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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

台北に舞う雪~Snowfall in Taipei
莫子儀(モー・ズーイー)インタビュー

莫子儀

 この作品でメイを探す芸能記者役を演じた莫子儀さん。台湾インディペンデント映画界で活躍してきましたが、今回、『台北に舞う雪』で、初めて商業映画出演とのこと。東京国際映画祭には3回目の登場ですが、今回インタビューすることができました。

取材2009年10月17日



莫子儀

編集部 この映画に出演を決めた経緯は?

莫子儀 監督が台湾に来た時オーディションに参加しました。この映画では陳柏霖(チェン・ボーリン)が小莫(シャオモー)という役を演じていますが、配役を見て、僕は普段小莫と呼ばれているので僕が小莫の役を演じたら面白いと思いましたが、結果的に陳柏霖が小莫の役を演じています。なので撮影が始まった時、監督が小莫と言うと二人が返事をするという面白いことがありました。
 それと、この作品に惹かれたのは、中国、香港、台湾、日本という特別なクルーだったことです。脚本は日本人が書いて、中国の監督が台湾に来て撮るということが面白いと思いました。歴史的なこともあり、日本に対していろいろな形で思いがある。この映画の舞台になった青桐は、ちょっと昔の日本の街という雰囲気もありますね。

編 新聞記者の役でしたが、まわりの記者を見て参考にしたのでしょうか。また、随所にマスコミに対する皮肉がありましたが、莫子儀さんもそういう思いがありますか。

莫 こういう仕事をしているとマスコミのおかげで人に知られ、こうやって活動することができるけど、逆に自由がなくなるとか、プライバシーを暴かれるというように、プラスマイナス両方の面がありますね。この役を演じてみて、それでも記者というのは真実を探るという役割があり、人を傷つけることもあるけど、人を助けることもある。それが、この映画の中で出ていて、助ける部分を演じられたと思います。

編 莫子儀さんが最初に出てきた時、スクープを求め、暴く芸能記者の役なのかなと思ったのですが、最後は、行方不明になった彼女の将来を考え、道筋を作った記者の役でしたね。あなたらしい役でした。

莫 アリガトウ

編 この作品を撮ったときのエピソードで、面白かったこと、苦しかったこと、大変だったことなどを教えてください。


莫子儀

莫 一番大変だったのはバイクの運転でした。撮影に使うバイクを借りて、家の近くの公園で練習をしました。面白いなと思ったのは、自分の役が観客をこの映画の物語の中に引き込み、バイクに乗って観客を青桐に連れて行くような役割をしていること。
 僕は今までインディペンデント系の映画に出演していて、商業映画は今回初めてなのですが、陳柏霖や楊祐寧など商業映画をやっている人たちと一緒にやれたこと。同年代なのですぐに仲良くなれて楽しかった。陳柏霖は現場を明るくするムードメーカーですが、芝居に対する態度はまじめで見習いたいと思いました。楊祐寧は自分とは全然違うタイプですが、演技に対する真摯な態度が勉強になりました。童瑶は、僕と同じ舞台劇出身の女優さんで、舞台劇を勉強して映画の世界に入ってきた人です。しかも僕は、彼女の出身校、北京の中央戯劇学院に舞台劇の交流に行ったことがあり、そういう話しをしたり、中国での舞台劇の養成の仕方を話したりしました。
 監督がほんとにいい人で、スタッフ、役者全員をとても尊重してくれるので、気持ちよく仕事ができました。こんなにやさしくていい監督には会ったことがないので、撮影中大変感動していました。しかも、充実した人生を送っているし、撮る作品もすばらしく、その人生哲学みたいなものを教授願いたいと思うくらい、いい経験をさせてもらいました。

編 よかったですね。ところで莫子儀さんの作品は、三作品くらいしか観ていないのですが、3、4日前に莫子儀さんが出演していると知らないで『一年之初』(鄭有傑/チェン・ヨウチエ監督)を観に行きました。映画監督の役で出ていてびっくりしました。その次の日に莫子儀さんにインタビューしませんか?という話が来て、不思議な縁を感じました。まだ公開しているので、日本で観て帰ったらどうですか?(笑)

莫 監督も来週来ます。

*鄭有傑監督は『ヤンヤン(陽陽)』で来日

編 15歳(1996年)の頃から舞台に出ているそうですが、若いころから舞台活動をしていて、若いけどベテランですね。子供の頃から役者を目指していたんですか?

莫 いえ、高校生の頃からです。高校に入って、学校の生徒に対する評価の仕方に(成績や素行で、いい生徒か悪い生徒か判断する)、ずっと疑問を持っていたんです。そういう風にしか人間を判断しないのかと反感を持っていた頃に演劇クラブを知りました。芝居をやる中で、人間の価値はいろいろな面があり、成績とかそういうことだけで評価されるべきではない、それが尊いことなんだと思うようになりました。それから芝居を通じて自由というのはどういうことかを考えるようになり、芝居にのめりこむようになりました。その頃、日本のTVドラマで、「未成年」というのがあって、それがすごく印象に残りました。

編 初出演した映画は、黄玉珊監督の作品だったんですね(『真情狂愛』1998年)。実は黄玉珊監督には2006年海洋映画祭で上映された『浮世光影』でインタビューしています(シネマジャーナル69号掲載)。台湾の草分け的な女性監督ですよね。

莫 そうです。その映画のことを知っています。

編 『愛到底』を観ましたが、オムニバス四作の中で莫子儀さんが出演した作品(『三聲有幸』九把刀監督)が一番心に残りました。短い作品で、悲しさを表現するのが難しかったと思います。作品のことや、共演した范逸臣さんの印象など聞かせてください。

莫 九把刀監督の小説(九把刀は有名な作家)が好きで、兵役の時よく読んでいました。鄭文堂監督の『息子』で演じた麻薬中毒の役を観て気に入ってくれて、声がかかり、この小説が好きだったので出演しました。面白い試みですが、この作品では僕の声を范逸臣が吹き替えています。
 范逸臣も、他のスターもそうですが、期待とかプレッシャーの中で、演技に専念する態度を学びました。

編 今後、どのような形で仕事をしていきたいとか、将来の目標をお聞かせください。

莫 今まで作品を選り好みしていたのですが、これからはいろいろな出演の機会を大事にしていきたいと思います。あと、時代劇に出たことがないのでやってみたい。
 監督はいろいろな経験を積まないとできないと思うので、40代、50代くらいになったらやってみたいと思います。

本誌78号「莫子儀インタビュー」より転載


2007年10月 東京国際映画祭『遠い道のり』舞台挨拶
左:莫子儀(モー・ズーイー)、右:林靖傑監督、桂綸錞、莫子儀


左:莫子儀 2009.10.19東京国際映画祭『台北に舞う雪』舞台挨拶にて
右:2009年 台北映画祭で観客賞を受賞した、出演作『一席之地』の広告塔(台北西門町にて)

*インタビューを終わって
物静かだけど、芯がある俳優というイメージを受けました。このインタビューで、すっかりファンになった私は、『台北に舞う雪』の日本公開で莫子儀がブレイクするといいなと密かに思っています。



>> 霍建起監督インタビュー

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取材・写真 緑子、宮崎暁美 まとめ宮崎
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