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女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

第22回東京国際映画祭ピックアップ特集
ホー・ユーハン(何宇恆)監督インタビュー

ホー・ユーハン監督

 マレーシアのインディペンデント系映画が世界各地の映画祭で注目を集めています。先だって開催された釜山国際映画祭でも、15malaysiaと称して、15人の新進気鋭の若手映画作家たちが集まって制作された、マレーシアを様々なアングルから描く15本の短編作品が上映され話題になりました。実はこれらの作品はネット上でも公開されており、自由に観ることができます。英語字幕、中国語字幕がついています。興味がある方はこちらのサイト(http://15malaysia.com/)をご覧下さい。
 その中でも、ホー・ユーハン(何宇恆)監督は、傑出した作品を生み出している1人です。2006年第19回東京国際映画祭では『Rain Dogs / 太陽雨』が上映されています。香港のスター、アンディ・ラウが率いるFFC・アジア新星流と呼ばれる育成プロジェクトの1本として、日本国内で一般公開上映もされました。そして、今年の東京国際映画祭では、新作『心の魔 / At the End of Daybreak』がアジアの風部門で上映されます。この作品には、今年7月に急逝されたヤスミン・アフマド監督が出演しています。
 今年の5月、わたしはホー・ユーハン監督にマレーシアで会うことができ、新作のこと、映画制作への夢、日本文化からの影響など、色々なお話を聞くことができました。そのインタビューの模様と、その後急逝したヤスミン・アフマド監督への哀悼の気持ちをメールで寄せてくれましたので、その内容をお伝えしたいと思います。

◆プロフィール◆

ホー・ユーハン(何宇恆)
1971年 マレーシア ペタリンジャヤ出身
アイオワ州立大学工学科卒業
作品リスト
『Min』2003年 ナント三大大陸映画祭 審査員特別賞
『Sanctuary/霧』2004年 釜山国際映画祭NETPAC賞、
             ロッテルダム国際映画祭 Honorary Mention
『Rain Dogs/太陽雨』2006年
『At the End of Daybreak/心の魔』2009年 ロカルノ国際映画祭NETPAC賞

◆ホー・ユーハン監督にお話を聞く(マレーシア、クアラルンプールにて)

 クアラルンプール郊外のミッド・バレー・メガモールにあるシネコンの入り口で、監督と待ち合わせをした。なぜそこになったかと言うと、監督の友人ヨー・ジョンハン(Yeo Joon Han / 楊俊漢)という方の初長編監督作品『Sell Out!』(中文題:死了都要賣)がその日封切りで、一緒に観ないかと誘われたからだった。映画の前に、近くの店でインタビューをさせてもらうことになっていた。約束の時間よりちょっと遅れて来たユーハン監督は、Tシャツ、短パンビーチサンダルのラフな服装。そして、なぜだか足を引きずって歩いている。どうしたのかと尋ねると、前夜に友人たちとサッカーをやっていて、ゴールを決めた瞬間に足を蹴られて捻挫してしまったんだという。そういえば、このインタビューの日程を電話で相談したときに、昨夜はサッカーをするからダメと断られたんだった。出会いからしてとことんラフな雰囲気で、互いにまるで緊張することなくインタビューは始まった。

 監督は店の椅子に座るなり、面白いよと今読んでいる本を見せてくれた。それは森村誠一の「人間の証明」だった。そこから流れは一気に、監督の好きな日本文学についての話になっていった。

●日本文学からの大きな影響

 日本の文学の歴史は長くて様々なジャンルがある。刑事物やサスペンスの他にも、谷崎潤一郎や、三島由紀夫のようなシリアスな文芸作品もあれば、江戸川乱歩のようなジャンルの作品もあって、ぼくはどれもとても好き。
 ぼくは日本人は開放的だと感じているし、彼らが書いている社会の出来事に対してどれもとても興味がある。ことに第2次世界大戦前の文学者は社会問題に対して直接的な物言いをしている。戦後はアメリカ人がやってきてその行きすぎた振る舞いから、日本人はたくさんのものを失った。そのころの社会や人間を書いた文学も好き。その頃の作品はあまり深みはないけれど、西洋の影響をこれまでになく受け始めて、外の世界への興味ではなく、自分自身との対話へと変わっていっている。技術的にはあまり上手くなくて、書きたいけれど表現し切れていないと感じる。そのことが、ふり返ってぼくらの新しいマレーシア映画が、だんだんと社会というものに対峙し始めて、ぼくらのまわりの環境やそこで起こる出来事を描こうとしたときに、とても参考になるんだ。

●いつから映画をやりたいと思ったのか

 監督はアメリカのアイオワ州立大学に留学し、工学科を卒業している。それがまた、なぜ映画監督になったのか? そして、いつ頃から映画に興味を持ち始めたのだろうか?

 大学では電子工学を勉強していたんだけれど、退屈で一生の仕事にできるとは思えなかった。ぼくの性格や才能に合っていないと思った。子どもの頃から本を読むのが大好きだったし、映画を観るのも好きで、クリエイティブな仕事をしたいと思っていた。
 マレーシアに帰ってきてからは別の仕事を探していたんだけれど、友人がコマーシャル製作の仕事を紹介してくれた。その頃はまだヤスミンとは知り合っていなかったけれど、コマーシャルの仕事をしながら、技術的なことを学んだ。撮影のこと、脚本のこと、ライティング、カメラのことなどをね。でもコマーシャルではストーリーテリングについては学べないと感じて、教えてくれる人はいなかったから、自分で本を読んだり、映画を観たりして、色々と試しながら学んだ。そのうちにドキュメンタリーを1本撮ることになった。
 ドキュメンタリー制作は人間を撮るという面で随分と勉強になった。人間の行動を観察するということ、これはとても面白い。そのうちに、物語を書くようになった。ぼくの書く物語は、だいたい実際に起こったことが関係している。新聞のニュースを見て、あぁこの事件は自分の考えていることを拡げて物語にすることができると感じるんだ。

●これまでの作品『Min』『Sanctuary/霧』『Rain Dogs/太陽雨』について

 彼の長編作品はこれまでに3作品ある。1つ1つの作品について、疑問に思っていたことを聞いてみた。まずは『Min』。これはテレビ映画として制作された初の長編監督作品だが、2003年ナント三大大陸映画祭で審査員特別賞を受賞している。残念ながらDVDの市販はされていないという。実はわたしも人から借りてDVDを観たものの、途中で止まってしまうトラブルから最後まで観られなかった。
 観て気になったのは女性の主人公を撮す場面がとても暗く、しかも引いたショットが多くて顔がはっきり見えないなという点。意図的だったのだろうか?

 あの物語は彼女自身の物語ではなく、彼女を取り巻く環境を撮りたかったんだ。あの頃はぼくがクローズアップを上手く撮れなかった技術的なこともあるし、役者がみんなアマチュアで演技もあまり上手くはなかったから、クローズアップにするとそれが目立ってしまうので避けたかったというのもある。それで取り巻く環境の中で何が起こっているのかを撮ろうと考えた。
 一方、その次に撮った『Sanctuary/霧』はクローズアップを多用している。ぼくの最近の作品になるほど、クローズアップとミッドショットが多くなっている。撮り続けてきて1番いいなと思うようになったのはミッドショット。これは成瀬巳喜男監督の作品が教えてくれたことだ。成瀬監督の作品はミッドショットで撮られている。ずっと、どうしてこの監督の作品は面白いんだろうと思っていたんだけど、映像はとてもシンプルで、物語がとても深いからだと思ったんだ。クローズアップは必要ないなと思った。溝口健二監督もワイドショットとミッドショットで撮っている。小津安二郎監督もそうだね。大島渚監督も“映画の撮り方を知らない奴ほどクローズアップを多用する”って言ってたよ(笑)。

 しかしマレーシア社会をよく知らない日本人のわたしにとっては、『Min』の主人公を最初に観たときに、彼女は中華系なのかマレー系なのかすらよくわからなくて、途中までなぜだろうという疑問が続いていたのも事実だ。

 あの物語では1番重要な部分は彼女が中華系かマレー系かという人種のことではなく、彼女の感情面だった。彼女は産みの親を知らないで育ての親に育てられた人。そこの感情が重要だと思ったんだ。

 第2作目の『Sanctuary/霧』は2004年に釜山国際映画祭でNETPAC賞、ロッテルダム国際映画祭でHonorary Mentionを受賞している。これもまた新聞のニュースからヒントを得た物語だったのだろうか?

 『Sanctuary/霧』は違う。あれは兄と妹が自分たちだけの世界を築いていて、外の世界が出てこない。それでクローズアップを多用している。ぼくはこの作品では、人物と環境が何の関係もないような物語を撮りたいと思った。『Min』とは正反対の世界だね。ぼく自身はとても好きな作品なんだ。なぜならばあんまり好きだと言ってくれる人がいないから(笑)。好きな人はすごーく好きなんだけれど、嫌いな人は嫌いという。あんまり人に愛されない息子みたいな気持ちで、ぼくは好きなんだよね。

 映画のワンシーンに、お寺で月の形をした木片を2つ投げて占いをする(擲杯<てきはい?>と呼ばれる占いの一種)シーンがある。ところが、その結果がどういうものだったのか、よくわからなくて気になっていたので聞いてみた。

 ぼくには妹がいたんだけれど、既に亡くなっているんだ。ぼくと母が墓参りをするとき、色々な食べ物を持って行って彼女に食べさせるようにお供えをします。そして妹にやって来て食べるように呼びかける。その時に母はコインを取り出し2回投げてみて、彼女が来るかどうかを知るのです。あのシーンは2人の兄妹の母の墓参りでしょう。ああやって母の魂がやってくるかを占っているんだ。結果についてははっきりとは示していない。実は自分でもあんまりよくわかっていないんだ(笑)。結果よりもあのアクションが重要と思っているので。母と一緒にやるときは、コインが同じ面を向いていたらやってくる、そうでなければ来ないと信じていたよ。

 第3作目となる『Rain Dogs/太陽雨』は2006年の作品で、東京国際映画祭でも上映された。わたしは最後のシーンが1番好きで、深く印象に残っている。混沌とした先の見えないこの世界にも希望はあると思わせてくれるいいエンディングだと思った。

 あれはね、オリジナルのエンディングではなかった。主人公トンの雨のシーンを撮っていて、ふと見たら“あ、虹が出ている!”って、速攻で撮ったんだ。それで編集の時に、これがエンディング・シーンであるべきだと思ってね。虹が段々と薄れて消えていくでしょ。観客の中にはCGによるスペシャル・エフェクトだと思った人もいるんだよ。でも、そんなところにかけるお金なんてない(笑)。本物の虹だよ。

●家族を描くこと

 ユーハン監督がこれまで描いてきたのは、すべて家族の物語だ。そういうテーマを選ぶのには何かこだわりがあるのだろうか?

 ぼくの習慣なんだけれど、物語を作るときに、まずストーリーラインの詳細を考えるのではなくて、人物から考えるんだ。こういう人間がいるから、こういう物語が生まれるという順番。それで人物を考え始めるときに、自分を自由に解放してやると、まずはその人物のお父さん、お母さん、兄弟姉妹はいるのか、どんな家族なのかを考えて、書き始めてしまうんだ。そうして書き続けていると、どんどんとそこから離れられなくなる。結局はその一家みんなを描いてしまうんだよね(笑)。それでいつも主人公と家族が親密な関係をもつ物語になるんだよ。

 インタビューで会ったとき、監督は新作『At the End of Daybreak/心魔』の編集を終えて韓国から帰ってきたところだった。これこそが、今年東京国際映画祭で上映される『心の魔』だ。では、その新作はいったいどんな内容なのだろうか?

 やっぱり、家族の物語(笑)。母と息子の物語だよ。
 内容はちょっと複雑なんだ。20歳そこそこの青年が、中学生(16歳)くらいの少女と出会って関係を持ってしまう。それって法律を犯したことになるんだ。16歳以下との性的関係は法律違反で、訴えられれば裁判になって、有罪となれば刑務所に入ることになる。
 少年と少女の関係が発覚して、少女の両親は警察に訴えようとする。少年の母親は恐れて少女の両親と会ってどうか訴えないでと懇願する。すると少女の両親は欲を出して、少年の母親に大金を要求する。母親は承諾してお金を払うんだけれど、家は決して裕福じゃないから必死にお金をかき集めて払うんだ。やっとの思いでお金を支払ったのに、少女の両親はやはり警察に訴えると言いだすんだ。そして・・・、という物語だよ。これも1つのニュースを見たのが発端だった。少年と少女の間に特に愛情はない。そういう物語を撮ってみたいと思ってね。愛情があるようでいて実は無い物語なんだよ。

 編集を韓国でやったことからもわかるように、今回の作品には韓国が出資している。釜山国際映画祭の基金も一部入っているけれども、韓国の投資家から出資してもらっていたそうだ。ところが、その韓国の投資者がなんと倒産してしまって、その資金の半分を自分で背負うことになったという。だからなおのこと、この作品が日本で売れてくれることを願っているのだそうだ。世界的金融危機の影響はこんなところにも影響を及ぼしていた。
 その話を聞いて思わず、もしも素敵な投資者が現れて、自由に何でも撮って良いよと言われたら、どんな作品を撮ってみたいか? と聞いてみた。

 犯罪映画だね。別に娯楽大作じゃなくてもいい。これまでもそうだったけど、犯罪映画を撮りたい。今の世の中、みんな恐れを抱いて、信じる心を失っている。ぼくがいつも撮りたいと思っているのは、そんな環境における人間の奇妙な行動なんだ。それでしょっちゅうそういう日本の小説を読んでいる。よく書けていて面白いよ。個人と社会の関係を描いている。それで、今書いている脚本もみんな犯罪に関係する物語だよ。
 本当は、ポリス・ドラマを撮りたいんだけれど、マレーシアでは難しいんだ。何故って、マレーシアの警察官はみんな“いい人”だから(大笑)。だから撮らしてもらえないんだ。もうちょっと開放的になって欲しいよね。

 香港とも密接なコネクションを持っている監督なのだから、是非香港で撮って欲しいものだ。水を向けてみると、

 そうだね、香港、日本、韓国は大丈夫。中国とシンガポールはだめだね。
 ポリス・ドラマはみんなが撮る題材だ。なぜなら、その中に独特な味を出すことができるから。人間を描くからね。人間とバイオレンス。
 警察官はみんないい人かも知れないけれど、仕事をまじめにしようとすれば本当に忙しいと思う。表面的には社会のために尽くすいい人だとしても、彼ら自身の抱える問題についてぼくらは知らないでしょう? 人としての問題だよね。生活に関することだ。彼らはお金持ちじゃない、給料がとても低いんだよ。それではいろんな問題が出てくる。政府が強すぎれば、警察は政府の公的区分の1つだからそれもやはり問題を作り出す。この世界は実のところとても不公平だから。ポリス・ドラマを撮るとなると、それは必ず犯罪物語になるね。  香港で撮る? そうしたいよ。香港は以前面白いポリス・ドラマを撮っていたからね。でも今1番面白いポリス・ドラマを撮っているのはアメリカだと思う。「The Wire」というテレビシリーズなんだけれど、それが今のぼくの1番のお気に入り。映画よりよく撮れていると思うよ。

● 日本に対するマレーシア人の感情

 ユーハン監督の話を聞くに付け、1つの疑問が頭をもたげてきた。ここマレーシアは第2次世界大戦で、日本軍に占領され、それに対して特に抗戦したマレーシア華僑に対してはひどいことをした歴史がある。そのために、一世代前のマレーシア人には今も日本に対する悪い印象を持っている人がいると聞いている。しかし、マレーシア華僑の1人であるユーハン監督には、そういうわだかまりの感情がまるでないように感じる。どう考えればよいのだろうか?

 日本人が嫌いなのは歳を取った華僑に多いと思う。彼らは日本人が来て悪いことを沢山したと思っている。なぜなら彼らは国を守ろうとしたからだ。でも日本は戦後、工業を発展させて、アジアにおいてとても強い国になって、ぼくが大きくなるころは日本の工業は最も発展していた。TOYOTA、SONY、HONDAといったブランドが溢れていた。ぼくの成長した環境は、半分はアメリカのテレビ番組だし、もう半分、自分が使っているものは日本製だった。そんな環境の中で、戦争中に日本人によって中国人が沢山殺されたという事実は歴史として知ったし、ぼくのおじいさんたちが日本人と戦ったことも知っている。けれども、ぼく自身は日本人を知らないし、会ったこともなかった。子どもの頃は日本の漫画が好きで、手塚治虫の作品や望月三起也の「ワイルド7」が大好きだった。ほかにも、白土三平(「カムイ伝」「サスケ」ほか)、横山光輝(「鉄人28号」「伊賀の影丸」「バビル2世」ほか)といった人の日本の昔を舞台にした忍者漫画とかが好きだった。
 その後、日本文学を読むようになった。ぼくの叔父さんが作家だったので、芥川龍之介の作品を色々と紹介してくれて読んだ。「鼻」や「藪の中」なんかが大好きだった。だから、日本に対してロマンティックな感情を持っていた。
 日本の映画を初めて観たのは、小学生のとき。『怪談』みたいなホラー映画を観た。それから中学生のときに映画雑誌が紹介していた黒澤明の映画を観たかったんだけれど、観られなくて、ビデオショップへ行って違法コピーだったけれど見つけてね、『乱』を観たんだ。だけど、よくわかんなかった(笑)。映像はすごく綺麗だと思ったんだけれどね。アメリカに留学したときには、『羅生門』『七人の侍』といったたくさんの黒沢作品を観られたよ。そこに映っていたのは、ぼくが全然知らない日本の世界だった。
 ぼくの日本人に対する感情はこんな感じだよ。どうやって憎めばいいのかすらわからないよ。日本人に家族を殺されたわけでもないしね。
 日本はあの戦争で精神的に大きな敗北感を味わっている。誰もがもう人を殺したくはないと思っているんじゃないかな。短い期間で戦争に負けて、広島や長崎に原爆を落とされて、何もかも失ったと感じたと思う。このことは、ぼくらマレーシア人は学ぶべきところがあると思うけれど、学べてないね(笑)。
 今現在、お互いを知ってどう共に暮らしていくかを考えると、日本の長い歴史の中で培われた文化には良いものが沢山あると思う。アメリカの文化のように、良くないものを沢山もっている場合でもぼくらはそれを学び、もちろん良い面も学ぶんだ。しょっちゅう仲間と話すことは、日本人は仕事に本当にまじめで、ぼくらマレーシア人はまじめじゃないってことだよ。

 「わたしは日本人はちょっとまじめすぎると思うけど」というと、「まあ、それもちょっとあるかな」とユーハン監督は笑った。

 インタビューが終わって一緒に映画を観た。そのあとも食事に誘いたかったのだが、ユーハン監督の足があまりにも腫れてきていたので、帰って休んでもらった方がいいと思い、そこで別れることにした。その日、監督が着ていたのは新作『心の魔』のタイトルをデザインしたTシャツだった。一緒に記念撮影をして別れたが、とても名残惜しかった。


◆ ヤスミン・アフマド監督急逝

 本当にあまりにも突然の訃報でした。7月25日23時25分、51歳。
 新作の『タレンタイム』がアジアフォーカス福岡国際映画祭2009で上映されると聞いていたし、何よりも次回作が、ヤスミン監督の日本人の祖母の物語を元にした作品になり、良いキャストを得られ金沢でロケをする予定だと聞いていたからです。残念でなりません。前回、東京国際映画祭で特集上映が組まれたときに申し込んだインタビューが、直前でキャンセルになってしまいお話を聞けなかったことも、こうなるとなお一層悔やまれます。
 マレーシアのインディペンデント映画界における太陽であり、母のような存在でした。ホー・ユーハンやピート・テオといった仲間たちが、どれほどの悲しみを味わってるかと思うと、わたしは余計に胸が痛み、すぐにはメールすることもできませんでした。
 それでも、今回この記事を出すにあたり、ユーハン監督に連絡を取ってお悔やみを申し上げました。そしてヤスミン監督についての思いをうかがいました。

 ぼくらはみんなヤスミンがこの世を去ってしまったことを悲しんでいます。彼女は輝く星であり、多くの人々に愛されていました。
 ヤスミンとは映画についてたくさん話し合いました。ぼくが小説を読んでいる間に、彼女はたくさんの詩を読んでいました。彼女は俳句の大ファンだったんです。夜遅くなると、一層彼女のことを思い出します。その時間は、ぼくらがいつも互いにメールを送りあっていた時間だからです。その内容は、観ているDVDについてや、くだらない世間話や、プライベートで感情的な問題なんかについてでした。不思議なことに、最後に僕らが一緒に観た映画は、日本の『おくりびと』でした。
 彼女は日本で映画を撮るプロジェクトを進めてて、今年これから日本へ撮りに行く予定でした。日本人の祖母を持つマレーシア少女について物語で、彼女自身の経験を反映したものでした。

 東京国際映画祭では追悼ヤスミン・アフマドとして新作『タレンタイム』共に、人気CMディレクターとしても活躍した監督のCM作品集(7本)も上映されます。さらに、ホー・ユーハン監督の『心の魔』にもヤスミンさんは出演しています。是非、ヤスミン監督を偲び、この機会を逃さずご覧になって下さい。

タレンタイム 心の魔
『タレンタイム』© Primeworks Studios Sdn Bhd   『心の魔』© Paperheart Limited

謝辞:多くのマレーシア情報を提供して下さり、ホー・ユーハン監督とのアポイントメントなど万事取りはからって下さいました、竹内志織様にこの場をかりて心よりお礼を申し上げます。

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(取材・文・写真:梅木)
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