女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
(1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『ビルマ、パゴダの影で』
アイリーヌ・マーティー監督 舞台挨拶&Q&A

アイリーヌ・マーティー監督

3月15日よりの公開を前に、アイリーヌ・マーティー監督が来日。2月5日と6日には先行上映+トークイベント、8日には、「写真展ビルマ2007-民主化運動:高揚、弾圧、現在」(共同通信社本社ビル 汐留メディアタワー3階にて2月15日まで開催)タイアップのトークイベントなどに登壇されました。私は、2月5日(火)4時からのマスコミ試写会の後の舞台挨拶とQ&Aに参加させていただきました。

いかにも若い時にはバックパッカーで世界のあちこちを渡り歩いた雰囲気の監督。笑顔で語りながらも、なんとかビルマの実情を大勢の人に知ってもらいたいという気持ちがひしひしと伝わってきました。

◆監督挨拶

映画を観ていただいたことに心から感謝します。ビルマの抱えている問題に興味を持っていただければ幸いです。国内・国外の避難民の方たちの協力がなければ、この映画はできませんでした。彼らが私を信頼して心を開いて語ってくれたのは、映画を通じて世界の多くの人たちに自分たちの問題を知らしめてくれて、そのことによって、苦しみに終わりがくるという気持ちからだと思います。

◆Q&A

− インタビューに応じた人たちが、国の名前を「ビルマ」と呼んでいましたし、映画のタイトルもミャンマーではなくビルマとしているのには理由があるのですか?

監督:それには明確な理由があります。1989年に政権が変わり、国名、都市名、通りの名前などが変わりました。その後起こった出来事は隠されてきました。ビルマ人が他の民族を排除するビルマ化の動きです。ビルマは多民族国家ですが、「ミャンマー」はビルマ人的名称なので、他民族の人はミャンマーと呼ぶことを拒否するのです。

− 昨年、民主化デモが弾圧され、日本人ジャーナリスト長井健司さんを含む多くの僧侶・市民が殺害されるというショッキングな事件がありましたが、あの後、平和的解決はなされたのでしょうか? また、私たちにできることは?

監督:去年、ショッキングな映像をテレビで見て、私も悲しく思いました。同時に希望も持ちました。少なくとも、ビルマで起こっていることを世界の人が見ることができたわけですから。でも、4ヶ月経って、そのショックが静まっているのを悲しく思います。また同じことが起こるのではと危惧しています。あのような状態が45年間ビルマでは続いているのです。ある少数民族にとっては、60年続いています。皆さんが今ここにいることが貢献。問題を風化させないことが大事です。各地で報道されることが、政権に圧力となります。長井さんが殺害されたことはほんの一部の出来事。もっと人権侵害がなされています。公式には300万人が行方不明。もっともっと多くの人が被害にあっています。
今、ビルマを訪れると、お坊さんの姿が通りに少ないことに気がつきます。11月の終わりに軍事政権が国連に対し、人々を逮捕するのをやめると約束しましたが、その後2ヶ月の間に100人以上が逮捕されています。政府は何も変化していないことがわかります。こういう状況を皆さんが知らしめてくれることが圧力になります。

− 少数民族の学校を援助する方法は?

監督:少数民族の人たちの学校にはすべてが欠けています。教科書も白い紙も何もありません。今、インドでペンをあげても笑われますが、ビルマでは、クリスマスプレゼントをもらったようだと喜んでくれます。学校に履いていくサンダルもないし、ロンジー(腰巻)も1枚を毎日洗って使っている状況です。直接的に寄付できる団体を通じて援助することをお薦めします。私は、国内避難民に対して、何ができるかと考え、シルクの寝袋を寄付しました。ジャングルの中を毎日移動して外で寝ていますので、蚊帳もなく、蚊にさされてマラリアにかかるのが心配ですので。

− スイスの観光用PR番組の撮影と偽って許可を取らざるを得なかったとのことですが、映画の完成後、現政権からは何か反応があったのでしょうか?

監督:はい、ありました。最初に放映されたのは、スイスの国営テレビだったのですが、8日後にパリにいるミャンマー大使から、15ページもの手紙が届きました。描かれていることは正しくない、監督もテレビも訴えるという内容でした。国連のレポートを読めば、私が描いたことが嘘ではないことが裏づけできます。ビルマでは、メディアは全部軍が支配しています。軍政を批判しようとする人は、国に入れないようにしています。CNNなども事務所がありません。

− ラスト近くでシャン族の少年たちが、「将来の希望は、シャン軍に入ってミャンマー軍を倒すこと」と語っていましたが、そういう悲観的な気持ちに、希望が持てないことをはっきり感じました。この言葉を入れたのは、監督の意図ですか?

監督:はい、その通りです。いかに今の状態が希望のないものか...。子どもたちは悲しい状況に陥っていて、唯一の希望が両親の仇を討つことだというのです。自分が同じ状況におかれたら、やはり同じ気持ちになったのではと思いました。政治が変わらなければ、憎悪が増幅される。政治的活動をしていないのに、少数民族というだけで虐待されています。人々の意思が尊重されるべきです。1990年合法的な選挙が行われ、82%が民主的な形でアウンサンスーチーさんを選んだのに、軍政が無効と言っています。

◆最後にひとこと

皆さん、どうぞビルマの人々をサポートするためにも、レポートを書き続けてください。ビルマの人たちが悲惨な状況から抜け出すために!


映画の中で、バングラデシュ国境地帯の難民キャンプで暮らすイスラーム系難民の人たちが取り上げられていて、「300〜400年前に建てられたモスクの数々が破壊されている」という証言が、私には特に気になりました。ビルマにイスラーム教徒が暮らしていることは知っていましたが、思いのほか数が多いことを知りました。終了後、監督にイスラーム系難民のことについて伺ったら、「彼らの状況は、特にひどいの!」と悲しそうな顔をされました。
このような映画を作るということには、様々な圧力がかかるリスクを承知の上でのこと。監督の勇気に感銘を受けた次第です。

(文・写真:景山咲子)
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