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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
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追いかけてイーキン 4 days Part 4

4日目(2/12)

13:00〜 青山ダイヤモンド・ホールにて

 名残惜しいライブも昨日でおしまい。でもファンには、まだまだお楽しみが 残されている。それが本日のイベント、イーキンクラブインターナショナル、 飲茶倶楽部 合同主催の「イーキン・チェンと大パーティー」なのだ。しかしこのイベントの整理券は当日の朝10時から配付するという。ああ、ライブで疲れた体を引きずって、いつから並べばいいんだろう。徹夜はさせないで夜のうちに整理券を配ると思うんだけど、変な時間に配られて電車がなくなっても困るし……まあいいや、一旦家に帰って、朝早く来よう。朝7時15分すぎ、整理券配付場所のシネシティに着くと、案の定、昨晩11時から整理予備券が配られていた。私の番号は42番。もう一度10時にシネシティに来て、予備券と整理券を交換しないといけないとシネシティのお姉さん(ほとんど徹夜だそうだ。ご苦労様です)に言われ、番号の近かった人たちと一緒に3時間弱つぶすことに。しかし今日は祭日、なかなか開いている店が見つからない。寒さは容赦なく襲ってくる。本来なら並んで時間を過ごす決意だったのに、その必要なしとわかるやいなや、すぐに暖まりたくなるこの軟弱精神。8時から開店という店を見つけ、時間をつぶした。


 10時、シネシティ前は、整理予備券を持っている人、持たずに並んでいる人の列でごった返していた。そこに1台のテレビカメラが。BS-2「真夜中の王国」取材班がイーキン特集を組むのだという。放映日を聞きにいくと、逆に取材されることに。「イーキンのどんなところが好き?」……急にこんなこと言われても…… 油断していたところツボにはまったとは言いがたく、「う〜ん、眉毛」と答えてしまう。私の眉毛は気弱そうなので、すっきり美しい形のイーキン眉は、ないものねだりでまぶしいのだ。しかし、ほかの人がまともな答えを言っているのを聞いて、だんだん恥ずかしくなってきた。やめときゃよかった。取材に協力したお礼として、セサミストリートのハンドタオルをもらう……でも、これって受信料から出てるんだよねえ。

 無事整理券と交換した私たちに、本来12時開場のはずなのに、その30分前に集合という通達が。11時30分に青山ダイヤモンド・ホールに着くと、地下に案内され整理番号順に整列させられる。暖かいところで立っているのは楽かと思いきや、いい加減待ち疲れて、たかだか20分くらいだと思うけど、今までの中で一番辛い待ち時間だった。会場の用意が整い、10人ずつ1階の会場に案内されるという厳戒体勢。そのせいか、席取りパニックは起きなかった。横に広い会場で、舞台に向かって350個の椅子がずらり。私は真ん中の前から3列目に座ることができた。ワンドリンクつきだというから、以前香港で行われたパーティーのように、ひとつひとつのテーブルにイーキンが回ってきて、おしゃべりできるのかと思ったら全然違った。会場には『レジェンド・オブ・ヒーロー 中華英雄』や『東京攻略』のポスターが貼ってあったけど、『中華英雄』に載っている「美しき電光石火」というイーキンのキャッチコピーは何なのだろう? 人の心を素早くとらえるという意味なのか。でもちょっとベタ……。

 イーキンは移動中ということで、1時を大分過ぎてからパーティーは始まった。その間、一生懸命場をつなぐポップ・アジア編集長の関谷さん。同時期に『忘れな草』の宣伝のため来日したニコラスから、イーキンの印象を聞いたという話を披露、ニコラスいわく「イーキンは年上なんだけど、同年代のようにつきあえる、裏表のない人」なんだそうだ。ようやくイーキン登場。9日のTSUTAYAでのイベントで来ていた黒のナイロンジャンパーに、インナーはベージュのタートル、黒のパンツ。その上に黒のコートを羽織っている。ライブの衣装とはうってかわって、すっきり落ち着いたファッションだ。関谷さんとのトークに入った(通訳は周さん)。

関谷:まずライブの感想から。

イーキン:今日は疲れているように見える? みんなのほうが疲れてるかも。ライブが終わったから、今日はとてもリラックスしてるよ。

関谷:1年前に会ったときよりも痩せたような……

イーキン:OK喇。他人にいつも言ってるから自分もダイエットしないと…… いやいや、実はダイエットしてません。

関谷:でも、あのとき私はイーキンさんの真横に立っていましたから…… (じっとイーキンを見る)痩せましたよ。ライブで大変だったことは?

イーキン:まずダンス。振り付けがあるけど練習する時間がない。それから日本語。香港で日本語を習うと高いから、2時間未満しか習ってないんだ。本当のことを言うと、リハーサルのほうが日本語は上手だったんだ。日本語の歌を歌うというと、ファンも期待して見ているからね。

関谷:これから公開される映画のお話を。

イーキン:『中華英雄』は香港でも長く公開した映画。文芸映画の中にCGを取り入れた映画として見てもらいたいです。役づくりでも、人が成長していく過程が見どころ。『東京攻略』は大変そうに見えるけど、実は楽しかった。

関谷:今後のお仕事の予定は?

イーキン:香港に帰って、レコーディングをします。レコード会社を移籍後、初のアルバムになります。何か新しい一面を出せればいいと思ってます。そして3月か4月に、ラスベガスで映画のロケをします。興味のある人はラスベガスに来てください。縁があれば会えるでしょう(笑)

 次に、お待ちかね、ファンからの質問コーナー。いきなり「ずいぶん色黒だけど、アウトドアスポーツでもやってるの?」とファンに質問し、関谷さんに「イーキンの質問コーナーじゃないんだから」とたしなめられるイーキン。

ファン1:ライブでの衣装、特にジーンズが印象に残ったんですが、あれはイーキン自身のチョイスですか?

イーキン:あれはノンブランド、自家製です。自分でも選ぶけど、マイケルが選んでくれます。気に入ってくれてありがとう。自分でも気に入ってます。

ファン2:今まで一緒に仕事をした中で、仕事をしやすかった監督は? 自分で監督するとしたらどういう作品を監督したい?

イーキン:今まで接した監督は新しい感覚の監督です。アンドリュー・ラウ監督、ジングル・マ監督の2人との仕事がやりやすかったです。この2人はディスカッションをして、俳優がやりやすいように環境を整えてくれるんです。あと、自分で監督するならSFXと文芸作品をミックスさせた作品を撮りたいです。

ファン3:去年のパーティーの質問コーナーでも質問したんですけど、ライブで一部のファンの振り付けが揃っていたのを見てくれましたか?

イーキン:ああ……(とその人のことを覚えていたらしい)。みんなの蛍光棒を見て一生懸命やりました。

と、振り付けを見たかには答えていないイーキン。

ファン4:髪の毛を切ったのは失恋したからなんですか?

イーキン:どうして? 僕は女の子じゃないんだから。とってもハッピーです。

ファン4:失恋したならラッキーかなって。

イーキン:!(目を丸くして驚く)

ファン4:ファンの気持ちです。

イーキン:オー(納得したようにうなずく)

ファン5:日本語でCDデビューする予定がありますか?

イーキン:機会があれば。

ファン5:ずっと待ってます。

本当はあと1人、「ライブで仮面ライダーの歌を選んだのはなぜ?」と質問した人がいたんだけど、その答えを書いたメモを読み返すと、途中が抜けて意味不明ということでごめんなさい。


 質問タイムのあとはゲーム大会。イーキンとじゃんけんをして、勝ち残った人10人がイーキンからプレゼントをもらえるというもの。商品は、その場で直接サインしてもらったCD、あらかじめサイン入りイーキンファンクラブTシャツ、その場サインの映画ポスター、プレス。それからファンからの花束贈呈。席においてある香港観光マップに黄色いシールが貼ってある人が花束贈呈者ということで、現れたのは長髪の男の人。この人は去年のパーティーでも見かけたし、香港フリマでもシネジャを買ってくれた(ありがたや…)。彼は男性の自分が贈呈者になったことに、しきりに恐縮していたが、かえって男の人ですがすがしかった気がした。その花束を持ったまま撮影タイム。端から順に、みんなのためにポーズをとってくれるイーキン。そして登場から約1時間(短い…)、これから取材が入っているということで、イーキンはここでお別れとなった。ライブと同じく「Bad Boy」の曲に合わせて立ち去ろうとするが、ファンがプレゼントを持ち上げているのを見て、受け取ろうとしたから大変。我も我もと20人くらいのファンが前に押し掛けて、ちょっとした混乱となった。ライブの余波か、みんなすっかり過熱ぎみ。そういえば、私のうしろにいたファンも熱烈ファンで、イーキンにしょっちゅう呼び掛けていた。「イーキン愛してる!」と日本語で言うと、イーキンも「あなたを永遠に愛します」と日本語で返していた。そんな誰にも使ってほしくない日本語は覚えないで〜! とは私の心の中の悲鳴(笑) あとの30分はどうしたかというと、イーキンクラブインターナショナルの会長ワサビさんに関谷さんが話を聞いたり、TSUTAYAで行われたイベントのビデオを流したのでした。その間、急いで次に控えたトークショー会場に向かう人も。


 この4日間で、日本FANSのハートに火をつけまくりのイーキン。のどかに応援できたベル・エポックはもう終わりなのねと、今回はっきり悟りました。CMがいまひとつパッとしなくて、どうなることかと心配した日本進出も、今回のライブで確かな足がかりを築いたと言えましょう。敏腕マネージャー・スミコさん、これからもイーキンをよろしくお願いします!

(ああ、やっとこれで普通の生活に戻れます・完)

追記:貸していたCDを返してもらい「極速」を聞いたら、間奏後の例の箇所にはちゃんと「SKY」の合の手が入っていました。ホッとする反面、会場で一番ノリノリだったのは自分かもという気が……(汗)

★今回のライブと12日に行われたトークショーの模様は、4月発売予定のシネマ・ジャーナル52号に掲載する予定です。本誌のほうもお楽しみに!

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特別寄稿 Feb. 23, 2001 (文:まつした)
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