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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

ドイツ映画祭 2016 HORIZONTE

来日した監督たち。デリエ監督の和風ストールが素敵です。(撮影:石井)

10月15~19日に、ゲーテ・インスティトゥート 東京(Goethe-Institut Tokyo)主催のドイツ映画祭2016(於・TOHOシネマズ六本木)において、七本の新作ドイツ映画が公開された。1980年代生まれの若手から、1960・70年代生まれの中堅、そして1950年代生まれの大御所まで、幅広い世代の監督(七人の内女性が五人!)が、ドイツ社会の過去と現在を周縁から描いている点が特徴的であった。そこで描かれているのは、いわゆる「ドイツ」というイメージからはほど遠いと思われる人びと(人種的・性的マイノリティ、被災者、心や身体に障がいを持っている人など)である。

 話題作『フクシマ・モナムール』(ドリス・デリエ監督)では、婚約者を裏切って自殺未遂の末、心に傷を抱えたまま福島にやってきた若いドイツ人女性のマリーと、福島で最後の芸者サトミ(桃井かおり)が主人公である。二〇一一年の東日本大震災と原発事故を機に、仮設住宅に住むことを余儀なくされたサトミは、慰問に訪れた道化役のマリーと出会うが、当初二人の間には、災害の当事者とそうでない人という深い溝があった。ところがある日マリーは、立ち入り禁止地区にある半壊した自宅にサトミを車で連れて行くように頼まれ、その家の中に散乱する瓦礫の除去を手伝い、生活を共にする。不完全ながらも元の暮らしが戻ったと思いきや、夜中、サトミの弟子であった若い女性の幽霊に脅かされることに。ここではじめて、過去の傷を抱えて癒されることのない二人が―異なる境遇と年齢・国籍を越えて―つながる。横たわる二人の手が触れあう場面が強く心に残った。


ドリス・デリエ監督、主演の桃井かおり、作曲家ウルリケ・ハーゲ

 デリエ監督は一五日の記者会見で、映画祭の協賛企業であるメルセデス・ベンツ日本社の有名なロゴにマジックで一本線を加え(平和運動のシンボルであるピースマークと似ている)、「ピース!」と叫ぶパフォーマンスをやってのけた。監督は『MON- ZEN』『漁師と妻』『HANAMI』といった、日本を舞台にした作品群でも知られる。親日家であるからこそ日本の光と影の双方にカメラを向けて、対話を試みてきた監督だが、本作品が日本で一般公開される予定はまだないという。


メルセデス・ベンツのロゴにマジックで一本線を加えるデリエ監督

 日本で一般公開される予定の『アイヒマンを追え! ナチスが最も畏れた男』(ラース・クラウメ監督)では、元ナチス親衛隊中佐アイヒマンを追いつめる検事長フリッツ・バウアーが主人公である。『アンネの日記』(ハンス・シュタインビヒラー監督)でもその一端が個人史に即して丁寧に描かれていたように、アイヒマンはユダヤ人の大量輸送の責任者でありながら、戦後は南米に身を隠した。自身もユダヤ人であり、社会主義者でもあったことで、強制収容所に収容されたこともあるバウアーは、ドイツの将来のためにアイヒマンをはじめ多くの戦争犯罪人をドイツ本国で法的に裁こうとした。しかし彼の前にはこの試みを阻もうとする、ドイツの役人たちが立ちはだかっていた。今でこそ考えられないが、一九五〇年代のドイツではまだ、「臭いものに蓋」がまかり通っていた。映画ではバウアーが当時のドイツでまだ刑法の処罰対象であった同性愛者であったことも示唆され、何重にも周縁的な存在であった彼が、死に向かって闘う孤独な姿が印象的だった。

 『メテオール通り』(アリーヌ・フィシャー監督)では、現代ドイツ社会のマイノリティであるムスリム系の住民が主人公である。パレスチナとイスラエルのあいだで長く続く紛争を逃れてドイツに来たものの、父母は不法就労で強制送還されてしまい、ベルリンで二人だけの生活を余儀なくされている兄弟の日常に光が当てられている。

 気儘で暴力的、働いている様子でもない兄ラフダールと、バイクの整備工場で真面目に働く、繊細な弟モハメドは、対照的な兄弟。弟は家の中で大声でわめく兄を、まるで悪魔のような存在として日記に描き、嫌っている。自分はといえば時給五ユーロの非正規労働者として、整備工場で黙々と働く日々。仕事中もアラーに対する祈りを欠かさない。

 その生活が一変する事件が起こる。兄は弟の保護者を自認し、いかがわしい店に弟を連れて行き、弟を正規に雇用しない整備工場の経営者を罵り、夜中に工場を襲撃することを提案する。しかしこれが明るみになり、弟は仲の良かった同僚にひどく殴られ、血まみれで放置されるが、これを機に彼は変貌する。二匹の飼い犬に大声で怒鳴り散らす姿は彼が嫌っていた兄そのものである。彼は「男」に変貌したのだ。彼は一人家を出てフランスに向かい、外人部隊に入隊する決意をする。

 差別と孤立状況の中、昨今ISに入る若者がベルギー、フランスやドイツでも多いと聞くが、これを思わせるような結末である。そして気になるのは、ISに入る若者は、何もムスリム系の若者に限らないともいう。親の目には、ムスリムでもないごく普通の若者たちが、ある日突然家を飛び出すのだ。若者が生きる世界に一体何が起きているのだろうか。そして、世界は今後どこに向かって進んでいくのか、先行きは見えない。その手がかりにほんの少しでも迫れればと、アリーヌ・フィシャー監督にお話を聞くことになった。


アリーヌ・フィシャー監督に聞く

 『メテオール通り』(アリーヌ・フィシャー監督)は、昨年来からドイツを賑わす難民をテーマに掲げた今年のベルリン国際映画祭で、ドイツ映画の視点部門(有能な、多くの場合、若手の監督の新作を上映する部門)のオープニングを飾った作品である。

監督は一九八一年にアルザスに生まれた、若きフランス人女性。フランスで政治学・社会学・ドキュメンタリー映画製作を学び、ドイツにあるバーベルスベルク・コンラート・ヴォルフ映画大学の監督科を修了した。本作は映画大学の彼女の卒業作品でもある。塀の中の人びとやアスパラガス採取のための季節労働者など、社会の周縁に目を向けている。



アリーヌ・フィシャー監督

「メテオール通り」は実在するのですか?

ベルリンのテーゲル空港の傍にある実在する場所です。人気のない寂しい場所ですが、自然もあれば、古い自動車や移動遊園地の屋台やメリーゴーランドも点在し、すぐ頭の上を飛行機が飛んでいて、飛行機が発着する場所です。遠い場所に想いを馳せるように飛行機を眺める人もいて、それがロマンティックな印象を与えるので、この場所を選びました。

 兄弟が住んでいる家は、特別な施設なのでしょうか、普通の住宅なのでしょうか?

 難民収容所などの施設ではなく普通の住居です。ベルリンの辺境にあって、経済的にあまり豊かではない労働者が住む「プレカリアート」の雰囲気を出したかったのは事実ですが、東部で貧困層が住む団地のような場所はロケ地として使いたくありませんでした。
 ベルリンというとブランデンブルク門とか観光地が一般的に有名ですが、それとは違うもう一つのベルリンを映し出したかったのです。また、家の中ですが、美術監督のパウラ・コルデーロさんが、ベルリンのノイケルン区に住むアラブ系の住民たちの住居を調査して、それをもとにして内装を手がけてくれました。戦争という社会的背景を表現するために、家の中は雑然としています。

モハメドのような若者が、低賃金で働かされることはよくあるのでしょうか?

五ユーロは最低賃金のおよそ半分程度です。労働許可証や滞在許可証などの書類が揃っていない人は、より劣悪な労働条件を受け入れざるをえないでしょう。ただし本作品では、整備工場の経営自体が上手くいっていないので、モハメドが正式に雇用されないという事情があり、経営者が搾取をしようとしているわけではありません。

兄弟が対照的に描かれていますが、そこに込めた意図について教えて下さい。

 出演者のキャラクターについて、当初、兄は伝統と自由主義の間で揺れ、葛藤しているというイメージが念頭にありました。オクタイ・イナンシュ・エズデミールという俳優を起用することで、役のイメージは豊かになりました。彼は狂気じみた兄を、どたばたギャグ風にユニークに演じてくれました。パンク・ロッカーのようでもあり、繊細で優しいところもある。彼は戦争や危機を具象化するメタファーでもあります。でも『ファイト・クラブ』(デヴィッド・フィンチャー監督/米国/一九九九年)のように、兄弟は最後、鏡像のように似てきます。兄は実のところ弟のもう一つの姿(別人格)なのです。

外人部隊について詳しく教えて下さい。

フランス軍の中のもう一つの軍隊です。アフリカの旧植民地出身者も入隊していますから、同胞を殺戮することもあるという意味で、ISよりも提起する問題が大きいのではないかと思っています。入隊するとフランス語の国籍を取得し、新しい名前をもらいます。偽名が通用するので、犯罪者が紛れ込んでいた時代もあります。彼らはインドシナなどフランスの旧植民地での闘いにも、ゲリラ部隊として駆り出され、殺戮を行いました。生死を争う厳しい戦場で共に戦う彼らは、連帯意識が強く、男性だけの閉鎖的な社会で、軍歌や行動指針などを共有しています。

映画の中で、モハメドの同僚がかつて外人部隊にいたというくだりがありますね。

彼は外人部隊にいましたが、何のために戦うのか分からなくなり、「逃げることは恥ではない」と軍隊から脱走し、家族を持ちます。軍隊やフランスのためではなく、家族のためになら闘うと言います。彼は身体にも心にも傷を負っていますが、こういう男性にモハメドは共感したのではないかと思います。

フランスでも移民や難民の問題がありますが、なぜドイツが舞台なのですか?

私は九年間ベルリンに住んでいました。そしてこの間に、アイデンティティの問題にぶつかることになりました。フランスに対し疎遠になったけれど、だからといって自分がドイツ人であると感じることもできませんでした。だからこそ外国人というテーマに関心を持ったのだと思います。もちろん、フランスにもたくさん問題があります。でもフランスではドイツと違って義務教育期間、一四歳まですべての子どもが同じ教育を受けますし、私の兄弟はムスリムであるアルジェリア人女性と結婚しました。他方ドイツではエスニック・コミュニティが接点を持たずに、別々に存在しているという印象です。私が学んでいた映画学校にも外国人が少なかったので、映画制作を通して、ドイツ社会の外国人と接点を持ち、交流したいと思いました。

最後の質問になります。モハメド役として起用した少年について少し教えて下さい。

フセインはレバノン出身のパレスチナ人ですが、モハメドと違って両親とベルリンに住んでいます。モハメドがレバノンにいる父親と電話するシーンで、彼の父親が実際の声の出演をしています。フセインはこれまで無期限の滞在許可証を持っていましたが、今年ドイツ国籍を取得することになりました。

興味深いお話を、有難うございました。


アリーヌ・フィシャー監督

(取材・まとめ 石井 香江)

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