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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『娘よ』  アフィア・ナサニエル監督インタビュー

アフィア・ナサニエル監督 撮影:宮崎暁美
昨年9月、「あいち国際女性映画祭2016」で『Daughter』の英題で上映された折に初来日されたアフィア・ナサニエル監督。パキスタン映画として日本で初めて一般公開されることになり、再来日され、お話を伺う機会をいただきました。

『娘よ』  原題:Dukhtar

パキスタン北部の争いの絶えない部族社会。死には死の連鎖を断つ為、10歳の娘ザイナブを敵対する部族の長老に嫁がせることになる。自らも15歳の時に部族対立を鎮めるため嫁がされた母アッララキ。娘の人生はこれで終わってしまうと、結婚式の朝、娘を連れて決死の逃避行を敢行する。二人はトラックの荷台に忍び込む。運転手のソハイルは、追っ手に見つかれば自身にも身の危険が及ぶのを承知で二人を助ける・・・


監督・脚本・プロデュース:アフィア・ナサニエル
出演:サミア・ムムターズ、セーレハ・アーレフ、モヒブ・ミルザー
2014年/パキスタン・米国・ノルウェー/デジタル/93分
配給:パンドラ
公式サイト:http://www.musumeyo.com/
★2017年3月25日(土)岩波ホールにて公開

アフィア・ナサニエル監督 プロフィール


アフィア・ナサニエル監督
撮影:景山咲子

Afia Nathaniel
 1974年8月28日、パキスタン西北、アフガニスタンと の国境に近い大都市クエッタに生まれる。ラホールの大学で学び、国際機関で数年働いた後、 2006年、米国コロンビア大学大学院映画学科を卒業。コンピュータ・サイエンティストから映画製作の道を歩むようになった独自の経歴の持ち主である。
 短編数本発表後、長編劇映画監督デビューである本作『娘 よ』で、2015年米国アカデミー賞外国語映画部門のパキスタン代表作に選ばれる、という快挙を成し遂げ、将来を嘱望されている。
 現在はコロンビア大学でシナリオライティングの教鞭を取 り、ニューヨークを拠点に、米国とパキスタンで監督志望の学生の指導にもあたっている。なお、本作はパキスタン有数のスタッフに加えて、監督が現在活動の ベースにしている米国からも参加し、パキスタンと米国とのコラボ作品となっている。(公式サイトより)

◎インタビュー

2誌合同の取材で、日本パキスタン協会事務局の高安幸子さんにも同席をお願いしました。

                 K: シネマジャーナル 景山
                 T: 日本パキスタン協会事務局 高安
                 N: もう一誌のライターの方


まずは、2016年9月のあいち国際女性映画祭で来日された折の記事を掲載したシネマジャーナル98号を執筆した宮崎暁美より差し上げました。


◆娘を連れて逃げた母親の実話に触発された

K: 母親が娘に幸せな人生をおくってほしいと思う気持ちが、カラコロムのダイナミックな風景を背景に描かれていて、素晴らしかったです。少女婚など、女性が虐げられている様子が伺えますが、これがパキスタンの女性すべての置かれた状況でないことは、この映画の監督が女性であることで明白だと思います。
パキスタンには、これまでに3回行ったことがあって、地域や民族によって言葉も慣習も違うことを体験しました。『娘よ』はパシュトゥーン族の物語ですが、ペシャーワルのパシュトゥーン人の友人宅を訪れた時に、私が女性なので家の中に入って女性たちに会うことができたのですが、それでも奥様や女性たちの写真を「自分たちの掟だから」と撮らせて貰えませんでした。(注:家族以外の男性に顔を見せてはいけない為) パキスタンの中でもパシュトゥーン族が女性隔離の慣習の強い人たちだと実感しました。
監督はクエッタ生まれとのことですが、ご両親の民族的背景を教えていただけますか? (クエッタは、住民の多くがパシュトゥーン人なので、あえて聞いてみました。)

監督: 母方はパシュトゥーン、父方はグジャラティーで、私はハーフ。とても不思議な家族です。父方の祖父が貿易商をしていて、インドのグジャラート州からクエッタにやってきました。ビジネスに長けたコミュニティー出身でした。
私はクエッタで生まれましたが、小さい時にラホールに引越したので、教育はラホールで受けました。子ども時代の記憶はラホールが強いです。

K: 今回、初監督作品に固有の慣習と掟を持つパシュトゥーン族を取り上げた経緯についてお聞かせください。

監督: 1999年に聞いた感動的な実話が元になっています。少女婚をさせないために二人の幼い娘を連れて逃亡したお母さんの話で、どうして夫の元から逃げようと思ったのだろうか、どんな風に逃亡したの?と想像を巡らしていく中で、フィクションですが物語を書き始めました。
パキスタンでは女性が虐げられているケースが多いのですが、私の家族は女性が多くて、とても強いので、母親が自由や人権を求めて行動を起こしたことに興味を持って考え始めたのが、私の初めての映画のスタートでした。



© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC

◆第1夫人が逃亡を助けるはずだった

T: ずっと大昔、40年以上前にパキスタンからアフガニスタンにツアーで行ったことがあって、カイバル峠経由アフガニスタンに向かうときに、ここから先は道路から一歩はずれたら、パキスタンのルールは通用しないパシュトゥーンの地域だと警告されました。でも、パキスタンもアフガニスタンも楽しくて、パシュトゥーンの人たちに興味を持って、帰ってきてから数人でパシュトゥーンについて書かれた本の読書会をしました。
部族社会は男性優位で家族の結びつきも強くて、塀で囲った敷地に大家族で住んでいると思っていましたが、あの家族は3人暮らしのようで、族長の弟は出てきましたが息子らしき人はいませんでした。族長は若くないし、あの奥さんだけとは思えないのですが、映画に出ていないところでの彼の家族関係について、監督はどのように設定していらっしゃるのでしょうか。


アフィア・ナサニエル監督
撮影:宮崎暁美

監督: あの家族は部族出身だけど、一家族がちょっと離れたところに住んでいる設定です。100%現状を再現していない部分があります。実はアッララキは2番目の妻。第1夫人がアッララキの逃亡を助ける話だったのに、撮影の時に、1番目の妻役の女優さんが来なかったのです。カットせざるを得ませんでした。

T: 女性がほかにあんまり出てこなかったので、その話が入れられなかったのは残念ですね。

監督: 女性どうしは大変な中でも助け合うことを盛り込みたかったのですが、ロケ地が町から3日もかかる場所で、しかもロードムービーなので移動しなくてはなりませんので、第1夫人役の方が来るのを待っているわけにもいかなくて諦めました。

T: トラック運転手の身の上話の中で、バザールで女性の手を見て惹かれてついて行った、というところが印象的でした。映画の中でも、部族地域では女性の姿はほとんどありませんでしたが、男性社会の中で、見えない部分での女性の力を感じるあの話を入れた意図をお聞きしたいです。

監督: トラックのドライバーの性格を表わすのに、あの回想を語るシーンをいれました。パシュトゥーンの女性は普段、外出先では顔や身体を覆っていますが、バザールなどでは買い物をする時に手をちらっと見せることもあります。顔は見ていないのに、手を見ただけで恋に落ちて彼女についていってしまうような、新しいことを怖がらずに挑戦する人物であることを描きたかったのです。



© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC

◆民話や音楽、すべてオリジナル

K: プレス資料にパキスタン事情を書いた村山和之さんからの質問なのですが、カーブル川とインダス河の話は、実在する民話なのですか? だとしたらどこの民話でしょうか?

監督: (笑って)さすが、ばれましたね。 100% 私のフィクションです! パキスタンの民話の中には実らない愛の話はたくさんあるのですが、今回の話は同じようなエッセンスを残して私自身が作りました。実際に、カーブル川とインダス河が交わるところで撮影したかったのですが、セキュリティの問題があって撮れませんでした。

K: こちらも、村山和之さんからの質問なのですが、挿入されていた歌が、場面と関係した内容だったと思います。ウルドゥー語と古典歌謡でも用いられる古いヒンディー語(プールヴィー)だと思うのですが、その使い方の意図が気になるとのことです。

監督: 今回の音楽は、すべてこの映画のために作ったオリジナルのもので、言語はウルドゥー語です。パキスタンでもインドの映画の影響を受けていて、音楽がいいと観に行く傾向があります。サントラを事前にリリースして、何度も流し、馴染んだ頃に映画が公開され、映画館に足を運ぶという感じです。
もともと映画では男性が歌うカウワーリーがよく使われます。今回は、有名な女性のアーティストが歌うことで、メッセージ性の強いものになりました。映画と同時に音楽も楽しんでくれて、大ヒットになりました。

K: 場面にマッチして、とても素敵な音楽でした。

監督: 編集の段階で、なんとなくこんな感じという音楽を入れて、あとは作曲家に映画の意味とメッセージを伝えて音楽をつけてもらいました。シーンとフィットしていたと言われて嬉しいです。
最後の曲は、二人の女性歌手が歌っています。一人は母、もう一人は娘くらいの年齢の方にお願いしました。フルートの音色を入れて、お母さんが戻ってくるという象徴にしています。母と娘の子守唄的な歌になっています。



© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC

◆6歳の娘が編集を手助けしてくれた

N: 構想から映画化までに10年かかったとのこと、脚本を手がけている途中で母親になられて、脚本に変化があったのでしょうか?

監督: 10年かかったメインの理由は資金集めが大変だったからです。主人公が女性、監督も女性で、しかも初めての監督作品。アメリカに住んでいたのですが、パキスタンで撮ろうとしたのも、アメリカにとっては悪いイメージがあって資金が集まりませんでした。パキスタン側からも、強い男性のヒーローが出てこないし、綺麗な女性も出ていないといわれました。女性が主人公なのも珍しいと、資金集めに8年かかりました。
脚本を書いたときには独身でした。いつか映画にできればと思っているうちに結婚して、娘が出来て母になって、この映画を作る大切さを再認識して、世に出して観てもらいたいと思うようになりました。娘が希望になって、諦めないで頑張ろうと思いました。資金が集まって撮影して、編集作業の時には、娘は6歳。見せながら編集しました。

N: お嬢さんは、どの場面が好きだと言ってましたか?

監督: 英語のレッスンの put と but のシーンが大好きで、何度も見せてというので、いろんなバージョンを見せて、娘に好きなバージョンを選んでもらいました。彼女にとっても働く母の姿を見てもらえていい経験になったと思います。ですので、娘が最初の観客です。

N: 娘さんはどんな風に映画をご覧になりましたか?

監督: 6歳の時には、映画すべては見せませんでした。 お母さんと一緒に英語の勉強をする場面や、お母さんが娘を連れて逃げる場面を見せました。8歳の時に、映画すべてを見せました。理解したかどうかはわかりません。今、アメリカに住んでいて、「スター・ウォーズ」シリーズが大好きです。



© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC

◆多くの女性が映画館に足を運んでくれた

N: パキスタン国内でどういうリアクションがありましたか?


アフィア・ナサニエル監督
撮影:宮崎暁美

監督: 2014年に、トロント映画祭でワールドプレミアで上映された時、評価が高く、もっと上映回数を増やしてくださいと言われました。その後、国内で公開しました。そっちの方がほんとにチャレンジでした。公開されてみると、ハリウッドやボリウッドの大作も上映されていたにもかかわらず、4週間毎日劇場で上映してもらえました。それはパキスタンではすごいことです。女性が映画館に行くのは珍しいのに、おばあちゃんが孫を連れていくとか、多くの女性が足を運んでくれました。新しいタイプの映画だけど、皆に受け入れられたという実感があります。

N: 何か具体的に印象深いコメントはありますか?

監督: 多くのパキスタンでかかる映画は思い切りハッピーエンドです。『娘よ』は、新しい試みで、エンディングが希望があるような無いような映画で、観る人によって解釈が違います。あの後、どうなったのか知りたがりました。希望があるの?絶望的なの?と。お母さんが亡くなったと思う人と、亡くなってないと思う人の両方がいます。観た人に考えてほしかったのですが、私は希望の種を残す描き方をしました。

N: お母さんが亡くなったので、悲しすぎるなと思いました。

K: 私は亡くなってないと思いました。

監督: 私の中ではお母さんは亡くなってなくて、希望を残しています。 冒頭と最後が同じです。お母さんのスピリチュアルな世界を描いています。始まりと終わりが一体になっています。スピリチュアルな世界から現世に戻ってきたという雰囲気で描いています。


◆賛否両論のパシュトゥーン族の男たち

K: パシュトゥーンの男性が観てくれたのか、そして、どう思ったかが気になります。

監督: 映画はウルドゥー語。パシュトゥーンは言語が違うので、どれだけわかっていただけたかどうかです。公開の後、テレビやネットでも観られるようになりました。パシュトゥー語で字幕をつけても読めない人もいます。
一方で、映画のシーンでも、娘が母親に「勉強をやめて早くテレビを観ようよ」という場面があります。パシュトゥーンの女性たちは学校に行ってなくてもテレビでウルドゥー語を学んで、結構わかっています。撮影の為にロケハンで小さな村に行った時もウルドゥーがよくわかっていて、上手に話せるので感動しました。そんなことがあったので、「早くドラマを観たい」というシーンも入れることにしたのです。
パシュトゥーンの男性は、二手の意見に分かれます。この映画に賛同する人と、ネガティブな意見と両方あります。部族的に名誉を傷つけられるのをすごく嫌う人たちですので、少女婚の実態を描いて名誉を傷つけられたと思う人も多いです。
マララ・ユースフザイさんのお父さんもパシュトゥーンですが、自分の娘に女性なのにちゃんと教育を受けさせています。前進的な男性と、古い考えに固執する男性の両方がいます。今、変わろうとしている層もいます。いろんな年代で心や理念の問題があります。若い男性でも伝統を守るべきという人もいます。年齢の高い人でも、変えていかなければという考え方の人もいます。

K: ご主人の反応はいかがでしたか?

監督: 夫はインド人でムスリムでもないのですが、映画を作り上げるプロセスでずっとサポートしてくれました。2012年ごろ、当時ニューヨークにいたのですが、映画を撮るのは無理かなと諦めかけていたら、夫から早く荷造りして、幼い娘を置いてパキスタンに行ってどうにかしてきなさいと言われました。彼がいなかったら、『娘よ』は出来上がっていませんでした。完成した映画を観て、とても誇りに思ってくれていると思います。



© 2014-2016 Dukhtar Productions, LLC

◆理数系専攻から映像の世界へ

N: 元々、コンピューター関係の仕事に就かれていましたが、なぜ映画の道に?

監督: 子どもの頃から本を読んだり、詩を書いたりするのが好きでした。ストーリーテラーだと思っていました。でも、パキスタンでは、理数系が得意だとそちらの勉強をするように薦められます。道が決められてしまって、コンピューターサイエンスの勉強をして仕事に就きました。広告代理店に勤めて、テレビやラジオや新聞のCMを作っていたのですが、こういう仕事がやりたかったのだと気づきました。それから2年間、スイスのジュネーブでNGOのインターンとして仕事をしながら、独学で写真や映画を学びました。その後、コロンビア大学の奨学金を得て、専門的に映像の勉強をしました。

N: 影響を受けた映画監督や作品がありましたら教えてください。

監督:スタンリー・キューブリック監督の『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』、黒澤明監督の『生きる』『羅生門』が好きです。二人は違うタイプの監督だけど、人物像をきめ細かく描いていている印象があって、そこに感銘を受けました。

K: 次の作品はどんな物語を考えていらっしゃいますか?

監督: まだまだ構想を練っている段階です。

全員: 楽しみにお待ちしています。本日はありがとうございました。


アフィア・ナサニエル監督 撮影:景山咲子
アフィア・ナサニエル監督 撮影:景山咲子

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☆取材を終えて

 華奢な身体に、パワーを秘めた監督。この映画が女性を束縛する伝統を変えていく一助になればという監督の思いを感じたひと時でした。パシュトゥーン族は女性隔離の慣習の強い部族で、女性たちは家族以外の男に顔を見せることはなかなかありません。結婚式で相手の顔を初めて見たという話もよく聞きました。一方で、パキスタンには女性の大統領もいたし、福岡アジア文化賞を受賞した建築家もいます。すべての女性が自由を手にすることを願うばかりです。(咲)

 去年、SKIPシティ国際Dシネマ映画祭で上映された『タンナ』はバヌアツで部族間争いを治めるため敵対する部族の族長の息子と結婚させられそうになり、恋人と駆け落ちする話でしたが、どちらも遠い過去の話ではありません。でも、パキスタンでたくさんの女性たちがこの映画を観に映画館に行ったという話を聞いて希望はあると思いました。(暁)

2016あいち国際女性映画祭にて
2016あいち国際女性映画祭にて 撮影:宮崎暁美

取材:景山咲子(文)、宮崎暁美(写真)

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