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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『半次郎』企画・主演 榎木孝明さんインタビュー

榎木孝明さん

2010年10月6日
於 FiORIA GINZA (Saloon Style Dinner & Karaoke)


 昨年9月中旬に都内某所で榎木孝明さんにばったりお会いした時に、「来週から自分が企画した映画を鹿児島で撮ります!」と、目を輝かせておっしゃっていたのが、つい昨日のことのように思い出されます。ほんとうに嬉しそうな笑顔でした。その映画『半次郎』が完成。 9月18日からの九州での先行上映に引き続き、10月9日から東京他全国で公開されるのを機に、榎木孝明さんにインタビューの機会をいただきました。

◆本当の中村半次郎を描いたことを喜んでくださった曾孫さん

― 長年企画をあたためて完成された『半次郎』が全国で公開されることになり、ほんとうにおめでとうございます。 西南戦争で半次郎さんが亡くなられたのが、1877年。130年ちょっと前のことですと、話を伝え聞いているお孫さんや曾孫さんの代の方がまだ生きていらっしゃることと思います。半次郎さんのご子孫の方には、すでにご覧いただいていることと思いますが、どのようにおっしゃっていますか?

榎木: 今回、一番お世話になったのが半次郎の曾孫さんにあたる加藤房子さんという方で、ずいぶんと応援していただきました。加藤さんに最初にお会いした時に、世間では「人斬り半次郎」というイメージで認識しているので、自分は一切半次郎のことを外には話さないという決意で何十年も生きてきたとおっしゃっていました。 私もまったく同じ想いで、そのイメージをなんとか払拭したいと思っていまして、そのことを聞いて加藤さんは私と会ったことで勇気を貰われたとおっしゃってくださいました。加藤さんが今回一番の映画『半次郎』のファンで、ほんとに喜んでくださいましたね。

◆そこだけ白い御影石のお墓に惹かれた!

― そもそも榎木さんが故郷鹿児島に大勢の藩士がいらっしゃる中で、特に中村半次郎という人に魅力を感じられたのは、いつごろのことですか?

榎木:学生時代に南洲墓地という薩摩の西南戦争で亡くなった方たちのお墓に行った時に、西郷隆盛さんのお墓が中心にあって、その向かって左隣に桐野利明の墓石があるのですが、一人だけ他とは違う綺麗な墓石なんですよ。どうしてこの人だけ色が違うんだろう・・・と、気になりまして。それから興味を持って調べだしました。墓石に関しては、説がいろいろありまして、祇園の芸妓さんたちにすごくもてた人で、彼女たちがお金を出しあってお墓を建てたという、まことしやかな噂があります。真相は別のところにあるみたいですけど。


◆恋人さとさんの村田屋からキセルをお借りする

― 白石美帆さんが演じた恋人のさとさんの関係者の方からは、村田屋に伝わるキセルを借りたそうですね。

榎木:はい。映画の中でも村田キセル店のシーンで使っています。キセル店に何気なく置いてあるんです。あのキセルは実際にお店にあったもので、お店に置いてあったのか、看板としてぶらさげてあったものなのかわからないのですが、確かにお店にあったものだそうです。今回の撮影にあたり村田さとさんの関係者の方に特別に貸していただきました。

― さとさんと半次郎さんの経緯もちゃんと史実として伝わっているのですよね。

榎木: そうですね。 さとさんは、生涯独身を通して70代で亡くなられています。ほんとにお互い愛し合っていたのでしょう。

◆大久保利通の執務室にさりげなく置かれた国宝級の薩摩焼

― とても立派な薩摩焼の壷も映画のために借りたそうですね。

榎木: あの白薩摩焼のつぼは、第15代沈壽官さんからお借りしたものです。

― 今回の映画を通じてお知り合いになられたのですか?

榎木: いえ、以前から親しくしていただいています。今回、「せっかくだからうちの白薩摩を使う?」とおっしゃってくださったので、「是非お願いします」と言ったら、「江戸時代から伝わっている、外に出してないいいものがあるから」と、貸して下さいました。貴重な品物を使わせて頂き、本当に感謝しています。
 作品の中では、大久保利通の執務室に、大久保が薩摩のことを忘れてないよというアイテムとして置いたものです。キセルにしても白薩摩焼にしても今回はそういう蔭の協力をいろいろいただきましたね。

◆五十嵐匠監督の情熱に賭けた

― 榎木さんが長年企画をあたためられていた『半次郎』の監督を五十嵐匠監督にお願いしようと思われたのは、『HAZAN』『アダン』『長州ファイブ』と、立て続けに一緒に仕事をされる中で、この方に監督を・・・とお話を持っていかれたのですか?

榎木: 最初、『HAZAN』を撮っている終わりの頃に、孤高の画家・田中一村のことを、昔からこの人のことを映画にしたいと思っていたと紹介しましたら、五十嵐監督はすぐに奄美大島に飛んでいって調べてくださって、『アダン』に繋がったのですが(注:このことは、シネジャ67号に 榎木孝明さんのインタビューで紹介しています)、その後、『長州ファイブ』でご一緒したときに、監督に「長州やったら次は薩摩ですね」と話したことはあります。4本一緒にやったら、お互い気持ちも通じ合うようになりましたけど、実は『アダン』の頃までは、現場では監督はきついので嫌いでした。けれどだんだん彼の情熱にほだされましたね。『半次郎』は、情熱のある監督じゃないと引っ張っていけないという想いがあって、五十嵐監督にお願いしました。

― 撮影に入ったら、監督の仕事は五十嵐監督に任せて、榎木さんは主役に徹したのですか?  それとも演出にもこだわられたのでしょうか?

榎木: 余計な口出しはしなかったです。脚本を作るにあたって、こちらの想いを伝えましたし、それを大事にしてくれましたので、それ以降はあまり言いませんでした。


◆時代劇も素晴らしいEXILEのAKIRAさん

― EXILEのAKIRAさんですが、『ちゃんと伝える。』で、こんな役もできるのかと意外だったのですが、今回の永山弥一郎にも、ちょっと驚きました。どんな役にもはまる方だなぁと思いました。AKIRAさんとは、以前からの知り合いだったのですか?

榎木: いえ、今回初めて一緒に仕事しましたけど、いや~もう最高に素晴らしかったですね。純粋な人柄なものですから、まじめで誠実な永山弥一郎の役にそれが生きてますね。

◆ずらっ~と並んだ西郷どん

― 西郷隆盛の役は、公募だったそうですが、独特の風貌ですから、自分で西郷隆盛に似ているぞとか、他薦でこの人こそ似ているという方たちがオーディションに集まった姿を想像しただけで楽しそうだなと。オーディションには立ち会われたのですか?

榎木: いや~ すごかったですね。オーディションには380人位の応募があって、東京と鹿児島で立ち会いました。

― 決め手は?

榎木:監督とプロデューサーと私とで一致して田中正次さんに決めました。決め手は存在感。目がいいと。

― 西郷さんに似た人がどっときたわけですよね。

榎木:「我こそは西郷である」といった感じで。 最終オーディションでは20人ほどに集まってもらったのですけど可笑しかったですよ。ずら~っと、西郷さん、西郷さん、西郷さん、西郷さん・・・でしたね。

― 鹿児島ではよくある風貌なのですか?

榎木:そうかもしれないですね。

― 独特の濃い顔と思っていましたけれど、鹿児島には濃い方が多いのですね。

榎木: 小さい頃からニックネームが西郷さんでしたとかいう人もいました(笑)。


◆国内最後の内戦に散った少年兵の命

― 少年兵役の中川大志くんも素晴らしかったです。彼も鹿児島出身ですか?

榎木:いえ、違うと思います。今回、中川君は非常によかったですね。

― あんな幼い戦士もいたのだと胸が痛みました。

榎木:実際に13~14歳で戦死している人も多いんです。

― 戦いに挑む男を見送る女性や、幼くして戦いに自ら出向く少年・・・ 戦争のむなしさがぐっと迫る映画でした。

榎木: ありがとうございます。観てくれた方の感想にもそういった話を聞きます。

― この映画を観て、あらためて西南戦争が国内最後の内戦だったのだなぁと思いました。日本史を古代から学びましたので、近代史までたどり着いてないんですね。

榎木: あえて薄めてしか伝えてないような気もしますね。教科書も数行で終わってますし。

― 今、歴史物のブームですけれど、そういう意味でこの映画も日本の近代史を知るいい題材ですね。

◆日本人としての誇りを取り戻してほしい

― また映画作りに挑戦されますか?

榎木: まずはこの『半次郎』をやりおおせたらですね。今回、大変な思いをしたのも事実ですが、自分のやりたいものは、人に頼るのでなく、自分で責任を持ってやることが大切だと思いました。役者としては、責任の所在は自分の出番だけですけど、今回は全部が自分の責任。 失敗したら、すべて自分が引き受けなければいけないという覚悟でやりましたが、それがこの映画の主旨とも近しいものがあると思います。命と引き換えに撮ろうという覚悟がなければと。人に頼らず、自分が言い出しっぺになって、最後まで責任を取るという覚悟がなければ出来なかった映画ですね。

― 今の言葉が本作のメッセージともいえますが、観客に向けて、最後のメッセージをお願いします。

榎木:日本人のかっこよさを認識すべき時代だと思います。世の中全体が日本人としての自信を無くしている時代です。政治も頼りない。本来の日本人はもっと精神性の高い民族。そのことを認識して、誇りを取り戻すべき時代だと思います。この『半次郎』を通して日本人としての誇りって何だろうと思っていただくきっかけになれば、それだけでも映画を作った甲斐があります。

― 大勢の方に観ていただけることを願っています。 今日はどうもありがとうございました。


***★***★***

取材余話

榎木さんにお会いして、明治の新政府が初めてイランに公式使節団を派遣したのが130年前の1880年のことなのですが・・・と切り出したら、「おっ 明治13年か」と直ぐさま明治の年号が出てきました。思えば、西南戦争で半次郎さんが亡くなられたのが、その3年前の1877年なのです。先日イラン大使館で「日本国明治期遣波使節団130周年記念講演会」が行われて、130年前に国を代表してイランを訪問した吉田正春氏や横山孫一郎氏のお孫さんや曾孫さんがいらしていて、講演会を通じて祖父のことをより深く知ることができたと喜んでいらっしゃいました。きっと半次郎さんのことを伝え聞いているご子孫の方もまだ生きていらっしゃると思うと、ちょっと感慨深いものがあって、そのことを真っ先に伺ってみた次第でした。

榎木さんのインタビューを行った FIORIA GINZA は、銀座8丁目の高級クラブの多い場所にある優雅なサローンスタイルのお店。京都の芸妓さんたちにも人気のあった半次郎さんのお話をお伺いするのに、ぴったりの場所でした。
FIORIA GINZA  http://www.fioria-g.jp/

上映情報 → http://www.cinemajournal.net/review/index.html#hanjiro
『半次郎』公式HP → http://hanjiro-movie.com/

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(取材:景山咲子)
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