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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-』

サダム・フセイン長男ウダイの影武者だった男
ラティフ・ヤヒア氏来日記者会見

デヴィ夫人とラティフ・ヤヒア氏

日時:2011年12月20日(火)13:30~
場所:ホテル西洋銀座3階 サロンラドンド
登壇者:ラティフ・ヤヒア氏(48歳)
ウェルカムホスト:デヴィ夫人(ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ)(71歳)


イラクの元大統領サダム・フセインの長男ウダイ・フセインの高校時代の同級生で、顔が似ていることから影武者としての4年半を過ごした人物の物語『デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-』。原作者で実際に影武者としての辛い日々を過ごしたラティフ・ヤヒア氏が来日し、記者会見を行いました。

◎冒頭挨拶

ヤヒア:やっと日本に来ることができました。美しいところに来ることができ感謝しています。(当初、11月末に来日予定でしたが延期となり、12月20日にようやく来日が実現。)

司会:ご自身の経験を元に出来た映画。完成した作品をご覧になって、どう思われましたか?

ヤヒア:一度目に観るときには安定剤を6~7錠飲まないといけない心境でした。手にしていたペットボトルを思わず握りつぶすほどでした。妻には、これは映画だからと言いましたが、拷問のシーンなど当時の痛みが戻ってくるようでした。


ラティフ・ヤヒア氏

◎会場との質疑応答

◆かつては宗派が違っても軋轢はなかった

― 影武者の生活が今の生活にどのような影響を与えていますか?

ヤヒア:20年前にはイラクが好きでした。その後、イラクのことを思うと普通に眠れない悪夢に変わりました。イラクで目撃したことが痛みとして残っていて、拷問の傷跡もありますし、それによる病気で余命も短いといわれています。

― 影武者になった経緯として、似ているという以外に何か理由はありましたか? シーア、スンニー、クルドなどイラクには様々な人たちがいますが、非人道的な目にあったのは、そういった区分と関係あるのでしょうか?

ヤヒア:影武者にされたのは、ウダイに外見が似ていたという理由のみです。当時はイラク国民として、シーアもスンニーもまとまっていて、軋轢はありませんでした。

◆ アメリカの介入で、今や百人のサダムやウダイがいる!

― 20年前にイラクから亡命されて、イラクも変わっていると思います。リビアやエジプトなど、まわりの情勢も変わってきていますが、どのように思われていますか?

ヤヒア:20年前に亡命しましたが、私の心はイラクに残り続けていました。中東の状況が変わって嬉しく思います。同時に、イラクも同じようなプロセスで変化を遂げてくれたら、どんなによかったかと思います。アメリカの介入なしに変化を遂げられればと。今のイラクを一つの国として見られません。アメリカの介入によって、一人のサダム、一人のウダイがいたところに、いまや100人のサダム、100人のウダイがいる状況です。イラクは終わってしまいました。イラクに帰ることも考えられません。

◆法廷でサダムやウダイの実態を証言したかった

― ウダイと高校の同級生だったとのことですが、その頃どんな思いでしたか?

ヤヒア:ウダイは高校で4年間クラスメートでした。ルックスが似ていたのは事実です。70年代でアフロヘアが流行っていたのですが、その髪型も似ていました。大学に進学してエンジニアになることが夢でした。成績もよかったのですが、法律に専攻を変えました。バグダードでも裕福な家で恵まれていました。父は政治的な人物ではなくビジネスマンでした。父は体制のシステムも理解していたので、ウダイと同級生なら目を付けられないようにと注意されていました。そんな中で影武者になれと強制されました。承諾しなければ姉妹を強姦すると言われました。ウダイと高校で同級生だった頃は、イラクは西洋の友と言われていた時代です。拷問なども当時もありましたが、報道されることはありませんでした。

― ウダイとサダムの影武者は何人いたのですか?

ヤヒア:ウダイは私一人です。サダムには4人いたと聞いていますが、会ったのは一人だけです。一緒にトレーニングをしていましたので。

― 独裁者の哀れな最期を見て、どう思われましたか?

ヤヒア:サダムをあのような形で処刑したのを見て、アメリカに対して大きな怒りを感じました。まるでヒーローのように扱っていましたし。ウダイの死の場面では、テレビにコーヒーカップをぶつけてしまいました。法廷で判事の前でちゃんと裁いて欲しかった。被害を受けた一人としてきちんと証言したかった。

― やはり独裁者といわれる金正日が亡くなって、どう思われましたか?
(金正日が逝去したのは、記者会見の前日のことでした。)

ヤヒア:北朝鮮についてはコメントする立場にないです。跡を継いだ3男が高学歴と聞いているので、国のシステムを変えてくれればと期待しています。



デヴィ夫人

◎デヴィ夫人に影武者経験者としての人生を語る

ここで、ウェルカムホストとしてデヴィ夫人が登壇。


デヴィ:ようこそいらっしゃいました。短い滞在を楽しんでいただければと思います。私がここに選ばれましたのは、名前がデヴィでデビルに似ているからかと思いますが、デヴィはサンスクリット語では天使や女神の意味で悪魔ではありません。

― 映画をご覧になった感想を!

デヴィ:中世のカメラとかない時代には影武者が有効に使われていたと思います。テレビや新聞などがある時代にセキュリティの問題で影武者を使わなければいけないということが非常に脅威に感じました。ラティフさんは影武者として4年間大変な思いをした方なのに、柔和な方ですね。

― デヴィ夫人は東洋の花。お会いになった感想を!

ヤヒア:衝撃を受けるほど美しく、お会いできて光栄です。

― 実際に影武者だった方とお会いになった感想を!

デヴィ:影武者という存在として、数奇な経験をしていた方。影武者を使わないといけない指導者が気の毒です。スカルノのそばにいて、いろいろな方に会いましたが、影武者を使わなければいけないような指導者にはお会いしませんでした。歴史や文化が違うのでしょうか・・・。背景を伺ってみたいです。私自身インドネシアのクーデターで亡命しましたが、ヤヒアさんが命を冒してまでも亡命されたのは?

ヤヒア:4年半影武者を演じて、もう耐え切れなくなったのが一番の理由です。80年代、イラクが西洋の友人だった時代には脱出できませんでした。クウェート侵攻で西欧の敵となり、逃げ出せるチャンスだと思い切りました。当時は西欧に自由があると期待を抱いていました。イラクで拷問を受けましたが、西欧でもCIAなどに拷問を受けたりしています。IDも貰えません。イラクで経験したことが、自分を強くしてくれたと思っています。

デヴィ:イラクのご家族とは?

ヤヒア:2004年にシリアで家族と再会しました。サダムを倒したのはイラクのためと言いながら、イラクの国民の多くが犠牲になりました。夫を失った女性が100万人もいます。これがアメリカの描く民主主義なのでしょうか? 私自身、諜報機関によってイラクを出てからも暗殺されそうになりました。アイルランドで15年暮らし、アイルランド人の女性と結婚しましたが、パスポートを貰えません。人生に一度は正義を見たいと思っています。


デヴィ夫人とラティフ・ヤヒア氏

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お父さんが自分は殺されてもいいから逃げなさいと言ったところに、侍精神を感じたというデヴィ夫人。この映画が事実に基づいたものであることを踏まえ、西欧から見た偏った情報が蔓延する中で、日本人の知らない世界を見せてくれる作品と強調されました。ヤヒア氏の終始うつむき加減に話す姿からは、今なお辛い経験を心の中から拭い去れないのを感じました。独裁者の匙加減一つで人生を翻弄される人たちが世界にはまだまだいることにも思いがいたる記者会見でした。

取材:景山咲子


『デビルズ・ダブル -ある影武者の物語-』

作品紹介→ http://www.cinemajournal.net/review/index.html#devilsdouble
★2012年1月13日(金)TOHO六本木ヒルズほか全国順次ロードショー

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