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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『Lily』
中島央(なかじま ひろし)監督インタビュー

 アメリカで映画制作を学び、脚本家としてのキャリアをスタートさせた中島央監督。『Lily』は初長編にして、日本デビュー作です。監督自身をモデルにし、アメリカ人キャストとスタッフによりロサンゼルスで全編英語で撮影されました。そもそも本作は、2007年に初監督した短編『リリィ』のセルフメイクリニューアル版となっています。作品について、ご自身が考える映画について、詳しくお聞きしました。


――2006年に書いた短編が基になっているとお聞きしましたが、重要なところを残して肉付けしていったのでしょうか?


全部編集しなおしました。実は短編作品の編集者と長編作品の編集者が違うんです。初めは短編をそのまま入れてしまえばいいだろうと思っていました。短編自体が好評だったので、これを長編にそのまま入れて悪くなるわけは無いだろうと。しかしそれは勘違いで(苦笑)。アメリカの映画祭で上映していたら観客に物語がよく伝わってない感じだったんです。何が問題なのかと考えて、リズムが違うことに気がつきました。人が切っているリズムです。長編の編集者に「これはやばいよ」と言って、もう一回短編の部分も一から編集し直すことになりました。

短編は37分あったのですが、結局使ったのは10分くらいになってしまいました。短編の部分はほとんど切ってしまったんです。短編を入れれば入れるほど、話が伝わらなくなってしまいまして。エンディングも初めは短編のものを使っていたのですが、お客さんに「何の話?」と言われて非常にショッキングだったんです。自分ではわけのわからない映画を作っているつもりはないのですけれど、初めてそういう反応をされて「この物語っていったい何なのだろう」と必死に考えた挙句、ヴィンセントと彼女の二人の物語だというところを特化しようと思いました。最後には編集者(女性)に「ヴィンセントが“アイラブユー!”と大声で叫んでいる声が聞きたいんだ!という気持ちで編集しなければいけないんだ」って言ったんです。そしたら編集者は「は?」って感じでしたけど(笑)この映画は編集者と本当に文字通り二人三脚で作ったので、彼女にはいつもとても感謝しています。彼女が編集者だったからこそ『Lily』は完成できたといっても過言ではないくらい素晴らしい編集者でした。

――ちなみにアメリカで「わからない」と言われたそのエンディングは?

物語の中の物語で終わってしまっていたんです。僕はこの映画を「物語の中から始まって最後も物語で終わる」という、かつてやったことのないやり方で映画を作ってみたかった。こんなの誰も挑戦したことないんじゃないかと周りに言っていたのです。そうしたら編集していて気付いたんですけど、誰もやったことがないっていうのは、これは全くワークしないから誰もやってないんだって。映画にはルールがあって、主人公を始まって10分以内で客に認識させなければならないんです。そうしないとお客さんが誰にのっていいかわからない。この物語は誰が主役で誰の物語なのか、何のための物語なのか、何を言いたいのか……それはヴィンセントからみた彼女の話。だから最後のカットは絶対彼女で終わらなくてはいけない。これは絶対のルールだったんです。それだけ映像で人を説得できるインパクトがあるっていうか。

――編集は苦労されたんですね

悪夢でした。悪夢! 本当に終わらないんじゃないかって思いました。夢の中で作中のキャラクターが、『リング』の貞子のように追ってくるんです(笑)。編集室でいろんな人に会うのですが、みんな次々終わっていく。「まだやってるの~?」と言われるのが辛かったです。しかしここで中途半端で終わらせると次もまた同じことをしてしまうと思って、だからここでいくら格好悪くてもいいからしっかり映画を完成させねばと。

――スランプに陥った主人公と彼女の関係について

ヴィンセントのキャラクターで一番誤解してほしくないのは(脚本が書けなかった間)彼女に金銭的に寄りかかっていたのではないというところ。詳しく描いてはいませんが、彼女は自分の仕事を持っているし、ヴィンセントは最初に書いた脚本がヒットして、生活はできているんです。彼は彼女には精神的に寄りかかっていたんです。

――監督の経験はどのくらい映画に反映していますか

どれくらいとは言えませんが、劇中での彼女の会話の中に、当時つきあっていた僕の彼女から言われたセリフをそのまま使っているところがあります。脚色はしていますが、基になるエピソードはいろいろありましたね。一番面白かったのは、ヴィンセントの彼女のキャラクターを作ったとき「こんな女はアメリカにはいない」ってアメリカ人に言われたことなんです。でも、人生で一回だけこういう人についての映画を作ってみたいんだ、と心の底から思ったんですよ。日本のアニメ映画で『王立宇宙軍 オネアミスの翼』という大好きな作品があるんですけど、これにとても純粋な心を持った宗教家の女の子が出てくるんです。彼女のキャラクターが本当に好きで、彼女みたいなキャラクターを映画で登場させたいという気持ちが強かったんです。これである意味夢が叶ったというか、そんな感じです。

――とても良い彼女でした

僕も彼女みたいな人を探しています(笑)。

――監督がアメリカで勉強されたのは脚本が中心だったのですか?

はっきり言うと大学時代は脚本作りについてはあまり勉強していないんですよ。脚本のクラスでは、当てはめれば良い映画ができるという段階表みたいなものを教えてもらったんです。先生によっても違うんですが。それで一回その段階表を当てはめて脚本を作ってみたら、悪くはないけど自分がつまらなく感じてしまったんです。一番勉強になったのは、卒業して初めて脚本の仕事をしたときです。一気に自分を追い詰めて、一気に噴火させる、そしてストーリーを作るっていう。……だけどこれ体によくないです。もうやめようって思っています(笑)。
今は一行のラインを考えて作っています。橋本忍先生や黒澤監督も言っているのですが、「一行で言えないストーリーは良い映画じゃない」と。だから、なるべく一行で話が伝えられるようにということを考えています。

――映画をたくさんご覧になっているんですね。一番初めに観た映画は何か覚えていますか?

映画は本当に大好きです。小さい時から両親に連れられていつもいろいろ見ていました。アメリカの娯楽映画が大好きでしたね。『グーニーズ』『ネバー・エンディング・ストーリー』『ベスト・キッド』……。最近は子供向けというと、ピクサーやディズニーのアニメですが、当時は子ども向けの実写映画がたくさんありました。いつもあんまり映画ばかり観ているので、母親から映画禁止!と言い渡され、映画館に行けなくなってしまった時があったんです。ところがすぐに『ニュー・シネマ・パラダイス』を銀座で両親が観て、一緒にいた父親が困るくらい母親がわんわん泣いたんです。その後「映画禁止なんて言って私が悪かった」と、また映画代がもらえて、映画館通いを続けられるようになりました(笑)。


インタビューを終えて

終始和やかな雰囲気で進んだインタビューでした。監督が好きな映画作品や映画音楽、監督の話になるとより熱くなってしまうという、映画がお好きなのがビシビシ伝わってきました。中でも自身に大きな影響を与えたというアメリカ映画についての話はたくさんの作品名が飛び交い、圧倒されてしまいました。充実した時間をありがとうございました。日本人キャストでの『Lily』が観たいのですがそちらのリメイクはなさそうです。 また、生い立ちから映画を作るまでを書いた「絶対、映画を撮ってやる!~映画『Lily』中島央監督 自伝~」が電子書籍として配信されています。どうぞチェックして見て下さい。(明)

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(取材・まとめ:白石映子、三次明日香)
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