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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『イロイロ ぬくもりの記憶』
アンソニー・チェン監督インタビュー

2014年12月13日から新宿K’sシネマほか全国順次公開


 昨年の東京フィルメックスで観客賞を受賞した『イロイロ ぬくもりの記憶』が公開されます。来日したアンソニー・チェン監督に映画製作にまつわる話を聞きました。

『イロイロ ぬくもりの記憶』原題「爸媽不在家」 作品紹介

 舞台は1997年のアジア通貨危機下にあるシンガポール。共働き夫婦の一人息子と、フィリピン人メイドとの交流を描く。
 両親共仕事で帰りが遅い家庭の一人息子ジャールーは、わがままで小学校では問題ばかり起こし周囲を困らせていた。手を焼いた母親の決断で、フィリピン人のテレサが住み込みのメイドとして雇われる。突然家にきたテレサになかなか心を開かず、テレサに意地悪ばかりするジャールーだったが、多くの時間を過ごすうちに馴染んできた。そして、フィリピンに置いてきた息子への想いを抑えつつ必死で働いているテレサに、いつしか自分の抱える孤独と同じものを感じて心を開き、二人の間に家族のような関係が築かれていった。
 メイドになつき始めた息子に安心していた母親だったが、次第にテレサに対して嫉妬にも似た複雑な感情を抱き始める。その頃、父親がアジア通貨危機による不況で会社をリストラされてしまい、メイドを雇ってはいられなくなり、テレサは去る。ジャールーは自分を理解し、暖かく見守ってくれるテレサとの別れを悲しむ。
 第66回カンヌ映画祭カメラドール受賞。台湾金馬奨(台湾アカデミー賞)では、最優秀作品賞など4部門を獲得。昨年の第14回東京フィルメックスでは観客賞を受賞した。

撮影 ブノワ・ソレール
編集 ホーピング・チェン
キャスト
ジャールー:コー・ジャールー
テレサ:アンジェリ・バヤニ 
ジャールーの母:ヤオ・ヤンヤン
ジャールーの父:チェン・ティエンウェン
英題:ILO ILO
製作年:2013年
製作国:シンガポール
上映時間:1時間39分
配給:Playtime 提供:ポリゴンマジック / アクシー
デジタル/カラー/1:1.85


(C) 2013 SINGAPORE FILM COMMISSION, NP ENTERPRISE (S) PTE LTD, FISHEYE PICTURES PTE LTD

『イロイロ』公式HP
http://www.iloilo-movie.com/

監督 アンソニー・チェン(陳哲藝) プロフィール 公式HPより


アンソニー・チェン監督

1984年、シンガポールに生まれる。義安理工学院で映画を学び、卒業制作として短編「G-23」(04)を監督。この作品は多くの国際映画祭で上映された。続く「Ah Ma」(07)はカンヌ映画祭短編コンペティションでスペシャル・メンションとして表彰。「Haze」(08)はベルリン国際映画祭短編コンペティションに選ばれた。その後、英国の国立テレビ学校で映画を学び、2010年に卒業。現在はシンガポールと英国をベースに活動する。その他の短編映画に「Distance」(10)、「Lighthouse」(10)、「The Reunion Dinner」(11)がある。2010年、東京フィルメックスのネクスト・マスターズ・トーキョー(現タレンツ・トーキョー)に参加。この時にプレゼンされ、最優秀企画賞を受賞した企画が長編デビュー作『イロイロ ぬくもりの記憶』(13)として結実し、カンヌ映画祭でカメラドールを受賞した他、台湾金馬奨で作品賞含む4部門(作品賞、新人監督賞、脚本賞、助演女優賞)を受賞。






◎インタビュー

*タイトルに込められた思い

― タイトルの「ILO ILO」とは、監督が子供の頃、家で働いていたフィリピン人のメイドさんの出身地の地名と聞きました。この作品は監督の子供の頃のメイドさんへの思い、懐かしさ、寂しさなど、忘れられない思い出が込められている作品ですね。この作品を長編第一作に選んだ理由は?


アンソニー・チェン監督

アンソニー・チェン監督:そうです。私が4歳から12歳まで、我が家にいたメイドの出身地がフィリピンの「ILO ILO」というところで、響きがいいので、英語タイトルは「ILO ILO」にしました。
子供時代、成長過程で重要な時期、長い時間をメイドと一緒に過ごしたので、いろいろな思い出があります。自分の中にずっと存在していたので描こうと思いました。シンガポールでメイドを雇うことはぜいたくではなく普通のことなんです。
メイドと家族の物語は、子供の頃、身近にあったものを参考にしました。子供の頃の楽しかったこと、食べ物がおいしかったこと、遊んだことなどは記憶に残っています。そして、この作品のように両親は忙しく、いろいろな場面でメイドといっしょだった。当時は自分のことしかわからず、周りのことは見えなかったが、振り返ってみると大人の世界は複雑だと気づいた。そんな思いを作品の中に盛り込みました。
でも、ホームドラマ風、センチメンタルな感情におぼれるような作品にはしたくなかったんです。

― ずっと同じメイドさんだったんですか?

監督:そうです。8年も同じ人だったので家族同然でした。

― 日本にも「イロイロ」という言葉があります。日本語の「色々」の意味は知っていますか?

監督:知りませんでしたが最近知りました(笑)。多種多様、様々という意味だそうですが、この映画の中で描かれている内容にも、ある意味通じるところがありますね。

― この映画の舞台、1997年頃から比べるとシンガポールはどのように変わったと思いますか?

監督:あの頃はアジア通貨危機下で、シンガポールでは失業者が増えました。我が家でも、米国企業に勤めていた父が失業し経済的に大変でした。あの金融危機の時代は私の人格形成に大きな衝撃を与えた時期でした。今では回復して経済状況は良くなり中流家庭が増えました。しかし、格差は広がっているので、今がいいとも言えない。街の外観も大きく変わり、人々の価値観も変わった。昔よりずっと金満体質になってしまった。

― カンヌではカメラドール(新人監督賞)、台湾金馬奨では4部門も受賞しましたね。

監督:この映画は普遍的な価値観が描かれ、少年の成長、家族の問題、金融危機などの社会背景、海外からの出稼ぎなどが描かれ、文化や国境を越えた作品として評価されたのではないかと思います。金馬奨では、アン・リー監督が「こんなに高いところからスタートするのでは次が大変だよ」と気遣ってくれました。

― 東京フィルメックスの映画人材育成プログラム「ネクストマスターズ2010」(現「タレント・キャンパス・トーキョー」)で最優秀企画賞を受賞したことが、この映画を撮るきっかけを(後押し)与えてくれたとのことですが、今、振り返るとその意味は?

監督:その頃すでにこの映画の企画を進めていました。ここでのコネクションがその後の作品製作に結びつきました。その時の講師兼審査員は、私が尊敬する台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督で、アドバイスを受けました。おかげで大変自信がつきました。日本は一見関係ないようですが、ここでの出会いがなければ、この映画の完成はありませんでした。


*キャスティング

― キャスティングについてお聞きします。息子役のコー・ジャールーはどのように見つけたのですか?

監督:10ヵ月かけ2000人の子どもをオーディションしました。その中から候補者を150人に絞り、彼らに半年にわたるワークショップを実施しました。その中から抜擢したのは演技経験のなかった11歳のコー・ジャールーでした。シンガポールの南華小学校の6年生で武術太極拳に精通していました。本作がデビュー作で、反抗期の子どもらしい姿を自然に演じていたと思います。悪ガキぽさと繊細さを合わせ持つすばらしい演技でした。

― テレサ役のフィリピンの女優アンジェリ・バヤニさんは、フィルメックスで知り合ったフィリピンの監督の紹介でみつけられたとのことですが、どのように選んだのでしょうか?

監督:先ほどお話した「ネクストマスターズ2010」で知り合ったフィリピンのフランシス・セイビヤー・パション監督とホテルで同室になり、仲良くなりました。それでメイド役を選考する時に協力してもらいました。フィリピンに行き、滞在したマニラの安ホテルでオーディションをしましたが、彼に紹介してもらったフィリピンの女優さんなどが来てくれました。その中からアンジェリ・バヤニさんにこの役をお願いしました。

編集部注:今年(2014年)のフィルメックスでは、フランシス・セイビヤー・パション監督の『クロコダイル』(最優秀作品賞受賞)が上映され、この作品に主演したアンジェリ・バヤニさんも来日しQ&Aに参加した


フランシス・セイビヤー・パション監督とアンジェリ・バヤニさん(2014.11 東京フィルメックスで)

― 母親役はマレーシア出身のヤオ・ヤンヤンさんが演じていましたが、彼女を起用した理由は?

編集部注:シネマジャーナルHP ヤオ・ヤンヤンさん出演作記事
 『881 歌え!パパイヤ』特別試写会 舞台挨拶報告
 http://www.cinemajournal.net/special/2008/881/

監督:母親役は5年前に私の短編にも出演したヤオ・ヤンヤンさんにお願いしました。彼女はマレーシア、シンガポールをまたにかけて活躍しています。この地域は俳優さんにとっても市場が狭く、各国を行ったりきたりは多いのです。母親役は彼女以外に考えられないと思いました。
父母役は役の年齢に合うあらゆる俳優に会って決めましたが、父親役のチェン・ティエンウェンさんは、シンガポールではTVドラマなどでも活躍するおなじみの俳優です。

― 劇中で王傑(ワン・チエ)の曲(「一場遊戲一場夢」)を使っていましたが、1997年頃、シンガポールでは香港や台湾、中国の映画や音楽もリアルタイムで流行っていたんですか? 実は私、王傑のファンで、CDを10枚くらい持っています(笑)。なので、彼の曲が出てきたとき嬉しくなりました。

監督:(びっくりした様子で)そうなんですか? それは嬉しい。シンガポールでは、香港、台湾、中国で流行っている歌などはリアルタイムで流行していました。その頃の時代を表すために、その頃、流行っていた王傑の曲を使いました。


*シンガポールの映画事情

― 子供の頃、張芸謀(チャン・イーモウ)監督の作品に出会ったことが、映画に興味をもったきっかけとのことですが、その頃のシンガポールの映画事情は?


アンソニー・チェン監督

監督:週末の午後、TVで放映される映画を見るが好きでした。その中で見た中国の田舎が舞台の映画で、いつも同じ女優が出ているのが気になりました。その女優は鞏俐(コン・リー)で、張芸謀監督の作品と知りました。子供のころはジャッキー・チェンの映画や、香港のコメディーもの、警察もの、ヤクザものなどを見ていました。だから香港映画も大好きです。

― シンガポールでは香港映画は広東語ではなく、北京語に吹き替えられて上映されているのですか?

監督:そうです。どうしても広東語で観たい時はマレーシアに観に行きます。
『桃姐』(『桃さんのしあわせ』)は原語で観たかったのでマレーシアに観にいきました。

― そうだったんですか。ちなみに私は香港まで『桃姐』を観にいきました(笑)。もっとも、香港電影金像奨取材で香港に行ったのでその時に観たのですが、2回観ました!

監督:ワォ! それはすごい(笑)

(同席していた宣伝の方が、「僕は『桃さんのしあわせ』日本公開時の宣伝担当でした」と、この作品と、それに関する話でひとしきり盛り上がる)

編集部注:シネマジャーナルHP「第31回香港電影金像奨授賞式」レポート
 http://www.cinemajournal.net/special/2012/hkfa/

― シンガポールの映画学校に入ったとのことですが、映画の世界に入ろうと思ったのは?

監督:15歳頃、イタリア、フランス、日本、台湾映画などの作品も観るようになりました。それらの作品は、それまで持っていた映画に対する固定観念を変えたし、自己形成にも大きく影響したと思います。
映画を作りたいと思うようになり、ネットで世界の有名な映画学校にどうすれば入学できるか調べました。ところが学費がとてつもなく高く、シンガポールの中流家庭にとって、とても払える金額ではありませんでした。それでシンガポールで唯一映画を教えている義安理工学院の映画コースに入学しました。 映画は人生そのもの、死ぬ時まで映画を作っていきたい。




取材を終えて

アンソニー・チェン監督は、いかにも現代風のおしゃれな青年だった。最初の作品で様々な賞を獲得し、自信家のようにも見えた。でも、映画は庶民のものと語っていた。これからどんな作品を撮っていくのか楽しみ。
原題の『爸媽不在家』は、パパとママがいない家という意味。シンガポールでは、両親共働いていることが多いのだという。そしてメイドさんがいる家庭も普通らしい。フィリピンから出稼ぎで来ているメイドさんが出ている作品は、香港映画で何回も観たことがあるし、彼女たちが集まる場所に行ったこともある。しかし、他のアジアの国にもフィリピンからメイドとして行っていることを、去年のフィルメックスで上映されたこの作品や『トランジット』で知った。
『桃姐』のことに話題が行った時、「そういえば『桃姐』もメイドさんを描いた作品でしたね」という話になり、『イロイロ』『トランジット』『桃姐』『小さいおうち』と、最近メイドさんを描いた作品が多いという話になりました。
『トランジット』はイスラエルで働いているフィリピン人の話で、一緒に連れてきた子供が5年滞在以下だと強制送還されることになり、そうされないために奮闘するフィリピン人たちを描いた作品でした。 今年のあいち国際女性映画祭でも上映され、監督のハンナ・エスピアさんが来日したので、彼女にもインタビューしました。ハンナ・エスピア監督のインタビュー記事はシネマジャーナル92号に掲載されています。こちらもぜひ読んでいただけたらと思います。


アンソニー・チェン監督とハンナ・エスピア監督
(2013・11 東京フィルメックスで 撮影:多賀谷浩子)

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取材・写真 宮崎暁美
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