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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

映画『ジェンダー・マリアージュ』公開イベント
~トークショー 安冨歩さん~

日時:2016年2月3日(水)上映21:00~(トークは22:55~23:15頃)
場所:シネマート新宿(新宿区新宿3丁目13番3号新宿文化ビル6F・7F)
登壇者:安冨 歩、アーヤ 藍(司会:配給会社ユナイテッド・ピープル)


1月30日(土)より公開が始まったドキュメンタリー映画『ジェンダー・マリアージュ』
夜遅い時間帯からの上映にもかかわらず連日満席、トークショーも行われました。
初日に参加したスタッフ(暁)の日記はこちら
http://cinemajournal.seesaa.net/article/433341110.html

『ジェンダー・マリアージュ』 原題:The Case Against8

監督・プロデューサー:ベン・コトナー、ライアン・ホワイト
編集:ケイト・アメンド A.C.E. 音楽:ブレイク・ニーリー

【STORY】同性婚が合法とされていたアメリカ・カリフォルニア州で、 2008年11月、結婚を男女間に限定する州憲法修正案「提案8号」が通過。 同性婚が再び禁止されることになった。
この「提案8号」を人権侵害であるとして州を提訴したのが 二組の同性カップル、クリス&サンディとポール&ジェフ。 アメリカ合衆国最高裁判所で婚姻の平等が初めて争われるこの訴訟のもと、 かつてブッシュ対ゴアの大統領選で敵同士だった2人の弁護士、 テッド・オルソンとデヴィッド・ボイスも手を取り合う。
彼らのかつてない闘いを5年以上に渡って撮影し続けた感動のドキュメンタリー。


配給:ユナイテッドピープル (c) 2014 Day in Court, LLC
2013年/アメリカ/英語/112分
公式サイト:http://unitedpeople.jp/against8/
★2016年1月30日よりシネマート新宿ほか全国順次公開中!!



◎トークショー

満席で立ち見もでた当日、夜遅い時間帯にも関わらず多くの観客がそのまま トークショーにも参加。安冨先生は黒のワンピースに赤いタートルネック、 赤いタイツ、で登場。場内は熱気で溢れていました。

*安冨歩プロフィール

1963年生まれ。京都大学経済学部卒業。住友銀行に勤務。その後、同大学院経済学部研究科修士課程終了。
博士号(経済学)を取得。京都大学人文科学研究所助手、名古屋大学情報文化学部助教授などを経て、現在、 東京大学東洋文化研究所教授。主な著書『「満洲国」の金融』(創文社、日経賞受賞)、『ありのままの私』(ぴあ)など多数。


司会:安冨先生は、2013年から男性のふりをやめて女性装を始めていらっしゃいます。今日この映画を一緒にご覧いただきまして、あらためてご感想を。


安冨:みなさん夜遅くまで残っていただいてありがとうございます。前にもこの映画を一回観てるんですが、ほんとに「映画みたいだなあ」と毎回思います。ドキュメンタリーとは思えないですよね。展開とか言葉とか、現実であるからこそ重みがあるんですが、それこそまるで脚本があるかのような…。

 最後の最後まで、5対4という僅差の判決で、「えーこれで5対4???」って最初見たときはビックリしたんです。でも今回よくみたら、被告の「適格性」が否定されちゃってるんですよね。だからそもそも門前払いするというのが5対4だったのですが。

 でも住民投票で一度決まったことを裁判所がひっくり返すということはすごく重いことなので、よくこういう判決が出たなーと。

 あの二人ですね、すごい保守主義者とリベラルな二人の敏腕弁護士が力を合わせなかったらたぶんああいう判決は出なかっただろうと。

 そういう人間、個人の持っている力っていうのがすごくあらわれたなー、と思いますね


司会:前に安冨先生にいただいたレビューに書かれていた「LGBTなんていうものは存在せず、あるのは性的志向を口実にした暴力だけだ」という言葉がとても印象的だったんですが。


安冨:この映画のいちばん大事なところはそこだと思うんです。これは「LGBTの権利を守る戦い」じゃないんですね。

 「LGBT」なんて人は存在せず、性的志向とか性自認を口実にした「差別」だけが存在するのです。それを撤廃しなければなりません。だからこそ彼らは、パートナーシップの制度を利用することを拒否して「結婚するということが必要なんだ」と訴えました。つまり、自分たちが一般人とは違うのだということを認めること自体が、差別を受け入れることになってしまう…。もちろん自分たちが主体的に同性愛者だと認めるのはいいんですが、それを理由に「結婚しちゃいけない」って言われるのは受け入れられないということです。

 私もこういう格好するまでは気づかなかったんですが、そういう差別は至る所にあります。たとえば「白い目」で見られるという経験を以前はしたことがありませんでしたが、現に私をジロジロ見る人がいるんです。

 しかし、たとえ男性が女性の格好をしたからといって、全然知らない人を道端や電車の中とかでジロジロ見るっていうのは、おかしなことなんですね。ちゃんとした人ならそういうことをしません。

 映画でも「どういう差別を受けたか」という質問あり、ほんとうに些細なことなんだけど、心に突き刺さることだ、と応える場面がありました。私も同じことを感じます。それは、私が「女性装をしている変な人」だから見られるんじゃなくて、その人が「オカシイ」からジロジロ見るんだってことにあるとき気づいたんです。原因が私にあるんじゃないんです。

 もちろんこんな格好を見て、ビックリすることはあるかもしれませんが、だからといってジロジロ見るという失礼ができるというのは、その人が「オカシイ」からなんです。だから存在するのは白い目で見るという「差別」だけであって、「差別される人」が事前に存在するのではないんですね。



司会:映画の中でもレズビアンカップルの一人が「差別をされるほうが、ありのままの自分に気づいてないよりはましだ」とおっしゃっていましたが。安冨先生が2年前に「ありのままの自分」に気づかれてからの変化は…?


安冨:そもそもそれ以前に自分がこういう女性の格好をしたいのを我慢していたのではなくて、そういう願望があることに気づかないでいたんですね。それに気づいたのでこういう格好をするようになったんですが、さっきも言ったように、それによって白い目で見られるという経験をしばしばするようになったことが私にとってはほんとうに大きな衝撃だったんです。その衝撃で私の考え方の根底にあるものが大きく変わりました。

 微妙な差別というものがこの社会には張り巡らされていて、特に女性全般というのは差別さていて…それは女性だから差別されているのではなくて、差別する人たちがいて、その口実を性差に置いているに過ぎないんですね。そういう女性への差別が張り巡らされているっていうことの暴力性だとか、そういうものにもちゃんと意識を向けられるようになったし…映画で彼女が「この社会を通じて多くの人につながっている」って言ったのはまさにそのことなんです。

 それは女性差別があって、LGBT差別があって、外国人差別があってということじゃないんです。差別をする人間、いや差別をする心っていうおそろしいものが人々の中に巣食っているということが問題なのであって、それがたまたま性的志向であったり性差であったり、いろんなもをきっかけにして噴き出してくるだけなんですね。

 だから、そういうものがある限り私たちの社会はまともな社会じゃないんだ、ひとりひとりの心の中にそういうおそろしいものが巣食っていて、私たちの社会を危険にさらしているんだ、ってことを身をもって感じることができて、思想とか研究とかの根底が大きく変わりましたね。


司会:この映画は「結婚観」や「家族観」もテーマにしていると思うんですが。


安冨:それは重要なポイントで、ゴリゴリの保守主義者の弁護士が「結婚というのは保守的な制度なんだ。制度を守るためには制度を変えないといけない。制度を変えないということは制度を破壊してしまうことだ」と考えて、「結婚という制度を守るために同性婚を認めなきゃいけない」と主張していましたね。

 それはほんとうに重要な指摘で、それが「保守主義」ということのほんとうの意味だと思うんです。日本ではそれとはまったく逆のアンチクライマックスがつい最近あって、同性婚どころか選択的夫婦別姓すら認めない判決を最高裁が下すというのは、どれだけこの国は差がついてしまっているんだろうと思うんですが…。

 もしも家制度を守りたいのであれば、制度を変えないといけないんですね。今のような少子高齢化時代には女の子しか子どもがいない家がいっぱいあるわけです。そういうときに夫婦同姓を強制すると家の半分は消滅する。ということは、この時代に夫婦別姓を認めないということは家制度に対する挑戦なわけですね。

 もし家制度を守りたいということが日本の保守主義であるならば、進んで夫婦別姓を認めないといけないんです。現実にはそれを認めないことで家制度のほうを破壊しているわけですから…これは共産主義者の陰謀じゃないか…と言ってるんですが(笑)。とんでもないことなんです。

 私はそういう意味では保守主義者かもしれませんが、社会の根底は家族だと思ってるんです。家族がお互いを支えあう。家族の中で自分を飾ったり、誰かが守られなかったり、そういうことがあってはいけないんです。家族というものはどんなことがあってもお互いを守りあう、そういう仲間であるべきであって、それがなかったら人間はものすごく弱い。そういう家族があって初めて強固な地域社会とかまともな国家とかを維持できるのであって、国家や地域社会を守りたかったら、しっかりとした家庭つくっていかなきゃいけないんだけど、余計な成約を強制をすることによって、望みもしない人と結婚したり、あるいは、本当は別れたいんだけれども色々事情がどーたらこーたら言って、離婚しないでいつまでもいがみ合っているような夫婦などというものは、社会の基礎には成り得ないんですよね。

 だからほんとうに愛し合って支えあう人同士が最小単位であるところの家族をつくるというところがなかったら、世の中どんどん弱くなっていく。社会を守りたいのであれば、同性婚を認めるとかそういうことは当然進んでいかなければならない方向だし、選択的夫婦別姓すら認めないというのは、社会を破壊したいとしか思えないんですね。

 私の主張とまったく同じことをあの保守派のゴリゴリの弁護士が言っていたわけですから、まさにこれは保守主義なんですね。だからほんとうは保守もリベラルもなくて、社会を支えたいんだったら「社会の基礎を守る」ってこと、そういうことが常識にならないのはほんとうにこわいことだと思います。映画を通じてそういうメッセージが広まってくれたら、ほんとうに素晴らしいことだと思うんです。


司会:家族が多様化していく中で制度自体も変化していかなきゃいけない…。


安冨:そうじゃないと家族を守れないですね。家族の形だけをしている家族なんてのは、機能していないわけですから。社会が「機能していない家族」で出来ていたら、それは簡単に壊れてしまいます。


司会:この映画では、血のつながりだけではない、ほんとうにに多様な家族が描かれていて、一緒に戦っている人たちもある意味での家族のように感じましたが。


安冨:そうですね。特に子どもを連れたレズビアンのカップルがほんとうにひとつの家族をつくり出していて…。血もつながっていないのに兄弟同士が守りあっている姿、ほんとうに素晴らしいですね。人間という「サル」は家族同士で支えあうという根底がなかったら、ものすごく弱いんだと思うんです。弱い人間は人を差別するし暴力を振るうし社会や人々を見捨てるので、それは自分自身も見捨てられることになってしまうわけですね。

 これが様々な社会問題のすべての根底だと思うので、「お互いに何があっても支えあう」そういうものがない社会に住むということは人間を最も不幸にすることだから、「幸福の追求」っていう最も大事なこと、つまり「公民権」が奪われてるんだっていうことですね。


司会:LGBTの人にとって生きにくい社会というのは、みんなにとって生きにくい社会なんだ、と。


安冨:世の中の歪みというのはマジョリティの人には感じられないんですけども、マイノリティの人にすごく大きな力で作動するんですね。マイノリティの人が痛い苦しいと言っているときに「マイノリティの人の痛み苦しみを取り除く政策」をするというのは間違っているんですね。

 そうではなくて、この人たちはセンサーみたいなもので、「社会全体がおかしい」からその痛みを直接受けやすい人たちが声を上げているんです。その声を受け取って世の中の在り方を変えていけば、マジョリティが助かるわけですね。そういうものに目を瞑ったらレーダーも何もなしに飛行機を飛ばしているようなもので、どこへ行くかわからない、とってもこわいことになってしまうわけですね。


司会:いちばん敏感なところが…


安冨:マイノリティの人にはひとりに100の力が加わっていますが、マジョリティには100の力が100人の人に加わっているんです。合計したら一緒だし、実はみんな痛いんです。 でも、痛さがゆるいから「いや、このぐらいなら大丈夫」と 言う。

 そして「私は気にしていないのに、あなたが気にするのはおかしいでしょ」と。そういう話になると、世の中はちゃんとした方向に進まないわけです。だからこれはゲイやレズビアン、LGBTの映画じゃなくて、「差別」とか「社会の公正さ」ってことに関する映画ですね。


司会:安冨先生が去年書かれた『ありのままの私』っていう本を読むと、LGBTの人たちの苦しみを生む構造は、すべての人を苦しめている構造なのだということがよくわかるので、よかったらぜひそちらのほうも、みなさんじっくり読んでいただけたらと思います。

 最後に先生からイベントの告知を…。


安冨:関係ないんですけど…クラシック音楽を今言ったようなことから読み解くってイベントのチラシを…(以下イベント情報)http://dos-classicalmusic.jimdo.com/


(敬称略)



☆取材を終えて

平日21時からの上映にもかかわらず、お客様が続々と入ってきて驚きました。 こちらの作品は 2014年、東京国際レズビアン&ゲイ映画祭でも好評を博した長編ドキュメンタリー。 映画館の 場所柄かLGBTのお客様も多いように感じました。 結婚という制度自体に疑問を持つひとも多いけど 結婚によって法的に受けるメリットなども大きい… 私もかつてゲイの友人(生物学的上では男性)と 「お互い40才になっても独身だったらカモフラ婚をしよう(カモフラージュ結婚、友達婚とも言う。)」 と誓ったものだったが、それは結婚によるメリットのこともあるが 「このまま独身だと高齢の両親が心配するから、親を安心させる為」等々の理由もあった…。 なぜならば日本では30代、未婚、子無しの女性は当時「負け犬」と呼ばれていて、30オーバーの独身女性にとって 現実的に社会生活は地獄だった。土日曜日は率先して出勤、残業にしたって、既婚・子持ちの女性群は サッサと優先して帰ってしまうので負け犬である私(当時)がこなすしかないのでありました。 映画は同性婚を法的に認めさせるために奮闘するけど、安富先生がおっしゃっているように、むしろ同性婚を認めないと家制度が崩壊してしまうので、少子化の進む日本でも将来的には裁判で闘わずして 認められるような気もしてきました。 最近読んだ業田義家さんのマンガ「機械仕掛けの愛」にも家族の問題が印象的に描かれていて衝撃を受けましたが…。 LGBTはもちろん、どんな人間にとっても平安に暮らせる世界になるといいな。

http://dos-classicalmusic.jimdo.com/
安冨先生は現在、絵画を制作したり音楽活動もされているそうです。

(千)


わたしは2012年3月に東京大学で開催された「魂の脱植民地化」を考えるコンポジウム「原発事故で何が吹き飛んだか? ~日本社会の隠蔽構造とその露呈~」 に参加したときに安冨先生のことを初めて知りました。 そのときはひげもじゃでチェ・ゲバラのような男らしい扮装をされていて、かなりのインパクトがありました。 いま外見は大きく変わっても、その本質的な生き方は変わらないように思いました。 その言葉は明解で力強く、心に染みました。 この映画の中では、最初は同性婚に反対していた証人が言った「善悪は人と人との間にあるのではなく、心の真ん中にある」という言葉が深く心に残っています。 たいへん刺激的な夜をありがとうございました。多くの人たちにこの映画が届くことを願っております。

(せ)

取材・協力:山村千絵
せこ三平

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