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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』
馮艶(フォン・イエン)監督インタビュー

フォン・イエン
長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語 チラシ画像

フォン・イエン監督は中国・天津出身。1988年、京都大学に留学し、経済学を専攻。研究者になる予定だったのに映画の道に入ったという方です。そのあたりから伺いました。13年間日本に住み、通訳や翻訳の仕事でもご活躍中ですので、流暢な日本語に中国の方と話しているという気が全くしませんでした。

『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』は2007年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で、小川紳介賞(アジア部門グランプリ)を受賞しています。

Q:ドキュメンタリーに関わったきっかけを教えてください

 92年末にアジアプレス・インターナショナルのイベントに通訳として参加しました。代表の野中さんがおっしゃるには「日本で見るアジアは殆ど日本人が作ったものばかり、そこに住む人が発した声がない」、そしてアジアの若い人を育てたいという気もちがあったんですね。とにかく見てごらんと、93年の山形国際ドキュメンタリー映画祭に連れて行ってくださったんです。それがドキュメンタリーと出会った最初でした。
 92年に小川紳介さんが亡くなられたのでこの93年は追悼特集があり、それにあわせて本が出版されていました。(「映画を穫る—ドキュメンタリーの至福を求めて」小川紳介著・山根貞夫編/筑摩書房)です。話し言葉だったからとても読みやすかったし、小川監督はドキュメンタリーを撮るのが楽しいってことをたくさん喋っていて、アジアの人にも熱い思いを持っていました。読んで感動して興奮したんです。中国の友人たちも読みたがって「中国で出版しよう。あなたが訳して」と言われました。でも当時まだ中国ではドキュメンタリーが盛んでなかったし、出版社も興味をもたなかったのです。それで小川プロの伏屋プロデューサーが台湾で出版したらどうかと勧めてくれました。同じ中国語だから台湾でも大陸でも読めるから、ということで。今年になって(2008年)やっと中国でも出版され、よく売れているらしいです。

そのころケーブルTV「朝日ニュースター」で30分番組があり、8mmビデオで撮った作品を発表することができたのだそうです。ここで短いドキュメンタリーを発表するようになったフォン監督は、1997年に初の長編作品『長江の夢』を完成させ、山形ドキュメンタリー映画祭の「アジア千波万波」プログラムで上映されます。この『長江にいきる 秉愛(ビンアイ)の物語』の原点ともいえる作品です。

Q:二つの作品のアプローチの違いは?

 ちょっと違うんです。前の『長江の夢』では国というもの、個人というもの、ダムによって人の人生がどんなに翻弄されたかというのがメインでした。今回はあくまでも秉愛という人間を見てみたいというのがありました。個人の肖像をメインにやりたかった。ダムは一つの背景です。

Q:秉愛さんがとても魅力のある方で、監督が惚れこんで10年間撮り続けたからこそ、この作品になったんだというのがよくわかりました。秉愛さんは今どうしているのでしょうか?

 今も夫婦ふたりで農業をやっています。山の上の場所には結局行かなかったんです。というのは、畑から1時間くらい歩かなきゃいけない、しかも家が畑より高いところにある。山岳地帯では畑より家が下にあるのが楽なんです。収穫したものを上に持っていくのはたいへんでしょう? 結局道路沿いにある工事の労働者が住んでいた小屋を買って、もう5年も住んでいます。冬はすごく寒いです。
 5月に私が行ったときは、小屋を半分取り壊していました。これから作っていくのですが、補償金は1㎡あたり100元、建てるのには1㎡あたり最低600元要ります。だからお金ができたら基礎を造って、またお金ができたらレンガを買う、という風にちょっとずつ作っていくのです。村で作業のできる人に一日50元くらい払って手伝ってもらっています。農業での収入は年間2000〜3000元です。全然足りません。

役所の勧める場所へ移住すると補償金は10倍になるのだそうですが、秉愛さんはその場所を拒みました。その補償金も農村と都市では大きな格差があり、上海あたりで移住する場合1㎡あたり1万元だとか。地価が違うとはいえ、都会のほうが情報も多く、権利の守り方も交渉の仕方もよくわかっていることもこの差に現れているようです。

Q:秉愛さんのほかに頑張っている人は?

 いないですね。大体は外へ移住してしまいました。最初はみんな喜んでいたんです。都市と農村の差がありますから都会に憧れているんですね。国は都市の戸籍を買うお金をくれるので、それで戸籍は買うのだけど、お金は農村にいるときと違ってすぐなくなって家も買えないのです。移った人たちでいい暮らしをしている人はあんまりいないです。秉愛の友達は町角でテントを張って靴の修理をしています。彼女は次の映画に出てきます。
 特別な技能を持っているわけじゃないから、土地がなくなったら不安ですね。土地から離れない秉愛は賢いですよ。

Q:秉愛さんのご家族のことも聞かせてください。旦那様は身体が弱かったようですが。

 今はだいぶ良くなっています。歯がね、もう11本しか残ってないんです。胆石があってあまり硬いものが食べられなかったりしたのに、歯を入れるお金がなかった。でも息子も娘も自立するようになったので、とにかくまずは入れ歯を作りたいって。食べられるようになって良くなっています。
 息子は軍隊から復員して、新疆の油田で3年間働いた後広州に行って警備員をやっていました。給料は少ないし良くなかったんです。この間、上海での自主上映会を観た人が「この子は親孝行な子だ、うちの会社に来て欲しい」と言ってくれたんです。すぐその会社に勤めたらすごくいいお給料。見習いで全ての保険をかけてくれた上で年間2万元くれるの。1年くらいでひとり立ちできたら年間5万元になります。そう約束してくれて今とっても大事にしてくれています。工作機械の修理やさんで技術が身につくでしょう、彼もとても喜んでいます。すごく良かったです。
 娘は彼氏と同棲していて、二人でワゴン車を使った個人バスをやっています。彼女は「お母さんが苦労するのは、意地を張りすぎたから。私は絶対お母さんみたいな生活を送りたくない。楽したい」と言います。結婚は、相手が金持ちになったら。ならなかったら別れるんですって。

フォン・イェン

Q:秉愛さんの気高さっていうのはどこからきたんでしょうか?

 長女だからしっかりしているんじゃないかな。弟が2人いて、あと妹。高校は卒業したんです。文革のときだったからあんまり勉強できなかったんですけど。彼女が言うには、「2番目の妹は旦那さんに頼りきってすごくいい暮らしをしている。怠け者だから幸せなの」って。わたし?わたしは次女で責任ないの。姉は責任感あって親孝行しています。なんか面倒見がよくてね、長女はみなそうなのかな。

Q:作品を観た秉愛さんの感想は?

 編集ができたらまず秉愛に観てもらっていました。初恋の話とか旦那さんがどう思うかとか、後は幹部と争ったりしていて彼女の生活に支障がないかとかありましたから。彼女はOKということでした。もうDVDは渡してあって息子も娘も観ています。彼女はとてもこの作品が好きで、自分がよく戦ったと誇りを持っている。自慢なんです。息子や娘の小さいときの記録が残っているので、それもとても良かったと。今は憎たらしくても、あんなに可愛かったときもあったなぁって言って。
 いなかではホームビデオはもちろん写真なんかも撮らないし、前の家も映っていますしね。そして最後の川辺のシーンがとっても好きで「船から音楽も流れてきて、自分と旦那は女優と俳優みたい。素晴らしい〜」って(笑)。

Q:監督はビデオをいつも持っていたんですね。

 秉愛がいつ話し出すかわからないから。彼女はインタビューとかできないの。「自由に話してください」というと「もうわかってるでしょ」って。ときどき彼女に「もう(カメラ)置いていきなさい」とか言われて、とっても大事な面白い場面が撮れなくて悔しかった時もありました。彼女にもう演出されていますね(笑)。彼女は意志の強い人だから、彼女が喋りたいときをひたすら待ちました。フィルムでなくDVだからできました。

Q:製作費用はどうやって?

 93、4年は大阪で客員研究員をしていて月に20万くらい給料があったんです。でも2年間の契約を1年でやめた(笑)。週に何回か出るだけだったんだけど、撮影に出かけたら戻れないでしょ。まとめて1ヶ月行ってまとめて休んでも給料もらえたら良かった。
 生活は翻訳や通訳をやって。映画を撮って儲けようとは考えていないから、それは諦めてほかの仕事をしてお金を稼ぎます。去年と一昨年の撮影費用は賞金かな。

Q:次の作品は?

 『長江の夢』に出てくる人たちをずっと追っていて、後は秉愛の親友、秉愛の娘も出て来ます。娘を秉愛が追っかけて鋏で(金髪を)切る〜と言ってるんです。でも映像は撮ってない(笑)。今編集中です。一応これで終わらせようかなと思って。
 これからのは4人分もあるから、わかりやすくこの人は誰なのかというよりはむしろ群像として。たとえワンシーンでもワンカットでも一つのシークエンスでもいいから、観客がいろいろ自分と繋がりを持つような映画を作りたいと思っています。素材があまりにも多くて編集が難しい。だから自分が感動する部分をまず残しておこうと。

 ほとんど考えないで無心になって撮ったものに感動します。去年、今年と3回撮影に行ったとき、初めて助手を連れていったんです。そしたら考えていた“撮りたいもの”が全部撮れる、これはすごく怖い。ほしいカットも台詞もなんでも撮れるんですね、助手がいれば。あまりにもたやすく手に入ったから、これは人が観たらどうかなぁと思って。今は、それで悩んでいるんです。助手を連れていったのは体力的なことと、音をいろいろ試したいと思ったことがあります。欲が出たんですね。今回、菊池信之さんが音設計をしてくれて、音の世界が増えました。それで音をやりたいと思ったんです。

Q:私たちが観たのは菊池さんが手を入れたバージョンですね。山形での上映はその前のですね。比べて大きく違いますか?

フォン・イェン

 全然違います。豊富になりました。元々はカメラについたマイクだけしか使っていなかったから、菊池さんは大変苦労しました。
 山形で上映したのは、「整音」と言って、ノイズを除去したり抑えたりしたバージョンです。今回、菊池さんがやってくれたのは「音響設計」なんです。自分の感情、思っていることを表現するにはどんな音の方がより助けることになるのか。映像とまた別に音のストーリーとして良いのか。どうやったら次のシークエンスにもっていきやすいのか、そういう仕事です。
 たとえば山の上のシーンもそうです。風が強くてほとんど話す声が聞こえないときもあって、なんというか音が破れてしまうんですね。それを最初の編集でカットしたんです。プロの人には絶対これ許せないの。私はこの音こそがそのときの心情を現している、現場の雰囲気にぴったりだ、どうしてもこれを入れたい、音が破れてもいいのと思いました。だけどやっぱりある程度を越えては辛いのね。で、菊池さんが「その現場にありえるような音、隣の工事の音」を足したりしました。そしたら破れた音が聞きやすくなって、現場の雰囲気を阻害しないのです。
 引いていくことも技術的にはできますが、ほとんど消していません。ビンアイが昔話をしているとき、話に集中させるため働く音をちょっと抑えるという音の設計をしました。

Q:編集についてもう少しお伺いします。膨大な記録からどうやって編集していくのでしょう? 切るか残すかの基準はありますか?

 ダイナミックに捨てることですね。自分が見ていて何も感じなかったら、どんなに綺麗でも捨てる。何回見ていてもそこで感情的に動いたら残す、というふうなやり方です。以前、編集に時間がかかったのは、構成とかどうやって説明していくかとか、いろいろ考えていたから。でも仮編集ができても自分がすっきりしなかった。『長江にいきる』も決定的じゃないの。私にとってはもっといい作品になれたのに、そのときはやっぱりまだ束縛があったの。構成とか考えすぎたから心残りがすごくある。

Q:今まで長江にこだわってこられましたが、その次は?

 私の家族のこと、母のお父さんお母さんの話を撮り始めています。この編集が終わったら本格的にやりたいと思っています。もう二人ともいないんです。どういう形でいくのか考えているところです。

フォン監督は「秉愛に出会ったころ、ドキュメンタリーの対象として下心があった。秉愛ほど純粋じゃなかった」「私にはとてもできないことだから秉愛を尊敬している」といいます。撮影中は秉愛さんと距離をおいて「ネコをかぶっていた」そうですが、長いつきあいを経た今は、姉妹(監督が1歳下)のように仲が良くてケンカもするそうです。
「仲良くなったら撮れないです」と、“秉愛の物語”はこれで終わるようですが、あの村で頑張る秉愛さんを撮り続けてきたことは、今後もずっとフォン監督の支えになるのではないでしょうか。フォン監督は細身の方ですが、映画の話になると特に熱が入り、どこにそのエネルギーが隠されているのかと不思議になるくらいです。ここに書き切れないほどたくさんお喋りして笑っての楽しい取材でした。次の作品に出会えるのを楽しみにお待ちしています。

作品情報はこちら

特別先行上映 開催

日時:2009年1月28日(水)・1月29日(木)

場所:渋谷・ユーロスペース

料金:当日一般¥1700、大学・専門学校生¥1400、シニア・会員¥1200 ※前売券もご使用頂けます

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(取材:白石映子、梅木直子 まとめ:白石映子 写真:梅木直子)
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