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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ドリーム・ホーム』
パン・ホーチョン(彭浩翔)監督インタビュー

パン・ホーチョン(彭浩翔)監督
■写真提供場所:ホテル龍名館

編:なんだかとても楽しく作られた感じがしました。上映したときの反応はいかがでしたか?

観客の反応は良かったです。みなさん怖がってくれてとても嬉しかったですね。この作品が初めてイタリアの映画祭で上映されたときは、気分が悪くなったり倒れたりした人もいました。それに比べて日本のみなさんは肝が座っていますね。

編:スプラッターな場面は目をつぶりながら観ました。連続殺人事件なのに、笑えるところもあるんですね。

残酷なシーンであればあるほど、逆にくすっと笑えますね。
どんな殺人方法にするかは全て脚本を練る段階で決めました。このシーンは特殊メイクにするのか、CG処理にするのか。カット割りやコンテを全て事前に書いて臨みました。現場で変えたのは少なかったです。アクションデザインをして準備し、危険なシーンは何度もリハーサルをしました。

銃創については、ずいぶん検討しました。銃の種類、距離、撃たれる方向が違うと傷の状態も変わってきます。外国の検視官の本で、どういう傷口があるのか調べて、コンピュータ処理をしました。一番時間がかかりました。


パン・ホーチョン(彭浩翔)監督
■写真提供場所:ホテル龍名館

編:資料を集めたり、調べたりはご自身でなさるんですか?
『フルタイム・キラー』(脚本)にも出てきましたが、銃はお好きなんでしょうか?

自分で調べます。銃は好きですね。うちにもありますが、もちろんホンモノじゃなくモデルガンです。それを使って遊ぶわけではないです。銃に関する本もたくさん読みましたし、型なんかには詳しいですよ。

編:『出エジプト記』にも強い女性たちが出てきました。監督には女性が怖いもの、強いものというイメージがあるのでしょうか?

「強い」とは思っていないです。僕は兄と弟との3人兄弟で姉妹がなく、うちでは女性は母だけです。小中学校は男子校でしたし、子どものころから女の子と接することがなかったんです。女性は神秘的な存在で怖いというより「わからない」ものでした。

編:結婚されてイメージは変わりましたか?

妻と暮らしてわかったこともありますが、知れば知るほどわからないことがまた出てきます。

編:こういう事件が実際にあったのでしょうか?

最初に「これは事実に基づいている」と出ますが、不動産の価格が上がって、香港の庶民には買えなくなったということで、それ以外はフィクションです。ニュースを見ると、殺人事件が起きたフラットは必ず安くなっているんですね。その部屋もその隣の部屋も。もしかしたら、値段が下がっていくことと殺人事件は関連性があるんじゃないか、買いたいがために事件を起こすんじゃないか、ということが頭に浮かんだんです。

編:「ビクトリア1号」(原題はそのまま『維多利亜壹號』)というマンションは実在しているんですか?

コンピューターで作成したものです。それは外見も含めて絶対条件でした。この映画は、殺人事件が起きたためにマンションの値段ががくんと下がってしまう話ですから、実際にあるところで撮影したりすると訴えられてしまいます。ただ、この映画が上映されているときに、偶然同じ名前のマンションができたんです。

編:上映後なにか影響があったんでしょうか?

知りません。特に注意していないし、どっちにしろ私には買えません(笑)。


パン・ホーチョン(彭浩翔)監督
■写真提供場所:ホテル龍名館

編:ジョシー・ホーさんともめたと資料にありましたがどういうことだったのでしょうか?

ケンカしたわけではなく、彼女が観たのがまだ編集の済んでいないものだったので、脚本のイメージと違うと言われたのです。それは彼女がそれまで製作に関わっていなくて、よくわかっていなかったための誤解です。

編:裸になっていたお2人は女優さんですか?

演技経験のある女優さんです。今回非常にプロフェッショナルな演技をしてくれました。スタイルもいいですしね。

編:去年香港から中国に仕事の拠点を移すと聞きましたが。

今は北京に事務所を構えていて、映画を撮る予定もあります。これからは大きなマーケットである中国の人に観てもらえる作品を作らないと。でも香港市場もあきらめていません。ストーリーによっては中国で撮れないものもありますので、そういうのはスポンサーを探して香港で撮りたいです。どうしても中国と絡んできますので、純粋な香港映画は少なくなってきました。

編:この映画は中国で上映できるんですか?

これは難しいです。暴力シーンだけではなく、不動産の問題もあります。値上げに反対することにも敏感なので、暴力シーンを全てカットしてもできないでしょう。

編:子どものころに家族の映画を作られたそうですが、当時ご覧になって印象に残っている映画はなんですか?

ジョン・ウー監督の作品が大好きでした。香港ノワールやアメリカのB級映画が好きでよく観ていました。
『男たちの挽歌』を観たので監督になろうと思ったんです。

編:TIFF(東京国際映画祭)の常連監督ですね。今年の参加予定はありますか?ファンが楽しみに待っています。

今年の夏に1本撮る予定があります。編集にどれくらいかかるかわからないのですが、間に合えばぜひ参加したいと思っています。映画祭が待ってくれればですね。



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*TIFFで毎年お見かけしているのに、取材の機会がありませんでした。今回ようやくインタビューが決まり、当日中に帰国されるとのことで朝一番にホテルへ伺いました。それが3月11日のことです。 いろいろお話して最後に、筆者が香港映画にはまるきっかけになった『男たちの挽歌』が、監督誕生のきっかけになったとわかり、思わずミーハーに戻ってしまいました。作品の冒頭チョウ・ユンファがビルの前で屋台の腸粉を食べるシーンがあります。それが何か短い会話が何かもわからず、広東語を習いたいと思ったのでした。パン監督はそのシーンの場所へ行き、ユンファと同じ黒いロングコートにサングラス姿で写真を撮ったそうです。すっかり嬉しくなってしまいました。

びっしりの取材をこなして夕方には帰国の予定が、あの東日本大震災で飛行機がストップしてしまいましたが、翌日には帰られたと伺ってほっとしました。


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(取材・写真:白石映子)
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