このページはJavaScriptが使われています。
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『旅立ちの島唄~十五の春』
監督・脚本 吉田康弘さんインタビュー

*ストーリー*
沖縄本島の東360kmにある孤島、南大東島。
島には高校がなく、子どもたちは15歳で島を出て家族と離れて暮らさなければならない。
別れの唄「アバヨーイ」を歌って島を旅立っていく少女民謡グループ“ボロジノ娘”。中学3年生になった優奈(三吉彩花)は、ボロジノ娘としての最後の年を迎え、リーダーの役目を担うことになる。優奈の母(大竹しのぶ)は兄や姉の進学にあわせて那覇に移り住み、優奈はサトウキビ畑を営む父(小林薫)と二人暮らし。1年後、父を一人残して島を離れるのが心配だ。姉も嫁いだので、ほんとうは母に島に帰ってきてほしい。ある日、優奈はボロジノ娘の公演で赴いた那覇で、進学して住むことになるであろう母のアパートに行き、母に恋人がいることを知る・・・

作品紹介 http://www.cinemajournal.net/review/index.html#tabidachi_shimauta
公式サイト http://www.bitters.co.jp/shimauta/

★5/18(土)より、シネスイッチ銀座ほか全国順次ロードショー!


*吉田康弘(よしだ・やすひろ)監督プロフィール*

1979年7月5日、大阪府出身。なんばクリエイターファクトリー映像コースで井筒和幸監督に学ぶ。同監督作品『ゲロッパ!』(03)の現場に半ば押しかけるように見習いとして参加し、映画の世界へ。その後、『パッチギ!』(05/井筒和幸監督)、『村の写真集』(05/三原光尋監督)、『雨の街』(06/田中誠監督)、『嫌われ松子の一生』(06/中島哲也監督)などの制作に参加。07年、石田卓也、大竹しのぶ主演映画『キトキト!』で監督デビュー。初メガホンをとった作品は、型破りな母子の物語として話題になった。脚本家としても活躍しており、井筒和幸監督作品『ヒーローショー』(10)、『黄金を抱いて翔べ』(12)では脚本を担当。本年は本作のほか、『江ノ島プリズム』の公開も控えている。


●インタビュー

取材場所に着くと、背が高くて素敵な青年が出迎えてくださいました。それが、吉田監督でした。ちょっとドキドキしながら、吉田監督が初メガホンを取った『キトキト!』の映画評(というより思い入れたっぷりの感想文)を掲載したシネマジャーナル70号をお渡ししました。 「嬉しいですね」と、じっと見入ってくださる監督に、さっそくインタビューを開始しました。


吉田康弘監督

― 映画を観た時に、船に乗るのにゴンドラをクレーンで吊り上げるという光景にまずびっくりして、すごいところなんだなぁとぐっと映画に引き込まれました。 南大東島というと、私は神戸育ちなのですが、小さい頃、台風が南大東島付近にいると聞くと、あ、来るなと。

監督:私も大阪なので、耳慣れた名前ではあるのですけど、やっぱり南大東島=台風情報ですね(笑)。

― よく名前は聞いたことがあるのに、どこにあるのかよく知らなくて、今回映画を拝見してあらためて位置を知りました。プレス資料にシナハンされた時の印象を「北海道か、ロシアかここは?!と思わせる風景だった」と書かれていて、どんな島なのかイメージがかなり膨らみました。沖縄県でありながら、観光の目的地として語られることもないですよね。

監督:ほんとにコアな人が行く場所ですね。ゆっくりしたい人とか。

― でも、鍾乳洞などもあるのですよね。この映画が観光促進になるのではと思いました。

監督:そうですね。ちょっと行ってみたいと思う人がいてくれると島も嬉しいと思います。

― サトウキビ産業も厳しいようですしね。

監督: TPPの問題もありますしね。

― 初めて南大東島に行かれて、どんどん映画のイメージが湧いた感じだったのでしょうか?

監督: 島自体の魅力がありましたね。自分が東京で想定していた島と全然違いました。まず、ビーチがない。沖縄の離島=南国で、白い砂浜があってというイメージが、実際に行くとごつごつとサンゴ礁に囲まれていて、波も高いし穏やかな海じゃない。そういう意味で厳しい大地というイメージを持ちました。

― 人々の暮らしも厳しそうですね。

監督: 空と海に暮らしが直結していて、荒れた天気の時には家から出られない。ものすごく晴れる時もある。その空を見ながら生きる、暮らすわけですよね。

― 南大東島での上映会でご覧になった島の人たちが、あまり感想を述べないで帰ってしまわれたそうですが、島の皆さん、シャイなのでしょうか?

監督: 次の日に散歩していると声をかけてくれたのですが、皆の前で感想を言ったりするのはちょっとと。

― でも、喜ばれたでしょうね。

監督:会えば感動したと言ってくれましたね。映画というより、ドキュメンタリーのように自分たちの生々しい話に辛くなった方も多かったようです。

― 実は、私の妹が学生時代にある島の出身の人と知り合って、島に嫁いだのですが、5年後に出戻ってきました。そういう意味で、大竹しのぶさん演じた母親の過去がとても気になりました。お姉さんが高校進学した時に、一緒に那覇に出たけれど、お姉さんが赤ちゃんを連れて帰ってくることで、すでに嫁に行っていて、母親が一緒にいる必要はないのがわかります。もともと島の人でなかったという言葉もありましたので、お父さんとはどんなロマンスがあって、どんな思いで島に嫁いできて、どんな思いで島を出ていったのかも想像してしまいました。 政岡さんのプロダクションノートにも、「那覇で暮らす母・明美の設定は検討を重ね、映画では描かれない、母親が那覇で過ごしてきた日々、母親がいない島の日々を想像できるようにした」とありました。どんな風にお話されたのでしょうか。

監督:大竹さんにはシナリオに書かれていない裏の設定をお話しさせてもらいました。映画的にわかりやすく表現しなくても、役作りの中でしっかりお話しておいて演じてもらえるようにと思いました。このお母さん役がリアリティとして、この島を題材とした映画に重要な役なので、島と那覇の距離であったり、家族が離れて生きている時間の長さであったりとか、それを一手にこの役が引き受けていただくので、一番難しい繊細なお芝居が必要になってくる役でした。見事に演じきっていただいたと思います。

― 実際に話されたお母さんの過去はどんなものだったのですか?

監督: 過去に何があったかというより、どういう気持ちで暮らしているかですね。離れて暮らしているけれど、幼い末娘の優奈のことを毎日思っている。彼女が島を出て那覇に来るのを待ち望んでいる気持ちがあるので、那覇で一人でいられる。ラスト手前で優奈の髪の毛を結ったり着物を着つけたりする場面があって、“琉装”というのですが、それを母親が手伝うのが伝統です。母親側も練習しないとできないことです。さらっとやっているけれど、それができるということで、娘が旅立つコンサートの時に手伝うことができるように練習していたのだということがわかる大事な場面です。

― 優奈を演じた三吉彩花さんが素晴らしくて、ほんとに島で育ったボロジノ娘のようでした。かなり努力されたのだと思います。 撮影当時15歳。 彼女の普段の素の姿はどんな感じですか?

監督: ちょっと哲学的な考え方をする子で、自分の世界を持っています。懐の奥深さを感じる子です。ジッと考えている眼差しも自分の考えを持っていることを感じさせてくれます。普段からのものです。

― 歌の練習もかなりされたのですね。

監督:歌と三線のトレーニングをすることが、そのまま役作りに直結する行為なので、最後の「アバヨーイ」の歌の歌詞に自分の気持ちを落とし込んでいました。お芝居のことよりも、とにかく歌のことを考えてやっていましたね。

― 立って弾くのは難しいことだと聞きました。

監督: 難しいそうなのですが、彼女は音楽のセンスがあって、音感もあって、ほかの楽器もやっていたので、三線はほかの人より覚えるのがすごく早かったみたいですね。

― 指導されたのは新垣先生ですね?

監督: 東京では新垣先生の教え子で八雲先生という方にまず指導してもらいました。その後、島に渡ってからは新垣先生に直接みていただいて、いろいろな形で常に三線を手にして歌と向き合うという日々をおくってもらいました。

― 数カ月で島の皆さんと一緒にできるようになったと公式サイトに書かれていましたね。

監督: やっぱりセンスがあったから出来たのだと思います。


吉田康弘監督

― 彼女以外のボロジノ娘は皆さん実際に南大東島に住んでいる娘さんたちですか?

監督:一人だけ、1学年下の子は那覇から連れてきました。

― 妹の元結婚相手も島に高校がなくて県庁所在地の高校に進学したのですが、その高校には僻地出身者のための寮があったそうです。全国には、15歳で親元を離れなければいけない人も多いということをあらためて思い起こしました。 その子たちは、15歳で独り立ちした大人になるのだなぁということも、この映画から感じとることができました。

監督:世界中の島にある現実ですよね。

― 富山出身で『キトキト!』の記事をシネジャに書いたKさんから届いた感想なのですが、「家族(母!)、土地、そして自分との葛藤や旅立ちを描いていましたが、今回の映画も被るような印象があります。そして、とくに特別というのではなく、どこの家庭にもある日常を丁寧に温かな眼差しで描かれる監督さんだな~と。 監督が映画を作りたい!と心にピン!!とくる、惹かれるものは家族、自立みたいなものなのでしょうか? 確か『キトキト!』の時に、亡くなられたお母様のことがあるようなことをおっしゃっていましたが・・・ どこの家庭でもある日常を描かれる監督さんだなぁという印象です」。

監督: 普遍的な家族の話を基軸に描いているのですが、人の人生は土地と直結していると思いますので、それを映画にしたいと思いました。

― 小林薫さん演じるお父さんも、島で生きていかなければいかない運命を背負った男性を体現していて、ほんとに哀愁がありました。脚本もさりながら、キャスティングが光るなと思いました。 現場での小林薫さんはどんな感じでしたでしょうか?

監督:映画作りを引っ張ってくれる方。リードしていただいただけでなくアイディアもいっぱい出してくれました。衣装や小道具のことなども提示してくださったりしました。映画人として学ぶことが多かったです。

― 撮影中の面白いエピソードはありましたか? (ちょっと思いめぐらす監督) 小林さんだけでなく撮影自体でもいいのですが・・・

監督: お酒を飲む場面の撮影が何回かあって、その時には楽しく話をさせてもらいました。 それより予期せぬことがよく起こりました。天気予報が全然当たらない。島の人も誰も天気予報をアテにしてません。快晴といっていたのに、急に曇ってきて雨が降ったり、変わりが早いのですよね。それがすぐに暮らしに直結しているので、飛行機が遅れるし、船が入ってこない。そうすると朝パンを食べている家族だとパンがないとか、居酒屋につまみがないとか。

― 沖縄を舞台にした映画はシネジャでもいろいろ扱ってきて、最新号でも取り上げたのですが、南大東島を舞台にした映画は聞いたことがありません。ここで撮ろうと思ったのは?

監督:やっぱりボロジノ娘の存在ですね。実際に行ってみたら、ほかの沖縄の離島と比べても個性が強い。もう一つ面白かったのは、八丈島と沖縄と本土の文化が混ざっていることですね。3世の人は標準語、つまりは東京弁なのです。本土=大和の人間が沖縄のスタッフと一緒になって作るのに最適な島でしたね。 お祭りに神輿とエイサーが一緒に出たり、沖縄式の祭壇と八丈から流れてきた大和の祭壇が横に並んでいたりするのが面白かったです。那覇から来たスタッフたちも相当カルチャーショックを受けていました。

― BEGINにお願いして作ったエンディングの歌「春にゴンドラ」がとても味わい深く素敵でした。BEGINの方たちも実際に南大東島に行かれたのでしょうか? それとも監督からの説明だけでイメージされたのでしょうか?

監督:一人だけ実際に行った方がいました。沖縄でいろいろなグループとコンサートで一緒になる中で南大東島出身の人とも交流があったようです。僕たちの作る映画がどういうものかを説明して、その最後に使う歌だということでお任せしてお願いしました。リアルな曇り空の沖縄の映画を作りたいと。晴れた沖縄でなくて。

― 昨日偶然、NHKの番組「ようこそ先輩」で元ちとせさんが、ご出身の奄美大島で高校を卒業して島を出ていく人たちを送る歌のことをやっていました。離島ではどこでも学校を卒業したら島から出るという光景が見られるのかなと思います。 監督はもともと島唄に興味があってこの作品を作られたのですか? 実は、私は昔から島唄に興味があったので楽しみにしています。

監督:今回の映画は歌がいっぱい出てくるのですが、音楽の映画とは思っていません。歌詞の意味が濃いので、歌というより、演じるつもりで気持ちをぶつけてほしいとお願いしました。彼女も歌っているよりも気持ちをぶつけるという感じで歌っていました。島唄というのは濃いものですよね。歌謡的なものとは違う、劇のように見えるものだと思います。同じ歌でも島唄は歌い手によって違う感情を乗せて歌うものだと思うので、そのあたりが映画的に魅力があると思いました。

― ご経歴を見てみたら、『村の写真集』にも関わっていらっしゃると知って、是非お会いしたいと思いました。

監督:『村の写真集』はいいですね。好きな映画ですね。

― 『村の写真集』のようなしっとりとした本作にも通じるような現場も体験されているかと思えば、井筒和幸監督の『ゲロッパ!』『パッチギ!』のような型破りなハードな現場も体験されています。 ご自身の性格として、どちらがしっくりくるのでしょうか?

監督:どっちもやりたいですね。自分で作った映画ですけど、今回のようなものも大好きですし、一方で『復讐するは我にあり』のようなハードボイルドも好きですし、社会派も好きですね。

― 型にはまりたくない?

監督: そうですね。作品至上主義でありたいと思っています。作り手の色を出すよりも、一作一作が輝けばいいと思っています。

― これからも、どんな映画を作られるのか、一作一作楽しみにしています。本日はありがとうございました。



吉田康弘監督


*******

★インタビューを終えて

写真を撮りながら、「素敵なので、監督ご自身、俳優として演じるおつもりは?」と伺ってみました。 「いや~」と照れまくる吉田監督でした。 「作品至上主義でありたい」という言葉が心に残りました。物静かな印象の監督が、激しい映画を作る時の現場ではどんな感じなのかを覗いてみたい気持ちにかられました。『江ノ島プリズム』の次の作品は、どんなタイプの映画なのか、そして、その次は?と楽しみです(景山)。

実はインタビューの時にはまだ作品を観ていなくて、パンフを見て「こういう作品かな?」と思いながら質問しました。インタビューの後、作品を観て改めて南大東島のことを知りました。八丈島からの開拓者が開いた島であること。製糖工場所有の島だったこともあったこと。南北2つの島からなっていること等々。なにより船に乗る時、ゴンドラで吊り上げることに驚いた。
島唄がいっぱい出てきたけど、「十九の春」などの一般的な島唄以外に、他の沖縄の島では歌われないような島唄も出てきて、八丈島の文化の影響が色濃くある島だということを知りました。ということで、面白い文化が息づいている島だと思い、この意外性が発見でした。
監督が今まで関わってきた作品リストを見ると、けっこう観た作品も多く、興味深い作品が多いのですが、作品の幅の広さに驚きます。でも、ソフトな感じの監督を目の前にすると、ハードボイルドな『黄金を抱いて翔べ』の脚本を書いた人とはとても思えませんでした。
さらに今年の夏に公開予定の『江ノ島プリズム』という作品は、またまた、これまでの作品とは全然違ってファンタジックな部分もあるので、作品の幅を広げたなと思います。これからが楽しみな吉田康弘監督です(宮崎)。

return to top

取材:宮崎暁美(撮影) 景山咲子(文)
本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ: order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。