女が作る映画誌 ー 女性映画・監督の紹介とアジア映画の情報がいっぱい
 (1987年8月、創刊号 巻頭文より) 夢みる頃をすぎても、まだ映画を卒業できない私たち。
 卒業どころか、30代、40代になっても映画に心が踊ります。だから言いたいことの言える本まで作ってしまいました。
 普通の女たちの声がたくさん。これからも地道な活動を続けていきたいと思っています。どうぞよろしく。
[シネマジャーナル]
28号 (Feb. 1994)   pp. 10 -- 22

1993
TOKYO INTERNATIONAL
FILM FESTIVAL
September 24 -- October 3, 1993
第6回東京国際映画祭
第二弾

前号に引き続き、 第六回国際映画祭の感想を掲載いたします。
以下の作品の大半が今年劇場公開されるようですので、何らかの参考にしてくださればと思います。
この記事に引き続き、寄稿も含め、中国圏映画(特に香港映画) にちなんだ特集もありますので、そちらも楽しんでお読み下さい。



第六回東京国際映画祭を見て

宮崎 暁美

第六回東京国際映画祭はアジアの映画、特に中国語圏の映画が充実していた。 おかげでとうとう今回は女性映画週間の作品を一本も見られなかった。 女性映画週間の作品に魅力ある作品が少なかったというのもあるし、 公開予定のものもあったからである。というわけで、 見た一〇本の作品はほとんどが中国語圏の映画だった。

今回『青い凧』『北京バスターズ』が中国当局の許可を得ないで出品されたとして 中国の代表団が上映に抗議して途中で帰ってしまったけれど、 そんな中で『青い凧』がグランプリを受賞。そのしこりが昨年の中国映画祭にも影響したのか、 前年に引き続き昨年の中国映画祭にも中国は代表団を送ってこなかった (どちらの映画祭も委員長は徳間グループの徳間康快氏)。 中国映画のファンとしては中国映画の躍進は嬉しいけど、このような状況が不安でもある。

こんな状況下で上映された張元(チャン・ユェン)監督の『北京バスターズ』 ではあったけど、これは全然面白くない作品だった。 注目していた中国のロック歌手崔健(ツイ・チエン)が出るというので期待してたのに、 できの悪いドキュメンタリーを見たという感じだった。 何組かの若者達をただだらだらとカメラで追っただけで何のインパクトも 感じられなかった。それよりも私は呉文光監督の『放浪の北京』か 『一九六六/私の紅衛兵時代』を見たかった。 山形ドキュメンタリー映画祭に出品するため来日していた呉文光監督の姿を この会場で見かけたのでよけいそう思ってしまった。

青春神話』もどうにも好きになれない作品だった。こっちのほうが上映日は先だったけど 『北京バスターズ』の時に感じたイライラと同じ苛立ちを覚えた。 一方は北京、こちらは台北と、舞台は中国と台湾の首都に住む若者の姿を描いている。 その若者たちの日常生活はこんなものかなと理解はできるのだけど、 その日常生活の描き方、切り取り方、断片の積み重ねの仕方というのか、 リズムが合わなかったのかもしれない。 それに台湾や韓国の作品を見ているとトイレに入っているシーンがけっこう出てくるのだけど、 一回ぐらいならまだしもこの作品では四〜五回も出てきて、なんでこんなに トイレのシーンを出す必要があるの?と思ってしまった。 主人公の青年の行動にも共感できず、しばらく我慢して見ていたけれど、 どうにも我慢できなくなってもう少しで終わりなのに途中で出てしまった。 そしたら出口にこの作品の主人公をやった青年と監督やスタッフが立っていた。 終わったら舞台挨拶をするつもりだったのだろうけど、バツの悪い思いをしてしまった。

それに引き替え香港の作品はどれもそれなりに面白かった。 私が見たのは『ワンス・アポン・ア・タイム/獅王争覇』『天若有情』 『天長地久』『黒薔薇VS黒薔薇』の四本。 『ワンス〜』などは見た次の日に、一般公開されていた 『ワンス・アポン・ア・タイム/天地大乱』の方も見にいってしまった。 そしてなんといってもよかったのはファンタでの「アンディ・ラウ特集」。 会社を休んで見にいった甲斐があった。その他、私が見たのは『青島アパートの夏』 『北京好日』『青い凧』『からさわぎ』の四本。 『からさわぎ』はデンゼル・ワシントンやキアヌ・リーブスが出るというので 期待したけどいまいちだった。『さらばわが愛〜覇王別姫』『戯夢人生』 がチケット売り切れや仕事があったりで見れなくて残念だった。

この映画祭が終わってから今度は音楽の方に目が向き(耳かな) アンディ・ラウや崔健、サリー・イップ、アニタ・ムイ、ビヨンドなどの CDやテープを買い集めたり、もらったり、借りたりして、 この三ヵ月程の間に一気に二十枚(本)ぐらい増えてしまった。 おかげでこのところ、毎日通勤の途中で聞いています。



インターナショナルコンペテイション

ボビー・フイッシャーを探して

地畑寧子

監督のステーブン・ザイリアンは、脚本家出身で(ペニー・マーシャル監督の 『レナードの朝』でアカデミー脚本賞にノミネートされた実績がある) この作品が初監督作になるが担当した脚本はもちろんだが、 映像のセンスもよく期待できる監督になるにちがいない。 新作の脚本作成中で多忙とのことで、彼の舞台挨拶はなかったが、 後で得た情報によると、彼が執筆中といっていた脚本は、スピルバーグ監督の 『シンドラーズ・リスト』(主演はリーアム・ニーソン)らしく、 ショウ・ビズなどで紹介されている通りこちらも、かなり期待できる作品のようだ。

ボビーフイッシャーを探して』は、本国ではベスト10入りするような 派手な作品ではないものの、良心的佳作として、ショウ・ビズで紹介されていた。 これをみて私はこの作品を観ることになったのだが、印象としては少々地味だが、 天才少年と彼を取り巻く両親(特に父親)の心理、少年のチェスの師の生きざまが 細かく表現されていて、深く心に染み入る感動的なドラマだった。 劇場公開が決まったそうなので、『リトルマン・テイト』を観た人、 またこの作品に感動した人は、見比べてみると面白いと思う。

タイトルのボビー・フィッシャーは実在の天才チェスプレイヤーで、 作品中にも出てくるように天才であるがゆえにマスコミにまつりあげられ、 周囲の大人の真の愛情にもめぐまれず、成長してある日忽然と 世間から身をかくしてしまった人である。この作品の主人公、ジョシュは 彼の再来かといわれたこれまた実在の少年で、この作品は彼の父親の書に基づいている。 ただ、この二人の間には、常に天才としての生き方を強いられ、 周囲の大人の真の愛情に恵まれなかったボビーと、 息子にとって本当の幸せとはなにかを考え、普通の少年として生きる環境を作ってくれた 両親の愛に恵まれたジョシュという決定的な違いがある。 ストーリーもその点をかなり強調してあったが、 ジョシュ少年が数々の競技で勝ち抜いて行く展開はスピーディで胸がすく思いがしたし、 競技会場に集まるチビッ子天才チェスプレイヤー達に付き添ってくる親たちの 滑稽な親馬鹿ぶりに笑い、ジョシュ少年を演じるマックス・ポメランの あどけない自然な演技に思わず泣かされたりと、全編がやさしさに満ちていて好感がもてる。

また、彼にチェスを教える厳格な正統派の師(ベン・キングズレー) とラリー・フッシュバーン演じるチェスのハスラー (将棋にたとえるなら『王手』で赤井英和が扮したような賭将棋の勝負師) の対比も面白い。特にベン・キングズレーは、正統派のチェスの世界の汚れた裏側も 知り尽くした人物を絶妙に演じていてこの点もこの作品のみどころのひとつだ。

ちなみにボビー少年の父親を演じているのは、ジョー・マンテーニャ。 『殺人課』などでお馴染みの俳優だが、ここではいつものハードな男ぶりのかけらもなく、 慈愛に満ちた父親になりきり、この作品の感動を一層盛り上げてくれている。



青い凧

(宮崎)

原題 『藍風箏
監督 田壮壮(ティエン・チュアンチュアン)
脚本 肖矛(シャオ・マオ)
撮影 侯啄(ホウ・ヨン)

九一年の中国映画祭の代表団の中に田壮壮監督がいた。 『清朝最後の宦官・李連英』(姜文主演)を引っ提げての来日だった。 この時記者会見に出席した私は、田壮壮監督がその頃撮り始めている作品が 『青い凧』であることを知った。右派闘争、文化大革命など時代の流れに 翻弄される女性を描いた作品ということを聞いて、作品ができるのを楽しみにしていた。 その後完成までに紆余曲折があったものの、今回の東京国際映画祭に出品され 見事グランプリを受賞した。田壮壮の努力は報われたと言うべきかもしれない。 この映画に主演した呂麗萍(ロー・リーピン)も主演女優賞を受賞した。

私はシネマジャーナルニニ号で 田壮壮作品はどうも好きじゃないと書いた。評論家や映画通の人たちが絶賛する 『盗馬賊』は、登山が趣味でチベットに対する思い入れが強い私には (天安門事件で行けなかったけど、チベットに行くため会社までやめた)、 この作品のどこが良いのわからなかったし、言ってることに共感できなかった。 チベットをこんな風に描くなんてと思った。 評論家たちは今までの中国映画が描いてきたのと違うチベット感があるなんて 書いていたけど、私は他の漢民族の人とたいして変わらないチベット感だと思った。 『狩り場の掟』もどうにもよくわからない映画だった。 しかもこの二作品とも途中で寝てしまった。 それに『李連英』も、姜文ファンの私がひいき目に見ても好きになれなかった。 だから私は評論家受けはするけど、一般受けはしないのではと書いた。

しかしその後国際学生映画祭で彼の学生時代の作品『小院』(撮影張芸謀) を見て意外にいけるかもしれないと思った。そして『鼓書芸人』を見て、 こういう作品も撮れるんだと再認識した。その延長線上にあるのがこの 『青い凧』だと思う。この三作品の共通点はそれぞれ時代は違うけど、 女性の置かれた状況を描いたものだ。

青い凧』は北京を舞台に時代に翻弄され結局三人の男と結婚することになった 女主人公の波乱に満ちた物語。物語からいけば『芙蓉鎮』に似ているかもしれない。 大方の評論家は中国映画界の大御所謝晋監督の作品と第五世代の作品を際立たせようとして 一緒にすることを避けているようだけど、実際話の内容としては似ている。 それに主人公と最初に結婚することになった人を演じたのは濮存[日斤] (プー・ツンシン)、謝晋監督の『最後の貴族』『乳泉村の子』にも出演している人だ。 日本の評論家たちは中国の第五世代の監督たちと前の世代の監督たちの事を 分けて書きたがるけど、向こうでは役者も監督もクロスオーバーして作品を作っている。 次に結婚した相手を演じたのは李雪健(リー・シュエチェン)。 今回の映画祭で上映された『夢はるか』(私は見られなかったけど)でも、 昨年の中国映画祭で上映された『四十不惑』でも主人公を演じていた。

子供のために結局三人の男と結婚することになった女性を描いた作品ではあったけど、 結婚ということにあまり意義を感じられない私にとって、 他の解決方法はなかったものかとも思う。もちろん時代、国の違い、 その他もろもろあるにしても。どうも女の不利な状況の解決策を 結婚ということに話を持っていく映画が多すぎるように思うのは私の偏見だろうか。 それともそれが現実か。



カネボウ国際女性映画週間

狂った果実

勝間

今年の国際女性映画週間の初日の邦画のラインナップは女性デザイナーの特集ということで、 ワダ・エミ、森英恵、そして石岡瑛子が衣装を担当した作品が並んだ。 ワダ、石岡の両氏は日本が誇るオスカー受賞者。そして森氏も世界的なデザイナーだが、 私は初めて知ったのだが、200本以上の映画の衣装を担当されてきたとか。

さて、27号の編集後記に書いた通り、 私は最近北原三枝のファンになった。 私が生まれる前に女優をやめてしまった彼女を知ったのは、約十年前、 石原裕次郎の生前の入退院のニュースの画面だった。 元女優という《まき子夫人》は化粧気のない顔にお下げ髪、いつもスラックス姿で、 報道陣に丁寧に頭を下げていた。「へえ、この奥さんも女優だったの」という感想。 その後、裕次郎が《北原三枝》と共演した時のスチールを見て、 「えっ、あの地味な奥さんがこの人?」とびっくりしたものだ。 元女優の××夫人というと、普通は化粧もバッチリ決めている。 それなのに、夫が病気で慌ただしい時とはいえ、まき子夫人は例外だった。 美貌に恵まれた人が、《華》を、化粧さえも捨てて満足しているということに カルチャーショックを受けた。

私は「太陽にほえろ」や「西部警察」の裕次郎があまり好きではなかった。 中年の体型をして、公私共に共演俳優たちの親分におさまった彼は、 ローティーンの私にはちっともかっこいいとは思えなかった。 後にTVで昔の『銀座の恋の物語』等を見てからは認識が変わったのだが。

狂った果実』はその裕次郎夫妻が出会った記念碑的な作品である。 水着の三枝さんが裕次郎に情熱的に身体を預けるポスターが印象的だ。 私はそのポスターを見て、裕次郎が《純情な弟》の役だとばかり思っていた。 だが、逆だった。ついでに言えば、映画には水着の三枝さんと裕次郎のラブシーンはなかった。 弟の役は津川雅彦で、今やこの人の方が《遊び人》のイメージなので、 この人にこんな時代があったのかと、私には大発見だった。 怒りにギラギラ燃える感じがよく出ていた。

もうひとりの発見(?)は岡田真澄。痩せていてヒョロヒョロなのだが、 今と違ってすっとぼけた感じで笑わせてもらいました。 ダンスホールで外人と思われて英語で注文を聞かれ、ハーフだから英語も出来るのに わざと「焼酎、ある?」と答えるシーン!

ただ、三枝さんは素敵なんだけど、米軍将校のオンリーで、さらに二人の兄弟を 弄ぶような女には見えなかった。抜群のプロポーションだから 高嶺の花という感じはよく出ていたけど。彼女のボーイッシュで清潔な個性とは 全く異質な役柄なのだ。『嵐を呼ぶ男』の男勝りの敏腕マネージャーや、 『陽の当たる坂道』の快活で理知的な女子大生には合っていたが。 たぶん高嶺の花(なのにお高くとまるわけではない)といえる女優が 他にいなかったのだろう。可憐なタイプの女優は大勢いても。

君の名は』のアイヌ娘や、三枝さん自身一番好きだという 『今日のいのち』(田坂具隆監督)、あるいは田中絹代監督の『月は上りぬ』 ではどんな感じだろう。いつか見てみたいと思う。



東京国際映画祭女性週問

林檎の木

佐藤

ドイツ青ざめた母』『エミリーの未来』を作ったヘルマ・サンダース=ブラームス監督の新作である。

舞台は旧東ドイツ、冷戦の激化に伴って東西の壁が築かれた(61)その翌年、 主人公レーナは生まれた。彼女の住む地方の工業都市は、社会主義建設の理想をめざし、 生産に励んでいるが、公害も浸透しているためか、町の景色は暗くよどんでいる。 彼女はその町の息苦しさから逃れるかのように川向こうに住む祖母のところに しばしばかよっていた。祖母は自然の中で自らを解放することをレーナに教える。 学校を終えたレーナは、希望に燃えて林檎園で働きはじめる。 国営農場のようなこの職場には寮がある。仕事からもどったレーナは 二段ベットの下段で彼女の同僚が愛の交換の最中であるのをみる。 毎度のことと、レーナはあきらめ顔でドアの外で待機。社会主義のお国柄、 ラブホテルがあるわけでなし外が寒けりゃお互いさまといいたいが、 こんな住宅事情から、ゆっくり心おきなくセックスもできないと 人間らしさだって薄れていくのではと余計な心配をしてしまう。

レーナはその同僚の相手だった水道工事人の青年と愛し合うようになり、結婚する。 新居はなんの変哲もない(少しも情緒がないのです、殺伐とした村で)共同アパート風建物。 持ち込む家具もいかにも安物で、みていて胸が痛みます。そして、 その引っ越しをじーっと見つめる向かいの家の脂ぎった農業組合の幹部。 彼は旧地主の息子で、妻は共産党幹部の娘。 旧地主階級がこのような地位につくことがあると知って驚く。 家族は、西に逃げたというが、何か崇高な使命で残ったようでもない。 夫は彼に近ずくなとレーナに申しわたすが、 レーナはそんな夫の自分本位な束縛にも耐えきれず、 地主の家で開かれた共産党主催のパーティにでかけて行く。 体をすり寄せて踊る二人を見てレーナの夫ハインツは 「この国に未来なんかない。俺たちはただじっと耐えているだけなんだ」と叫ぶ。 夫は捕まり思想改造所に入れられる。その中で彼は旧地主とレーナの動向を探ることを 約束させられ(つまりスパイ)村に戻る。旧地主はレーナを盾に西側に逃亡、 妊娠していたレーナは囚われの身となる。獄中で子供を産んで戻ってきた彼女は、 また夫と暮らすようになったが、ベットは別々。二人の心は冷えたままだ。 TVで西側諸国の楽しげなバカンスの模様をレーナが食い入るように見ている。 夫は黙ってソファをベットメーキングしてその中に横たわる。

子供が少し成長した頃、突然壁が崩れた。TVでその模様を知ったレーナは、 子供をせかせて壁の向こう側に出掛ける。だが西側に住む旧地主は、彼女の訪問を無視。 豊富な物をウインドーショッピングするだけで宿賃もないレーナは子供と路上で寝る。 村に帰った彼女は夫と共に新しい自由主義経済のもとでの林檎園経営を模索、 資金を貸してくれるよう旧地主にかけあうが、彼は儲けの出ぬこの士地を 売却してしまうのだった。

美しく花開いていた林檎の木がどんどん切り倒されて行く。絶望の中で言葉なく、 たちつくすレーナとその夫。人々の深い痛みが伝わってくるシーンだ。 レーナを演じるヨハンナ・シャルの抑えた演技が私たちに重い課題を突き付けてくる。 東独の女の苦悩を西独の女性監督が連帯をこめて描いていて嬉しくなってしまった。



ヤングシネマコンペティション

北京好日

勝間

大した予備知識もなく、宮崎さんから券を頂いたので見に行った。 中国映画に興味があるのか、あるいは老人たちが主人公というので テーマに興味を持ったのか、いろいろな年齢層の観客で、一人で来ている熱心な人も多いせいかマナーも良くて気持ち良かった。

30代前半の女流監督というので、ティーチ・インも楽しみだったが、 上映後急病で中止だと知らされた。しかし実際は中国代表団の抗議問題で 出られなくなったらしい。10月にも中国では香港の製作会社を追い出したりしているが、 もうすぐ一緒になるんだからごちゃごちゃ言わなくてもいいんじゃないのー、と思う。 中国・香港・台湾の映画は質がいいんだから、どうか皆で交流して協力して 良い作品をたくさん見せてほしい。

特に今年の中国映画は凄い。春のカンヌだけでなく東京のコンペも ヤングシネマも制覇してしまった。秋の中国映画祭を見ても、 毎年のように若い才能ある監督が次から次へと出てくる。このバイタリティ! 台湾勢も『戯夢人生』や、東京国際では上映されなかったけど ベルリングランプリの『ウェデイング・バンケット』の正月ロードショーが楽しみだ。

さて『北京好日』だが、若い寧瀛(ニン・イン)監督がよくここまで 老人たちの心理を描き、素人も多い俳優たちの魅力を生き生きと引き出したなと感心した。 中でも、素人京劇愛好会のメンバーで実際も女っぽい女形に扮した役者は、 本職が通訳だというのだから驚きである。彼のヒロイン然(?)とした 自己中心主義はカリカチュアされた愛すべきオバタリアンという感じで、 大いに笑いを誘った。

また、数少ないプロの役者として黄宗洛が扮した主役の韓老人も実に愛すべき人物だった。 どこにでもいそうな頑固な仕切りたがり屋。 京劇愛好会の円滑な運営のために作った規則通りの行動を皆に要求する。 例えば、練習場所の貸し出し時間を守らなければならないから、 ソロの歌の時間に遅刻すると、どんな事情でも罰としてその日は決して 歌わせてもらえない。皆ソロを歌いたくて集まった面々だから、 このシステムには大いに不満であり、特に先の女形とは度々いざこざが起こる。

韓老人にとっては、たとえ同好会でも努力して芸を磨くのが理想なのだ。 体育会的というべきか。しかし大多数のメンバーは、あくまで日常の楽しみのひとつであり、 自分が歌って気持ち良ければいいのである。英語題の《For Fun》の通り、 まさに楽しむための歌なのだ。そこで町内の芸能大会での入賞を狙うべきだったかどうかで、 韓老人と他のメンバーの間にとうとう衝突が起こる。

しかし、寧瀛監督は素敵なラストシーンを用意してくれた。 練習所の貸し出し期間が過ぎて、以前と同様路上で歌の練習を始めた皆に向かって 韓老人が歩き出すのである。私は笑みをこぼした。楽しいのが一番。 そして楽しみは仲間と分かち合うのが一番。 韓老人が意地を捨てて素直に仲間を求めたこの時、ほっとしたのは私だけではあるまい。 彼を孤独のままにさせておくのはしのびない。 私たちも韓老人が好きになってしまったのである。

最後に、この夏新聞の投稿欄で、障害児を連れた外出の際に不躾に 奇異の目で見られる辛さを訴える親御さんの苦労を読んだばかりなので、 この作品のダウン症の少年に対する周囲の自然な態度には感心した。 仲間外れにせず、かといって必要以上に構わず、彼の好きなところに居させてあげる。 難しいことだが、そうあるべきだ。



アジア秀作映画週間

ワンス・アポン・ア・タイム/獅王争覇

地畑寧子

ツイ・ハークによる黄飛鴻シリーズの第三弾。昨年一作目を見落としているので、 今年劇場公開されたその第二弾『〜/天地大乱』を観るのを躊躇していたのだけれど、 私はこのシリーズで黄飛鴻を演じているリー・リンチェイが好きなので、 (彼のほれぼれする美しすぎる動きはもちろんだが、同じ年代の他の香港の男優 〈もっとも彼は大陸の人だけど〉には見受けられない彼のストイックな明るさは 貴重だと思っている)TVのCMを観てこれは観るしかないと思い、劇場に飛んでいった。 そして作品は期待を大きく上回る面白さ。はっきり言えばド肝を抜かれた。 彼のカンフーに加えてワイヤーを使ったアクションも圧巻としかいうしかない。 それに黄飛鴻は実在の医師&武術家なのだから、時代背景もしっかりしてるし、 したがってドラマ面でも十分楽しめる。黄飛鴻の叔母(といっても若い) を演じるロザムンド・クアンがとても美しく十分過ぎるほど作品に華を添えていたし、 彼の一番弟子梁寛を演じる莫少聰のコミカルなキャラクターも 作品での笑いをいっきに引き受けて気持ちよく観ることができた。 巻頭とラストに流れる力強い主題歌も、ジャッキー・チェンとジョージ・ラムの 2パージョンあって、うれしい。

そしてその続編『ワンス・アポン・ア・タイム/獅王争事』である。 舞台は『〜/天地大乱』の清末から続いている。集約すれば、 李鴻章宰相の御前で繰り広げられる獅王争覇なる、武術家たちが腕を競う 獅子舞の競技大会とそれににいたるまでの黄飛鴻のとその敵役になる趙天覇一門の戦いを 描いたものだが、それと平行して李鴻章の暗殺を実行せんと暗躍する外国人の姿もあり、 こちらの作品もドラマ面で見応えがある。しかしなんといっても、圧巻なのは 獅王争覇の競技場面である。趙天覇たちのあくどい手をかいくぐりながら、 李鴻章の暗殺を食い止めようと超人的な技をみせる黄飛鴻の活躍、 そして会場に集まった色とりどりの勇壮な獅子舞の群れは大画面から 飛び出してくるんじゃないかと思うほどの熱気で、完全に映像に呑まれてしまった。 とにかく大画面で酔うという言葉にぴったりの作品である。 加えてもうひとつのみどころは、この作品から登場した鬼脚七という黄飛鴻の弟子の存在。 たしか本国では鬼脚七を題材にした作品がユン・ピョウ主演で公開されているはずだが、 鬼脚七の武術とくに脚力はまさにその名の通り超人的で、リー・リンチェイの黄飛鴻、 熊欣欣の鬼脚七と二つの味が楽しめて得した気分になれる。

この二作でかなりのインパクトをうけて、私が黄飛鴻という人にそして彼を描いた 他の映画に興味をもったのはいうまでもない。さっそくジャッキー・チェンの 『酔拳』をビデオで観た。昔観た記憶があるがすっかり忘れてしまっていて、 新たな気持ちで観たが、こちらはおなじみのジャッキー・チェンの コミカルなカンフーに笑い、リー・リンチェイとはまたちがった黄飛鴻を観ることができて 楽しい。製作中という『酔拳II』は、キャストもジャッキー・チェンはもちろん アニタ・ムイ、アンディ・ラウ、ティ・ロンなど豪華メンバーらしいので、 早く日本で公開されればと願っている。

一方、このツイ・ハークの黄飛鴻シリーズは本国では現在第五作まで公開済らしいが、 周知の通り事情あってリー・リンチェイが黄飛鴻を降りてしまい、残念。 日本ではピデオにもなっていないが、留学生向けのビデオ店でこの第四作を借りて観た。 黄飛鴻には趙文卓というやはり武術に卓越した俳優が扮していて、 そこそこ面白かったが(舞台は『〜獅王争覇』直後から始まる)、やはり リー・リンチェイの黄飛鴻の魅力には勝てなかったというのが正直なところ。 それに十三姨役のロザムンド・クアンも出演しておらず、かわりに 十三姨の妹十四姨という女性は出演してるが、やはり彼女よりも印象が薄い存在で、 こちらも残念。ただ、黄飛鴻の父黄麒英、梁寛、鬼七脚の俳優は前作までと同じ。 梁寛を演じる莫少聰もあいかわらずコミカルで笑わせてくれるし、 鬼七脚役の熊欣欣もこちらではひょうきんな面をみせてくれる。 このふたりが、ヘンチクリンな女装をする場面には大笑い。とはいえ、 大画面で観れなかったこともあると思うが、やはり私がスクリーンで観た二、三弾よリ 感動が薄いことは否めない。

参考までに、電影双周刊の371号に黄飛鴻を扱った映画の一覧が列挙されているので、 興味のある方はご覧になって下さい。あまりの多さにびっくりしてしまいましたが、 それだけ黄飛鴻という人物は映画にしやすいほど、魅力的で、 波乱万丈の人生を送った人なんだなあと感動することしきり。 もちろん柳の下にいくつもの泥鰌を探してしまう香港映画界 (こういうところも私が香港映画を好きになった理由のひとつ)ですから、 このツイ・ハークの黄飛鴻シリーズのヒットで続々と (なかにはパロディ、コメディまであるらしい)"黄飛鴻映画"が製作されたことは いうまでもありません。今度は、そのパロディやらコメディやらを観たいと 意気込んでいます。

写真キャプション:舞台挨援に現われたロザムンド・クァンは、 スラリと背が高く、目が目めるような美しさだった。



アジア秀作映画週間

黒薔薇VS黒薔薇

勝間

昨年のファンタスティック映画祭の周潤發さまの舞台挨拶を見逃したのは、 すぐに前売券を取らなかったからだった。それで懲りた私は、 今年は一番見たい伝説のカルトムービー『黒薔薇VS黒薔薇』 のチケットを前売初日に確保したのだった。陳凱歌の『覇王別姫』 も見たいけど『黒薔薇』開映の2時間後。レオン・カーファイのティーチ・インを 聴いていられない——というので、ロードショーがその時点で決定していた 『覇王別姫』は諦めたのだ。でも、中には結構かけもちの猛者がいて、 カーファイのティーチ・インを聴かずに何人もオーチャードホールヘ走っていた。

今回の時間割は中国語圏映画ファンにとってハードなものだった。 聞くところによると、アンディ・ラゥ特集も、舞台挨拶が終わって 映画の上映が始まるとすぐ席を立ち、次の回もまた最前列の席を確保するため 列に並ぶ子がいたとか。自分にはそんなパワーはとてもない。

ところで、この『黒薔薇VS黒薔薇』、果たして秀作映画週間などで上映して いいのだろうか?お偉い人々が眉をひそめていたのではなかろうか。 我々香港電影ファンにとっては垂涎ものの上映ではあるが。

60年代の香港電影や世相のパロディと聞いていたので、その時代に生まれたてで 世相を覚えてない、しかも異国人の私が楽しめるのだろうかという一抹の不安もなんのその。 カーファイ演じる呂奇(ロイ・ケイ、当時の二枚目俳優)も、 当時の流行歌も知らなくても場内の人々は爆笑の渦。 私がこんなに笑ったのは『大丈夫日記』と 『オール・フォー・ザ・ウィナー(チャウ・シンチーの《賭聖》)』 以来のことであった。でもこのおかしさは、きっと香港電影通信仔としか 分かち合えないだろう。一般人がこのばかばかしさについていけるか、 私は保証できません。

文句を言うとすれば一つだけ。カーファイにからむ4人の女のうち、 若い二人(テレサ・モウとマギー・シュウ)がいまいちおもしろくなかったこと。 テレサの方は、男装してトイレに行き、カーファイの前で用を足さなければならないという 絶対絶命の爆笑シーンがあることはあるが。

それに比べて熟女二人(フォン・ボーボーとウォン・ワンシー)のおかしさといったら! この二人が出ている場面は笑いっぱなし。60年代に名子役として鳴らしたボーボーが、 かつての自身をパロった子役演技で夢見る美少女ぶりを発揮。 彼女は自分が誰だかわからなくなる一種の健忘症(?)で、 「あんたは子供」と言われるとそれを信じてしまうのだ。 これがあの品のいい母親役のフォン・ボーボーとは……。

一方、彼女の姉弟子のウォン・ワンシーは見事なカンフーで度肝を抜いてくれる。 さらにカーファイとの『鴛鴛歌合戦』的二重唱が圧巻!  この人、チャウ・シンチーのビデオ『ゴッドギャンプラー3』 ではセコイ悪役(なんと川島芳子)で出ています。

93年の私の助演女優賞はこの二人に決まり! カーファイの時代遅れの二枚目演技も、 セロテープ貼り付け顔も、セメントバクハツ髪も傑作だったけど、 この珍作の功労者としてフォン・ボーボーとウォン・ワンシーの名は 語り継がれることだろう。

最後にティーチ・インに現れたレオン・カーファイの印象は、 ファンに感謝の意を表す好青年だった。 というわけではないが、ああ、この人いい人なんだなーと私は嬉しくなった。



黒薔薇vs黒薔薇

地畑寧子

この作品の噂を聞いた頃にはすでに遅しで、国際映画祭のチケットは売り切れ。 しかたなしに試写で観たわけだけれど、こういう作品は、大勢の人と 大声を出しながら観て笑うのが一番だと後悔しきり。 試写室は観る人数が少ない上に、いかにも真面目な映画人みたいな人が多くて、 隣席のオジサマはいきなり寝はじめるはで(この作品で寝るなんて!) 一人でバカ笑いをするのが気恥ずかしく笑いを堪えるのに一苦労。 シネマアルゴで再度観ることを決意している今日この頃。

それにしても香港映画のブッぱずれ映画は度を越していてトホホ…の一言。 後述の『東成西就』もしかり。この作品の続編 『93[王攵]瑰[王攵]瑰我愛』もしかり。 この作品全部で一番ブっぱずれているのはいわずもがなレオン・カーフェイ。 セロテープを顔に貼りつけて人相を変えるなんてフツーの人は考えない。 (そういえば『鬼ママを殺せ』でビリー・クリスタルもこの荒技?をやっていた。 まっ彼の場合は手持ちぶたさにやっていたので、カーフェイほどひどい顔には なっていなかったが)そしてあのドナルド・ダック的発声はどうすれば出るのか 今もって疑問。(『〜我愛』では、愛しのカリーナ・ラウ先生に お近づきになるために音楽教師として学校に潜入<彼は一応刑事なのだ>。 あの声で一曲披露して生徒たちをビビらせたりもする。 この作品では、ヴェロニカ・イップの悩殺ポーズでの一曲披露もあってサービス満点)

ストーリー展開はまとまってるのか、メチャクチャなのか今もわからないけれど、 登場する人たちのおバカなキャラクターの方がもっと魅力的。 ファン・ボーボー、ウォン・ワンシーもケッサクだけど、 結婚披露宴のとき三人組のへんなおじいさんたちが延々と続けるジェスチャークイズも 捨てがたい笑い。それに、黄飛鴻や周星馳の名前がいきなりでてくる 現在進行形の笑いを詰め込んだ会話にも爆笑。ま、ここまでくると 香港映画好きでないとダメらしく、試写室ではほんの数人の笑い声があっただけで、 なんとなくシラ〜。やっぱりこの映画カルトなんだ。 一般の人に大受けするわけじゃないんだと思わず確認してしまった次第。

それでもいい、映画でバカ笑いができることを思い出させてくれた 『黒薔薇vs黒薔薇』に大感謝。できたら続編の 『93[王攵]瑰[王攵]瑰我愛』も劇場で公開してくれたら…。 こちらはファン・ボーボもウォン・ワンシーも出ていないけれど、 カーフェイのアゴに二本指のあのキメポーズもあるし、 白薔薇にカリーナ・ラウ、黒薔薇にヴェロニカ・イップ (顔面セロテープ貼り彼女がやリます)、それにケニー・ビー (彼の足にカーフェイが噛みつくおバカなシーンあり) と相変わらず悪玉のサイモン・ヤムと出演陣も強力アップ。 あいかわらずいきなリ歌謡ショーのシーンもあるし、最近いろんな香港映画に出てくる 同性愛的シーンもあるしで、こちらも爆笑できると思う。

それにしてもレオン・カーフェイという人。いったい幾つの顔があるんだろう。 ティーチ・インに行かなかった私は、素顔を拝めなかったので、???のまま。 情報によると香港版の『欲望という名の電車』に出演するとか。 そうか、かのマーロン・ブランドの役なんだ。 彼があんな粗野な男の役をどんなふうに演じるのか、今から楽しみである。



特別招待作品

さらば、わが愛〜覇王別姫〜

関口治美

昨年の正月、私にとって初めての香港旅行で目についたのが、この 『覇王別姫』という作品でした。上映館の華麗なポスターやロビーカード、 レスリー・チャンとコン・リーという賛沢な配役に私達(全員映画ファン) は目を奪われましたが、長尺で監督がチェン・カイコーでは字幕無しでは難しそう、 ということで泣く泣く観るのをあきらめたのでした。 その後、『覇王別姫』はカンヌでパルムドールを取り、 やっぱリ観ておけぱよかったと悔やむことしきり。そんな私が、 東京国際映画祭でのチャンスを逃すはずがありません。

とはいえ、もとも香港以外の中国語圏映画が苦手な私ですから、その時代背景、 チェン・カイコーの生い立ちなどを耳にするにつれ、 三時間近くも耐えられるのだろうかと不安でした。 けれどこの映画はそんな中国映画に対する偏見を見事に拭い去ってくれたのです。 三時間私はうっとりと魅入ってしまいました。まるで、劇中で レスリー・チャンが吸っていた阿片の煙がたちこめていたのではないかと思うくらいに…。 〈阿片の香り〉、決して嗅いだことはないのにこの映画を一言であらわすと そうなってしまうのです。

ふたりの京劇役者を軸に五十年の中国史を描いたこの作品は、芸術と娯楽という 映画の二大要素を見事に兼ね合わせています。京劇の立て役者である段小樓 (チャン・フォンイー)をめぐって女形の程蝶衣(レスリー・チャン) と高級娼婦の菊仙(コン・リー)が火花を散らすというメロドラマが軸になっていますが、 京劇のバック・ステージ物としても、動乱の時代の中国史としても、 それぞれ見応えがあります。私には大の苦手な日本統治時代 (悪役としての日本人像を見ると、事実はどうあれ心の中に右翼意識が芽生えてしまいます) や文化大革命でも、主人公の被害者意識は必要以上に強調されていないという点も 気に入りました。主演三人の演技合戦もお見事というほかありません。 特にレスリー・チャンの演技開花には目をみはるものがありました。 身も心も女になりきっている程蝶衣は恋仇の菊仙を刺すような目付きで睨み、 かと思うと愛しの段小樓をねっとりとした熱い視線で見つめます。 最愛の人のためならと我が身を犠牲にしても、決して振り向いてはくれない彼。 むくわれない恋をまぎらわす為に阿片にのめりこんでいく…。 『男たちの挽歌』や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』 の頃のアイドル然としたイメージが強かったレスリーですが、 カナダヘ移住して何が起きたのかと思うほど素晴らしいヒロイン(?)ぶりで、 「実生活でもホモ」という噂もうなづけます。

それにあのあでやかさ、美しさと いったら! 程蝶衣は歴史に身を委ねながらも決して老けることがないのです。 中国の山口百恵と言われていたコン・リーも綺麗に撮れていましたが、 レスリーの美しさにははっきリいって負けています。

かつて同じ東京国際映画祭で観たせいもありますが、この映画を観たあとで 『ラスト・エンペラー』を思い出しました。 皇帝と京劇役者という身分差は大きいものの、中国のほぼ同じ時代を描いているし、 少年時代の程蝶衣が仲間の一人と街へ脱走するくだりなどは、同じく少年時代の溥儀が 初めて外界を覗き見るシーンとよく似ています。 この二つの映画が共に世界的評価が高いというのには特筆すべきものがあります。 けれど、しょせん『ラスト・エンペラー』は西洋人の目から見たオリエンタリズムに すぎない、ということを、『覇王別姫』は教えてくれます。 台湾、香港、中国ががっぷり組んだ《本物》の魅力に、今私は浸りきっています。



写真キャプション:レスリー'チャン シアター・コクーン隣のカフェから出てきた所です。
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