女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』

クリスティナ・ゴダ監督  合同インタビュー

2007年9月11日(火)  於 渋谷
クリスティナ・ゴダ監督

9月5日〜9日に開催された「あいち国際女性映画祭」で、『チルドレン・オブ・グローリー』のタイトルで上映され、観客賞を受賞した『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』。
「あいち国際女性映画祭」には、監督と共に、主演で水球のスター選手カルチを演じたイヴァーン・フェニェーさんも登壇し、彼を見たさに2度3度会場に足を運んだ女性もいたと、名古屋在住で「あいち国際女性映画祭」のボランティアスタッフをしていた方から報告を受けていました。主演のイヴァーン・フェニェーさんに、東京ではインタビューの機会がなかったのが残念! でも、監督のクリスティナ・ゴダさんも、この映画の主人公ヴィキを彷彿させる、聡明で美しい方。お話を伺いながら、その魅力にぐっと惹かれました。

インタビューは、3誌合同で、3人共に女性。なごやかな雰囲気の中、45分にわたって、色々とお話を伺うことができました。

クリスティナ・ゴダ監督

ー あいち国際女性映画祭はいかがでしたか?

監督:とても素敵でした。映画祭も楽しみましたし、名古屋や近辺の色々な町にも行きました。映画祭では、何より嬉しいことに観客賞をいただきました。Q&Aなどで直接観客の皆さんの感想を聞くことができたのも嬉しかったです。私と俳優とで1時間ずつ観客との意見交換の場もありました。観客の反応は、ハンガリーよりも直接的な意見を聞くことができました。

ー 直接的な感想で、特に心に残っていることは?

監督:「自分たちは平和な時代に生まれたけれど、平和というのは失ってみないと有り難さがわからないものなのですね」と話される方が多かったのが印象に残っています。また、ある方から、1956年のメルボルンオリンピックで、日本人が水泳で金メダルを同じプールで取ったということをお聞きしました。私自身知らなかったことでした。映画の中でよくは見えないのですが、日本チームも背景に映っているそうです。

ー 1956年の民主化運動をドキュメンタリーでなく、フィクションで撮ることにしたのは、どういう理由からですか? また、何本位1956年を描いた映画があるのでしょうか?

監督:昨年2006年は、1956年から50周年。1956年を描いた映画を作るのに、支援基金が設立されたので、国内外7本の作品が作られました。フィクションにしたことについてですが、これは自分の企画ではなく、プロデューサーのアンドリュー・ヴァイナさんの企画。彼はハンガリー出身で、1956年、12歳の時に国を出て移民しています。ハリウッドでプロデューサーとして60本位作品を作り大活躍されていますが、パーソナルな部分でハンガリーに敬意を表した映画を作りたいとずっと思っていたそうです。ハンガリーへの思いを込めて暖めていた企画を、まずジョー・エスターハスという脚本家に最初の脚本を書かせ、この映画の土台をヴァイナさんが作られました。ヴァイナさんは、1956年の革命と、同年のメルボルンオリンピックでの水球のハンガリー・ソ連流血戦を描いた長編ドキュメンタリー『Freedom’s Fury』の製作総指揮も務めていて、そのドキュメンタリーは、私にとってこの作品を作るにあたっての大事な研究資料となっています。この作品では、ラブストーリー、革命、スポーツの3つを描いています。
この中でラブストーリーを主軸にして二人を描くことによって、革命やスポーツをヴィヴィッドに浮かび上がらせることができたのではないかと思っています。カルチは女たらしで、特権的生活に甘んじている自分勝手な青年の印象が強いのですが、その人気者の青年がヴィキと出会い恋に落ち、革命にだんだん引き込まれていきます。そして、人生にとって何が大事かを見いだしていきます。ヴィキは自由の為に闘う女性戦士で、不幸な悲しい過去を背負っていて、死んでもいいという思いで革命に身を投じていたのですが、恋をすることにより、死ぬのではなく生きる意味を見いだし、革命を通して、自分が生きて、カルチと共に生活していきたいと思うようになっていきます。これはフィクションでなければ描けないことでした。

ー プロデューサーの企画とのことですが、監督に起用されたポイントは何だと思いますか? また、すでに脚本があったとのことですが、ご自身で脚本をアレンジされた点はありますか? 違和感なく受けとめられましたか? また、描かれた事実は、自国の観客は皆さん知っていることでしょうか?

監督:何故起用したかについては、プロデューサーが答える方がいいのでしょうが、恐らく、自分自身の演出のスタイルや、役者からパフォーマンスをよく引き出すことなどを、プロデューサーが見ていてくださっていたのではないかと思います。もう一つは、私の前作のロマンティックコメディーが前年のハンガリー興行成績1位だったことなどでしょうか。最初のジョー・エスターハスによる脚本はとてもいい出来でした。彼はアメリカで非常に成功した著名な脚本家ですし。ただ、ジョー・エスターハスのバージョンは、1989年まで描かれていて、3時間の長さになってしまうので、2時間に縮める必要がありました。また、かなりアメリカンテイストだったので、ハンガリー人にとって、よりリアルなものに変える必要がありました。3人のハンガリーの脚本家が手を加えました。また、その内の一人は編集にも携わっています。細かな会話や、人物設定など、詳細なリライトを積み重ねて、ハンガリーフレバーを反映させていきました。
もう一つ、ハンガリー人にとって驚くような事実はあったのかというご質問ですが、特に若い10代〜20代の世代にとっては、生まれる前の話。興味深くみて、多くの驚きを持ってくれました。この作品を通して、若い人たちが自分の家族の物語を身近に感じるきっかけになったことに自分自身喜びを感じています。歴史的な事実については、真摯に忠実に描かなくてはと思いました。若い人たちにとって、歴史に関する知識のベースになることですので、作品作りに当たってはその点に充分注意しました。

ー 1990年代はじめにハンガリーを訪れたことがあって、自由になったハンガリーを感じました。ウィーンから鉄道で入ったのですが、水球の選手たちがモスクワから鉄道で帰って来た場面は、実際の駅でロケをされたのでしょうか?また、CGをうまく組み合わせて使われたとのことですが、どんなところで利用されたのでしょうか?

監督:撮影したのは、エッフェル塔を造った建築家の作った駅で、多分、あなたが降り立った駅だと思います。CGの利用についてですが、ブダペストも近代化が進んでいるので、当時のままの通りはいくつか見つけたのですが、多くの場所が変わってきています。町並みの背景にマクドナルドがあったりしてしまいます。1956年にあった橋で今はないものがあって、それをCGで入れるなどして、再構築しました。また、大衆シーンを取るのに、700〜800人のエキストラを10万人位に見せるようにCGを利用しました。爆破場面は、実写部分とCGを加えた部分があります。

ー ハンガリーでは、1989年まで共産体制。監督はその当時学校や当局から1956年の運動についてはどのように伝えられていたのですか? また、侵略者側のロシア(旧ソ連)に対して、歴史的事実についてどういうことをしてほしいですか?

クリスティナ・ゴダ監督

監督:ハンガリーの人たちは、ロシア人に対して、ロシア人も同じように共産主義思想に苦しめられた被害者だと思っていると思います。ハンガリー人にとって、ソ連軍が入ってきたのですから、恨まないという気持ちがなかったとは言えないと思いますが、ソ連という共産主義体制の中で自分たちと同じように抑圧を受けていたロシア人に対して何かすべきとは思っていないと思います。
1989年以前は、学校で1956年の出来事は革命ではなく、反革命の盗人と同じような扱いでした。クーデターを起こして町を壊そうとした“悪い輩”という教え方でした。ソ連自体が革命で王政から共産主義を勝ち取った時と逆で、圧政している立場から見ると、反革命。共産主義であろうが、王政であろうが、独裁で民衆を圧政することから自由になりたいというのが革命の動きです。それを1989年以前は反革命と教えられていたわけです。

ー プロフィールによると、イギリスの映画学校を卒業され、その後、アメリカのUCLAに行かれていますが、英米で勉強されたのは? また、ずいぶん若い頃に映画作家になることを決められていますが、きっかけになった作品は?

監督:自分にとって好きな映画はありますが、自分が映画作家になることについて影響を与えたかは定かではありません。どういう映画作家になりたいかですが、ハンガリーでは、コマーシャルなものとアートなものが、はっきり分かれています。けれど、コマーシャルなものでもアートでありえるし、アートなものでもコマーシャルでありえると思います。私は両方が融合したものを目指したいと思っています。軽いタッチのものばかりに走ってしまうのでなく、重たいものであっても、一般の観客に届くものを目指したいと思います。前作も、ロマンティックコメディーだけど、ユーモアのあるものであると同時に価値のあるものを目指して作りました。今回は、ダイナミックなスケール。重たいけれど、人にアピールできる要素のある作品づくりをしたいという気持ちを反映させました。海外で勉強したのは、ハンガリーではプロットを考えるより、哲学的なところから発想していくことが多いので、プロットから作るという面では、アメリカから学ぶことが多いと思いました。UCLAでは脚本を学びました。イギリスでは、演出を学びました。米英で多くのことを学びましたが、どういうストーリーを描きたいかと考えた時、ハンガリーをベースにしたものばかりが思い浮かび、アメリカでは誰も興味を示してくれませんでした。という次第で、ハンガリーに戻って映画を作ろうと思ったのです。



『君の涙 ドナウに流れ ハンガリー1956』は、監督が語るように、史実を背景にしたダイナミックで骨太な作品でありながら、普遍的なラブストーリーの要素もたっぷり味わえる作品。次回作についてお伺いする時間がなくなってしまいましたが、次にどんな大作を作ってくださるのか、今後も注目したい監督です。

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(取材・写真:景山咲子)
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