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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『クロッシング』キム・テギュン監督インタビュー

2010年3月26日(金)


2008年秋の第21回東京国際映画祭「アジアの風」部門で上映された韓国映画『クロッシング』。1年半の時を経て、ようやく4月17日(土)より渋谷ユーロスペースで公開されるのを前にキム・テギュン監督が来日されました。

*ストーリー*
2007年、北朝鮮の炭鉱の町で暮らす3人家族。ヨンスは、かつてサッカー選手として一世風靡したが、今は炭鉱夫として働いている。結核に罹った身重の妻の為に薬を調達しようと豆満江を渡り中国に密入国し、再び家族のもとに戻る予定が、意に反して韓国に亡命することになってしまう。薬が間に合わず、逝ってしまう妻。残された息子ジュニは、父の手配で中国から沙漠を越え、さらにモンゴル経由で韓国にいる父を目指す・・・・

キム・テギュン監督は、『火山高』『オオカミの誘惑』『百万長者の初恋』では、今どきの若い世代を描き、最新作の『彼岸島』では、日本の漫画を原作に日韓合作に挑んでいます。壮大な脱北の物語である『クロッシング』は、他のどの作品とも違う骨太の映画。私にとっては、久しぶりに心を揺さぶられた映画でした。試写に伺えなくて、インタビューの為にDVDを送っていただいたのですが、引き込まれて思わず4回も観てしまいました。中国やモンゴルでロケをした雄大な風景・・・ 是非、大きな画面で観たい作品です。
インタビューには、やはり本作に関心を持った加藤久徳さんや、白井美紀子さんも同席し、監督に映画製作の背景や、北朝鮮事情など色々とお話を伺いました。

◆北の実情に関心の薄い南の人たち

― 北朝鮮の人たちの悲惨な状況については、大韓航空機爆破事件(1987年)の金賢姫(キム・ヒョンヒ)さんの手記を始め、脱北者の手記を何冊も読んだこともありますし、テレビのドキュメンタリーなども見ていますので、それをリアルに描いたものだと感じました。
それよりも驚いたのは、資料を読んでいて、韓国の人たちが北朝鮮の実情についてあまり関心がないということでした。監督ご自身、10年前にテレビのドキュメンタリーで、北朝鮮の子供たちの映像を見て、衝撃を受けたと、ネットの記事でみましたが、それまではあまり関心がなかったのでしょうか?

監督:僕の世代は、当時、学校で統一教育を受けてきたので、気持的に少し関心はあったけど、大人になるにつれて関心は薄れてきました。韓国の人が北朝鮮に興味がないというのは、北朝鮮の状況を政治的に利用して来たからだと思います。それと、北朝鮮がいつも問題を起こすから、感情的に考えたくない、嫌だ、嫌だ、という気持ちだったのです。ある時は敵のように見え、混乱する存在で、嫌気のさす状態だと思います。

― 一昨年、イムジン河越しに北朝鮮を見晴らせる展望台に行きました。その時に、韓国の年配の女性のガイドさんが、北の人たちのことを、思想的に洗脳されて私たちとは話が合わないと、蔑むように語っていました。同じ民族なのに・・・と、ちょっとショックでした。このような考え方が、南では一般的なのでしょうか?

監督:普通の韓国の人は、そういう傾向がありますね。

◆韓国系米国人パトリック・チェさんの依頼を義務感で引き受ける

― そんな中で、韓国系米国人パトリック・チェさんから、政治的にも微妙な企画を持ち込まれて、監督としてすごく勇気がいることだったと思いますが、それでも、あえて承諾したお気持ちをお聞かせください。

監督:始めは、シナリオまでならやりますよとOKしました。パトリック・チェさんはアメリカに住んでいらして、韓国で動くことが出来ないので、資料集めやプロデューサーの仕事も協力しますよ、という経緯でした。けれど、いろいろな方に話をお聞きし、資料を集めるにつれて、義務としてやらないといけないのではないかと思い始めました。

― ご自分では、最初、全く撮るつもりはなかったということですね。

監督: はい。自分で撮るつもりは当初全くなかったです。

― パトリック・チェさんは、始めから監督に撮らせようと踏んでいたのでしょうか?

監督: 資料集めなどしているうちに、「監督をやってくれないか」と言って来ました。

―― その頃は監督が『オオカミの誘惑』を撮った時でしたか?

監督:ええ、撮り終えた直後でした。

◆チャ・インピョさんの起用は賭け

― 父親役のチャ・インピョさんは、1996年頃に我が家でケーブルテレビを導入した頃、よくドラマで観ていました。元祖トレンディー俳優(古い表現ですが!)のイメージがあり、大スターですよね。彼自身もこの役を受けるのに迷われたと思うのですが、彼をキャスティングした理由をお聞かせください。


監督:北朝鮮に関してこのような真面目な映画を韓国で撮るということは、政治的に微妙な問題があると思います。なぜなら、政治的立場を利用されることもあるわけで、少しでも間違って作ってしまえば非難されます。「これは、嘘だ」と言われる可能性もありますし、いつでもそういうことを言う人は存在すると思いますが。チャ・インピョさんは有能な俳優であると同時に、人としても素晴らしい生き方をしている方です。彼は一年のうちの2~3ケ月はボランティアをフルタイムでしています。人間としても真実のある方です。だから、チャ・インピョさんが動いてくだされば、この映画がより真実味が増すと思いました。チャ・インピョさんの一言に影響力があるのです。

― チャ・インピョさんが演じることによって現実味も帯びるし、興行的にも期待できるということでしょうか?

監督:まず、彼は興行的スターではありませんね。テレビの方では大スターですが、映画的には失敗作が続いていました。(笑) 投資的にもあまり嬉しくない俳優でもありますね。彼も最初はこれはやらないと言っていたんですよ。僕と一緒にやると決まった時も、冗談半分で「もし、自分のせいでお金が集まらなかったら、他の俳優を使ってもいいよ」と言っていました。チャ・インピョさんも始めは北朝鮮のことは、知らなかったのですが、これをやることによって北朝鮮の実情を知った時には、僕のすぐ傍で力になってくれました。大スターの立場から考えると、この撮影現場はすごく大変でしたが、不満も言わず、周りのことも考えて行動してくれました。宿、食事、車、建物、すべて条件が悪く苦労しましたが、周りの人を激励してやってくれました。

◆スタッフには脱北者も!

― スタッフの方に脱北者が30人位いらっしゃったとお聞きしましたが・・・

監督:スタッフでは脱北者3人、演技者には6人、最後の仕上げの時は、周りの人々の声などで、30~40人の方に手伝ってもらいました。いつも一緒に行動するスタッフとしては、10人以下というところです。

― 収容所や一家の住んでいる炭鉱町の場所は、どんなところで撮影を行ったのですか? 実際に似たものを作ったとも聞きました。

監督:ベストを尽くして捜しました。運良く見つかった場所もあれば、CGを使ったところもあります。ジョンソン駅の撮影場所は、モンゴルで見つけました。ある小学校の建物を使って、背景をCGの力を借りて駅に仕立てました。駅の中は中国で撮影しました。内部が北朝鮮とよく似ていましたから。外はモンゴルでCG、中は中国。しかも駅の上の方はCGです。ジュニの住んでいる町は、韓国の江原道(カンウォンド)昔栄えた炭鉱の町で撮影しました。そこの建物は1930~40年代に日本人が作ったものでした。それを元にして作り替えました。柵を作り、トウモロコシを植え、道も作りました。お母さんが死んで、死体を運ぶトラックが遠ざかるシーンの、道の角を曲がった先は、モンゴルで撮影しました。

― 撮影は35mmフィルムでしょうか。デシタルの比率など教えてください。

監督:すべて35mmです。

◆監督の祖母や父は離散家族

― 監督ご自身は北朝鮮に行かれたことはありますか?

監督:ないです。

― 以前、イム・グォンテク監督の『キルソットゥム』(1985年)を観た時に、テレビで離散家族の肉親捜しをしているのが印象的でした。南北分断から50年以上経った今、離散家族の問題も風化しているのでしょうか? また、監督ご自身のご親族の中で、離散した方はいらっしゃいますか?

監督: 私の家族が離散家族なのです。(一同、驚く)私のおばあさんが、私の父親と数名の兄弟を連れて南に来て、北朝鮮には他の兄弟、私の叔父さん叔母さんが残っています。おばあさんも父も、もう亡くなりましたが、故郷に帰れなかった父や、子供に会えなかったおばあさんの姿を見て私は育ちました。この映画に出て来る咸鏡南道のジョニの町は父の故郷です。

◆自由自体を知らない北の人たち

― 世界170カ国位訪れたことのある友人のドキュメンタリー映画の監督さんが、十数年前に観光で平壌を訪れたのですが、世界の中で北朝鮮ほど変わった国はないと言っていました。 監督は、脱北者の方たちに取材して、北に住んでいた人たち自身が、どのように北朝鮮のことを思っていると感じましたか?


監督:全然違う世界ですよね。とにかく南に来て衝撃を受けたと言います。来てから、負担になるぐらいの自由を感じています。彼らは自由を求めて来たのではないのです。彼らは自由自体を知らなかった人たちです。彼らは生まれながらにして、もう決められた人生で、仕事も決められ、住む所も決められ、移動の自由もない。移動出来るのは特別な時、葬式や結婚式などだけですから、人によって経験値の差があります。彼らに何が一番嬉しいかと聞くと、仕事を選べる自由、夜音楽が自由に聴けることと言っていました。それを聞いて、北朝鮮は軍隊や大きな監獄のような世界だと感じました。情報も制限されていますし。私が話を聞いた中で、平壌に住んでいた幹部の人が、政治的な問題で脱北する為、汽車に乗って国境の町に移動しましたが、その時初めて、自分の国が食べ物もなくて貧しい餓死寸前の町の様子や、汽車の窓が全部割れている状況を知ったと言っていました。その人は平壌で生まれ育ったので知らなかったのですね。北朝鮮ではマスコミが報道しないので、自分の国のことを知らない人が多いですね。

― 平壌には外国の人が来るので、見栄えのいい人しか住めないと脱北者の手記で読みましたが本当でしょうか?

監督:もちろん、そうですよ。それと階級が高い人しか住めません。平壌に住みたいと言って住めるわけではありませんね。中国でも自分の生まれた場所から移動できるようになったのは、20年前くらいからやっとでしたよね。

◆不法映像の摘発は電源を切って家に踏み込む

― 主人公の友達一家が夜中に家族でDVDを観ていましたが、そこに当局に踏み込まれますね。捕まったのはDVDを観ていたからですか? それとも聖書が原因ですか?

監督:キリスト教のこともありますが、やはり南と連絡をとっていたのが原因です。スパイ容疑ですね。

― 最近、DVDで『2012』を観ていて、近所に密告され、当局に捕まったという話を聞きました。

監督:とにかく国で許可されていないものを観るのはダメですね。でも、幹部などはこっそり観ているらしいです。国境の近くの人もビデオなどをこっそり観ているようです。観ている人は多くはないかもしれませんが・・・。警察がチェックする時には、まず電気を元から切って家の中に踏み込むそうです。ビデオを取り出せなくなりますから、そこでビデオがセットされていれば処罰です。(一同、驚く)とにかく想像を超えた世界ですよ。この映画で伝えたかったことの一つは、国家体制が人々をいじめて酷い目に合わしても、家族の強い絆を壊すことは出来ないということです。

◆アカデミー賞外国語映画賞は逃したけれど・・・

― 2008年にワシントンの米議会図書館で行われた試写会でも、観た方たちが涙したと記事で読みました。

監督:その時、私はソウルで他の映画の用事があって行けませんでした。

― アカデミー賞外国語映画賞部門の韓国代表作品として招待されましたね。

監督:そうです。その時の受賞作品は日本の『おくりびと』でしたね。(笑)

― 問題意識のある映画、救いのない映画が賞を取れなかったということですね。監督はどう思われましたか?

監督:アカデミー会員に、ちゃんとしたスクリーンで観てもらえなかったという事情もあります。私自身、『彼岸島』で日本に来ていて直接行けませんでした。宣伝もマーケティングもうまく出来ませんでした。資金10万ドル位かかると言われ、出して貰えませんでした。結局、ノミネートされませんでした。アカデミー賞はダメだったのですが、ハリウッド映画祭は、アメリカにいるプロデューサーが出品して、皆忘れていたら、東ティモールにいる時に電話があって、作品賞を貰ったと聞きました。パトリック・チェさんも授賞式に行けませんでした。

◆最新作は東ティモールを舞台にしたヒューマンドラマ

― 東ティモールでは、また硬派な作品を撮られたのですか?


監督:また違うカラーのヒューマンドラマです。『裸足の夢』という作品で、東ティモールの子供たちが裸足でサッカーシューズを履き、広島で優勝する話です。実話の映画化で、撮影を終って編集中です。実話を知ったのが、2006年。やっと撮影することができました。夢も希望もない小さな100万人位の国です。心の痛みも多かった国で、インドネシアに支配され、その後の独立戦争で国民の3分の1が殺され、今も不安定です。2009年、大統領が銃撃されました。その国で、子供たちが夢を持ち始めたのです。トイレもシャワーも日陰もない所で練習をしているのです。実際の子供たちは、今は高校生です。アンダー17の大会で、アジアベスト16という素晴らしい成績をおさめました。暑さも大変で昼間は休まないといけないのですが、夜は危なくて、私自身、言うことを聞かなかったら暗いところに行けと脅されたこともありました。

― 『クロッシング』も含め、メーキングは作ってないのですか?

監督:今、東ティモールの撮影中のドキュメンタリーをまとめているところです。現地の人にナイフで私自身が襲われているシーンもあります。

― メーキングも楽しみにしています。また、これからも違ったタイプの映画を作ってくださることと期待しています。本日はありがとうございました。

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インタビューを終えて帰り支度をしながら、「監督ご自身、チャ・インピョさんに負けない位、イイ男ですね」と、思い切って言ってみました。ひたすら照れる監督。「俳優をされたことは?」と、さらに伺うと、「短編を撮った時に、ふさわしい俳優がいなかったし、費用も節約できるので、自分で出たことがあります」とおっしゃいました。ほんとにダンディで素敵な方でした。

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取材:加藤久徳、白井美紀子(記録)、景山咲子(撮影・まとめ)
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