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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

“戦争と命”を見つめる、パレスチナを舞台とした3作品、この夏続々公開!
東外大 パレスチナ/イスラエル映画祭
―こどもと明日と未来を考える―


左から臼杵陽・日本女子大学教授、古居みずえ監督、村田信一(写真家)、
山本薫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員)

『いのちの子ども』(7/16公開)、『ミラル』(8/6公開)、『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』(8/6公開)、この夏、パレスチナをテーマにした映画が相次いで公開されています。それぞれの視点は違いますが、だからこそ見えてくるものもあると思います。
なかなか実現しないパレスチナの和平。どこに問題があるのか、和平への糸口はどんなところにあるのか・・・ 3作品のダイジェストを観て、パレスチナのこどもたちの未来を考えるイベントが、東京外国語大学 外国語学部 アラビア語学科の学生さんたちを中心に結成された「パレスチナ/イスラエル映画祭 実行委員会」の運営で行われました。その模様を抜粋してお届けします。

日時 :2011年 7月20日(水)17:30-20:00
場所 :東京外国語大学 115教室

運営 :パレスチナ/イスラエル映画祭 実行委員会有志
協力 :酒井啓子(東京外国語大学教授)、山本薫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員)

●第一部(17:30~18:00 )

『いのちの子ども』『ぼくたちは見た』『ミラル』ダイジェスト版試写(各作品約10分)


◆『いのちの子ども』シュロミー・エルダール監督 2010年 米・イスラエル

封鎖されたパレスチナ・ガザ地区からイスラエル・テルアビブの病院に運び込まれたパレスチナ人の赤ちゃんの命を救おうと奔走するユダヤ人医師とパレスチナ人の母親の思いを追ったドキュメンタリー。医師の要請でジャーナリストであるエルダール監督はテレビで手術費用の寄付を呼びかける。匿名で寄付に応じたユダヤ人はテロで子どもを亡くしている。赤ちゃんの母親ラーイダは、イスラエルのプロパガンダに利用されそうだと不安を隠せない。あげく、助かったらこの子は将来剣を持ってエルサレムを解放すると言い、監督は何の為に助けたのかと苛立つ。後にラーイダの発言はアラブ人の機嫌を取る為だったと判明する。監督、母親、医師、関係者のその時その時の思いが直球で伝わってくる。
★7月16日より ヒューマントラストシネマ有楽町他公開


◆『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』古居みずえ監督

民家、モスク、工場、学校、オリーブ畑など、あらゆるものが破壊され、1400人もの人たちが犠牲になった2008年から2009年にかけてのイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への攻撃。20年近くパレスチナを取材してきた古居監督にとっても、これ程の惨状は初めてだった。監督は、一族が一度に29人も殺されるという過酷な経験をしたサムニ家の子どもたちに焦点を当てて爆撃の残したものを問いかける。
★8月6日(土)よりユーロスペースにてモーニングショー


◆『ミラル』ジュリアン・シュナーベル監督 2010年 仏・イスラエル・伊・インド

1973年イスラエルに生まれ、イタリアでジャーナリストとして活躍してきたルーラ・ジブリールの自伝的小説「ミラル」の映画化。
母親を亡くした七歳のミラルは、ダール・エッティフル(子どもの家)に身を寄せる。ここは、イスラエル建国の陰で孤児となったパレスチナの子どもたちのためにヒンドゥ・ホセイニという女性が私財を注ぎ込んで創設した学校だった。17歳になり、イスラエル軍に家屋が破壊される光景を目の当たりにしたミラルは抵抗運動に参加するようになる。それは恩師ヒンドゥの教育こそが平和への道という理念にそむくものだった。その後、ミラルはヒンドゥの助言で奨学金を得てイタリアに旅立つ。
★8月6日(土)よりユーロスペース他 全国順次ロードショー


●第二部(18:00~20:00 )

パネリストによるディスカッション。
それぞれの映画について、アラビア語科の学生さんから感想が披露され、それを元にパネリストの方たちがコメントを述べるという形で進められました。

【司会】
山本薫氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員。専門アラブ文学・文化論)

【パネリスト】
臼杵 陽氏(日本女子大学文学部史学科 教授)
主な著書『世界化するパレスチナ/イスラエル紛争』〔岩波書店2004〕『中東和平への道』(世界史リブレット52)〔山川出版社1999〕
古居 みずえ氏(ジャーナリスト、『ぼくたちは見た』監督)
村田 信一氏(写真家。『パレスチナ 残照の聖地PALESTINE the memories of martyrs』著者)

左から臼杵陽・日本女子大学教授、古居みずえ監督、村田信一(写真家)、山本薫(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所共同研究員、戸川詩織さん(主催者:東京外国語大学アラビア語科4年)

◆『いのちの子ども』

アラビア語科3年 今井花南さん
ガザ地区で治療できず、イスラエルの病院で骨髄移植をする赤ちゃん・・・ この映画を観て二つのことを考えました。一つは人は多面的な要素を持っているということ。「パレスチナ問題」で語られるのはイスラエルとパレスチナという2者対立。でも、それだけでは片付けられない。パレスチナ人に息子を殺されたのに、パレスチナの赤ちゃんのために寄付するユダヤ人。ユダヤ人の医師に助けてもらわなければならないパレスチナの母。誰にも葛藤があると思います。イスラエル兵も休日に病院に来れば、パレスチナ人の赤ちゃんにもおもちゃをあげています。もう一つ、パレスチナに関する映画を何本か観た中でもどかしいと思っているのは、イスラエル人が大嫌いだといったことに共感できない。『いのちの子ども』で、なぜイスラエル人に助けてもらうのかとか、なぜパレスチナ人を助けるのかと、なぜ、何々人ということにこだわるのかと。また爆撃シーンは酷いと思っても、自分が経験していないので、リアルに想像できません。

村田: 現地に行ったことのない人が観て、何が起きているのか、あまりに日本の現実とかけ離れていて、実感できないのはもっともなことと思います。監督がジャーナリストで、ニュース的な撮り方をしていて、予備知識のない人にはわかりにくい部分もあると思います。イスラエル人の医師は恐らく移民。いい意味でイスラエル的なものを持った人。政治的宗教的なことを超えて死にそうな人を助けなければという思い。映画を観て共感できないという方に一番いいのは現地に行っていただくこと。世界有数の観光地ともいえる場所ですし、ホスピタリティや食事の美味しさなども自分の目で確かめて欲しい。

古居:『いのちの子ども』を観た時、立場を超えて人道的なことができる医師がいるのはすごいなと思いました。イスラエルやパレスチナに関心のない人にも心を打たれる映画。美しいストーリーだけれど、パレスチナの母親が自分の子を戦士にすると発言したことの背景などが見えてこない。イスラエルとパレスチナは対等ではありません。イスラエルが占領してパレスチナの人たちが人間的に生活できない状況で、単純に戦争をやめなさいといえません。メディアの力がすごく強くて、アメリカやイスラエルから送られてくるパレスチナのイメージがテロリストや爆撃や石を投げている場面。ニュースではそういう場面しか映らないので、野蛮で共感できないということになってしまう。でも、パレスチナも私たちと同じ普通の人たちが暮らしているところなのです。

臼杵: パレスチナ人の赤ちゃんを助けた医師を特殊化する必要があるのか? イスラエルのほかの病院でも、医師はパレスチナ人を受け入れるけれど、現実には分離壁があるので受け入れられない。話を特殊なものとして捉えるとずれていくと思います。エルダール監督はアラビア語でやりとりしていますが、決してパレスチナ人に同情的ではありません。中立的な立場です。監督はパレスチナ人の母親に時に挑発的な物言いをします。また、母親を憧れのエルサレムに連れて行きますが、モスクを目前にして中に入れません。でも、出産直後で入れないことはアラビストであれば誰でもわかっていること。絵になるのでやっていること。やっぱりイスラームは女性をしいたげていると見せているのです。また、赤ちゃんに「トダ」とヘブライ語で「ありがとう」と言わせているのも監督の絵作り。

山本:ヒューマンタッチの映画と受け止める方が多いと思うのですが、社会的・歴史的背景を聞くと、ヒューマンドキュメントというより、イスラエルとパレスチナが対等に向き合っているわけでないことが医師、ジャーナリストなどいろんな立場から見えてきますね。

◆『ぼくたちは見た-ガザ・サムニ家の子どもたち-』

古居監督:今年になって上映のためにイベントなどを行っていた矢先に、3月11日の 津波や原発で日本全体がそれどころではなくなりました。少し遅くなりましたが、夏に上映できることになりました。映画の中の子どもたちが一瞬にして親兄弟を失ったことが、今回の大震災のあとで観てみると遠い話ではないと思えるのではと。酷い経験をした日本が、外で起こったことの痛みも感じることができるようになったではないかと思います。
悲しい映画、暗い映画を観るのはいやだという思いもあると思います。でも、これは生きるための映画です。

アラビア語科3年 西方真帆子さん: 子どもたちの目線で観たもの。そこで何が起こったかダイレクトに伝わってくる。皆、冷静にそこで何があったかを語っている。ここでお父さんが亡くなったとか、従兄の奥さんの頭が飛んできたとか、自分なら動揺して何も言えないのではないかと思います。攻撃は簡単に忘れられないもの。ケアセンターで絵を描いたり、歌を歌ったりして忘れさせようとしているけれど、子どもたちは忘れまいとしている。酷い経験をしてイスラエルが嫌いになって和平への障害になるのではないかと心配します。一昨年、ヘブライ大学の学生と話した時に、エルサレムにはかつて何もなかったけれど、私たちが来て、道路をつくったりしてちゃんと住めるようにしたと言うのを聞いて、パレスチナの人たちの思いとのギャップを感じました。和平を実現するには、お互いの意識の改善が必要だと思います。

村田:古居さんは長い時間をかけてパレスチナの人たちの中に入り込んで撮っていらっしゃいます。古居さんの人柄もありますが、女性だから入り込める。自分が行っても大人の女性に会えない。男性のジャーナリストには撮れないドキュメンタリーです。彼らと同じ目線で撮っている素晴らしさがあります。和平に何が必要か? 双方の政治家やアメリカや国連が関わっているやり方では和平はあり得ない。そこに住む人たちが意識を変えていくことが必要。そのためには、やはり教育です。

臼杵:『ガーダ 〜パレスチナの詩〜』では、イスラエル国家成立以前のパレスチナの歌を老人たちが歌う姿を撮っていて、アーカイブとして素晴らしい。今回の作品も、20年後、30年後に子どもたちが観てどう思うか? 子どもたちにとって、当時何を語ったかを将来知るために役に立つ作品。そういう作品を撮ったことがすごい。

古居:褒められたような、そうでないような複雑な気持ちです。悲しいことがあった時に私たちは忘れようとするのではないかと思うのですが、薬きょうを集めている男の子や、その時何が起こったか絵を描き続けている子など、彼らはあえて忘れないようにしています。悲しいと思いながら忘れちゃいけないと。悪夢をみたり、夜泣いたりもしているのに、なぜ?と思ったとき、彼らは生まれて間もない時から「占領」という中で、爆撃を受けたり、境界を通れないなど日々の苦しさを毎日見てきて、子どもながらに今の状況を変えて欲しいという思いが強いのだと思い当たりました。彼ら自身が何年度どうなるか、追い続けたい。

◆『ミラル』

アラビア語科4年 神田真奈さん: イスラエル・パレスチナ問題を扱っているけれど、第一印象は重苦しくない。ドラマとして作り上げたものなので、暴力以外の平和的な方法でパレスチナ人の誇りを示している。女性を中心に描いたものだけど、女性=弱者ではない。孤児のための学校を作ったヒンドゥという女性が男性が会合をしているところに乗り込んでいく場面などがさらっと描かれています。シリアに留学して、アラブ世界で女性が主体的に活動するのが難しい社会と感じましたので。また、暴力に頼らず和平を解決しようという普遍的なテーマを感じました。ミラルという花は道端に咲く花・・・ これは、パレスチナ人の存在を認めようとしないイスラエル人に向けた言葉だと感じました。

司会:パレスチナの女性について、古居さんから一言お願いします。

古居:『ガーダ』では保守的なガザの地で生きる女性ガーダを捉えました。エルサレムやラーマッラーなど都市部ではもう少し自由な考えを持った女性が多い。肌を見せたり、男女仲良くしていたりといろんなパレスチナの女性がいます。そして、パレスチナの女性は結構強い。意見もはっきり言うし、たくましくて好き。中年以上の女性がどっぷりと家をしきっています。イスラエル兵に素手で向かっていく女性たちが好き。イメージとしてイスラームでは男性の後ろに女性が隠れているという感じがあると思いますが、実は結構強い。

村田:『ミラル』を観て、ヒンドゥという女性の活動を知り、素晴らしさに感動しました。パレスチナとイスラエル、双方わかりあえて平和になるということのヒントがこの映画の中にあるのではと思いました。ヒンドゥの意志を継いで今も学校が運営されています。教育の重要性を再認識させられました。

司会:ホセイニー家の研究をされている臼杵さんにより一言お願いします。

臼杵:名家ホセイニー家のヒンドゥにとって、孤児院を営むことに違和感はなかった。イスラーム的というより、当時のパレスチナの金持ちの一家にとって当たり前の行動。Kさんが女性の扱いについて違和感を持ったとのことですが、私自身も感じました。そもそも、監督が自伝を読んで初めてパレスチナ問題に目覚めたというのは遅すぎる! また、アラブの家父長社会を徹底的に描いていて、呑んだくれ、レイプする男、それに対して闘う女、自立する女という構図。ヨーロッパ向けには受ける。3人の女性を描くことによってパレスチナ女性のイメージを打ち出している。

司会:監督はニューヨーク出身のユダヤ人で、一家はイスラエル建国に力を貸した人たち。その監督がパレスチナ人の負のイメージを払拭するような描き方をしている。監督の立場として、パレスチナに持っている偏見を払拭したい。全編英語で通したのはパレスチナ人以外の俳優も起用したから。教育など平和的方法で和平を目指したことを描いている。代弁者として振舞いすぎている気はする。アメリカの映画界はユダヤ人の力が強くて、パレスチナ人やアラブ系の監督の映画が上映される機会すら奪われていることが多い。そんな中で作った勇気は認めたい。

●最後に

臼杵:平和共存は、第三者からはいくらでも言えるけど、当事者がその気にならない限り実現しません。お互いに知ろうとしない姿勢をどう崩していくのか? 先が見えない真っ暗な言い方でしか言えませんが、それが現実です。

古居:私自身現地から離れていて見えにくくなっているのですが、エジプト、チュニジア、イエメン等々、中東での動きがどうパレスチナに影響していくのか見守っていきたいと思います。『いのちの子ども』は、政治的なことはあまり描かず、人を描いた映画。人を知ることが第一。ステレオタイプ的なイメージを崩すことも大事だと思います。

村田:旧態依然とした政治リーダーがいる限り変わらないと思います。長い目で見れば変わっていくと思います。私たちに出来ることは、パレスチナ・イスラエルに限らず、第二次世界大戦以降の国や国境の問題を、国や民族の枠組みを超えてみていくことかと思います。

司会:単純な解決策がなかなか出てこない。大切なのは、知るということ。遠い世界のことを知ることが入口。世界で起きていることに目を向けることが大切です。映画は知ることのいい手段だと思います。


*****

台風の影響で大雨の降る中、試験目前の学生さんや、一般の方たちが参加し、熱いトークが繰り広げられ、充実のイベントでした。
目まぐるしく色々なニュースが駆け巡る中、パレスチナの情勢は忘れ去られそうですが、今も問題は解決していません。3本の映画は、どれも人間の尊厳を考えさせられるもの。ぜひ大勢の方にご覧いただきたい作品です。

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(報告:景山咲子)
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