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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

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今村彩子監督インタビュー


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『Start Line』公開情報

ほか、全国順次公開予定!

『Start Line』公式HP

http://studioaya.com/startline/top.html

耳、聞こえません。コミュニケーション、苦手です。
そんな私の沖縄→北海道57日間の自転車旅。

生まれつき耳の聞こえない今村彩子監督が、コミュニケーションの壁を越えるため、また、母と祖父の死を乗り越えるため、沖縄から北海道・宗谷岬まで日本縦断の旅に出た。
走行距離3842キロメートル、撮影した時間は349時間31分。伴走と撮影は行きつけの自転車屋スタッフ堀田哲生さん。クロスバイク歴一年の今村監督の二人三脚の旅が始まった。

シネマジャーナルHP作品紹介 『Start Line』
http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/441551320.html



今村彩子監督プロフィール(『Start Line』HPより)


名古屋市生まれ Studio AYA代表
ひつじ年のおひつじ座・B型
ボルダリングと自転車が好き。
思い切りがいいが段取りが悪い。メカ音痴。
家族の間で好評な料理 ⇒ かぼちゃの煮物(でも、時々焦がす…)


作品をいくつか紹介
2013年 架け橋 きこえなかった3.11
2011年 珈琲とエンピツ
2004年あそびにおいで ~豊橋ろう学校の子ども達~





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今村彩子監督インタビュー

2016.8.22  取材 宮崎暁美&白石映子 

*自転車で日本縦断するまで

宮崎 観た後、爽やかな印象を与え、何かをやりだそうとする人、迷っている人に勇気を与えてくれる作品だと思いました。でも、なぜ自転車だったのでしょう。

監督 きっかけは2つあります。ひとつは、一緒に伴走してくれた堀田哲生さんに3年前に出会って、自転車の楽しさを教わりました。私の家の周りは坂道が多くて、ママチャリではどこかに行こうという気になれなかったのですが、堀田さんが「クロスバイクに乗ってみなよ」と、自転車を貸してくれたのです。その時、登り坂を楽々と登ることができて驚きました。スポーツ自転車が欲しいと思って、すぐにお店に行きました。でもとても高くて10万も20万もするんです。とても買えないと思ったのですが、「これは女性用であなたにピッタリ」、「バーゲンで、最後の1台ですよ」と言われ、思い切って買ったのが2年前の6月でした。それで、今まで電車で行っていたようなところも自転車で行ってみたら、けっこう行けてしまう。そのことにまた感動しました。
私は仕事柄、全国あちこちに上映会や講演会で行くことが多く、新幹線や飛行機での移動中に窓から景色を見ていると、「ここを自転車で走ったらどんなに気持ちいいだろう」と思い、いつか自転車で日本一周してみたいと考えるようになったのです。でも、その時はまだやろうとは思っていませんでした。
二つ目のきっかけが母と祖父の死でした。家族二人を亡くした時、死にたいと思うくらいすごく落ちこんだのです。その時にクロスバイクに乗ったら風を感じたのです。気持ちも前向きになり、死ぬ気になるくらいだったら沖縄から北海道まで縦断しよう、そして映画を撮ろうと思ったのです。


*伴走者 堀田哲生さんについて

宮崎 堀田哲生さんとのコンビがとても良かったと思います。


今村彩子監督

監督 自転車の魅力を教えてくれた堀田さんには、色々とアドバイスをもらいました。走り終わったあとに「すごく楽しい」と感想を伝えたりしていて、「いつかは日本一周をしてみたいと思う」ということも話していました。堀田さんはその頃から「いいことだね」と言ってくれていたので、やるって決めた時、まず堀田さんに相談したんです。そしたら「伴走者は自分しかいないね」と言ってくれたので、伴走をお願いしました。

宮崎 堀田さんは、自転車屋の店員なんですよね。よく、2ヶ月も休みを取ってついてきてくれましたね。

監督 はい。堀田さんが勤めているお店の店長さんに映画の企画書を渡して、「2ヶ月間、堀田さんを貸してください」とお願いしました。店長はびっくりしていましたが「いいですよ」って、快く認めてくださいました。

宮崎 自転車を売っている店だから、そう言ってくれたのでしょうね。普通の会社だったら考えられないですよね。そういう意味ではラッキーでしたね。映画の中での堀田さんとのやりとりを見て、この人とだったから、映画ができたのだと思いました。

監督 本当にそうです。

宮崎 途中でケンカのようになった時には、もしかして途中で行くのをやめちゃうのかしらと心配になりました。途中でやめようと思ったことはありましたか?

監督 ありました。堀田さんを帰らせて、あとは一人でやると思ったこともありました。

宮崎 そんなことがあっても二人で協力して旅を続けて映画ができたというのは、そこを乗り越えたという力を映画の中でも感じました。

監督 乗り越えたのではなくて……。なんとかいうか、険悪になった時もいっぱいあったけど、そんな時でも堀田さんはカメラを回してくれていました。それを見て、私が冷静になるというか……(笑)。だから、どっちが監督かわからないですよね(笑)。

宮崎 でも、そういう険悪な状態になっても旅を続けられたし、撮影も続けられた。険悪な状態になっても、ちゃんと撮影を続けているというのがすごいと思いました。だから、映画ができたのですね。
コミュニケーションの壁を破る映画を撮ろうという目的もあり、映画の中で出会った人とうまくコミュニケーションを取れない場面もあったのですが、私は『珈琲とエンピツ』(今村監督2011年作)のHPに書かれていた「相手に気持ちが通じれば、コミュニケーションは様々」という言葉を思い出しました。この映画でもそれを感じました。会話はできなくても、コミュニケーションは繋がっていくものだと思い、「言葉を越えたコミュニケーション」というのが感じられたので素晴らしいと思いました。

監督 ありがとうございます。

白石 堀田さんのことをもう少しお聞きします。人あたりが良さそうだし、店にいる時はきっと優しいと思うのですが、あんなに厳しい人だと走りだしてからわかって、がっくり来ませんでしたか?

監督 がっくりというか、びっくりはしましたよね。でも、私が交通ルールを守らない。それは命に関わることなので、そのことを真剣に叱っていただき感謝しています。

白石 ここまで厳しいと想像しましたか?

監督 まったく想像していませんでした。また、堀田さんも、私がここまでできないと想像できなかったと思います(笑)。

白石 でも、とってもいいコンビですよね。あまりにスムーズにいったら、ドラマが生まれないじゃないですか。坂道があったり、下りがあったりというのが、堀田さんと監督の間にもあって、それがとてもスパイスになっている。観ているほうにとっては、問題があったほうが面白いんですよ。意地悪に見えるけど(笑)。監督がなんでもできちゃって、ずっとスムーズにいって、なんでも乗り越えていたら、観ているほうは「私にはできないわ」で終わっちゃうけど、だめなところがあったり、怒られたりするとすごく身近に思えるわけですよね。ただ、堀田さんみたいな人はめったにいないと思うので、いい人に出会えたなと思いました。


*映画を始めたきっかけ

宮崎 監督は20代かな?と思ったのですが、映画製作を始めて16年とあって、そんなに長いことやってきているのかとびっくりしました。映画を作ろうと思ったきっかけを聞かせてください。『E.T』との出会いがきっかけだそうですが、その後、自分が映画製作に関わろうと思って、どんな風に歩んできたのでしょうか。


今村彩子監督

監督 映画を作ってみたいと思ったのは小学校3,4年くらいの時です。当時は、今みたいにTV番組に字幕がついていなかったので、家族でTVを見ても私だけわからず、寂しいという気持ちがありました。また、私は普通学校に通っていました。その時は「ちびまる子ちゃん」がブームで、「おどるポンポコリン」の歌が流行っていたのですが、私は聞こえないので会話に入れず、寂しさを感じていました。
そんな時に父が字幕のついた洋画だったら、私も楽しめるだろうと『E.T』を借りてきてくれたのです。家族と一緒に『E.T』を観て、言葉の通じない宇宙人と少年がだんだん心を通い合わせていく物語にも感動したのです。それから、父は毎週、毎週、外国の映画を借りてきてくれました。でも父の好みが偏っていてアクション映画ばかり(笑)。『ダイ・ハード』とか『ロッキー』とか、そういう映画ばかり借りてきたのです。でも、それが良かったかもしれません。学校に行って、友達の会話に入れず、寂しい気持ちで帰ってきたら、父が借りてくれたビデオがある。なんだろうと思って観るとアクション映画で、明日からも頑張ろうという元気をもらいました。そして、大人になったら、まわりの人に元気や勇気を分けてあげられるような映画を作りたいと思ったのです。

宮崎 小学校3,4年でそんなふうに思うなんてすごいですね。

監督 その思いは中学、高校でも変わらず、大学では映画を学ぶために1年間アメリカに留学しました。20歳の時に日本に帰ってきて「よし、自分で作ってみよう」と思ったのですが、私の場合は何か目標がないと動かないので、「名古屋ビデオコンテスト」に応募しようと決めました。聞こえる人たちは聞こえない人たちのことを知らないから、知ってもらいたいと思って、母校である豊橋ろう学校のドキュメンタリーを撮ることにしました。
私が一人で撮るよりも聞こえるレポーターと聞こえない子供たちの交流があった方がいいと思い、豊橋ろう学校の近くの高校の卒業生にレポーターを頼みました。彼はろう学校が近くにあったから手話もちょっとできるし、ろう学校の友達もいるからちょうどいいと思いました。
そして、2日間ろう学校を取材しました。撮影を終えて、編集する時に彼が言った言葉が印象的でした。「僕はろう学校の友達もいて手話もできる。でも、心のどこかでは聞こえなくてかわいそうという思いがあった。でも、2日間ろう学校の生徒たちと過ごして、一緒にご飯を食べ、お風呂にも入った。そういう経験を通して、彼らは僕たちと変わりない。ただ、言葉が違うだけだった。だからかわいそうだったのは自分の方だった」と言っていました。
私は最初、彼の変化のことは考えていなかったから、すごく意外でした。彼の言葉で「偏見とか差別というのは、知らないから起きるものであって、悪気があってやっているわけではない」と気づき、映像で聞こえない人たちのありのままの様子を撮って、聞こえる人たちに伝えていきたいという気持ちが固まったんです。この最初の作品が、ドキュメンタリーをやっていこうという、私の将来の決め手になりました。

宮崎 若い頃に目標というか、やりたいものがみつけられて良かったですね。私たちが映画を好きになったのは40代、50代過ぎなので(笑)、若い人で映画をやっている人たちを見ると、私たちも若い頃に気づいていればなあと思うことがあります。何かに出会うというのは運という思いもあります。お父さんが、そういう機会を作ってくれたというのは良かったですね。

監督 そうですね。そういう意味では家族に恵まれていたと思います。

宮崎 映画の中で落ち込んでいるところもあるけど、監督は基本的に明るい性格のような気がします。それで、友達とか支援者がまわりにできたのじゃないかなと思いました。

監督 でも小学校、中学校はすごく暗かったんです。小学校の時はまわりの友達と一緒の時、何をしゃべっているかわからず、けれども、暗いと思われるのも嫌なので笑っていました。だから友達はわかっていると思っていたかもしれません。その時に、私が「わからないから、もう一回言って」と言えば、わかりやすく話しかけてくれたかもしれません。でも、当時の私はそれができなかったので、段々寂しい気持ちが大きくなり、どうしてわかってくれないのという怒りに変わっていったのだと思います。そのことに最近気がつきました。

宮崎 それが、映画製作と結びついていったのですね。

監督 はい、それが私にとっての映画を作る原動力だったと思います。でも、今回の旅で、堀田さんとウィルと出会って変わりました。耳が聞こえなくても、皆の中に自然に入って楽しく触れ合っているウィルを見ていると、堀田さんが言っていた「あなたが、コミュニケーションができないのは、聞こえないからではない。コミュニケーションが下手だからだ」という言葉は本当なんだと実感しました。
今回の旅で、「人はみんな同じ」ということに気がついたので、「聞こえない人を撮る」というこだわりも必要がなくなりました。そのため、私自身これから何を撮ればいいのかわからなくなっているところです。ここが映画監督としての、私のスタートラインなのかもしれません。


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*ウィルさんのこと

宮崎 ウィルさんの出現がこの作品を面白くしていると思いました。同じように耳が聞こえなくて、しかも外国を旅しているという姿は、今村監督の姿とは別の新しい驚きでした。二人の出会いの面白さ、縁、必然というのを感じました。監督に取材していて、「映画の神様がいる」ということを聞くことがあるのですが、映画を撮っていてうまくいかなかった時に誰かが助けてくれたりとか、映画の展開に大きな役割を果たすような出会いがあったりするということを聞くことがあります。ウィルさんの出現もそうだったのじゃないかなと思いました。

監督 私もほんとにそう思います。映画の神様が出会わせてくれたとしか思えません。もし、ウィルと出会ってなかったらどんな映画になっていたかわかりません。宗谷岬に着く6日前にウィルと会って、6日間3人で一緒に走りました。誰とでも仲良くできるウィルは、まさに私が理想とする姿でうらやましかったです。でも、できない自分と比べてしまい、「もうすぐ旅が終わるのに、私は何もできていない」という気持ちがどんどん大きくなって、苦しくなりました。

宮崎 ウィルさんも補聴器を外すと聞こえない状況ですよね? しかも、日本語も片言。だけど、人の輪に入っていけるというのはすごいですね。でも、性格が一番大きいでしょうね。彼は途中から耳が聞こえなくなったのですか?

監督 私は生まれつき聞こえませんが、彼は19歳の時に聞こえなくなりました。途中で聞こえなくなってすごく落ち込む人もたくさんいるので、彼が人の輪に入って行けるのは性格も大きいと思います。

白石 宗谷岬では堀田さんと監督の二人は別々に立っていましたよね。普通はあそこで握手するとか、「キャー!」って言うとか、抱き合うとかないの、この二人は? どうして離れて別々の方向を向いているんだろうと思いました。あそこでは達成感がなかったんですね。

監督 達成感よりも、私も堀田さんも、寂しい気持ちもあったし複雑な気持ちでした。


*旅のあとの話 映画ができあがって

宮崎 今村監督には独特のユーモアセンスがありますね。そのユーモア感が映画を面白くしていると思いました。パンフに「パートナーから叱られた件数500回以上、褒められた回数2回。完走後、今村監督+0.5㎏、哲さん-12㎏」と書いてあったのを見て笑ってしまいました。その後、叱られた回数は増えているんですか?

監督 今でもお叱りは受けています。でも、堀田さんは私の性格を知っているから、この人は褒めないほうがのびると思っているのかもしれない(笑)。でも、映画ができた時は褒めてくれました。

白石 ものすごく撮ったのを2時間に縮めなくちゃいけない。すごい編集の力だなと思いました。残す映像と捨てる映像の境界はどこでつけますか。


今村彩子監督

監督 それも、やっぱりすごく悩みました。今までの作品は一人で編集していたのですが、今回は自分が出ているから冷静になれないので、フリーのTVディレクターに入ってもらいました。叱られているところとか、かっこ悪いところばかりあるから観たくないし、落ち込んだりするので、第三者の目が必要だと思って頼みました。
その方も北海道を車で旅したことがあり、稚内のライダーハウスも知っていたのですが、「普通はふれ合いを求めて泊まりたいと思うのに、なぜあなたは泊まりたくなかったの?」と不思議がられたので、実は、私は大勢の中に入っていくのが苦手なんだと説明しました。そういうやり取りを重ね、私の気持ちを伝えるために、どういうシーンが必要なのか考えながら繋げていきました。

宮崎 やはり、最後のライダーズハウスのシーンがあってよかったと思います。車で走っているシーンだけでなく、他の人と宿でコミュニケーションを取っているようなシーンがあると違います。とても映画の広がりを感じました。
何事にも興味をもって、これからも挑戦していってもらいたいと思います。
ありがとうございました。



取材を終えて

利尻島をバックにした監督と自転車のポスターを見て興味を持ちました。
「耳、聞こえません。コミュニケーション、苦手です。そんな私の沖縄→北海道 57日間自転車旅」というキャッチフレーズを読み、これはぜひ監督にインタビューしたいと思いました。
映画の中では伴走者の哲さんに怒られてばかり。でもめげずに旅を続ける姿に「頑張れ!」と声援を送っていました。お会いした監督はとてもチャーミングだし、20代後半かな?と思ったのですが、映画製作経験16年というベテランでした。監督はコミュニケーションが苦手と言っていますが、私はそうは思いませんでした。ためらいがあって自分から仲間に入っていくのは苦手かもしれませんが、この旅で300人もの人と出会ったのですから、自信を持っていいと思いますよ。(暁)



この映画と今村監督から元気をたくさんもらいました。
目の見えない方は外から見てかなりわかりますが、耳の聞こえない方は、補聴器や手話に気づかない限りわかりません。
身近にそういう方がいなければ、健聴者とコミュニケーションをとる大変さ、クラクションや警笛が聞こえないなど普段の生活での不自由さはなかなか想像できないものです。こんな風に発信されたものを観て、初めて理解が進みます。
今村監督は次に何を作ったらいいかまだわからない、とおっしゃっていましたが、次の作品を首を長くしてお待ちしています。(白)

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