女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。

映画『奇跡の朝』シンポジウム
”死の準備教育”とはなんだろう

奇跡の朝 チラシ画像

9月23日(土)より公開される『奇跡の朝』にちなみ、さる9月16日(土)、NPO法人 生と死を考える会と『奇跡の朝』を通して”死の準備教育”を考えるシンポジウムが開催されました。

今回、フリーマン様のご厚意により、シンポジウムの内容をご提供いただきましたので、皆さまにもお伝えしたいと思います。

『奇跡の朝』作品紹介

◆ シンポジウム

司会:皆様、本日はお忙しい中、映画「奇跡の朝」特別試写会にお越し頂きまして、誠にありがとうございます。
本日皆様にご覧頂く「奇跡の朝」は、ある日突然、死の旅路から帰ってきた人々に対する家族の姿を描いた映画です。人は最愛の者を失う時、それにいかに向き合っていくのかという、誰もがいつかは経験しなくてはならないテーマを、3組の家族の視点で描いた映画で、最終的には、肉親の死を通して、私たちに命の尊さを教えてくれています。
近年は、急速な高齢化社会の進行、少年犯罪の増加、不必要な延命治療など、このように「生と死」を取り巻く環境は変わってきており、「人間らしく死ぬこと」や「生と死」の意義を問う声が高まりつつあります。そこで、皆様と少しの時間ですが「愛する者の死にいかに向き合っていくか」というテーマについてご一緒に考えていければと思います。
本日は、NPO法人「生と死を考える会」の副理事長である杉本さんと理事の柴田さんをお招きしております。
「生と死を考える会」は、1982年に誕生し、死別体験者の支援事業や「生と死」に関する社会教育事業など、様々な活動を行っています。本日お招きしておりました副理事長の杉本さんなのですが、本日突然の体調不良のためお越し頂けなくなりました。代わりに同じく「生と死を考える会」の小林さんをお呼びしております。皆様、拍手をお願い致します。

柴田小林:宜しくお願い致します。

小林:ただいまご紹介頂きました「生と死を考える会」の小林です。先程ご紹介があったように、副理事長の杉本が急な体調不良ということで代わりにお話させて頂きたいと思います。

私たちの活動のひとつに、死別した方のケアがあります。会発足から20年、毎週一回ずつ開いております。私自身も14年前に妻を亡くしまして、「分かち合える会」と申しますけれども、そのスタッフをやっております。私自身の経験を話したいと思います。

死というのは、避けることのできないものです。そして普段は意識していないものです。

14年前、妻は体調を崩し、病院へいったところ癌と診断されました。それまでは、祖母が亡くなったりという経験はありましたが、ここまで死が身近になったのは初めで本当に衝撃でした。

杉本、柴田

医者から告知を受けたときは、頭が真っ白になりました。これは助からない、と思った印象があります。告知とか終末医療が発達しておらず、本人には病名を隠して対処するのが普通でしたので、本人に嘘を言って看病するのが、ストレスでした。その後、親しい人を亡くした人が集まって支えあう「分かち合える会」に入りました。最初の衝撃で、現実が遠のいていくような感じでした。自分だけがふわふわと浮いているような…。

わずかな闘病生活の後、妻は亡くなりました。亡くなった直後は、葬儀や埋葬、届けなどによって悲しみを押し隠していました。悲しみを隠したまま月日を過ごしていました。亡くなった後しばらくして、納骨も終わって2ヶ月くらいすると、悲しさ、辛さが表面に出てきました。妻とは30年連れ添い、子供2人はそれぞれ独立していますので、リタイア後は、2人でのんびりしようと思っていました。ですから、自分の計画が狂わされて、毎日呆然の日々でした。肉親を亡くしたり、愛する者を亡くした者の特徴は、悲しみは直後よりも遅れてくるということです。死というのは個別のことですから、個人によって違いますが、自分らしさを取り戻すのにだいたい1年かそこらかかります。それまで悲しみや辛さは消えることなく心に残ります。それを越えて新しい自分を見つけなければなりません。だいたい2〜3年で、何かのきっかけで、それまで人目を避けて生活していたのが、新しい友達関係に変わってきて、笑ってる自分に気が付いたんです。それが私の転機でした。自分を取り戻しました。

死別の前と後では全く変わってしまいました。私は定年を迎えて、これからずっと2人で安定した生活を送ろうと思っていたのが、突然崩れてしまいました。生と死に関する様々な本も読みましたし、様々なところに出かけて、生と死について考えるようになりました。生活は決して元に戻るわけではないですが、過程によって人生は大きく変わります。自分の経験をどうしたら生かせるかと思い自助グループをやることにしたら、同じような悲しみをもつ人に出会いました。(自助グループは)死を身近に考えるという点ではあるべきところだと思います。

皆さんの中には、たぶん身近な人を亡くされた経験のある方は少ないかもしれません。身近に死別を体験した先輩として言えることは、悲しみの中にくれている人に対して周りがどう接するかということです。よかれと思って言ったことが逆に相手を傷つけてしまうということがよくあります。例えば、「いつまでも悲しんでいたら成仏しない」とか「元気になって死者の分まで生きろ」とか…。そういう一言一言が苦しませます。

私の経験から周りの人にお願いしたいことが3つあります。1つは、何かしてあげるのではなく、個人の問題だから何もできないということ。悲しみから乗り越えるのは自分だから、特効薬はなく、相当時間がかかるものです。むやみに元気づけたり「気持ち分かるから」というのはやめた方がいい。人によって悲しみに対する反応は違います。表に出さない人もいれば、地に手をつけて悲しむ人もいるし、それは個人によっても民族によっても違います。だから先入観で判断しない方がいい、これが2つ目です。3つ目は、ただそばに一緒にいること。それが一番癒されます。私の経験ではこの3つです。

この映画は、そういう悲しみを乗り越えて自分を取り戻した人の話ですね。たしか10年以内に亡くなった人がかえってきて…。残された人、再会した人がどのような奇跡に出会うのか、非常に興味がありますね。死を見つめることはよりよき生を生きることだと思います。

柴田:柴田と申します。宜しくお願い致します。私は、病院で看護師として働いており、ホスピスの育成をボランティアでしたいというのがあり、一昨年退職して「生と死を考える会」に入りました。病院では、「生と死」についてや「命」ということは常に頭の中にありながら、看取って終わりというのが現実でした。先程の小林さんとは違って「分かち合い」というものはなかったように思います。今日は母のことをお話したいと思います。どんなふうに死を向かえ、これからどんなふうに生きていけばいいかを考えるきっかけになればと思います。

私が小学校3年のとき、祖父が在宅で母が看取りました。そのときは、ただ悲しくて遠くにいっちゃうという気持ちでした。ただ、体を清めるときに拭いた手がすごく冷たかったんですね。それがずっと私の中にあります。母は、84歳で17年前に亡くしました。母は北海道に住んでいて、夫の母を看てたこともあって、5年間会えませんでした。なくなる1年前、母に会ったときに、大きなパネルに母と曾孫が北海道の野原をバックに写っているのを見て、たしか読売新聞のヘリコプターから写したものじゃないかと思うのですが、それが素晴らしい写真だったんです。母はもともと体が丈夫じゃないのに、5年も会ってなくて、久しぶりに会ったらすごく元気になっていたから、びっくりしたんです。きっと曾孫からもらった元気だと思います。そのとき母が「見納めね」と言ったんです。私は看護師だから休みも長くは取れなくて、いろんな話をしながら散歩したりして、帰りました。

杉本、柴田

その後、突然急死してしまいました。駆けつけられず、遅れて母のところに行ったんですが、誰も泣いてる人がいないんです。私は涙が止まりませんでした。5年も会えなかった、何もできなかったという思いがありました。棺の中の顔をなでて、曾孫に「大きいおばあちゃん、もう会えないのよ。お別れしなさい」と言ったんです。でも曾孫はなかなかなでようとしない。そのとき、あのパネルと繋がりました。母がこんなに元気にしているのは、曾孫から元気をもらったからなんだ、ということが分かりました。曾孫に3月に会ったのですが、中3になっていました。そのときのことを聞きたいと思っているけど、聞けないんです。でも彼女は「大事にしてくれてありがとう」と言ってくれました。

今になって生と死について考えるようになったんですが、命はきれないものだと思います。命って心じゃないかなと。曾孫と私の母は心のつながりがあったのかなと、そういう思いがあります。私には死生観のようなものがあるのですが、母が亡くなった後、きれいに片付いていたんです。「見納めね」と言ったときも、塵ひとつ落ちてないしアルバムもきれいに整理されてました。私が明日死ぬとしたら、お部屋をきれいにしていたいです。今日一日を大切に生きたいと思います。

今は「生と死を考える会」で赤十字に行ったり、お手伝いをさせて頂いたり忙しくて、いろんなことができるから嬉しいです。「生と死を考える会」の関わっていることや、自分のこともこれから考えていきたいです。今は「死」のことに関して家族で話すことがタブーとなってしまっているところがありますが、私が感じたことをお話しました。

この映画は、もし母が生き返ったら、ということを考えながら見ました。3つの家族が出てくるので自分に置き換えて見ると良いのではないでしょうか。

司会:そろそろお時間がきて参りましたので、それでは、ここで本日お越し頂いている方から、お二人にご質問を頂きたいと思います。どなたかご質問のある方、いらっしゃいませんか?

参加者:貴重なお話をありがとうございました。私は、最近祖父を亡くした経験があるのですが、そのときに祖母が別の病院で入院していて、祖父を看取れなかったんです。亡くなった後に、祖母にそのことを伝えるというのが、すごく辛かったのですが、死者に一番近い人にそれを伝えるときには、どのようにするのが一番良いのでしょうか?   

小林:それは難しいですね。私も、妻のことに関しては後悔しましたし、今でも後悔してます。お答えし難いことですが…。どのようにする、というよりか嘘をつかないことが大事だと思います。

柴田:難しいことですよね。私も祖父や母のときの経験がありますので…。ただ普段から(生と死について)話しておくことが良いかもしれませんね。お答えになっているか分かりませんが。

司会:他に、質問のある方いらっしゃいませんか?

参加者:先程、周りの人の対応が大事だというお話がありましたが、何か上手く接するコツはありますか?

小林:コツというか…。本人の悲しみは、本人にしか分からないということです。私の経験から良いと思ったのは、黙って聞いてくれること、お説教しないこと、批判しないことですね。「いつまでも悲しむな」とか「早く元気になって新しい嫁をもらえ」などと言われましたが、そういうことではなく、ただ聞いてくれるのが一番だと思います。

司会:それでは、お時間がきてしまいましたので、ここでシンポジウムを終わりにさせて頂きたいと思います。小林さん、柴田さん、本日はどうもありがとうございました。


『奇跡の朝』(原題:Les Revenants)

監督:ロバン・カンピヨ
脚本:ロバン・カンピヨ、ブリジット・ティジュー
撮影:ジャンヌ・ラポワリー
出演:ジェラルディン・ペラス、ジョナサン・ザッカイ、フレデリック・ピエロ、ヴィクトール・ガリヴィエ、カトリーヌ・サミー、ジャメル・バレク、マリ・マテロン

ある朝、突然に無数の人々が、静かに街へと行進し流れ込んできた。それは皆、この10年ほどの間に亡くなった人々だった。人々は驚きのあまりに、言葉もなくその異様な光景を見つめていた。行政は彼らを受け入れるために動きだし、あらゆる調査を始める。一方、死んだはずの者が戻ってきた家族や恋人は、この信じがたい事実に戸惑いを隠せない。

死者が突然家族の元へと帰ってくると聞くと、日本では3年前にヒットした『黄泉がえり』を思い出します。『黄泉がえり』はエモーショナルなエンタテインメント作品でしたが、この『奇跡の朝』は似た題材でありながら、かなり印象が異なります。暖かみよりも、不気味さが強く、どっきりシーンはまったくありませんが、ちょっとホラー作品のような感じがします。あり得ない状況なのですが、その仮定を真剣に掘り下げ、直面した人たちのリアルな精神的葛藤を描いていて、つい観ているこちらも真剣に自分だったらと考えてしまうのです。映画では3組の人々が、それぞれに希望や諦めや覚悟を見いだしていきます。実は途中まで、彼らはなぜ、何のために戻ってきたのかが気になって仕方なかったのですが、蘇生も死と同様に現象として一律に起こり、それが周囲の人に作用する結果はそれぞれに異るのだと理解したら、腑に落ちました。(梅)

2004年/フランス/103分/カラー/35mm/シネスコ/ドルビー
配給:バップxロングライド
宣伝:フリーマン
協力:ユニフランス東京
公式サイト:www.longride.jp/kiseki

★9月23日(土)より、ユーロスペースにてロードショー

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