このページはJavaScriptが使われています。
女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
『戦場でワルツを』

アリ・フォルマン監督来日記者会見
~ 反戦の思いを語り続けたい ~

アリ・フォルマン監督, 撮影:景山咲子

日時:11月19日(木) 15:00~16:00
於:日本外国特派員協会

ゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞など2008年に世界各国で賞を総なめにした『戦場でワルツを』のアリ・フォルマン監督が、11月28日(土)より日本で一般公開されるのを前に来日し、記者会見を行いました。昨年の第9回東京フィルメックスでは、『バシールとワルツを』(原題直訳)のタイトルで上映され、新しい映像言語を発明しつつ観客に強烈なインパクトを触発する重要な映画として、最優秀作品賞を受賞しましたが、その折には監督は来日しておらず、アニメーション監督のヨニ・グッドマン氏が代表して受賞の喜びを語ったのを思い出します。

アリ・フォルマン (監督・脚本・製作)
1962年、イスラエル生まれ。1996年に、チェコの作家パヴェル・コホウトの『セイント・クララ』を映画化し初の長篇劇映画の監督・脚本を務め、イスラエル・アカデミー賞で監督賞と作品賞を含む7部門で最優秀賞を受賞。ベルリン国際映画祭パノラマ部門のオープニング作品としても上映され、観客賞を受賞する。『戦場でワルツを』は、3本目の長篇映画。現在、新作を制作中。

◆戦場に行ったすべての人たちの思いを伝えたい


【監督スピーチ】
また東京に来られて嬉しいです。東京へは、1996年に東京国際映画祭で『セイント・クララ』が上映された折に来日して以来です。『戦場でワルツを』は個人的な作品で、自伝と言ってもいいでしょう。同時に普遍的な物語でもあります。ベトナム戦争に従軍した米軍兵士、アフガニスタン侵攻の時のロシア人兵士、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のオランダ人兵士が語ってもいい話でしょう。ある朝、遠く故郷を離れた戦場で起きて、なぜ自分はここに送られてきたのだろうかと思う、それほど視野の広くない一兵士の物語です。その一日だけを生き延びることを、そして、また新しい日を迎えても、無事国に帰ることだけを願うだけの人間の物語です。政治や場所などのディテールは必要のないことです。アニメ化したのは、アニメこそが完璧な方法だからです。テクニックとしても最高のものでした。戦場での思いは、非常に個人的な良心で、それは無意識のものです。戦争によって失われた青春への思いもあります。戦場での経験は、もっともシュールで超現実的なものです。製作の過程において、実写やドキュメンタリーにすればよかったと思ったことは一度もありません。イラストを動かすやり方は、私の経験や他の人物の経験を生かすものでした。世界初のアニメのドキュメンタリーと言われていますが、はたして本当にほかになかったのでしょうか? イスラエルには、アニメの伝統はありませんので、確かに大変な仕事でした。私の作品はイスラエルで2番目のアニメ作品です。最初の作品は、1961年に製作された聖書をアニメにしたものでした。自国に参考例がなくて、白紙から作りました。人間を二次元のアニメにして共感していただける人物にしていくのは難しいものでした。また、製作費を集めるのも大変でした。アニメーターは最初6人で始め、その後人数を増やし、4年間費やしてゆっくりしたペースで完成させました。製作にあたっては、さまざまな劇映画から影響を受けました。パレスチナやサラエボのドキュメンタリーなども参考にしました。さらに、日本のアニメも、宮崎駿のものはすべて観ました。今敏監督の『パプリカ』『東京ゴッドファーザーズ』などからも影響を受けました。デザインの仕方は、従来の手法では無理でしたので、カットアート型でアニメにしました。

【会場より質疑応答】
監督は冒頭のスピーチで、本作は戦場に兵士として行かされた人たちの普遍的な物語だと述べられましたが、質問は、やはり監督の背景にあるイスラエルという国家にまつわるものが多く見受けられました。

◆ホロコーストを経験した両親

― 内省的な作品と思いました。監督のご両親のホロコーストの経験などが、この作品を生んだのではないかと思います。幼少期の経歴などを教えてください。

監督:両親はホロコーストを経験したポーランド人です。私自身、ポーランドのパスポートも持っています。両親はゲットーで出会い、アウシュビッツに送られる12時間前に結婚しました。その後、再会してイスラエルに移住しました。私は、そこで生まれ、両親の元で育ちました。両親はポーランド時代の思い出をすべて失っています。私の作品の最後の方の話は、大虐殺の歴史を紐解く意味を込めています。サブラ・シャティーラで虐殺が行われた時代がどういうものだったかを知る必要があると思いました。ある意味、両親の影響を受けた部分だと思います。

◆アニメ化は本来ドキュメンタリーの精神に反するもの

― 世界的な興行成績は? また、アニメをほぼ初めてイスラエルで作られたわけですが、ヨーロッパやアメリカでも作ることができたと思います。なぜ自国で作られたのでしょうか? また、アニメ化されたドキュメンタリーが今後主流になると思いますか?

監督:興行成績は地域にもよりますが、すべての世界の地域で配給されました。2008年にカンヌに正式出品され、その後、フランスで70万人動員する大成功を収めました。イタリア、ドイツ、イギリスでも好成績でした。アメリカでも比較的よかったのですが、アカデミー賞外国語映画賞は、『おくりびと』に取られてしまいました。(笑) でも、アメリカで300万ドルDVDが売れたのはいい成績です。世界トータルで、1400万ドル売れました。最初は知名度が低かったのですが、製作費150万ドルの低予算映画がここまで売れると思いませんでした。
なぜイスラエルで?ですが、2004年に作り始めた時、イスラエル以外の選択肢はありませんでした。まず3分間の場面を作って、トロントのホットドックス国際ドキュメンタリー映画祭に出し、資金調達しようとしましたが、ドキュメンタリーでアニメはありえないと、なかなか興味を持ってくれる人はいませんでした。でも、最初、フランスの方から声をかけていただいて、20分の作品を作りました。次にドイツから資金を得て、また20分。そして、イスラエルと、断片的に作りましたので、かなり時間がかかりました。2005年には、どこで作るかという余裕はありませんでした。アニメ化されたドキュメンタリーが主流になるとは思いません。予算もかかりますし、アニメ化はドキュメンタリーの精神に反するものだと思います。ドキュメンタリーは、カメラマンやディレクターがいて魔法が起きるもの。一方、アニメはすべて準備して作るものです。突発的なものではありません。私自身は映画監督。ドキュメンタリーも劇映画もどちらも手がけています。アニメで描くというのは、ドキュメンタリー作家としては信じがたいほどややこしいものだと思います。

◆戦争に行って誇れるものは何もない

― 1982年のレバノン戦争を舞台にしていますが、2006年に第二次レバノン戦争やガザへの大きな侵攻がありました。2004年から製作を始められましたが、これらのことが、どのように影響しましたか? また、第二次レバノン戦争に対して、どのように思われましたか? また、ほかにもレバノン戦争を扱った映画が大きな評価を得ています。相次いで、そのような映画が評価を得ていることにどのように思われますか?

監督:第二次レバノン戦争は、本作を作り始めて、ちょうど真ん中位の時期に勃発しました。テレビを見ていて、デジャブーじゃないかと思うほどでした。24年前に暮らしていた土地で、またひどい惨状が起きました。同じあやまちの繰り返しです。多くの命が失われ、何のための戦争?と思いました。家族を連れてギリシャに出国し、ニュースを見て、あまりの惨さに目をふさぎたくなりました。ガザの出来事は、アメリカでプロモーション活動中に起こりました。なぜ繰り返すのか?という気持ちでした。映画は歴史自体を変えていくことはできません。でも、人間対人間の小さな橋渡しを担っていると思います。レバノンの空港の免税店でも私のDVDを売っているそうです。実は、許可はないはずなのですが。(会場:笑) 私の作品は人間の裏側を描いたものです。政治的なものではありませんが、反戦の宣伝をしていると見られると思います。ただ、反戦映画といっても、戦争が男の勇気を美化する面を伝えるという一面を持つものもあります。映画を観て、カッコイイ男になりたいと思う青年もいると思います。でも、『戦場でワルツを』を観れば、そういう気持ちには絶対ならないと思います。ハリウッドで作られる反戦映画には、反戦、反戦と言いながら、セットの中で作られただけの話。私の作品は、反戦ではありますが、勇敢だと美化したものではありません。戦争は虚しいものだということを描いています。レバノン戦争にフォーカスした作品では、イスラエルは怯えていたという共通認識の下、自国を守るというヒーロー化した話はありました。1983年の戦争は、守る為の戦争でなく、攻撃的な戦争でした。戦車対戦車ではなく、街中に入っていって、守る術のない人たちに戦争を仕掛けたような戦争から戻ってきた兵士にとっては、何も誇るものがありません。18~9歳でそのような戦争に参戦した経験を多くの監督が映像化しているのです。1980年代の戦争体験のトラウマが表面化しているのが現状だと思います。

― 直接的には作品は政治的とは思えないのですが、具体的な政治的なポジションを発言できればお願いします。

監督:基本的には、楽観的な人間です。解決策は見つかるものと常に思っているのですが、この1年の動きは、その信念を覆される思いです。暴力には反対する立場です。戦争の99%は防げるものだと思っています。自分自身だけでなく、相手の立場を考えればいいのですが、残念ながら我が国も相手国もあまりにも相手のことを考えなさ過ぎます。国を率いるリーダーシップの問題です。イスラエルは右寄りになってきています。右派であろうが左派であろうが関係なく、強いリーダーシップを発揮して正しい判断をしてほしいのですが、それができないという悲劇的な状況です。問題解決に全力を尽くしたいと考えています。それには、自分の考えを表明することが大事です。反戦の思いは語り続けたいと思います。ですが、映画だけでは残念ながら不十分です。

― パレスチナの監督たちの作った作品をご覧になったことがあれば、感想をお聞かせください。

監督:インティファーダーのニュースがあれば必ず報道されますので見ています。私の作品は、ヨーロッパでは相手側の立場を全然考慮しないと批判されました。でも、私は自分の視点でしか伝えられません。

― イスラエルの若い人たちには、きちんと状況が伝えられているのでしょうか?

監督:学校教育の中で公式に取り上げられているのかどうかはわかりません。私の作品はアニメですから若い人にも観て頂けると思っています。過去の歴史が若い人たちに、ちゃんと伝わっていないように思います。

◆常に新しいことに挑戦したい

― フィルムメーカーとして、一番大切にしていることは? 

監督:既存のものの焼き直しでなく、未踏の地に足を踏み入れることを、必ず考えています。中身については、自分の過去に戻り、ほころびを結ぶことを考えています。『セイント・クララ』(1996年)は、地方都市に住む女の子が超能力を持っている話。違う文化圏を題材にしています。惨めな学校時代を思い出しながら作りました。次の作品は、SF。20年、40年後の自分を考えながら作っていくのは、過去の傷を蒸し返すより難しいものです。

◆日本の作品は最上級

― 『おくりびと』の感想をお聞かせください。

監督:スペインで私の作品が公開された時に同時に公開されましたので、DVDで観て、アカデミー賞のライバルはこれだと、友人にメールで送りました。ですので、アカデミー賞を奪われた時にも驚きませんでした。日本の作品全体についていえば、私にとって課題を投げかけてくれるものです。黒澤監督の作品は、イスラエルの映画学校で必ず取り上げられますし、私自身は、深作欣二監督、鈴木清順監督、小津安二郎監督が好きです。どんなインディペンデント作品の製作者にとっても、日本の作品から大きな影響を受けていると思います。日本の作品は最上級の位置にあると思います。


****

最後は、日本の映画を最大限にリスペクトして記者会見は終了しました。当事者であるイスラエルやパレスチナの人たちが、この作品を観て、どんな感想を寄せたのかを知りたかったのですが、質問の機会を逸しました。けれども、地域的な背景があるものの、監督が冒頭で語られたように、『戦場でワルツを』で描かれている兵士の気持ちは、時の権力者の思惑で戦地に行かざるをえなかったすべての人たちに通じるものでしょう。戦争の虚しさをずっしり感じる作品でした。なぜ、この世界から戦争がなくならないのでしょう・・・ 是非、世の権力者の方たちに観ていただきたい作品です。


(左)第9回東京フィルメックス(2008年)で受賞の喜びを語るアニメーション監督のヨニ・グッドマン氏
(右)第9回東京フィルメックス 審査員と受賞者 左から5人目 アニメーション監督のヨニ・グッドマン氏

★11月28日(土)、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開

作品紹介 → http://www.cinemajournal.net/review/index.html#bashir


©2008 Bridgit Folman Film Gang, Les Films D'ici, Razor Film Produktion, Arte France and Noga Communications-Channel 8. All rights reserved

return to top

(取材:景山咲子)
本誌「シネマジャーナル」及びバックナンバーの問い合わせ:
order@cinemajournal.net
このHPに関するご意見など: info@cinemajournal.net
このサイトの画像・記事等の無断転載・無断使用はご遠慮下さい。
掲載画像・元写真の使用を希望される場合はご連絡下さい。