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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『独裁者と小さな孫』
モフセン・マフマルバフ監督 インタビュー

2015年10月20日


12月12日より公開の始まった『独裁者と小さな孫』は、昨年の東京フィルメックスで『プレジデント』のタイトルで上映され、観客賞を受賞した作品。マフマルバフ監督が2年前の東京フィルメックスで審査員長を務められた折に、これからジョージア(旧グルジア)で映画を撮るとおっしゃっていて、完成を楽しみにしていた映画です。公開を前に来日され、お話をお伺いする機会をいただきました。

『独裁者と小さな孫』  英題:THE PRESIDENT

*ストーリー*  とある国の大統領。命令一つで国の灯を消せることを孫に自慢するが、孫はそんな力よりもアイスが欲しいと駄々をこねる。命令しても灯が再びつかず、大統領は革命が起こり失脚したことを知る。孫を連れ、平民のボロ服を着て逃げるうち、国民が自分の圧政に苦しんできたことを知る・・・



監督:モフセン・マフマルバフ
脚本:モフセン・マフマルバフ、マルズィエ・メシュキニ
出演:ミシャ・ゴミアシュウィリ、ダチ・オルウェラシュウィリ
2014年/ジョージア・フランス・イギリス・=ドイツ/ジョージア語/カラー/ビスタ/デジタル/119分
配給:シンカ 提供:シンカ 朝日新聞社
後援:ジョージア大使館
公式サイト:http://dokusaisha.jp/
★2015年12月12日(土)新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町 他全国公開


モフセン・マフマルバフ監督

モフセン・マフマルバフ監督プロフィール (公式サイトより抜粋)

1957年、イランのテヘラン生まれ。映画監督、小説家、脚本家、編集者、プロデューサー、人権活動家。1983年に映画監督としてデビューして以来、20本以上もの長編映画をイラン、アフガニスタン、パキスタン、イスラエル、トルコ他、数ヵ国にて制作。国際映画祭で50以上もの賞を獲得している。

代表作:『ワンス・アポン・ア・タイム、シネマ』(92)『ギャベ』(96)『パンと植木鉢』(96)『サイレンス』(98)『キシュ島の物語』(99)『カンダハール』(01) 『庭師』(12)

映画制作に加え、マフマルバフはアフガニスタンで2年間暮らし、学校建設や、タリバン政権時に打ち壊されたアフガニスタン映画業界の復興に努めるなど、多くの人権プロジェクトに尽力する。イラン政府により作品の上映を禁じられ、長年にわたり身の安全を脅かされるも、2005年に検閲の圧力に抗議し自国を離れて以来、ロンドンとパリを拠点に活動している。


◎インタビュー

2013年の東京フィルメックスの折にインタビューして以来、2年ぶりの再会に、握手の手を差し伸べてくださるマフマルバフ監督。
命の危険に何度もさらされている監督。ほんとに、無事お会いできましたという思い。
「サミラjanやハナjanもお元気ですか~?」
(janは、ペルシア語で 日本語の「ちゃん」に当たります)
「皆、元気だよ」と監督。


シネマジャーナル90号を前に取材

前回、2013年東京フィルメックスの折にインタビューした時に撮ったオレンジを高く掲げた写真とインタビュー記事を掲載したシネマジャーナル90号をお渡しします。 

「もう2年前なんだね」と、感慨深くおっしゃる監督。


今回お渡しした2013年東京フィルメックスの折に撮った写真。
オレンジは、宇宙に浮かぶ地球。

窓辺でテーブルをはさんで2誌合同での取材。
通訳はお馴染みのショーレ・ゴルパリアンさん。
テーブルをはさんで椅子が離れすぎていて、「こんなに遠くに座っていると、自分が独裁者になった気分になってしまうので椅子を近づけて~」とお願いされます。「嫌なら離れててもいいよ」とも言われましたが、ぐっと近づいてのインタビューとなりました。


◆どこの国にも当てはまる物語を描いた

まずは、もう1誌の方から先に質問。

― 13年前の『カンダハール』と今回の『独裁者と小さな孫』は、直結する感じがしました。

監督:その通り! 『カンダハール』と『独裁者と小さな孫』は、兄弟の映画です。といっても、スタイルとしては兄弟ですがテーマは違う。『カンダハール』のテーマは、ターリバンのいたアフガニスタン。今はIS(イスラム国)までもいますが。『独裁者と小さな孫』のテーマは独裁者。独裁者がいて、革命が起きて、また独裁者が生まれてという連鎖を描いたものです。いつ私たちはこのサークルから出られるのか。それは国民のせいなのです。私たちが今まで見てみないフリをして沈黙してきたから繰り返してしまいます。映画ではお嫁さんがレイプされても黙っている。日本では法律を変えられても黙っている。それではいつまで経っても変わらない。
この映画はどの国にも当てはまることを描いています。 国民は黙っているから圧政の中で生きるしかない。なぜ黙っているのか? かつては何も知らないから黙っていた。今はネットで知ることができる。希望がなくなって、自分の身に何かふりかかったらという恐怖感があるから黙っている。黙っているから一生権力者から逃れられない。日本は大好きな国なのですが、70年間平和を守ってきたのに、70年前にタイムスリップしてしまい残念です。母親は子どもを戦争におくって人殺しにしたくないのに。(注:決して、皆が黙っているわけではないけれど、こう指摘されたのは声が小さかった結果ということでしょう・・・)
独裁者が存在するのは、人々のせいだと自分は強く思っています。この映画で人々を批判したかったのです。自分が警笛しているのは人々に対してなのです。権力者は、国民は素晴らしいとうまく騙して、票を貰うのです。今のアーティストたちもそうです。オーディエンスは素晴らしいといって、愛情や評価を貰いたいのです。ほんとのアーティストだったら、こんな問題がある、あなたたちは間違っているからなおす必要があると作品で言うべきなのです。この映画は鏡を人々の前に置いているのです。自分の間違っているところに気がついていただきたいから、この映画を作ったのです。

ショーレさんが訳している間に、途中で突然立ち上がる監督。
離れたところに置いてあった『独裁者と小さな孫』のポスターパネルを取りにいって、自分の脇に置かれました。前の取材で、白い壁を背景に撮影するために、そばになかったのでした。


  ポスターを持ってくる前の写真   ご自身で脇に持ってきたポスター
(ポスターを持ってくる前と、持ってきた後の写真。見比べてください!)

さらに、机の上にあったペットボトルが撮影に邪魔と気が付いて、床に置いてくださいました。 ほんとに、お気遣いの監督!


◆ジョージア語に訳した脚本を、再度英語に訳して撮影に臨んだ

― 今回の映画はジョージアで撮られていますが、ジョージアの俳優さんたちについてお聞かせください。

監督:ジョージアでは革命がありましたが、今は落ち着いていて自由に撮れると思って行きました。キャスティングは舞台や映画、TVの役者からオーディションで選びました。脚本を英語で書いて、ジョージア語にして、それをさらに英語に訳してもらって、どう変わったかを確認しました。
現場には通訳もいましたが、メインの役者には英語で直接説明しました。撮影の前日に翌日撮るシーンを説明してリハを行いました。役者が台詞をどう言うのか、アドリブで何を足すのかを確かめて、次の日の撮影で、アドリブがよければ入れるようにしました。実際にカメラを回した時には、皆いい演技をしてくれました。エキストラとは通訳を介して説明しました。脚本は英語とジョージア語の両方を持って臨みました。


◆独裁者を生み出すのは国民自身だということに気がついてほしい

― ジョージアの町のイルミネーションが寓話的な雰囲気をかもしだしていて素敵でした。思えば、人は本作の孫のように、甘いアイスを食べられる幸せを求めているだけなのに、なぜ争いが絶えないのかと悲しくなります。監督が、フィルメックスの観客賞受賞に寄せられたメッセージ(☆)に感銘を受けました。 「映画は暴力的な世界に平和のメッセ―ジを伝える大きな力を持っていると思います」と、結ばれていました。世界の権力者や暴力を好む人たちにこそ観て貰いたい映画ですが、どうしたらそのような人たちに観てもらうことができるでしょう?

☆観客賞受賞に寄せた監督メッセージ☆

『プレジデント』の平和のメッセージに与えられた観客賞は、私にとっても非常に大きな意味があります。人間はお互いに殺し合うために生まれたのではない。地球は生が存在するたった一つの星。お互いを愛するために生まれたのだと思います。しかし今、世界には暴力が溢れています。エボラと闘う為5千人の手助けが必要という国連の声に応える人はとても少なかったのに、ISIS(イスラーム国)の暴力的な作戦の為に、一万五千人が集まりました。世界には暴力の為に命さえ差し出す人が多いことを示しています。これには大きな理由があると思います。平和を大切にする文化の存在はとても弱いということです。芸術、特に映画は暴力的な世界に平和のメッセ―ジを伝える大きな力を持っていると思います。

モフセン・マフマルバフ

監督:このように答えたいと思います。映画がこれまで歩いてきた道は、もう曲がっていて、今は間違いをおこしてばかりです。映画を作るのは、賞や拍手をもらうためじゃない。社会的、人間的、文化的影響を持っていて、作り手の責任はすごく重いのです。作る側だけじゃなく観る側にも責任はあります。変な文化ばかりを描いた映画がはびこっています。いい映画や健全な映画の区別ができなくなっています。アーティストも観る側も間違っています。今の若い人は映画から何を得ているのか・・・ 毒ばかり!
独裁者を作っているのは国民だし、独裁者だけが悪いのではなく国民も悪いということを言いたいのです。

― 5年間刑務所に入っている間に奥さんがほかの男と結婚してしまった男を最後に大写しにした場面にぐっときました。憎しみの連鎖を止めなければ争いはなくならないというメッセージを、すごく身近に感じさせてくれるラストでした。あのエピソードで終わらせた監督の思いをお聞かせください。

監督:映画は独裁者の姿をずっと追っています。最後に普通の人を描いているのは、結局暴力を起こすのは、普通の国民だということ。独裁者も国民も生まれた時には、皆、純粋な人間でした。大きくなるにつれ、自分たちの中には、純粋さと共に独裁者も存在するようになる。独裁者の行動をみてみると、どんな人も権力を手にすれば、独裁者になるかもしれない。人々の中には暴力も存在していて、本能が抑えられるかどうか。人は純粋な心を持っていると同時に暴力の心も持っているのです。映画を作った時、自分の中にも独裁者が存在していると思って、それを変えていこうと思いました。皆さんも映画を観て、自分の中に存在している独裁者の部分を見つめ直して悪いところを変えていこうと思っていただければと思います。
お金のために作った映画や、エンターテインメントのために作った映画もあるけれど、人に何かを教えたいという映画もある。悪いところを変えていこうと思っていただければという思いでこの映画をつくりました。


◆私は地球人

― 今はどこにお住まいで、次の映画はどこで撮られる予定ですか?

監督:今はロンドンに居を置いていますが、その質問をされたら、地球の上に住んでいると答えます。イランを出てから、あちこちの国で映画を撮ってきました。どこで撮っても変わらない。国境は私には意味がない。愛国者がいて国境を作っているのですが、国境はいつかすべてなくなります。私は一歩先をいっているのです。私は地球の上で映画を作っていますと答えたい。

― 次はどんな作品をどこで撮られるのかを楽しみにお待ちしています。


******

「今はどこにお住まいですか?」の質問に、「その質問をされたら、地球の上に住んでいると答えます」 と言われ、そうだった! 前にもそうおっしゃったのに、なんと愚かな質問をしてしまった!と反省。 『カンダハール』(2002年)を最後にイランで映画を製作していない監督。『セックスと哲学』(2005年)の撮影許可がイランでは出ず、タジキスタンで撮影して完成した頃、アフマディネジャード大統領が就任。映画人に対する大統領の施策に反発して、それ以来イランに帰っていません。

アフマディネジャード大統領時代に、テヘランの映画博物館のマフマルバフファミリーのコーナーが取り払われましたが、昨年、大統領が変わり、今はコーナーが復活したと聞きおよんでいます。でも、きっと、マフマルバフ一家は、これからもイランにこだわらず、地球を舞台に映画を撮り続けることでしょう。

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(取材:景山咲子)
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