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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~』
対談≪韓国の伝説的登山家オム・ホンギル × 野口健≫

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日時:2016年6月14日(火) 場所:ici club神田 EARTH PLAZA


『ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~』が7月30日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿で公開が始まりました。
本作は、アジア人として初めてヒマラヤ8,000メートル級高峰14座の登頂に成功(2005年時点)した登山家オム・ホンギルさんが、登山中に亡くなった仲間の亡骸を探して家族に届ける為に“ヒューマン遠征隊”を結成し、77日にわたる過酷な遠征を行った実話に基づく物語。

公開を前に本作のモデルとなったオム・ホンギルさんが来日し、登山家 野口健さんとの対談が行われました。
6月19日付のスタッフ日記 http://cinemajournal.seesaa.net/article/439172745.htmlで、 概要を報告していますが、映画をご覧になった方、また、これからご覧になる方に、あらためてオム・ホンギルさんの思いを知っていただきたいと思い、トークの詳細をお届けします。



    登山家 オム・ホンギル

1960年9月生まれ。1985年にエベレストに初挑戦し、1998年にエベレスト登頂に成功。いくつかの失敗を乗り越え、2000年ヒマラヤ8,000メートル峰14座登頂を成し遂げた。その後もローツェ・シャール(8382m)とヤルンカン(8505m)といったローツェ、カンチェジェンガの衛星峰まで登りヒマラヤに拘り続けた世界初の山岳人。この目標を達成するまで、彼は22年間の間におよそ38度の挑戦を敢行し、その過程では多くの仲間を失った。オム・ホンギルは彼を受け入れてくれた山に対する借りを返すために日々挑戦し続けている。


オム・ホンギルさん

    登山家 野口健

1973年8月生まれ。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン市出身の日本人登山家。了徳寺大学客員教授。亜細亜大学国際関係学部卒業。高校から登山を始め、1998年に25歳でチョモランマの登頂に成功し、当時の七大陸最高峰登頂最年少記録を樹立した。また、エベレストや富士山の清掃活動など、環境問題に取り組んでいる


野口健さん

『ヒマラヤ~地上8,000メートルの絆~』    原題 Himalaya
監督:イ・ソクフン(『パイレーツ』)
出演:ファン・ジョンミン(『国際市場で逢いましょう』)、チョンウ(「最高です!スンシンちゃん」『レッド・ファミリー』、チョ・ハンス(『サスペクト 哀しき容疑者』)、キム・イングォン(『王になった男』)、チョン・ユミ(『ドガニ 幼き瞳の告発』)

2015年/韓国映画/124分/シネスコ/カラー/5.1chデジタル
配給:CJ Entertainment Japan
公式HP:himalayas-movie.jp
★2016年7月30日(土)、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほか全国順次ロードショー


*あらすじ*

登山家オム・ホンギル(ファン・ジョンミン)は引退後、ヒマラヤ4座を共に登頂した最愛の後輩パク・ムテク(チョンウ)がエベレスト登頂に成功し下山中に、悪天候のため遭難死したことを知る。そこは人間が存在できない“デスゾーン”エベレスト地上8,750メートルの地。誰もが遺体回収を諦める中、ホンギルは数々の偉業を成し遂げたかつての仲間たちを集め“ヒューマン遠征隊”を結成。エベレスト山頂付近の氷壁に眠る仲間のため、山岳史上最も危険で困難な登攀に挑む。“必ず迎えに行く”友との最後の約束を果たすために


◎オム・ホンギルさん&野口健さん 対談


オム・ホンギルさん 野口健さん

◆偉業を成し遂げたホンギルさんは可愛い方

― オム・ホンギルさんと野口健さん、お二人は面識があるそうですね。

野口:2001年に清掃のためにヒマラヤに行った時に、ホンギルさんに初めてお会いしました。ホンギルさんがヒマラヤ8000メートル峰14座登頂を成し遂げたという話は聞いていて、さぞかし体が大きくて、いかつい方と思っていたら、この通り可愛い方でした。韓国は日本よりもヒマラヤブーム。若い人も多いのですが、日本はどちらかというと60歳以上の人が多い。ヒマラヤに行くと韓国の勢いを感じます。今日、トークできるのを光栄に思います。


◆生命の尊厳、そして、人と人との絆が描かれた映画

―オムさんには主人公のモデルとして、この映画の魅力をお聞かせください。

オム:本日は、山や自然を愛する皆さんにお会いできて嬉しいです。そして、有名な登山家の野口さんとご一緒できて嬉しいです。映画は実話に基づいて作られています。2004年、テグ大学の開校50周年記念にヒマラヤにチベット側から挑戦し、登頂に成功するのですが、隊員が一人、下山途中、雪盲にかかってしまって動くことができなくなって、ぶらさがった状態で亡くなりました。亡くなったのは、かつて8000m級の山々に4回一緒に登った仲間で、彼との絆を考えると、山にぶらさがったままにしておきたくなかったのです。心の中で、どうしてもご遺体を収集すると約束しました。2005年に「ヒューマン遠征隊」を組んで、遺体を無事山から下ろして埋葬しました。その際には、TVクルーも同行し、ドキュメンタリー番組として放映されています。多くの韓国の人たちが涙を流して感動してくださったそうです。その後、映画を作りたいとの話があったのですが、私自身、精神的につらかったし、遺族の方々も悲しみに打ちひしがれていましたので断りました。
歳月が流れて、一昨年、映画化の話をいただき、悩んだ末、今の世の中、ヒューマニズムや生命の尊厳、人と人との出会い、命より大事な約束といったことを映画を通して伝えられればと承諾しました。撮影にはいろいろと苦労があったのですが、完成して嬉しく思っています。

― 野口さん、この映画の感想は?

野口:山に登るということ、さらに人と人との絆が描かれた映画ですね。オムさんのところに弟子入りしたいとやってきて、駄目と言ってもテントを張って頑張るので、オムさんも厳しい訓練をします。今の日本になくなってきた絆を描いていて、昔の日本もこうだったなと懐かしく思いました。相当シビアな撮影で、ほんとに雪崩が起こって、カメラマンが流されているのではと思いました。とてもリアルで、いろんな山岳映画を観て来ましたが、この映画はなかなかいい。欧米の人たちに観て欲しいのは、山で亡くなった仲間を探して連れ帰るということです。欧米は遺体に対する考え方が違う。降ろせそうな位置なのに、あれはBODYだと言って、持っていかない。私たちは遺体を何があっても連れ帰りたいと思います。 1996年5月、エベレスト登頂後に遭難した難波 康子さんも翌年ご遺体を降ろしています。欧米社会で観てもらえるといいなと思います。

― 野口さんの言葉を聞いて、オムさん、いかがですか?

オム:全く同感です。日本のみならず韓国でも山に登るときは仲間意識がある。心が通じ合ってないと一つになれない。家族のような兄弟のような仲間であれば、遺体を降ろしてあげたい。西洋の人たちの遺体を見かけて、せめて道の端に寄せて石を積んで埋葬してあげてほしいと思うことがあります。高地で何かするというのは、空気が薄くて大変ですが。


◆仲間であるシェルパへの支援を続ける二人

― お二人は登山をサポートするシェルパの人たちに対しての支援をされていますね。

野口:去年、ネパールで地震があった時、ヒマラヤにいて、ベースキャンプで18人が亡くなりました。シェルパの村の多くも大きな被害を受けました。シェルパがいて初めて、ヒマラヤに登れます。毎年のように登山中にシェルパも亡くなりますが、それはニュースにならない。外国人の登山家が亡くなるのは報道されるけど。
かつては保障もなかった。シェルパも僕たち登山する人がいないと生活が成り立たない。そんなことがあって、シェルパ基金を作りました。インドがイギリスの植民地だった時代、シェルパはダージリンでイギリス人に仕えていたので、イギリス人とシェルパとは明確な上下関係があります。でも、日本や韓国の登山家はシェルパも家族という意識です。カミさんは信用してないけど、シェルパは信用してます。熊本の地震の時に、シェルパの方たちからお見舞いの電話が続々入って、彼らは日本語で「恩返し」したいと言ってくれました。

― オムさんは学校や医療施設を作っていらっしゃると聞きました。

オム:野口さんと同じような考えで始めました。シェルパのお陰で夢を実現できました。1985年からチャレンジして、いつも生死を共にしてくれたのがシェルパでした。心が通じ合ってないと山に挑戦するのも不可能です。16座制覇の中で、シェルパが4人亡くなられ、胸が痛みます。私は生きて成し遂げることができたので、恩返ししたいと、2008年に財団を作り、シェルパの子どもたちが夢を叶えることができるよう学校も作りました。最初に作った場所は、亡くなられたシェルパの出身地である4060m地点のパンポチェです。これまでに、11の学校を作りました。父親が山で亡くなると、学校にも行けなくなります。遺児に奨学金を出しています。家族でありパートナーであるシェルパの方への活動を使命感を持って行っています。



オム・ホンギルさん

◆死を身近に感じてこそ、生を感じることができる

― 映画は遺体の回収を通じて、登山の怖い面を見せていますが、一方でヒマラヤには魅力があると思います。

野口:確かに、時に死を感じますが、死を身近に感じないと、生きるということを感じにくい。残念ながら仲間が亡くなることもあります。ヒマラヤという大自然との闘いに人間ドラマが結びついています。

― 仲間が亡くなり、つらい思いをしながら、それでも登り続けるのは?

オム:野口さんと私は国籍も言葉も違うけれど、山が好きだという思いは同じです。ヒマラヤは、サンスクリットで「雪(ヒマ)の家・場所(ラヤ)」で、「神々の領域」です。人間の能力を超えた人間の意志だけでは何もできないところ。死の境界を越えて、到達できるところです。極限の体験を通して、新しい自分を知ることができる。自信もわいてきます。ヒマラヤには多くの仲間が眠っています。頂上に達する夢を達せずに眠っている人もいます。今も彼らを弔う思いでネパールを度々訪ねています。




最後に、オム・ホンギルさんの「この映画は、人間に対する愛情や生命の尊厳を描いたもの。決して登山家だけが観る映画ではなく、老若男女、年齢に関係なく家族でご覧いただければと思います」という言葉で、トークは締め括られました。

最後に、フォトセッション


オム・ホンギルさん 野口健さん


*取材を終えて

偉業を成し遂げたオム・ホンギルさんですが、小柄で優しい面持ちの方で、ちょっとびっくりしました。
熱い思いを込めて、お話される姿に、ぐっと惹かれました。
そして、ホンギルさんが一生懸命お話されるのを、通訳の方を気遣って、ここで一旦ストップをと、ジェスチャーで伝える野口健さん。トークを終えて、フォトセッションに移る時にも、ポスターがライトにあたって光るのを指摘されて、自ら、ポスターを移動させる野口さん。 心優しい山男二人に、心暖まるひと時でした。(咲)




登山好きが高じて、北アルプスを望むことができる白馬村の山里で働いたこともありますが(1990年代)、その頃、日本の山岳雑誌に、韓国の登山事情が書かれていたことはほとんどなかったと思います。だから、ヒマラヤなど高所の登山レースは、アジアでは日本がリードしているのだとばかり思っていました。今思うと、日本の登山界は、欧米の登山界にしか目を向けていなかったのかもしれません。なので、この作品のモデルになったオム・ホンギルさんのことも全然知らず、この作品を観て知りました。それにしても、韓国にはすごい方がいるんだなと思ったのですが、実際、本人に会ってみると、いかつい方ではなく、小柄なソフトな感じの方でびっくりしました。とても、8000メートル級の山を16座も登っている方には思えませんでした。
映画の中で、「山は制覇するのではない。登らせていただくという思いが大事」と語っていますが、ほんとにそういう思いで登頂している方なのだなと思いました。(暁)

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取材:宮崎暁美(撮影)、景山咲子(文)
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