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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ソウルキッチン』ファティ・アキン監督来日レポート

舞台挨拶する監督(ユーモアたっぷり、感じのよい方でした!)
[目次]
大阪ヨーロッパ映画祭
舞台挨拶レポート
インタビュー写真集
来日ミニ会見 @東京


●大阪ヨーロッパ映画祭

大阪ヨーロッパ映画祭でファティ・アキン監督(『ソウル・キッチン』)のインタビューを行いました。 1時間にわたるアキン監督との特別インタビュー記事については、その一部を来年1月22日の公開前にWeb上で、また、その全文を81号(2011年2月発行予定)のシネマジャーナルに掲載しますので、乞うご期待!


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ファティ・アキン監督 舞台挨拶レポート

上映後のトークが始まった。 緊張した中で最初の質問者は最前列の方だった。 マイクがなかなか到着しないので、突然アキン監督は舞台上から駆け寄り、ご自分の マイクを手渡たされた。 会場は一気に和やかな雰囲気になった。

Q:あこがれの監督さんからマイクをいただき感激です!  ハッピーな作品でとても楽しかった。 監督のポピュラー音楽への想いと、映画と音楽の関わりはどんなものかお聞きしたい。

A:音楽というものは映画もそうですが、魂の食べ物だと思う。 映画を、耳からも2次元にも3次元にもふくらませて、盛り上げていくことが出来る。

Q:いままでの作品と赴きが違うが、何がきっかでそうなりましたか。

A:これを説明するにはものすごく時間がかかるが、短く言うと精神的に疲れたことと、 親しい友人が(プロデューサーでもある)亡くなったことが大きな理由だ。 その時にはすでに、この『ソウル・キッチン』の脚本が出来ていたので、 亡くなった彼が「評価を気にせず、自分のやりたいことをやれ!」と言ってくれていたことを思い出して、 この作品を作る気持ちになった。

Q:どんな映画の影響を受けましたか。

A:影響を受けた作品はものすごくたくさんある。 でも一番私の仕事に影響を与えてくれたのは、 マーティン・スコセッシ監督作品です。 監督はイタリア人でアメリカに住んでいます。

Q:トルコ系マイノリティについてどのように思っていますか。

A:スコセッシ監督の影響もあり自分のトルコ系であるマイノリティを映画の中で使うことを教えて貰った。 ただ、私の作る映画の中で、キャラクターがどこの出身かはあまり気にしていない。 他の次元の映画を作ってみたいと思うが、ふちかざりとして捉えて行きたいと思う。



始終ファティ・アキン監督は真剣に答ようとする姿に感動した。 監督も会場の熱気で、途中、上着を二枚脱がれた。 皆、監督の自然な振る舞いに、笑いが起こった。 終了の挨拶の時も拍手はなりやまず、深い感動の中でトークは終わった。(美)


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インタビュー写真集


質問に答える監督(やはり眉毛が濃かったですよ~)


インタビューを終えて、監督のアシスタント(左端)、映画祭のスタッフや通訳の方たちと。
年来の希望が叶い、顔の筋肉ゼロとなって喜び一杯の筆者(香)・・・(監督の横)。
(取材:美&香)


●『SOUL KITCHEN』ファティ・アキン監督 来日ミニ会見 @東京

2010年11月19日(金)
於 ドイツ文化センター(東京・青山)


昨年、ドイツ映画祭で上映された『ソウル・キッチン』が、いよいよ来年1月22日(土)より、シネマライズほか全国で順次公開されることになりました。この度、公開に先立ち、大阪ヨーロッパ映画祭での上映にあわせ、ファティ・アキン監督が初来日され、東京でもミニ記者会見が開かれました。

『愛より強く』でベルリン国際映画祭グランプリ、『そして、私たちは愛に帰る』でカンヌ国際映画祭脚本賞、そして『ソウル・キッチン』がヴェネチア国際映画祭審査員特別賞・ヤングシネマ賞をダブル受賞し、36歳という若さで世界三大映画祭を制覇したファティ・アキン監督。待ち構えた記者に大きな拍手で迎えられました。

トルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督、会見はドイツ語でもトルコ語でもなく、英語で行われました。

◆挨拶

コンニチワ! 日本語があまり話せなくてすみません。日本に対して興味を持っていて、ずっと来てみたいと思っていましたので、今回日本に来られてほんとに嬉しいです。この作品がドイツで公開されたのが1年前のことで、当時はインタビューをずいぶん受けましたが、今回久しぶりのインタビューで新鮮な気持ちです。

◆質疑応答

― 深刻な作品が二つ続いた後に、こんなに明るい作品を作られたのは、どういうお気持ちからでしょうか? 『愛より強く』『そして、私たちは愛に帰る』と次の作品で3部作と伺っていますが、息抜きの作品を作られたのは?


監督:私はマシーンではありません。パーソナルな作家です。ボタンをポンと押して、計画した通りの映画が作れるタイプじゃないです。3部作続けて作ろうと思っていましたが、そうはいきませんでした。今、3作目の脚本を執筆中です。その間に、心情的な危機を迎えました。仲のいい友人で、プロデューサーであり、映画の師でもあるアンドレアス・ティール(Andreas Thiel)さんが、『そして、私たちは愛に帰る』の撮影中に亡くなられてしまいました。彼とはコラソン・インターナショナル(Corazón International)という製作会社を立ち上げました。『ソウル・キッチン』は、『愛より強く』の撮影の終わり頃に脚本を書いていて、コラソンを立ち上げた頃でしたので、景気付けで皆さんに楽しんでもらう作品を作ろうと思ったのですが、カンヌで受賞して、私の作風のイメージが皆さんに定着していて、それを崩したくないと思いました。また、カンヌの審査員にも呼ばれたりもしましたし。アンドレアスさんが亡くなられて1年、なかなか立ち上がれないでいた時に、アンドレアスさんに「人の言うことなど気にせず、心から思う作品を作ればいい」と言われたことを思い出して、思い切って作りました。

― ベネチアで受賞の瞬間を観ていました。2作で賞を取ったのがプレッシャーになって、トーンの違うものを作ったのに、それがまた賞を取ってしまった感想をお聞かせください。

監督:正直、とても驚きました。賞を期待していませんでしたし、ベネチアに『ソウル・キッチン』が招待されたこと自体が既に賞だと思っていました。ベネチアでは一般の方たちが観ている姿もこわごわ観にいきました。熱意ある反応をしてくださって、嬉しかったです。作品自体、自分にとって挑戦でした。どこまでやりこなせるか、エンターテイメントを皆さんにお届けできるのか・・・ アート系の監督であっても、いろいろなスキルを持っているべきだと思いました。受賞して驚いて、審査委員をつかまえては、「どうして賞をくれたの?」と聞いてまわっていました。ある審査員に「君のガッツ(勇気)に受賞させた」と言われました。決めてくださった方の言葉があってこその賞です。自分もいつかは死にます。作品がたくさん残るといいなと思います。『ソウル・キッチン』も、その一つの雫として残ると嬉しいです。

― 多文化社会ハンブルグを故郷とする移民二世の物語として興味深く拝見しました。主役を演じ、脚本も一緒に書かれたアダム・ボウスドウコスさんとは長年のご友人ですが、彼はギリシャ系移民二世。ギリシャとトルコというと歴史的に宿敵ですが、そのことについて彼と語り合ったことはありますか? また、少年のころのお二人の思い出は?


監督:二人の母国の軋轢について、私も彼も言葉にして話したことはないです。二人ともアーティストでフリーマインド。どちらかの国のせいでひびが入るような会話はないです。ただ二人とも両親から色々聞かされる軋轢の陰で育っています。でも、お互い両親から教えられたことは間違いだと思っているようなところがあります。私たちは1984年からの付き合いで、校庭で将来の夢を語り合ったときに、「僕が監督で君(アダム)が主役」と言ったら、まわりは笑っていたのですが、僕たちはちゃんと実現しました。アダムの方が僕より賢くて、強い! 「サムソンとデリラ」の怪力の持ち主サムソンのような男です。彼はサムソンのように髪の毛が長いけど、僕は長くありません。また、彼は実際にレストランを持っていて、責任感のある男です。

―前回、考えさせられる映画でした。ヨーロッパのあちこちを移動しながらの撮影が得意なのだと思いました。ヨーロッパを飛び出て、違う場所で撮ることは考えていますか?

監督:現在執筆中の作品も世界の半分位を舞台にしたいと思っています。僕は旅も大好き。映画を作ることによって、世界のことを学びたいと思っています。何より人間に興味があります。そして自由ということに。人間全員に共通しているものは何だろう?と理解するのに、映画が役立っています。映画を作っていなければ、人類学者か旅行会社の社員になっていたでしょう。

― ウド・キアーさん(『悪魔のはらわた』『処女の生血』での博士、吸血鬼役)を起用されたことに興味を持ちました。

監督:ウド・キアーは実に奇妙な友人です。初めて会ったのは『愛より強く』の宣伝でロサンジェルスに行った時のことでした。俳優として大好きで彼のファンだったのですが、会った時にビビっと電気が走る感じがしました。今回、当て書きではなかったのですが、「悪徳不動産屋といえば、ウド・キアーだ!」と思って電話したら、「いいよ」と言ってくれて、3日間位で撮影しました。1日で撮り終えたと思う位の短い期間でした。心の広い方です。本を2冊下さったのですが、1冊がパメラ・アンダーソンの新しい詩集。もう一つが、すごく大きな世界地図。クレーンで運ばないといけないくらい大きなものです。「旅が好きだ」と彼に言った覚えはないのですが、感じて下さったのでしょう。前世は魔法使いに違いないと思います。

― 監督の作品は音楽を聴くだけで、世界を旅している感じがします。今回、注意なさった点は?

監督:『ソウル・キッチン』は、あるライフスタイルについて描いたパーソナルな映画です。僕は12歳位から夜、クラブなどで遊び歩いていて、夜の世界の音楽やファッションをよく知っていました。今は、夜、遊び歩かなくなりましたので、そういう生活への決別の意味も込めました。ターンテーブルを盗むシーンでかかっていたのが、エレクトリック系の音楽。そういう曲のかかっているクラブに行くと、どこへ行っても自分が一番年上だと気づいて、そろそろ決別すべきかなと思いました。私の好きな音楽ばかりを詰め込んだわけでなく、この映画の音楽って何だろう?と考えた時に、アフロアメリカン系のソウルだったのです。ハンブルグはなぜかソウルタウンなのです。ベルリンの壁が壊れるまで、ドイツは文化的に英米に占領されていました。ドイツは英米の影響がとても強いのです。スタークラブというハンブルグのクラブでビートルズも有名になりました。この映画のキャラクターには移民系が多いのですが、それぞれがバックグランドを持っています。そういう人たちにとって、アフロアメリカン系の音楽はしっくりくるのです。ブルースは苦しんだ人たちの音楽。マジョリティの中のマイノリティにとって、ソウルやR&Bは共感できるものなのです。アイデンティティとして近いものを感じる音楽がアフロアメリカン系だったのです。

― 1年前に映画祭で観て、郷土映画として作ったと書かれていて、ハンブルグへの愛の告白だと感じました。ハンブルグという町にとって、アキン監督はどういう存在だと思いますか?

監督:そうですね・・・ 思うに私はハンブルグの息子の一人。町を女性に例えると、ハンブルグは母。イスタンブルは妻でなく、時々会いたい恋愛相手。ハンブルグはいつも自分を守ってくれる母に近い存在。大きくもなく小さくもない。バイクで全部廻れる位の町。両親も、世話になってる医者も、私や息子の幼稚園も、すべてがあるところ。貸しがあるような気がして、映画を一本作らなくちゃと。町をキャラクターのように扱っているのが気に入っています。田舎を舞台にしたものは、ツーリストのような気持ち。都市を舞台にしたのは、人間が好きだから。トルコでのロケが続いたので、ハンブルグで撮りたいなと。トルコのホテルで過ごしていると、誰が寝たのかわからないベッドで、自分のベッドで寝られない辛さを感じました。バイクでちょっと行って家に帰って来られない辛さも。息子が5歳で一緒にいたいという気持ちもありました。


***

あっという間に1時間が過ぎ、フォトセッション。最後に、トルコ語で「テシェキュル・エデリム(ありがとうございます)」と言ったら、「ビル・シェイ・ディール(どういたしまして)」とにっこり笑ってくださいました。


トルコと歴史的に宿敵のギリシャが出自のアダム・ボウスドウコスさんと親友だということに興味を持っていたので、あえて質問してみました。監督の答えは思ったとおりのものでしたが、移民の多いドイツで、いろいろな民族の人たちが平和共存してほしいと願ってやみません。

取材:景山咲子

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