このページはJavaScriptが使われています。
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ミルカ』
ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督インタビュー

ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督 撮影:景山咲子

2015年1月16日(金)都内にて


400m走ゴールドメダリストであるインドのミルカ・シン。その数奇な半生を描いた映画『ミルカ』の日本公開に先立ち来日したラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督にお話を伺う機会をいただきました。

同じ日に取材した毛利奈知子さんから、日本パキスタン協会の会報「パーキスターン」に字数制限のために載せきれなかったインタビューの模様を提供いただきましたので、併せてお届けします。

メーラ監督インタビュー by シネマジャーナル(景山咲子)
メーラ監督来日報告 by 毛利奈知子
  舞台挨拶
  メーラ監督インタビュー

『ミルカ』 原題:Bhaag Milkha Bhaag

*ストーリー*

1960年、ローマオリンピック。400メートル走決勝戦で、インド代表選手ミルカ・シンは、ゴールを目前にして後ろを振りかえり4位となり金メダルを逃してしまう。帰国後、国民からバッシングを受けながらも、パキスタンで開催される陸上親善大会のインド団長に指名される。パキスタン行きを断固拒否するミルカを説得するため、ネール首相の命を受けてスポーツ大臣とミルカのコーチがミルカの住むチャンディガルに向かう。道中、コーチはシク教徒であるミルカが印パ分離独立でパキスタン領となった故郷の村からインドに避難してきた壮絶な少年時代を語り始める・・・

2013/インド/ヒンディー語・パンジャービー語/153分(インターナショナル版)
配給:日活/東宝東和
公式サイト:http://milkha-movie.com/

シネジャ作品ブログ:http://cinemajournal-review.seesaa.net/article/412535721.html

★2015年1月30日(金)、TOHOシネマズシャンテ他全国ロードショー


【ミルカ・シン 略歴】

1935年頃 イギリス領インド、パンジャーブ州ゴーヴィンドプラ村生まれ(生年月日、生地については諸説あり)
1947年 印パ分離独立によりパキスタン領になった故郷の村からインドに避難し、デリーのプラーナー・キラーの難民キャンプに収容される
1951年 陸軍に入隊
1952年 陸上競技を始める
1956年 メルボルン・オリンピック出場 200m、400m 予選落ち
1958年 東京でのアジア大会に出場 200m、400m 金メダル獲得
1960年 ローマ・オリンピック出場 200m、400m 400m決勝では4位でメダルを逃す
1960年 インド・パキスタン親善陸上試合にインド側団長として参加
“Flying Sikh(空飛ぶシク教徒)”の名をパキスタンのアユーブ・カーン大統領より授けられる
(映画で描かれているのは、ここまで)
その後、1962年 ジャカルタでのアジア大会出場 400mと4×400mリレーで金メダル
1964年 東京オリンピック出場 400m予選落ち
陸上選手引退後も、インドのスポーツ界の英雄として尊敬を集める伝説的存在。
2003年 チャリティ団体「Mirkha Singh Charitable Trust」を設立。経済的に恵まれないスポーツマンに機会を与える活動を行っている。
パンジャービー語で自伝を出した後、2013年に英語版の自伝「The Race of My Life(わが人生のレース)」を娘と共著で出版。



*ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ監督プロフィール


メーラ監督 撮影:景山咲子

Rakesh Omprakash Mehra
1963年デリー生まれ。

テレビのCFディレクター職を経て、2001年、『Aks(影)』で映画監督デビュー。主演は国民的俳優アミターブ・バッチャン。

2006年に発表した『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』は、インドの現代社会に生きる若者たちを鮮烈に描いた作品で、インド国内で多くの賞を受けたほか、2006年度のアカデミー賞外国語映画賞部門インド代表、英国アカデミー賞最優秀外国語映画賞ノミネートなど国外でも評判を得る。

2009年発表の『デリー6』は、混沌としたデリーの下町を舞台に、アメリカ育ちのインド系青年が善悪二面性のある世界を知っていくというストーリー。NHKで放映された。

2011年のジェフ・ジンバリストとの共同監督作品『ボリウッド~究極のラブストーリー』は、2011年の東京国際映画祭の「アジアの風-ディスカバー亜州電影~アジア映画史アラカルト」部門で上映されている。



◎インタビュー by シネマジャーナル

印パ分離独立の騒動で父親を殺され、パキスタンとなった故郷からインドに逃れたミルカ・シン。悲しい過去を乗り越えて、自分を鍛え、アスリートとして成功したミルカの半生をダイナミックかつ細やかに描いたメーラ監督。 初めてお会いした監督は、知的で物静かな印象。映画への思いや、ミルカ・シンご本人の反応などをお伺いしました。   (景山咲子)


メーラ監督 撮影:景山咲子

◆実際は、ネール首相自らミルカにパキスタン行きを説得した

― ミルカ・シンの感動的な物語をありがとうございます。パキスタンで開催される印パ・スポーツ親善大会の団長を引き受けるのを渋るミルカ・シンを説得しにいく道中、コーチがスポーツ大臣にミルカの生い立ちを語る形で映画が描かれています。ミルカの人生に印パ分離独立が深く影を落としていることがわかり、素晴らしいストーリー展開だと思いました。

監督:映画では、大臣が説得に行く時にコーチが汽車の中で生い立ちを語るという形にしていますが、実際は違います。ミルカは指名されたとき、「私はパキスタンには行けない」と拒んだのですが、周りの皆が行くべきだと言いました。それでも彼は拒み続けていました。それで、インド初の首相であるネール首相本人が、直接ミルカ・シンに電話して「あなたは行くべきだ。あなたは軍人なのです。敵は自分の中にいるのです。自分の中にいる恐怖とあなたは闘って克服するべきだ」と説得しました。それでもミルカは「私は行けない。自分の親兄弟の血が流れた場所に立ち入りたくない」と答えました。首相はさらに、「ここインドでも多くの子どもたちが親兄弟を傷つけられて同じ思いをしているのです。嫌悪感を克服して、愛の大使としてパキスタンに行ってほしい。あなたは行くべきだ」と説得しました。ミルカは首相の言うことを理解しないままにパキスタンに足を踏み入れたのですが、パキスタンに行ってやっと首相が言ったことを理解しました。


◆歴史は最高の教師  印パ分離独立の悲劇を若い人たちに伝えたい

― カラチの博物館で、印パ分離独立のときに移住するために歩いている人たちの長い列がすれ違う写真や、列車の上にも大勢の人が乗っている写真を見てショックを受けたことを思い出しました。映画の中でも、当時の映像が出てきましたが、権力者の思惑で故郷を去らなければならなかった人たちのことを思うと胸が痛みます。
もう、分離独立から60年以上経ち、この映画が若い人たちや後世の人たちに当時のことを知ってもらうきっかけにもなると思いました。

監督:歴史は面白いものです。忘れてしまうと必ず繰り返します。戦争や争いごとも。歴史から学ぶことが大切です。繰り返さないためにも決して忘れてはならないことが大切です。若者や後世に伝えていかなければならないというコメントはまさにその通りです。 次の世代を担う人たちに自分の国の成り立ちを理解してもらう為に語り継いでいく必要があります。人は誰しも間違いを犯します。間違いを犯さないようにと学ぶ必要があります。印パ分離独立の歴史も近代史の中でとても大切で、今の若い人たちは知らない人も多いので映画で語りたかったのです。自分たちが正しくて、相手が間違っていると考えるのは必ずしも正しくない。そのことも映画を通じて感じて貰えればと思います。
公開して3日後位に、小学校の校長から、すべてのインドの小学校で生徒たちに見せてほしいという要望がありました。それで、午前中早い時間にインド全土で上映して、ほぼ無料で子どもたちに観てもらいました。子どもたちに会って感想を聞く機会があったのですが、10歳から14歳くらいの子どもたちが駆け寄ってきて話してくれました。
金メダリストになった大人のミルカにはあまり興味がなくて、少年ミルカに共感して、困難を抱えながらチャンピオンになったのだから、自分たちも頑張ってやりたいことを成し遂げたいと熱く言ってくれました。歴史は最高の教師だと思います。


◆パキスタンの歌手たちも起用

― 映画の中で心に残ったのが、ミルカがパキスタンになった故郷で幼友達に再会した時に、その友達が語った「人じゃない、分離独立のせい」という言葉です。印パだけでなく、宗教や民族の違いによる対立は、政治が起こすものだということ、そして、世界の各地で歴史に翻弄される人たちがいることを思い起こさせてくれる言葉でした。インド国内のシク教徒をはじめヒンドゥー教徒やイスラーム教徒の人たちそれぞれの反応はどのようなものでしたか?

監督:インドでは各層に受け入れられました。政治的視点もあるし宗教的問題も描かれているのですが、この映画は何より人間的観点から描いたもので、伝えているのは人間の物語。人間は皆同じ。肌の色は違っても血の色は同じです。宗教やカーストや立場によって分けられるのは悲しい。宗教や土地を巡る対立は、5千年以上続いていて、今後も永久に続くでしょう。解決策はないのではないかと思います。残念ながら人間はそのジャングルから抜けられないと思います。私たちにできることは、負った深い傷を愛という薬でいかに癒すかです。それが唯一私たちにできる最良のことだと思います。

― パキスタンでも上映されたのでしょうか?

監督: これまでの私の作品はすべてパキスタンで公開されて、人々から良い反響を得ているのですが、『ミルカ』は、パキスタンでは残念ながらまだ公開されていません。
子どもが時々喧嘩して口をきかなくても、また仲直りすることがあるように、毎年、2~3ヶ月、インドとパキスタンがお互い話をしないことがあって、ちょうどその時期にあたって残念ながら公開に至っていないのです。ですが、世界各地で上映されて、とても良い反応を得ています。

― パキスタンの歌手も起用されたのは、イスラーム教徒への配慮でしょうか?

監督: 映画にはパキスタンのアーティストの曲を2曲、採用しています。タイトルソング「Bhaag Milkha Bhaag」 はアリフ・ロハール(Arif Lohar)の歌ですし、もう1曲、とてもロマンティックな歌で、ジャヴェド・パシール(Javed Bashir)の「Mera Yaar」 も採用しています。
また、飛行機でミルカの隣に座って、「シートベルトを締めて」と言う女性の水泳選手を演じたのは、パキスタンの有名なロック歌手のミーシャ・シャフィ(Meesha Shafi)です。 大ファンなので是非出てほしいと思い、電話して、「あなたの声が大好きです。あなたの作品を愛してます。2分でいいから私の映画に出てください」とお願いしたら、「ええ、いいわ。ノープロブレム。私もそういう作品なら是非出たい」と快諾してくれて、実現しました。短いけれど、大好きな場面です。
対立は政治家が起こすもの。文化を担う私たち芸術家は対話を続けないといけません。私にとって重要だったのはパキスタンのアーティストたちを取り入れることでした。
観客も同様です。インドやパキスタンの観客がお互いに敵意を持たずに観てくれることが大事です。2006年に作った映画『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』もパキスタンで公開されて評判がよくて、それを元に「火」というテレビドラマも出来ました。パキスタンには友達もたくさんいて、メールやツイッターでやりとりしています。今撮影中の『ミルズィヤ...』にもパキスタンの偉大なシンガーたちの歌を取り入れています。物語はインドとパキスタンのパンジャーブ地方やアフガニスタンあたりに伝わる民話に基づくものです。この地域は、イギリスが地図の上で引いたデュアランド・ラインで国は分けられたけれど、心は分離できません。境目の煉瓦を一つ一つ取り除く形で境目をなくしていければと思っています。
私が若い頃は新聞でしか情報を得られませんでしたが、今はネットですべての情報が入ってきます。子どもたちも皆、色々な情報を得ています。いざこざを起こしているのは政治家だということも認識しています。

(注:デュアランド・ライン:およそ2,640kmに及ぶパキスタンとアフガニスタンの国境線である。デュアランド線、デュランド・ラインと表記されることもある。デュアランド・ラインは1893年にイギリス領インド帝国の外相であったモーティマー・デュアランド(Mortimer Durand)とアフガニスタン国王のアブドゥッラフマーン・ハーンの間で調印されたデュアランド・ライン条約の結果、生まれたもので、この地域での大英帝国の勢力圏を示すものであった。 ウィキペディアより)


◆映画化の権利料は、ローマ・オリンピックの1960年発行の1ルピー札で支払い

― ミルカ・シンは、映画化の権利の対価として、1ルピーでいいと言ったそうですね。

監督: ミルカ・シンに映画化の話を持ちかけた時、他に2箇所から日本円にして2000万円位の値段でオファーを受けていたのですが、ミルカ・シンの息子さんでプロゴルファーとして有名なジーヴ・ミルカ・シンが、「メーラ監督を選ぶべきだ」と口添えしてくれて、権利料もわずか1ルピーでいいと言ってくださいました。ローマ・オリンピックの開催された1960年に発行された1ルピー札を見つけてきてミルカ・シンに支払いました。3ヶ月ほど前のことですが、収益が出たので、2000万円ほどのお金を贈りました。その後の収益は私のほうでいただいています。


◆恋人役ソナム・カプールを「美しい彼女」と自慢する84歳のミルカ

― 恋人役を演じたソナム・カプールさんも、11ルピーでいいと言ったそうですね。11という数字は、インド人にとってどんな意味があるのでしょうか?

監督:11は、スペシャルな数字です。お寺に行っても、11ルピーをお賽銭として入れます。
この映画は、インドで人気のない陸上競技を扱ったもので、しかもマイノリティのシク教で、ボリウッド映画でもないし、恋愛もダンスもない内面を描いた映画なので資金がなかなか集まりません。ソナムにストーリーを話したら、資金難も理解してくれて、「ギャラは取れない」と。それなら、ラッキーな11ルピーでと提案しました。何かを強く伝えたいと思う時には周りも理解してくれて、ほかにもお金は取らないで多くの人が協力してくれました。ソナムもパートナーに名を連ねてくれました。

― ミルカさんは、出来上がった映画をご覧になって、どんなことをおっしゃっていましたか? 実際、恋に落ちて付き合った女性がいたとも聞いています。映画を観て、ソナム・カプールさんが演じた恋人役に満足されていましたか?

監督:映画が出来上がって、ミルカ・シンが私の隣に座って二人きりで映画を観ました。彼自身が経験したことを描いた映画なので、どう感じたのかは本人でないとわからないのですが、途中から泣き始めて、私の手を握って離しませんでした。
ソナムさんについては、84歳のミルカ・シンが、24歳のソナムを「美しい彼女を紹介するよ」と冗談まじりに、いちゃつきながら自慢していたりして微笑ましいと思っています。


メーラ監督 撮影:景山咲子

*******

★取材を終えて

あっという間に、時間が過ぎてしまい、最後に写真を撮りながら、「ミルカ・シンが東京オリンピックに参加したときに一緒に来たシェフが伝えたカレーのレシピを今も東京のあるホテルで受け継いでいると聞きましたが、ご存知ですか?」と伺ってみました。
監督、「知らなかった。明日にでも探してみましょう。レシピを見つけたら、私も料理が好きなので作ってみることができると思いますよ」とおっしゃいました。家で実際に奥様とお子様のために腕を振るうこともあるらしいと知りました。学者肌の風貌からは、台所に立つ監督が想像できなくて、もっともっと家庭のお話も伺いたかったです。

メーラ監督は、質問に対してじゅっくり答えてくださる方と、宣伝担当の方からお伺いしていたのですが、最初の感想にも長いコメントを述べてくださって、冷や汗でした。用意していた質問のいくつかはお伺いすることができませんでした。一番聞いてみたかったのが、ローマオリンピックでゴール直前で後ろを振り向いた、ほんとの理由をミルカ・シンはどう語っているのか? です。
ミルカ・シンが現在住むチャンディガルの町に行ったことがあります。北部にあるマナーリーの町に、ラダックから飛行機で行く予定が、デリーからのバス移動に変更になったので、予定外にチャンディガルに泊まることになったのです。町の成り立ちを知らなかったので、碁盤の目のようになった町並みがインドらしくないと思ったのですが、分離独立後に作った町だと知って納得しました。チャンディガルに住む人の多くがシク教徒。チューリップの花が咲いたように色とりどりのターバンで町は溢れていました。シク教徒のリキシャワーラーにモスクに連れていってくれと、無茶なお願いをしてしまったのを思い出し、申し訳ないことをしたと反省しています。
メーラ監督は、映画の中で、幼友達が列車の中でイスラーム教徒の女性たちに助けられる場面も描いています。たしかチャーダルではなくブルカを被った女性たちで、より戒律が厳しい人たちに助けられたことに意味を持たせたように思いました。イスラーム教徒に配慮した場面のようにも思いました。それもお伺いしたかったのですが、時間切れで残念です。
毛利奈知子さんが、私が質問できなかったことを聞いてくださっていて、監督の作品への思いをさらに知ることができました。次作の『ミルズィヤ...』も、ほんとに楽しみです。

追記:思えば、メーラ監督のジェフ・ジンバリストとの共同監督作品『ボリウッド~究極のラブストーリー』を、2011年の東京国際映画祭で拝見していました。実は、ボリウッド映画の歌って踊っての場面が苦手な私。私が切ってしまったフィルムを繋いだようだと、『ニュー・シネマ・パラダイス』のキスシーンのフィルムを集めたものを思い浮かべてしまったのでした。思い返せば、ボリウッド映画の系譜をわかりやすくまとめた秀作でした。このこともお話したかった!

取材: 景山咲子






メーラ監督来日報告 by 毛利奈知子

『ミルカ』日本公開に先立ち、本作の監督、ラケーシュ・オームプラカーシュ・メーラ(Rakesh Omprakash Mehra)監督の来日にあたり、一般上映前の監督の舞台挨拶とインタビュー取材の機会をいただきました。

◎試写会前の舞台挨拶

監督もゲストの武井壮さんも熱く語られ、予定の時間より延長になるほど。 ここではその様子をまとめてご紹介します。

メーラ監督(舞台挨拶) 撮影:毛利奈知子

◆監督、二度目の来日

監督は22歳の時に、人生の初仕事であった小さな広告の仕事で日本に来たことがあるそうです。日本の状況を知るために日本の自動車のマツダの工場で働いたり、ガソリンスタンドで働いたり、東京では広告代理店の電通のオフィスでも働き、3ヶ月の滞在だったとのこと。もう28年前のことになるのかと思うと感慨深いと。


◆『ミルカ』に込めた監督の想い

司会者に『ミルカ』の映画を作ったきっかけを聞かれた監督は、単なるスポーツ映画ではないので答えるのは難しいと言いつつ、次のようなことを話されました。
13歳の息子さんと16歳の娘さんがおられるそうですが、スカッシュと乗馬をやっている息子さんは家に遊びに来る友だちと靴やらラケットやらの文句を行ったり、暑いから練習に行かないとか不満をよく口にしたりしているとか。
今の時代は持っていないものについて不平不満を言う人が多いが、12歳の少年だったミルカは両親はじめ肉親が殺されるのを目の当たりにし、食べるものも住むところも無いところから始めて、アスリートとして成功を収めた。インドは古い歴史はあるが独立してからの歴史はそんなに長くはない、発展途上国でもあり、近年になってめざましい発展を遂げつつある。ミルカに比べたら恵まれている監督の息子さんやその友だちなら何だってできるはずだと。人生には良いときも悪い時もあり、人は困難な時こそ精神が重要でそんなときこそ人柄が表れるものだ。若い世代こそ『ミルカ』に込められた不屈の精神のメッセージを理解してほしい。今の時代にそんなメッセージが求められたので多くの人にこの映画が受け入れられたのだろうと。


◆世界中から本物のアスリートを集めての競技会シーンの撮影

ミルカのトラック競技の競技会の走者を海外から募った件のエピソードを司会者から求められた監督。 競技会シーンにリアリティーを出すために世界中から大学生のトップアスリートやこれからのチャンピオン候補を募って、競技会シーンをカット繋ぐのでなく、長回しで撮影できたと答えました。


◆日本人の元十種競技チャンピオン武井壮さん登壇

そして、ミルカの競技会シーンに登場した日本の十種競技の元チャンピオン、武井壮さんが登壇。マネージャーの勧めで、まだ売れていなくて手持ちのお金もほとんどない中、『ミルカ』の競技会シーンの本物のアスリートの募集にプロフィールを送り、応募。本物のアスリートであることの他には英語が話せて、一人でインドに行けて、2週間の撮影のための滞在が出来る人が条件だったとか。見事にパスして武井さんは出演を果たします。監督と武井さんの撮影エピソードの後、監督が武井さんにスペシャルプレゼントを進呈。それは監督の家にずっと飾ってあったという、『ミルカ』の初版刷りのポスターでした。そしてそこには実在のミルカ・シンの直筆サイン、「愛を込めて」というメッセージと2011.11.28という日付がありました。武井さんはいたく感激。かつて武井さんがトレーニングコーチをしていた日本のプロゴルファー市原建彦選手がよみうりオープンでプレーオフを戦った相手がミルカ・シンの実の息子でインド人のプロゴルファーのジーブ・ミルカ・シン(Jeev Milkha Singh)だったエピソードを話され、不思議なご縁を感じると言われていました。



メーラ監督と武井壮さん 撮影:毛利奈知子


◎メーラ監督インタビュー

*はじめに*

インド映画を観るようになって20年ほどになる私ですが、メーラ監督の作品は、長編映画デビュー作『Aks(影)』(2001年)、そして続く『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』(2006年)、『デリー6』(2009年)、『ミルカ』(2013年)をこれまでに観たことがありました。特に『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』以降の3作品がたいへん好きでDVDで何度も鑑賞しており、尊敬するインド映画の監督の一人でした。一つの作品を世に出すのにじっくりと時間を掛けて、とても丁寧な映画作りをされており、映画にはそれぞれに社会性あるテーマが込められていました。色々な意味で映画作りの姿勢に他のインドの監督とは違う何かを感じていましたので、映画作りへの想い、映画を作るプロセスで大切にしていることについて尋ねてみたいと思いました。 (毛利奈知子)


メーラ監督 撮影:毛利奈知子

◆広告業界のCFの作り手から長編映画監督への転身の経緯

― 監督は元々テレビコマーシャルを作ることから仕事のキャリアを始められて、その後、長編劇映画の世界に入られましたが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

監督: コマーシャルフィルム(以下、CF)は、モノを売るためのものです。自動車、バイク、カメラ、シャンプーを売るために作るのです。CFを作る仕事は儲かります。私はたくさんのCFを作りました。ペプシ、コカコーラ、そして、トヨタやホンダがインドに進出した時にもCFを作りました。
 しかし、どこかで私は人としてそろそろ次のステップに進まなければいけないなという風に感じていました。自然の成り行きで先にステップを進めることになり、脚本を書き始めました。そして運命的に最初に作ったアミターブ・バッチャン(Amitabh Bachchan)主演の長編劇映画『Aks(影)』で映画監督デビューすることになりました。その時はアミターブとCFを作っていましたが、彼にストーリーを伝えると「ぜひこの映画をいっしょに作りましょう!」とオファーを受けてもらえて、この映画を作ることになりました。この『Aks』を作った時にとても楽しかったのです。それで私は映画を作ることがすごく好きなんだ!という事に気づきました。そして、映画監督に転向することにしたのです。しかし、映画の脚本を書くことについてはよく分かっていませんでした。映画の脚本を書くことはインドではとても他と違う、特別な作業です。学校できちんと学ばなければなりません。そこで私はそれまでの広告の仕事をすべて辞めて、それからの5年間は映画作りを学ぶことに集中しました。そして、『Rang De Basanti』を書き、映画を作りました。その後の色々なご存知のようなことが起こり(=映画の上映は成功を収め、高い評価を得て多くの賞を受賞したことの意と思われます)、作品作りがあり、今に至ります。


◆脚本づくりについて

― 監督の映画づくりのプロセスについて詳しくお伺いしてみたいと思います。映画の中で脚本は、たいへん重要だと思います。『ミルカ』の脚本はとても素晴らしいものだったと思います。私は監督の作品の中で『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』(2006年)、『デリー6』(2009年)、『ミルカ』(2013年)がとても好きですが、『ミルカ』で脚本を担当されたプラスーン・ジョーシ(Prasoon Joshi)氏とは過去のそれらのメーラ監督の監督作品でも挿入歌の作詞や脚本で一緒に仕事をされていますね。今回『ミルカ』の脚本を依頼されるにあたってのエピソードを教えていただけますか?

監督: 彼には『ミルカ』の中で歌の作詞をまずお願いして書いてもらいましたが、さらに加えて脚本作りにも参加してもらうよう依頼しました。本作のストーリーは実在のミルカの自伝に基づいていますから、私は彼にその本を渡しました。
実際に、私は最初にミルカ本人に会って、何日もかけて色々話を聞きました。その時、彼の目に涙を2回見ました。一つ目は彼が失った家族のことを話した時ともう一つは1960年のローマオリンピックで金メダルを逃した時でした。
脚本については、まず私自身が最初と最後のシーンを書きました。ローマオリンピックのシーンです。ミルカがレースで走っている時に、コーチが『Bhaag Milkha, Bhaag(走れミルカ、走れ!)』と叫ぶとミルカが後ろを振り返り、子どもの頃の出来事のフラッシュバックが起こります。それは彼の心の痛みとなっているシーンです。そしてもう一つ、最後のインドとパキスタンの友好親善試合でミルカがラホールで微笑みながらトラックを走っているシーンです。この二つのシーンを私自身が書いた後に、プラスーンに残りの脚本をお願いしました。しかし、脚本を仕上げるに当たってはプラスーンと毎日議論を重ねました。実際の作業の中で、撮影台本(Shooting Script)は私が書いて、ストーリーをプラスーンが書きました。

― そうだったのですね。プラスーン・ジョーシさんのことを私は彼が他に携わられた作品の作詞や脚本などで知っていて、それらがとても気に入っていました。今回の『ミルカ』でもいっしょにタッグを組んで素晴らしい映画を作られましたが、二人が出会われたきっかけが広告の仕事をされていた共通のバックグラウンドからかなと思っていたのですが、実際はどうなのでしょうか?

監督: いいえ、そうではなくて、以前彼は詩の本を書いて出版していて、それを読んだ私は彼の詩が好きだったんです。それである日、映画を作りたいのだけれど、挿入歌の歌詞や脚本を書いてくれませんかと頼んだので一緒に仕事をするようになりました。

注)プラスーン・ジョーシPrasoon Joshi:
作家、詩人、作詞家、脚本家等マルチな肩書きを持ち、また広告会社MacCannのCEOとして”広告界のグル(師匠)”と呼ばれる多芸多才の人。1971年ウッタラーカンド州生まれ。17才の時から執筆を始め、作家としての地歩を築く一方で、広告業界に入ってアーミル・カーンを起用したコカコーラのCFなどで注目される。2001年には作詞家としてボリウッド映画界でも活躍を開始、また脚本家としても活動を始める。ボリウッド・セレブの大物として有名である。

◆『ミルカ』のキャスティングについて

― 次に映画のキャスティングも映画ではとても重要な要素だと思います。どんなふうにキャストが決められているのかという過程に興味があります。本作で主役のミルカを演じたファルハーン・アクタル(Farhan Akhtar)は本当にはまり役で素晴らしい演技を見せていましたが、この主役のキャスティングについてお伺いしたいと思います。アビシェク・バッチャン(Amitabh Bachchan)やアクシャイ・クマール(Akshay Kumar)が候補に上がっていたと聞いていますが、ファルハーンに決まった経緯を教えていただけますか?

監督: アビシェクやアクシャイが候補に上がったことは実際は一度もないですよ。新聞などメディアは好きなことを書きますからね(笑)。私たちはたくさんのスクリーンテストをあちこちで行いました。インドでもまた、実在のミルカが今のパキスタンの土地の出身でしたので、パキスタンのパンジャーブでも、さらには、ロンドンやカナダでも行いました。なぜなら私たちは長髪のシク教徒を探していたからです。そして、ロンドンのリズ・アハメド(Riz Ahmed)という俳優が最終選考に残っていました。しかし、私はある朝起きた時にファルハーンのことが思い浮かびました。ファルハーンとはかつて毎日のようにクラブ(おそらくフィットネスクラブの意)で会っていたのです。私が彼にそのジムに来ないかと誘っていました。
ミルカの役はファルハーンに!と閃いた私は、彼に電話をして「コーヒーでも飲みませんか?」と言って誘いました。ファルハーンは「いいですよ。こちらにいらして下さい」と言ってくれて、そして彼に会いました。それから、20分位、『ミルカ』がどんなストーリーかを話をしました。そして、「ミルカの役をやってくれるかい?」と尋ねたところ、彼は即答で快諾してくれました。ファルハーンはこの映画のアイデアをとても気に入ってくれたんです。実を言うと、その7年前『Rang De Basanti』を撮った時にも実はファルハーンに脚本を渡して、その中の役の一つを演じてほしいとオファーしたことがあるんですが、その時はファルハーンは映画監督としてもとても優れている人でしたから、監督としてのキャリアに集中している頃で、「僕は俳優じゃないから演じられないよ」と言って断られたんです。でも、その後、彼は俳優としての演技経験を積んで、演技することに目覚めていたんだと思います。私はずっとファルハーンは良い役者になると感じていましたよ。

― 他のキャスティングについてもお伺いしたいと思います。ファルハーンの相手役女優として出演したビーロー役のソナム・カプールは(Sonam・Kapoor)、本作ではミルカの人生を変えるのに重要な役割を果たす役柄を演じていましたね。出演時間は長くはないですが、とても素敵でした。ファルハーンのキャスティングが決まった後にソナムを決めたのですか?

監督:いいえ、ソナムはファルハーンよりも前に決まっていましたよ。

― ミルカのお姉さん、イシュリ役のディヴィヤ・ダッタ(Divya Dutta)の演技も素晴らしく、『ミルカ』の中で私は何度も涙しました。「デリー6」にも出演されていて印象的な役を演じておられましたね。とても良い役者さんで私は大好きなのですが、彼女のキャスティングはいつ決まったのでしょうか?

監督:彼女もこの映画で最初に決まったキャスティングの一人ですよ。ファルハーン以外の主なキャスティングも含めて決まった順を言えば、順番で言うと ソナム、ディヴィヤ、そしてミルカの軍の陸上コーチ役のパワン・マルホトラ(Pawan Malhotra)、そしてファルハーン、父親役のアート・マリク(Art Malik)、そして最後に国家チームのコーチ役のヨグラージ・シン(Yograj Singh)」のキャスティングが決まりました。


※監督はミルカが初めて海外遠征の飛行機に乗るときの旅客機の機長役としてカメオ出演されています。

◆インド上映版と日本で上映の国際版の編集について

― 私は英語字幕でインドで上映されたバージョンの『ミルカ』を観ましたが、日本で上映される国際版の『ミルカ』とは編集が違いました。上映時間が日本で上映の国際版は短めの時間に編集されていましたが、インド版で使われなかったDeletedシーンの内の一つのシーンが日本で上映される国際版では使われていました。そのような編集になった背景を教えていただけますか?

監督: あの電車の中のミルカの友だちのシーンは元々は別のシーンの中で撮られたものでした。ミルカがあの友だちと逃げているシーンの中で撮られたものだったのです。インド版を作っている時、インドの首相がミルカにパキスタンに行くように説得し、ミルカはパキスタンに行き、自分が住んでいた村があった場所を訪ねます。ミルカはそこであった過去の出来事を思い出し、泣き崩れます。あの瞬間には競技場に場面を移すことの方がとても重要だったのです。インド版は3時間8分という長い上映時間のものでしから、あのシーンも加えるとどんどん長くなってしまいます。なので、削られました。しかし、国際版では、いや、国際版というよりニューバージョン、最新編集版と呼びましょう、、、では、およそ40分ぐらいカットしなければなりませんでしたが、インド版と違って、今度は時間のことは気にする必要はありませんでした。あのシーンは重要なシーンだったので、「よし、じゃあ戻そう」ということになりました。私もずっと好きなシーンでしたので、あのシーンをニューバージョンには戻そうということになりました。

― 私は例えば日本の人たちはイスラームやインドとパキスタンの分離独立の時のことをよく知らないので、そのためにあのシーンを入れられたのかと思ったのですが・・・

監督: それも日本で上映するニューバージョンにあのシーンを加えた理由の一つです。しかし、インドやパキスタンの人たちは歴史のことはよく分かっていますから、インド上映版ではそのシーンはなくても大丈夫だろうということになりました。

※インド版のDeletedシーンについて:インド映画のDVDは2枚組で1枚がストーリーのDVD、もう1枚が特典映像付きで販売されることも多く、その特典映像の中にインド上映版の『ミルカ』で使われなかったDeletedシーンがいくつか入っていました。

◆今後公開予定の監督作品について

― 今後の作品にも大いに期待していますが、これから監督作品として予定されている映画についてお話しいただけませんか?

監督:これから作ろうとしているたくさんの話があります。
まず、現在撮影している作品『ミルズィヤ...(Mirziya...)』があります。おおよそ17世紀の頃の設定のシーンを撮りますが、今は寒くて行けませんから、その大部分は6月にラダックで撮影します。この映画はグルザール(Gulzar)といっしょに作っています。彼がストーリーと歌詞を書いてくれました。一種のミュージカルです。他には『カジュアル・カーマスートラ』(Casual Kamasutra、略してCK)のストーリーを今書いています。そして、アニメーション映画の『ブルーボーイ』、『ラジャー(Raja And The Legend Of The Flute)』の物語など色々計画はあります。
しかし、次にどれが公開できるかというのは分かりません。なぜかというと色々とクリアーしなければならない要素があるからです。
例えば脚本を書くことは私が毎日する映画作りのプロセスです。なので、それをいつもやっています。映画を完成させるプロセスとしてまず脚本が正しいものでなければいけませんし、キャスティングも正しいものでなくてはいけません。それが出来たとしてもその後に次はお金を調達しなければなりません。なぜなら私はまず最初にキャストありきというのは好きじゃないです。インドでは映画でお金を儲けるにはまずキャスティングを決めるんです。最初に大スターをキャスティングするという訳です。私の場合はまず脚本をしっかり書いて、キャスティングはその役に合った適任者を選びます。もし正しい仕事をしているのならば。それが商売になるかならないかとかは問題じゃないんです。

※『ミルズィヤ...(Mirziya...)』はパンジャーブ地方あたりに伝わる民間伝承の四つの悲恋の物語の一つ、「Mirza Sahibaan」をベースに作られている作品。まだ全容は明らかではありませんが、『ミルカ』に出演しているソナム・カプールの弟さんのHarshvardhan Kapoorがデビュー作として主演することが決まっています。相手役の女優さんもSaiyami Kherという新人。

*********

*取材を終えて*

監督は私の質問に終始本当に一つ一つ丁寧に答えてくださいました。
今回一番印象に残ったのが、「まずキャスティングありきで映画は作らない」と言われていたことです。脚本作りやキャスティングなどの映画作りの根幹に関わる部分の監督のこだわりやそれを進めるプロセスの一端を直接お伺い出来たのは、大きな収穫でした。今回、少しだけインド映画作りの現場について、垣間見ることが出来た気がして嬉しかったです。
思っていたとおりに、メーラ監督はテーマ性と普遍的なメッセージを込めて丁寧に映画を作っておられることも分かりました。時間があればもっと他にも音楽や撮影現場での撮影の様子やプロセス、編集についても詳しくお話を伺いたかったです。インド映画の長年のファンとしてはどんな風に作られているかというのは興味津々。いつか撮影現場をこの目で見学してみたいと思いました。
映画のクレジットには脚本担当の名前にクレジットされていませんが、今回のインタビューでメーラ監督は『ミルカ』では撮影台本を書くことに深く携わっておられたという事実も知りました。また、日本では脚本と一言で書かれてしまいますが、インドの映画では脚本は撮影台本を書く役割とストーリーを書く役割は分業されているようで、その様子も少し知ることができました。作品や監督により脚本への介入の度合いは違うのかもしれませんが、今回はそのあたりまで突っ込んだ質問は出来ませんでした。これも今後の課題です。 インタビューは英語で行われましたが、映画作りを学ぶことにしたという意味合いの説明の時に「Making Film」でなく「Writing Film」という言葉を監督が使っておられました。儲け優先でまずスターのキャスティングありきでなく、映画作りのまず基本として脚本作りに力を入れられていることの表れなのかなと私は感じました。
そして、監督は私が『ミルカ』の他に『Rang De Basanti(愛国の黄色に染めて)』(2006年)、『デリー6』(2009年)も観たことがあるとお話したところ、とりわけ『デリー6』も観ていることを喜んでくださいました。デリーに生まれ育った子供の頃の経験が込められている映画で思い入れがあるとのこと。DVDや正規のオンラインサイトで監督の他の作品を機会があれば皆さんもご覧になってみてください。 心揺さぶる感動作、『ミルカ』が日本でヒットすることを心から願うと共に、メーラ監督の次回以降の作品にも大いに期待しています。

取材: 毛利奈知子

return to top

本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ: order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。