女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『山中常盤』羽田澄子監督インタビュー

2005年9月 ウィルあいち にて

羽田澄子
(TOKYO FILMeX2004
記者会見にて 撮影・梅木)

介護問題のドキュメンタリーや、日本伝統文化の歌舞伎などを撮り続けてきた羽田澄子監督。介護問題の映画は何本か観たことがあったのですが、昨年『山中常盤』を拝見し、絵巻物の豪華な世界を堪能することができ、是非お話を伺いたいと思っていました。今回、お話を伺う機会に恵まれましたので、トークショーの内容と合わせてお伝えします。羽田監督は日本の女性監督の草分け的存在でもあり、強い社会意識を持った素晴らしい方でした。 

Q 作品の制作について

羽田 国立劇場や国立博物館で美術の仕事に携わっていた1967年頃から、今まで培ってきたものを生かして絵巻物の作品を撮りたいと思っていました。展覧会が開かれる度に、いろいろ見に行っていましたが、MOA美術館で岩佐又兵衛の「山中常盤」を見た瞬間に絵巻物に引き込まれました。庶民の生き生きした表情、鮮やかな色遣い、そして常盤御前を初めとする登場人物のリアルな表情。絵巻物の保存状態もよかったので、映像化するのならこれしかないと思いました。

Q 時間は、どれぐらいかかりましたか。

羽田 絵巻物の撮影は1992年にMOA美術館まで行って、40日間ぐらいかけて撮影しました。フィルムはだいたい10時間近く撮影しました。その後、介護や他のドキュメンタリーにかかってしまい、10年以上の年月を経ました。他の撮影も落ち着いたので、映像に音楽をつけることにしました。「山中常盤」で使われていた古浄瑠璃が、既に絶えてしまっていて復元できませんので、文楽の鶴澤清治先生にお願いして、新しく浄瑠璃を書いて頂きました。通常、映画の音楽は映像を編集して、その時間に合わせて音楽を作ってもらうのですが、今回その方法でお願いしたら、曲が映像の倍ぐらいの長さになってしまいましたので、音楽に合わせて映像を再編集しました。実際の録音は1日だったのですが、そこに至るまで6ヶ月かかりました。

Q 撮影で苦労した点は?

羽田 MOA美術館で撮影した時でしたね。絵巻物が傷つかないように細心の注意を払いました。絵巻物は、学芸員の方に取り扱って頂いて、この撮影のためにつくったレールの上に載せ、カメラは固定し、移動撮影の場合はレールに載せた絵巻物のほうを移動させて撮影しました。私は離れた所から、全体的に見て指示を出していましたが、実際に絵巻物を載せたレールを動かしている男性スタッフは、一日中レールの下側にいて大変だったようです。また、前半の道行は、ずっと絵巻物だと平面的になってしまい、道のりがどんなに大変だったか読み取れないので、自然の景色を取り入れ、道行きの困難さと距離感を出すようにしました。

Q とても大がかりな撮影だったのですね! 監督の一番好きな場面はどの場面ですか。

羽田 どの場面も気に入っていますが一番思い入れが強いのは、山賊に襲われ常盤御前が遺言を残して亡くなる場面です。あの悲しげな表情が心に訴えかけてきます。普通絵巻物を見るときは、小さくしか見えないのですが、大きいスクリーンでアップにすると迫力がでます。作者の岩佐又兵衛は、幼少の時に城が攻められて、母親のたしは処刑されてしまったので、「山中常盤」の常盤御前に自分の母親を重ねて強い思い入れをもって、描いていたのではないかと思います。

Q 「山中常盤」の作者岩佐又兵衛について教えてください。

羽田 岩佐又兵衛の父親は、織田信長に反逆した伊丹有岡城主荒木村重でした。村重が城を出ている間に攻め滅ぼされ、又兵衛の母たしを含め一族郎党600人余りは、全員処刑されてしまいました。また乳児だった又兵衛は、乳母と落城前に脱出しました。その後、お寺で匿われて無事成人し、母の姓岩佐を名乗り、有名な絵師になりました。劇中のたし役は、今の15代目片岡仁左右衛門さんのお嬢さん片岡京子さんが演じています。

Q 音楽については?

羽田 浄瑠璃は、歌舞伎と文楽の2種類あります。人が演じる歌舞伎と人形が演じる文楽では、同じ浄瑠璃でもかなり異なります。今回は、絵巻物ということで文楽の方を用いました。現代的な浄瑠璃に仕上がっています。

Q 海外の映画祭での反応は?

羽田 ベルリンとサンフランシスコ、香港で上映しました。欧米では、今までに見たことのでない作品で、とても新鮮だったようです。先日、ベネチア映画祭で、宮崎駿監督が名誉金獅子賞を受賞されていましたね。日本アニメのレベルの高さは、世界でトップクラスですが、それは数百年前から絵巻物、浄瑠璃などの物語、音楽の伝統文化によって築かれてきたものによると皆さん実感したようでした。香港では、中国文化が源流である絵巻物が日本でどのように発展していったか、中国の若いの人達が好奇心を持って観てくれました。上映終了後、映像の専門家や、美術の専門の人達から質問攻めに合いました。

羽田澄子
(TOKYO FILMeX2004
記者会見にて 撮影・梅木)

Q 絵巻物や歌舞伎を題材とした伝統文化の映画と介護や社会問題を扱った映画、両方撮られていますが、監督にとってのライフワークとは?

羽田 私が岩波の映画製作所に入った時、女性スタッフには国立博物館や国立劇場の伝統文化の仕事が多く回ってきました。その仕事で培った技術から撮った絵巻物や歌舞伎は、自分の撮りたい作品になります。実際、歌舞伎の13代目片岡仁左右衛門さんの映画は、その人間的魅力に惹かれて撮りました。反対に、社会問題を扱ったドキュメンタリーは、社会に対する自分の意思表示になります。問題だと思った事を映画にすることで、社会に訴えていきます。

Q たいていの人達は、問題だと思っても思うだけで、行動に移すことはできません。監督は映画という手段で社会に訴えられているのですね。とても素晴らしいことだと思います。また、現在は多くの女性監督がいますが、羽田監督は、女性監督達の土台を築かれてきましたね。

羽田 私が映画を制作をはじめた頃は、女性監督は5人にも足りませんでした。カメラマンや美術スタッフなど大勢の専門の男性を使って、映画を撮るのですから、駆け出しの頃は大変でした。しかし、世間で評価を受けるようになってからは、男女とかそういう区別はなくなりました。

Q 次回作について

羽田 東京国際女性映画祭にて上映される『あの鷹巣町のその後』です。(10月25日(火)東京ウィメンズプラザにて)今編集の最中で大変なのです。福祉の整った素晴らしい町だったのです。その後、合併して市になって、福祉政策反対派の市長が当選してしまい、福祉の町が崩れてしまいました。その様子を去年の女性映画祭で上映したものに、新たに撮ったものを加えて3時間ぐらいにまとめているのです。

Q 他に考えられている企画などはありますか。

羽田 まだ考えている段階なのですが、中国残留孤児の問題を扱った作品を撮れたらと考えています。多くの残留孤児達は日本に帰国後、国の政策の怠慢によって、十分な日本語学習や職業訓練を受けることもできずに、生活保護を受けている現状です。それで、東京、大阪で孤児達が国を相手取って損害賠償を求める訴訟を起こしています。そのことをいずれまとめられたらと思っています。

『山中常盤』作品紹介についてはこちら

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(インタビュー・まとめ 池畑美穂)
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