女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ペルセポリス』
マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー両監督来日レポート

お正月、シネマライズにてロードショー! →作品紹介

★★2007年カンヌ国際映画祭審査員賞/ 2007年度アカデミー賞外国語映画賞フランス代表★★ 『ペルセポリス』ロゴ
『ペルセポリス』場面写真
©2007. 247 Films, France 3 Cinéma. All rights reserved.

2007年10月18日   於 コートヤード・マリオット 銀座東武ホテル

現在、パリを拠点に活動するイラン女性マルジャン・サトラピ。自伝的物語をグラフィックノベルで描いた「ペルセポリス」は日本でも翻訳本が2005年に発行され、イラン愛好者の間で一躍話題に。カンヌ国際映画祭審査員賞受賞の報で映画化されたことを知り、日本でも公開されることを待ち望んでいたら、思いのほか早く機会がやってきた。しかも、マルジャンが来日するという。あの絵からして、ユニークな人物に違いない、これは会いにいかなくては! かくして、記者会見にインタビューも申し込む。
共同監督のヴァンサン・パロノーと共に登壇した記者会見と、4誌合同インタビューの模様をお届けする。

●記者会見

冒頭から、「写真を撮られるのはお嫌いなので、最初のフォトセッションの時だけ」と釘をさされる。登場して、ポスターのパネルを囲んでフラッシュを浴びる二人。ちょっとぎこちない。

マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー  マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー

司会: まずは日本の印象を!

マルジャン:着いたばかりで、まだ何も観てないのよ。最後の日に聞いて貰えれば答えられるけど! (早くも一発パンチ! いや〜どんな記者会見になるのやらと楽しみな第一声でした。)

司会: カンヌ国際映画祭でアニメーション映画が授賞したのは3本目、30年ぶりのこと。カンヌでの受賞の感想は?

パロノー:もちろんすごく嬉しい。3年かかってカンヌに辿りついて、素晴らしいご報美をいただきました。アメリカでも暖かく迎え入れて貰いました。ケーキの上に載せたサクランボのような気持ち。

マルジャン:この作品は私たちの最初の作品。モノクロのアニメで、セクシーでもない作品がこれほどの運命を辿るとは思いもよらなかったわ。

*会場よりの質疑応答

★西洋東洋、文化に優劣はない

—フランス語の教育を受けたことが、フランスでアニメを作ることに繋がったのだと思いますが、イランの一般市民はどれほど外国語ができるのでしょうか? (最初の質問がこれ?と、ちょっとがっくり。そんな質問が出来るほど、日本人は外国語ができるのか?!)

マルジャン:私はイラン人として、イランにあったフランス系の学校でフランス語とペルシア語をバイリンガルで学びました。留学してフランス語を学び、その後フランスで過ごしていますので、フランス語は自分のものになっています。欧米の文化が優位のように言われることが多いけれど、東洋西洋と区別するのでなく、文化というのは、鎖の一つ一つが繋がっているようなもの。すべての文化は影響しあっていると思います。この映画に、西欧の歌が入っているのは、私が10代の頃に実際に聴いていたから。若い頃は、イランの人たちは西欧のものに憧れて、自国の文化にはもう少し歳が経ってから目を向けるようになります。これは、ほかの国でも同様の傾向がある普遍的なことだと思います。

★政治やイラン社会を語りたかったわけじゃない 一人の人間の成長物語

—『ペルセポリス』というタイトルには、イランがイスラームだけでない、それ以前の2500年以上の歴史を背負った人たちであるということが、とてもよく表されていると思います。イランの人たちにとって、革命を経験している世代には、自分自身のことに照らし合わせて追体験ができるし、革命を知らない世代にとっては、その時代を知ることのできる良い機会になると思います。ペルシア語バージョンを作るつもりはありませんか?

マルジャン:もちろんイランが舞台になっているけれど、私自身、政治やイラン社会そのものを語りたかったわけじゃなかった。一人の人間の物語。だから、観る人が皆感情移入できると思うの。ヴァンサンもすぐに感情移入して、自己投影できると言ってくれた。一人一人個人の価値が軽視されがちだけど、一人一人がいかに自己をアピールしていくかが大切だと思う。また、この作品を通じて、世界の人たちがイランに対して持っている抽象的なイメージを変えてもらえればいいと思っているの。テロリストや狂信的な人たちという非人間的な見方をしている傾向があるけれど、人間を人間として見て欲しい。人は違っているようで、皆同じ。それを届けることができれば嬉しい。ペルシア語で作るのは不可能だったわ。一緒に働いているのはフランス人だけでなく、ドイツ人など様々。音楽もイランのものをもっと使わないのかと言われたけど、ティーンには西洋音楽が届いていたということも伝えたかったの。イランで公開されるかどうかだけど、いつかは上映される機会があると思う。でも、DVDですでに流布していると聞いているわ。

★他者を信頼するから笑える

—映画では、マルジが悲しみを笑い飛ばすところが、よく見られました。監督自身が投影されているとのことですが、祖母の影響ですか?

マルジャン:私自身強い人間かどうか…  ユーモアを苦しい時に盛り込むのは聡明な生き方だと思うの。人生は短い。人生は辛いと、笑わないで大変な人生を過ごすとしたら、それは愚かなこと。戦争も経験しているけれど、イラン人はそれも笑いにして過ごす人たち。苦しむことに絶えられないとき、その向こうにあるのは死か、笑い飛ばすしかない。泣くというのは、本能的なこと。一人でもできる。でも、笑うのは誰かと一緒にすること。もちろん一人で笑うということもあるけれど…。 相手を理解して、笑う。人間のコミュニケーションの手段として、ユーモアがある。他者が怖くないから笑えるの。

★両極端な批判は、私の映画が真実を語っている証拠

—イラン人がどういう反応をしたかご存知なら教えてください。

マルジャン:私の友人の反応は聞いているけれど、友人ですから鵜呑みにできない。もちろん、いい反応よ。アメリカでも上映されて、在米イラン人が観てくれて、これもいい反応でした。もちろん、批判的な人たちもいる。万人に好かれるようになったら、それは自分の本質を失ったこと。イランで実際に公式に公開されることは、恐らくありません。禁止されれば、なんとかして観たいと思うもの。イラン人の両極端の人たちから批判されたのは、私の映画が真実を語っているからだと、悪い位置でないなと誉められた気分です。

—映画を批判する両極端なイランの人たちのことを具体的に教えてください。

マルジャン:一つは、過激なロワイヤリスト。王政派。イスラーム革命も否定しようとする人。革命があって、戦争があって、血が流されました。もう一方は、イランにいて、イランに対するどんな批判も受け入れない人たち。私は何か暴露したわけでなく、自分が経験したことをただ綴っただけなのですが。アメリカでも同じでは? 愛国心がなければ、アンチアメリカかと。世界各地である風潮だと思います。極端な人たちは愚か。いろんな意見に耳を傾けることで、人生は豊かになる。私の家族は 左翼的な家族だけど、だからといって正しいというわけでもない。すべてのことに関して、良いことも悪いこともある。自分の考え方が正しいと思いこまないことが大切です。自分たちの態度を省みないのは愚直。愚かなことは大嫌い。

★女性が意外に強いイラン社会

—お二人の目線でイランの魅力を語ってください。

マルジャン:イラン人ですから、もちろんイランの魅力をたくさん知っています。 まずはテヘランの大気汚染ね。だから私もヘビースモーカーで一役かってるの。テヘランには高い山があって、私たちの生活を眺めてくれています。イラン社会は複雑。一枚岩ではありません。女性が抑圧されているように言われているけれど、大学生の70%が女性。宗教的だと思われているけれど、皆が思うほど宗教的じゃない。男性が力を持っていると思われているけれど、家庭の中では母親が権力を握っていて、尻に敷かれています。後進的な国と思われているかもしれないけれど、出生率も、1.8人。5000年の歴史がある古い国。 掘っても掘っても遺跡が出てきます。懐の深い国です。イスラームの祭事も、ゾロアスター教に従った祭事の要素が残っています。二元論的な生活を送っているところが、面白いところではと思います。自分の国ですから、欠点も含めて興味深く大好きな国。私がイラン人ということは変えられない。 映画を観て共感を持ってくれる人がいれば嬉しい。

パロノー:私はイランに行ったことがないのですが、イランとはマルジャン。最高のイメージです。彼女の家に行くと、暖かく迎えてくれるし、よく笑います。それがイランなのだと思っています。ずっと長い間、イランについてばかり話をしているので、映画について話を。自分自身、原作を読んでイランに対する見方が変わりました。アートに対して謙遜な気持ちで映画化に当たりました。繊細なラインで、ユーモアを持って語られていて、繊細なラインをどう映画で維持するかが論点でした。強制的なメッセージを与えるのでなく、自然な感じに仕上げて、観終わったあとで、観た人の中で何かが変わっていくような作品にしたいと思いました。



煙草片手に立て板に水でフランス語で語るマルジャンの姿に、いやはや感服。これぞイラン女性!
共同監督のヴァンサン・パロノーさんが隣で優しく見守っている姿が微笑ましい記者会見だった。

●4誌合同インタビュー

マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー マルジャン・サトラピ&ヴァンサン・パロノー
★ヒットするかどうかなんて、ナンパと同じでやってみないとわからない!

—ご自分のアニメが初めて動くのを観たときにはどう思われましたか?

マルジャン:もう失神しそうだったわ。自分の漫画が一人で立って話し出すのを観るのは、自分の分身を観るようで、圧倒されました。

—ご両親や友人の感想は?

マルジャン:プライベートなことなので、心の中にしまっておきたい。

—グラフィックノベルという分野を選ばれたのは、何歳頃ですか?

マルジャン:最初に職業にしたいと思ったわけではないの。イラストは書いていたけど、最初、誰も買ってくれる人はいませんでした。そんなデビューです。自分でコピーして、友人に見せればいいわと。たまたま上手くいって、出版してくれる人がいて、売れたの。人生で、これをやってやろう! というより、偶然チャンスが訪れることってあると思う。フランスで、とある漫画集団があって、それを見て、私もやってみようかなと。あらかじめそれがヒットするかどうかは、ナンパするときと同じで、100%成功するかどうかなんてわからないものじゃない?

★タイトル『ペルセポリス』に込めたイラン人としての誇り

—タイトルを観て、何? と、興味を皆持ちます。『ペルセポリス』というタイトルに込められた思いをお聞かせください。

マルジャン:ペルセポリスは、ギリシャ人が名付けてくれた名前。(注:ペルシア語では、タフテ・ジャムシード: ジャムシード王の王座の意味) このタイトルにしたのは、イランの現在は過去なしには語れない。ですので、歴史への思いを喚起するためです。 79年のイスラーム革命以降のイランは過去と切り離して見ているようですが、5000年の歴史があって、今のイランがある。独裁政権が戦争していても、庶民は平和を求めています。侵略にも終りがあります。変化があることを知っているの。ペルセポリスには美しい響きがあるし、覚えやすいタイトルだと思いました。

★パナヒの『オフサイド・ガールズ』は女性の名誉回復してくれた

—パナヒ監督の『オフサイド・ガールズ』のポスター等にイラストを提供したのは?

マルジャン:とてもこの映画が好きでした。悲惨なイラン女性というステレオタイプな描き方をしていないから。イランの女性は何もしていないというイメージがあるけれど、毎日努力をしている。最近女性の方がモチベーションが高いの。結婚したがらない人も多い。パナヒの映画には、女性の名誉回復という面があると思う。台詞が現実的で美しい。女の子たちは、禁止されてなければサッカー場に行きたいと思わない。いくつもポスターは書いているけど、これは是非にと思いました。私自身、女の子だからダメと言われたことがない。11歳の時には、父親から車の運転を習って、タイヤの交換の仕方も教わったの。父が自立した強い女性になれと。8歳の頃、やってはいけないことをやった後ろめたさがあります。食器を洗い始めたら、母がそんなことして、マッチョな男と結婚でもするつもりなの? と。

★『羅生門』が精神構造に与えた決定的な影響

—世界的にはハリウッド映画が独占的ですが、イランでは?

マルジャン:イラン人はちゃんと映画を観ていますよ。イスラーム革命前は、アメリカ映画も映画館で観ることができたけど、革命後は観られなくなりました。(注:最近制限はあるが、解禁になった。)でも、イラン人は映画館に行かずともいろんな方法で観ています。

——影響を受けた外国映画は?

マルジャン:大きな影響を受けたのは、黒澤明監督。『七人の侍』は、400回位観たのではないかと思う。6歳の時、『羅生門』を観て、決定的に精神構造に影響を受けたの。同じ事実を複数の人が語っているのに、一つとして同じことはないということに圧倒されたわ。一つの視点は絶対的なものでない。すべてのことに関して良いことも悪いこともある。自分の考え方が正しいと思い込まないことが大切。自分の態度を省みないのは愚直。愚かなことは大嫌い。



☆イラン人であり続けるマルジャンに拍手

 いやはや、マルジャンに圧倒され続けた記者会見&インタビューだった。イランを離れた今でも、国を愛し、イラン人としての誇りを持って生きていることを、ド迫力で示してくれて、もう感激のひとこと!
 彼女も語ったように、私が長年イランの方たちと接していて感じるのは、自分たちは古代ペルシアからの伝統を受け継いできているという誇り。イランがシーア派イスラームを信奉してきたのも、アラブに一線を画したい気持ちの現れである。

 実は、「ペルセポリス」の噂は聞いていたが、私がマルジャン・サトラピの洗礼を受けたのは、2006年に日本で翻訳本が出版されたコミックエッセイ「刺繍—イラン女性が語る恋愛と結婚」(山岸智子 監訳、大野朗子訳、明石書店刊)だった。 これはもう、強烈! これぞイラン女性!と拍手喝采の代物。題名からは、イランのしとやかな女性たちが家で静かに刺繍をしながら恋物語を語る姿を想像されるかもしれない。ところがどっこい、そんな甘っちょろいものじゃぁない。イランの人たちが大好きなホームパーティ。その後片付けが終わって、お茶をしながら噂話に興じる女性たち。3回結婚したおばあちゃんの男を誘惑する術、結婚相手が同性愛者だった女性の話、なぜ鼻を低くする整形手術が大事なのか・・などなど、語られる話はきわどい話ばかり。なかでも「刺繍」の話は圧巻だが、それはご自身で読んでご確認を!(とてもここには書けない・・・)
『刺繍』映画化の予定を伺ったが、残念ながら今のところ具体的な計画はないとのこと。次なるグラフィックノベルに期待したい。

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(取材:景山咲子)
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