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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『遥かなるクルディスタン』
イェスィム・ウスタオウル監督 インタビュー

(2002年9月11日)
イェスィム・ウスタオウル

トルコではフリージャーナリストとしても活躍し、 映画は独学で学んだというイェスィム・ウスタオウル監督は、 どこにそんなに大きなエネルギーを秘めているかと思うほど、 華奢で物静かな女性でした。 1時間に亘ってお伺いしたお話をお届けします。

K:トルコは大好きで、20年前に初めて行って以来、4回訪れたことがあります。こちらの高安さんは、2年程イスタンブールに住んでいたこともあり、2人ともある程度、クルドの問題は知っている立場でこの映画を拝見しました。クルド問題に焦点をあてると、映画本来の話よりも政治的なことになってしまいますので、これは後ほど時間があればお伺いすることにします。
まずは全体の印象ですが、映像が素晴らしくて、音楽も効果的でした。また知っている風景も出てきて、とても懐かしい思いもしましたが、私が一番印象的だったのは、駐車場の監視小屋の窓に映っているミナレット(モスクの尖塔)や、東トルコの水没した村の水の上に出ているミナレットで、ああいった映像の使い方がとても素晴らしいと思いました。あれも監督のアイデアだったのでしょうか。

どこのシーンを撮るか、どういう撮影計画を立てるかは、すべて自分のアイデアです。特に撮影場所については、自分で写真を撮ったりして、この場所で撮ろうと計画しました。私自身でストーリーも書いていますし、撮影場所を決めるときには、実際映画を撮るときの正確な時間まで決めて計画を立てました。一緒に仕事をしたカメラマンやスタッフたちも、非常に献身的にやってくれました。

T: その、ミナレットが水面に出ていた湖ですが、あれは東トルコの開発のために造られたダムなのだと思いますが、何だか「死の湖」のように見えました。東の開発のために造られたダムが、開発の役に立つというより難民を生んでしまったりしているという意味も込められているのでしょうか。

あれはベルザンの出身地で、村がダムの為になくなっているということを最後にもってきた、というのがまさにこの映画の意味なのです。地域の人たちのために土地の改良や再活性化をさせようという目的で造ったものが、実際は全く人々のためになっていなくて、使えず、人々は移動させられてしまうということを最後に持ってきて、批判するという意味も込めて使っているわけです。

それから、最後のシーンについて言うと、もう一つ、水というものにも意味があります。水は我々にとっては命を与えるものであると同時に、また命を奪うものでもあるからです。

T: 私は東トルコが大好きで、よく旅行もしていましたが、知り合いのトルコ人たちに東に行くと言うと、「あの何もないところに行って何するの」というように、自分たちとは関係ない場所のように思っているような印象を受けました。今回のスタッフの中にもそういう感じをもった人がいたかもしれませんが、実際東に行っての印象はどうだったのでしょうか。

スタッフの中にも、初めて東へ行くという人もいましたが、東の地域の深みと古い歴史に感銘を受けていました。ハサン・ケイフに行ったときにも、2000年以上にもわたる古い歴史と美しい街に、心打たれていたようですが、その美しい街もまた、水の影響を受けかねない状態にありました。もともとあまり人に知られていなかったところですが、近年徐々に人に知られるようになっています。また開発プロジェクトについては、これ以上進めるのはやめようという動きも見られます。

T: 次に登場人物について伺いたいと思います。まずベルザンは、とても存在感があっていい感じでした。資料には素人だと書かれていましたが、どういうふうにして彼を選んだのかを教えてください。

候補としていろいろな人を探していたとき、アマチュアとしてクルド人の劇場で演技をしているのを初めて見たのですが、一目見て、この人だと思いました。そのあと来てもらってオーディションをしましたが、人柄も非常に紳士で、何よりも、とても才能のある人だと思います。今、ドイツのプロジェクトが終わったところで、クルド系の小さなプロジェクトに参加しています。

彼は、せりふを録音すると声がこもってしまうため、プロデューサーが彼では無理だと言ったのですが、私がしぶとく粘って、結局鼻の手術をして骨を削り、それを治すことになりました。

その結果、彼はあの映画に出ただけでなく、以前より健康にもなりました。

K: メフメットですが、私自身、彼がトルコ人であるということがはじめはよくわからず、出身がイズミールの近くだということで、トルコ人なのかなと思ったのですが、実際にはメフメット役も、彼と同じアパートにいたトルコ人役も、クルド人が演じていたということですね。あえてトルコ人役にクルドの人を採用した理由は何でしょうか。

クルド人を採用したことには、特別の理由はありません。初めはイズミール出身の人たちを探していました。メフメット役の人はクルド系なのですが、幼い時に都会に移ってきたため、ほとんどクルドの方言も出ないので、トルコ人を演じても大丈夫だと思いました。また彼が、自分の出身である東のクルディスタン地域を登場人物と一緒に旅したいと話してくれたことにも、とても感銘を受けました。もともと魅力があり、演技も十分よくできる人だったので、彼に決めました。

T: アルズについて伺いたいのですが、彼女は一見普通の女の子のように見えましたが、話が進んでいく中で、かなり難しい状況に出会っても逃げたりしないで、決断力もあり、強い女の子に描かれていると思いました。映画の中には出てこない彼女の生活の背景は、どのように設定されていたのでしょうか。

イェスィム・ウスタオウル

彼女はドイツ生まれで、家族はドイツで働いていて、保守的な家族の中で育ってきました。ここで、ヨーロッパ育ちの保守的なトルコ人の家庭から来たアルズと、西海岸の小さな町で育ったトルコ人のメフメット、そして東のクルド人のベルザンという三角形が描けると思います。
彼女は家族と一緒にイスタンブールへ引っ越してきたのですが、彼女の経験を通し、伝統的な価値観を持った家族の中で育った無垢で純粋な部分と、しかし映画の話が進むにつれて徐々に明らかになる強い部分がうまく混ざっていると思います。そして強い部分に気がつくにつれ、自分自身を守ったり、ボーイフレンドのために問題と真っ正面から立ち向かったりという強い面が出てきますが、こういう無垢な面と強い面のミクスチャーが見られます。

K: この映画には原作があるのですか。

私が作ったものです。はじめ、別れた夫と一緒にストーリーを考えましたが、途中、それぞれのビジョンの違いから別の道を取ることにしました。そのあと、私がこのストーリーに変え、スクリプトも自分で書いたのですが、基本的には現実に起きているニュースなどに基づいて作り上げたものです。

T: アルズの働いていた「クリーニング屋」というのは、私たちの知っているいわゆるドライ・クリーニングの店とは違うように見えましたが、あれはどういう店なのですか。

トルコではよく見かける洗濯屋で、汚れた服を持ち込み洗ってもらうところです。欧米では機械が自動化されていて自分でコインを入れて使いますが、トルコの場合、そこまで自動化が進んでいないので、持ち込んだものを人が扱うというものです。これは単身者や旅行者がよく利用しています。

また、アルズの仕事場をクリーニング屋に設定したのは、水に関係させたかったからです。映画の始めも終りも水でしたが、街の中でも水に関係するものを出したかったのです。

K: 場所やストーリーをご自分でアレンジされていることがとてもよくわかりました。
ユルマズ・ギュネイ監督を尊敬していると伺いましたが、『路』や『群れ』は私にとっては重い印象がありました。一方、この映画はテーマは重いけれど、テンポもよく、映画としても楽しめました。ご自分の映画のスタイルをどのように考えていらっしゃいますか。

ギュネイ監督はとても尊敬する監督ですが、私のスタイルと同じではないと思います。もちろん、リアリティを映画に入れるというのは彼から学んだことだと思っていますが、それ以外は、少し違ったスタイルをとっていると思います。私はもっと人格の深いところに入っていくのが好きです。ギュネイ監督の作品には、私がいつも映画に入れようとしているユーモアや感情の起伏のようなものはあまり見られません。 また、私自身が映画のイメージや会話、音楽、演技などの全部を取り仕切っているということもありますが、そのすべてを一つにまとめた上で、さらにその中に感情やユーモアなど自分の個性を入れて、それぞれのキャラクターが現実の人間性を表わすようにしながら表現していく、というのが私のやり方です。

K: 大学で建築を専攻されたイェスィムさんが映画監督になるに至ったいきさつを教えてください。

建築を学ぶ間に、たとえばロケーションの場所の選び方、文化や歴史、光、音など重要なことのすべてを学ぶことができたと思います。ただ、そういうことを創造的に表現していくには、建築では物足りないところがあって、同時に以前から自分の感情や感じたことを書くということもやっていたし、音楽や写真の知識もあったので、すべてを合わせて表現できるものは映画だと気がついたのです。映画監督になろうというのは若いときに決めたことで、迷うことなく努力を続けてきました。

建築を学んでいたときはまだ、トルコ北東部の小さな町に住んでいましたが、学業を終えてからイスタンブールへ来て、映画を学ぼうとし、自分で短編映画を作りました。1つ作ってみると、もっとやろうという気になり、その後長編も作れるようになったのですが、自分でストーリーを書いて作ってきています。

K: トルコで女性の映画監督は何人ぐらいいるのでしょうか。また、女性であるがゆえの不都合を感じたようなことはありますか。

同じように女性で監督の人は2人います。それほど多くないのは事実だと思います。今まで監督としての私の歴史は長くはないのですが、クルーや同業の男の監督からは敬意を持って接してもらっていて、国内、海外ともに負の影響を受けるようなことはありませんでした。ただ、違う面で問題はあります。私自身、妥協しない性格だし、物議をかもそうとも気にしないで信じることを言ってしまい、批判を恐れないところがあるので、そのせいでいろいろ問題が起こってくるのは確かです。

K: 次の作品もクルドを扱われるのですか。また、上映できなくなる可能性があるかもしれないテーマを取り上げようという情熱は、どこからわいてくるのでしょうか。

クルド問題については、すでにある程度議論できる下地ができたので、その意味ではもうタブーではなくなり、これは良い傾向だと思います。新しい作品は、歴史的背景に基づいてギリシャ系少数民族のアイデンティティをテーマにしたもので、これもトルコ国内では大きなタブーとみなされている問題です。私のやり方としては、どういう圧力を受けるかに焦点を当てることはしません。自分が信じることを映画にしていくというだけです。もちろん、結果として問題が出てくる場合もあり、今回の作品もそうでした。撮影中、撮影後、配給の段階などで、また報道関係からもいろいろ問題が出てきましたが、自分で乗り越えられるものだったと思います。周りの人たちやスタッフと一緒になって努力を積んでいくことで、自分の議論することに正直であるのが重要だと思います。

K: 最後に、ワールドカップではトルコが3位になり、おめでとうございます。映画の中でもサッカーに熱くなる人たちが描かれていましたが、ワールドカップのようなときには、マイノリティもトルコ国民という意識でトルコチームを応援しているのでしょうか。

そのニュースを聞いたのは、山岳地帯の奥深くで少数民族と一緒に過ごしていたときですが、彼らもとても喜んで、みんなでお祝いしました。こういうイベントは、いい意味で国家をひとつにまとめるという反面、ナショナリズムを高めるのに利用するという巧妙なやり方もあるわけで、それをこの映画では批判している側面もあるのです。ただ、今回のワールドカップについて言えば、いい意味でのまとまりになりましたね。

『遥かなるクルディスタン』場面写真 『遥かなるクルディスタン』場面写真 『遥かなるクルディスタン』場面写真

作品紹介

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(インタビュー:高安幸子(T)・景山咲子(K))
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