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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ふたりの桃源郷』
佐々木聰監督インタビュー

佐々木聰監督 撮影:宮崎暁美

山口県岩国市美和町の電気も水道もない山奥で暮らす田中寅夫さん・フサコさん夫妻。戦争で焼け出されたふたりは、農地改革で売り出された山あいの土地を買って、自分たちの手で畑を耕し、薪を集めて、自給自足の生活をしてきました。その後、大阪に移り住み、寅夫さんはタクシー運転手をしながら3人の娘たちを育て上げます。子育てを終えた寅夫さん夫婦は、18年ぶりに山に帰る決意をします。再び、電気も水道もないけれど、大自然に囲まれた暮らし。
自給自足していた二人にも、やがて老いが訪れます。山のふもとの老人ホームに入りますが、「テレビを観てばかりいるとボケる」と、寅夫さんは軽トラックを自分で運転して30分かけて山に入り、フサコさんと畑仕事。時折、3人の娘たちも夫婦で山を訪れます。
こんな寅夫さんたちの家族を、山口放送は足かけ25年にわたって追い、テレビの人気ドキュメンタリーシリーズ「ふたりの桃源郷」として、短いものから1時間ほどの長いものまで何度も放映してきました。これまで撮りためたものをもとに、さらに取材して映画化した佐々木聰監督にお話をお伺いしました。



佐々木聰監督

*佐々木聰監督プロフィール*

昭和46年5月5日生まれ、44歳。山口県出身。平成7年に山口放送入社後、制作ディレクター・報道記者を経て平成19年よりテレビ制作部配属。情報番組を担当する傍ら、ドキュメンタリーを制作する。平成22年放送文化基金賞(放送文化 個人・グループの部)、文化庁 平成27年度(第66回)芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。制作した主な番組に「奥底の悲しみ」シリーズ〈日本放送文化大賞グランプリ、民放連賞(報道)最優秀賞、文化庁芸術祭優秀賞〉、「笑って泣いて寄り添って」シリーズ〈文化庁芸術祭優秀賞、民放連賞(放送と公共性)最優秀賞、日本放送文化大賞グランプリ候補〉、「20ヘクタールの希望」シリーズ〈民放連賞(報道)優秀賞、ギャラクシー賞選奨〉ほか。




*作品データ*

『ふたりの桃源郷』
監督:佐々木聰
ナレーション: 吉岡秀隆

製作著作:山口放送
協力:日本テレビ系列 NNNドキュメント
配給協力:ウッキー・プロダクション
2016年/87分/カラー/HD/日本/ドキュメンタリー
公式サイト:http://kry.co.jp/movie/tougenkyou/
★2016年5月14日(土)よりポレポレ東中野(東京)、山口県内ほか全国順次公開




◎佐々木聰監督インタビュー

聞き手: 宮崎暁美(M) 景山咲子(K)

◆偶然配属された制作部門で先輩の撮った「ふたりの桃源郷」に出会う

: 「寅夫さんとフサコさんに初めて出会ったのは、ブラウン管の中でした」とプレス資料にありましたが、それは佐々木監督が何歳ぐらいの時だったのでしょうか?

監督:山口放送に入社して1年後くらいのころで、24~5歳の頃です。ドキュメンタリー番組制作の参考に十数本観た中の1本でした。素敵な人たちだなと思った程度でした。5~6年経って、自分が制作者として、どうしていくかというために自分の糧にしたいと、いろいろ観る中でもう一度観る機会がありました。制作した先輩は取材をやめていて、二人のその後を撮ってなくて、今どうしているのかな、お会いしたいなぁ~と、気になりました。山口放送はドキュメンタリーが好きというのを、実は知らずに入社したんです。テレビ局志望でもなかったんです。

: もともと映像の世界を目指していたのではないのですか?

監督:大学で東京に出たものの、電車に乗るのも難しくて、故郷に戻ろうと、山口で就職先を探しました。銀行と山口放送のどちらにするか最後まで迷いました。東京でもいろんな業種を受けたのですが、業種じゃないな、自分には東京は無理だとUターン就職を決めました。

: 山口放送では、制作部門を希望されたのですか?

監督:いえ、営業志望でした。大学で経営学部でしたし。それが制作に配属されたのは偶然です。

: 志望していても叶わない人が多いですよね。


◆二人に会いたくて山に通い続けた

監督:まわりは、もともと制作希望者ばかり。大変でしたよ。半年で10キロ痩せました。夏くらいから合わないので辞めようと公務員試験を受けるために、本気で問題集も買って勉強していました。そんな時に祖母が亡くなって、人間死ぬんだなと初めてわかって、本気で仕事と向き合おうと思いました。そうなると面白くなってきて、そんな時にもう一度番組を観て、素敵だなと。そして、上司からドキュメンタリーをやると言われて、本気で10~20本 もう一度観てみました。そんな中で、二人は大丈夫かなと気になりました。その後、祖父も亡くなり、よけいに二人に会いたくなりました。 お会いすると、独特のおじいちゃんの手ざわりや語り口に、あそこに行けば出会える。かなりよぼよぼになられていたけど、昔と同じ思いを持って山で暮らしていらっしゃることの凄みを感じました。生き様を段々感じるようになって、すごいと感じたことを視聴者に届けたいと思うようになりました。

:撮り始めた時に、寅夫さんとフサコさんを最期まで見送ることになると思っていましたか?

監督: いいえ。二人を看取るために撮り続けたのではなく、記録させていただこうという思いでした。ドキュメンタリー番組を作る為の取材ではなくて、日々の暮らしをニュースとして2~3分とか5分とか短い時間で流していました。素材が多くなって、それをまとめて30分、またその後、季節季節に会いに行って、次に1時間の番組にしました。地区のニュースとしても流していましたから、短いものも含めて何十回と放送しています。視聴者の反響もよくて、その先が観たいということもあったのですが、なによりも自分たちが二人にお会いしたいという思いで続けました。行けば行ったで、二人が強く何か言ってくるのではなくて、二人やご家族から教えられるものがたくさんありました。そういう体験が出来るので、また取材したいという繰り返しでした。
病気になった時、病気から復活された時と、行くたびに撮影させていただく場面は違うのですが、それぞれに何かを考えさせて貰えるんですね。振りかえってみれば、生き様をすごいと思って映していたのだなと思います。


◆自分にとって大切な人のいるところが桃源郷と気づく

:『ふたりの桃源郷』 というタイトルは最初から付けられていたのですか?

監督:実は、『ふたりの桃源郷』 は、先輩が作ったときの上司の女性プロデューサーが付けたタイトルです。最初、山のことを表現していると思ったけど、通ってみると違うなと。付けた方も山を表現したのかもしれないのですが、今は違ってきました。このドキュメンタリーを観た皆さんの心震えるところは、皆、それぞれ違う。普通、映画だと起承転結があるのですが、この映画の場合、そうじゃない。面白いのは、映画の感想を書いたあと、皆さん、自分の家族との関係など自分のことを書いてくるんです。

:私も4人姉妹で、去年母を亡くしたのですが、同じように姉妹で母を看てきましたので、オーバーラップして観ました。

監督:似た境遇だと同じように思うし、皆さんそれぞれ違って、彼女のこと、遠く離れた兄弟のことなどを思いながら観たようです。二人の生き様を観ながら、自分にとって大事なもの、大事な空間を見つけているんだなと。それが桃源郷だなと。そこを見詰めなおすきっかけにしてほしいなと思います。


佐々木聰監督

:若い人が観れば老後のことを思うし、すでに老後の人が見れば、自分の最期も見据えるかもしれないと、年代によって観ながら思うことが違うと思いました。 テレビと映画では見せ方が違うと言われます。撮りためたものを、映画としてまとめる時、どんなことに気を遣われましたか?

監督:映画って、すごいことをしなくちゃいけないのかなと思いながら、作業を始めたのですが、繰り返しやっているうちに、元に戻る。最終的に、作っちゃ駄目、こう観てほしいとやりすぎちゃ駄目。自分も家族とオーバーラップしながら取材を続けてきたので、それを大事にしないといけない。こっち側がこう観てほしいと作ると共感できない人もいます。そのままを届けたい。映画だからと気負っちゃいけないし、作り過ぎちゃいけない。そう思い始めると、どんどん減っていくんです。原稿も、台本も、できるだけ少なくしました。一つのシーンが短いので説明した方がいいとナレーションを入れていましたが、そのナレーションもなくてもいい。空間にも思いを持って観てくださると思いました。

:入れたかったけれど、削らなくてはいけない場面もあったと思います。

監督:何十時間になってしまいますからね。ある程度整理して、入れたいものは入れたかなと思います。

:満足のいく最終バージョンですね。

監督:まだ最終じゃないんです。まだ取材は続きますので。

:サイクルをすごく感じました。お二人が亡くなられたあと、今は三女のご夫婦が山で暮らしていて、人間、繰り返しで生きて行くことを感じます。長女の方はお母様そっくりだし。 人間、繰り返し繰り返しで、自分たちの今があるのだと思いました。

監督:繰り返しなのですよね。それを親子で教えてくれる。両親と同じように、三女ご夫妻が山を綺麗にして暮らしていて崇高な感じがします。


◆自分たちは観れないテレビ番組のために撮影を快諾してくれた二人

:映像に撮られるのをいやがる人もいますが、お二人や家族は、カメラで撮られて放映されることを嫌がられなかったのでしょうか?

監督:最初お会いしたころには、山には電気もないのでテレビが観られません。役に立てるならと、それ以上聞かないで、心から受け入れてくださいました。こちらもお会いするのが嬉しくて取材に行く。時間を共有することを喜んでくださいました。カメラを持っていても、持ってなくても、取材も三人で行こうが、二人で行こうが、一人で行こうが、喜んでくださいました。

:一緒に畑仕事をされたりしたのですか?

監督:行って見ていると、自分も畑仕事をしたくなる。いろんなことがなかなかうまくいかないんです。薪割り一つにしても大変。時間がかかる。今日はこんにゃくを作るといって、こんにゃくを掘るところから始まる。夕方になってしまって、お昼に一緒に食べようと言っていたのに、こんにゃくができない。翌々日にようやくできる。もちろん撮影もするのですけど、一緒にやることで、いろいろなことを考えさせてくれるんですね。

:あの場所は下の町から車で30分くらいの距離ですね。私が『ふたりの桃源郷』というタイルに惹かれたのは、私自身、山里での暮らしに憧れて、白馬で5年暮らしたこともあるからです。山の恵み、山菜や秋の木の実など、そういったものに憧れていたので、二人も山に行ったのは、単に畑だけでなくて、山の恵みや、鳥の声など自然の中で暮らす嬉しさがあったからではないかなと思っていました。なので、山菜やきのこ獲りなどのシーンとかが、もう少しあればよかったなと思いました。でも、春が来て鶯の鳴き声が聞こえるところとか、山里に暮らす空気感がとてもよかったと思います。そういう場所なんだということが伝わってきました。

監督:カットしたというのは、そういうところだったかなと思いますね。

:最後、家族に囲まれて暮らしているところが桃源郷なのだなと理解できて感動的でした。テレビだと山口に住んでいる方しか観ることができないけれど、映画だと日本全国の人も観ることができる。いい作品だなと思います。

監督:ありがとうございます。


◆戦後、入手できたのが山の中の開拓地だった

:大阪でタクシー運転手を18年していた経験があるので、年を取っても運転をされていますが、普通の人だと、あの年で山道を運転するのは大変だなと思いました。

監督:山道を最後の頃まで自分で運転されていました。山の土地は全く自分たちで開墾したのではなくて、農地として開拓されていたところです。戦後、農地開放で売り出されて、新しく入ってきた人たちに提供されたのが、あのような辺鄙なところでした。山口県だけじゃなくて中国地方では、外地から引き揚げてきて、山の中に入植した方々が結構います。

:再入植した時には車があったからいいけれど、最初は車もなかったから大変だったのではないでしょうか?

監督:最初の時もトラックはありました。やはり必要だったのでしょうね。

:古いバスを寝室にされていてユニークでしたね。

監督:あのバスも、山道を村の人たちが押してあそこまであげました。小屋も何回か建て替えています。

:湧水で洗ったり、蒔を運んで割ったり、大変だけど自然の営み。それが嫌で都会に出る人もいれば、田舎に戻る人もいる。かなりの力仕事ですけど、65歳過ぎて80代後半まで凄いなと思いました。

監督:寅夫さんが還暦過ぎて、たまたま戻ったのがあそこだったと理解しています。生活であり、自分のやりたいことだったと思います。平場の農地が手に入ったら、そこで同じように土に生きて過ごしたと思います。あそこだから、山菜や自然の恵みを受け入れながら、すべてをあそこに注いで暮らしてきたと思います。


◆最期まで山を愛して通われた二人

:おじいさんが帰ってこなかった時、おばあさんが澄んだ大きな声で呼びかけていました。歌もお上手。声量もあって、山に響く声ですね。私も山の恵みを獲りに行く時には、迷わないよう目印をつけたりするのですが、車の音や、人の声で方向を判断します。

:寅夫さんが亡くなられたことを、ご家族の方は知らせると撮りにきてもらいたいと思われてもと遠慮されたと聞いて、取材のタイミングはとても難しいと思いました。 フサコさんが亡なられた時には、必ずお知らせしてほしいとお願いされていたのでしょうか?

監督:おじいさんが亡くなられた時は、もうかなり具合が悪いと知っていたのですが、3~4本、仕上げの時期で、わかっていたのに行けませんでした。忙しくなければ、毎週行ったといます。

:あの山には、どのくらいで行けるのですか?

監督:山口放送は周南市(旧:徳山市)にあって、車で1時間半くらいで駆けつけられます。おばあさんの時には、具体が悪くなられてから何度か行きました。看取りたかったわけでもないのですが。知っていても、お葬式を撮りたいというわけでもない。撮影するのと、臨席するのはまた違います。

:三女ご夫婦が引き継いで山にいらっしゃいますね。

監督:年に2回くらいは、ローカルの方には10分位でお伝えしています。

:娘さんたちも最初は両親に山から下りろと言っていたのに、リタイアして三女のご夫婦があそこで暮らしていますね。ほかの娘さんたちも別々のところに暮らしていても、時々、山に集まっていていいですね。

監督:昔は生まれたところを離れなかっただろうけれど、今は必ずしもそうではありません。別の取材でも、それを強く感じています。

:二人が仲睦まじくて、私自身も若い頃は、年を取ったらおじいちゃんと手を取りあってと思っていたのですが、残念ながら結婚しなかったので、お二人がうらやましく思いました。家族がいるのっていいなと思いました。父は93歳ですけど、元気です。でもいつかは亡くなるのだろうなと覚悟もしないといけないと思いながら映画を観ました。人間いつかは死ぬということを突き付けられました。

:腰が曲がっても山菜取りなどをされていて。テレビを観ているばかりじゃボケてしまうと、特養から山に通われる。生き甲斐があると、長生きできるなと思いました。


◆初試写会で、テレビでは見えなかった観客の姿に感動して泣いた

:今後も山口放送でテレビ番組を制作しながら、映画も作ろうと思っていらっしゃるのでしょうか?

監督:映画も、これをやるまでわからなかった。会社の取り組みとして、制作から教えてもらいながらやってきました。実は、最初の試写会で、大感動して泣いてしまいました。終って、皆さんが拍手してくださって、その中を舞台に出て行ったら、皆、目を真っ赤にして観てくださったのがわかって、そういう体験は初めてでした。テレビは視聴者の存在はわかっていても、見えないから心でわかってない。わからせてくれたのが映画でした。テレビ番組を作る時も、気を引き締めて、観てくれる人の存在をもっと考えないといけないと気づかせてくれました。映画は、深さが違います。自分一人じゃできないのですが、またやりたいと感じます。

: 次の映画も楽しみにしています。




★取材を終えて

映画を観て、「自分の食べるものは自分で作る」という寅夫さんの信念に、人間の営みの原点を観た思いがしました。山奥で仲睦まじく暮らすふたりに惹かれて、監督にお話をお伺いしたいと思って取材を申し入れたのですが、監督ご自身が、制作の仕事がしたくて山口放送に入社したのではなく、故郷山口での就職先を探した結果、山口放送に入社し、制作部門に配属されたというお話に興味を引かれました。一度は合わないので転職まで考えたという佐々木監督ですが、素敵な作品を作ってくださったことに感謝です。(咲)


タイトルに惹かれて観てみたいと思いました。
冒頭に出てくる、春まだ浅い山の朝の空気感、鶯の鳴き声、いっきに画面に吸い込まれました。電気も水道もないけど、自然の流れの中で生きていくことの素晴らしさ、子供たちの協力。それぞれ、できる範囲で両親の生活を支えている様も映し出され、こういう生活をうらやましく思いました。それにしても25年に渡って取材してきたというのがすごい。
監督にインタビューした翌日、たまたま六本木のフジフォトサロンでやっていた写真展を見に行ったのですが、その時やっていたのが、第25回 林忠彦賞受賞記念写真展 船尾 修「フィリピン残留日本人」というものでした。この写真がまたすばらしかったのですが、この林忠彦さんが周南市出身で、これは周南市と公益財団法人周南市文化振興財団が1991(平成3)年度に創設した賞でした。この会場にいた周南市の職員の方に、この『ふたりの桃源郷』の話をしたら、とても素晴らしい作品で、昔から見ていたとおっしゃっていて、山口ではかなり有名な作品だということを知りました。こんな夫婦がいるということを、山口だけでなく、東京にいる私たちにも届けていただけたということに感謝します。
最近、地方のTV局が長年に渡って取材してきた映像を映画化した作品がいくつかありますが(『放射線を浴びたX年後』『夢は牛のお医者さん』、東海テレビの一連の作品など)、感動的なものが多く、これからもそういうTV⇔映画双方向で作る作品に期待しています。(暁)

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取材: 宮崎暁美(撮影)、景山咲子(記録)
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