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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『草原に黄色い花を見つける』
ヴィクター・ヴー監督 来日会見&インタビュー

ヴィクター・ヴー監督 撮影:宮崎暁美

ヴィクター・ヴー(Victor Vu)監督プロフィール

1975年アメリカ 南カリフォルニア州生まれ。ご両親はハノイ出身。ロサンゼルスのロヨラ・メリーマウント大学で映画制作の学位を取得し、ハリウッドで技術者として映画制作に関わる傍ら、映画製作を開始。2003年「First Morning」で長編監督デビューを果たす。2009年からはベトナムへ拠点を移し、毎年1~2本ペースで監督作品をリリース、2012年にベトナムで最優秀監督賞、2013年には最優秀作品賞を受賞。2015年の本作では最優秀監督賞と最優秀作品賞のダブル受賞を果たした。アカデミー賞外国語映画賞ベトナム代表作品になり、このたび日本で初めて劇場公開となった。
11本の監督作品のうち『ソード・オブ・アサシン』(2012)はベトナムで大ヒットし日本でもDVD発売されている。





【作品紹介】

『草原に黄色い花を見つける』
(原題:Tôi thay hoa vàng trên co xanh 英語題:英語題:Yellow Flowers on the Green Grass)


 1980年代後半のベトナム中南部のフーイエン。ティエウとトゥオンは仲の良い兄弟。両親と4人暮らしだ。ティエウはこのごろ近所の幼馴染のムーンが気になっている。学校でもつい目で追ってしまうけれど、内気で話しかけることもできない。
 不幸な目に遭ったムーンをしばらくティエウの家で預かることになった。ティエウはムーンと一日中一緒にいられるので気もそぞろ。けれどもムーンは無邪気なトゥオンとばかり遊んで、ティエウは面白くない。嫉妬にかられてとんでもないことをしてしまった。



(C)2015 Galaxy Media and Entertainment. All rights reserved.

(C)2015 Galaxy Media and Entertainment. All rights reserved.
公式HP http://eiga.com/jump/oCVHT/
★2017年8月19日(土)より新宿武蔵野館ほか全国順次公開

シネジャのブログ記事はこちら
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/452478033.html



【来日会見】7月31日@ベトナム大使館    取材・写真:白石映子

 二晩前に映画を撮り終えて来日したヴィクター・ヴー監督、とても思い入れの深い作品を上映できる喜びと、公開にこぎつけるまでお世話になった人たちへお礼を述べました。花束贈呈に登場したのは女優の中西美帆さん。白地に花の刺繍のアオザイ姿が美しいです。


予告編上映の後、司会者の代表質問と会場からのQ&A。以下監督のコメントです。(通訳:小山さち子さん)


■映画を作るまでの経緯

 この作品は11作目になります。それまではアクションやロマンチックコメディ、ホラーなどの商業作品を作っていました。この映画については以前に一度お話をいただきましたが、これまでの作品とは全く違いますし、そのときはまだ自分でも準備ができていなくて受けませんでした。その後別のプロデューサーからまたこの映画の話がきて、脚本を渡され原作も読んでみました。驚いたことにとてもエモーショナルな作品でした。私はこの主人公たちとは全く違う時代に、ベトナムではなくアメリカで育っているのに、心に訴えるものがあったのです。

 二人の兄弟のストーリーですが、自分にも弟がいていかに弟に意地悪したかということを思い出しました。大人になってなんであんなことをしたのかと思うのですが、そのころは幼くて感情のコントロールができなかったんです。そういうことが蘇ってきました。兄弟の愛情を中心に周囲の人たちを描き、彼らが人生の様々なチャレンジを越えながら成長していく物語ととらえています。


■なぜベトナムで映画を作るようになったのか

 それはとっても長い話になるのです。今日は短いバージョンで話します(笑)。私はアメリカで生まれ育ち映画の勉強をしながら、ベトナム学生協会の会長をしたりして、自分たちの故郷であるベトナムについては高い関心を持っていました。ベトナムの歴史を本で読み、両親からベトナムの英雄の話も聞きました。映画も観ましたが、描かれるのは戦争の話ばかりでした。そんな状況でしたが、私はずっとベトナム人が味わった体験を語りたいと思っていました。
 アメリカでは2作品を作りました。異文化におけるベトナム人家族の葛藤を描いたものと、ベトナムのゴーストストーリーです。3作目をやっとベトナムで作ることができました。
 実際にベトナムに行って長くいればいるほど、本や映画では知りえなかった人々の情熱や温かさを深く感じ、ひらめきをもらうことができました。私は自分とのつながりを感じないとキャラクターを描けないので、ベトナムで映画を撮るというのは自然な流れでした。


■ベトナムの映画事情

(現在ベトナムとの文化交流が少ないのではないかという質問を受けて)

 同意見です。最近のベトナムの映画市場は急成長をとげています。私が来たころに比べ、劇場の数も公開作品の数も興行成績も全く違うマーケットかというくらい違います。毎週1,2作が公開されて非常に競争が激しくなっています。急成長しているのはポジティブに考えられるのですが、いいこともあれば悪いこともあります。8年前に興行成績が100万米ドルあれば、大ヒットでした。今ではその8倍から10倍くらいになっています。出資者やプロデューサーもたくさん生まれています。製作側が商業的な成功の方式ばかり追い求めていて、脚本の良さやが忘れがちになっています。
 この作品は経済的な成功は考えていませんでした。プロデューサーたちも特別な映画を作りたい、ベトナム人の情感に訴える作品にしたいと思っていたのです。それが大ヒットしまして、私たち自身がショックを受けました。スターが出ているとか、カッコいいとか、モダンだとかいうのでなく物語そのものが感動を与えて、お客様を呼ぶことができたというのがとても嬉しいです。社会的、文化的に意義のあるものを作っていくことは大切だと感じました。私たちの映画は政府の援助も受けられましたし、劇場をはじめたくさんの方々に支えられました。きちんとした良い映画を作れば、商業的にも成功できると考えています。


■時代の背景

(ドイモイ政策後をどのように背景に描いているかの質問を受けて)

 この映画政治や経済の問題があまりかぶってこないように心がけました。というのは、田舎の子どもたちの目を通して見えたものを描きたかったからです。


【対談】ヴィクター・ヴー監督×落合賢監督

 日本人で初めてベトナム映画『サイゴン・ボディガード』を監督して大ヒットした落合賢(おちあい けん)監督がゲストで登場。お二人は、この日が初対面ですが、アメリカで映画作りを学んでベトナムで映画を撮ったという共通点があります。



落合監督:東京で生まれ育ったのに、この映画を観て非常に懐かしい感じがしました。個人的な作品とヴー監督が言われましたが、個人的になればなるほど世界共通になるんじゃないかと思いました。僕には兄がいて、幼少のころよくプロレスの技をかけられて泣かされていました(笑)。

ヴー監督:ノスタルジー、そこが一番難しかったです。私にはその時代の体験がありませんが、原作のテーマには、時代や背景を越えた万国共通のエモーショナルな力があります。それを大切にして、ディティールにはこだわりました。観た人が「ここはどうも違う」ということのないように、両親やその時代に生きた人に入念にリサーチをしました。今まではテクニックに凝ったり、ハラハラドキドキさせたりという作品を作ってきましたが、この作品ではシンプルに語ることが心をひきつけること、その力強さを学んだと思います。

落合監督:『サイゴン・ボディガード』を作ったとき制作側からたくさんの注文がつけられました。アクションを増やそうとかコメディにしたいとか。
この『草原に黄色い花を見つける』は文化的な作品で初めて大ヒットし、記録をうちたてた作品と聞いています。映画業界に果たした役割はとても大きいと思います。これからどんな作品を作っていきたいですか?

ヴー監督:この作品を作ることができたのは幸運でした。芸術作品ではないかもしれませんが、感動的な作品ではあると思います。私にとっても大きな自信になりました。もっといろんなジャンルでシネマ体験を拡大していきたいです。私は“誇り高いベトナム人”だと思っているので、ベトナムの良いものをたくさんの人に理解してもらえるような作品を作りたいです。

落合監督:アメリカで映画を学んでいると、日本映画をよく見るんですが、日本の映画で影響を受けた作品はありますか?

ヴー監督:黒澤明監督です。映画の勉強をして初めて小津監督ほか何人かの日本の監督を知りました。ヒッチコックと黒澤明監督の二人から一番感銘を受けました。黒澤監督からは自分の文化歴史について映画を撮っていいんだ、それを世界へ向けて語っていいんだということを学びました。彼は非常にパーソナルでしかもユニバーサルな方だと思います。

落合監督:正直に言って嬉しさと悲しさと半々です。世界での日本映画は黒澤監督で止まっているんですね。今の監督がもっともっと世界に行かなければと思います。



       落合賢監督と握手           結婚して2年目の奥様と



【インタビュー】2017年8月2日@都内ホテル (取材・写真:白石映子、宮崎暁美)

 大阪へ映画宣伝に行かれて戻ったばかりの監督にお話をうかがうことができました。先に会見で主なところを伺っていたので、今度はいろいろ細かいところを質問させていただきました。(通訳:三嶽咲さん)

― この映画はどのくらいの期間、何人のスタッフで作られたのですか?

プリプロ(撮影前の準備)は5ヶ月くらい、製作に6、7ヶ月くらい。2014年の半ば頃に始めて、公開できたのが2015年の10月です。撮影自体は3ヶ月くらいでしたが、編集を何度も重ねたのとポスプロ(撮影後の作業)に長い時間がかかりました。140~160人くらいが関わったと思います。
最初はベトナムで公開されました。その後海外のいろいろなフィルムフェスティバルで上映されました。中国、ロンドン、ドイツ、トロントなど回ってきました。日本については映画祭を通さないで公開する初の海外配給です。

― アメリカとベトナムの映画制作で大きな違いはありますか。

大学で勉強しているときから映画を撮り始めましたが、そのときからいつかベトナムで映画を撮りたいと考えていました。あまり大きな違いは感じません。ただ、作り始めてから今までには、いろいろ変わったことはあります。最初は一緒に作る仲間についてなど、いろいろ制限がありました。ベトナムの映画産業が急速に発展していったので、かなり良くなりました。特に製作のサポートが充実してきました。

― 製作現場ではいかがですか。

同じメンバーで11作やってきましたので、成長してどんどん力強いチームになってきました。ベトナムでは以前いろんな国の人で制作していましたが、今人材はベトナムで揃うようになりました。ベトナムのスタッフはとても仕事が早いんです。
特別な今までにやったことのない新しいものを試したいとき、たとえばアクション監督はロンドンに頼むことはあります。VFXや色の調整などポスプロの部分などは、オンラインでやりとりすることができるようになって便利です。

― 映画の舞台となったフーイエンはベトナムの中ほどにあるんですね(地図を見ながら)。ヴー監督のご両親はどこの出身ですか?(北にあるハノイです、とヴー監督)南にホーチミン(旧サイゴン)があって、こんなに南北に長いと日本もそうですが、言葉が違うのではありませんか?

使っている言葉は同じですが、アクセントが全然違います。ハノイとホーチミンも違いますが、フーイエンもまた違うんです。映画は全国で公開するので、誰でもわかるようにセリフは共通語になっています。

― 3人の子どもたちが出てきます。それぞれ名前がとても短いですが、日本の名前のように何か意味がありますか?たとえば日本では、女の子に優しく可愛く(あってほしい)とか、花の名前などの名前をつけることがあります。

原作の小説からそのまま使っている呼び名ですので、それ自体には特に深い意味はありません。実はベトナム人のフルネームは長くて、4つ5つ繋がっています。フォーマルな時は長い本名を使いますが、普段は呼びやすいように中を省いて短くしています。特に子どもには短い呼び名にしています。私の名前もほんとうはもっと長くて、中の名前は“大きな国”という意味があります。ヴィクターは“勝利”の意味です。
 田舎のほうに行けばやはり親は子どもに期待をこめた名前をつけたがるようです。出世するとか、素晴らしいとか。

― そうですか!タイに比べて短いと思っていましたが、本当は長いんですね。知りませんでした。
監督は兄の立場でティエウに共感したそうですが、観客はそれぞれ自分と重ねて観ているでしょうか。

兄の役割はその目線を通して語ること、そうやって映画が進んでいくので、初めは彼が目立つと思いますが、たぶん観客は弟のトゥオンのほうが好きだと思いますよ。

―これが初めての子どもが主役の映画かと思いますが、子役への演出は難しくありませんでしたか?

驚くことに、大人相手よりやりやすかったですね。子どもたちはたいへんシンプルで、まるで白い紙のようにこちらの言うことを受け取ってくれます。大人のようにテクニックでなく、心で感じて動いてくれるんです。

― 脚本のヴィエト・リンさん()について伺います。 実は彼女が 監督した作品は日本で上映(東京国際女性映画)祭されるたびに観ていて、『アパートメント』の時にインタビューしたこともあります。この作品では共同脚本になっていますが、彼女との連携は?


2002年東京国際女性映画祭で
左から大竹洋子さん、ヴィエト・リン監督、高野悦子さん

元々の脚本を書いたのがリンさんです。最初に読んだときはまだ作れない気がしてお断りしたのですが、数年後に別のプロデューサーが持ってきてくれて、原作も読み、今度は作りたいと引き受けました。原作はたくさんの登場人物がいてそのままではとても長くなってしまうので、リンさんともう一人と私の3人で物語を組み替えて短くしました。彼女と仕事ができたことはとても良かったと思っています。彼女は頭が良い人で、私の映画へのアプローチの仕方を理解してもらえて有難かったです。彼女は今フランスに住んでいます。

― 次の映画はアクション映画と聞きました。

全ての作品は自分の夢見たものです。ひとつのジャンルで作り続けるのが難しくて、ほとんどのジャンルの映画を作ってきました。ついこの前はアクションスリラー、スーパーナチュラルスリラーでしたし、なんでもやっている私はあんまりいい監督じゃないかもしれません。この『草原に黄色い花を見つける』は私のベトナム人の感性、アクションスリラーはアメリカ人の感性で作っているのかなと思います。




《取材を終えて》

ベトナムでヒット作を送り出し続けている気鋭のヴィクター・ヴー監督。今回奥様も来日。ベトナムでの最初の作品の主演女優だったĐinh Ngọc Diệpさん。今も人気の女優さんです。お二人のおしゃれなショートフィルムが動画サイトにあります。
会見のときに「誇り高いベトナム人」と仰っていたのが印象的でした。大国に踏み込まれながら粘り強く闘い、勝ち取った独立や南北ベトナムの統一、近隣諸国との紛争、和解など私の記憶にも刻まれています。苦しい時期を越えて、これからおおいに発展していく国と一緒に映画業界も活況を呈していくのでしょう。落合監督のように日本の若き監督たちも世界へと羽ばたいてください。
写真を撮りながら、8月1日、2日の地震があった話をしていました。関西に出かけていたヴー監督は知らなかったそうですが、なんとその晩に「日本で地震の映画を撮っている夢」を見たのだそうです。これは予知夢?
できれば災害の映画撮影でない再来日をお待ちしています。(白)


この映画を観て、年配の監督が作った作品かなと思ったけど、まだ若い監督が作ったと聞きびっくりしました。そして、インタビュー前日に、脚本がヴィエト・リン監督と知りました。彼女の作品は、東京国際女性映画祭で上映された3作品を観ていましたし、シネマジャーナルでも紹介してきました。彼女の作品は、この作品に通じる、村の中で生きる人々、市井の人々の生活や喜怒哀楽を描いた作品が多く、彼女の脚本だから、こういう作品ができたのかもと思いました。
インタビューで、ヴィクター・ヴー監督が「それまではアクションや ロマンチックコメディ、ホラーなどの商業作品を作っていて、こういう子供を主人公にした作品は初めて」というのを聞いて、原作もあるけど、やはりヴィエト・リン監督の脚本の影響もあるのかなと思いました。(暁)




*シネマジャーナル ヴィエト・リン監督紹介記事

★デビュー作の『旅まわりの一座』(シネマジャーナル24号)。
シネマジャーナルHP 24号 ヴェット・リン監督『旅まわりの一座』テキスト

★『アパートメント』インタビュー記事(48号

★『メタオ』(57号

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