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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『標的の村』 三上智恵監督インタビュー

三上智恵監督 (撮影:宮崎暁美)

(公式サイトより)

日本にあるアメリカ軍基地・専用施設の74%が密集する沖縄。5年前、新型輸送機「オスプレイ」着陸帯(ヘリパッド)建設に反対し座り込んだ東村(ひがしそん)・高江の住民を国は「通行妨害」で訴えた。反対運動を委縮させるSLAPP裁判だ。わがもの顔で飛び回る米軍のヘリ。自分たちは「標的」なのかと憤る住民たちに、かつてベトナム戦争時に造られたベトナム村の記憶がよみがえる。10万人が結集した県民大会の直後、日本政府は電話一本で県に「オスプレイ」配備を通達。そして、ついに沖縄の怒りが爆発した。
2012年9月29日、強硬配備前夜。台風17号の暴風の中、人々はアメリカ軍普天間基地ゲート前に身を投げ出し、車を並べ、22時間にわたってこれを完全封鎖したのだ。この前代未聞の出来事の一部始終を地元テレビ局・琉球朝日放送の報道クルーたちが記録していた。真っ先に座り込んだのは、あの沖縄戦や米軍統治下の苦しみを知る老人たちだった。強制排除に乗り出した警察との激しい衝突。闘いの最中に響く、歌。駆け付けたジャーナリストさえもが排除されていく。そんな日本人同士の争いを見下ろす若い米兵たち……。


『標的の村』場面写真 (C)琉球朝日放送

シネマジャーナルHP映画紹介『標的の村』
http://www.cinemajournal.net/review/index.html#hyoutekinomura

*8月5日にアメリカ空軍のヘリコプターが沖縄本島北部のアメリカ軍キャンプハンセンの敷地内に墜落したにも関わらず、オスプレイが8月12日、追加配備された。そんな中、タイムリーなドキュメンタリー。
監督の三上智恵さんは、琉球朝日放送(QAB)キャスター、ディレクター。琉球朝日放送で放映された番組に、番組では伝え切れなかったものを足して、91分の映画に編集しなおして公開されている。
2013年8月10日(土)から、ポレポレ東中野で公開されている『標的の村』。ぜひ、観てください。

スタッフプロフィール(公式HPより)


三上智恵監督

●三上智恵監督
1964年東京生まれ。父の仕事の関係で12歳から沖縄に通い、成城大学で沖縄民俗を専攻。卒業論文『宮古島の民間巫者に見る霊魂観~タマスウカビを中心に~』。アナウンサー職で大阪毎日放送(株)入社。8年後の1995年、琉球朝日放送の開局とともに両親の住む沖縄へ移住、第一声を担当。以来夕方ローカルワイドニュース「ステーションQ」のメインキャスターを務めながら(17年目)、取材、番組制作に奔走。沖縄民俗学の研究も継続し、放送業と並行して大学院に戻り、2003年春、沖縄国際大学大学院修士課程修了。修士論文『大神島における祭祀組織のシャーマニズム的研究』。同大学で沖縄民俗の非常勤講師も務める。ドキュメンタリーは主に沖縄戦や基地問題をテーマにするが、サンゴの移植やジュゴンの文化を追いかけるなど海洋環境の保全と海をめぐる沖縄の文化をテーマにした番組も精力的に製作している。

賞歴

【個人】女性放送懇談会放送ウーマン賞(2010)

【作品】
「超古代文明は琉球弧にあった!?~沖縄海底遺跡の謎~」 国際海洋映像祭入賞(1998)
「今甦る!海に沈んだ文明~沖縄海底遺跡の謎2~」 プログレス賞優秀賞(2000)
「語る死者の水筒」
テレメンタリー年間優秀賞(2000)、日本民間放送連盟賞九州沖縄地区テレビ報道番組部門優秀賞(2001)
「海に沈んだ太平洋巨石文明~沖縄海底遺跡の謎3~」 プログレス賞優秀賞(2003)
「検証 動かぬ基地 拡大版 ~沖国大ヘリ墜落事故から1か月~」
ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞(2004)
「海にすわる~辺野古600日の闘い~」
ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞(2006)、地方の時代賞審査員選奨、 日本民間放送連盟賞九州沖縄地区テレビ報道番組部門優秀賞
「人魚の棲む海~ジュゴンと生きる沖縄の人々~」
テレメンタリークール賞(2007)
「サンゴが消える日」
アースビジョン地球環境映像祭アースビジョン賞(2009)
「1945~島は戦場だった オキナワ365日」
ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞(2010)、ANNものづくり大賞最優秀賞(2010)、プログレス賞優秀賞
「英霊か犬死か~沖縄から問う靖国裁判~」
メディアアンビシャス賞(2011)、ANNテレメンタリー年間優秀賞(2010)、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞(2011)
「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民たち~」
テレメンタリー年間最優秀賞(2012)、ギャラクシー賞テレビ部門優秀賞、 第18回平和協同ジャーナリスト基金奨励賞、座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル大賞

●プロデューサー 謝花 尚(じゃはな・たかし).
1964年生まれ。記者として主に基地、県政を担当。ニュースデスク、キャスターを経て現在報道制作部長。プロデューサーとしては「オキナワ1945 島は戦場だった」(ギャラクシー賞報道活動部門優秀賞)、「英霊か犬死か」(早稲田ジャーナリズム大賞)など謝花・三上コンビで沖縄発の骨太なドキュメンタリーを作り続けている。

●撮影・編集 寺田俊樹(てらだ・としき).
1984年生まれ。琉球トラスト所属。カメラマン歴5年目、長編は2作目の期待の若手カメラマン。実家はあの瀬長亀次郎も通った名護の老舗沖縄そば店「新山そば」。本人も現達さんの子供達と同じく生粋のやんばるっ子。

三上智恵監督インタビュー

取材 景山:宮崎

宮崎:この作品は沖縄の人たちの心を代弁するような作品だと思いました。去年、『ニッポンの嘘 報道写真家福島菊次郎90歳』を観て、福島さんの「庶民の側に立った報道の精神」がとても伝わってきましたが、この『標的の村』は、福島さんの精神を受け継いだ作品のように感じます。

監督:菊次郎さん凄い人ですよね。尊敬する方の名前が出て嬉しいです。去年、『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳』がヒットしましたが、その中で、「事象が法を犯している場合はカメラマンは法を犯してもいいんです」という名台詞があります。私はオスプレイ配備で、怒れる県民が基地の中になだれ込んで逮捕される場面を想定して、この映画をカメラマンに見てもらいました。基地の中に入ってでもその場面を撮影してほしかったからです。

宮崎:私は写真をやっていて、ロッキード事件のデモの時などに菊次郎さんが撮影しているのを見たこともあるし、彼の写真展は何回も行ったことがあったのですが、最近名前を聞かないと思っていました。昨年映画でクローズアップしてくれて、こういう人がいるということがアピールできて良かったと思います。

監督:菊次郎さんの本はほとんど全部読み、結局去年山口のお宅まで押しかけてインタビューをしてきました。気難しい方だとも聞いていましたが、私たちに向かって「被害者という聖域に逃げ込んだら終わりです」とはっきり。厳しくも、優しい方だと感動しました。

宮崎:『標的の村』を見て、沖縄の人の心に寄り添った作品と思い、ぜひ三上さんにお話しを聞いてみようと思いました。今まで作ってきた作品の中に見たことがある作品「人魚の棲む海~ジュゴンと生きる沖縄の人々」、アースビジョン地球環境映像祭アースビジョン賞受賞作「サンゴが消える日」(本誌79号で紹介)など、興味があるものがあったのもお話を聞いてみようと思ったきっかけです。海底遺跡のなぞなども興味を持ちました。
*「」は三上智恵さんが制作したTV番組

監督:「人魚の棲む海~ジュゴンと生きる沖縄の人々」や「サンゴが消える日」をごらんになっているんですか~?

宮崎:はい、TVとか映像祭で観ました。
アナウンサーですが、同時に製作もされているのですか?

監督:取材も構成も、前からやりたかったことなのです。私だけじゃなくて地方局のアナウンサーは何でもやるんです。以前の大きな局ではアナウンサーが何人もいて、声がかかると番組に関わる、という形でした。たくさん番組をやらせてもらっていたのですが、でも、最後の表面だけアナウンサーとして参加するよりも、みんなで作った一体感みたいなものを味わえる取材にもかかわる方がいい。そもそも民俗学をやっていたのでフィールドワークがすごく好きで、まとめるよりフィールドワークが楽しい。取材をしている過程や、人と出会ったり、トラブルを乗り越えて作り上げていくのが好き。ジュゴンも探す過程が面白かった。

宮崎:「海底遺跡」は観てないのですが、絶対観てみたいです。

監督:海底遺跡も面白いですよ。知的アドベンチャーって呼んでいましたが、民俗学、歴史学、地質学とか。沖縄は学問的にはまだ未知数のところが多いだけに想像を膨らませる余地がたくさんあるので。
マリンスポーツ系ではダイビングをやっています。サンゴも理科的なことは苦手なのですが、サンゴ移植の金城浩二さんが面白い人なので、彼と二人三脚で10年以上一緒にやっています。金城さんは学者ではなく、当初は学界からも冷淡な扱いだったんですが、今や専門家から一般の人まで支持者は増える一方です。


★沖縄にのめり込み民俗学を学ぶ

景山:そもそも沖縄に興味を持ったのは、お父様が仕事の関係で沖縄に赴任し、12歳から沖縄に通いだしてからとのことですが、その後、のめり込んでいかれたのですね。


三上智恵監督

監督:父は航空会社に勤務していて、両親は長くアメリカや韓国にも駐在していました。その後、父が沖縄に赴任し、さらに沖縄に通うようになりました。小さい時はアメリカに住んでいたこともあり、日本中の人が、いろいろな民俗的な風習や信仰の中で生きているということがあまりわからなかったんですが、沖縄に行ってみて、日本人が神と村と自然の中で生きていることを実感したのです。目に見えないものをどう捉え、敬い、畏れてきたか。沖縄って、それが鮮やかに生きている所だったんです。それに触れた12歳の時の最初の印象は、強烈なカルチャーショック。正直恐怖感さえありました。お墓もあちらは埋めないで、風葬墓とか亀甲墓とか。そこから世界中の葬送制度にも興味を持ちました、鳥葬とか水葬とか。

景山:初めて沖縄に行ったのが3月で、海の季節ではなかったので、城(ぐすく)巡りのツアーだったのですが、ぐすく巡りしている間に、自分の目がお墓巡りになっていました。お墓すごいなと思って、私も民俗的なものに興味を持ち、惹かれました

監督:沖縄のグスク(城)も、お城とお墓と聖地と、恨みを閉じ込めるために作ったモニュメントがグスクになっていたりとか、なりたちはそれぞれなんですよ。

宮崎:そういった風土の中で、沖縄戦で戦場になり被害にあって、戦後は基地だらけの島になってしまったというような面があるわけですよね。沖縄に行ってみて、基地だらけだと実感したのですが、実際に沖縄に行ってない人には、そういう実感がないと思います。日本にある米軍基地の74%くらいは沖縄にあるわけですし、沖縄にいたら基地のことは避けては通れないですよね。

監督:ちょうど沖縄の放送局に入った時に、米兵による暴行事件が起きました。1995年10月開局で、てんてこ舞いして準備している9月に事件が。まもなく大田知事が代理署名を拒否して、橋本首相とモンデール駐日大使が「普天間を返す」と発表した。県民の本気の怒りが動かなかった普天間を動かした。そう伝えてしまったことが一生の後悔になりました。アメリカ軍と日本政府の欺瞞を読み解けなかった。
古くなった基地を返すかわりに新しい強化された基地を日本のお金で作らせるというからくりは、彼らの常とう手段でした。「だまされるな」とその時に県民に注意喚起できれば、今の苦しみはなかったんじゃないかと思う。結局県内移設では何の解決にもなっていない、もう騙されてはいけないと日々のニュースの中で訴え、すべてはオスプレイの配備ありきだったといういろいろな証拠を、文章とか証言とかで何重にもやってきました。これは軍港になるんだとか、半永久的な基地になってしまうとか警告してきましたが「普天間基地が返ってくる。そのかわりなんだ」という最初の報道の刷り込みを覆せないのです。ジュゴンや、サンゴなど貴重な動物をテーマになんとかこの大浦湾(辺野古)を守りたい人々から味方につけようと、自然保護の番組も作り続けているんですけど・・・。また、キャンプ・シュワブ(辺野古)の工事はほとんど終わってしまいましたが、その前に考古学的な調査に入る際、考古学ファンをひきつけるネタもやり、ありとあらゆる方面から辺野古に基地を作るのは普天間を楽にするためじゃないことを伝えてきました。
そもそも、基地問題に熱心になる前にライフワークと思って取り組んできたのは沖縄戦の問題です。「語る死者の水筒」(三上監督制作の番組)というのがまさにそうなんです。8億円かけて作った新しい平和祈念資料館ではなく、古い方の平和祈念資料館のドキュメンタリーです。古い方すごかったですよね。
我が家は、行く先々の博物館とか美術館とか資料館に行く家庭で、アメリカのスミソニアン博物館にも行きましたけど、こんなに感情に訴える、怨念というか後ろ髪を掴んで帰さないみたいな感じの資料館は初めてでした。でも新しい平和資料祈念館を作る時に、いろんなものが削除されてしまったのですね。それが「平和祈念資料館改ざん事件」と言って、1999年、サミットが決まってそれに合わせて「反日的な展示は控えるよう」県の内部から展示改ざんの手が伸びたという問題でした。例えば、避難した壕の中で日本兵が泣いている赤ちゃんを黙らせろと、母親に暗に殺せと迫ったという話は、証言の中で複数出てくる事実です。展示のジオラマで、壕の入口で母子に銃を突き付けている日本兵が設計図にはあったのに、次の段階では日本兵が銃を持っていない。その改ざんが発覚して報道された結果、今は銃を持って外を向いて立っているんです。母子を守っている日本兵という形になってしまって、ぜんぜん違う。

宮崎:エーッ、それはひどい。反対の意味になってしまったんですね。

監督:古い資料館にはアルマイトの水筒が展示されていて「振ってみてください。当時の水が入っています」とかいてありました。実際に振ってみて、子供心にぞっとしたのを覚えています。集団自決の写真や、火達磨になって死んだおばあさんの血の付いた着物とか、悲惨なものが壁一面に展示されていたのですが、それは、本土復帰前の時代、沖縄戦を振り返ることもできなかった中で必死で集めた資料だったのです。それを収集したのは久手堅憲俊さんという方で、「語る死者の水筒」は、この方のドキュメンタリーだったんです。死者の水筒は将校が持っていた水筒らしくて、部屋の隅の真っ暗な場所にスポットライトが当たって置いてあって。そこまでしてガマの中で死んでいった人たちの時空に人を瞬時に連れて行く、この演出というのを考えた人たちにもインタビューしています。旧資料館の演出に携わった人たちは相当頭の切れる確信犯のプロ集団で、言論の自由もなく、自分たちの沖縄戦の歴史を振り返ることも発掘することもできない占領時代を経て、自分たちの資料館を作ることに使命感を燃やしていました。最後に証言の部屋というのがあるのですが、ご覧になりましたか?文章は短くて、誰がいつどんなところでというのは書いてないんですよ。ただ「水を飲もうと思ったら、その水は真っ赤でね、中にうじ虫がいて」とか、「包帯がプチプチ音がして」とか、なんていうんですかね。夜眠れなくなるような、みんなの感性に残ってしまうような文章が選ばれていたのですが、これも演出するチームで証言を読み込んで、読み込んで、みんなのアンダーラインが一致するコアな文章だけを載せるということを積み重ねて出来上がった形だったんです。最後の部屋の絨毯は毛足の長いもので、自分たちの足音を消して、お互いがどこにいるか気にならないで、先に出て行った人に気兼ねせずに見られるような工夫がしてあった。海洋博の展示もやっていたプロデューサー軍団だったんです。それだけの沖縄の思いを詰め込んだ資料館だったから、12歳の私はショックを受けたのです。でも、その旅行から沖縄のことが頭から離れなくなってしまいました。それから、中学も高校も沖縄のことを考えて暮す子になっちゃったんです。恐怖感と表現をしましたが、しっかり心に種が植えつけられてしまったんですね。

宮崎:大学で沖縄民俗学を学ぶという、自分の進みたい方向を決めてしまうほどのインパクトがあったということですね。

監督:なんで沖縄が好きなのかというと、ひとつは民俗学的な興味です。でも高校生の時は民俗学という分野は知らなかったんです。通信教育の進路相談の先生が、あなたが好きなのは民俗学の分野と指摘してくれました。わたしは歴史だと思ったんですが、そういう学問があるのかと、ありがたかったです。

宮崎:いい話ですね。私も学生時代、そういうことを教えてくれる先生に出会いたかった。そういう方面に興味ある人って、共通して好きなこととかありますよね。


★魂が動いて俺の問題になった

景山:そういうことが、結局、この作品につながっていったんですね。この作品の話に戻さなくては(笑)。
私が『標的の村』の中で一番印象に残ったのは、恩納村から週に2~3日のペースで座り込みに参加している池原さん母娘。基地問題、原発問題など理不尽なことがあちこちで起こっていて、問題意識を持っても、自分に火の粉がかからないと行動に移すことはなかなかできません。当事者じゃない人が応援に駆けつける姿を捉えているシーンでした。
池原さんのお母様の方はゲリラ訓練施設反対闘争に参加したことがあって、ご自身が痛みを感じたことがあるからこその行動ですが、それでも何度も座り込みに参加することは並大抵のことではありません。座り込みしながら泣くしかないと語っていたお嬢さんの姿に私も涙が出ました。当事者であったことがあるからこそできたことと思いますが、日本に住む皆が、他人事と思わずに支援することが、阻止する力になると感じました。この映画を通じて学んでくれる人がいたらいいなと思っています。


三上智恵監督

監督:そうですか。そこはあまり言われたことがないのでうれしいです。
当事者という言葉が出ましたが、私は当事者という言葉をすごく大事に思っています。このおかあさんは1980年ごろにあった恩納村の米軍の都市型訓練施設反対闘争に参加して建設阻止まで持って行った、住民運動が勝利した数少ない事例の当事者だったんです。その時の映像が局に残っていますが、それがとても感動的なんです。おばぁたちがみんな泣きながら座り込んで闘うんですよ。普天間封鎖の時、池原さん親子は基地の前で車に立て篭もっていたんですが、最後、車の中から引き出される時に、娘の寿里ちゃんが警官に肘鉄をくらわせていますよね。毅然として。あれが恩納村のおばあちゃんそっくりなんです。だからそのシーンの前に恩納村の昔の映像を流しているのですが、おばあちゃんたちも泣きながら警官の手を振りほどいて、「自分で歩く」って言うんですよ。この寿里ちゃんは血筋っていうんですかね、21歳であのおばあたちと同じになって。ループ(繰り返し)に感動するのと同時に、3世代同じことをさせられているのかと。また次の世代にもこれを引き継いでしまったのかと思うシーンでもある。
でも、この方々は沖縄にいるから当事者にもなりやすいけど、実は辺野古とか高江の闘いを支えている人々の中には、数回しか沖縄を訪れたことがない人も多い。それぞれの地域から力強く支援の輪を広げてくれている人がたくさんいます。そういう人たちは紛れもない当事者です。
辺野古とか高江の闘いの現場には「ナイチャーが多い」と否定的に言う人がいます。ウチナンチュかナイチャーかなんて、人種を分けることは学問的にも無理だし意味がない。そんな都合のいい他者のグループを想定して、気に入らないと、自分がそこで頑張らないことの理由にしている人が多いのは悲しいことです。
一方で、最近高江や辺野古の現場を手伝いにやってくる若い人たちが、ものすごく軽やかに来て、防衛局や業者に立ちはだかり、まるで毎日やっていたかのように当たり前に説得して、ニコニコと帰ってゆく姿を見て感動を覚えます。この人たちはほぼツイッターとかフェイスブックとかやっていて、わりと原発反対運動から広がった人たちが多いのですが、3.11以前から祝島の原発反対運動とか六ヶ所村とか、今の日本から見ると細々と続いていたのかもしれないけど、全国の反原発のつながりは基地問題よりも機能的なネットワークがあるということに気づきました。3.11以前の話です。
その人たちもまた歌ったり踊ったり、アフリカンだったりちょっとヒッピー系の感じで。いろんな表現があって当然いいはずなんですけど、ニュースで出すと、また変な人たちがやっているとか。地元とは違うとか言われちゃう。でも、彼らは自分の問題だと思って来てくれるんですよ。
ある20歳になる子が、祝島の原発のことで山口県庁前で座り込みしながらツイッター始めた。そのときは何百人だったのに、しまいには2万人くらいからツイートされたということがあったんですが、3.11より前ですよ。ゲンちゃんって言って大阪の子なんですが、「なんで山口県庁の前で座り込みする気になったの?」って聞いたら、「祝島に行ったら、めっちゃお年寄りがカッコよくて、魂が動いて俺の問題になった」と言ってました。「魂が動いた、俺の問題だ」っていうのはすごく大事な言葉だなと思います。基地のことがわからないのに、歴史的経緯や軍事関係の勉強もしないで基地問題に頭突っ込んじゃいけないとか理屈を言っていたら手遅れになってしまう、何も変わらないと彼らに学びました。私たちメディアも基地のことで軽々しく発言してはいけないとか、過疎や経済の問題やとか頭でっかちになるのは得意だけど、思考停止しては意味がない。
もう一人の男の子は、「大人たちはあっちもこっちだめにして、とんでもない地球を僕たちに渡そうとしている。でもホットスポットは守らないといけない。大浦湾はホットスポットでしょ。だから守らないと。どうせだめになっている理由は似たようなもの。原発も基地も、自然破壊を仕方がないとする論理っていうのは、全部同じ。最初はみんな反対しているのに、大人の何かの都合で通っちゃう。そんなのいくら聞いたって同じ理屈でしょ? だから、そこに行って止めるだけ」って言うんですよ。そう言われてみると、全部そうですよね。ウチナンチュだとかナイチャーだとか、問題の経緯とかではなく、地球がどうしようもなく弱っている危機感を若い世代は持っている。
映画のエンディングにはサウンドデモが入っていますよね。あの演出は賛否分かれるんですけど(笑)。高江を守る、基地問題を問うというと集まってくる人数は決まっています。シュプレヒコールとか政党団体の旗が立って、なんとなく若い人たちが受け入れがたい空気がある。でも、去年のサウンドデモはフリースタイルで音楽も踊りも可にして3000人が集まった。これはこれでヒッピーっぽいと嫌がる人もいるようですけど、東京の再稼動反対運動を見ていると、フリースタイルあり、でもシュプレヒコールもカッコいいみたいに、また抗議の声を上げ意思表明をする人々の輝きというのが盛り返してきたなって思うんですよ。


★高江&ベトナム村

宮崎:そういうのに参加する若い人が増えているのは心強いですね。普天間とか辺野古とかは全国ニュースでも出てくるけど、高江の名前は藤本幸久監督の『ラブ沖縄@辺野古・高江・普天間』を観るまで知りませんでした。そんな高江が3方を基地に囲まれているというのは驚きでした。この映画が公開されることで、高江のことを知ってもらうことは大事ですね。

監督:高江のことは沖縄の人も知らないんです。それをなんとか知らせたくて、沖縄で放映されたTV番組46分にさらに映像を充実させてして91分にして映画にしました。配給会社の東風さんの力を借りて、沖縄からの電波が届かないところに映像を届けるべく動き始めたのです。

景山:高江がベトナム村という形で訓練の場になっていたということも全然知らなかったのですが、それを聞いて、アメリカがイラクに軍事介入した時に、アメリカでイラク移民が多い場所でイラク村を作って実戦の訓練をしたという話を聞いたことがあって、どこでも同じことをやっているんだと思いました。
高江のベトナム村でベトナム人を演じた人たちというのは、基地闘争には参加してはいないんですか?

監督:高江がベトナム村だったわけではなく、高江区のすぐ隣りというか周りの演習場なんです。昔、 高江には畑がなくて、山から薪を取ったり、竹細工や炭を作って、それをやんばる船に乗せて交易して生活していました。山に入らないと生活できないのに住宅地の周りが演習場になってしまったんです。演習場と言っても柵はなくて普通に出入りすることができる状態で、今まで通り山に入って物を取ることは許されていたんです。だから演習場内だけど、生活エリアのままという状況です。
その演習場の一部にベトナム村は作られていた。それも1ヶ所ではなく、何回か移動しているみたいです。私は2種類の場所しか写真を持っていないのですが、2種類だったかどうかもわからない。ただアメリカ軍の基地の中に作った演習場だから、その段階では高江をターゲットにしていたわけではないんです。
高江は5つの字が一緒になっていますが、元々は小さい字で、山に入っていた集落の人だけが山歩きに慣れていた。山を越えてベトナム村まで行けるのは、この方たちだけでした。だからお年寄りに聞いても、その集落の方でなければ「ベトナム村なんて行ってないよ」って言われるんです。取材に入る前、「昔、ここにベトナム村があってね。ベトナム人の捕虜を使って襲撃訓練をしていたんだって」いう話を聞いたことがありました。ベトナム人捕虜を連れてきたとかいう裏が取れなくて、だからそこは出してないんですけど、捕虜が使えなくなったらかわりに大きな訓練の時には高江の人を呼んで、朝10時から3時までとか訓練に参加させ、ご苦労様っていうことで、訓練が終わった後は、Cレーション(缶詰などの戦闘糧食)をもらったときいています。だから、高江区そのものがベトナム村だったわけではないんです。
だけど、ずっとヘリの標的だったというのはあるんです。夜間の訓練ではそこしか灯りがないので、それを標的にしてグルグル回っているというのは、今、現在もあるんです。ベトナム村で沖縄の人たちをターゲットにして平気だった人たちですから、小さな村を標的にしてヘリから銃を向けたりするのも日常茶飯事。そんな標的同然の生活も60年の歴史があるので、特段の違和感はないんです。「私たちに銃を向けたのよ」とはならない。「あれらは訓練しているからねー」という感じです。
高江はかつては船しか交通手段がない小さな村で、なんの公的な支援も届かないようなところなんです。台風で土砂崩れがあっても、ブルトーザーを出してくれるのは隣のアメリカ軍。たよりになるのは、日本政府でも県庁でもないんです。そういう地域の人たちがgive & takeで、やってもらうこともあったし、自分たちが協力することもあったと認識していることを、「それはものすごい人権侵害です」と後から言われても、いい気持ちはしない。言われてみればそうかもしれないけど、でも人権侵害されても鈍感でいた人々のようにいまさらインタビューされるのは失礼な話です。だからカメラはまわせなかったんですが、あるおばあちゃんは行くのは嫌だったけど、拒否して山に入るなと言われたら子供たちを食べさせることができないから参加していたと語っています。山に入って竹や木を切るのと共に、米軍が演習が終わって帰るときに残した缶詰などを貰って食料の足しにした。だから、ここでアメリカ軍とことを構えるという発想はなかったと思います。それにアメリカ兵一人一人は、普通に接している分にはフレンドリーで優しい。意味もなくおばあさんの顔を滅多打ちにしたというような残虐な事件は拾い集めればけっこうありますが、そういう時だけ本土から取材が来て騒ぐというのは、辟易としている。「普段、私たちに手を差し伸べてもくれないのに、そういう時だけ騒ぐ」と。

景山:アメリカ軍の軍人の一人一人は敵ではないけど、アメリカと日本の国策に対して訴えたいということですよね?

監督:そうですね。この作品に関しても、アメリカ軍や日本政府を取材すればいいのにという意見があります。日本政府だったら誰を取材するのか?防衛大臣?、総理?、沖縄の防衛局?この人たちにいくらインタビューしても、予想された通り一遍の答えしか出てこない。それに輪をかけて、1年もしないで変わっていく防衛大臣や総理大臣のカットを入れて、表面的にバランスの取れた取材をしている格好をつくるのは、テレビではよくある手法ですがそれはやらないと決めていました。
政府は主に沖縄を犠牲にしながら、実際に有効に機能するかどうかの議論もないまま日米安全保障体制を堅持しています。しかしこの体制を続けるということを支持しているのは、まぎれもなく大多数の国民ですよね。沖縄のことについて、福島だって、原発についてだって、知ろうと思えば知ることができるのに、知らないふり、関心がないふりを続けてきて、結果的にその成果だけを享受しようとしている国民がいる。結果的に国策に加担していっているんですよ。国策というのは政治家だけがやるものではない。標的にされる地域があり、そこの子供たちの笑顔が奪われていく。誰によって奪われるんですかという問題です。政治家だけではなく、その政治家に投票した人ばかりでもなく、現実を見て投票行動に結びつけていない有権者は全員加害者になる。沖縄の人々にしても、広島や長崎で原爆の後遺症を患いながら差別に苦しんでいる人たちに何もやってこなかったとしたら、彼らを斬り捨ててきた国策に加担しているわけですよ。エネルギー政策だって、沖縄には原発がないといっても、国として原子力利用を推進することに対して、沖縄の人たちが「これはだめだ。エネルギー政策の名のもとに危険な施設を過疎地に押し込めていったらいけないんだ」と運動してこなかったとしたら、沖縄も加害者なわけですよ。
長年、ニュースをやっていて、「ボールは政府に投げられました」とか、「なりゆきが注目されます」とか、この最後の締めコメントにはパターンがありますが、空しいんですよね。沖縄は「本土にボールを投げられた」とか言うけど、向こうは受け取ってないからって思うんですよ(笑)。「政府の難しい舵取りが注目されます」とかね(笑)。

宮崎:主要登場人物の安次嶺(あしみね)現達(通称ゲンさん)さんの一家がすごく魅力的だったと思いますが、その安次嶺一家も巻き込まれたスラップ裁判についてお聞きしたいと思います。
この作品でスラップ裁判という言葉を初めて知りました。
*高江でのオスプレイのヘリパッド(ヘリの着陸帯)建設に抗議し座り込んだ高江の住民を、国が「通行妨害」で訴えた、いわば反対運動を萎縮させるための弾圧がスラップ裁判

監督:スラップ裁判という言葉については、どこの放送局も使っていなくて、うちの報道部も迷ったんです。新聞もあまり書いてなかったんです。だけど弁護団は早くから使っていました。
新しい概念を入れるよりは、「国が国策に反対する国民を訴え」るという言い方で充分だといってやってきたんですが、あまりにも県民をバカにしたこの構図を報道し続けるためには「スラップ裁判」という言葉を定着させるほうが早いんじゃないかと判断しました。概念を浸透させるのが解決の早道ということがあります。うちの放送局だけが使うのはどうだろうという議論もありましたが。

宮崎:そうですね。そういう名前で呼ばれるということは知らなかったけど、こういう状況はいままでもいくつもあったと思います。でも、そういう状況の中で生きているというということが、ゲンさんの家族の映像を通すことで、異議申し立ての意味がよりわかりやすく伝わってきたと思います。

監督:ありがとうございます。

宮崎:ほんとはゲンさん一家が暮らしている高江のカフェのこととか、もっと聞いてみたかったのですが時間がなくなってしまいました。ありがとうございました。

監督:あれは全部手作りなんです。それに最近は楚洲というところにゲンさんはもうひとつカフェを作ったんです。そこは海と川のカフェ。あの森の中のカフェ同様、すごく素敵なところです。ゲンさんのカフェは誰でも行けるところです。ぜひ行ってみてください。



『標的の村』場面写真 (C)琉球朝日放送

★まだまだ聞きたいことはいっぱいあったのですが時間切れになくなり、肝心のこの映画の内容について、核心に至るものは聞けませんでした。でも、この作品を作るにいたるまでの、三上監督の軌跡、心情、思いは聞けました。
このドキュメンタリーを観て一番心を捉えたのは、普天間基地を沖縄各地から来た人たちが封鎖したところ。ここには沖縄県民もいるし、沖縄の警察官もいる。「なぜ沖縄の県民同士が争わなければならないんだ」というシーンに涙が出た。米軍兵士は他人事のように立っているだけ。そんなことが許されるのか。
この映画、絶対観てください。本土のTVやマスコミではほとんど伝えられてこなかった、普天間基地を封鎖した時の部分は特に圧巻です。普天間や辺野古などと違い、ほとんど知られてこなかった高江という地名も知ってください。そして、なにより沖縄の人たちの気持に寄り添ってほしい。(暁)

2013年/日本/91分  製作・著作:琉球朝日放送 配給:東風
2013年8月10日より東京・ポレポレ東中野ほか全国順次公開
公式サイト:http://www.hyoteki.com/

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