女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

イタリアの移民問題を少年の目を通して描く『13歳の夏に僕は生まれた』

マルコ・トゥーリオ・ジョルダーナ監督インタビュー

5月1日都内ホテルにて

13歳の夏に僕は生まれた 場面写真 13歳の夏に僕は生まれた 場面写真

1本の映画が、劇的に状況を変えることがある。今年のイタリア映画祭のプログラムにも書いてあったが、マルコ・トゥーリオ・ジョルダーナ監督の『輝ける青春』は、日本でのイタリア映画を取り巻く環境を劇的に変えてしまった。この映画が毎年G.W.に開催されるイタリア映画祭で上映されたのは2004年。私はこの映画祭に毎年足を運んでいるのだけれど、明らかに去年から観客が目に見えて増えた。『輝ける青春』に感動した観客たちが(私も実はその中に入るのだけれど)、次の年にリピーターとして映画祭に集まる、幸せな連鎖反応というべきだろうか。それを作ったジョルダーナ監督が最新作『13歳の夏に僕は生まれた』のプロモーションと、5月に開催されたイタリア映画祭でのプレミア上映にあわせて3回目の来日を果たしてくださった。

監督は3年前に『ペッピーノの百歩』が映画祭で上映されたときに初来日、昨年も『輝ける青春』のPRのため来日しているので、今回が3度目の来日である。

私は昨年も監督に取材したくて、自分の知りうる媒体関係者に声をかけてみたが、残念ながらかなわず悔しい思いをした。それが今回シネマジャーナルのおかげで取材ができたこと、スタッフの皆様に心より感謝いたします。

さて、本作は「社会派」ジョルダーナ監督の面目躍如というべき硬派な作品です。現代イタリアの移民問題という厳しい現実を、13歳の少年サンドロの目を通して、(それは何の偏見もなく、純粋な好奇心と探究心で現実をみつめるということでもある)描き出しています。

※あらすじは作品紹介を参照のこと。



Q.本作のオリジナルタイトル「Quando sei nato, non puoi piu nasconderti」は、「生まれたからには逃げも隠れもできない」という意味です。このオリジナルタイトルに、監督の強い思いを感じましたが、この映画にどんなメッセージを込めたのですか?

監督:メッセージはありません。自分としては映画にメッセージを込めるということはなくて、物語を通して、観た人が自分の経験を豊かにして自分の人生を豊かにしてほしいと願っています。芸術というのは基本的に広がっていくものであるので、ひとつのことに執着していくものではないと思っています。ですから、イデオロギーを映画に盛り込むとかスローガンを盛り込むとか、メッセージを入れることは自分としては基本的にはしていない。

Q.日本にも不法滞在、移民の問題はあるが、イタリアほどひどい状況ではないと思います。その移民問題の現状について、また映画のどこを特に観客に見てほしいですか。

監督:ヨーロッパではスペインとイタリアが海に突き出した国家で移民が押し寄せています。海のほうがコントロールが効かないため、主に移民は海からやってきます。地理的な関係でスペインに関してはアフリカから、イタリアは地中海全体に面しているから、北アフリカ、アジア、中東などから押し寄せている。
移民問題はイタリアにとって本当に大きい問題です。近年では、イラク、アフガニスタンの戦争によっても移民の流れが大きくなってきて、人数が増えている。そしてますます問題が大きくなっているにもかかわらず、政府からのきちっとした対応はなされていない。ただ映画はこれに答えを出すことは難しいと思う。異なる文化を受け入れる、対話があって、移民もイタリアに同化していくことができれば一番いいと思うし、そういうふうにするべきだという自分の意見をもってはいます。そして、観客もそれに賛成してくれれば嬉しい。移民問題というのは、ドアを閉じることによって解決することはないと思う。でもだからといって、開けることによってまた問題も増えてくる。その中でどうやって答えをみつけていくかだと思います。

Q、映画のシーンについての質問です。ラスト近く、アリーナがサンドロを携帯電話で呼び出す場面で、携帯電話にカメラのフォーカスが合い、その周囲は極端にぼやけていました。そのシーンから映画のラストまで、サンドロとアリーナの2人がパニーニを食べているところを写しながらカメラが引いていってまたピントがぼけて、エンドクレジットが流れます。映画の冒頭はドキュメンタリータッチでしたが、ラストは非常にロマンチックで幻想的な、現実の出来事ではないような気がしましたが、演出の意図は。

監督:映画の始まりはサンドロの好奇心、ドキュメンタリータッチでディテールを追っている。つまり彼の目の前におこっていることを彼なりに掴んでいき、彼なりのビジョンをつくっていくところです。そして、ラストのシーンですが、彼は13歳でまだ恋というには早いんですが、アリーナには恋愛感情のようなものを抱いている。それを失うことによっていろんなことがわからなくなっている。ビジョンを失うことによって、物事に焦点があわなくなってくる。それを表わすためにピントをぼかしました。映画は、サンドロの目を通して現実を追いかけていく形で撮影しています。

Q、サンドロは海に落ちるまでは普通のちょっと弱気な男の子でした。それがどんどん精悍さを増していきます。サンドロを演じたマッテオ・ガドラ君にはどのような演出を施しましたか?

監督:この映画は物語と同じ順序で撮影できたので、撮影は楽でした。物語の推移をそのまま展開させることができたのです。マッテオにはいろんな場面で、このような状況にあったら実際君はどうするか?を聞いて、答えによって変えたり、初めの予定通りに撮影したりしました。そういう練習を重ねることで、彼自身が直感的にどう演じるかより、役の中に入って深く自分の中で経験を深めていくことができたのだと思います。

Q、映画のオープニングでの難民船で、そしてラストにアリーナが口ずさむエロス・ラマゾッティの『思いは永遠に』という歌がありますが、この歌を選んだ理由は?
(このラストのシーンは、『輝ける青春』でジュークボックスから流れるAstor Piazzolla の 「Oblivion」という曲をジョルジャとマッテオが聴いた場面を彷彿させる、この映画の中の一番悲しく、ロマンチックな場面!)

監督:あのアイデアは撮影中に生まれたのです。エキストラたちにイタリアの歌手で誰を知っているか聞いたところ、アドリアーノ・チェレンターニ、ラウラ・パルジーニ、エロス・ラマゾッティの三人の名前が上がりました。アリーナ役のエスター・ハザンに誰の曲が歌える?と聞いたら、チェレンターニは古い曲だし、パルジーニの曲はすごく難しいということで、ラマゾッティなら知っているということであの曲を選んだのです。

Q、日本でも少子化は深刻な問題で、将来を考えると労働力は移民に頼らざるをえない状況がやってくる可能性は高い。そのときサンドロのような裕福な子どもと、アリーナのような子にはどうしても差が生じる。そういう格差のある社会の中で、未来に向かって子どもを育て、見守る側として、どういうことに注意し、子どもたちにどういう教育を施せばいいと思うか。

監督:イタリアでも裕福さは1世代か2世代くらいでなくなってしまうことがあります。たとえばフィアットという会社(※1)では、子どもたちは経営できなかったし、孫にもそんな手腕がなかった。それですっかり威信が落ちた。ほんの10年でだめになった。
もし親が裕福でも、自分たちがきちっと働いてクリエイティビティを出していかなければそれを守ることができないということです。そう考えると、イタリアにやってきた移民の子どもたちはイタリア人なわけです。イタリア人と外国人の子どもということではなく、同じイタリア人同士の問題だと考えるべきだと思う。
私は、聡明で感情の豊かな人々が勝ち残っていくのを望むし、文化が混ざった所から来た人たちはそういうものをもっているから、そういう人たちが生き残って力を発揮し、社会を豊かにしてほしいと思っています。

(※1)フェラーリも傘下にもつイタリア最大の自動車メーカー。2代目のジャンニ・アニェッリ(1921-2003)によってイタリアを代表する大企業に成長したが、長男は自殺、孫のラポ・エルカーンがドラックの過剰使用により病院に搬送されるなどの事件をおこしていることを指していると思われます(参考サイト:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)



インタビューを終えて

移民問題は、アメリカ、ヨーロッパにおいて深刻な社会問題となっている。

この原稿を書いている今も、アメリカではヒスパニック系の移民を取り締まる移民改正法案が議会に提出されることに反対した不法滞在移民たちが、大都市を中心にデモ行進をしているニュースが報道されているし、去年11月にパリ郊外でおこり、フランス全土に拡大した暴動も記憶に新しい。

そんな中、イタリアについてのニュースはあまり日本で報道されないせいもあり、私もイタリアでこんなに移民問題が深刻だとは勉強不足で知らなかった。それを教えてくれた映画が、『13歳の夏に僕は生まれた』です。

実は移民が出てくる映画は、イタリアではほかにもたくさんあります。ここ何年かのイタリア映画祭で紹介される作品でも、私が記憶しているだけで『ローマの人びと』『僕の瞳の光』、そして自身トルコからの移民であるフェルザン・オズベテク監督の作品群(本当に素晴らしい作品を発表しつづけている人です)や、東欧からの移民を描いた『風の痛み』などなど、主人公でなくても、脇役としてなんらかの形でその存在が描かれる作品が驚くほど多かったのは事実です。イタリアの移民問題は、今まで移民を受け入れていた英国、ドイツ、フランスなどが移民取締りに厳しくなってから、イタリアに押し寄せるという現実のあるのだそうです。

現在『家の鍵』が日本公開中のジャンニ・アメリオ監督が94年に作った『Lamerica』(日本未公開)という作品は、アルバニアからイタリアを目指す移民を描き、当時のヴェネツィア映画祭で高い評価を受けたそうです。そう、それから10年以上たって移民の問題は解決されるどころか、問題はさらに深刻になっているということですね。また、移民問題だけではなく、移民の労働力に頼らねばならない背景にある少子化問題なども映画に盛り込まれており、これは日本にも共通することが多く非常に考えさせられることの多い作品です。私は2回この映画を観ましたが、1回目は移民について考え、2回目は裕福な家庭でありながら子どもは一人しか作らなかったというサンドロの家族について考えさせられました。

今まではこういった作品は映画祭という限られた枠での上映で、よほどイタリアに興味のある人でなければ、触れることがなかったイタリアの一面だったし、『13歳の夏に僕は生まれた』も正直、2年前なら日本では公開されていなかったと思う。やはりこれも『輝ける青春』効果だといいたい。そう、監督の名言どおり、「芸術とはひとつから広がっていくもの」なのですね。

『13歳の夏に僕は生まれた』 公式サイト:http://www.13natsu.jp/

6月3日(土)より、Bunkamura ル・シネマほか全国順次ロードショー

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(取材:景山咲子、吹田惠子、文・写真:吹田)
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