女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『アボン 小さい家』会見

4月5日(木)アップリンクファクトリーにて

今泉光司監督、主演俳優ジョエル・トレ

今泉光司監督、主演俳優ジョエル・トレ

フィリピン山岳地帯の日系人家族の物語、『アボン 小さい家』が4月21日(土)より渋谷アップリンクXにて上映されます。公開に先立って、このほど特別上映会と今泉光司監督、ジョエル・トレさんの会見が行われました。



今泉監督:これはフィリピンのルソン島山岳地帯に住んでいる、「ハポン」と呼ばれている日系の家族の物語です。元々は2時間10分ですが、今回は1時間51分のデジタル版です。とてもリアルなお話なんですが、ドキュメンタリーではありません。リアルな問題を盛り込んだシリアス・コメディ・劇映画です。西暦2000年のお話で、2001年に撮影し、2003年に完成しました。フィリピンで4万人を動員し、日本国内では75箇所で自主上映いたしました。5つの映画祭に参加し、そのうち3つは正式コンペ作品として招待されました。7年かかってこのたび一般上映できることとなりました。日本とフィリピンのNPOが共同で製作するという、新しい試みをした作品でもあります。

今までいつも聞かれてきたのが、「なぜフィリピンだったんですか?」ということでした。このお話からさせていただきたいと思います。私はこの映画の前、小栗康平監督の助監督を9年間しておりました。小栗監督は、日本の戦後のあり方を見つめるような映画を作っていた方なんですけれども、私は日本の戦争のことを殆ど学校では習ってこなかった世代で、助監督の間いろいろ勉強させていただきました。

自分で1本作る前にもう少し勉強したいと思って、東南アジアを旅して回りました。最後に行ったのがフィリピンでした。東南アジアの土着の文化を捜し歩いて、インドネシアなどはいろいろあるのに、フィリピンではそういう独自の文化が見当たらなくてがっかりしていました。そして最後にルソン島の北部山岳地帯に行きました。そこは寒くて松林が広がっているようなところでした。偶然にも日系人の90周年式典に遭遇しまして、そんなに前から日系人が住んでいたということを知りました。戦争の最後の舞台になったところでもあって、山下大将が立てこもったという山がこの棚田の奥にあります。

明治の終わり頃、アメリカがフィリピンをスペインから買い取って、山の上の涼しいところに軍の慰安施設とそこに行くための道路を作ろうとしていました。多くの労働者を世界中から集めて、そのときに日本からもたくさん参加しました。その中で多くの日本人が現地の人たちと結婚して残り、バギオには日本人街ができて発展しました。かなり豊かな生活をしていたようですが、アメリカと日本が戦争に入ってしまい、日系人たちは戦争中アメリカ軍からも日本軍からもスパイ扱いされ、戦後はフィリピン人たちから苛められます。苛烈な体験をして山に逃げて、ずっと隠れ住んでいましたが、1975年にフランシスコ会のシスター海野という方が「アボン」という日系人会を作り支援を始めました。この映画と同じ名前ですが、現地のことばで「小さい家」という意味です。こういう歴史を持っている人たちに興味を持ちました。

そして、同時にこの山岳民族イゴロットの人たちの文化に、日本と近いものを感じました。先祖崇拝、精霊崇拝の文化を持っていて、333年間のスペイン支配の時代から異教徒として蔑視されていたことを知りました。こういうことと今まで自分が書き溜めてきたものとあわせて、映画になるのではないかと思い、1996年から移り住んで映画の準備を始めたわけです。

今回ジョエル・トレさんが自費で2日前から来てくださいました。ジョエル・トレさんはフィリピンでは有名な俳優さんで、90本もの作品に出演されています。往年のフィリピンの監督さんをみんなご存知の大スターです。この映画にものすごく協力してくださいまして、実はギャラも半分しか払ってなくて・・・私がこういう活動をしていることを知ったら、「もういい、いらないから。それは別のことに使ってくれ」と言われました。では、彼からこの映画についてお話を聞きたいと思います。

ジョエル・トレ:コンニチハ。ジョエル・トレ デース。(拍手)
『アボン 小さい家』の上映会にようこそいらっしゃいました。ここにお招きいただいてたいへん光栄に思っています。どうぞこの映画を楽しんでください。

今泉監督:ジョエルさんがこの映画の主役をやってくださったことに一番驚いているのは僕なんです。初めてジョエルさんに会ったのは、1997年のアジアフォーカス・福岡映画祭の会場でした。僕は前年からフィリピンにいたのですが、たまたま日本に戻ったときに、この映画祭にはフィリピンからゲストがいっぱい来ているというのを聞いて出かけました。金があまりなかったのでサウナに泊まりながら(笑)映画を観ました。ある晩フィリピンの人たちを全員赤ちょうちんに招待しまして、朝までビールを飲みました。それがきっかけでジョエルさんに今回引き受けていただきました。

質問:映画に出演する前にイゴロットについての知識はありましたか?それと出演してからイゴロットについて驚かれたりしたことはありましたか?

ジョエル・トレ:自然に根ざして、昔からの伝統文化の中で生きている地元の人々と3ヶ月間一緒に暮らしました。これまでの文明化された社会ではなく、それに代わる別の生き方というものを知りました。
97年に今泉監督と会ったときにはまだこの映画の話はなくて、後で脚本を見たときにとても驚きました。なんて今までとは違った映画なんだろう!と。4世代にわたって日系フィリピン人が暮らしてきたということ、そのことを自分が知らなかったということにまず驚きました。イゴロット族については知っていましたが、日系人がいたのは知らなかったです。

質問:これは多文化にまたがった映画、製作なので、監督・脚本・俳優について、その関係はどんなものだったのか教えてください。

ジョエル・トレ:今回とてもラッキーなことに、監督も脚本家も私の友人でした。私の最初の仕事というのは監督や脚本家のビジョンを知るということでした。たくさん尋ねたいことがありましたが、撮影をしている間に今泉監督のサポートのおかげで徐々にわかってきました。

今泉監督:映画のスタッフ、俳優部の半分はマニラ、半分は地元の人です。それに日本人ボランティアが5人でした。山岳民族の中でも部族間での争いがあったりしますので気を使いました。村での生活は、日本と山の人たちは早く慣れましたが、マニラからの人たちは苦労したようです。

質問:映画の中で物売りが来たり、子供たちが市場で買い物をしたりという場面がありました。世界中どこでも現金がなくては暮らせなくなっていますが、そういう人たちにどんなメッセージを伝えたいですか?

今泉監督:フィリピンは貧しい国だと思われている方が多いと思いますが、実はとても豊かな国だったのです。だからスペインやアメリカや日本までが行ったわけです。それを思い出してほしくて地元の活動家の人たちとこの映画を作りました。小学校のシーンで、子供たちが有名な唱歌を歌っています。「家は小さいけれど、家の回りにはいっぱい食べ物があるよ」と、野菜や果物の名前をたくさん歌うものです。この歌がモチーフになってこの映画の内容を考えました。

人間は食べ物でもなんでも自分たちが作れると思っていますが、そうではなく、みんな自然からきているのです。お米だって人間は種を蒔きますが、その後は自然が作っています。鉄もゴムも自然のもので、人間は取り出しているだけです。そのことを、この村に行ったときに強く感じ、日本も世界も忘れていることを思い出してもらいたかったのです。
この映画の言語が英語のわけをお話しします。フィリピンでは4つの言語を使っています。まず部族の言葉、次に地域の言葉、マニラを中心としたタガログ語、それから学校に行くようになると英語です。田舎の人同士で英語を話すのは違和感があるんですが、現地の人にとってみれば「タガログ語を話すよりは英語の方がいい」。僕が英語しかわからないということで、いろいろ考えた末に英語にしました。マニラで作られる映画は、どの地方の話であっても全てタガログ語です。僕が次に作るときは、現地のことばにできたらと思います。

シナリオは現地の神学の先生と共同で作りました。彼女はカンカナイ族で、作っているうちにわかったことがあります。それはカンカナイ語には「ありがとう」という言葉がなくて、代わりが「ナマオエスタ」という単語。英語にぴったりの訳がないそうですが、「恩をもらいました」、「とりあえずそうしておきましょう」という意味になるようです。それを聞いて思ったのが、世界中にいろんな文化があるけれど、その元になるものは「人間が自然から恵みをもらう」、「もらったことに感謝する」「何をすれば自分たちがもらったものに対して帳尻を合わせることができるのか」というのを考えていたのが、人間の文化じゃないかということです。ところが、今は「自然にあるものは全部人間がとっちゃっていいんだ」という風になっている。環境問題が起きて来たのは、その恩恵とお返しという根っこのところがなくなってきたからではないか、と思いながらこのシナリオを書いていました。

質問:トレさん、日本に出稼ぎに来ているフィリピンの人たちも、この映画をご覧になるかと思います。メッセージを。

ジョエル・トレ:フィリピンの同胞のみなさんへ「自分の育ってきた文化を誇りに思ってください。どこへ行こうとも自分の旗を高く掲げてください」それが私のメッセージです。

質問:今まで出演した作品と比べてどこが違いますか?

ジョエル・トレ:全てが違っていました。ラモット(役名)はとてもシンプルな人です。インテリではないけれど、心はとてもピュアです。監督がこの映画で見せたかったのは、ラモットが再び自然と結ばれるということ、人生において何が大切か、立ち止まって再発見することだったと思います。

(取材・写真・まとめ 白石)

*作品紹介はこちら

*この他に30分のインタビューをさせていただきました。シネマジャーナル70号に掲載いたします。

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