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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『戦場のレクイエム』フォン・シャオガン監督記者会見

フォン・シャオガン監督

東京国際映画祭での会見のようすをお届けします。
司会は襟川クロさん、通訳は水野衛子さん。
(2008.10.23@シネマカフェ)

内戦をテーマとした映画を撮ったのは?

三つ理由があります。

  1. 原作にたまたま出会いました。短い作品でしたが感動しました。
  2. 男なら誰でも戦争映画を撮ってみたいと思うものです。
  3. 映画界の人がみな、僕はコメディしか撮れないと思っているので。

戦闘シーンがたいへん迫力がありました。

馮小剛(フォン・シャオガン)監督

これはものすごく大変でした。韓国映画『ブラザーフッド』のカン・ジェギ監督は5ヶ月かかったそうですが、11ヶ月かかりました。大変でしたが、想定内のことでした。

キャスティングは?

この映画には1000万ドルかかっています。ハリウッドなら1億ドルもかけるところですが。その予算ではギャラに使えません、ほとんど安いギャラでいい人です(笑)。いや、もちろん素質もあります。興行収入は期待できないと思っていました、戦争モノで、スターがいません。しかし観客動員数トップになりハリウッドものに勝ちました。(拍手)ほぼ同時公開の大スター競演の映画がありましたが、こっちの方が2億6千万元の興行収入をあげました。大衆映画を撮っている人間としか見てもらえないでしょうが、今後もそういう道を堅持していくつもりです。

中国では戦争映画が多いようですが、どう思われますか?

たしかに多いかもしれませんが、この映画は時代が違います。戦争ものだからでなく、ストーリーが観客を感動させるかどうかということが重要です。

原作の小説とは?

3ページの短いものです。映画にするのにストーリーを作っていきます。60年前の戦争について調べるのは大変でした。参考にしたのは歴史資料より兵士たちの残した日記や手紙でした。小説とは結末が違っています。

馮小剛(フォン・シャオガン)監督

カン・ジェギ監督からアドバイスがあったそうですが。

僕が『女帝』を撮っているときに、スタジオに遊びに来て「ハリウッドを妄信しないように。我々はもっと安く撮れる。遠くに行かなくても、日本、韓国、中国が力を合わせれば一流の映画が撮れる」と言いました。釜山映画祭でこの映画を上映しました。「これは単なる戦争映画ではない。ここに描かれているのは人間である」と言ってもらえました。映画祭のオープニングは雨だったのですが、7000人もの人が1人も去らずに観てくれました。主演俳優は中国では無名なのに、韓国では「グーお兄さん」とすっかり人気スターになりました。

パン・ホーチョン(彭浩翔)監督の映画に出演されていましたね。

中国、台湾、香港の監督の会議があったとき、約束したのです。お互いの映画に出ること、頼まれたら断らないこと。

作品をご覧になってどうでした?

普段のこまごましたエピソードが詰まったあの監督らしい映画だと思いました。

パン監督を使いましたか?

まだです。彼は広東語しかできないので、私たちには彼の言葉がわからないんです(笑)。

日本でロケをしたそうですが。

北海道でラブストーリーを撮り終わったところです。『女帝』のプロモーションで来日したときに、北海道へ遊びに行っていろいろおもしろい経験をしたので。60人ほどの日本のスタッフと楽しい仕事ができました。


馮小剛(フォン・シャオガン)監督

帽子のロゴ「1985」について聞かれた監督、「意味はないです。先月日本での撮影中に買ったものです。一目ぼれしたものを買うほうです。迷うのは良くないです。映画にもそれは言えます」。外が雨になったのに気づいて「また雨が降っていますが、傘のない方濡れないように」と一言。写真撮影の前にはテーブルの移動も率先して、真面目な顔で冗談を言いつつも気配りの方でした。

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(まとめ・写真:白石映子)

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