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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『オマールの壁』 主演アダム・バクリ来日レポート


4月16日(土)より公開されているパレスチナ映画『オマールの壁』。
自爆テロ防止の目的でイスラエルが作った分離壁が、物理的にパレスチナの人々を分断しているがごとく、イスラエルの秘密警察によって、仲のよかった友との心が分断されてしまうという衝撃的な物語。
2014年11月、立教大学で『オマール、最後の選択』のタイトルで上映されたのを観て、公開を待ち望んでいた作品です。
今回、日本での公開を機に、純粋な心の持ち主オマールを演じたアダム・バクリが来日。インタビューや舞台挨拶で連日お会いする機会に恵まれました。アダムさんから伺った映画への思いをお伝えしたいと思います。


1.プレス試写後の挨拶
2.合同インタビュー
3.初日舞台挨拶



★アダム・バクリ Adam Bakri

1988年、イスラエル・ヤッファ生まれのパレスチナ人。
父親は俳優で映画監督のモハマッド・バクリ。日本でも過去に監督作『ジェニン・ジェニン』『あなたが去ってから』が上映されている。二人の兄とも俳優だったため、自然に俳優の道を志すようになる。テルアヴィヴ大学で英語と演劇を専攻。その後、ニューヨークのリー・ストラスバーグ劇場研究所で演技のメソッドを学ぶ。研究所の卒業式の翌日に、本作のキャスティング・ディレクターにオーディション・テープを送り、イスラエルで演技テストを幾度も経たのちに合格した。
本作が長編映画デビューとなる。現在はニューヨークを拠点に活動中。第一次世界大戦のアゼルバイジャンを舞台にしたアジフ・カパディア監督の新作『Ali and Nino』(2016年)で、キリスト教徒の女性と恋に落ちるイスラム系アゼルバイジャン人役で主演を務める。



『オマールの壁』 原題:OMAR

監督・脚本・製作:ハニ・アブ・アサド(『パラダイス・ナウ』)
出演:アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ ほか
2013年/パレスチナ/97分/アラビア語・ヘブライ語/カラー
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/omar/
2016年4月16日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開



*ストーリー*

ヨルダン川西岸。パン屋で働くパレスチナ人のオマール。
イスラエルが町を分断するように建設した分離壁の為、幼馴染の家に行くのに検問所を通らなければならない。近道をするため、高さ8メートルはある壁を縄を伝って越えていく。銃撃されそうになりながらも、無事壁の向こう側に降り、幼馴染のタレクの家を訪ねる。お目当ては、タレクの妹ナディア。二人は恋仲だ。
ある日、イスラエル兵たちから侮辱的な扱いを受けたオマールは、幼馴染のアムジャドやタレクと3人で検問所襲撃計画を立てる。武装組織エルサレム旅団から銃を入手し、森の中で射撃の練習もする。タレクは司令塔、オマールは盗んだ車の運転、アムジャドは射撃と役割分担も決め、分離壁の検問所にたむろするイスラエル兵を襲撃する。アムジャドがためらいながら撃った弾が一人に命中する。
数日後、イスラエルの秘密警察に拘束されたオマールは罠にかかり、協力者になるならと仮釈放される。だが、オマールは親友アムジャドを実行犯として差し出すことはできない。オマールは仮釈放中にアムジャドもナディアが好きだと知る・・・



1.プレス試写後の挨拶  4月14日(木)


10分ほどの時間で、宣伝の方より代表質問が行われました。

アダム:ご来場いただき、ほんとうにありがとうございます。皆さんにお会いしてとても興奮しています。初めて来日して、とても美しい国で、皆さんの親切さに触れて感動しています。

― イスラエルの作った分離壁を目の前にして、どんな気持ちでしたか?

アダム: 分離壁を初めて間近で見たのは、冒頭で壁を登ろうとするオマールを老人が助けるシーンを撮影した時のことでした。僕にとって、とてもエモーショナルな時間でした。壁が圧倒的に高くて、太陽が隠れるほどでした。いろいろな思いがよぎりました。それがあのシーンを撮影する助けにもなったと思います。

― 2014年に撮影され、日本で公開される前に世界各地で公開された中、どこでの公開が印象的でしたか?

アダム:いろいろな場所で思い出深い反応をいただきました。映画が初めて上映されたのがパレスチナでした。私たちにとって、エモーショナルな経験でした。どんな反応がくるのか不安な中、映画が終わってスタンディングオベーションと拍手喝采をいただき、皆さんの愛情や興奮した気持ちが伝わってきて、とても感動しました。


2. インタビュー  4月15日(金)

3媒体合同で1時間、インタビューの機会をいただきました。

映画の中では丸刈りだったアダムさんも、撮影から3年が経ち、素敵な長髪。この日は、イメージを崩さないようにと毛糸の帽子を被って現われたアダムさん。思えば、映画の中では恋人ナディアが手編みの帽子をプレゼントしていました。
いったん帽子を脱がれたのですが、「どっちがいいですか?」と聞かれ、「どちらも!」と、2パターン撮らせていただきました。


インタビューを前に、まずはカールした長髪のアダムさん     次に帽子を被って、映画のオマールの雰囲気で。  

Tシャツは、ストリートアーティスト、バンクシーが分離壁に描いた風船を持つ少女の図柄。よく見えるようにと、スカーフをはずしてくださいました。
バンクシーについては、『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』が公開中!
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/banksydoesny/


◆脚本を読んで胸が震えた

― 壁が人々を分断させるがごとく、イスラエルの秘密警察によって、仲のよかった友や恋人との心が分断されてしまうという衝撃的な物語でした。
アダムさんは、脚本を読んで、一番最初にどんなことを感じられましたか?


アダム:脚本を読み始めて、あまりにも感動して、1時間もかからず読み切りました。力強いストーリーと、オマールの美しい魂に感動して震えました。共感もできました。内面的な葛藤は誰しもありますが、それに非常に感動しました。

― オマールという青年をどのように演じようと思われましたか?

アダム:オマールを誠実に演じようと思いました。実際にいた人物として、ナディアに恋をして、経験した内面的なこと、肉体的なことをほんとうのことのようにカメラの前で演じようと思いました。

― 演技にあたって研究熱心だと監督が語っているとプレス資料にありました。オマールの為にどんな準備をされましたか? 演じる上でどこが一番難しかったですか?

アダム:一番大変だったのは肉体的なものです。感情的な部分でも、もちろん難しいシーンがたくさんありました。特にクライマックスのシーンで壁から落ちるところは、チャレンジングな場面でした。準備としては、脚本をしっかり読み込んで、ストーリーやキャラクターを内面から自分の経験として自分のものにしてきました。なぜ、オマールがそういう行動に出たのかを一つ一つの動機を考えました。自分の中でも明確に考えていきましたが監督ともよく話し合いました。監督はコミュニケーションが上手な人で、一緒に働きやすい方でした。信頼してまかせてくれました。大きな自由を与えてくれたので、一緒に仕事をするのは大きな喜びでした。


◆壁はパレスチナの悲劇の象徴

― オマールはずっと壁をすっと登って会いに行っていました。誰を信じていいかわからなくなってきた時、壁を登りにくくなってきます。心の壁でもあると思いました。 壁をどう捉えましたか?

アダム:この壁は日常的にパレスチナの葛藤の歴史、悲劇を思い起こさせてくれる象徴的なものです。ヨルダン川西岸などで経験している悲劇をいつか克服しないといけない。撮影の為、初めて壁に近づいてみて、圧倒的な大きさで、太陽も隠してしまうことに驚きました。この壁はパレスチナの悲劇を表わすもの。映画でも、それを象徴的に表わしています。

― パレスチナ分断のシンボルである壁に、これまで接する機会がなかったそうですが・・・

アダム:以前から壁は見たことはありました。父が役者としてラーマッラーで舞台に立った時にも見ていますし、東エルサレムや西岸にも行ったことがあるので壁は見ています。壁が出来て15年。間近で見たのは撮影の時が初めてでした。

(注:アダムさんは、海沿いのテルアヴィヴの隣町ヤッファの生まれで、大学もテルアヴィヴで、分離壁は身近にはない)

― 映画を観た後、 『トゥルーマン・ショー』(1998年 アメリカ映画)を思い出しました。アメリカ的な生活を送っていたけど、実はそれは作られたもの。この映画を観て思い起こしたのは、囲まれているのはヨルダン川西岸地区に住んでいる人たちだけでなく、資本主義社会にいる人もなんらかの壁の中にいるということ。アダムさんのまわりにも壁があって、それを乗り越えた経験はありますか?

アダム:原題は単に『omar』。日本だけがタイトルに壁が付いています。日本の人たちの質問はそのタイトルのせいか壁ということに目をつけた素晴らしい質問をいただくことが多くて、洞察力が凄いと感心しています。シンボリックな意味での壁を、特に感じます。腐敗しているシステムがあることを、映画や本を読んでいてびっくりすることがあります。それが人々の心に壁を作って、人をまるで刑務所にいるように内面的に閉じ込めている。そしてシステムがお金を吸い上げるという腐敗した世界。閉じ込められている人々はまるで羊の群れのように言われるまま堕落した社会の中にいます。それを映画を観て、感じ取っていただいて凄いと思います。


◆ガザ攻撃の時にも、ピクニック気分の大学生たちにショックを受ける

― イスラエルに生まれたパレスチナ人であることが、人格形成に与えた影響は?

アダム: ご存じのように、パレスチナ人は、イスラエルで2級市民として扱われています。僕自身、実感しているのは、あまりにも長い間、ユダや人とパレスチナ人は対立していて、どちらの側の人も怒りに満ちていて、緊張感に溢れています。常に対立が底辺にあります。労働者どうしもそうだし、大学でもそうです。パレスチナ人だけのための大学はないので、一緒に学ぶことになります。常に接する機会があります。緊迫したそうした対立の中にいるのが嫌で、僕は外国に出ました。その決断は正しかったと思っています。

― テルアヴィヴ大学で演劇を学ばれていますが、入学試験はヘブライ語ですか?

アダム: 高校を卒業したときに、上に行くための試験を受けなくてはいけないのですが、それがすごく難しい。もちろんヘブライ語です。その結果によって、大学やカレッジに進みます。大学での専攻は、英文学と演劇の二つでした。英文学の先生はアメリカの先生で英語で教えてくれました。演劇のほうはヘブライ語で教わりました。

― 大学でユダや人とパレスチナ人の関係はどうでしたか? 両方の友人がいたと思うのですが。大学では対立を超えて学んでいたのでしょうか?


アダム:大学で英文学専攻にはパレスチナ人も多くいたのですが、演劇のほうは二人だけでした。2年生の時にガザ攻撃があって、ものすごい破壊が行われたのですが、その紛争の時期にいろんなことについて僕の目は開かれました。というのも、ガザでは毎日大勢が死んでいるのに、イスラエルの人たちは、見て見ないフリをしていました。大学に行くと、芝生の庭に座ってまるでピクニックのように楽しんでいました。左派の学生でさえです。テレビをつければガザのひどい状況が目に入るのに、まるで戦争などないかのように楽しそうにしているのを見ていると、とてもつらくて、そういう人たちと良い関係を結ぶのは難しいことでした。でも、教授たちは、すばらしい講義をしてくれて、英文学についても演劇についても、とても豊かな経験をしました。


◆初上映後、父の友人の劇場主に抱きかかえられる

― お父様が俳優であり監督で、お兄様二人も俳優という映画一家ですが、お父様やお兄様からどんな影響を受けましたか?

アダム:父や兄、どちらもとても尊敬しています。インスピレーションを受けてきました。父のことは小さい時から、リハなどもよく見てきました。ずっと尊敬する存在でした。兄も父の影響を受けて俳優の道に進みました。

― パレスチナでの上映後の反応が一番印象深かったと昨日おっしゃっていましたが、その中でも、どんな感想が印象深かったですか?

アダム:今、真っ先に思い浮かんだのは、ラーマッラーの劇場で上映したときのことです。その劇場のトップの方が父の古い友人で、僕が4つの時から知っている人。それがすごく巨大な人で、上映が終わって、皆の前で僕を抱き上げて感激してくれました。とても恥ずかしかったけれど、とても可笑しくて、嬉しかったです。 (抱き上げられたときの様子を、手振り身振りで説明してくれて、大男に抱き上げられて恥ずかしかった思いを再現してくださいました)


◆世界中で、なぜアムジャッドを殺さなかった?と言われた!

― アムジャッドはひどい男だと言われませんでしたか?

アダム:もちろん!(笑) なぜ殺さなかったのかと。パレスチナだけじゃなくて、世界中、どこでも、なぜアムジャッドを殺さなかったのかと言われました。世界中で聞かれたのに、東京ではまだ言われてません。これから聞かれるかもしれないけど! ほんとにひどい奴だ! (笑)

― オマールは秘密警察と友人との板ばさみになって、信じるべき人は誰なのかと、翻弄されていました。アダムさんご自身が信じるものを見極める時に大事にしていることは?

アダム:信頼は会っていきなりできるものでなく、関係ができてからの経験で出来あがるもの。僕はわりとすぐに信じてしまいます。まわりから、どうしてすぐ信じるのかと言われるけど、なぜすぐ信じちゃいけない? 人に対して疑いを持つ人は、いつも心配してないといけないので、だったら信じて幸せになればいいじゃあいかと思います。僕は人間の中の善を信じてます。オマールも正直な男。相手の中に誠実さを観てしまう男。皆を信じてアムジャドのことさえ信じてしまう。皆を信じてしまったので、嘘だとわかった時に苦しい思いをします。

― オマールの誠実さが際立っているので、アムジャッドの腹黒い部分がより目立ちます。

アダム:ほんとに! なんでそんなことをするの?と思いますよね。オマールは大人だけど、無垢。だから観ていて、よけいにそう思いますよね。


◆高校生の時、彼女と手紙のやりとり

― オマールとナディアの二人が手紙をやりとりしていてロマンチックだなと思いました。アダムさんも女性にアプローチする時に手紙を書いたことはありますか? またほかに効果的な方法はありますか?

アダム: (笑) 手紙書きましたよ! 高校生の時の初めてのガールフレンドに! ほんとに綺麗な女の子で、最初は花を渡しました。その後、手紙をやりとりしてました。いつも皆に言われます。手紙なんてオールドファッションじゃないかって。あれは高校生の時で9年位前。もう27歳だから、僕も年取ったね。 でも、古臭いじゃないって言われるけど、手紙のやりとりって美しいじゃないですか。

― 手紙は残るのでいいですよね。



この後も、楽しい話題が続きそうだったのですが、私は残念ながらここで退席。 後ろ髪を引かれる思いでした。



3.初日舞台挨拶

2016年4月16日(土) 初日10時半からの上映後に、満席の観客を前に舞台挨拶が30分にわたって行われました。


サダムさんを熱く見守る岡真理さん

聞き手は、岡真理さん(京都大学大学院教授/現代アラブ文学)

なお、岡さんは、オマールを本来の発音である「オマル」とおっしゃっていたので、ここでは、オマールではなくオマルとしました。
また、この対談では出てきませんが、友人のタレクの本来の発音は、ターレク。


◆『オマールの壁』は、自分を変えた映画

:皆さん、『オマールの壁』いかがでしたでしょうか? 30分ほど、オマルを演じられたアダムさんにいろいろお伺いしたいと思います。マルハバ アダム!(ようこその意味も籠った「マルハバ(こんにちは)」と、ここだけアラビア語で挨拶。恐らく、楽屋で岡さんとアダムさんはアラビア語でお話されていたことと思います。)
皆さん多分、今の映画のオマルの印象が強烈で、アダムさんの髪の毛を観て、イメージが違うと驚かれたのではないでしょうか?

アダム:もう3年経っていますので、髪の毛も伸びました。

:ほんとはアダムさん、帽子を被っておられて、観客のオマルのイメージを裏切ってはいけないと髪の毛を隠しておられたのですが、髪の毛の長い素敵なアダムさんを観て頂きたいと思って、帽子取ったほうがいいと取っていただきました。
(アダム:笑う)
この映画の上映から3年経ちました。この間には2本目の映画にも出演されて、9月には公開されるのですが、3年経って、この映画についてあらためてどう思われていますか?

アダム:3年前は24歳。今、27歳です。3年の間にいろいろな経験をしました。この映画で経験したことは、いつまでもずっと自分の中に残ると思います。いろいろな意味で僕を変えた映画です。今、かなり違う見方ができるようになりました。素晴らしい映画だと思います。当初と違って、演じた俳優としてでなく、観客として観ることができるようになりました。

:この映画はアダムさんの映画デビュー作で、そこで主役を演じられています。アダムさんはパレスチナ人だけど、イスラエルのパレスチナ人。この映画が描いているヨルダン川西岸の占領下で生きるパレスチナ人のオマルとは違います。役作りなどで難しかったことはありますか?


岡真理さんの質問に熱心に答えるアダムさん

アダム:初めての映画で、主演ということで大きな責任を感じました。この映画のスケールの大きさもありますし、監督も素晴らしい方。映画すべてが主演ということでキャラクターにかかっています。オマールが経験したことを忠実に表現することが大切だと思いました。あたかも自分が経験しているかのようにスクリーンで見せたいと思いました。パレスチナが主題ですので大きな責任を感じました。とてもチャレンジングでもありました。『オマールの壁』という映画自体がパレスチナだと思います。分離壁自体もパレスチナそのものです。


◆日本公開タイトルを『オマールの壁』としたことの大きな意義

:原題は単に『オマール』。日本の公開タイトルを『オマールの壁』と、壁という言葉を入れたのは大きな意味があると思います。壁自体が占領の暴力を象徴していますので。巨大な分離壁を初めて見た時、どのように思いましたか?

アダム:(質問の意味を取り違えて、完成した映画を初めて観たときの感想を語りました) 映画を観て、正直な話、最初は自分の演技しか観ていませんでした。緊張していたので、自分がどう演技したのかばかり気にして、とても感情的になる体験でした。2回目は震えていました。なぜなら、観客の中に父や兄がいましたので。いいと言ってくれるかなと、とても緊迫する経験でした。今、3年経ってやっと落ち着いて観ることができるようになりました。

:お父さんはムハンマド・バクリさんとおっしゃるイスラエルのパレスチナ人俳優として非常に有名な方。お兄さんお二人も俳優。ご覧になってどのようにおっしゃっていましたか? 合格点は貰えましたか?

アダム:彼らの目を見ただけで感動したのがわかりました。合格だったと思います。
(あらためて、分離壁について)
分離壁は遠くからは何度か見ていたのですが、そばで見たのは今回の撮影の時が初めてでした。感情的にものすごく圧倒されました。分離壁はパレスチナの葛藤を証明している生きた証拠だと思いました。ほんとに巨大で、見上げると太陽が見えないほど圧倒的なものだと思いました。


◆スパイダーマンなどアクション映画にも挑戦してみたい

:最初の方のシーンでは軽々と壁を登っておられて、イスラエルの官憲との追いかけっこの場面でも、オリンピック選手にしてもいいくらい身軽に走っておられました。
アクションスターとしてもいけそうですね。いかがですか?

アダム:スパイダーマンや、スーパーマンなどバラエティに富んだ役もやりたいですね。アクション映画もOKです。この映画のために肉体的トレーニングもしました。タフなトレーナーがいて。でも、リスキーな場面もあって、プロデューサーがやらせてくれないこともあって、スタントが代わりにやりました。
二本のパイプをくぐるところも、1回はスタントです。壁を登るシーンも上の方を登っているのはスタントの方。トレーニングしたので全部登れますと言ったのですが、半分以下しか登れませんでした。サーカスの団員じゃないと出来ない高さです。


◆娯楽の要素を織り交ぜた素晴らしい人間ドラマ

:チェイスの場面もすごくエキサイティングでした。この映画は非常に深い人間ドラマですが、同時にアクションがあったり、恋愛の要素もあり、最後まで心理サスペンスというエンターテインメントの作品としても一流の作品。監督の前作『パラダイス・ナウ』もそうでした。人間ドラマとしても奥深く、エンターテインメントとしても素晴らしいという監督の作品作りについて、どう思われますか?


アダム:監督はとても力強い映画作家です。エンタメ部分と、アート的部分の両方あるのが監督の素晴らしいところだと思います。アート的な部分では、深いと同時に微細な面もあります。より多くの方に見ていただくために娯楽の要素も必要だと思います。
パレスチナでは9歳から10歳くらいの小さい子どももオマルを知っているのですが、実際にパレスチナでこういう事件が起こったわけではなくて、偉大なパワフルなストーリーがありつつ娯楽的な面もあって楽しめたから観て貰えたのだと思います。

:監督は占領の暴力を具体的に描くのではなくて象徴的な形で描いていて、1回みても面白いのですが、繰り返し観ると象徴的な意味が見えてくると思います。巨大な分離壁は占領の暴力を体現した存在です。私にとって非常に印象的な場面は、オマルが2年後、壁に登ろうとして登れずに落ちてしまうところで、老人が気にしない大丈夫だからと慰めるところです。占領下を知らない私たちにも痛みを感じることのできる場面でした。どう思われましたか?

アダム:いろんなインタビューで、一番好きなシーンはどこですか?と聞かれると、いつもそのシーンが好きと答えています。監督のかすかなメッセージがあちこちにちりばめられていて、何度も観れば観るほど微妙なニュアンスが見てとれるという作り方をする監督だと思います。

:ぜひ、皆さん、何度も足を運んでください。
最後の方で、オマルが最後の決断をした時、ナディアが手紙を読んで、かすかに微笑んでいたところに気づかれたでしょうか? 恐らくオマルが書いた手紙だと思うのですが、どういうことが書かれていたのでしょう?

アダム:監督の素晴らしいところで、観た方に自由に解釈してくださいと。皆さん、どう解釈されましたか? どうしても僕の解釈を聴きたいのでしたら、お話します。
オマールは美しい魂の持ち主。ナディアのためになんでもする。行動はすべてナディアへの愛に基づいています。最後の決断をした時に、ナディアには笑ってほしいと思って、きっと猿を捕まえる話を書いたと思います。ほかの方の違う解釈があればぜひ聴きたいです。


◆最新作はアゼルバイジャンを舞台にした『アリとニノ』

:新作の『アリとニノ』についても、ご紹介いただけますか。

アダム:『オマールの壁』と全く違って、大きなプロダクションで英語で作った映画です。アゼルバイジャンのバクーが舞台です。第一次世界大戦の時に、ムスリムとジョージア(旧グルジア)のお姫様の物語です。愛の話であり、戦争の話であり、故郷についての話でありお金の話でもあります。お金が人を堕落させる。壮大な叙事詩になっています。



ここでトークは終了。初めて来日したアダムさんに、花束贈呈。桜もあしらわれた日本的な花束。


桜をあしらった花束を受け取って、日本が大好きと語るアダムさん

皆さん来ていただいてありがとうございます。日本は大好きなので、また帰ってきたいと思います。


最後にフォトセッション。


   舞台挨拶を終えてのフォトセッション。聞き手の岡真理さんと      舞台挨拶を終えてフォトセッション

◆最後の挨拶


舞台挨拶、フォトセッションを終えて最後の挨拶

ほんとうにいらしていただいてありがとうございます。感動しています。日本での美しい体験に圧倒されています。ぜひまた戻ってきたいと思います。
日本の人たちはパレスチナの人にとても似ています。とても親切で非常に暖かくて寛容な方々だと思っています。Thank you so much!




*取材を終えて

2014年11月、立教大学で『オマール、最後の選択』のタイトルで上映されたのを観て、衝撃を受け、公開を待ち望んでいた作品。日本での公開を機に、主役のアダム・バクリさんが来日すると聞いて、即、インタビューを申し入れしました。来日当日の13日に、さっそくお会いする機会がありました。精悍な好男子! 1991年にイスラエルを訪れ、アダムさんの生まれたヤッファや、まだ分離壁のなかったヨルダン川西岸地区のパレスチナにも行ったことをお話したら、当時まだ4歳だったとの答えが返ってきました。 当時は和平が実現しそうなムードもあったのですが、その後、状況はますます悪くなりました。2002年からは分離壁の建設も始まり、今や全長700km! パレスチナの人たちの居住区が分断されて、理不尽な生活を強いられていることに心を痛めています。この映画を観て、描かれている悲劇が、パレスチナの多くの人が経験していることだということを実感していただければと思います。(景山咲子)



分離壁は、イスラエルの支配区域とパレスチナとの間にあるのだとばかり思っていた。でも、この作品を観て、パレスチナ人が暮らしている中に作られていることを実感した。壁を隔てて住む友人や恋人に会いに行くのに、危険を冒して分離壁を登らなくてはならない。何度も何度も。それにしても壁を登るところに綱が用意してあったけど、実際そういうことがあるのだろうか。イスラエル軍は壁の両方で看視、警戒しているし、実際登ったときに発砲されたり、追いかけられたシーンもあったのに撤去されずにあるということなのか。それが疑問として残った。それにしても高い壁がずっと続いているということについて、これを作ったイスラエルの行為に対して、世界は歯止めをかけられないということに歯がゆさを感じた。(暁)

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(取材:景山咲子)
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