このページはJavaScriptが使われています。
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
チュス・グティエレス監督インタビュー

チュス・グティエレス監督 (撮影:景山咲子)

2017年2月18日(土)よりの公開を機に来日されたチュス・グティエレス監督に3誌合同でお話を伺いました。有楽町スバル座での公開は、3月3日で終了しましたが、まだまだ全国で順次公開されます。

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
原題:Sacromonte: los sabios de la tribu

スペイン、アンダルシア地方グラナダのサクロモンテ地区。
この地には、かつて迫害を受けたロマたちが集い、独自の文化が形成されていった。ロマたちが洞窟で暮らしていたことから洞窟フラメンコが生まれ、その力強く情熱的な踊りや歌に、世界中が熱狂した。隆盛をきわめたサクロモンテだが、1963年の水害により全てを失い、人々は住む場所を追われた。
本作は、失われた黄金時代を生き抜いてきたダンサー、歌い手、ギタリストなどのインタビューや、詩の朗読、力強い舞の数々を通して、世界で最も重要なフラメンコ・コミュニティのルーツと記憶を探るドキュメンタリー。

2014年/スペイン語/94分/カラー/ドキュメンタリー/16:9/ステレオ
配給:アップリンク
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/sacromonte/
★2017年2月18日(土)より、有楽町スバル座、アップリンク渋谷ほか全国順次公開





チュス・グティエレス監督

チュス・グティエレス監督 プロフィール

Chus Gutierrez
1962年、グラナダ生まれ。CMディレクターとしてキャリアをスタート。現在ではスペインの中でも信望が厚く重要な監督の一人である。
子供の頃に初めて両親にタブラオに連れていかれて以来、何度もサクロモンテを訪れ、サンブラと関わり続けている。1995年の『アルマ・ヒターナ/アントニオとルシアの恋』ではサクロモンテの重要なアーティストの協力を得て、非ロマとロマとの共存を描いている。また『世界でいつも…』(2003年)『ヒステリック・マドリッド』(2004年)『デリリオ -歓喜のサルサ-』(2014年)はいずれもラテンビート映画祭で上映された。(公式サイトより)



◎チュス・グティエレス監督インタビュー

◆記憶の中にしかないサクラモンテの共同体

 サクラモンテは、どういう地域ですか?

監督:サクラモンテは、グラナダの地図に、最近まで載っていなかった認知されていない場所でした。1963年の洪水ですべて流されて、その後放置されていて、家のない人が洞窟に入り込んで住んでいました。私が子どもの頃には危険な場所として知られていて、行ったことはありませんでした。
映画に案内役として出てくるクーロ・アルバイシンには、彼がやっていたグラナダの街中のタブラオで12歳の頃に出会いました。まだサクラモンテが荒廃していた時代です。その後、私が10代後半、70年代末か80年代初頭に整備され、タブラオが出来始めたころ、初めてサクラモンテに行きました。
現在は観光名所になっています。洪水前にあった洞窟に住んでいた人たちの共同体自体は、もうなくなり、年配の人たちの記憶の中にしかありません。


クーロ・アルバイシン(左)

 映画の中で、クーロが自分の血について語ったところが特に興味深かったです。800年にわたるイスラーム時代がありましたが、スペインの人たちは自分たちの血について、どのような意識を持っているのか、いつも気になっています。ヒターノに惹かれた監督ご自身は、どのような意識でしょうか?

監督:クーロが語っていたのは、血というか誇りね。スペインには、キリスト教徒、イスラーム教徒、ユダヤ、ヒターノ、あとベルベルもいたわね。いろいろな血が混じっているのがスペインだと思っています。


◆ドキュメンタリーの自由さに惹かれた

 以前のインタビューでは、フィクションが好きと答えておられました。ドキュメンタリーを作りたくなったのは?

監督:なにしろ、私にはいろんな血が流れているから、好奇心が旺盛なので、ドキュメンタリーも作ってみたくなったの! (笑) 興味のある物語があって、ヴィジュアルアーティストとして伝えたいと思ったの。自分にとっては自然な流れでした。ドキュメンタリーというジャンルはとても自由。フィクションは、脚本やロケ地などがあって、それに左右される。ドキュメンタリーは、突然コメディやドラマにでもできて、とても自由。その自由さに惹かれました。

 目覚めたのでしょうか?

監督:いつも本能にあったこと! 機が熟したということだと思います。

 かつてのサクラモンテのコミュニティを知っている人たちが、どんどんあの世に旅立っていることもあって、急いだということもありますか?

監督:もちろんです! 急がなくちゃと思ったけど、お金がなかったので、それとのジレンマがありました。何回かで撮っているのですが、1回目に行った時に、撮りたいと思った絵が撮れてなかったので、2回目に撮影に行った時には、カメラを買って自分でも撮りました。その時に撮った人が次に行った時には亡くなっていて、急がなくちゃと思いました。その後にも二人亡くなっています。



チュス・グティエレス監督

◆事実の中にある感情を伝えたい

 フィクションの中に現実を語ることは考えましたか?

監督:これは絶対ドキュメンタリーでと思いました。フィクションでは不可能。現実はフィクションに勝ると思いました。

 ドキュメンタリーを作るにあたって、場所、音楽、人間を同じ重さに重点を置いていると思いました。最初からそのように設定したのですか?

監督: いいえ。初めて作ったドキュメンタリーで、学びながら作っていきました。構成も撮った素材をみながら編集の時に考えました。重要なのは事実だけでなく、その中にある感情を伝えることだと思いました。

 脚本にクーロさんがクレジットされていますが、ここでいう脚本は?

監督:どういう風に撮っていくかの道筋をクーロさんと一緒に考えました。フィクションだと先に脚本ありきですが、撮ってから、どう構成するかを考えました。

 インタビューの折に、クーロさんの助言はありましたか?

監督:いいえ、それはないです。クーロさんは知識の源泉。皆の連絡先を知っていて、皆にどう接触すればいいかを教えてくれました。構成とクリエイティブな部分は私が考えました。


◆低予算の本作、好きな『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』に似せたくても似ない!

 パフォーマンスの部分はどれ位撮られたのですか?

監督:洞窟の中の部分は一日で撮りました。1回だけ、朝から晩まで撮っていて、最後は死にそうでした。予算がほんとに少なかったので、そうするしかありませんでした。

 好きな音楽ドキュメンタリーは?

監督:『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(監督:ヴィム・ヴェンダース、1999年/ドイツ・アメリカ・フランス・キューバ)は好きで、今回のドキュメンタリーを撮るきっかけになりました。

 似ないようにと気をつけたことは?

監督:あちらの予算は500万ドル、私の予算は5万ドル。心配しなくても似ません。(笑)


◆スペインでは、大人の世界をみながら子どもは育つ

 シモネタがたくさん出てきましたが、子どもがそばにいて大丈夫なのですか?

監督:全然大丈夫! 日本だったらどうかと思うかもですが、スペインでは平気。特に南部では! 2ヶ月の赤ちゃんもそばにいたけど、煙草もスパスパ吸って、朝まで騒いでパーティ。子どもたちも大人の話を皆聞いているけど、それが普通。子どもたちが思春期を迎えて気付くまではわからないだろうと。意味を聞かれて、初めて、わかってきたなと。内容はさておき、質問されたら答える。どういう質問でも! 日本は公私を別にしていて、スペインとは別の文化ね。


◆女性が力を持っても、男のように振る舞わないことが大事

 映画産業に係わる女性たちの会の設立に係わっているそうですね。
ヒターノの女性たちが、結婚制度そのものを否定していることや、因習に縛られていないことが描かれていて、監督はフェミニズム的な考えをお持ちなのですか?

監督:私はそういう目では見なかったです。なぜ、彼女たちがこんなに自由なのかと驚きました。彼女たちは、ヒターノと女性という二重の差別を受けているのに! 驚きから分析して、二つの理由があると思いました。青春時代はフランコ独裁の終わりの頃。抑圧された時代から民主化されて、急に解放された時代。もう一つは、彼女たちはアーティストで、自分たちで仕事をして自立しているということ。それが自由の根源だと思いました。

 スペインでは女性監督は少なくて、スペインの映画産業は男性中心なのでしょうか?  (この質問と前の質問は、私ではなく、男性のライターさんからのもの)

監督:もちろんそうです。でも、それってスペインだけじゃなくて、ヨーロッパもアメリカも全世界がそうでしょう! 男社会で、女性監督は1割位。男女平等とかいっても、中味は変わってない。映画も、男が主役というのを、どうやったら変えられるか? まだ何も変わってないというのが女性たちの本心。男性中心なのを変えていくと同時に、権力を持った女たちが男のように振舞わないことも大事。

 次はどんな作品を?

監督:ドキュメンタリーに行ってしまったら、自由を感じてしまって、しばらく劇映画には戻れないわね。映画業界に怒っていることもあるので、今度は映画じゃなくてテレビシリーズで考えています。


*****

★取材を終えて

とにかく、好奇心旺盛で精力的な監督に圧倒されました。映画業界に対して、どういうことで怒っているのかまでは、突っ込んで伺う時間がなかったのですが、いつかまた映画を作ってくださることを期待したいです。

私が初めてグラナダを訪れたのは、1982年。アルハンブラ宮殿からサクラモンテのあるアルバイシン地区を眺め、心惹かれました。数年後、アルバイシン地区を歩いたこともあって、映画を観て、懐かしく思い出しました。
スペインには、800年にわたるイスラーム時代がありましたが、建物には、あきらかにイスラーム文化の痕跡があるけれど、実際、スペインの人たちは、アラブ支配時代をどのように考えているのか、また、自分たちの血について、どのような意識を持っているのか、いつも気になっていました。というのも、スペイン各地を旅して、レコンキスタに功績のあった人たちの肖像が掲げられていることも時折観かけたからです。
監督からは、いろんな血が混じっているのがスペインという言葉をいただきました。もちろん、個人個人で意識は違うという注釈付です。
レコンキスタでアラブとユダヤの人たちが追い出されたのに、ヒターノの人たちが差別を受けながらも自分たちの文化を守りながら住み続けていることにも興味津々です。 今はなくなってしまった伝統的なコミュニティの記録を映画に留めてくださった監督に感謝です。

取材:景山咲子

return to top

本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ: order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。