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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『シーヴァス 王子さまになりたかった少年と
負け犬だった闘犬の物語』
カアン・ミュジデジ監督インタビュー

2015年8月31日(月)     
於 シタディーンセントラル新宿東京


 昨年の東京国際映画祭で『闘犬シーヴァス』のタイトルで上映された作品が、『シーヴァス 王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』のタイトルで、10月24日からユーロ スペース他にて全国縦断ロードショーとなります。公開を前に、カアン・ミュジデジ監督が来日し、お話を聴く機会をいただきました。


*ストーリー*
トルコ東部アナトリア高原の小さな村。11歳のアスランは小柄で、クラスの中でも何かとのけ者扱い。鬼ごっこで鬼になったアスランは、目をつむって数えている間に置いてきぼりにされてしまう。
ある日、4月23日の子どもの日に上演する「白雪姫」の衣装が届く。白雪姫は、憧れの美少女アイシェ。アスランは王子様を演じたい。でも、先生は村長の息子オスマンに迷うことなく王子様を指名する。教師宅を訪ねて、「王子になりたい」と言うが、取り合ってくれない。
村に闘犬の一団がやってくる。村長の息子オスマンの闘犬ボゾと闘って負けた犬シーヴァスが血だらけで息絶え絶えになる。アスランはシーヴァスを家に連れ帰り手厚く介護する。
学校では「白雪姫」の練習が進んでいるが、小人役では面白くないアスランは、学校に行かず、シーヴァスと過ごす日々だ。やがて、オスマンの闘犬ボゾとシーヴァスの再対決の日が訪れる・・・


(C)Yorgos Mavropsaridis

作品紹介ブログ: http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/428216928.html
2014年・第71回ベネチア国際映画祭 審査員特別賞受賞
配給:ヘブンキャンウェイト(第一回配給作品)
(C)Yorgos Mavropsaridis
2014年/トルコ・ドイツ合作/トルコ語/97分/1:2.35/DCP
公式サイト:http://sivas.jp/
★2015年10月24日よりユーロスペースほか全国にて




カアン・ミュジデジ監督 プロフィール

トルコ・アンカラ生まれ。2003年に、映画監督の勉強のためにドイツ・ベルリンに移住する。ゲリラ的な野外映画浄瑠璃ジェイや、バー、ファッションストアをオープンする傍ら、映画制作を続行。短編処女作『The Day of German Unity』(2010)が複数のテレビ局で放送される。ニューヨーク・フィルム・アカデミーの卒業制作映画『Jerry』が、2011年、ベルリン映画祭のタレント・キャンパスで上映される。アナトリア中心部での闘犬についてのドキュメンタリー『Fathers and Sons』(2012)の撮影で、トルコ文化省の支援を取り付け、初の長編映画となる本作ではイスタンブール映画祭からサポートを受ける。次回作は、実写とアニメを融合した『イグアナトーキョー』を、東京で撮影予定。


◎インタビュー

― 昨年、東京国際映画祭で拝見したときには、実はこの映画があまり好きになれませんでした。おそらく、闘犬にダークなイメージがあることや、年老いた馬を捨てに行くということに、映画全体を暗く感じたからかと思います。

監督:あの闘犬は本格的なものじゃなくて、見せかけのものなのですけどね・・・

― 今回、もう一度観てみたら、アスランの心の動きに注目できて、面白く感じました。高校生の時に『白雪姫』の英語劇に出演したことがあるのですが、その時に私は小人役で、白雪姫にはなれなかったことを今さらながら悔しかったと思いました。アスラン役は他の子に決まっていたのを、直前にドアン・イスジに変えたとのこと。どのようにして彼を最終的に主役に抜擢したのですか?


カアン・ミュジデジ監督

監督:撮影をするヨズガト県で9~12歳の少年を探し出すために、その地域の学校をあちこち訪ねましたので、年頃の子は全員私を知っていて、全員と話して能力を試してみました。その中から30人にしぼって、そこからさらに絞り込みました。その子たちと映画を撮る前に2~3ヶ月 ワークショップをしました。その時には、いろいろな遊びをしたり、走らせたりしてみました。でも、ワークショップは脚本にあわせてやったわけじゃない。脚本にあわせると、台詞を覚えて演じることになるので、自然にできるように仕向けました。

― 子どもたちとのワークショップは楽しかったでしょうね。

監督: とんでもない! ワークショップの時に、女の子は5~6人で落ち着いていたのでよかったのですが、男の子たちは動き回って活発。喧嘩ばかりしていて、コントロールがとても難しかった。もう、私たちの方が疲れて、大変でした。でも、私の指導で、ジャンプして~、馬に乗って~、犬と走って~などと言うと、皆、簡単にやってくれました。そうやって子どもたちとワークショップをして過ごして、3ヵ月後に一人に絞り込みました。

(プレス資料によれば、ドアンは、11歳の割には小柄で、何をしても負けていて、負けるたびに悔しがっていたとのこと。強い心を持っているのを見抜いての抜擢だったそうです。)

― 王子様を演じたいと思っていたのになれなかったアスランを演じるのが、撮影直前に主役に抜擢されたという逆の立場ですが、悔しさあふれるアスランの思いを体現していて素晴らしかったです。アスランを演じたドアンの持つ魅力を引き出した監督の力だと思いました。どのように指導されたのでしょうか?


カアン・ミュジデジ監督

監督: ワークショップの間は、映画の内容を一切伝えなかったのですが、撮影に入ってからは、現場でその日撮影する内容を子どもたちに話して、自然に演じることができるようにしました。モニターを使わず、自分の声で指導しました。今はこういう風に言って~と言うと、ロボットのように繰り返してくれました。私がドアンのそばにいると、彼は楽に演じてくれました。でも、遠いところから撮影していると、失敗。できるだけ自分が近くにいて指導すると、私の存在に安心して、その安心感の中でより安定した演技をしてくれました。そのかわり、編集で私の声を消す作業が必要でしたけどね。
映画の撮影は夕方5時には終って、その後、ドアンにその日に撮った映像を見せて、「これは君じゃない、君が演じたアスランだよ」と気持ちをリセットさせて、役を引きずらないようにして、翌日には新しい気分で臨めるようにしました。

― オフの時には役に入り込まないようにさせたのですね。

監督:いつも元気でいてほしいので、引きずらないようにさせました。役に成りきってしまって、自分でアドリブで演じてしまうようなことを防いだのです。私が準備したことを、ちゃんと演じさせるようにしました。子どもに演じさせるのはリスク。動物を登場させるのもリスク。なるべく自分が作った世界にあわせて演じさせるようにしました。
私自身、子どもの扱い方について勉強しないといけませんでした。セラピストと話して、子どもとどう接したらいいかを教えてもらいました。教えてもらったテクニックを思い出しながら子どもたちと接しました。

― 『名犬ラッシー』の場面が映画に出てきましたが、プレス資料には『名犬ラッシー』や『トムとジェリー』が好きと書いてありました。どちらも私が小学生だった50年近く前にテレビでやっていて、大好きな番組でした。監督は私よりずっと若いですが、同じものをご覧になってきたのだとちょっと驚きました。
トルコでもアメリカのドラマや映画が浸透していた時代が長かったことを思わせてくれました。最近はトルコ映画をサポートするシステムも出来たと聞いています。トルコ独自の映画の世界が展開されていて嬉しく思っています。

監督:アメリカ映画の影響がなかったとはいえません。毎日の生活でも、影響を受けています。でも、私がこの映画を作る時に、特定のアメリカの監督や作品から影響を受けたということはありません。映画を撮る上で、テクニックやノウハウはもちろん参考にしています。

(残念ながら、私の言おうとしたことがちゃんと伝わらなくて、このような答えをいただいてしまいました。)

― もう時間がなくなってしまって、ネシェット・エルタシュへの思いもお聞きしたかったのですが残念です・・・・

監督:お話していいですか・・・ ネシェット・エルタシュは、トルコ中部アナトリアの哲学者で、この地域に住んでいて、そこで得た経験や観察したことなどから哲学が出来上がっていきました。彼の哲学の土台は、希望と愛の二つです。私がこの映画を彼に捧げたのではなく、映画そのものがネシェット・エルタシュのものなのです。


カアン・ミュジデジ監督


*取材を終えて

眼光鋭い素敵な監督を前に、ちょっとどきまぎしながらのインタビューでした。映画の感想や自分のことを話し過ぎて、肝心の質問があまりできませんでした。反省!
最後に写真を撮りながら駆け込みでネシェット・エルタシュのことをお伺いしたら、堰を切ったようにお話してくださいました。もっともっと語りたかったご様子。もっと前にこの質問をすればよかった!と、残念です。
プレス資料には、「この映画は、2012年に亡くなったトルコの国民的歌手ネスト・エルダスに捧げられている」とありました。調べてみたら、民族楽器バーラマの弾き語りをする吟遊詩人でした。監督が歌手ではなく、哲学者とおっしゃった意味がわかりました。

Neşet Ertaş: 1938年 Çiçekdağı, Kırşehir生まれ, 2012年 İzmir没

映画の最後に流れる「hata benim (悪いのは私だ)」を、もう一度聞いて、監督の思いを噛みしめてみたいと思いました。

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(取材:景山咲子)
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