このページはJavaScriptが使われています。
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ガチ星』江口カン監督 インタビュー

江口カン監督 (撮影:白石映子)

<プロフィール>

九州芸術工科大学 画像設計学科卒。‘97年 映像制作会社KOO-KI 共同設立。
ドラマやCM、短編映画などエンターテインメント性の高い作品の演出を数多く手がける。07~‘09年 世界で最も重要な広告賞として知られるカンヌ国際広告祭で三年連続受賞(Bronze/Bronze/Gold)。Boards Magazine(カナダ)主催「Directors to Watch 2009」14人のうち1人に選出。'10年より3年連続でクリオ賞(アメリカ)審査員。'13年 東京五輪招致PR映像「Tomorrow begins」のクリエイティブディレクションを務める。同年、ドラマ「めんたいぴりり」の監督を務め、日本民間放送連盟賞優秀賞、ATP賞ドラマ部門奨励賞、ギャラクシー賞奨励賞受賞。'15年 続編「めんたいぴりり2」が、前作に続いて2年連続で日本民間放送連盟賞 優秀賞を受賞。'16年4月 競輪発祥の地・小倉を舞台に、夢と人生にもがく、崖っぷちの男のドラマ「ガチ★星」(テレビ西日本で2016年4月放送)の企画・監督を務めた。映画化された同作は、湯布院映画祭、沖縄国際映画祭にて好評を博す。映画『めんたいぴりり』が2019年1月公開予定。
http://www.koo-ki.co.jp/


(C)2017 空気/PYLON

『ガチ星』

濱島浩司(安部賢一)39歳。プロ野球選手だったが、戦力外通告を受けてその場でやめてしまう。以来酒とパチンコに溺れ、自堕落な毎日を送る濱島に妻子は呆れて家を出ていった。親友をも裏切り、崖っぷちにいた濱島は、たまたま耳にした競輪に再起をかけようとする。競輪学校に入学すると周りは若者ばかり。意地とプライドで厳しい授業に耐えるが、緩みきった心身は音を上げ始める。またしても投げ出そうとしたとき、一人練習に打ち込む久松(福山翔大)の姿に釘付けになる。

(C)2017 空気/PYLON
http://gachiboshi.jp/
★2018年5月26日(土)より新宿K’sシネマ、小倉昭和館ほかにて全国順次公開





―お名前は本名ですか?

本名は漢字なんです。木の幹の字、新幹線の「かん」です。意外とそう読まれないのがもったいないので、30歳過ぎてカタカナを使い始めました。

―KOO‐KI(空気)という会社がグローバルな感じなので、外国の方にも呼びやすいようにされたのかと。カンというと「愛は勝つ」のKANさん思い出します。

ははは、あの人も福岡ですよ。
(あらまぁと、後日KANさんを検索しましたら本名は「和」と書いて「かん」と読むようです。難読です)

―映画は元野球選手の話ですが、江口監督はスポーツ少年でしたか?

いや、僕はそこまでやってないですし、もっと言うと実はああいう競輪学校みたいな厳しい環境は苦手なんですよ。

―なんだか自衛隊か軍隊みたいでしたね(全員丸刈りです)。

そうそうそうそう。凄い苦手で、そういうのが。高校が福岡のバリバリの進学校で、なおかつ歴史もある学校でそういうムードがありました。それから逃げ出したくて、こういう映画とか映像の道に逃げ込んだということですね。

―それでは普通の「背広を着たサラリーマン」にはならず?

一回もやったことがない。今でも背広は持ってない(笑)。お葬式用だけです。

―KOO‐KIを立ち上げる前はどんなことをなさっていたんですか?

映像系の大学がたまたま近くにあったもので、そこに入って学生のときからなんとなくもう自分の作品を作って発表するという美術活動みたいなものをやっていました。「映像インスタレーション」というものかなぁ。

―美術展などで見られる映像でしょうか?

そうですね。ああいうものをやっていたら、それを見た大人の人たちが仕事をくれるようになって。学生のときからけっこう稼げていたんです。それで「これ、食えるな」と。だから就職したことがないですね。

―じゃあ、この挫折した主人公とは違いますね。

いやぁ、言うとそれなりに大変だったんですけど。それでもやっぱり好きなことで飯が食えるっていうのは、何をおいても幸せだなと思えるんで、まあ頑張ってこられたかな。

―テレビドラマから映画になったということですが。

もともとは映画作るつもりでやっていたのが頓挫して、僕も一回諦めたんですよ。できないなと思っていたんですが、一緒に準備してきた周りの方々が「ドラマでもいいから形にしよう」と背中を押してくれて。最初に企画を考えて、監督である自分が諦めたのに、そうやって形になってみたら「やっぱりこれは映画なんだよな」と思ったんです。本来ならドラマとして放映したらそこで終わりなんですけど、それを諦めきれず。
だからそういう意味ではこの映画に教えられた部分もあるというか。やっぱり諦めたらそれで終わりだし、諦めなければ望んでいた結果でなくてもどこかに辿りつくんじゃないかと、この映画に後押しされた部分もあります。

―映画とその経緯が似ていますね。

自分を投影しているっていうのは、そうなんですよ。僕は、CMではそこそこある高みまで見たけれど、映画はなかなかできなかったんです。それが今やっとここに辿り着いたので、そこは濱島と近いかもしれない。なんていうかなぁ、一回高みを見てしまうと恥ずかしいことができない。頭を下げて「ほんとにこの映画をやりたいんです」ってお願いするのがなかなか難しかったです。そういう過去をかなぐり捨ててやっているわけです。

―長いドラマを削ったのかなと思っていました。

30分で4話のドラマでしたが、さっき言ったように映画が先で、ドラマとして考えていなかったから4話にするのに切りどころがすごい難しくて削ったんです。地方の深夜枠ですし、視聴率もそんなに良かったわけではないです。あらためて映画に編集するのに、5分くらい足しました。

―これは男性が共感しそうですね。「こんなダメな男がいる、俺はまだましかも」と思ったり「ここまできてもやり直せる」応援歌でもあったり、という。ダメなエピソードがいっぱい出てきますが、どこから集めてこられたんですか?

ダメなエピソードがてんこ盛りです。どこからというと、いろいろあるんですけど(笑)、脚本の金沢知樹がお笑い芸人から入って、今は演劇やテレビの構成作家もやっているような人なんです。彼のパチンコ好きが出ていますね。

―原案は江口監督、脚本は金沢さん。お2人がいろいろやりとりして思いや経験をつめていったと。

僕はパチンコいっさいやりませんから。

―パチンコの場面はあんまりにも子どもが可哀想過ぎて、怒ったお母さんの気持ちがわかります!(監督大笑い)あれだけ粘ったのは、もっと稼いで子どもにプレゼントしたかったってことなんでしょうか?

そういうことです。でもおそらくそれは自分の言い訳で、やっぱり中毒です。でもこれ、九州と沖縄の映画祭に行きましたけど、九州、沖縄には「明日すごく大切なことがあるけど、目の前のお酒とかギャンブルをやってしまう」人、結構いますよ(笑)。「これ、福岡の男だね。こういうの」って言われます(笑)。

―福岡では「のぼせもん」って言いますよね。

そうそうそうそう「のぼせもん」。比較していいのかどうかわかんないですけど、たとえば東北の人は、男が雪かきやらなきゃいけないじゃないですか。そういうこともないですし、女の人が働き者だったりするから、甘えるんでしょう。沖縄にも友達いっぱいいますが、そういう人います。

―それも「人が悪い」わけじゃなくて、そういう性質(たち)なんだなと思います。

人を貶めるようなたちの悪さじゃなくてね。

―そういう甲斐性なしの男を甘やかしているのは女ですね(笑)。

よく九州男児っていいますけど、あれは九州の女がちゃんとしてるってだけの話だな、と僕は思っています。思いながらちゃんとやってます(笑)。濱島の嫁は強いじゃないですか。

―「ローンどうすんの!」って怒っていましたね。野球選手で羽振りのいいときに買ったけど、今は状況が変わってしまって払えない。

これはね、いろいろ調べたんですけど。野球選手はランクによるし、年俸って調子が悪くなったりするとすぐ下がるじゃないですか。ああいう人たちってお金の使い方難しいんでしょう。一個人事業主と変わらないんですよね。

―それなりに準備すればいいのに。

自分の才能や運に溺れすぎて、そういう先々の計画は特に若い時はね。勿論、いつどうなるかわからないからと、ちゃんとしている若い人もいますよ。してない人もいて。

―ずっと野球漬けの日を送ってきて、ちゃんと大人になる経験を積まずに大きくなっちゃって。それが濱島さん。

今の若い選手たちは、そんな先輩たちを見てきているのでさすがにもうちょっとまし。親や先生、周りの大人たちがそういう教育もしますしね。ちょっと前のこの世代の人たちはね。僕は清原と同い年なんですよ。

―お騒がせでしたね。

あの人はほんとそういうとこはダメじゃないですか。才能があったからこそ。(濱島は)そのちっちゃい版みたいなものです。

―子どものことの次に最低と思ったのが、親友を泣かせた不倫です。それだけ色っぽい女性でしたけど。そういう魅力のある女優さんを探されたんですか?

ほとんどオーディションで探しました。あの女性の感じも観る人によっては「博多の女ってこういう感じの人いるよね」です。ダメな人をほっとけないんでしょうね。情が厚いというか。

―ダメにしてきたのは母親からかもしれないです。甘すぎる。

あの母親でしょ、そうですね(笑)。あの母親役をしている人って実は吉川事務所キャスティングディレクターの石垣さんという人です。しかもこの(濱島役の)安部さんが所属していたタレント事務所で、ずっと彼の面倒を見てきた人でもあるんですよ。彼はやめた後だったんですが競輪の映画だっていうことで、お父さんが競輪選手だった彼のことを思い出して呼んできたんです。そういうこともあって、元々彼に愛情もあり、女優さんだった石垣さんがお母さん役になりました。

―男の子って母親にはとっても可愛いんです。

母親って子どもの言ったことをいつまでも覚えているんですよね(笑)。僕の母親は死ぬ間際まで、「昔ハワイに連れて行ってくれるって言ったよね。いつになったら連れてってくれるの」と言ってましたよ。

―ああ、わかります。責めているんじゃなくて、言ってくれたことが嬉しいので、いつまでも大事にしている。
光源氏が理想の女の子を育てようとしたみたいに、母親は息子をいい男に育てたいんですよ。

近いかもしれないですね。育てる原点はそういうところかも。
自分でも好きで、みんなが「いいよね」と言ってくれるところがあります。最後のレースが終わったときに濱島に対する家族の態度が象徴的です。濱島の母親と息子は客席にいて、母親は手を大きく振って、息子は照れもあってちょっと手を上げるだけ。男の子ってそうだよな、と。そして嫁は家のテレビで見ている。


(C)2017 空気/PYLON

―競輪学校の中が知らない世界でとても面白かったです。動画とHPを探しました。

今競輪学校は全国に1校だけで、全国からそこに入ってきます。費用は無料じゃなくて、後で競輪選手になってから返済するようになっているんじゃなかったかな。びっくりしたのは、携帯電話禁止なのでみんなテレホンカード買っているんです。あんなに公衆電話が並んでいるのを久しぶりに見ました。

―あの坂はそばに行ったらすごく急じゃないかと思いますが、安部さんは実際に昇りきったんですか?(後で調べたら傾斜14度あるそうです)

すごい坂ですよ。訓練のためにわざわざ作ったもので、普通あんな坂はありません。撮影のために坂の途中にずーっと立っていたんですけど、立ってるだけできついですよ。変な力が要ります。
安部さんはスタントなしであの坂を昇ったんですよ。最後ぎりぎりだったみたいですけど。

―ライバルに若くてハンサムな久松くん(福山翔大)が選ばれるのは、よくわかったんです。目を引きますし(笑)。濱島役は、みなさん条件をよくわかって応募したのでしょうか?

「40過ぎて鳴かず飛ばずの人」という条件で探しました。虚実ないまぜのキャストにしたかったんです。そしたら安部さんはほんとに昔野球選手を目指していて、お父さんが競輪選手。いろいろダメな人が集まった中で、彼は唯一そのアドバンテージがあったんですけど、最初芝居がいまいちで。僕の望んでいるものではなかったので、2,3回お断りしたんです。でも彼にとっては「こんな巡り会わせはもう二度とない」と、ほんとに泣かれちゃって。困ったなと思ったんだけど(苦笑)、「他の人も含めて1週間後にオーディションするから、ちゃんといろいろ考えておいで」って言ったら、なんか変わったんですよ。

―何か、パチっとスイッチが入ったんでしょうか?

本人と会えばわかるんですけど、普段は全然こんなんじゃなくて(チラシの写真を見ながら)もうちょっと痩せててシュッとしているんです。(撮影のときは)10kg太ってもらったんです。ただちょっとかっこつけていた。それが、自分でも崖っぷちと思ったからか、最後のオーディションのときはなくなっていました。1週間でこんなに変わるなら、1ヶ月でもっと変われるかなと思えたんです。

(もうすぐ時間ですと声がかかって)

―「こんな映画を撮りたい」と思った作品はありますか?

ちっちゃい頃から映画はいろいろ観てきて、当然映画好きな部類だったんだけど、一時期僕は諦めて映画から少し離れていました。直近でいうと、韓国映画にものすごく影響を受けています。この『ガチ星』を考えたころです。『悪いやつら』(2012/ユン・ジョンビン)とかすごく好きで。激しさとテーマ性、エンターテイメントでもあり、世界を意識もしているし。特に、激しさに今までにない揺さぶりを受けました。

―監督さんではどなたがいいですか?

パク・チャヌクと『チェイサー』の人・・・ナ・ホンジン!

―韓国は層が厚いというか、上手い俳優さん多いですよね。

多いですよ。すごい!ほんとに凄い!
だから、せっかくなので安部さんには、最後はそんな韓国映画の俳優のような、格好つけずに激しさをさらけ出せる役者になってほしいなと思いながらやりました。

―今日はありがとうございました。




左からプロデューサーの森川幸治さん、江口カン監督、主演の安部賢一さん(第10回 沖縄国際映画祭)



◆ インタビューを終えて

道に迷って遅れてしまい、慌てて駆けつけたインタビューでした。申し訳なくて今も汗が出ます。
それでもたくさんお話していただきました。江口監督は学生のうちにお仕事を始めて、広告業界で実績をあげて来られた有名な方なのでした。手がけられたCMのいくつかを私も見ていました。そんな方が初めての映画を世に出すためにご苦労されていたと初めて知って、なんだか親近感わいてしまいました。思わず映画友だちと話しているような感じになっていて、書き起こしながら一人赤面しています。
江口監督のTシャツには「もがけッ!」と書かれています。『ガチ星』のために作られた特製シャツでしょう。崖っぷちに来たらもう後はありません。何にでも掴まり、もがいてもがいて生き残れというエールだと解釈しています。「諦めずに続けていれば、どこかに辿りつく」という言葉は何にでも通じることで、私も大切にしていこうと思います。熱っぽく話された韓国映画のお話はもっと伺いたかったです。またぜひ機会がありますように。

(まとめ 白石映子)

スタッフ日記はこちら http://cinemajournal.seesaa.net/article/458944718.html

return to top

本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ: order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。