですね、バーッとつくっちゃって、一年後にはつくったことすら忘れてしまっているという…。日々、新しいレシピが次々に出来て、誰か書きとめておかないと消えてしまうんじゃないかと…。

奥田シェフ 食材と会話したときに、料理がもう浮かんできちゃう。で、何つくったか覚えていない。映像が浮かんできてその映像に従って手が動いていく、そういう感じで。それは、庄内で生産者の方と本気でやっているうちに、体得、会得しちゃったんです。

中沢新一 映画もそれだよ。映画っていうのも、カットの技術って今まさに奥田さんが言った……あ、君に説教してたって…(笑)。でも、第二作目でしょこれ?

渡辺監督 はい。

中沢新一 たいへんなもんだよね。心がこもってるよね、ショットひとつひとつに。

渡辺監督 ありがとうございます。

奥田シェフ 映画見てて、私あんなに出ると思ってなかったんで、あー、もう出過ぎだ、もうこれ以上でなくていいからって、自分で自分に言ってたんです(笑)。

渡辺監督 奥田さんが映画の中で語っていることは、東京の料理人の方も非常に影響を受けているって聞いています。 奥田さんの素敵だなーって思うところは、アル・ケッチャーノだけが有名になればいいって発想じゃないんですよね。マスコミが来ると、地元の生産者の方とか先生とか、いろんなところを隈なく案内して、プライベートな時間を削ってでも地元のためにという姿勢が、食の都庄内を盛り上げていく気運をつくっていったんじゃないかと思うんです。

中沢新一 庄内藩が幕軍について負け組になっちゃったということが、今日の豊かさの根源になったっていうことがすごく大きいと思う。庄内藩がお取り潰しになった時にお殿様が家来引き連れて開墾に入ったっていうんですよ。開墾して桑を育てて、養蚕をやったんです。その時の建物がみんな残ってて、僕が行った時にお殿様の子孫の方がたまたま来てて、あー気さくな方だなーっていうこともあるんですけど、一緒になって耕したんですね。世の中の流れからいったん負けちゃった。だけども、かえってそこに貴重なものが残った。これからの日本の未来を示唆していると思うんですよ。道端のチェーン店のレストランみたいな料理をつくるような文化がこれからワーッと伸びてくるとき、日本がGDP競争でちょっと後退して、庄内藩になるわけじゃないですか、これから。そうなった時に我々が何を守っていくのかというね、それが何十年か後には、きっと勝利者になっていくということを教えていると思うのね。それは、日本という地域を残していく、それからそこの列島の中でつくってきた関係性を守っていかなきゃなんない。そこに豊かなものをつくっていくっていうのが、数十年先の日本の勝利の礎になっていくと思います。だから、勝ったやつのことを学んでもダメだと思います。負けた人たちがいかにそこから立ち上がって、それで自分の豊かな世界を再構築して来たか、っていうことを学ぶことがこれからの日本人のいちばん重要なことじゃないかと思います。

渡辺監督 ありがとうございます。東北っていうのは雪が多くて、半年間ぐらい作物がとれないんですね。一方、南の方へ行くと11月でも種を蒔いてたりするんですけど、ほんとうに食料の乏しかったんで、だからこそ在来作物は、冬場の漬物とか、カテ飯として重宝されてきた。おそらく全国的に見ても、今、160品目ぐらい在来作物があって、まだまだ見つかっているんですが、飢えた記憶を持っている方がまだいらっしゃって、この映画にも登場してきたような人たちが種を守ってきたということだと思うんですが、まさに負けた、というか、負の側面が今、再構築されて、ポジティブな食文化という形でよみがえってきているというのが非常に、中沢先生の話を聞いて納得しました。

中沢新一 よみがえりという言葉は、そういう意味が含まれているんですか?

渡辺監督 そうですね。最初の段階からこういうタイトルだったんですけども、在来作物を食べて記憶がよみがえるとか、何かなつかしいものがよみがえるということだけじゃなくて、地域そのものがよみがえっていく姿を、奥田さんや江頭先生の活動を通して導き出したいという思いで、こういうタイトルをつけました。

最後に、奥田さんは海外でもあちこちで活動されていますが、ローカルフードのトップランナーとして、今後の展望を語っていただきたいと思います。

奥田シェフ 山形県に無登録農薬問題があった時に、在来作物の豊かな食の都庄内、ということで宣伝しようということで、いろんな雑誌に取り上げていただいて、食の都庄内というキーワードを繰り返しアピールしてたんですが、あるとき、「ところで、食の都庄内って何県にあるの?」と言われまして…(笑)。 まあ、そんな無登録農薬問題の真っただ中にいましたので、今、日本の放射能問題を解決するために、日本の食材が見向きもされなくなる前に、ダボス会議とかローマ法皇とかに食材を提供したりしてですね、やっているわけですが…。でもいちばん好きなのは庄内でして、庄内にいると落ち着きますし、雪が降れば勉強もできるし…私は東京にいると、耳がエレベーターとかいろんな音を拾っちゃうので疲れるんですね。庄内には早く帰りたいですね。今は日本がほっておけないという感じで行ってるだけで、次の世代の誰かヒーローが出て来ていただいたら、バトンタッチして、ウルトラマンゾフィーになりたいな、と(笑)。それで、自分が居る場所は庄内、というふうになればいいなと思っております。ほかでの活動が一段落したら、早く庄内に帰ってきて、庄内でのいろんな料理の案がいっぱいありますので、早くそれを形にしたいなーと思います。

中沢新一 渡辺君もさー、庄内の映画をもっとつくんなよー。テーマはいっぱいあるって。たぶんみんなこれに結びついて来るんだけど、映画の主題の宝庫だよ、あそこは。

渡辺監督 はい。

中沢新一 がんばってね(笑)。

渡辺監督 はい。 映画をどんどんつくって、文化を発信していきたいと思います。

この映画は、今年の3月には香港国際映画祭で上映されまして、10月にはハワイ国際映画祭で上映されます。その後、スローフードインターナショナルの大会の最終日に上映されます。それから、台湾の環境財団の方からも上映したいということで、声がかかってます。ハワイでの上映が上手く行けば、今後アメリカ、特にカリフォルニアで上映できる機会がありまして、奥田シェフがアリス・ウォーターズさんという「おいしい革命」というスローフードの提唱者と交流がありまして、カリフォルニアではスローフードの気運が高まっておりますので、スシやスキヤキだけじゃない日本の食文化をぜひ、アメリカの方へ届けたいなと思います。
香港で上映したときなんですが、香港は世界でも最大規模の人口過密都市ですが、香港の食を支えているのは、ほとんどオーストラリアとか日本からの輸入作物で、食料偽装問題とか、農薬問題とかで、中国の食材は敬遠しているということでした。そういった市民の方から見ると、ローカルフードというのは食べたくても手に入らないもので、この映画を観た方はみんな、ぜひ、山形に来たいと言ってました。山形に来たことのある香港市民の人も、もう一度、今度は食べに来たいと言ってましたんで、食の力というのは非常に大きいものがあると思いました。これからローカルフードというのはどんどん輝きを増していくと思います。こういった形でこの映画がお役に立てれば、非常に光栄と思っております。

公開は、10月20日から11月末まで、東京渋谷ユーロスペースです。20日と21日は、山形の在来野菜の物販を予定しております。初日20日は、映画に登場していた江頭宏昌先生の舞台挨拶があります。奥田シェフは、11月25日に来る予定です。中沢先生は11月3日にトークイベントに参加していただくことになっております。



[記者会見を取材して]

効率とかスピードとか、近代化の過程でずーっと追求してきて、もう私たちは後戻りできないところまで来てしまいました。かつては多様にあった地方の文化も、破壊され、画一化され、いろんなものが失われていきましたが、失われたものを嘆いていても、なんにもならないのだと思います。名もない人たちが大切に守り抜いてきたものが、ここにありました。ここから、どんな新しい時代をつくっていくのか、私たちは希望と共に歩き出そうとしています。よくわからない、圧倒的なものにペシャンコにされかけている私たちの、元気な笑顔がよみがえるように、ほんとうにおいしいものを食べて、種を蒔いていきましょう。渡辺監督は、ずっと鶴岡に住み続けていらっしゃいます。豊かな食文化のあるところには、必ず豊かなアートが花開くと思います。監督は、ローカルフードはどんどん輝きを増していくとおっしゃいました。時代を逆行するのではなく、新しい価値が生み出されていく流れの中に、私も漕ぎ出していきたいと思います。地域がよみがえる、この時代の、この国の希望がよみがえるレシピ。このような素晴らしい映画を体験することが出来て、光栄に思います。ありがとうございます。(せ)

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(取材 せこ三平 撮影 山村千絵)
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