女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

『立喰師列伝』完成披露試写会舞台挨拶

1月18日(水) 於 FS汐留ホール

『GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊』『イノセンス』等の作品で世界的に有名な押井守監督の新たなる挑戦。それが本作『立喰師列伝』。送られてきた来た試写状には、アニメーション作品でありながら、「出演」の項目がある。そして「世界初 衝撃のスーパーライブメーション作品」の文字が。これまでも『アヴァロン』などの作品で実写とアニメーションの斬新な融合を計ってきた押井監督。今度はどんな事をやらかしたのかと興味津々で観に行った。

上映前には本作の監督と出演者による舞台挨拶が行われた。まずその模様をお伝えしよう。

押井守、吉祥寺怪人、兵藤まこ、鈴木敏夫、川井憲次、品田冬樹、石川光久
兵藤まこさんが持っているのはプロモーションキャラクターの”おしいぬ”

登壇者:押井守監督、吉祥寺怪人(雑誌編集者)、兵藤まこ(女優)、鈴木敏夫(スタジオジブリ代表)、川井憲次(作曲家)、品田冬樹(造型師)、石川光久(プロダクションI.G代表)

◆ 登壇者ご挨拶

押井: 多分「立喰師って何だ?」とこれから100回も200回も聞かれることになるんだと思いますが・・・ 「立喰師」とは僕の頭の中に25年位前からずっと住み着いているキャラクターで、時と場所をわきまえずにあちこちに出没していたのですが、今回プロダクションI.Gの石川が、何を狂ったか映画にして欲しいと言いまして、ようやく念願の映画化にこぎつける事が出来ました。僕にとっては大変思いの深いキャラクターなのですが、これまでに僕が映画を作る過程で付き合ってきた様々な人達の顔の向こう側に、それぞれの立喰師が背後霊のように立ち上っていたので、これを撮らない手は無いだろうと思って、単に予算の都合で出てもらった訳ではなく、映画としてはやや異例かも知れませんが、敢えて自分の知っている人達だけで映画を作ってみようと考えて、こういう作品になった次第です。傑作である事は疑い無い訳ですけれども、もしかしたらちょっと変なもの作ったのかな?という気が少しはしています(笑)。ただ、こういう映画は他ではどこも作っていないと思ったし、その事だけをもってしても作る価値は十分あるに違いないけれども、それに併せて、これは僕の妄想の中の人物たちが演じているある種の戦後史を描いた作品です。完成した後で観てみると、意外にもというか当然ながらというか、僕自身はこの時代を怒って生きてきたんだなと感じ、怒りの映画になっている事にちょっと驚いています。その怒りが何に向けられたものなのかは、作品を観ていただいて考えていただきたいと思います。

吉祥寺: 月見の銀二をやらせていただきました、吉祥寺怪人と申します。私だけただの会社員なのでここにいるのは戸惑っているんですけれど。いつもだったら、カメラを持って取材をする側なものですから、ちょっと焦っております。

兵藤: ケツネコロッケのお銀役の兵藤まこです。今回の作品は出来上がったものを観て初めて「こういう作品だったんだ!」と思いまして、複雑な思いと嬉しい思いとで混乱しております。皆さん是非楽しんで観て下さい。

鈴木: 多分ですね、押井さんが作った映画ですから、「語られてきた戦後60年史は全部ウソだった!本当の戦後史を俺が教えてやる!」と、そんな事を小難しく言っている映画じゃないかなぁと。実は僕もまだ観ていなくて、明日観ることになっているものですから、そんな想像をしています。ただ今回、僕は押井守監督を初めて映像作家として認めました。僕はこの映画の中で、彼に要求されて、ヒゲを剃り、髪を黒く染め、眼鏡を取って出演をさせられたのですが、それをやってみたら、そこには別人と言うか、ウン十年前の自分がそこにいるような錯覚を起こしたんです。それをやれば、そういう僕が登場するだろうということを知っていた押井さんには今回少しだけ感服しました。是非楽しんで観て下さい。

川井: 普段は音楽しか作っていないのに、何と今回は出演までしてしまって、非常に恥ずかしいのですが、どうかごゆっくりご覧下さい。

品田: 押井さんの映画では『紅い眼鏡』のケルベロスのプロテクトギアを作ったりしているのですが、今回は出演だけという、いつもはカメラの裏側にいるのにカメラの前に立たされてしまいました。元を正せば20年前『紅い眼鏡』でそば屋役をやったのですが、今回立喰師の映画を撮ると言うのでおもしろ半分に立候補したら、遊ぶつもりが遊ばれてしまいました。押井さんに「やられた」って感じでした。

石川: 監督が冒頭の挨拶で「怒ってた」という話をしたのを聞いて、スタッフも出演者も全く同じギャラで我慢したんですね。それで作品はドライにあがるかなと思ったのですが、その辺りの怒りがウェットになって、すごいパワーとなって画面に現れています。もう一つ、東京工芸大学と東京造形大学の学生の多大なる力が無ければこの映画は完成しませんでした。この場を借りて、感謝の気持ちとお詫びの気持ちを表したいと思います。ありがとうございました。

司会: この『立喰師列伝』は20年来の企画と伺っています。監督はこれまで携わってきた作品でも立ち食いの場面をよく描いていらっしゃいます。そもそも立ち食いとはなんぞや? そして監督がここまで立ち食いにこだわる理由を教えて下さい。

押井: 基本的に立ち食いが好きなんですよ。子供の頃よく台所で盗み食いをして、同じご飯が立って食べるとなぜこんなにおいしいんだろうと思ってました。うちは躾の厳しい家だったので、随分怒られたのですけれど。子供の頃、学校へ通う道々、道路工事のおじさんたちが道端でお弁当を食べていたり、あの頃は子供も大人も立って色んなものを食べていたなと思うんですね。是非試していただきたいのですが、街頭で立って何かを食べていると、世の中に対して戦闘的な気分になって来るんですね。それが多分気に入っていたんだと思うんです。立ち食いが先なのか、世の中に対して戦闘的になりたかったのが先なのかはよくわかりませんが、僕の中ではそれは同じ事なんです。それが立喰師という形になったのかなとは思っています。今の時代の立ってものを食べるとか、若者がハンバーガーを歩きながら食べるとかいった事とは明らかに意味合いが違う。しかし現代においてそれがどれだけ意味を持っているのか? そんな事を言って通用するのか? 隣にいる男(鈴木敏夫氏)ならばそういうような事を言うのでしょうけれど、間違いなく彼が生きた時代はそういう時代だったのですよ。そんなことからこの映画は基本的な発想を得たわけで、「道端でものを立ち食いする人間の見た日本の戦後の物語」という風な気分です。僕は非常に立ち食いが好きで、東京にいるときは一日に一回は立ち食いをしています。この映画をご覧になった後、新橋の周辺には立ち食いそば屋が山ほどありますので、是非食べて帰っていただきたい。その時に感じるものは僕の言いたかった事と必ず繋がっていると思います。(鈴木氏から巻きが入るが続ける押井氏)理屈を言えば山ほど言えるわけですけれど、基本的には好きなんだと。好きなものを、好きな人たちを使って、好きなように撮りたいということで成立している映画です。「押し入れに監禁されて耳元で説教されている気分だ」と言う人もいましたけれど、今の映画に一番欠けているもの、「言いたい事を耳元ではっきり言う」ということを一度はやってみたかった。苦痛な部分もあるかと思いますが、僕自身はこれを作った事で何かを成し遂げたというと大袈裟かもしれませんが、溜まっているものをとりあえず全部出したという・・・

鈴木: 汚いなぁ(笑)

押井: 爽快感、そんなとこですね。

司会: 監督の爽快な気持ちを皆さんに感じ取っていただければと思います。続いて、吉祥寺怪人さんにお聞きしたいと思います。月見の銀二役は押井監督の実写作品『紅い眼鏡』で天本英世さんが演じられた役です。吉祥寺さんは天本さんの生き方に大変共感を抱いていると伺ったのですが、今回その天本さんと同じ役を演じることになってどのようにお感じなりましたか?

吉祥寺: あの方の怪人的な生き方に憧れていたんですけどね。10年くらい前に一度だけ一緒にお仕事をさせてもらった事があったのですが、やっぱり本物の怪人は違うなと思いました。彼は死神博士、僕はずっとただの助手のままだろうなと感じました。

司会: 吉祥寺さんのお名前(吉祥寺怪人:きっしょうじかいと)はどういうところから来ているんですか?

吉祥寺: これは宮崎駿監督が僕の姿を見て「吉祥寺の怪人」と呼び始めたのが最初で、じゃあ芸名にさせてもらおうと・・・

登壇者一同: へえぇ、そうなんだ






oshii
押井守監督










kishoji
月見の銀二:吉祥寺怪人










hyodo
ケツネコロッケのお銀:兵藤まこ










suzuki
冷しタヌキの政:鈴木敏夫










higuchi
ハンバーガーの哲:川井憲次










kawai
品田徳満:品田冬樹










shinada
哭きの犬丸:石川久光

司会: 続きまして兵藤まこさんにお伺いします。今回は数少ないプロの女優さんでいらっしゃいますが、今回の撮影現場は他とは大分様子が違ったのではないかと思います。一番難しかったところ、逆に面白かったところをお聞かせ下さい。

兵藤: ムービーですと全部映るわけですが、今回はスチルで撮ってそれを特殊な技法で処理するので、仕上がってみて初めて色々なものが私の身体にくっついているというのがわかりました。絵コンテを見た時に、どうしてもこのシーンはイヤですとお断りしたシーンがあったのですが、スチルの時には監督は「分かりました」とにこやかに撮っていらっしゃいました。しかし処理後のものを観ましたら、私の身体にドカーンと乗っているものがありまして、私はもう「うそつき〜」と思いました。女優がその場では断りきれない、押井監督作品の恐ろしさを知りました。監督の作品は絵コンテを見ても台本を見ても、ある程度の表面的な事は分かりますが、深ーいところは押井さんの心の底にあるんだなと思います。理解するのはとても複雑ですね、監督は。

司会: 聞いていらっしゃる方は、どこなんだろうと思っていらっしゃるかとおもいますが、その辺りにも注目して観て下さい。続きまして、鈴木敏夫さんにお聞きします。お待たせしました。

鈴木: 僕もね、シナリオを呼んで断ろうと思ったシーンがあるんですけどね。とにかく死体役なんですよね。その前に色々あるんですが、死体が解剖室におかれるということで全裸を要求されたんですよね。ヌードになるかどうかを監督とプロデューサーと皆さんで検討した結果、ある映像になっているんですが、皆さんにも楽しんでいただけたら良いなと思います(笑)。撮影の時、寒かったんですよ。それに死体は青っぽくなくちゃいけないってんで、全身に何か塗られまして、しかも塗る方が若い女性なんですよ。ちょっとやだなぁって。死体役なんで横になってるんですが、それをスチルカメラマンの方がパチパチ撮るんですよ。それがとてもリズムのある撮り方をするカメラマンで、その音を聞いているうちに、うっすらと記憶が遠くの方へ行ってしまいまして・・・。ま、簡単に言うと寝ちゃったんですよね(笑)。そしたら押井さんが「そろそろ起きなよ、敏ちゃん」って。よく分かったなぁと思って。はい。

司会: あ、お聞きしたかった事が聞けないままに、お答えいただいてしまったのですが。ちょっとお聞きしたい事にも一言でお答えいただければと思います。鈴木さんは20年前に押井監督のオリジナルビデオアニメ『天使のたまご』をプロデュース、また『イノセンス』でもプロデューサー、実写映画の『.50 WOMAN』ではご出演、そして今回もご出演と、色々な形で関係を作っていらっしゃいますが、次に押井監督と仕事をするとしたら・・・

鈴木: 主役じゃなきゃいやですね。主役でなきゃ2度と引き受けません。僕は主役だと聞いていたんですよ。そしたら違っていたんで。

司会: ということですので、押井監督、次回がありましたら是非主役で。

押井: 次にもしやってもらうなら葬儀委員長の役で。彼は主役をやりたがっていますけど、主役をやらせないのが監督の判断ていうかね。死体をやらせる理由だってちゃんとあるんです。さっきの話に戻るけど、全裸を要求したにもかかわらず、パンツを脱がなかったんです。

鈴木: いや、僕は脱ごうって言ったんですよ。でもプロデューサーがやめてくれって言ったんですよ。で、肉襦袢をはかされた。

押井: いや、周りが迷惑だからやめたんだって。誰も見たくないわけですから。ただまあ、死体の役っていうのは意外に誰でも出来るわけじゃなくてですね、難しい役なんです。演技力がある事は十分わかってます。でも演技力のある男に演技をさせないのも映画の味なんだよね。

鈴木: ちなみにスチルを撮る時には息を止めていました。動いちゃいけないと思って。

押井: なかなかよく分かってる。鈴木さんにやってもらうとすれば、次はどういう手で殺そうかと。あと2、3回は殺した方が良いかなと思ってます。

鈴木: そのうちにね、押井さんの葬儀は僕が仕切りますから、皆さん期待して下さい。

鈴木敏夫
押井監督の写真を撮る鈴木氏
2人の関係は愛憎相半ばする?!

司会: はい、本当にお二人の良好な関係が伺い知れるコメントでした。続きまして、川井憲次さんにお聞きします。川井さんは押井監督の実写映画『紅い眼鏡』以来、押井監督作品の音楽を担当されています。まさに押井作品に川井さんの音楽有りという感じなんですが、その中でこの『立喰師列伝』は今までと違って何か意識した事はありますか?

川井: 意識したと言うより、まず曲が長いということなんです。全編に渡って95%に音楽が付いているわけです。これは押井さんの今までの作品から考えると異例のことで、やってもやっても終わらない状態が続く。一つの曲が終わったら、直ぐに次の曲が入って、そしてまた次へと、休む所と言ったら間の台詞の部分だけでほんの一瞬なんです。ですから音楽と音楽をどうつなげるかが難しかったですね。

司会: 川井さんの苦労もじっくりと皆さんお聞きいただきたいと思います。続きまして、品田冬樹さんにお伺いします。品田さんは押井監督の『紅い眼鏡』で武装警官の特殊装甲の造形などを担当されています。そしてその『紅い眼鏡』では今回の役の原型となるようなモグリのそば屋のオヤジ役で出演もされているわけですが、造型師として接する押井監督と出演者として接する押井監督の印象は何か違いがありますか?

品田: 造形のときはとにかく示唆に富んだ言葉をどんどんと私に投げかけて来ます。ここはこうして欲しいというのを、具体的ではなくて押井さんが常日頃思っていることを形にするというか、多分それはここを大きくしてという事だろうなと自分で咀嚼して形にするという感じで、非常に勉強になります。芝居となると意外と好きにやってという感じでした。前回は後ろ姿だったのですが、7、8分の長回しでその間何かしら動いていなくてはならなかったので、素人なりにも演技プランを立てさせてもらいました。しかし今回は写真を撮られてそれが合成と割り箸に付けた板で動くと言う状況で、演じているというより演じさせられているといった感じなんで、写真を撮られている時と出来たものとのギャップにちょっと冷や汗が出ました。意のままに操られている自分に「やられた!」って感じでしたね。

司会: どちらの方がいいですか?

品田: 演技は役者さんにお願いした方が良いです。写真だからなんとか出来たと思います。

司会: それでは石川光久さんにお聞きします。今回、この『立喰師列伝』は非常に挑戦的な作品に仕上がったと思いますが、プロダクションI.Gにとってこの映画はどんな意味を持つとお考えでしょうか?

石川: こういう質問が来ると思ってなかったので、なんてお答えしたら良いか答えに詰まるんですが・・・ あの、私も0号試写を観た時に、気絶したんですね。映画を観て気絶したのは2回目で、高校1年の時にゴダールの映画を観て気絶したんですね。で、今回ずっと観ていて、丁度鈴木さんが出てきたんですね。鈴木さんが出てきたなと思ったら次の記憶が無いんですよ。凄いインパクトですから。この辺りは皆さんには気絶しないで観ていただきたいと思います。このままではいけないと思って、2回目観たんです。そしたらこれは押井守監督作品の最高傑作である事は間違いないと確信したんですね。それを皆さんにお伝えしたいと思っています。

司会: それでは押井監督、最後に今回この作品をご覧いただくマスコミの皆さまにメッセージをお願いしたいと思います。

押井: さっき石川が全然質問に答えていなかったんで、僕が想像する答えはですね、この映画が公開されるとまた株が下がるんじゃないかと言うことですね(笑)。まあ、そうなったとしてもそれはそれでしょうがないから。今回は僕の野望が一つ果たせたということで言うと、20何年間ずっとその野望を抱き続けた僕の根性も大したもんだと自分でも思いますけど、周囲の皆さんに多大な迷惑をおかけしたに違いないし、こういう映画を作らしてくれた石川に感謝したいと思います。映画を見て下さる方々には、今回は僕が考える通りのことをやらしてもらいましたので、次の作品では真面目な仕事をしたいと思います。(笑)もちろん真面目にやってるんですけど! 最後に、辛い部分もあるかと思いますが、ゆっくりとご覧になって下さい。ありがとうございました。

気の置けない仲間で作ったという雰囲気が伝わって来る舞台挨拶だったが、映画を観る前から脅されたような気もする。果たして作品の方は・・・

<あらすじ>

 あらゆる飲食店を戦慄させた伝説の仕業師たちがいた。彼らは話芸をもって店主を圧倒し無銭飲食を繰り返す。その技が芸術の域にまで達する者たち。人は彼らを「立喰師(たちぐいし)」と呼んだ。彼らの密やかな活躍の歴史を紐解きながら、日本の敗戦から60年の歴史を語る。

 確かにこんな作品観たこと無い。基本は「ペープサート」と呼ばれる簡易人形劇の手法。割り箸の先に裏表が異なる図柄の人形絵を貼付け、背景の中で動かすものだが、人形絵がここでは俳優の写真であり、背景が緻密なCGであることから、3Dなのにペラペラで、リアルなのに動きはカクカクという摩訶不思議な世界。絵は殆ど動かないが、その静寂を川井憲次氏の音楽と、山寺宏一氏による語りが埋め尽くす。

 そして物語は、挨拶にもあるように押井監督の目から見た昭和史を語っている。基本的には笑いの映画なのだが、彼のユーモアを理解するには、よどみなく続く、やや難解な語りを注意深く聞く必要がある。その点はただリラックスして笑いたい人には合わないかもしれないが、その内容はかなりニヤニヤと笑える。私自身は70年代からを体験しているので、ファースト・フードと立喰師の闘いのあたりからが、最も自分の社会に対する認識とリンクして面白いと感じた。年代によってかなり楽しみ方が変わってくる作品で、より昭和を経験している年配の方々の方が、この作品に一層の共感を覚えるのかもしれない。
 押井監督は「怒りが出ていた」と語ったが、その怒りを最もストレートに感じた部分は、高度経済成長期における野良犬一掃の件を語る部分だった。無類の犬好きである押井監督が思わず力を入れたということもあるだろうが、ここでの野良犬たちには「道端で飯を食うものたち」が投影されている。道端で飯を食う行為は、中国へ行くと今なおいくらでも見かける。それは私にはがむしゃらなパワーの象徴のように思われる。それが排除されてしまった現在の日本に、押井監督は郷愁の念と危機感を感じているのではないだろうか。

 押井監督の本質がもっとも現れている作品であることは間違いない。

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(写真・文:梅木)
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