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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『無知の知』石田朝也(ともや)監督インタビュー



石田朝也監督

石田監督プロフィール

1967年静岡県湖西市出身。初めて映画を意識して観たのは小学生のときの『ゴジラ』シリーズ。中学生で『ブルース・ブラザーズ』に出会って監督の道を志した。パリ映像高等専門学校卒。ドキュメンタリー番組、海外作品・合作映画に携わる。2005年ドキュメンタリー映画『成瀬巳喜男・記憶の現場』で監督デビュー。内外から高く評価される。

『無知の知』は2本目の長編。原発のことを知りたいと、当時の菅総理、官房長官を始め政府の関係者、原子力工学の第一人者らにインタビュー。また多くの被災した方々に取材している。

「福島映像祭2014」で上映された折は、民主党政調会長 福山哲郎氏(撮影当時は内閣官房副長官)がトークのゲストとして登場した。





―始まりは?

 2013年3月、日比谷での反原発集会で、南相馬から来てマイクを持っていたおばちゃんに話しかけました。「2年も経って今更行けない。こちらで未来エネルギーについて映画を作る」という僕に「そんな意地張らず遊びに来なさいよ」と肩をたたいてくれました。翌月さっそく行って「エコエネ南相馬の発足式」にちょうど当たりました。街はかなり復興していましたが、共同通信の支局長さんに聞いて訪れた場所が最初のシーンの南相馬の小高地区です。無人の街に電灯が煌々と灯っている。衝撃でした。そのとき初めてカメラを回そうと思いました。
 予算もなくてカメラマンも雇えない。ベテランカメラマンの松崎高久さんに「誰か安くやってくれる人いない?」と聞いたら、まず本人が来てくれました。富岡町のガレキが積まれたままの状態を前に呆然として「見ちゃったな」とポツリ、「自分がやる」と言ってくれたんです。

―良い方に出会えましたねぇ。

 松崎さんは「こっちも命懸けだから、言いたいこと言わせてもらう」と、初めのうち喧嘩ばかりして、蹴っ飛ばされていました(笑)。
 『選択の時0f JAPAN』というのが最初考えていたタイトルだったんですよ。マイケル・ムーアみたいに「糾弾するつもりだと言ったのに全然できてないじゃないか!」という松崎さんと大喧嘩したあげく、固まってきた自分のやりたいことをやっと説明できました。松崎さんにわかってもらえて、どうしたらいいか一緒に考えるようになりました。
 わからないことがありすぎる中で、とにかく知ったかぶりはしない。関係者には正直にわからないことを聞いていこう。被災者を泣かせるインタビューはしたくない。優しい気持ちで会いたい。僕が訪ね歩いて行く映画表現にしようと。僕の一本目の映画を観ていた方が途中から福島に来るようになり、3人体制になれたのでインタビューしている自分も映るようにしました。
 この帽子は、なんの被害も受けなかった自分が後ろめたい気がしていたもので、威儀を正したいという形なんです。

―どんな準備をなさるんですか?

 本当に何も知らなくて、最初は線量計も持たずに行ったんです。でも線量計が高くなるようなところは身体がわかるんですよ、ここはヤバイんじゃないかと。数字について、何かで調べていうのではなく、自分の持っている線量計を示すだけにしました。
 いつも何も決めずに行きます。仮設住宅もお役所で聞いてからでなく、いちばん近いところへ。ただ、どこへでも入れるわけでなく、どうしても入っていけなかったところもあります。うまく説明できないんですが。
 震災直後にたくさんのマスコミが来て、取材に応じて話したのに少しも伝わっていない、と責められました。後から来た僕もどうせ同じだろうと思われるんですね。

―監督の人柄というかキャラが、安心できるからではありませんか? ぶつけても受け止めてもらえる感じがします。

 僕は昔っから「怒られキャラ」でした。今回もずいぶん叱られたり怒られたりしました(笑)。

―政治家というと全く別のフィールドにいる戦闘能力の高い人って気がするんですが、緊張しませんか? そうそうたるメンバーですね!

 最初に会えた方から次々と繋がっていった感じです。僕はなんにもしてないんですけど。
 突撃とは言ってもまず手紙を書きました。返事が来て「一度お会いしましょう」となって撮影はその次ということが多いです。最初に訪ねたときに「(カメラを)すぐ回していいよ」という方もいましたし、いまだになんのお返事ももらえない方もいます。
 政治家へのインタビューに行くときは、何にもないところから始めたいので挨拶の言葉も考えないようにしていました。福山さんの著書は読んでいきましたが、準備といえば、ウィキペディアの頁を印刷して持っていったくらい。もっと勉強して来なさいと秘書の方に怒られたこともあります。細川元総理に会ったのは、今思うとすごく忙しいときだったらしいんです。一月後都知事選に出られて驚きました。
 僕は政治家や専門家よりも、被災者の方々と会うほうがずっと緊張しましたね。

―被災者の傷に触れることになるからじゃないでしょうか。これからどんな予定がありますか?

 自分に何ができるか考えていますが、会えた方々が元気になるまで、とにかく会い続けるつもりです。長い時間お話しできても、作品にするとそのうちの一部分しか使えません。切るのが惜しい場面もいっぱいありました。
 結論も出していないし、まだまだわからないことばかりです。これからも撮影は続けていきます。少しでも何かのきっかけになってくれたらと思いますので、たくさんの方に観ていただきたいです。

(取材・監督写真 白石映子)


『無知の知』チラシ(クリックで拡大)


「無知の知」場面写真
(C)「無知の知」製作委員会2014
(C)「無知の知」製作委員会
2014 11月1日(土)ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー!

作品紹介はこちら

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